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フランスの遺跡へ行くぞ!

ヨーロッパ大陸の中央部にででーんと構えるフランス。歴史ある国だけに、遺跡も豊富。いや、遺跡というより宮殿系が豊富ですね。ごはんもおいしく、街もおしゃれで、何度行っても楽しい国です。

 モン・サン・ミッシェル ★★★★ 
  眺めていると美しいです


これほどな眺めて美しい遺跡はなかなかないです。 中は普通の王宮です。

 ヴェルサイユ宮殿 ★★★★ 
  バラは咲いていませんでした。


世界でもっとも有名な宮殿。バラの咲いている時期にいけば咲いているかと思います。

外見は思ったより地味です。内部は豪華ですが。

 サントマドレーヌバジリカ聖堂 ★★ 
  神の光にあふれた聖堂

この春に、フランスの世界遺産の教会(12、3世紀頃)を2つ見てきました。(一箇所は修復中で内部を見られなかったのですが)。その一つ、ヴェズレーのサントマドレーヌバジリカ聖堂について投稿します。

 この聖堂については、何から話していいのかよく判りません。いろいろお話すべきことがあり、またかなり思い入れが強いのです。

 この聖堂は、フランス・ブルゴーニュ地方の小村、ヴェズレーににあります。

 上記のように12、3世紀の建造で、様式はロマネスク後期、ロマネスクゴシックです。つまり、アーチを用いる建築技法が完成し、大きな窓(しばしばステンドグラスが多用される)を持つ巨大なゴシック式の聖堂が多数作られるようになる直前の時期です。

 ですからこの聖堂は天井がかなり高く、窓もそれまでと比べて大きめで、特に後陣(教会の一番奥の、牧師がミサを行うところ、十字の形になっている教会の敷地の、十字の頭の部分)は初期ゴシック形式で、窓が大きく、使われた白い石材の色合いもあいまって、光にあふれています。
 
 注:この教会(というか、教会の共通した基本的な形)は、上から見て十字形の建物の、十字の下部、入り口付近から順に玄関廊、身廊、後陣(内陣)と並びます。玄関廊は比較的小さく、本体である身廊と後陣は一つながりになっています。

 この教会は、世界遺産に登録されており、かなり有名です。いくつか理由があります。
1)名前の通り、聖書の登場人物で聖女とされる、マグダラのマリアに捧げられた聖堂であり、一時(かなり長い期間)、彼女の遺体があるとされていたこと。
2)前室(玄関廊)にある扉の上のロマネスク期の傑作とされる彫刻、「使徒に使命を与えるキリスト」がある故に、十字軍の出発地とされたこと。
3)上の2つの故に、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの4つある巡礼道の基点の1つであったこと。
4)聖堂自体が、広く美しく、傑作とされる数々のロマネスク彫刻で満ちていること。

 私としては、4)と、マグダラのマリアの為の聖堂であるということから行きました。マグダラのマリアは、私にとって聖書の登場人物の中で気に入った人物の一人です。

 2)や、聖者の遺体があるとされている(つまり、聖者の付属物崇拝の結果著名である)ことなどは、私にとってはどちらかというとあまり魅力がなく、却ってマイナスの要素です。

 私がこの遺跡について知ったのは、6年程前に週刊で発行された、『週刊 ユネスコ世界遺産』でです。

 この遺跡について、その週刊誌で見て、何より惹かれたのは、暗い玄関廊の大きく開いた扉から、明るく大きな身廊を見た写真です。その扉の上には、上に書いたロマネスク彫刻の傑作、“使徒に使命を与えるキリスト”があります。というより、真ん中の柱を含め扉全体が、彫刻で飾られています。暗い玄関廊から見える、光あふれる、白い身廊。それは、正に“神の光”を思わせるものです。この光景を見るには、地球の裏側に行くのも何ら厭うものではない、と思いました。

