実践生物教育研究(第46号)

実 践 生 物 教 育 研 究
THE JOURNAL OF PRACTICAL
EDUCATION IN BIOLOGY
March
2007
第46号
No.46

目次
Contents

(1)【巻頭言】筆者が受けた教育と理想 田羅 征伸
Foreword: The present author's accepted education and an ideal by Masanobu TARA  
(2)パラパラマンガを使ったカエルの発生の授業 塚原 一秀
Flipbook about a frog's early development by Kazuhide TSUKAHARA
(3)残して欲しい「総合的な学習」の時間 藤井  恒
The comprehensive study should be continued in elementary and secondary education by Hisashi FUJII
(4)現代の教育に有効な新教科「文化」の提唱 建    武
Ideal Education with Synthetic Horizons : Need for the establishment of the new subject "Culture" in the curriculum by Takeshi Tate
(5)あとがき 齋藤 三男
Afterword by Saitoh Mitsuo
実践生物教育研究会
The Society of Practical Education in Biology
齋藤生物教育研究所
SAITOH INSTITUTE FOR BIOLOGY EDUCATUON
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巻頭言
Foreword
筆者が受けた教育と理想
The present author's accepted education and an ideal
田羅 征伸
Masanobu TARA
岡山大学名誉教授
Emeritus of Okayama Univ.

はじめに
 最近、学生の質が変わったことを肌で感じる事件にあった。この件に関しては、先に報告したとおりである。これに 関連して思うことは、筆者のように、戦中・戦後の混乱の時代に教育を受けた昭和一桁世代後半の日本人が育った環境 は、今の若い世代の日本人を取り巻く環境とは似ても似つかないということに思い当たったのである。その差はあまり にも大きく、話して必ずしも分かってもらえるとは思わないが、語らないよりはましだと思って具体的に身の回りに起 こった出来事・経験・教育・環境を、「生命尊重」の立場から、ここに述べることにした次第である。
 また、筆者は、教育は「価値観」を云々するもの、と思っている。しかし、戦後生まれの、戦争を知らない、物質豊 かな環境に育った若い世代と、戦前生まれの、「戦争の悲惨さの経験」をした、われわれ昭和の一桁世代の「価値観」 の差はあまりにも大きく、それら相互の間の「相互理解」はきわめて困難なように思えてならない。親が子を子が親を 殺す事件の報道が日常茶飯のように報道されている今日この頃である。大変なショックである。
 そこで、現在、議論の的になっている、「教育改革・学校制度改革」の一環として、過去の教育改革のギャップ・ ギャップを歩んだ筆者が、多感な新制小学校・新制中学校・新制高等学校・新制大学、それぞれの時代に「受けた教 育」・「教育経験」の一端を、恥をしのんで述べることにした次第である。

1.太平洋戦争勃発と初等教育:その当時の筆者を取り巻く時代と環境
      筆者は、昭和9年(1934年)、広島市牛田町(原爆投下地点から2.3km北方)の丘のふもとの、当時、裕福な家庭の5人 兄弟の次男として生まれた。筆者は、幼かりし頃から現在に至るまで、歌の歌詞をよく記憶している。歌詞は時代を よく反映し、象徴していることも事実である。そこで、以下、育った環境をあらわす材料として、歌の歌詞を中心に 述べることにする。
 「僕は軍人大好きよ、今に大きくなったら、勲章下げて剣吊って、お馬に乗って、はいどうどう。」この歌詞は、 筆者が幼稚園時代に覚えた歌の歌詞である。世を挙げて、軍国主義に傾注していた時代である。此一文を見ても当時 の日本の教育をご理解していただけるであろう。
国民学校教育
 やがて、小学校就学年齢に達した。数え年8歳である。「尋常小学校」は「国民学校」に名を改められた。「みん なで勉強うれしいな、国民学校一年生。」これは、国民学校入学当初、覚えた歌の歌詞である。「咲いた、咲いた、 桜が咲いた、狛犬さん、あ、狛犬さん、う。」これもまた、当初覚えた「国語」の文章である。
 昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発である。「見よ、東海の空あけて、旭日のもと輝けば、天地の生気はつらつと、 希望は踊る大八洲、おお晴朗の朝ぐもり、聳ゆる富士の姿こそ、金曜無欠ゆるぎなき、わが日本の誇りなり。」「守 るも攻めるもくろがね(鉄)の、浮かべるその城頼みなる、浮かべるその城、日の本の、み国の四方を守るべし、万 里のその城、日の本の、み国の守り攻めよかし。」「海行かば 水浮くかばね、山行かば草むすかばね 、大君の、正 義にこそ、死なれ、たれみかせじ。」黙祷、「とんとんトンからりの隣組、隣は満州、中華国、互いに手を取り、手 をつなぎ、教えられたり、教えたり。」大東亜共栄圏、「父よあなたは強かった、かぶとを焦がす、せん滅と敵のか ばねと、ともに寝て、泥水すすり、草をはみ、ああれ父さんが、幾戦に、行って去ってくださった。」「旅順海上、 約なりて、敵の将軍ステッセル、乃木大将と会見の、ところはいずこスイシエイ。」等。これらはすべて、国民学校 低学年時代に覚えた歌の歌詞である。歌詞を見たことは一度もない。ただ、筆者の頭に浮かぶ歌の歌詞を、浮かぶま まに、ここに書いたまでである。それ故、必ずしも正しい歌詞とはいえない。
 筆者が、国民学校3年生になると、「教育勅語の暗唱」を求められた。「朕、思うに、わが高祖皇祖、国を始むる こと高遠に、徳を尊すること信仰なり、わが臣民、よく忠に、よく孝に、億兆心を一にして、世々その日をなせるは、 教育の淵源、また実にここに存す。汝臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦あい和し、朋友あい信じ、学を修め、 業を習い、もって知能を啓発し、博愛衆に及ぼし、一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、もって天壌無窮の幸運を扶翼 すべし、かくのごときは、ひとり朕が忠良の臣民たるのみならず、またもって汝祖先の威風を顕彰するにたらん。」 御名御璽。これを覚えた当初、筆者はチンプンカンプンまったく意味が分からなかった。それは九九を覚えると同様 に、意味が分からずとも、丸暗記したのである。それが、72歳の現在まで記憶として持ち越しているのである。
 開戦3年後、戦況は、次第に日本に不利になり、シンガポール陥落、アッツ島玉砕、本土空襲と毎日のようにラジ オ放送された。言論統制下、日本放送協会(NHK)によるラジオ放送は、お決まりの文言であった。大本営発表、昭 和00年0月0日、「敵戦艦轟沈、航空母艦撃沈、わが軍の損害、軽微なり云々」に終始した。この類の放送が連日 なされ、国民はこれに酔ったのである。騙されていたのである。
 4年生になると、筆者は、神武天皇から今上天皇まで、歴代の天皇をお経のように丸暗記させられたのである。そ の一方で、沖縄、硫黄島が陥落し、そこを基地にした、日本本土空襲が激しくなった。その頃、筆者が通っていた、 爆心地に近い白島小学校の校庭中央には、回収された窓枠・仏具・火鉢など、ありとあらゆる鉄製品がうずたかく積 み上げられ、その地下には防火用貯水タンクが作られた。また、本土空襲・火災に備えて、バケツによる消火訓練が、 連日行われるようになった。敵の本土上陸に備えて竹槍まで用意されたのである。原爆に対して竹槍で戦うと言うの だから、何をか言わんや、あいた口がふさがらない。食料は底をつき、人々はやせ細り、食べられる道草は何でもか じった。衣料はもちろん何もなかった。子供は、継ぎはぎの服、防空頭巾。女は、鉢巻、もんぺ姿。老いた男(老人 しかいなかった。働き盛りの男性はすべて徴兵されて本土にはいなかった)は、黄土色の軍服、戦闘帽、ゲートル、 革靴姿が、筆者の眼底に焼き付いて離れない。
 6月のある日、筆者は、広島市上空を通過したグラマン(艦載機)を、まじかに目撃した。筆者が、防空壕の中から 頭を出して、頭上の超低空で裏山すれすれに飛来しお宮の石段に座ってみていた老婆を機銃掃射した、ゴーグル・飛 行帽姿の乗務員をまじかに目撃したのである。それと同時に、パンパンと言う機関銃の乾いた音を耳にしたのである。  艦載機は、100機編隊を組み、連日広島上空を通過し、呉工廠に襲来した。豊後水道北上中が放送されると、「ウー」 と警戒警報がなり響いた。すると、全校児童は、授業は直ちに中止、防空頭巾をかぶり、一目散に自宅へ逃げ帰っ た。帰宅すると、それぞれの家庭の防空壕に逃げ込んだ。筆者宅には、裏と表の菜園の一角に、それぞれ防空壕が掘 られていた。しかし、不思議なことに、日本の6大都市を始め、他の多くの都市には、軒並み焼夷弾が投下されたに もかかわらず、広島市には、原爆が投下されるまで、まったく爆弾は投下されなかった。「出て来い、ニミッツ、マ ッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし。」これがその当時、筆者が覚えた歌の歌詞である。
 食糧不足は、その極に達していた。道路と言わず、校庭と言わず耕せるところはすべて開墾した。そこに、人糞を まき、こぞってサツマイモ(コウケイ四号)・カボチャを栽培した。その理由は、空腹を満たすには、大きく・収量が 多いが条件だった。人々は、それらを道端・垣根に植え、飢えをしのいだのである。おいしいおいしくないは二の次 であった。ただ腹が膨れればよかったのである。一般の国民はそれほど飢えていたのである。軍人は別として、一般 人は飢餓にあえいでいたのである。
 お陰で、児童に限らず、回虫・ギョウチュウ・サナダムシなど、寄生虫が蔓延した。毎月、児童はサントニン、マ クニンなど駆除剤を常用したのである。栄養不足の上に、寄生虫までが児童を苦しめたのである。学校給食は名ばか りで、サツマイモの葉柄が塩水に浮いていた。泣きずらに蜂とはこのことである。困窮の極に達していた。勉強どこ ろではなかったのである。筆者は、栄養不足でやせ細り、抵抗力が落ち、吹き出物が治癒しなかった。今も生々しく 太ももに傷跡が残っている。
 その頃の食糧事情に比べると、現在の食料環境は、夢のまた夢である。その当時のそれとは、ぜんぜん比較になら ないのである。筆者は、常日頃から、衣食住ではなく、「食衣住」である、と教えている。順序が逆である。現在、 日本人の多くは、生活習慣病に苦しんでいる。いかにして痩せるかを、真剣に考えているものが少なくない。筆者に 言わせれば、「冗談じゃない。寝ぼけるな。贅沢もほどほどにせい。」と言いたい。  コメツブ1粒落としたら、「拾うて食べろ」と言って、祖父に叱られたのである。「粗末にしたら、目がつぶれる」 と言って、叱られたものである。現在は、核家族が多いから、祖父や祖母の「価値観」で教育される家庭は極めて少 なくなった。世代を超えた教育が無くなったと言っても過言ではない。良し悪しは別として、筆者は、物心がつくか つかぬ頃から「人や近所に迷惑をかけてはいけない。」など、我が家の年寄りから、くどくど教え込まれ・叩き込ま れたのである。現在、問題になっている、弱いもの「いじめの問題」を解決するには、どのような対策が考えられる か。誰が、いつ、どのように教えるか、それは、今後の問題である。筆者は、ハワイ大学研究助手後、広島市の国際 学校で日本語の教師をした経験がある。6歳〜12歳の13人の複式学級であった。そこでは、「マンツウマン」の 教育が可能であった。上級生が下級生を指導すれば、いじめはある程度防げるように、筆者は思える。
 筆者は、男らしい男は弱いものいじめはしない、と言いたい。「相手、弱い者を思いやる心がある人」の育成。 「男らしい男」、「女らしい女」を作る教育。ないがしろにされているのではないか。しかし、これは男女同権とは 別問題である。

