自分で考えて苦労した結果について、バッチリと答えが合う、正解する、成果が実る、というのは非常に気持ちのいいことです。

人生を左右する多感な頃にそういう喜びを感じたことは非常に幸せで、その頃の最も身近なものでは「試験結果」や「計算結果」がその代表格でした。

中でも「苦労の末にきれいに合う」という喜びを、視覚的に(目で見て)味わえたのが算数の中の「図形」でした。(放物線だったり、サイン波だったり。)

大きくなるにつれて「幾何学」や「図学」「線形」などと呼び方は変わりましたが、結果が単なる数字と単位だけでなく、目で見て美しい結果であるというのは「単純な数学的法則に基づく美しさ」と捉えることが出来、正義感さえ感じる満足度、納得の行き届くものでもありました。

もちろん非常に興味が持てる対象となっていき、更に難しい計算結果(言い換えて美しさ)はないか?などと夢中になって「美しくなる数式」を追及する傾向が強くなっていきました。


数学的な美しさを追求する中で、複雑な図形を得る(計算させる)には、当然コンピュータが適していることが判って来ました。

しかしながら当時はCGなどという言葉はおろか、パソコンという言葉すらない時代でした。コンピュータなんてものを個人で手に入れる人は一部の人種(マニア)であり、しかもマイコンという言葉を使っていました。

また能力的にも「真っ黒の背景に緑の輝度点」しか表現できないモニタ映像を用いており、画面上のどこにON/OFFの輝度点を作るか?という数式を、BASIC言語で書くというのが主流でした。

ですが、それだけでも数式が描き出す「輝度点の整然とした並び」には、先の数学的な美しさを見い出してしまい、それに触れたいばかりに中学校の下校途中にあるオフコン・ショールーム(確かオムロン)で、学校で習うような高次関数や三角関数を見よう見まねのBASIC言語を使って組み上げて、関数グラフを表示させて楽しんでいました。(ほんとによく通いました。閉店まで居ました。)

古典的でその場限りの個人的なものでしたが、今から思い返せば、あれがコンピュータグラフィックス人生のスタートでした。


ショールームで触っていたパソコン(オフコン?マイコン?)はオフィス向けのもので、あくまでも汎用機の端末でした。また、同じフロアに飾ってあったのが「MZ−80」と呼ばれるシリーズのSHARP製パソコン(マイコン?)で、これが異常な人気機種となっていました。(カタログをもらっただけでオーナー気分になったものです。)

その頃の大学生やマニア達はそれを駆使して、ハード/ソフトに関わらずコンピュータ全般の研究などをしていました。そして経緯は忘れましたが、どういうわけかその最新機種「MZ−2000」を機械音痴の兄(高校生)が購入したのでした。

当然ほとんど使っていなかったので、私がBASIC言語のグラフィック命令やサウンド命令を次々と覚えていき、より難しい表現、より美しい表現はないか?と、たくさんのBASICプログラムを組みました。ほんとにたくさん作りました。

もちろん10インチくらいの真っ黒の画面に、緑の輝度点の集まりとしてのグラフィック表現しか出来なかったのですが、プログラムが動き始めて少しづつ描画が進んでいき、プログラムが終了すると同時に関数グラフ描き上がる感動と美しさに、心から魅了されました。

画像の保存や印刷が出来なかった当時は、カセットテープに画像生成プログラムを保存し、人に見せたい時は家に来てもらってプログラムを実行し、画像が生成されるまで待ってもらったりしたものです。

そんな中、コンピュータの処理能力の向上と低価格化が各メーカー間の競争原理でぐんぐん進んでいき、カラー表現能力についてもON/OFF(緑/黒)の表現から白黒8階調、カラー8色などと進化し、4096色が使えるあたりまで一気に進んだ後、一時的に安定期に入りました。

この頃になると、緑の輝度点で関数グラフを描くという手法ではなく、視覚的錯覚を用いて擬似的・心理的に立体を表現できるまでに進化していました。しかしながら、このグラフィック表現には飛び付きませんでした。それらの作画能力が成すものは、一部は擬似的な立体表現でしたが、あくまでも騙し方ばかりで正確さに欠けており、私が子供の頃から感じている正義感のような図形の正確さではなかったからでした。

しかもこの4096色の能力は、次々に開発されるパソコンゲームの要求する表現に使われていき、単なるマンガやシューティング・キャラを表現する為の道具に過ぎませんでした。

当然コンピュータの作り出す数学的な美しさなどチヤホヤされなくなり、また珍しいものでもなくなり、高校生になって他にも夢中になれる8ミリ映画制作やバンド演奏などで忙しくなり、夢中の対象から次第に姿を消して行きました。


その頃、一部の映画やCM、TVタイトルなどに本格的なCG表現が登場しはじめました。コンピュータで空間表現はおろか、光や影、屈折までの表現が正確に出来るなんて!という気持ちと、そのCG過ぎてツルツル・ピカピカの質感の美しさに目からウロコになりました。

騙しやごまかしではない、数学的に裏打ちされた物体の色彩の変化や陰影の変化、屈折して見える景色の表現などが、異常に正確に表現できるにまでコンピュータによるグラフィック表現は成長してしまっていたのでした。有名なところではCX系列のバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のオープニング・エンディング映像、キリンの炭酸飲料「Mets」のフルCGでのCMなどがありました。

中でも目を惹いたのは、「弥勒(MIROKU)」というデジタル映像(ショートムービー)でした。この映像はなんだ!というショックが強烈過ぎて、どんな手法で作画したのだろう?から始まり、専門誌や関連誌などを読みあさりました。おろそかにしていたグラフィック表現の研究について、現在はどこまで進んでしまったのだろう?などという不安に脅迫されている感がし始め、学校の勉強はそっちのけでCGの勉強をしました。おかげで洋書を読む英語力や空間幾何の成績だけはあがりました。

そしてその映像を実現したグラフィックシステムのパーソナル版があることを知るに至り、当時の金額で100万円強もしましたが、家に無理を言って購入してもらい、CG人生の第2のスタートを切りました。

そのCG生成システムは「Personal−LINKS」といいました。C言語でデータを記述しますが、全くと言っていいほどC言語の知識など要らないデータ定義(形状定義)で画像が得られました。

しかもその図形定義が完全な3次元空間の幾何学であり、寸法や質感係数を指定したり、カメラや照明を正確に定義していく感覚が、子供の頃に感じた「視覚的に美しい答え」を得る為の様々な数値操作の工夫という点で共通しており、製作に取り組む精神的な面が原点に戻った気がする手法だったので、これも夢中になって表現の可能性を追及にかかりました。


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