photos by Chiharu (thanks!)

「ゴスペルの源流を訪ねる旅」はメンフィスから始まる。
アメリカ南部有数のビジネスタウン、物流の一大拠点として知られるこの都市は、
奇跡のような音楽の化学反応を呼び起こし、数々の音楽的伝説を生み出してきた。
ミシシッピ・リバー、ハイウェイ61号線に導かれて形づくられたアメリカの心の歌――その原風景を求めて。
ブルース、ゴスペル、ロックンロール、ソウルミュージックの聖地へ。

メンフィスへの長い道
旅のイントロダクション


成田空港の出発ゲート
 成田からメンフィスまで、直行便の就航はない。アメリカ国内のどこかの空港で航空機を乗り継ぐことになる。今回はシアトル・タコマ国際空港でトランスファーというプランだった。
 成田空港からシアトル・タコマ空港まではおよそ9時間のフライトである。夕方の4時頃に離陸したから、シアトルに着陸するのは体内時間で夜中の1時頃の計算。しかし、到着したシアトル・タコマ国際空港の時計は朝の8時前を指している。−17時間の時差があるためだ。
 本格的に眠くなってくるはずの時間に空港に放り出され、閑散としたフロアでシアトル・コーヒーを飲みつつ約2時間の待ち合わせ時間をなんとかしのぐ。離陸は10時頃、メンフィス国際空港まで約4時間のフライトとなる。だが、シアトルとメンフィスでは−2時間の時差があるので、メンフィス国際空港への到着時刻は夕方4時。
 成田を発ってからだいたい15時間くらい経っているはずなのだが、日付と時間は離陸した時とほぼ同じ。日本とメンフィスの時差が−15時間なので計算はピッタリ合う。しかし、メンフィスは夕方の4時だが体内時計は朝の7時、ほとんど徹夜明けみたいなものだから眠いはずだ…なんてことをいつまでも考えていると、2段重ねのジェットラグがますますひどくなってしまう。
 空港の出口から一歩足を踏み出すと、ひさしぶりに外気を吸い込んだ気持ちになる。曇り空。これがメンフィスの空気、アメリカ南部の空気なんだと自分に言い聞かせてみるが、まだ地に足がつかない。自分が憧れの地・メンフィスにいる実感を持てないまま、用意されていたバスに乗り込む。
 ツアー参加者40数名が席に着いた頃、ひとりの男がバスの入口からぬっと現れてマイクを握った。
「みなさん、こんにちは」
 まるでその男に乗っ取られたかのようなタイミングでバスが発車する。ぼーっとした顔のAWANO GUMI(当時はまだそう呼ばれてはいなかったが)を前に、軽快なジョークを飛ばしてしゃべり続ける怪しいバスジャッカー。それがこの「ゴスペルの源流を訪ねる旅」のツアーコーディネーター兼通訳兼ガイドであるヒロ田中氏とのファースト・コンタクトだった。

ダウンタウンに繰り出せば、
ビール・ストリートの光芒に目も眩み


 すでに日は暮れ、石畳の舗道に鮮やかなネオンサインが映る。歩いていると次々に音楽が耳に飛び込んでくる。立ち並ぶライブハウスで演奏されているブルースやロカビリーのサウンドだ。夜になってますますにぎわいを増すビール・ストリートは、メンフィス・ダウンタウンのメインストリート。今も昔も、多くの人々がここにブルースを求めてやってくる。バーベキューや南部独特のガンボ料理をむしゃむしゃ食べ、ビールをぐびぐび飲みながら生のブルースにどっぷり浸るのだ。
夕暮れのビール・ストリート
 空港からホテルへ直行したAWANO GUMIの面々は、チェックインを済ませたあと、添乗員レオ氏のアドバイス――「明日以降のことも考えて、ゆっくり休んで長旅の疲れをとることをお薦めしますが、ご希望の方はダウンタウンへ行かれてもいいかと思います」――に従い、ほとんど全員がダウンタウンに繰り出したのだった。
 ビール・ストリートのにぎやかなエリアはほんの数百メートルに過ぎない。しかし、歴史を感じさせる建物が並んでいて、ぶらぶらと歩いているだけで楽しい。かつて禁酒法の時代(1920-33)には地下賭博場と密造酒造りで大いに栄えたというが、どこかそんな雰囲気が残っているような気もする。集会でもあるのか、ものすごい数のハーレーが集まっている。この鉄の馬の周りにたむろしているのは、もちろんかなりワイルドな連中だ。一方で本物の馬に乗った警官も闊歩する。
 通りが寂しくなりかけるところでUターンを繰り返していると、何度も知っている顔とすれ違う。適当にあたりをつけた店に入ると、そこにもAWANO GUMIの顔。ビール・ストリートには30軒からのライブ・ハウスがあるというが、やはり日本人の目のつけどころは同じなのか。いろんなところから集まってきて面識のないツアー参加者たちの間に、少しずつ親近感が広がっていく。身体の中にビールとブルースがしみてくる。
 ブルース、その発祥はおそらく19世紀末のミシシッピ州北西部のデルタ地帯といわれる。そこで歌われていたデルタブルースの数々が20世紀初頭、ブルースの父と呼ばれるW.C.ハンディによって楽譜としてまとめられた。その頃、ハンディが住んでいたのがこのメンフィスだ。その後、ミシシッピ川でデルタ地帯につながるこの町が、ブルースの都として繁栄することになる。


