| ●戸籍の話トップへ |
|
●ホームへあ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『戸籍がなくなればいいと思っている。戸籍は身分登録のための書類とでも言うべきもの・・・ 明治時代までは確かに身分というものが存在していたが、今はこの意味はなくなっている。』〜ある人の意見より〜
この意見の人のいう「身分」は、江戸時代の「士農工商」や、明治時代の「平民、士族、華族」などを指しているのでしょう。「身分」といえばそう連想してしまうのはしかたのないことですね。
「身分」は「身分」でも、戸籍の身分登録の「身分」とははこのような差別的な階級の身分じゃなくて、戸籍は、その人が「いつどこで生まれたのか、親はだれなのか、独身なのか、既婚なのか、子供は何人いるのか・・・・」など、そういったことを指しています。戸籍はそういう身分関係を時間的序列にしたがって記録公証する唯一の公文書なのです。戸籍がなかったら、たとえば、「私は独身だ!」ということを証明しなければならないときに、証明するものは何もないということになってしまいます。(住民票じゃわかりません)また、日本国籍を持っていることを証明する公文書でもあり、現代社会でも極めて重要な役割をはたしています。
明治時代まで存在していた差別的な階級の身分は、現在の戸籍には一切記載されていません。というよりも、そんな身分そのものがなくなっているのですから記載されていないのは当然です。
「戸籍がなくなればいい」と言っていますが、この意見の人が指している「戸籍」はすでになくなっているといってもいいでしょう。「身分」の意味をはき違えてしまった例です。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『現在の戸籍システムは問題があが、身分登録制度が全く不必要だとは思っていない。』〜ある人の意見より〜
この意見は「身分」の意味をはき違えていません。的はずれな意見が多い中、この意見は立派です?!
でも、これ、当たり前のこと・・・・?
いえいえ、わからなくて当然です。戸籍って何なのか、どういうことが記載されているかなんて、学校ではあまり教えてくれませんし。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『分籍届の手続の時に担当職員から「一度分籍すると、元に戻せくなりますけどいいですか?」と念を押された。「婚姻届の時はそんなこと聞かないのに、変!」さすがの私も憤慨した。窓口に「理由を問わず、一度分籍すると戻れません」 と大きく書いておけば、それでよいではないか。』〜ある人の意見より〜
まず・・・、分籍届は件数的には少ないです。窓口に分籍のことを大きく書くのなら、その前に大きく書いておかなかればならないことが山ほどあるのですから、現実的には無理でしょう。
私が担当なら、やっぱり聞きます。その確認をしなかったら受付職員の落ち度になるということはありませんし、そのまますんなり処理してもよいのです。でも聞きます。
婚姻届や離婚届は、意味がわかっていて届出するでしょう。「離婚届を出したら夫婦じゃなくなっちゃうなんて知らなかったよ」という人はいませんね。夫婦関係を解消するために離婚届を出すんだと意味がわかっているでしょう。ですから「この届出を出すと夫婦ではなくなってしまいますけどいいですか?」なんて聞かないです。
分籍は、要件をみたせばだれでもすることができますし、手続上もそんなに難しくないです。分籍の意味や内容をよく把握していなくてもできてしまいます。本当なら理由も聞きたいところなんです(聞いている役所(職員)もあるかもしれません)。理由によっては、「その理由で分籍しても無意味」というケースもあるでしょう。でも分籍は簡単にできてしまいます。その後、分籍した本人が分籍は無意味だったから元の戸籍に戻りたいと思っても遅いのです。だから、理由はどうであれ、元には戻れませんということを先にお伝えしているのです。大部分の人がそういう戸籍のことを知らないと思うのです。
なにも憤慨することは、ないと思います。そのことをあらかじめ知っていたのなら「それは知っています。それでいいんです。」と答えればすむことですし、もし、知らなかったのなら、「そうなんですか。でも、それでもいいです。」とか「そうなんですか。じゃぁ、少し考えてみます。」とか答えればいいことです。私に言わせれば、憤慨してしまう人のほうが「変!」
私の役所では、丁寧ですけれど、分籍届に対しても事務的です。もしかしたら、役所によっては(職員によっては)「分籍するなんてどういうつもりなんだろう」というのが態度に出てしまって、お客様に悪いイメージを与えているのかもしれません。そうだとしたら、それは職員としてあるまじき態度なので、改善するべきです。そんな態度に憤慨して当然です。
でも、上記の意見では、職員の態度の悪さは読みとれませんし、そのことには一言も触れていませんから、やっぱり憤慨するのは「変」だと思います。こういう場合、「憤慨」してしまうということは、「憤慨」する理由があるわけで、憤慨する人自身に何か後ろめたい事情でもあるんじゃないかと推測してしまうのですが、どうでしょうか。
担当職員の問題ではなく、憤慨した本人の心の問題だと思います。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『なんで一度分籍すると親の戸籍に戻れないの?』〜ある人の意見より〜
はい。素朴な疑問ですね。
分籍は、成年に達した人が自分自身の意思で、いままでの戸籍から分かれて本人が筆頭者になり新しい戸籍を作る行為です。氏の変更をはじめその他の権利や義務に一切の変化はありません。ということは、分籍後、再び父母の戸籍に戻ることの実益がないということです。