2.太平洋戦争終結と新制中学校:
原爆投下と筆者を取り巻く環境の変化
 昭和20年8月6日、広島に透過された一発の原爆は、筆者の生活を一変させた。父は、原爆の中心に近い八丁堀 (爆心地から400m)で被爆した。命からがら自宅に逃げ帰ったが、1ヵ月後、原爆症でなくなった。父は昭和20 年6月、東京で生活していた。東京は3月のじゅうたん爆撃に始まり、連日焼夷弾の雨に見舞われた。それで、父は 生まれ故郷、広島市へ逃げ帰った。そして、被爆した。9月上旬、原爆症を発症し、3日後に死んだ。直接原因は鼻 血である。それが普通なら止まるが、原爆症で止まらなかったのである。父の弟が一昼夜、彼の鼻に指を入れて止血 していた。しかし、指を離すと、たちどころに、血が滝のように、のどの奥に流れ込んだのである。結局、出血多量 が命取りの直接原因となった。父は、半倒壊の自宅の納戸で息を引き取った。大急処置のトタン屋根の下、雨漏りの ため、部屋の中央に、数枚重ねられた畳の上に、敷かれた敷布団の上に胡座をかいた姿が浮かんでくる。そのあたり 一面を血の海にして、髪を振り乱した、すさまじい阿修羅の形相は、忘れろと言われても忘れることは出来ない。 「東条の馬鹿たれが、俺を殺しやがった。松岡の馬鹿たれが、日ソ不可侵条約に調印したからこんなことになった。 俺を殺しやがった。今から東京へ行く、カバンを出せ。」と言って、彼を取り巻いていた、駆けつけた兄弟や家族を 困らせた。
 やがて、出血がひどく、声が弱々しくなり、出なくなった。すると、「紙と鉛筆をもってこい。」と手まねで言っ た。その小さな紙に、うらみつらみを書こうとした。しかし、2〜3行書いたが、力尽きて息を引き取った。家族や 兄弟に見守られて旅立ったのが、唯一の慰めであった。死体は公園に臨時に掘られた、沢山の火葬穴の一つで家族の 手で焼いた。
 祖父は、自宅近く、山畑に向かう途中で被爆した。祖父は、後方から、目もくらむ強烈な死の放射線を浴び、首・ 手・足に火傷を負った。彼は、1ヶ月防空壕に臥せっていたが、何とか生きながらえ85歳でなくなった。母は、防 空壕の中で、身重(臨月)にもかかわらず、祖父のやけどや、父が連れ帰った、ガラスの破片で無数の傷を負った友 人5人手当に追われた。母は、原爆投下1週間後、そのショックで早産した。お産場所は、青天井になった生家の 押入れの下段しかなかった。兄(長男)は旧制中学1年、運良く疎開跡の片付けの非番の日で、寝床にいて命拾いした。 筆者(次男)は小学5年生で、運良く疎開先にいて助かった。妹(長女)は小学2年生で、やはり寝床にいて助かった。 弟(3男)は就学前で、台所で食事中、窓ガラスの破片が頭など、数箇所に刺さり、以後数年間、潰瘍になり苦しんだ。 妹(次女)は、先に述べたように母の体内で、0歳であった。その結果、母は、祖父と5人の幼子を抱えて困った。貸 家6軒の家賃は、インフレが急に進行したため、紙くず同然となった。収入はなく、一家は路頭に迷った。
 自宅は、焼けこそしなかったが、屋根も天井も吹き飛んで、青天井になった。壁は爆風方向のそれは倒れて風通し がよくなった。正面から爆風を受けなかった壁は、ひし形に変形して、柱が倒れるのをかろうじて支えた。柱はすべ て爆風方向になびき、30度も傾き、見るも無残な姿に変わり果てたのである。すぐ北側の、Tさん麦わら葺きの家 は、一瞬にして火がつき丸焼けになった。裏山の連山と市中が火の海になったことは申すまでもない。
 それから数年間、裏庭のショウデン柿に異変が起きた。何と驚くことに、手のひらのように・ヒトデのように、4 つ又に裂けた、種のない柿の実がなり続けたのである。幼い筆者には、これが不思議でならなかった。今まで見たこ とも、聴いたこともない柿の実がなったのである。筆者は、ずっと後に知ったことであるが、放射能がいかに恐ろし いか、身をもって経験したのである。
新制中学の生活
 第二次大戦後、間もなく新制中学が発足した。広島市には第1〜第7中学が新設された。筆者は、爆心地に近い 第五中学(爆心地から300m)に入学した。入学したと言っても、校舎は無く、焼け爛れた袋町小学校の鉄筋三階の 一部の間借りであった。本も教科書も黒板も机も椅子も何もない。廊下と教室の境もない、廊下と外をさえぎるもの は何もない。ただあるのは足元に木灰の積もった床のみであった。先生は、最初、小学校の教員をしておられた、佐 々木(理科)、堀(理科)、望月(絵画)先生、3人のみであった。
 さらに、時がたつとともに、岡本(理科・物理)、太田垣(理科・物理)、岡本(国語)、大崎(数学・工業)、吉永(商 業・簿記)、小久保(国語)、原口(英語)、天道(英語)、土岐山(数学。筆者の1・2年次の担任)らが着任された。こ れらの先生方の顔や姿、声までも筆者の脳裏に焼きついてはなれない。その当時のことが、昨日のように思い出され る。
 当時、学習時間は午前中のみであった。しかも、授業ではなく、東側の校庭に続く電話局の焼け落ちた残骸、電話 線の整理に借り出され、それに終始した。勉強どころではなかった。食べることがすべてであった。食うのがやっと であった。それでも「簿記はブックキイピングと言い、平たく言えば帳面ずけの方法である。」はい、覚えてきなさ い。すべてがこれであった。そりゃそうですよね。すべてが焼け落ちて瓦礫の山となり、灰以外は何もないんだから。
 中学2年生の頃、同じく爆心地に近い国泰寺町にあった旧制1中(新制高校はまだ発足していなかった)の木造一階 建て、吹きさらしのあばら家を間借りした。隙間だらけで、冬は寒かった。勉強どころではなかった。その当時、習 った先生の中には、旧制1中の高橋(社会・日本史)、城(英語)先生らがおられた。今でもその柔和な笑顔がまざまざ とまぶたに浮かんでくるのである。
 筆者が3年のとき、広島駅近くの「浅野の泉庭」(中国のドウテイ湖を模して造園された)、の東隣に、幟町中学校 が新設された。それと同時に、第五中学校は廃止された。幟町中学の先生方は次の通りである。望月(絵画・絵画部 顧問、毎日、描いた絵を手直ししてもらった。)、斉藤(理科・生物・生物部顧問)、小久保(国語)、岡本(国語)、水 木(国語・女性)、伊達(音楽・女性)、平賀(音楽)、中尾(家庭・女性)、川崎(英語・筆者の3年次の担任)、丘(体育) 先生であった。筆者は、これら先生方の「ご恩」 は一生忘れることはない。
 筆者が現在あるのは、毎晩、寝床で泣いた、涙もろい母や先生方のお陰である、と言っても過言ではない。母が食 べるために、生きんがために、わが子を育てるために、生まれて始めて鍬を持ち、チンチョロ稲を作った。筆者は、 学校から帰るとすぐに、かばんを投げ出して、百姓・農業を手伝い、涙もろい母を支えた。それが、筆者に生き物へ の関心を深め、その後の人生を方向ずけた。中3のとき、筆者は生徒会の生物部長をおおせつかった。そして、「と さつば(牛肉処理場)」を見学したときのショックは、忘れろと言っても忘れられない思い出である。柱の陰で肝臓を さばいていた、おばさんに出刃包丁で脅されたからである。肝臓の中から、どんぶり1杯の肝虫が出てくるのを目撃 したのである。しかし、おばさんは、それを「人に言うな」と言って、出刃包丁を突きつけて、筆者を脅したのである。
 筆者は、これら「先生方との出会い」もさることながら、「本との出会い」もあいまって、生物を研究対象として選 ぶことになったのである。その本は、なくなった父の枕元に転がっていた「生物学と進化学」木村徳蔵著、警醒社書店、 大正15年版である。これが筆者の座右の書となったのである。雑誌キング付録「偉人はかく教える」もその一つであ る。筆者の高等学校、大学時代の恩師や本との出会いについては、またの機会に述べたいと思う。教育は「人と本との 出会い」以外は、筆者には考えられないからである。「出会い」を大切にしたいものである。

おわりに
 現在、まもなく教育改革が為されようとしている。憲法の改正も為されようとしている。戦後生まれの日本人が多 数を占めるようになったのも否定できない。戦前・戦中世代の価値観は古いといわれれば、その通りかもしれない。 社会・経済・科学の進歩・変化は、よしあしは別として、とどまるところを知らない。地球は小さくなった。情報産 業は確実に予想も出来ない未来に向かって展開しつつある。今日の常識は明日は通じない世の中である。一寸先は闇 である。しかし、夢・理想は持続したい、少しでも世の中がよくなればよい、と筆者は心から願っている。現在、 「国際塾」の顧問をしているが、価値観の異なるいろいろな職種と接し、情報を交換し「Communication First」を貫い ている。まさに、「人が環境を作り、環境が人を作る。」である。

Abstract

The present author's accepted education and an ideal
by
Masanobu TARA
Emeritus of Okayama Univ.

The present author was born in 1934, and grown up in Hiroshima city. When I was 6 years old, the II World War occurred. The Japansese education was distorted by Militarism. Even young kids song many military songs that alive in my mind even now. And, also he memorized the Imperial educational message, however, could not understand at that time. Not only in school but also in home, I was educated morals by his grand father and grand mother. After the A-bomb drop in Hiroshima, when I was 1o years old, 5th grade in elementary school, the circumstance around him quite change. The new educational system started in Japan, that the middle school abolished and the new junior high school started under the peace constitution, in which he entered. He met the book at hand named "Biology and Evolution" and "A great man teach us such and such". We must cherish the encounter teachers and books, that make us education more valuable. "Men make environments, environments make men".


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パラパラマンガを使ったカエルの発生の授業
Flipbook about a frog's early development
塚原 一秀
Kazuhide TSUKAHARA
神奈川県立新栄高等学校
Kanagawa Prefectual Shin-ei High School

 
A.はじめに
 高校生物の発生の授業では、「ウニやカエルの3つの胚葉がどう移動して体を構成していくか」ということを 理解させるのに苦労している。ウニとカエルの発生模型がある職場ではそれを使ったこともあるし、ビデオは毎 年利用する。ウニの発生過程は板書した図や教科書の図などで何とかイメージできるが、カエルがやっかいであ る。カエルの原腸胚期に細胞群が陥入していくようすや神経管や原腸が作られていくようすは、板書した図や身 振り手振りを取り混ぜた説明でもなかなか説明しにくい。このあたりはビデオを見せてもわかりにくいので、使 えそうなアニメーションがあればいいなあとインターネットで検索していたら、パラパラマンガを作成して授業 をしている方のホームページが見つかった。そこで、昨年度から使わせていただいている。図はJustsystemの「花 子」で作ったそうであるが、花子の万年初心者の筆者には、これだけの図を作るのは気が遠くなる大変な作業と 思われる。以下に、簡単に紹介したい。

B.方法
>  岐阜県立高校の生物教師のKazuhiroさんのホームページから図をダウンロードして、生徒分を印刷・配布した。 (着色するのでコピー用紙を使用した。)色鉛筆で3胚葉を塗り分けるので、各自3色用意するように言ってお いた。
 型紙は全部でA4用紙で12枚ある。だが、時間的な制約もあり、着色は原腸胚から神経胚までとした。これ だけでも6枚あるので、作業に2時間分取った。2時間目の初めに完成した生徒もいれば時間内に終わらない生 徒もいたが、終了時にはほとんどの生徒が何とか完成した。なお、どこからどこまでを塗ればいいのか教科書の 図だけではわかりにくいので、板書で適宜補足しながら、作業を進めさせた。
 塗り絵の後に切り抜き、パラパラマンガとしてめくらせたが、これにより細胞群(特に陥入していくようす) が多少なりとも理解できたようである。

C.おわりに
 この方法は、普段受け身な生徒たちにとって新鮮なようである。勉強の苦手な生徒でもパラパラマンガを作 るということに興味を持つ生徒が多いし、細胞群がどう動いていくかを実際に眼で確認でき、3つの胚葉の位 置関係も塗り分けによっておおまかに確認できる。これとビデオなどを併用しながら、さらに指導法を改善し ていきたいと思っている。
 末筆ながら、発表の機会を与えてくださった安東久幸先生(神奈川県生物教育研究会)およびパラパラマン ガ作成者のKazuhiroさんに厚く御礼申し上げる。
参考
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nkazu/

Abstract

Flipbook about a frog's early development
by
Kazuhide TSUKAHARA
Kanagawa Prefectual Sin-ei High School

I used a flipbook about a frog's early development. The students were able to see the process of the early development by the flipbook. And they easily studied it.

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残して欲しい「総合的な学習」の時間
The comprehensive study should be continued in elementary and secondary education
藤井 恒
Hisashi FUJII
代々木ゼミナール生物科講師
Yoyogi Seminar
京都学園大学人間文化学部非常勤講師
Faculty of Human and Cultural Studies, Kyoto Gakuen University
E-mail: pen@japan-inter.net


○はじめに
 私は中国山地の山村で育ったので、中学までは自然のど真ん中でたくさんの生物とふれあいながら大きくなった。 テレビはあったが、遊園地やゲームセンターはないし、本を買うにも日に数本しかなかったバスで2時間くらいかけ て本屋に行くしかなかった。そんな場所だから、遊びといえば学校でソフトボールやサッカーをするか、自宅の近く で縄跳びや鬼ごっこなどをするか、近くの山や川へ行って、山菜やアケビを採ったり、魚を獲りに行ったりすること だった。幼い時は、自宅の納屋に農耕用の牛も飼われて、田植え前には牛が田んぼを鋤いていたのを覚えている。自 宅の前の小川にはアマゴが泳ぎ、オオサンショウウオも簡単に見つけることができたし、冬には近所の猟師さんが仕 留めたイノシシやツキノワグマの肉が食卓を飾ったものだ。
 そんな環境の中で育った私が、自然や生き物に興味を持つようになったのは「自然の成り行き」だったのとも言え るが、私の同級生(といっても18人しかいないのだが)で、生物や自然にとりわけ関心を示したのは私1人だったか ら、自然の中で育てば、皆が自然や生き物に強い関心を示すというわけでもない。自分では意識していないが、育っ た家の環境や、よく見ていたテレビの影響などもあったに違いない。「私が都会で育っていたとしても、きっと自然 や生き物に関心をもっていたのではないか」と、最近、思うようになった。

