タンザニア編

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アフリカの隠れた観光大国が、ここタンザニア。野生動物の数では、ケニアを凌ぎアフリカ・ナンバーワン。素人が登れる世界最高峰キリマンジャロもてっぺんはタンザニア。インド洋のビーチは珊瑚礁で、ダイブ・スポットも豊富。それに、古都ザンジバルと、巨大遺跡キルワがあるのだから、これだけ揃っている国も珍しい。
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INDEX
1キルワ ★★★★
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最後の大遺跡だ! 世界最後の大遺跡、なんて言い切ってしまうと、またどんな遺跡が新しく発掘されるかわかったものではないけれど、現時点では、やはりここは「世界最後の大遺跡」と言っていいだろう。なんでこんなにばかでかい遺跡が放っておかれているのだ、タンザニア政府は何やっているんだ、と思ってしまうのが、ここ、キルワである。 7世紀から15世紀くらいにかけて、東アフリカの沿岸部にはアラブ系の海洋国家がいくつも隆盛した。北からモガジシオ、マリンディ、モンバサ、ペンパ、ザンジバルと続き、その南にキルワがあった。伝説によると、ペルシャのシラーズからの移民によって作られた国だそうだ。シラーズといえば、ペルセポリス。そう、ひょっとしたらペルセポリスの末裔が、この南海に大遺跡を残してくれたのかも知れないのだ。 キルワにはいくつかの島があり、年代によって栄えた場所が多少異なるようだけれど、いちばん遺跡がよく残されているのが、キルワ・キシワニという島である。大陸からは2キロくらい沖合の、珊瑚礁の島だ。おそらくは防衛上の理由で、移民たちは島に都市を建設したのだろう。 島に上陸して驚くのは、まずは巨大な砦「ゲレザ」である。いや、姿だけならば、どこにでもある程度の遺跡なのだけれど、それが全部珊瑚礁でできているのだ。遺跡といえば石でできているのが通り相場なのだから、これには面食らった。いや、ほとんどの遺跡が珊瑚でできているのだ。おいおいおいおい。聞けば、珊瑚の島だから、巨石がない。なるほどね。 さらに驚くのが、宮殿やグレートモスクである。宮殿に関して言えば、パレンケ程度の大きさだろうか。保存度はかなり悪く、アユタヤ・レベルなのが難点だが、それでも、往時の繁栄を偲ぶには十分だ。王様が入っていたプール(ハマム?)の跡などは、はっきりとそれとわかる。もし、修復をきちんと行えば、かなりきれいになるに違いない。いったいぜんたい、こんな草むした珊瑚の小島に、なんでこんな巨大な遺跡があるのだ。なんでこんな巨大都市があったのだ? と唸ることは間違いない。 キルワは、金や象牙など、大陸からの物産を島に集め、インドやアラブに運ぶための、貿易拠点として繁栄した。逆に東洋の文物も多く持ち込まれ、中国製の皿なども、遺跡から発掘されているという。繁栄の頂点は、14〜5世紀。14世紀にこの街を訪れた旅行家は「世界でもっとも美しい街のひとつ」などと書き残してもいる。日本が元寇だ南北朝だなどと小競り合いをしている時代に、アラブ人たちは、東南アフリカで商売をしていたのだ。いやはや、世界は広い。 キルワ・キシワニだけではない。そこからさらに南に行ったソンゴ・ムナラという島にも、大宮殿が残されている。これもかなりの規模で、アンコール・トムの王宮部分くらいの大きさはあるのではないだろうか。 さて、これだけの大遺跡なのだけれど、なんで無名かというと、とにかく不便なのである。観光開発がさっぱりされていない。2000年に訪れた外国人観光客は、わずか300名弱。タンザニアの首都ダルエス・サラームからバスで15時間〜2日、それも乾期の話で、少雨期は着けるかわからない、大雨期は交通途絶、と聞けば、誰でも尻込みする。15時間はまだしも、あとの「〜2日」ってのはなんだ、と思うでしょ? 途中で越える河の「水かさ次第」なのだそうだ。いやはやまったく。 しかし、2001年には、10数年ぶりに定期航空便が復活。週2便ながら、ダルエスと1時間で結ばれたのは画期的なことだ。B29みたいな恐ろしいプロペラ機で、数珠でも持ってないと乗りたくない代物だけど、バスに比べれば極楽みたいにラク。行くなら、今しかない。なぜなら、再開したものの、17人分しか席がないのにほとんど空席ばかりで、いつ運休するかわかったものではないからだ。 それから、キシワニに行くには「ダウ船」という帆かけ船を使う。たかだか2キロの海峡を風向きによっては1時間もかかる。遺跡はひたすら暑い。ソンゴ・ムナラへは、ダウ船で3時間以上。このダウ船、風ないと動かないし、波が荒いと40度くらい傾く(マジ)という、困りものだから、ソンゴ・ムナラへは村に一艘はあるモーターボートを借りましょう。 あと、宿もひどい。南京虫付きベッドの安宿しかないので、殺虫剤は忘れずに。食堂も、卵があるかどうかわからない、という程度なのでよろしく。 ということで、採点は「日本からわざわざ行くにはつらすぎる」ので4つ星にしときます。 (2001年12月訪問)
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2 ザンジバル ★★★
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東アフリカのアラブ
ザンジバルは、キルワと同様、中世以来、アラブ人の交易拠点として栄えた島だ。キルワと異なるのは、キルワがポルトガルによって滅ぼされると、そのまま放棄されたのに対し、ザンジバルは、その後も都市が消滅しなかったということだ。そればかりではない、ザンジバルは、周辺諸国を制圧し、「海洋帝国」と呼ばれるまでの存在になった。ここは、インド洋の大国家の首都だったのだ。 (2001年12月訪問)
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