■ まなちゃんと病院 - 病院にいるきょうだいたち - ■

病院の子どもと遊びをテーマにしたシンポジウムを主催したときに、
ぜひ「きょうだい」たちのことも知ってもらおうと作成したパネル(と呼べるのかどうか・・・)です。
あまり画像が美しくないのですが(色はおかしいし曲がってるし・・・ι)、
実物はすべて色画用紙を切り貼りして作ってあります。
またもう少し綺麗な画像を用意でき次第差し替えますー(><)。


「ママー、もうつかれちゃったー。かえりたいよー。」
「ゆうちゃんは病気なのにがんばってるのよ!
 まなちゃんはおねえちゃんなんだから、もう少し
 がんばってちょうだい。」

 子どもが入院すると、家族は毎日のように面会に通います。
 まだ1人でお留守番できない小さな「きょうだい」も一緒に通うことになるのですが、
 電車やバスを乗りついで病院まで行くのは、きょうだいにもご両親にも大変なことです。

 お家で一人きりで過ごすきょうだいも、親戚の所に預けられるきょうだいもいます。
 「病気」や「入院」を理解できず、自分が何か悪いことをしたからパパやママと一緒にいられないのだと
 思いこんでしまうきょうだいもいます。
 また、「お兄ちゃん(お姉ちゃん、妹、弟)が病気になったのは僕(私)のせいだ」と
 自分を責めてしまうきょうだいの子どももいます。
 「病気」が理解できないために、自分もきょうだいと同じ病気になるのではないかと恐れる子どももいます。

 「きょうだい」―特に年上の「きょうだい」―の中には、病気の子どもや親を気遣って不満を閉じこめてしまったり、
 自分が元気なことを申し訳なく思ってしまう子もいます。
 不安やストレスから体調を崩したり、生活のリズムが乱れたり、「手のかかる子ども」になってしまうこともよくあります。
 逆に、感情を押し殺して「とても良い子」になってしまう子どももいます。


「まなちゃんはくまたんといっしょにここでまっててね。」
「まなちゃんもゆうちゃんにあいたいよー。」
「まなちゃんは入れないの。いい子にしてまってるのよ。」

 多くの病院では、感染予防のため小さな子どもは入院病棟に入ることができません。
 病棟の外にプレイルームを用意している病院はほとんどなく、親が面会する間、小さなきょうだいは
 何もない廊下やロビーなどに座りこんでずっと待っています。

 白衣のお医者さんや看護婦さん、他の患者さんたち、薬の匂いや、聴いたことのないような機械の音。
 「病院」という非日常な場所は、きょうだいに不安を与えます。
 不安な場所に連れてこられ、お母さんは自分を置いて行ってしまった。大好きなお姉ちゃんに会うこともできない
 不安な気持ちで一人きりにされたきょうだいは、一生懸命その理由を考えようとします。

 病院は人の出入りの多い場所です。どんな人でも入ることが出来る場所だということは否定できません。
 また逆にロビーや廊下などに大人が一人もいない時間もあります。
 医療スタッフの目が、きょうだいたちにまで届かないことも多々あります。
 また、病院には固い床や医療機器、階段もエレベーターもあります。
 好奇心豊かな小さな子どもが1人で過ごすには、病院はとても危険な場所です。


「ねえくまたん、まなちゃんびょういんってだいっきらい。
 あ、ちゅうしゃのにおいだ。
 ゆうちゃん、ちゅうしゃされてるのかなあ?」

 病院の廊下でお母さんを呼んで泣くきょうだい、1人きりでロビーに座って黙々とお弁当を食べているきょうだい、
 面会時間の間中一人で廊下に座り込みゲームボーイで遊び続けるきょうだい―。
 きょうだいの子どもにとって、病院はどんな場所に見えているのでしょうか。
 1人ぼっちでお母さんを待つところ?何もない退屈なところ?注射されるこわいところ?
 お母さんやお兄ちゃんを取られてしまうところ?

 病気のことをよく説明されていないきょうだいは、自分のきょうだいが今何をされているのか想像に頼ることしかできません。
 人から聞いたことやテレビから得た情報、自分の知識の中などにある病院のイメージが、きょうだいにとっての「病院」なのです。

 過去に病院で注射をした経験があれば、病院は「痛い注射をされる場所」で、
 入院しているきょうだいが痛いことをされているのだと想像します。
 優しいお医者さんと看護婦さんのイメージが強ければ、
 入院しているきょうだいをうらやましいと思うこともあるかもしれません。
 誤ったイメージや想像は不安をうみます。
 そして誰にも言えない不安はさらに想像をうみ、より大きな不安につながります。


「ママー、おねえちゃんは1人でだいじょうぶなのー?」
「うん。だいじょうぶ。 ゆうちゃんは心配しなくていいのよ。
 (まな、だいじょうぶかしら・・・?)」

 ご両親と病気の子どもも、きょうだいを1人にする不安と罪悪感に悩まされていることも忘れてはいけません。
 病気とたたかうだけでも大変な病気の子どもが、きょうだいを思って小さな胸を痛めていることもよくあることです。
 「自分が病気になったから、お兄ちゃんはお母さんと一緒にいられないんだ」
 また逆に、「僕はこんなにつらい毎日なのに、お姉ちゃんは学校にも行けるし、お父さんといっぱい一緒にいられてずるいよ」と、
 病気のつらさや、きょうだいに会えない(きょうだいのことがわからない)ことから、
 きょうだいの関係がうまくいかなくなることもあります。

 毎日の面会と病気の子どもの心配でヘトヘトなご両親が、病児ときょうだいの間で悩むのも、とてもつらくて悲しいことです。
 突然の子どもの病気に気が動転し、ショックを受けている親は、「自分が健康に産んであげられなかった」という
 罪悪感をもつことがあります。
 早く元気になって欲しいという気持ちや、慣れない入院生活への不安、あせり、ストレスに
 罪悪感が加わり、親の注意は病気の子どもに集中します(それは当然の結果で誰にも責められないことです)。
 その気持ちときょうだいを想う気持ちとの間で、ご両親はいつも葛藤しています。  


「ママまだかなあ。よるになっちゃったよ。
 あーあ、おなかへったなー。」

 面会時間は夜まで続きます。
 待っているきょうだいの中には、1人でお弁当やパンを食べ、待ち疲れてロビーのソファーで
 眠ってしまう子もいます。

 病気の子どもにつきっきりになるため、きょうだいの学校行事に参加したり、
 きょうだいを習い事に行かせることができないと悩む親もたくさんいます。
 それを不満に思っても、病気の子どもや親に気をつかって口に出せずにいるきょうだいも
 たくさんいます。

 こんな生活が1年以上続いている家族も少なくありません。
 病気の子どもにとっても、きょうだいの子どもにとっても、病院は、ただ病気を治すところではなく、
 生活し、成長する場所の一部になります。
 病気だから、あるいはきょうだいが病気だから、病気が治るまで、成長することをがまんしなければ
 ならないなんておかしなこと。

 病院は、子どもたちを優しくむかえ入れる場所になっているのでしょうか?
 子どもたちが安心して生活し、成長できる場所になっているのでしょうか?
 子どもたちの芽が育つための光は病院にも届いていますか?


「まなちゃん、こんにちわ。」
「おねえちゃん、あのね、きょうね、」

 たとえば・・・
 病棟の外に、おもちゃがあって、保育をするボランティアさんがいるスペースがあったらどうでしょうか?
 (実際に、東京の国立小児病院には「きょうだい」のためのプレイルームと保育ボランティアさんがいます)
 きょうだいのための場所が病院に用意されているということは、とても大切なことです。
 きょうだいの子どもが、安心して安全にいられる場所が確保されているということが、
 きょうだいの気持ちをどれだけ楽にするでしょうか。

 もう少し大きなきょうだいには、同じ悩みをもつ友達との出会いが必要かもしれません。
 病気のきょうだいにも、親にも、友達にも、誰にも言えない不安や不満を言ってもよい場所が
 用意されていることは、大きな支えになると思います
 (アメリカには「sibshop(シブショップ)」という名のきょうだいのためのワークショップがあります。
 きょうだいが集まり、料理やゲームなどをしながら、さまざまな話をしています)。

 このような集まりを通じて、きょうだいが「私は(僕は)1人じゃない」と思うことができ、
 家族の絆が少しでも強くなればすばらしいと思います。



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