第2章 ホスピタル・ホスピタリティ・ハウスの必要性とその機能

第2章 ホスピタル・ホスピタリティ・ハウスの必要性とその機能

    医療は日々進歩し、これまでなら命が助からなかった病気でも、高度な治療を受けることで助かる場合も出てきた。しかし、そのような高度な医療を提供できる病院はまだ数少なく、難病の子どもを持つ家族は子どもの命を助けたい一心で、地方から病院のある土地に出てくることになる。このような難病の治療期間は長期にわたるものも多く、数年にわたって入院している病児や、再発予防の検査や治療のために何年も病院に通わなければならない病児も多い。しかし、見知らぬ土地での闘病生活の労苦はきわめて大きいものである。  高度医療を受けられるような大きな病院は完全看護体制をとるところが多く、付き添い家族が泊まることができないため、また、あとで述べるように完全看護体制でなくても宿泊できる場所が必要となる。その宿泊場所としてのホスピタル・ホスピタリティ・ハウスの必要性について考察したい。

1.経済的負担の軽減

   資料(2−@)から、病児とその家族の地元は北海道から沖縄にまでわたり、高度な治療を必要とする病気の子どもと家族が遠隔地からの入通院を余儀なくされている現状がわかる。入院期間についても、全体の30%以上の病児が6ヶ月以上治療をうける長期入院者である(資料2−A)。さらに、治療や検査を3回以上繰り返している病児は84%にもなる(資料2−B)。  入院が長期にわたる場合や、通院が度重なる場合、まず困るのが入院中の病児の家族が寝泊まりするところ、病児自身が外泊するところである。時には緊急時に対応できるように20分以内で来られるところにいるようにとの病院からの指示が出る場合もあり、ハウスがなければ家族は近くのホテルを探し、タクシーで駆けつけるしかない。  資料には一泊1万円ほどのホテルや一月15万円のマンションを借りる家族も見られ、賃貸住居入居契約の際に支払った金額は平均417,500円、一月当たりの家賃平均は65,640円である(資料2−C)。母親一人が子どもに付き添う場合が多いことから(資料2−D)、地元での生活と闘病生活の二重性が見受けられ、この二重生活のための費用が患者家族に大きな負担となっていることがわかる。地方から出てくるための費用と治療費だけでも家計にとって大きな負担であるのに、宿泊費用(マンションを借りる場合は家具をそろえる費用もかかる)や食費などが患者家族を苦しめている。中には子どものために仕事を辞めてくる家族や、面会時間の合間を縫ってアルバイトに励む母親の姿もあり、大変な苦労がうかがえる。さらに、一般的に小児科を受診する子どもの両親は若い世代が多く(資料2−E)、生活基盤が強くないことがさらに事態を深刻化させている。実際の患者家族の生活基盤は地元の父親によるものが多数を占め、ついで貯金の取り崩しとなっている(資料2−F)。  また、安いホテルでは午前中にチェックアウトしなければならず、ホテルを出ると、少しでも安いホテルを探すためにひたすら電話をかけ、面会までの時間を過ごす家族も少なくない。病院の近くに宿泊先を確保できず、車の中や病院の床、待合室のソファーに何日も寝泊まりする家族もいる。  これに対し、ホスピタル・ホスピタリティ・ハウスは寄付や助成金、ボランティアの力を借りることで格安で宿泊することができる。アメリカのホスピタル・ホスピタリティ・ハウスではハウスの利用料を支払えない家族は免除されている。日本でも現在稼働中のハウスの利用料は500円〜3000円と格安に設定されている。  難病に対して補助が出るのと同じように、医療の一環として病児や家族の宿泊に関しても補助が出てしかるべきなのではないだろうか。

2.精神的負担の軽減

(1)親の精神的負担 

   我が子が死ととなり合わせにあるという極限的な状況で、見知らぬ土地で孤独に過ごす時間はどれほどつらいものだろうか。資料を見ると、頼れる人も相談できる人もいない中、連日の面会で疲れ果て一人で部屋に帰り不安や孤独とたたかう母親が大勢いることがわかる。このような母親が同じ病気の子どもを持つ母親同士の情報交換や励まし合いができればどれだけ救われるだろう。実際の調査結果を見ても、子どもの入院中の精神的支えには夫と同数で「母親同士」という回答が見られる(資料2−G)。この母親達にとって一番重要なことは「一人ではない」と感じることである。ここが単なる安宿とホスピタル・ホスピタリティ・ハウスとの大きな違いであると思う。理想的なホスピタル・ホスピタリティ・ハウスには調理場、食堂などの共用スペースがあり、利用する家族が顔を合わせられる仕組みになっている。