○子供の「なぜ?」と大人の対応
 子供はいろいろなことに興味を示す。「これは何?」「なぜなの?」と大人に質問を次々にぶつけてくる時期が ある。そんなとき、大人はどんな対応をしているだろう。最初は1つずつ丁寧に答えていても、そのうち子供の 「なぜ、なぜ攻撃」に辟易として、「今忙しいからあとで」などと言って、適当にあしらうようになってしまうの ではないだろうか。
 たいていの場合、子供の「なぜ?」は不思議だと思ったことが素直に口にでたもので、子供が悩んだ末に発した 質問ではない。しかし、子供の「なぜ?」の中には、物事の本質を突いたものも少なくない。例えば、「水はなぜ 氷るの?」とか、「空はなぜ青いの?」とか、「血は赤いのに、どうして血管は青く見えるの?」といった質問に、 科学的に的確で、しかも子供にもわかるような説明ができる大人は少ないだろう。そんなとき、子供の質問から 「忙しいから」と言って逃げ出したり、適当なことを言って誤魔化したりしてはいないだろうか。適当な答えをす ぐに思いつかないのなら、正直に「ゴメンね。わからないから、一緒に調べてみようか」などと言えばよいだけな のだが、これがなかなかできないのではないだろうか。

○「ゆとり教育」と「総合的な学習」
 文部科学省が進めた「ゆとり教育」には多くの批判もあったが、その理念は正しかったと思う。基礎学力の低 下などが問題となり、「ゆとり教育」の見直しがされつつあるが、文部科学省が強調していた「確かな学力」の 育成という方針そのものは、間違ってはいないと考える。文部科学省のいう「確かな学力」とは、「知識や技能」 はもちろん、子供たちの「学ぶ意欲」や「自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく 問題解決する資質や能力」等までを含めたものだからだ。
 「総合的な学習」は、子供たちが「自分で課題をみつけ、自分で学んだり、行動しながら、問題を解決する能 力」をつけさせる目的で設けられたものだったはずだが、必ずしもうまく機能しなかったようで、基礎学力低下 の原因のひとつとしてやり玉に挙げられている。しかし、「自分で課題を見つけ、自ら研究して、問題を解決す る」プロセスは、科学を研究するときのプロセスそのものであり、受験勉強に偏った最近の日本の教育で最も不 足している内容で、日本人の理科離れを防ぐ上からも、まず教えなければいけない事柄だ。

○「総合的な学習」導入時の問題点
 「総合的な学習」の導入が決まって、いちばん戸惑ったのは小学校の先生方だったようで、どうやって授業を すればよいかわからず、随分、苦労をされた先生も少なくなかったらしい。筆者もいくつかの小中学校の先生方 から、チョウを題材にした総合学習について相談を受けてアドバイスを行ったり、多少のお手伝いをしてきた。 小学校や中学校の先生の多くは、大学や大学院などで、きちんとした研究をした経験がないはずで、特に小学校 の先生はほとんど総ての科目を1人で教えなければならない。総ての科目の専門知識を持ち合わせているはずも なく、「総合的な学習」の過程で生じた子供たちの疑問に「先生が」すべて答えるのは至難の業だろう。
 「総合的な学習」を行うにあたっては、「先生も子供たちと一緒に学習する」というつもりで授業をすれば、 先生方もあまり大きなプレッシャーを感じなかったはずだ。子供たちの「なぜ?」に対して、「先生もわからな いから、一緒に調べてみよう」とやればよいだけだからだ。「わからないこと」があるのは決して悪いことでは なくて、その「わからないこと」を自分で解決していくプロセスは、「謎解きのようで、とても楽しいことなの だ」ということを、子供たちが理解してくれれば、「総合的な学習」は大成功なのではないだろうか。本当は答 えを知っていても、授業では「(よく)わからない」と言ってしまっても、その意図が明確であれば、構わない と思う。子供たちと一緒に学習しながら、先生方にも、科学的な研究のプロセスを学んでいただき、子供たちだ けでなく、先生方にも「自ら課題をみつけ、問題を解決する能力」を養ってもらえばよかったのはないだろうか。 何しろ、教える側の先生方の多くが、小中高等学校の児童・生徒だった頃には、そういう教育を受けて来なかっ たのだから。
 文部科学省も、「総合的な学習」の進め方や授業での問題解決の際に、小中学校の先生方が行き詰まった場合 に備えて、適切なアドバイスをしてもらえる専門家を用意するなど、より積極的なサポートが必要だったのでは なかろうか。「確かな学力をつけさせるために、総合学習をしますので、うまくやって下さい」というだけでは、 現場の先生も大変だろうし、よくわからないまま授業をする先生に指導された子供たちも可愛そうだ。大臣の鶴 の一声で教育方針がガラッと変わってしまうのは如何なものだろうか。「ゆとり教育」の良いところ、悪いとこ ろを十分に検討して、改善できるところは改善して、長い目でみて日本の将来を背負う子供たちの教育がどうあ るべきかを考えて欲しい。

○履修科目の減少と基礎学力の低下
 私自身は、私立中学や高校で数年間、非常勤講師として理科や生物の教育に携わったあと、予備校講師や 大学の非常勤講師として、高校生や受験生や大学生に生物を教えてきた。その中で、最近の高校生や大学生 の基礎学力(基礎的な理科の知識や計算力など)が低下していることは、確かに感じている。しかし、私が 高校生や大学生であった頃と比べて、彼らの勉強や学問に対する意欲が不足しているかというと、決してそ んなことはないと断言できる。私が学生だった25〜30年ほど前も、やる気のない人は勉強をしなかったし、 やる気のある人は一生懸命頑張っていた。それは今の高校生や大学生も同じだ。
 では、何が違うかというと、ひとつは、私が高校生だった当時は、非常に多くの科目を高校で勉強させら れたことだ。社会は、地理、世界史、日本史、倫社、政経、理科は生物I、化学I、物理I、地学Iを履修した上 、理系の私は生物IIと化学IIも履修した。数学はもちろん全部やったし、古文や漢文、芸術(私は音楽)、保 健体育と、大学入試に直接関係のない科目も、一通り勉強させられた世代だ。詰め込み教育だという批判が 出て、その後、高校では選択科目が増えたわけだが、大学が受験生集めのために行った入試科目数の削減の 影響もあって、結果的に、受験に必要な科目だけを勉強すればよいという風潮を助長してしまったのだと思う。
 選択の幅をもたせて、勉強したい科目を重点的に学習できるようにしようというアイデアは理解できる。 だが、高校生や大学生の生の声を聞いていると、逆に選択の幅が狭まってしまっているように思えてならな い。選択の幅を広げた一方で、週休2日制導入の影響もあって、授業時間数は減少しているから、すべての 科目を開講することは難しくなっている。そのため、履修希望者が少ない選択科目は、開講されず、本人の 希望とは異なる科目を履修せざるを得ないということが、少なからず起こっている。大学で講義を受けてい る学生にアンケートをとると、「高校では生物をとりたくても、生物という授業そのものがなかった」とい う学生が、毎年のようにいるのである。理科の中で履修希望者が最も少ない地学の場合、まともに勉強でき る高校の方が少ないのではないだろうか。
 昨年、大問題となった「高校での必須科目の履修逃れ」もこのような状況の中、起こるべくして起こった 問題だ。特に、社会の地歴では、地理、世界史、日本史のうち、世界史だけが必須科目になっていたため、 受験で日本史や地理だけが必要な高校生が、世界史だけで受験する高校生に比べて不利益を被るという状態 になっていたらしい。もし、地理も世界史も日本史も必須科目になっていれば、こういう問題は起こらなか っただろう。個人的な意見を言わせてもらえば、地理も世界史も日本史も、私たちが社会で生きていくためには 学んでおくべき科目だと思う。

○高校生の目的意識とその形成
 自分は何をしたいのか、何を学びたいのかという明確な目的意識を持たずに、大学に進学してくる学生が 多いということが言われて久しい。私が大学生になった30年ほど前ですら、大学に進学した目的がはっきり していた学生はさほど多くなく、大学に入ってから、あるいは就職活動をする過程で、自分の生き方を決め ていった人の方が大半であったように思う。そして、今は、大学を卒業しても、自分がやるべきこと、やり たいことを見つけられない若者たち−フリーターやニートなど−の増加が、大きな社会問題となっている。 このような若者の現状を考えると、高校生の1年生や2年生の段階で、自分が将来やりたいことや、つきた い仕事についての明確なビジョンができている人など、ごく一部しかいないはずだから、その段階で自分の 将来を大きく左右する勉強(高校での履修科目)の巾を狭めてしまうのは、好ましくないと思う。少なくと も高校までは、全ての科目の基本だけは、全ての児童・生徒に学ばせ、その上で自分に向いていること、自 分がやりたいこと、将来、つきたい職業は何かということを、彼ら自身が判断できるような道筋をつけてや ることが望ましい。そういう意味でも、理科や社会の全科目の基礎を一通り学ぶことができるように、選択 科目を減らして、必須科目を増やした方がよいと考える。
 同じ受験勉強をするにしても、「何となく大学に行きたい」という生徒と、明確な目的意識を持っている 生徒では、勉強のモチベーションが明らかに違う。予備校の授業では、入試の直前になれば、入試でパスす るためのテクニックのようなものも指導せざるを得ない。しかし、予備校の授業だからといって、そんなこ とだけを教えている訳ではない。受験勉強であろうとなかろうと、生物について学ぶことは、ヒトであり、 生物でもある自分について学ぶことだから、大学入試以外の場面でも、必ず自分の役に立つ内容が含まれて いる。また、生物に多少なりとも関係する大学の学部や学科に進学する人にとっては、受験勉強は、大学で 学ぶ生物学の予習にもなるわけで、生徒がそういう意識をもって受験勉強をしてもらるよう、常に意識をし つつ、授業をすることも大切だろう。