それに、現在の戸籍法の精神は、戸籍を細分化することにあります。個人の身分登録(個籍)に近い形です。いったん分籍した人が再び父母の戸籍に戻るということは、戸籍法第21条【分籍】の趣旨を無視することにつながるとも解されています。これは、婚姻して筆頭者になった人が、離婚後も親の戸籍に戻れないのと同じです。筆頭者の配偶者は、元の戸籍に戻るか、新しい戸籍を作るかのどちらかを選べます。
筆頭者は元の戸籍に戻れないのに、筆頭者の配偶者(多くの場合は女性)は、元の戸籍に戻るか、新しい戸籍を作るかのどちらかを選べるというのは、差別のような気もします(女性だけに与えられた特権?男性差別?)。筆頭者も離婚のときは、そのまま筆頭者でいるか、親の戸籍に戻るかを選択できるようにしたほうが平等のように思えますが、筆頭者が元の戸籍に戻れるとしたら、細分化につながりません。
また、そういうわけで、筆頭者の戸籍はそのままなので、戸籍に変動がある配偶者にだけ、元の戸籍に戻るか、新しい戸籍を作るかの選択権があることでちょうど筆頭者とその配偶者のバランスが取れているのだと思います。「筆頭者には元の戸籍に戻る権利が奪われている。離婚の時は、筆頭者も配偶者と同じように、そのまま筆頭者でいるか、元の戸籍に戻るかの選択権を! 男性差別をなくそう!」
という意見があってもいいはずなのに、あまり聞きません。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『最近は、離婚する人も増え、その度に役所で離婚届の手続をしなければならず、その労力も時間もばかにならない。婚姻届や離婚届を廃止してもいいのではないか。外国には戸籍そのものがないという。』〜ある人の意見より〜
あらーっ、またまた勘違い意見です。いや、べつにいいんですよ。だれだって勘違いはあります。とくに戸籍に関しては勘違いしている人のほうが多いほどですから。
婚姻や離婚は、戸籍がどうのこうのというよりも、その要件等に関しては民法で定められています。それで、どこの国でも日本の民法にあたる法律はあるのですよ。いや、もしかしたらない国もあるかもしれません。でも、それは例外中の例外で、今ココでは考えなくていいことです。
日本では、協議離婚が認められています。お互いが合意すればもうあとは簡単、届書に記入して役所に届け出るだけです。本籍地の役所に届け出るのなら添付書類は何もいらず、1枚の離婚届出書だけ、もう、その日のうちに正式に離婚が成立してしまいます。
他の国の具体的な手続について把握していないので、はっきりしたことは言えませんが、こんなに簡単で時間も労力もかからず離婚の手続きができる国は少ないと思います。戸籍があるからこそ、手続が簡素化できるのです。それよりも、協議離婚を認めていない国もたくさんあるのですから。離婚はすべて裁判離婚、裁判ですよ。その日のうちにとはいきませんね。
原則として離婚を認めていない国もあるでしょう。それならたしかに離婚の手続がなくなって、時間も労力もかかりません・・・・。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『戸籍は支配者(国家)のためのものであるから、被支配の者としては、義務(租税・徴兵)しか生じさせない不要なものである。』〜ある人の意見より〜
えっ?、いつの話ですか?
私、昔のことは苦手なんですが、少し調べてみました。
日本に、身分登録制度(その名称や内容はいろいろだ)ができたのは、なんと、紀元前だといわれているそうです。気の遠くなるような話ですね。そして、全国統一の近代的身分登録としての戸籍制度は明治時代になってからのことです。
さて、紀元前から徳川時代までの間の身分登録制度は、現在のように本来の身分登録ではなく、徴税、課役、検知、犯罪防止などを目的としていたようです。「戸籍は支配者のためのもの」というのは、どうやら、このこと(徳川時代以前)をいっているのでしょうか。
被支配者としては、そりゃあ不要なものと思っていたかもしれませんが、当時、支配者としては必要だったのでしょう。そういう時代もあったのです。
さて、現在ですが・・・・
税金と戸籍は関係ありませんし、徴兵のためなんて聞いたことないですし・・・、「不要なもの」というより、現在ではないです。そんなもの。というよりも、「支配者(国家)と被支配者」って何なんでしょう?
とりあえず、やっぱり昔の話のようです。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『戦いの末に別姓を貫いている人もいます。すごいことです。
でもそういう女性の中には、「別姓=自立する女・同性=依存する女」とカテゴライズして優越感に浸っている人もいるようです。「女の敵は女」といいますが、別姓を貫く「戦う」女性と話すと最近違和感を覚えます。』〜ある人の意見より〜これは女性の方の意見ですが、私もまったく同感です。私も選択的夫婦別姓制度には大賛成で、1日もはやく実現して欲しいと思っているのに、そういう運動をしている人達の意見には反対する部分のほうが多いのです。極端に言えば、自分のことしか考えていないみたいな・・・。自分以外にもいろいろな人がいろんな生き方をしているということに目を向けて欲しいと思います。
私は、仕事がら、いろいろな人と接していますから(ほんの上っ面だけですが)、ホントにいろいろな人がいるということを実感しています。それさえも実感できてない人ににって、いろいろな生き方を認めあうということは、やっぱり難しいことなんだろうなぁとも思っています。