NRP Report 2007
ニューオーリンズ復興プロジェクト報告2007年2月14日UP!                  



支援金第2回受け渡しと使途報告

2007年1月初め、ニューオーリンズ復興プロジェクトの第2回支援金「額面$5,000の小切手」がヒロ田中氏を通じて、
ロイス・デジャン師のもとに送られました。
それに対して、デジャン師から感謝状(2007年1月13日付)が届きました。
感謝の言葉とともにNRP支援金の使途についても述べられています。
以下、その原本画像と本文の和訳を続けます。





NRP救援金に対するデジャン師の感謝状 (翻訳:ヒロ田中)

2007年1月13日

ニューオーリンズ・リリーフ・プロジェクト
ヒロ田中 殿

 NRP救援金5,000ドルと温かいサポートに深く感謝いたします。
 この紙幅をお借りし、私たちに与えられた試練に際し、多大なご助力を惜しまず与えてくださったNRPスタッフ並びに賛同者の方々へ厚く御礼申し上げます。

 いただいた第一次救援金5,000ドルの主な用途は、YICIおよびリジョイシン・イン・ザ・パーク・ゴスペル・ミュージック・フェスティバル(RIP)実行委員会事務所リース(リース料は月額400ドルから950ドルに高騰)の継続、オフィス備品、コンピュータと消耗品、2006年度RIP(ゴスペル・フェスティバル)のステージ使用料金などです。
 第二次救援金5,000ドルは上記リース維持関連に、一部は今年度RIPの諸準備経費に充当いたします。

 重ねて各位のサポート継続のご尽力に深く感謝をいたします。RIP2007に皆さまをお迎えできることを心より念じています。神様の祝福を。

神の名において、
レブランド・ロイス・J.デジャン(署名)
主宰/プロデューサー



最近、こんな新聞記事がありました。
2007年2月10日の朝日新聞の記事
犯罪について正確なところはわかりませんが、市民の帰還が進んでいないことだけは確かなようです。
この理不尽なまでに進展の少ない復興のなかにあっては、
復興支援活動や音楽活動をを続けるためのベースとなるインフラですら、
確保・維持することが難しいという現実があるのでしょう。

もうひとつ、ロイス・デジャン師のスピーチ動画をご紹介します。
これは、デジャン師がACLU(アメリカ自由人権協会= American Civil Liberties Union、
言論の自由を守ることを目的としたアメリカで最も影響力のあるNGO団体のひとつ。1920年設立)の
ニューヨーク本部に招かれたときのスピーチです。
2006年の夏と思われますが、状況は基本的にその時点から変わっていません。


ACLUニューヨーク本部で行われたロイス・デジャン師のスピーチ動画のページ
このページの上から3つめ、
Reverend Lois Dejean: Resident of
New Orleans during Hurricane Katrina
の右の Windows Media をックリック!
(時間帯によっては非常に重くなることがあるようです。全部で6分40秒くらい)

このスピーチの抄訳を以下に掲載します。


ACLUニューヨーク本部におけるロイス・デジャン師のスピーチ抄訳 6'40" (翻訳:ヒロ田中)

 こんにちは。私はルイジアナ州ニューオーリンズ市市民のレブランド・ロイス・デジャンです。
 同市にてエベニーザー・ミショナリー・バプティスト教会のアソシエート・ミニスターを務めています。現在は、同地域コミュニティーを覆う約900万ポンド以上の有毒な瓦礫や汚物を取り除くプロジェクト、グレート・タイム・リバイバル・イニシアティブ組織でインターン・ディレクターを兼任しています。

 はじめに、今回のACLU訪問の実現に尽力をいただいたニューオーリンズの環境/人権擁護団体ディレクターのモニーク・ハーディン、ナタリー・ウォーカー両氏に感謝の意を表します。また、今回の「犠牲者の声」パネルに招いてくださった人権ネットワーク・ディレクターにも深く感謝します。今日に至るまで、政府の不対応と人権無視的所為によって、ニューオーリンズをはじめアラバマ、ミシシッピ諸州のあまりにも多くの被災犠牲者たちの声が無視されてきました。