 着いてみると(実はバックパッカーでない私にとっては、たどり着くのが結構大変だったのですが)、3月の寒い日(前夜に雪が降ったらしく、周りに少し残っていた)だったせいもあり、小さな丘の上の村、ヴェズレーの、その丘の頂上にある教会は、年月により外の石材はやや黒ずんでいて、見たところ写真で見たほどの大きさがあるようには思えませんでした。
 玄関廊に一面についている外への木の扉は全て閉まっており、左端の扉が少し開いていて、そこから出入りできるようでした。入り口(真ん中と左右2つ)上部に、半円形の彫刻、その上に6人の福音書記者達の立像がありました。外部の石材は、思ったよりくすんで暗い(というか、風雨にさらされて古びた)色をしていました。

 中に入ると、曇の日だったこともあり、玄関廊は薄暗かったです。
 四角い玄関廊は、比較的狭く、西の壁(入り口の上)の少し高い所などにステンドグラス入りの窓があるのみ(後は、上部が塔になっていて、構造上大きな窓が作れない)なので、薄暗いのです。
 玄関廊と身廊の間には、入り口と同じく真ん中と左右2つの小扉があって別室として仕切られており、各扉には木の扉がついており、真ん中の大扉は、残念ながら閉まっていました。この上に、あの“使徒に使命を与えるキリスト”の、半円形の彫刻がありました。脇の2つの扉の上には、それぞれ異なる、これも見事な半円形のロマネスク彫刻がありました。

 脇扉から身廊に入ると、そこは玄関廊よりはやや明るく、広い空間でした。見上げると、はるかに高い天井には、長い身廊を横切っていくつものアーチがかかり、そのアーチは、白と黒っぽい石が縞状に並んだものでした。
 丁度、コルドバのメスキータ(イスラム教の建築(モスク)を、キリスト教の教会に改装したもの)の円柱の間(300本以上の円柱が連なる大広間で、円柱の間のアーチが、白と赤い砂岩の縞になっており、砂漠のナツメヤシの林をモデルにしていると言われる)のようでした。それが、白と黒っぽい石で再現され、高い天井に、連なっているのです。この教会は、前述のようにスペインへの巡礼道の起点の一つでしたから、それが反映されているのかもしれないと思いました。

 室内は、基本的に白い石で出来ていますが、所々の石は、年月の為に少し濃い色をしていました。そして、奥に行くほど明るく、後陣はゴシック式で、窓が大きく、光にあふれていました。
 後陣の石材は白く、彩色は、前に書いたアーチの黒っぽい石以外、殆どありません。あくまで、白い空間です。それも、表面に光沢のある大理石の白ではなく、言うなれば生成りの白、控えめな白です。

 後陣は3層になっていて、中程の構造のアーチも複雑で美しかったです。身廊に何本もあり、高い天井を支える柱の、アーチのすぐ下、床面から少し高い所には、ロマネスク様式の特徴として、それぞれ柱一本づつ異なる、聖書物語の個性的なロマネスク彫刻がありました。装飾はそれのみです。後は、ただ白い石と、美しいアーチの連なり。

 後陣の地下には、この建物が建てられた建築初期に作られたままの地下聖堂があり、アーチの連なる低い天井が当時のまま残っています。マグダラのマリアの遺品もあるそうです。(多分、後ろの箱の中。)他にも、南側回廊(今は牧師さん達の日常の行などの場になっているようです)とか、外側とかを時間いっぱいぐるぐる回っていました。

 実は、南側回廊で、7年間使い慣れたデジカメをスられたり(或いは置き忘れ?)、お腹がぺこぺこでへばっていたりしたのですが、せっかくなので、時間ぎりぎりまで根性で歩いてました。身廊の両側の測廊も、隅に置かれたベンチに座ってつくづく眺めると、やはりきれいで、見とれていました。そうこうするうちに、だんだん晴れて来て、聖堂に明りが射し込み、よりいっそうきれいに見えたり。

 堂内には、しょっちゅう、先生に引率されたフランスの小、中、高校生といった一団(少し年長で、引率者がいなくて、何かの課題かなにかなのか、集団で来ている子供達もいました)が、先生の説明をうけつつ、何組も見学に来ていました。やはり、フランス人の精神的支柱である聖堂だと言うことなのでしょう。

 それを除けば、そんなに混んではおらず、心行くまでのびのびと見学していました。何度目かに玄関廊に居た時、やはり先生に引率された小学校高学年くらいの一団が、例の、身廊への中心の入り口の上にある、“使徒に使命を与えるキリスト”の説明を受けているらしく、その前に固まって立っていました。