○受験勉強偏重主義を憂う
「必須科目の履修逃れ」問題に象徴されるように、進学校を中心に高校の予備校化が進んでいる。私が勤め ている予備校にも、研修や授業見学に来られる高校の先生方が増えている。生徒や保護者などからの要望が あるからだとは思うが、私自身は高校の予備校化には反対である。高校には、高校にしかできないことがあ ると考えているからだ。予備校での授業のよい所を取り入れるのは悪いことだとは思わないが、予備校の授 業で、実習や実験を生徒にやらせることは、現状ではまず無理だ。生物を含む理科の本当の楽しさは、前述 のように、自ら疑問を感じ、その疑問を解決していくプロセスにあるが、その楽しさを実感させることは、 受験勉強偏重の授業ばかりやっていては、まず不可能だろう。「総合的な学習」は、それを生徒(や先生) に実感してもらうせっかくの機会だったのだが、それが十分に活用されないまま、縮小され、消滅してしま うとしたら、とても残念なことだ。

○小中学校での総合学習
 だが、保護者や生徒からのニーズを考えると、今の高校の教育の現場で、「総合的な学習」や「実習や 実験」などに、十分な時間をとることはできないというのも理解はできるし、「自分で課題をみつけ、自分 で学んだり、行動しながら、問題を解決する能力」は本来、小中学校の段階で、十分つけることができる能 力だと思う。前述のように、「総合的な学習」が導入された直後は、小中学校の先生方の戸惑いも多かった と聞いているが、現在では素晴らしい授業をされている先生方も少なくない。「基礎学力の低下」は事実だ が、その原因は「ゆとり教育」の仕組みややり方に問題があるのであって、「総合的な学習」の時間を縮小 したり、廃止したからといって解決できるものではない。むしろ、「総合的な学習」のよい面を引き出せる ような仕組みを作って、小学生や中学生が「確かな学力」をつけられるようにすることが重要だと考える。

○アサギマダラを使った総合学習
 アサギマダラは、渡り鳥と同じような、長距離の移動をする大型のチョウで、全国で行われているマーキング 調査(標識再捕法)によって、2000km以上の移動をすることがわかり、日本と台湾との間の相互の移動も確認 されている。この調査は1980年頃に始まったが、1997年に私たちが「アサギネット」を作って、インターネット を使って情報交換をしたり、調査への参加や協力を呼びかけるようになってから、飛躍的に移動確認記録が増え、 アサギマダラの移動や生活の概要が、かなり明らかになってきた。
 この調査は、アサギマダラ(成虫)を捕獲して、翅(裏面)に油性マーカーで標識(個体番号、標識地、標識 日などの情報がわかるマーク)を書き込んだ後、放蝶し、それを再捕獲することによって、アサギマダラの移動 の様子などを、みんなで協力して調べようというものである。アサギマダラは大型のチョウで、翅に鱗粉が少な いため、他のチョウに比べ、翅に標識を書くのが容易なので、少し練習をすれば小学生でも調査に参加すること ができるため、総合学習などの一環として、アサギマダラの調査に参加して下さっている学校や、教育委員会の 行事として毎年、地元の小学生を対象にしたマーキング調査会をしているところもある。
自分がマークをつけたチョウが、遠く離れた知らない場所で見つかるかも知れないという夢もあるし、自分が見 つけたチョウが遠くから飛んできたものだとわかれば、感動するだろう。かつて、風船に手紙をつけて飛ばした り、瓶の中に手紙を入れて海に流すということが、学校の授業としてしばしば行われていたが、飛ばされた風船 や海に流された瓶は、ゴミになってしまう訳だから、環境汚染の原因となってしまう。アサギマダラのマーキン グ調査はチョウの行動調査の一環として行っているもので、手紙を書くわけではないが、翅に記号や数字を書い て飛ばすわけだから、手紙を飛ばした場合と、多少、似た喜びがあるのだろう。本来の目的とは違うが、何かを やるときには、モチベーションも大事だから、「自分もやってみたい」という気持ちに、子供たちがなることも、 学習を行う上での重要な要素だろう。
 アサギマダラと触れながら、「なぜ、こんな小さなチョウが、1000kmも2000kmも飛べるのだろう」、「海を 渡っていくときは、休まずに飛んでいけるのだろうか」、「自分がどこへ飛んでいけばいいのか、チョウはどう やってわかるのだろう」などなどと、次々に疑問がわいてくるだろう。「モンシロチョウやアゲハチョウは渡り をしないのに、なぜ、アサギマダラは渡りをするのだろうか」思う子供もいるだろうし、「アサギマダラはどう して、同じ花にたくさん集まるのだろう」などという疑問を感じる人もいるに違いない。
 これらの疑問のほとんどは、まだよくわかっていないが、浮かんだ疑問について、いろいろな仮説を立てて、 どうすればその仮説を検証することができるだろうか、ということを子供たちに考えさせて欲しい。すぐに「イ ンターネットで調べてみよう」ではなく、「自分で考えること」が大事なのだから。
 アサギマダラは長距離の移動をするので、途中、いろいろな場所に立ち寄って、餌を食べたりする必要がある。 アサギマダラが、毎年、長距離の渡りをしながら子孫を残し、生き続けていくためには、アサギマダラが越冬で きる環境、渡りの途中で休憩したり、餌を食べたりすることができる環境、初夏〜秋の間に、産卵し、幼虫が成 長し、成虫になり、成虫が餌を食べたりする環境が必要で、どれか1つが欠けてしまうと、アサギマダラはいな くなってしまうかもしれない。こういう視点から、授業をすれば、環境問題に進むことができるだろう。あるい は、「それぞれの場所で、アサギマダラはどんな生物と関わり合いながら生活をしているだろうか」という疑問 を発展させれば、生態系の中での生物群集の相互作用に進むことになるだろう。
 アサギマダラは長距離の移動をするが、成虫がたくさん見られる場所は、ある程度限られている。そのことに 注目して、授業展開をすれば、たくさん見られる時期や場所の情報から、地形や気象条件(気候)なども調べる ことになるかもしれない。
 このように、アサギマダラの長距離移動をきっかけに、いろいろな授業展開が考えられることから、総合学習 のテーマとして活用できることがわかるだろう。ただし、アサギマダラはいつでもどこでも見られるチョウでは ないので、実際に授業に取り入れることができる学校は限られると思う。しかし、実際の授業等での取り組みの 事例もあるし、アサギネットのWEBページや掲示板、メーリングリスト等を通じて、多くの方々と直接交流がで き、困った時にはアドバイスも受けることができるので、興味を持たれた場合は、筆者までご連絡頂くか、アサ ギネットのWEBページなどをご覧頂きたい。
アサギネット:http://www2h.biglobe.ne.jp/~pen/asaginet000.htm



Abstract

The comprehensive study should be continued in elementary and secondary education
by
Hisashi FUJII
Yoyogi Seminar
Faculty of Human and Cultural Studies, Kyoto Gakuen University
E-mail: pen@japan-inter.net

As acquisition of basic scholastic ability has become major issue in elementary and secondary education in Japan, the opinion that the comprehensive study in schools should be reduced is becoming strong. However, the comprehensive study is very suitable to learn scientific method, the process of scientific study, not only for school children but also for the teachers who did not have made scientific studies by themselves in their school days. The major causation of acquisition of basic scholastic ability of students is not the comprehensive study, but the lighter curriculum, and the flexible and liberal style of education. Thus, the comprehensive study should be continued at least in elementary and secondary education in Japan.


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現代の教育に有効な新教科「文化」の提唱
Ideal Education with Synthetic Horizons :
Need for the establishment of the new subject "Culture" in the curriculum
建  武
Takeshi Tate
文化生物学研究会
The Society of Cultural Biology
E-mail:cro-tate@gaia.eonet.ne.jp


1.はじめに
 現在の教育で懸念されている諸問題の根源は、脳科学の進展による成果を無視した短絡的な思考のもたらしたもの である.
  (1)いわゆる理科嫌いという、小・中・高校と学年進行につれて理科を敬遠する生徒が増加している現実が憂慮され ている.理科の授業は講義中心ではない、実習のある楽しいものである.しかし現場は、指導者が受け身の時代であ った生徒のときの実習の経験が乏しいことと、実習には時間が多く取られる.それよりも講義でカバーする方が結果・ 結論を与えるのに有効であると考えている教師が多いことが原因の一つである.
 大事な成長期の児童に、正常な教育を行いたいという意欲で理科教員になった人もいるのに、小学校に専任理科教 員を置いている学校は、皆無ではないが極めて少ないことをまず改革しなければいけない.ただし、以下に述べる精 神が必要である.
(2)高校の理科の授業は、大学入試の出題内容が高校の理科の授業を左右している.これは問題作成者の意図と素質 にもよるが、真に思考力を持っている生徒を選抜するという意欲の有無に疑問を感じる問題がよく見受けられる. 予備校のしている大学過去問題対策の手段に、類似しているといっても過言でないものもある.
 大事な学生としての受け入れの関門となる問題の作成を、研究の時間に多大の影響を及ぼすという理由で、予備校 に依頼する大学がある報道を見たときは、教育をまったく忘れた欠陥大学として笑止千万の極みであった.
(3)大学合格率で高校の良否を一般が判断し、これは中学校にも伝承している.例えば、化学反応の実験をせずして、 書物にある反応の色の変化と結果を暗記させる指導は、生徒にものたらなさのみを与える教育である.それは原理・ 法則の結果に重点を置ている大学入試に起因している.高校入試も少子化対策の好機とともに今後検討に値すると 考えている.
 安易に合否を判断しようとする現状を改善せずして、思考力の不充分な学生に未来への教育のキャッチフレーズ として、ノーベル賞に値する成果を期待するというのろしを掲げる施策は、本末転倒であると云わざるを得ない.
(4)カリキュラム(教育課程)は、系統立てて編成された小・中・高校教育の基準の大系である.昭和時代は約十年 単位で変更され、理科について述べれば概して単元の取捨選択が中心であった.平成時代になっても教育課程の審 議会で、自然科学の根本となる、基礎・基本を如何に理解させるかの思考過程の討議が、どの程度行われたのかも、 教育現場の実情が充分反映した審議内容であったかどうかも不明である.それは会の構成委員の顔ぶれから判断して も容易に想像がつく.今後は上意下逹の仕方を改革した審議が切に望まれる.
 脳科学の進展による、幼少期よりの成長に即した思考の育成に馴化した、教育大系の確立はとりもなおさず国家百 年の基盤である.
(5)同レベル能力保持者と見ての、生徒に対する「能力別編成授業」というのがある.何をもって能力を選定している のか.字はちがうが同年代の脳力には特別の場合以外に差異は無い.指導方法の広狭によって隔たりが生ずるのであ る.こういう行為は教師資格の放棄であると云ってよい.学習成果と能力に差異が生じるのは指導者の能力以外にも 原因がある.それは自主・自律の精神育成に欠けた家庭環境にもあると云える.
 多種多様な生活環境と学力の生徒を正しく導くために、工夫と努力を傾倒することが教育の真髄であり、教育者た るもののみが主導出来る特権であると思っている.
(6)いわゆる「ゆとり教育」というものは、一般にも教師にも全く誤解されている.ゆとりは、詰め込みに対する反 語では無い、すなわち、限られた時間内の知識の詰め込みで生じた授業空白の時間でも、授業時間を縮小してつく る時間でも無い.そして学級定員の縮少も関係ない.極端な個人レッスンは特定の場合である.これらは枝葉末節の ことである.今の学級定員は、最大限力量を発揮できる恵まれた環境である.昭和40年代は約60名クラスの授業をし ていた.机間巡視も出来ない状態だったが、現在のような問題は無かった.むしろ生徒は、自律の精神を持って学習 していたのである.
 限られた時間を有効に用いて理解させ,さらに思考する時間を与えることが、将来の集団社会で生きるために必要 な教育である.
(7)塾には、教育分野に対する指導要領もその他の規則もなんら適応されない.かつて、学界より政界入りした文相 が、通商産業省(当時)の塾育ちと思われる官僚の企画に軽薄にもまざまざと乗って、「学校と塾との協調が必要」 と述べたという新聞報道を見た教育関係者は、唖然としたことがあった.
 塾の良否の一般判断は、概して有名進学校への合格数である.所管は、文部科学省ではなく経済産業省(現在) であることすら、認識していないものもいる.
 塾の先生と云うが、学校教育の経験者は少ない、ほとんどが教員免許状を持たない商人である.なかには資格を 持っていても教員採用試験の不合格者か、または学校の教壇に立った経験の無いものも、学生もいるという.商人 でも業種によっては資格が必要であるが、塾の場合は野方図である.その商人は責任者から与えられたマニュアル (手引き)を、限られた時間内に消化することが最大のノルマ(賃金基準量)であって、個々の生徒の思考に対す る時間的なものも、能力の判断力も充分に持ち合わせているとは云えないのが通例である.ひたすら解答を覚えさ せる結果の暗記指導のみに終始して責任を果たしたとしている.
 思考の試行錯誤を重ねる間に経験した判断や推理を、大脳にある短時間維持できる仕組みのワーキングメモリー (実用的な短期記臆)を最大限に活用して、当面している課題を処理していく経験.このようにして得た理解は、 脳の海馬と呼ばれる部分から長期記憶として脳裏(頭頂連合野・側頭連合野)に深く刻まれる.この脳神経による 興奮伝導の感激の経験が貴重なのである.
 時間にとらわれない環境は家庭では可能あるが、おおむねそれらの家庭では、塾の本質も我が子に備わっている 素質を見抜く方策や生き方の手段も取らず、将来へのエスカレートとして塾に行かせていることで、学習も倫理的 な躾も育成されると考えていて、家庭の責任である普通あたり前の礼儀・作法や言葉遣いまでも、塾に転化して平 然としている親を今までに数多く知った.
 学校教育の正常化のためには、塾の廃止が最上の施策であるのではないだろうか.
(8)以前には考えられなかった、学生・生徒・児童の言語道断の卑しむべき事件が多発している.報道では、すべ て学校教育のみに原因があるかのごとくである.
 第二次大戦後に導入されたPTAや教育委員会の関係は正常な機能を欠いている.多くのPTAの役員が子供を塾に 行かせている現状で、学校教育のことが論ぜられるのか疑問である.教育委員会には、管轄外の塾の在り方や学校 教育の限界を超える事案にも、継続的にそして有機的に対処できる機能を持つ、機構・組織に早急に設定換えをし て、正常な学校教育への対応が求められる.そして,報道のたびに見られる教育心理学者と称する人物の発言は、 机上の空論と一般には映っている.むしろ事前に積極的に社会活動すべきであると思う.
(9)昔から「国家百年の大計は」の語句に続く語は教育である.これは古今東西揺るぎが無い.学習の根本の中心 が国語であることも各国共通である.フランスの小学校を訪問したとき、地域の教育委員会が自国の精神文化の 真髄である、正しいフランス語の発音と使い方を全教科目で主導している方策に強い感銘を受けた.
 そして現在はまだ存在しないが、自然科学・社会科学・人文科学のすべての分野を包含した教科目、それは 「文化」であると筆者は確信している、さらに換言すれば、「文化」は、各民族の精神的な成果と物質の結集した 総合的教科目と云える.
 次代の教員には、正しい日本語の指導と,総合的な視野展開の可能性を持ち合わせた豊かな教養の人物が切に 求められる.
(10)教員養成のありかたは、社会環境の変化の見通しに機敏であらねばならない.自然科学のカテゴリーで、特に 生物学の関係する分野では実習(観察・実験)が最も重要であり、青少年の普段の身近な現象の中には、科学への 関心の緒として適している題材が数多くある.日常、気にも止めなかった生活活動の中に潜んでいる原理や法則を 先に与えるのではなく、生徒本人の思考によって再発見させる.この感激を伴う体験は将来に亘って永続する総合 教育となるのである.
 筆者の遡行の歩みに触れると、小学3年のとき転校し4年生のとき、当時の師範学校卒業すぐの若い担任が理科 室を案内してくれた.そこにどんな器具や標本があったのかは、まったく記憶に無い.それから旧制中学を経て第 二次世界大戦後の大学で自然科学を学んでいる頃、親が覚えていた筆者の理科室を見たときの、感激の帰宅したの 話を誰かにしたのを聞き、これが自分の進路に影響していると思っている.動機が昆虫採集や植物採集の人もいる が、筆者はこれだと思っている.自分が担任やクラブ顧問のときには,よく企業や研究所・施設などの見学や野外 実習・臨海実習、また農村と交渉して稲刈りの体験もさせた.
 筆者は27年間、夏に小学生に身近な材料を題材にした「科学する集い」を実施している.内容は年ごとに異なる が、顕微鏡を準備している時、始めの話のあと、肉眼で充分観察させ、次にルーペで、そして初めて検鏡する子供 の感嘆の声と表情は感激である.また、有り合わせの材料で聴診器を作らせ、始めて聴く自分の心臓の音・友達の 音、そして運動後の違いの驚き、その数日のちに出会った母親から、その日の帰宅後すぐに子供に自分の心臓の音 を聴かれ「お母さんのおなかにいたとき、ずっとこの音を聴いていたのだね.」と云った話にも感動した.
 理科教員の養成には、現行の必要単位の取得のみならず、実習内容の重責や多方面のいろいろな経験も組み込ま なければいけないと思う.
 「教育には、感激が伴わなければならない.」これが筆者の信条である.
 昔ユークリッドの云った「幾何学に王道無し」の幾何学を教育に置き変えて、それだから「創造性を持たねば ならない.」をモットーとしている.
 感激の無い指導、創造性の欠如した教師、他人の判断に頼らなければならない教師に対して、臨機応変に対応 する教師は生徒にとって絶好の対照となっている.
(11)その他の教育に起因すると考えられる諸問題には、すべて始めに結果と結論ありと云う短絡的思考によるもの と、基本的な道徳感の欠如が根源にあると云える.
 人命に関わる医療方面でも、マニュアルで出来ると判断した手術や、あってはならない自己過信の未経験による ミスなどを報道で知る.これらは、医学部に入学するまでに染み付いた精神によるものである.驚いたのは、医学 の基礎にあたる貴い献体の解剖学の実習を、書籍で解ると勝手に判断してアルバイトなどでサボる学生がいると云 う.これもチェック出来ない医師免許の国家試験問題に不審を抱かせる.
 報道によって知る研究論文の盗作や実験結果の改竄(かいざん)、健康器具や食品・サプリメントの広告の欺瞞、 企業・会社(報道機関・原子力発電・ガス・建築・各種製品・食品など)など、すべてが完成に至るまでの途中過 程で、法令や規制はもとより、人命のみならず環境に対してまでの徹頭徹尾の総合的な検討を軽視する精神による ものである.
 改めて云うならば、戦後に教育関係者の一部が主張した道徳軽視の逆流に便乗した、思慮の乏しい教師のありか たも原因であり、今更ながら悔やまれるのである.