エルヴィスは生きている?
何から何までエルヴィスづくし


何から何までエルヴィスのハート・ブレイク・ホテル
 宿泊したホテルの名前は「ハートブレイク・ホテル」という。もちろん、エルヴィス・プレスリーの大ヒット曲の名前からつけられたものだ。各部屋にはエルヴィスの大きなパネルが飾られていて、テレビをつければエルヴィス映像を編集したクリップ集や、エルヴィス映画専門チャンネルが流れてくる。ロビーやシャトルバスは四六時中エルヴィス・ナンバーを流している(ほかの曲は一切かからない!)。トイレに入れば、ELVIS ALIVE!――エルヴィスは生きている!などと落書きしてある。スーベニール・ショップにもエルヴィス・グッズがごまんとある。まったく、あきれるほどエルヴィスだらけなのだ。
 このホテルだけではない。メンフィスにはあらゆるところにエルヴィスがいる。通りの名前、店の名前。街のどこにいても必ずどこからかエルヴィスが流し目を送ってくる。ぼってりとした唇の端を持ち上げて微笑んでいる。ほとんど丸ごとエルヴィス・グッズのギフトショップも。アメリカ人にとってのエルヴィスの存在の大きさを思い知る。
 エルヴィスは幼い頃から近所の黒人教会でゴスペルに親しむとともに、ナッシュビルのラジオ局が送り出すカントリー・ミュージックに熱中する少年時代を過ごしていたという。必ずしもブラック・ゴスペルとホワイト・カントリーの融合がエルヴィスの独創というわけではないが、このメンフィスという町がそれを促す地理的条件に恵まれていたことは確かだし、ロックンロール爆発の発火点となったのも偶然ではない。
 メンフィスの観光名所の目玉のひとつにグレースランドがある。エルヴィスが1959年、22歳の時に10万ドルで購入して、死ぬまで住み続けた家が公開されているのだ。ここには連日、全米・全世界から大勢の観光客がやってくる。個人の住宅としてはホワイトハウスに次ぐ観光客の数だという。後になってから、ここが宿泊していたハートブレイク・ホテルの向かい側(隣?)だと聞いたが、バスに乗って移動していたため、今でもそれがピンとこない。
 しかし、このグレースランド、想像をはるかに超えるスケールだった。広大な敷地にさまざまな建物が点在し、膨大な数の衣装、ゴールドレコード、ギター、ファンからの手紙、写真パネルなどが所狭しと展示されている。趣向を凝らした居室のインテリアも当時のまま。テレビルームやビリヤードルーム、ジャングルルームなどいろんな部屋があって、内装・インテリも非常に凝っている(2階のプライベートスペースはエルヴィスに敬意を表して非公開)。

孔雀のステンドグラスがあるリビング・ルーム
 ちょっと悪趣味だという声も聞こえたが、60〜70年代カルチャー独特のチープさとゴージャスさが入り交じって、見方によっては意外につつましいかもと思ったり(リビングやキッチンは思ったよりも狭い印象を受けた)。このあたり、世代によって受けとめ方が違うかもしれない。
 それから、20台以上に及ぶ車のコレクション(ピンクのキャデラックや白いベンツのオープンカーなどバカでかい車が並ぶ様は壮観)、バイク、自家用ジェット機も。こういうのを目の当たりにすると、エルヴィス個人の大きさのみならずアメリカの富の豊かさにも圧倒されてしまう。
 だが、キング・オブ・ロックンロールと呼ばれ、後にはラスベガスで派手なショーを繰り広げたエルヴィスは、大スターであるがゆえの孤独に苦悩した。元来、生真面目な性格だったのだろう、最後までアメリカ南部の故郷を離れず、ゴスペル・ミュージックに心の平安を求めたのである(生涯3度獲得したグラミー賞はすべてゴスペル部門だった)。


ロックンロールが誕生した場所へ
サン・スタジオの伝説に痺れる


サン・スタジオの看板
 エルