こんにちはAYURA(アユーラ)です。



中央大学在学中、劇団テアトル・エコーの俳優養成所を経て同劇団に入団
ノー・セックス・プリーズで舞台デビュー。
声楽、ジャズダンスなどを学びながら、ミュージカルなどの舞台に立つ。

スタンダードナンバーに惹かれマーサ三宅に師事。
ジャズを学ぶ。

本格的に歌手活動するために劇団を退団。
「三田容子」の名前で、都内ライブハウス、ホテル、レストランを中心に
jazz vocal 、及びピアノの弾き語りで活躍。
レパートリーはスタンダードナンバーを中心に200曲余り。

―1992年―

ドラマティック・ジャズナイトと銘打ったソロリサイタルを開き好評。
ジャズシンガーを起用したミュージカル“Sing on Ladies”(1994)にも出演。

―1994年4月〜―

福島学院短期大学に於いて
「ポップスの世界」
歌と踊りを使った自己表現の音楽実技の講座の講師をつとめる。(2004年まで)
ユニークな講座として地方紙にも取り上げられる。

―1995年夏―

英国の演劇学校
“The central school of speech and drama”
のミュージカルコースに留学。
ミュージカルナンバー、スタンダードナンバーを中心にした2本のショーに出演。
好評を博す。

―1996年夏―

アフリカ難民救済の国際ボランティア活動に参加。
アイルランドで行われたBusking キャンプで
各国から集まったミュージシャンたちと2週間にわたって
ベルファースト、ロンドンデリーからダブリンまで募金をしながら
街頭でパフォーマンス。

ベルファーストではベルファースト音楽祭にも出演。
そこで歌った「竹田の子守歌」が好評を得る。

ダブリンでは知事公邸に招かれ「竹田の子守歌」をピアノ弾き語りで披露。

―1997年―

ヒーリング・セラピストの三国ますみ氏と出会い
ヒーリング・ミュージックに興味を抱く。
数々のワークショップでスピリチュアルな癒しのために歌うようになる。

その年「ドラマティック・ジャズナイト」と銘打って定期的なライブ活動を開始。

―1998年秋―

ジャズのスタンダード・ナンバーを中心にしたCDの自主制作を決意。
スーザン・オズボーンの日本での最初のCD「和美」(わび)の
エグゼクティブ・プロデユーサー鈴木幸一氏を紹介される。

―1999年1月―

バリで天啓を受けAYURA(アユーラ)と改名。

帰国後 ―Jazz Bird いつか聴いたうた ― レコーディング。

三国氏の強い勧めで 個人カウンセリング&ヒーリングセッションを開始する。

12月、長野県飯綱高原にあるヒーリングスペース“水輪”にて
一泊二日のヒーリング・コンサート+声のワークショップを開き好評。

―2000年―

好評だった声のワークショップを“VOCAL WORKSHOP”として
定期的に開催するようになる。

―2001年―

3年間に渡って師事した三国ますみ氏より独立。
歌手活動の傍らカウンセリング&ヒーリングの個人セッション、VOCAL WORKSHOP
などでトレーナー、ヒーリングセラピストとして活動を続けている。

都内数カ所においてJAZZ VOCAL、ヴォイストレーニングのコーチも務める。

―2002年―


3月20日 青天の霹靂で中原 宏氏と結婚。

―2003年―

新たな刺激を求めて造形アートの勉強を始める。

−2004年ー

かねてより関心のあった
ストレスマネジメントワークスリーイ ンワンのコンサルタント
及びインストラクターの資格を取得
以前からの個人ヒーリングセッションを改定し
スリーインワン主体の個人セッションに変更する。

−2005年ー

スリーインワンの仲間でありバリ舞踏家でもある大西 淳氏とともに
バリ舞踊とコラボレーションしたジャズのライブを開催。
好評を得る。
自分らしいライブを展開して行こうと決意を新たにする。

スリーインワンを世間に広めるための低価格なワークショップを都内で開催


ー2006年ー

演出家の白峰ゆり子氏企画の舞台“LIFE”(3月公演)にスタッフとして参加。
ヴォイスパフォーマンスの指導を行う。