2.思考重視の総合的な視野の展望に立つ教育の必要性
 20世紀の後半から現在に至る間、科学と技術は画期的に進展した.古代ギリシャ時代から13〜15世紀のルネサン スまでは、学問は細分化されていなかった.それ以後は、前述のごとく3つの体系分野に区分されてきた.そして、 自然科学の研究は物理学・化学・生物学・地学のそれぞれの学問のカテゴリーで行われていたが、ここ半世紀間に は生化学を最初として、学際的分野の研究が急速に展開し、現在は自然科学以外の分野からの検討も無視できなく なってきている.
 科学(science)は、ラテン語のsciatica(知識)を体系化した知的営みである学問のことであるが、ルネサンス以後 は,主として自然科学を意味するようになってきた.すなわち、自然に関する知識体系の学問と結論づけられる.
 また、natureの訳の自然は中国語そのままを用いているが、もともとはギリシャ語の誕生・生成を意味する語physis である.それゆえ、宇宙の生成も生命の誕生も森羅万象全体の万物が範疇に入ると云える.
 第二次大戦後の特に科学の進展にともなう人類優先の技術で、自然をもコントロールしょうという思い上がりの 考えが台頭したが、世界的に拡大した自然保護の概念の浸透と環境破壊による被害の伝搬によって阻止された.こ れには比較的新しい学問の生態学(ecology:E.H.Heackel;1866命名)がようやく体系化されたことが大いに貢献して いると云えるのである.

3.世界各民族の伝承文化に包含されているもの
 それぞれの民族は、自然環境に適応した長い年月に亘る試行錯誤の生活体験から完成させてきた、それぞれ固有 の伝承文化を持っている.それらには論理的な思考・経験とともに倫理的な礼儀・躾・絆(きずな)に関するものも 多く含まれていることを無視してはならない.それ故に、文化遺産は是非とも平和な未来社会を形成して継承しな ければいけない.文化(culture)は、流れの源が農耕作業であるから、耕作することから始まり、培養・教養・教 育・洗練・祭祀・生活などに広がり及んだ、経緯(たていと・よこいと)の総合的な繋がりを観ることができる、 自然と極めて融合的なものである.
 都市での生活に関係するものを示す文明とは異なり、文化は民族の精神的なものを具現しているものである.

4.身近な衣食住の「文化」教育の必要性
 現代社会では、身近な日常生活、とりわけ衣食住の分野においては製品作成の技術が改善され続けて、完成した 結果の産物のみが一般の眼に触れている.先人たちによる多くの工夫と努力の試行錯誤の過程が、「文化」の本当 の賜物で基本であることを絶対に軽んじてしまってはならないのである.

5.伝承文化研究のための仮説の提唱
 伝承文化に基づく小・中・高校生用の教材開発と、一般の再認識を求めるために、次の仮説を設定して探求してきている. 1.民族の伝承文化は、その生活環境に決して逆らわない方法によって作られている.
2.人類だけの独善的な方法や手段をとらず、文化形成の仕組みは、知らず知らずの内に自然の掟に則っている.
3.民族伝承文化の成立の過程には、その民族固有の発想の部分と、いくつかの民族に共 通している部分がある.
4.民族伝承文化の成就に至る過程には、表面化していない部分にも多種多様な教訓が潜んでいる.
<設定:1979年、提唱:1982年9th AABE (the Asian Association for Biology Education)Monash University, Melbourne,Australia;
1983年日本科学教育学会 山形大学>

6.文化教育と総合化教育に関する国際会議および学会発表
(1)「民族伝承文化の教材化に関する研究」の発表
9th AABE, 1982 Monash University, Melbourne , Australia
  10th AABE, 1984 Chiang Mai University, Thailand
11th AABE, 1986 University of Philippines
13th AABE, 1990 Seoul University, South Korea
21st AABE, 2006 Kongju National University, South Korea
日本科学教育学会 1983年〜1987年 17編(共同発表を含む)
他・略
(2)「教育の総合化・融合化」(理科嫌いをなくすを含む)に関する発表
8th AABE,1980 Osaka University, Japan
日本理科教育学会 1979年、1985年;日本科学教育学会 1981年、1982年、1984年
日本生物教育学会 1984年、1986年
他・略