 そしてその時、私にとっての奇跡が起きたのです。引率の先生が、生徒達に説明する為に許可を取っていたのでしょう、真ん中の大扉を、開けたのです。

 そして私は、このために来たかったとも言える、“玄関廊から光あふれる身廊、後陣を眺める”ことが出来たのです。それは想像通りの、或いは写真の通りの、輝かしく美しい光景でした。

 数分後、先生は扉を閉めました。が、私は、開いている間中、凍りついたようにそれを眺めていました。惜しいけれども、数分眺められただけでも、充分と思いました。
(ついでに言えば、予備に持ってきた簡易カメラで、その光景も写しました。)

 聖堂や教会、そしてそれを飾る彫刻や宗教画が描かれる目的として、当時文盲であった民衆に、聖書の教えと神や諸聖人の素晴らしさを知らせる、実感させることが挙げられます。数々の優れた宗教画が作られたのは、その為です。その意味で、神の光と救済を視覚化したようなこの光景(或いは演出)は、とても素晴らしく、また聖堂というものの目的に極めてかなったものだと思いました。

 ここで、この堂を捧げられている、マグダラのマリアについて書かせてください。マグダラのマリアとは、聖書の著名な登場人物で、聖女とされる人です。私は、この人物に、非常に思い入れがあります。ドラマチックな生涯を送ったとされる人です。

 最近、映画“ダ・ヴィンチ・コード”でも登場していて、そのイメージが強い人もいるかもしれません。一般には、前身が娼婦(聖書にはそうだという記載はありませんが)で、イエスに出会い、改悛し、その後は一途にイエスに従って行った人物とされます。
 私は昔から、自分のことに悩み、キリスト教についていろいろ自分なりに調べた(でも結局入信などはしなかったですが)ので、その折に、遠藤周作さんの著作などを読み、氏の「聖書の中の女性たち」というエッセイで彼女について知りました。氏によれば、彼女は、聖書の中で、「7つの悪魔のその身より出でたる」と表現され、つまり、悪徳に染まりきっていたところを、イエスに出会って改悛した女性で、一般には娼婦であったと解釈されるようです。
 
 氏の(というか、大抵の)解釈では、彼女は情熱的であるゆえに、世の中の欺瞞などに耐えられず、却って余計に罪に走ってしまったのであろうとされています。

 彼女はその後、本当に一途にイエスに従って行き、ゴルゴダの丘でイエスが磔刑に処せられた時も、自分達も捕縛されることを恐れて隠れている、いわゆるイエスの12使徒達を尻目に、磔刑の後、その頃死者を送る儀式として重要とされていた、遺体に香油を塗る為、イエスが穴に投げ込まれた丘へと、他の女性2、3人と共に、先頭を切って向かいます。

 しかしそこで彼女が見たものは、巨石で封印されている筈の穴の上の、その巨石が横に転がっている光景でした。穴の中にあるはずの遺体はなくなっていました。
彼女は驚き、取って返して渋るペテロ(初代教皇とされる)ら2人程を強引に連れて行き、様子を見させます。彼女が放心して(或いはすすり泣いて)いると、朝もやの中から誰かが近づいてきます。彼女はその人が墓守だと思い、こう話しかけます。

「私の師の遺体をどこへやったのですか? 引き取りますので教えてください」

 その人は彼女に近づいてこう声をかけます。「マリアよ」つまりその人は、磔刑に処された後、再来したイエス・キリストで、彼女は、復活した彼に、地上の人で初めて会ったのです。かつて罪と汚辱にまみれた存在であった彼女が。
この、復活したイエスに初めて会ったが故に、彼女は聖女とされます(と私は理解しています)。

 すなわち、彼女の物語は、罪を負う人間と言うものへの救済という、キリスト教の
真髄を体現しているとも言えます。

 ダ・ヴィンチ・コードでは、彼女はキリストの妻或いは愛人と設定されているそうです。この映画のおかげで、そのように思い込んでいる人が増えたとも聞きます。その情熱的な半生故に、そういう解釈も古くから一部にあるようですが、私はそう思いたくありません。

