ショールームで触っていたパソコン(オフコン?マイコン?)はオフィス向けのもので、あくまでも汎用機の端末でした。また、同じフロアに飾ってあったのが「MZ−80」と呼ばれるシリーズのSHARP製パソコン(マイコン?)で、これが異常な人気機種となっていました。(カタログをもらっただけでオーナー気分になったものです。)その頃の大学生やマニア達はそれを駆使して、ハード/ソフトに関わらずコンピュータ全般の研究などをしていました。そして経緯は忘れましたが、どういうわけかその最新機種「MZ−2000」を機械音痴の兄(高校生)が購入したのでした。
当然ほとんど使っていなかったので、私がBASIC言語のグラフィック命令やサウンド命令を次々と覚えていき、より難しい表現、より美しい表現はないか?と、たくさんのBASICプログラムを組みました。ほんとにたくさん作りました。
もちろん10インチくらいの真っ黒の画面に、緑の輝度点の集まりとしてのグラフィック表現しか出来なかったのですが、プログラムが動き始めて少しづつ描画が進んでいき、プログラムが終了すると同時に関数グラフ描き上がる感動と美しさに、心から魅了されました。
画像の保存や印刷が出来なかった当時は、カセットテープに画像生成プログラムを保存し、人に見せたい時は家に来てもらってプログラムを実行し、画像が生成されるまで待ってもらったりしたものです。
そんな中、コンピュータの処理能力の向上と低価格化が各メーカー間の競争原理でぐんぐん進んでいき、カラー表現能力についてもON/OFF(緑/黒)の表現から白黒8階調、カラー8色などと進化し、4096色が使えるあたりまで一気に進んだ後、一時的に安定期に入りました。
この頃になると、緑の輝度点で関数グラフを描くという手法ではなく、視覚的錯覚を用いて擬似的・心理的に立体を表現できるまでに進化していました。しかしながら、このグラフィック表現には飛び付きませんでした。それらの作画能力が成すものは、一部は擬似的な立体表現でしたが、あくまでも騙し方ばかりで正確さに欠けており、私が子供の頃から感じている正義感のような図形の正確さではなかったからでした。
しかもこの4096色の能力は、次々に開発されるパソコンゲームの要求する表現に使われていき、単なるマンガやシューティング・キャラを表現する為の道具に過ぎませんでした。
当然コンピュータの作り出す数学的な美しさなどチヤホヤされなくなり、また珍しいものでもなくなり、高校生になって他にも夢中になれる8ミリ映画制作やバンド演奏などで忙しくなり、夢中の対象から次第に姿を消して行きました。