7.身近な衣食住「文化」教育の展開項目例(対象者すべて分の一部の集約)
1.大豆に関する展開について
(1)大豆から作られる食品<もやし・枝豆・煮豆・納豆・豆乳・湯葉・おから・絹豆腐・木綿豆腐・焼き豆腐・凍り 豆腐(高野豆腐)・油揚げ・がんもどき・豆味噌・醤油・  大豆油・きな粉・豆かす(脱脂大豆)・大豆粉(大豆 ミール)>
(2)大豆(双子葉類 まめ科 ダイズ・一年生草本・中国原産)の種類(多品種で油量成 分の多いものもある) <色(黄,青,黒)・大きさ(国産種は輸入種より大)・形状(球状・楕円球・扁平球)・重さの比較(1000粒 単位)>
(3)栽培による比較<土壌の種類・環境(特に日当たり・温度)・肥料・水やり>
(4)もやしを作る<栽培の仕方の工夫・光屈性・根毛・成長点>
(5)豆乳を作る<チンダル現象・ブラウン運動・コロイド・透析・電気泳動により豆乳コロイド粒子マイナス電気 帯電の検出・脂質とタンパク質の分離・塩析>
(6)湯葉を作る<タンパク質の変性温度の把握・pHの変化・タンパク質の一次構造の変化(目玉焼き、ゆで卵・肉 などの加熱温度による変性への発展)>
(7)豆腐を作る<にがり(成分を調べる)・海水の成分・タンパク質の凝固)>
(8)納豆を作る<納豆菌(原核生物界 細菌類 ナットウキン)・発酵・タンパク質の分解>
(9)豆味噌を作る<麹(菌界 子嚢菌類 コウジカビ科 コウジカビ)・発酵・タンパク質の分解(さらに米味噌・ 麦味噌・白味噌・合わせ味噌を調べる)>
(10)大豆に関する伝搬の経路・方法と食品の歴史および当時の環境,さらに他民族にみられる大豆の利用を調べる <中国原産↑、朝鮮半島↑、日本(栽培・特産地)>
2.繊維に関する展開について
(1)身近な生活で見られる繊維の種類と使用目的<動物繊維・植物繊維・化学繊維・その他の金属繊維・鉱物繊維・ グラスファイバーなど>
(2)動物繊維<動物の種類による毛の形状・長さ・太さ・強さ(力・光・熱・化学物質による)などの比較・キサン トプロテイン反応・タンパク質・利用方法>
(3)植物繊維<植物の種類と組織の場所による形状・長さ・太さ・強さ(力・光・熱 ・化学物質)の比較・繊維組 織・細胞壁・セルロース・炭水化物・利用方法>
(4)化学繊維<化学物質の種類による形状・強さ(力・光・熱・化学物質)の比較・利用方法>
(5)利用目的による繊維の加工・技術<動物繊維(皮革・毛糸・衣服・毛布・毛織物・ブラシ・刷毛・筆など)、 植物繊維(紙・糸・布・衣服・織物・ひも・縄・ござ・茅葺 き屋根など)、化学繊維(繊維・ひも・シート・ 袋など)
(6)保温<加工の形状を同一条件にした場合の繊維の種類による比較>
(7)染色<繊維の種類による染色の特性>
(8)和紙の材料<楮(くわ科 コウゾ、雌雄異株・日本原産)樹皮の繊維を利用、三椏(じんちょうげ科 ミツマタ、 中国原産↑、朝鮮半島↑、日本)篩部組織の繊維を利用、雁皮(じんちょうげ科 ガンピ、日本特産)篩部の繊維 利用の最高級和紙 、同名の観賞用のは、なでしこ科で別種.(なお、篩は粉・粒を振るい分ける意、師で代用は 不可)>
(9)洋紙の材料<各国多産の樹木繊維の利用(材料砕片のチップからリグニンなど繊維以外のものを取り除いたパ ルプから作成・チップの繊維は短い)>
(10)化学繊維の材料<合成繊維,ナイロンが最初・ポリエステル・アクリルの3主流以外にポリ塩化ビニル・ポリ エチレンなど多種類、合成高分子から作成>
(11)用紙の作成<材料は飲料用のペーパーパック・紙漉(紙すき)の枠を用意する>
<参考:古来よりの和紙は約20数種類が広く知られている.雁皮の和紙が最上級で奈良朝時代から作られ、貴重な 文書・金札・免状に使用されてきた.湿った状態でも強靭、さらにこの反故紙を再生した薄墨紙はより高価で、世 界最初のリサイクル活動は奈良朝時代と云える.毎年秋の正倉院展で観られる.>
3.植物の成分に関する展開について
(1)樟(くすのき科クスノキ、楠は日本にはない)の葉から樟脳の析出<蒸留装置・防虫効果>
(2)薄荷(しそ科ハッカ)の乾燥させた葉から薄荷油とメントールの作成<水蒸気蒸留装置・冷却した精油が薄荷 油(水に難熔)・精油から析出の結晶がメントール>
4.植物の色素・染色に関する展開について
(1)植物の色素<野菜・果物・花・斑入植物・紅葉・海藻など・有色体?葉緑体←白色体→有色体・色素(カロテ ン・クロロフィール・フコキサンチン・フィコエリトリン・フィコシアニン)・環境による色素変化(光・熱・ 酸・アルカリなど)・ペーパークロマトグラフィー・光合成・簡易代用pH試験紙の作成>
(2)植物利用の染色<藍(たで科 アイ、一年生草本,東南アジア原産→中国→朝鮮半島→日本・奈良時代、徳 島県(旧名阿波)が特産地)・インジゴ・木綿の染色・ジーンズの色の認識>、紅花(きく科 ベニバナ,エジ プト原産→シルクロード→中国→朝鮮半島→日本、山形県が特産)・乾燥した紅花(こうか)から色素の抽出・ 絹の染色・pHによる変色・紅花油>
5.植物に関するその他の展開について
(1)木炭・竹炭を作る<飲料用スチール缶や缶詰の空き缶を用いる・木ガス・木酢液・竹ガス・竹酢液・機械組 織・炭化>以下・略
(2)住関係としての建造物や彫刻・日用品の木材<例えば,正倉院の奈良朝時代からの保管庫の材や特徴ある構 造・世界最古の木造建造物に関すること>以下・略.
<参考:奈良特産で有名な墨は中国の発明、中国古代王朝の殷(いん)の時代(前10 世紀頃)は、松その他の 煤煙の煤が用いられ甲骨文がある.その後は膠(にかわ)を混ぜて棒状の墨が作られ、推古天皇時代に高句麗 (現在の韓国)王が僧曇徴をして日本へ伝えた.正倉院には松煙墨による開元4年(716年)銘の文書がある. 松や桐油・ごま油などを燃やした煤を、膠に混ぜて作るように変遷してきている.
 また、紅花の果実は白色で、これを絞った紅花油の煤で作った墨は最高級である.紅花の色素は京紅と呼ば れ口紅に昔使われていた.紅(べに)色の語源である.>

8.まとめ
   かつて筆者は、国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)要請による「中日義務教育国際交流会」への出 席は、当時の両国の関係で当初は緊張していたが、発表内容に日本文化の中国の影響、とりわけ「鑑真」のこ とに触れたとき、中国全土から参集していた教育関係の識者一同からのオーという感嘆の声は、未だに鮮明に 耳に残っている.両国の歴史教科書の突き合わせが計画されているが、文化交流の有意義性を再確認したこの 経験は、決して忘れられない記憶である.
 身近な生物を題材にして伝承文化を検証する実習には、当初から科学機器を準備することは不要である.ど この家庭にもある用品を最大限工夫して活用するのが基本である.科学機器なくして理科の授業が出来ないの ではない.恵まれた機器や設備は、身の回り用品で充分思考して推測して実施しても結果が充分に得られない 試行錯誤の経験のあとに、思考のより有効な方法・より正確性を高めたい強い欲求が生じた段階で、始めて既 製の理科器具を使用するのがもっとも効果がある.試行錯誤の過程は無駄では無かったと云う経験、そしてそ れが結果に生かせた感激が大事な教育である.
 さらに、題材の選定・数量・構造・機能の検討・温度など種々の環境要因を考慮する必要性へと展開するの である.科学の進歩による技術の試行錯誤の結果による航空機の変遷、現代最先端科学のロケットも当初はペ ンシル型から出発したのである、という基本の過程を見限る青少年教育ないと思う.
 青少年が物事を成就させるのに必要な、大脳前頭連合野にある感情・意欲・推理・思考の働きは、正常な処 理能力によって形成されるワーキングメモリーである.これを年少時から育成していく教育が、将来の健全な 社会への貢献に価値あるものと考えている.
 ここまで述べてきた文化教育の重要性と、あわせて新教科目としての「文化」の必要性を提唱するものであ る.(文化生物学研究会代表、元・兵庫県立芦屋高等学校教諭、日本生物教育学会会員)
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 筆者の希望:「文化」教育に関心のある方(資格と年齢制限無し)と情報・意見・展開方法 などを交流して、 より広く探求したいと思っていますので,ご連絡をお願いします.
(662-0098 兵庫県西宮市柏堂西町14ー5)E-mail:cro-tate@gaia.eonet.ne.jp
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Abstract

Ideal Education with Synthetic Horizons :
Need for the establishment of the new subject "Culture" in the curriculum
by
Takeshi Tate
The society of Cultural Biolog
E-mail: cro-tate@gaia.eonet.ne.jp

Science and technology have made a remarkable progress in about last half a century . It is because of many scientific fields formed through the natural science studies. For instance, the discovery of DNA is the result of combined effort of the biology and the chemistry together, and furthermore the physical technology. In early years the studies of physics, chemistry, biology and earth science were done within its own category. But lately it is getting more and more important to put the stress on the studies in the interdisciplinary fields. Moreover, the investigation also from the social and human-and -cultural sciences cannot be ignored.
I want to bring out a part of educational problems now in Japan, and advocate the better way to bring up the youth who shall carry and support Japan in future.
It is desirable and necessary that the young people should be encouraged to learn and study the culture and tradition of their own country. People who study their own culture well, will be able to esteem the culture of other countries and the people behind. That can be a step to create the better mutual understanding between the nations.
With such a horizon for the education, I think, it is necessary to establish "Culture" as the new subject in the curriculum, and put it into practice.
In 1982 at the9th conference AABE ( the Asian Association for Biology Education), Monash University, Melbourne,
I advocate "Culture" education, and presented 4 hypothesis as it follows ;
The 1st Hypothesis ;
   Traditional culture was never brought forth in contradiction with its living environment.
The 2nd Hypothesis ;
Traditional culture could never be self-centered or only for the mankind, for the forming of culture follows laws of nature itself.
The 3rd Hypothesis ;
The process in forming the traditional culture includes the part which is peculiar to the race, and also the part which is common to other races.
The 4th Hypothesis ;
In the process of building up the traditional culture there are hidden parts which are not obvious, but we should not overlook the various opportunities for teaching in those parts.
(Representative of the Japan Culture Biology Society, Former teacher of biology, the Hyogo prefectural Ashiya Senior High School in Japan)
< E-mail ; cro-tate@gaia.eonet.ne.jp>




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あとがき
Afterword

齋籐 三男
Saitoh Mitsuo
実践生物教育研究会
The Society of Practical Education in Biology
齋藤生物教育研究所
SAITOH INSTITUTE FOR BIOLOGY EDUCATION
E-mail:rxp04450@nifty.com


 今年は、新年早々の一月六日から八日の間、東京学芸大学で日本生物教育学会第82回全国大会が開かれた。 例年であれば、一月末に開かれるこの学会で、会誌「実践生物教研究」の最新号を配布して来ていたのである が、今年は、到底これに間に合わなかった。どこかで生物学関係の大きな大会があれば、持参して配布したい と考えている。今回も多くの先生方からご寄稿を頂いたので、No.46とNo.47の同時発行となった。

Abstract

Afterword
by
Saitoh Mitsuo
Seretary General of the Society of Practical Education in Biology
in
Saitoh Institute for Biology Education
To redears,
To redears, I have published two name issues of the journal of practical education in biology at the same time because I have gotten many contributors for it. Please enjoy the journal of practical education in bioloy (No.46 and 47) in the following website.http://www004.upp.so-net.ne.jp/jissen/english.htm


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