 私はミュージカルなども好きで、特にジーザス・クライスト・スーパースター(劇団四季版)が好きです。(イエスの最後の10日間を描いた作品です。イエスが磔刑に処される所で終わります。)それは贔屓の男優さんがはまり役を演じているということもありますが、マグダラのマリアがかなり大事な役柄で登場し、すばらしいアリアを2つ程歌う為でもあります。

 一つは、「Everything all right」、様々なことに苦悩するイエスを慰める歌、もう一つは、「I don't know how to love him(邦題:私にはイエスが判らない)」、イエスが寝入った後で、彼に対する彼女の思いを歌う歌です。原文の直訳を一部書きます。
“どのように彼を愛していいのかわからない”
“もし彼が私を愛していると言ったなら、私は当惑し、怯えて彼の前から走り去るだろう”
(注:日本語の訳詞は、メロディに合わせてかなり翻案(意訳)されています。)
 本当に可愛らしい歌です。この作品の演出家のティム・ライスは、イエスと彼女の関係について、“男女の仲であったかどうかは判らないが、そうであった可能性もあるだろう”と某所に書いていました。問題なのはその類の事が実際にあったかどうかではなく、彼女の一途さ、魂の真の意味での清らかさが大事だと言うことでしょう。私の認識もその程度です。

 それは、聖母マリアに象徴される、“処女性”という意味での清さ(それはそれで大事ですが)ではありませんが、やはり大事なものだと思います。であるから、神の光にあふれたという印象を与えるこの美しく白い聖堂は、罪を赦されて、地上で最初に復活したキリストに会ったとされるマグダラのマリアにこそふさわしいと思えるのです。

 前述しましたが、私は聖者の附属物(遺骸など)崇拝や、十字軍は好きではありません。十字軍は、イスラム世界にとっては単なる侵略、最悪の宗教戦争です。その意味ではこの聖堂にシンバシーを全く感じません。

 でも、“マグダラのマリアの為の聖堂”という意味で、彼女にふさわしい清らかさと美しさを持った聖堂である気がするのです。創建した人の意図がどこにあったかは判りませんが、結果として。私にとっては、この堂は、ウシュマルの尼僧院に次いで、“世界で2番目に美しい建物”です。

 帰りのタクシー(行きのタクシーの人に頼んでおいた)で、壮年(やや若い)で感じのいい運転手さんに、“Is the basilica joli ?”と聞かれました。(joliはフランス語で“可愛い、きれい”の意)。
 勿論、“joli!”と答えました。
 
 最後に、この村と教会を紹介するにふさわしいと思われる、「地球の歩き方」の紹介文を転載します。

「ヴェズレーを訪れるなら朝、霧にすっぽりと覆われた村が、丘の上に浮かび上がる時間に訪ねたい。まだ人のいない朝もやの中、坂道を上がりきった所から、うっすらと姿を現すサント・マドレーヌバジリカ聖堂が見られたなら、この村との出会いとしては最高だ。」(地球の歩き方 A6 フランス 2006-2007年版 p.190)

 私はパリからの日帰りであったので、朝もやの聖堂には出会えませんでしたが、ここにいらっしゃるバックパッカーの方には可能であるかもしれません。難しいかもしれませんが、お勧めいたします。

備考(ちょっとメモ):

・旅行の後で、録画していたNHKの“とっておき世界遺産100”を見直して知ったのですが、この聖堂の前の広場や、聖堂から下る道には、ところどころ、ホタテ貝の貝殻を模した道しるべがはめ込まれているそうです。ホタテ貝は、スペイン語でサンチャゴ、つまり聖ヤコブ、サンチャゴ・デ・コンポステーラ(聖ヤコブを祭る)を意味し、そこへ向かう道しるべだそうです。私は見逃してしまいましたが、これから行かれる方は 気が向いたら見てみてください。

・ここはやはり観光地らしく、聖堂の入り口のすぐ外にある土産物屋に英語(やドイツ語など)のガイドブックがありました。前日に行ったサン・サヴァンでは、フランス語のしかなかったのですが。
 特に、薄手の英語のガイドブックが、各柱の彫刻の位置と名前(というか、聖書のどの場面のであるか)などが判り易く書いてあって良いです。3ユーロ程です。
 私は土産物屋に後で行ったので、対比しながら歩くことが出来ませんでしたが。