 私は70才です。ハリケーン・カトリーナ襲来までは子供たち、孫、そして曾孫たち家族といつでも会える環境にいました。被災から現在に至るまで、私の家族は離れ離れの状況に置かれています。私は未亡人であり、現在は一人暮らしを強いられています。
 (堤防が崩壊し)撤去が始まった時、子供たちは私を救助するべく駆けつけましたが、車に乗り込むスペースはなく、妹は病気でしたので緊急シェルターとして指定されたもよりのホテルに向かいました。しかし、すでに冠水のため電力を失っていたホテルは、妹を受け付けることができませんでした。
 明確にしておきたいこと――私たちが命からがら逃げ出さねばならなかった状況はカトリーナによるものではなく、政府の洪水セントラル・コントロールの不備不対応によって起きたということです。
 娘のひとりはシェラトンという小さな町のシェルターに収容される一方、もうひとりの娘はダウンタウン地域シェルターとして指定されたスーパー・ドームで奇跡的にも子供たちと再会。私たちはそこから救命ボートに分乗し、バスに乗せられて移動を始めましたが、目的地は誰も知りません。二番めの娘はヘリコプターで救助されてテキサス州ヒューストンへ、もうひとりはダラスへ送られました。

 命を落とした幾多の人々とすべてを失った被災者たちに比べれば、私たちが体験したことはマシであったかと思っています。
 家族というものは社会組成の基本単位です。とても大切な単位であり、キズナです。この繋がりが崩れてしまった。今日に至るも私の子供たちはすべて四散状態です。
 現在の私の「家」は、急しのぎのホテルかモテルとなっています。これらは観光客が週末や休暇に利用したり、ビジネス出張などのために利用されるものです。

 グレンコーという見知らぬ町に移されてから3箇所のシェルター転入を強いられたあげく、今度はハリケーン・リタの到来でまた暫時、別のシェルターに移されました。一方、28年間住み慣れた借家兼オフィスの管理人からの即時立ち退き要求への対応と残された私物をまとめるため、急遽シェルター地からニューオーリンズの無人化した「家」に戻りました。これからどこへ行けばよいのか? この年でなにができるのか? 救いの手を差し伸べることができるのは誰なのか?

 神への信仰が今日まで私に生き続ける力を与えてくれています。
 後日、約束されたはずのトレーラー・ハウスに応募しましたが、遺憾ながら今日に至るまで吉報は得ていません。幸いにも新しい借家を見つけましたが、家賃は3倍に高騰していましたので、仕事を探すべく奔走を始めました。70才の私にとってはかんたんなことではありませんが、同じ境遇に置かれている家族を救援するために必要なことです。

 ゴスペル音楽を介し、長年に亘り「歌う大使」としてこの国を代表し、多くの国を旅してきた私が、これまでと同じ考えと姿勢をこの国に抱いているか。残念ながらイエスと言えません。
 ニューオーリンズで最近体験したトレーニングを通し、あらためて人権というものに関する新しい考えと思想に目覚めています。貧しい境遇に置かれている人々はともすれば基本的な人間の権利と尊厳から切り離されることがあります。私は人権を主張し、最大限に行使する所存です。私も人間であり、生きる権利があります。所轄政府機関に対する交渉を続けていく途上で極めて重要な姿勢です。他国のためにアメリカがしていることと同じことが私たちになぜできないのか? この国に生まれ、育ち、生きてきた私たちになぜ人権が尊重されないのか?

 家を失い、見知らぬ土地で「暫定的くらし」を強いられている人々は、自分たちの生きるべき所へ戻る権利があります。私は子供たちと、孫たち、そして曾孫たちと一緒にいたい。
 そのためにしなくてはならないことがあります。私ひとりではできないことが。みなさんにできることはこの事実と状況を直視し、理解することだと思います。
 ニューオーリンズの、アラバマの、ミシシッピの子供たちは住んでいた家へ戻る権利があります。
「ゼア・イズ・ノー・プレース・ライク・ホーム」*といいますから。ご静聴に深く感謝します。

訳注: "There is no place like home." は、オズの魔法使いの中の台詞。



※このページには、また後日、情報を追加アップします(その際にはトップページでお知らせします)。