(2)病児とそのきょうだいの子どもの精神的負担

   親と同じように、またそれ以上に病児自身も不安と孤独感とたたかっている。これまでの生活とは全く違う病院での生活、治療に伴う痛み、不安など、特にまだ小さい病児にとって病院は恐怖の対象である。自分の病気は何なのか、なぜ自分が病気になるのか、いつになったら帰れるのか、質問をできる相手も返ってくる答えも限られていて、病児の精神的な負担はさらに大きくなる。  そこで病児にとってもまた「一人ではない」と感じることが大切になる。外泊の許可がおりてハウスに帰ると同じ病気の子どもがいて、自分だけではないと感じることができたり、またその逆の効果も期待される。アメリカのハウスでは、抗ガン剤の副作用で髪が抜けている子どもが、同じように髪が抜けている子どもとハウスで出会ったことで精神的におちついたという報告もある。このように、ハウスがあれば、他の子どもと一緒に楽しく遊ぶことも可能になるのである。ホテル暮らしだとたまに外泊の許可が下りても、ホテルの部屋は狭いし、遊びに行く先も遊び道具もなく、結局病院のプレイルームで遊ぶということも珍しいことではない。これでは外泊の意義も薄れてしまう。日本の病院はまだ「子どもが育つ環境」にはほど遠い。子どもは治療にだけ専念せざるを得ず、「病気だから」さまざまな我慢を強いられる。病気でも子どもであることにかわりはない。病気という大きなものとたたかっているのだから、せめて少しでも良い環境を、子どもの成長のために提供すべきだと思う。こういう意味でホスピタル・ホスピタリティ・ハウスには病児の「子ども」としての成長を助ける可能性が秘められているのではないだろうか。  また、病児のきょうだいも親や病児と同じように不安や孤独とたたかうことになる。家に残されても孤独を感じるし、一緒に連れてこられていても感染の危険から病室に入れず、面会時間の間中病棟の外の廊下で一人きりで待つことになることもある。親がきょうだいにかかりきりになることに対する不安や怒りから暴力的になる子どもも少なくない。これを子どもが育つ環境と呼べるだろうか。例えばプレイルームを備えたハウスがあれば、外泊中の病児やそのきょうだいの子ども達とそこで過ごすことも可能となる。また面会時間の間は親と離れていてもハウスに帰って親と一緒に過ごすことで精神的に落ち着くこともできるだろう。病児のきょうだいも「子ども」として成長することを保障されなければならない。少しでも我慢することが減るようサポートしていくことが必要だと思う。

3.日常生活の保障

 病児の付き添い家族は、「病院」という非日常的な空間で、「日常とかけ離れた生活」を強いられる。病児とその家族は、この生活に24時間浸かりきりで、気分転換をする機会もホッと人息する時間も与えられず、極限的な状況で闘病生活を続けることになる。この、終わりの見えない非日常な生活が病児や家族の心理的なストレスを増大させる。  日本ではまだ「病気を治すためなのだから、多少のことは我慢しなければ」と考えられがちであるが、マクドナルドハウスには「病気の時こそよりよい環境を」という共通した精神がある。「闘病」という非日常的な事態が起こっている家族に対し、このような精神のもとに支援を行うことはとても大切であると思う。  闘病生活が日常生活と大きく異なってしまう原因のいくつかは、ハウスを利用することで改善されると考えられる。ここでは食事等と居場所、プライバシーの問題について考えたい。

(1)食事等の問題 

    病児の家族に対する調査の結果を見ると、意外に多いのが「食事」の問題である(資料2−H)。病院で用意される食事が病児の口に合うとは限らない。また長い間家から離れていると、いつも食べていた「家の食事」が食べたくなるものである。病気のために身体がつらい状況でも、好きなものなら食べられるかもしれない。また、病児の食事は出ても、付き添いの家族の分までは出ない。しかし、病院によっては夜8時〜9時頃まで面会時間があって、食堂はしまってしまうし、見知らぬ土地で食事ができるところを探すのも大変である。そこで、病院の売店で購入したインスタント食品を毎日食べている病児や家族も多い。こんな状況が数年続いている家族もいる。ホテルでは台所はないので食事を作ることはできない。マンションやアパートを借りていても、食事を作るための調理器具から食器、調味料まで買いそろえればかなりの出費となる。  しかし、ハウスには台所があるので、そこで食事を作り、食べることができる。これは経済的にも助かる。また、入院している子どものためにその子の好きなものを作って持っていくこともできる。調理器具や調味料などがそろっていることも、急に地方から出てきた家族や、短期にしか滞在しない家族にはありがたいだろう。  食事と同様日常生活に欠かせない入浴についても、患者用の浴室を使わせてくれる病院もあるが、そうでない場合は銭湯などを利用しなければならない。近くに銭湯もない場合、洗面所で髪を洗うだけで済ませる付き添い家族もいる。これもまたハウスがあれば改善される点である。浴室が共用スペースであると、利用する順番や父親が来ている場合の母親の不安など問題点も出てくるので(資料2−)、できれば個室内にあることが望ましいと思われる。

(2)プライバシーと居場所の問題

   精神的負担の大きい時にプライバシーが守られる居場所がないのはとてもつらいことだろう。一人部屋でなければ他の病児や家族と一緒に過ごさなければならず、気を休める暇もないし、病室の床やソファーで寝ていても医師や看護婦の足音に何度も起こされる。小児がんの子どもの無菌室や、病児が重病で看護婦の管理が必要な場合のように、ガラス張りの部屋で24時間ずっと他人の視線にさらされることに耐えなければならない場合もある。  ホテルに泊まればその間は一人の時間を持つこともできるが、午前中のチェックアウトでホテルを出たあとはプライバシーが確保される居場所はない。調査結果からも、あてもなく街を歩いたりして面会時間までの時間をつぶす母親の姿が見受けられる(資料2−)。また、一人の時間はほっと一息つくものであると同時に、不安や孤独とも隣り合わせである(資料2−)。「ほっとできる場所であり、なおかつ不安になればいつでも誰かと話ができる場所」というのが理想的なのではないだろうか。  この点においてもハウスがあれば状況はかなり改善されると思われる。一人で過ごしたいときにはプライバシーが守られる個室があり、誰かと話がしたいときには共用スペースに行けばよいと思うことが精神状態の安定につながるのではないだろうか。また、女性一人で見知らぬ土地で暮らすことから来る不安もあるので(資料2−)同居人が同じような境遇の人ばかりであるとわかっていることも安心感を生み出すだろう。   


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