行き方 (一部、「地球の歩き方 フランス版('06-'07)からの引用を含みます)

 パリ・リヨン駅(又は時刻によってはすぐ近くのBercy駅)から約3時間のSermizeles-veselay 又はAvaron駅からタクシーで約20分(10〜15km)、25ユーロ程度。バスはTGV停車駅のMontvardからあるが、夏期を除いて、週に2便のみなので、タクシーの方が確実。田舎なので、駅前にタクシーがいた場合を除き、Avaronの町のツーリストインフォメーションを探して、呼んで貰う方が良い。(英語が通じないので。)
 ツーリストインフォメーションは、駅から歩いて10分の、Avaron の町(旧市街)の中心にある・・・と地球の歩き方に書いてあったのですが、実際は、“駅から歩いて10分の、街の中心街から更に少し行ったところにある、旧市街を抜けた(商店の並んだ通りを通り過ぎた)先”という感じでした。(ツーリストインフォメーションを指す方向札はありました。)

 道に、塔のような2階建て程度の建屋が張り出して、その三角屋根の建物の下に開いた門のような通り道を抜けてすぐの所の右手、その当の建物の中にあります。すぐ右手にドアがあります。

 ツーリストインフォメーションを初めて探した私は、見つけるまでに1時間半かかりました。

住所:6, rue Bocquillot 89200 Avallon


注意:

上の紹介文にも書きましたが、この聖堂には、残念ながら職業的なスリがいるかもしれません。地下聖堂で、どうも観光客、参拝客とは思えない中年の男女が、特に当てもなく、観光をするでもなく、立ったり座ったりしていました。(女性は聖堂の椅子に腰掛けてました。)するともう一人若い男性(観光客っぽくない)が降りてきて、デジカメを取り出し何故かやたらと写真を撮り出したので、私も釣られて写真を撮ったりし、写真をたくさん撮りたかったのでいつもは撮影が終わると身に着けた小さなポシェットにいちいち戻す所を、大きなデジカメなのに上着のポケットに入れて(こんな地方なので、大丈夫だと油断したところもあります)、そのまま南側回廊に行き、そこにあったパンフレットを見たりしていました。すると、横に同じように、ヨーロッパ人の若い男性が来て同じようにパンフレットを見ていました。

 その後、おなかがすいたので後ろの石の椅子(回廊の一部の)に腰掛けて荷物を探したり、修道士さん、尼さん達が沢山近くの通用扉から通るので気が引けて、その扉から外に出たところで、カメラがないことに気がつきました(辺りを撮影しようとして)。荷物をあらため、扉の中に帰って、腰掛けていた辺りを見てもありませんでした。

 どうも、パンフレットを見ていた時にポケットからすられたか、石のベンチに腰掛けた時にポケットから落ちたのを、席をはずしたわずかの間に持って行かれたのだと思います。空腹だったので、置き忘れた可能性もありますが、ちょっと残念でした。(パリで、戻った翌日に警察で盗難証明書を取り、保険金は取り戻しましたが)

http://www13.plala.or.jp/yh301592/St_Mad_prof.html


(2007年春 ひおきさん投稿)
★自分ならではの楽しみ、訪問目的を決めて、とことん楽しむ、という旅の姿勢は、まったく素晴らしいです。観光が30倍楽しくなりますよね。でも、カメラの件は残念でした。僕にも似たような経験があるのですが、カメラはあげるから、撮った写真返せって感じですよね(管理人)

 ビルヌーブデザビニョン ★★★★ 
  そのまんま映画の修道院

 これはアビニョンの近くにある町の名前なのですが、そのなかに廃墟となった修道院跡があります。いく人は少ないと思いますが、昔の尼さんのすんでいた部屋が見られたり(狭い)、そのほどほどに押さえられた保存状態も往時を思い出されるもので、なかなか良いものです。

 つくりは映画で見る修道院そのまんまです。近くには古城も有り(中は廃墟ですが)二つを訪ねるのもいいのではないのでしょうか。

(99年記・Hirane Yoichi)

★尼さんって、どんなところに住んでいたのだろう・・・。(管理人)





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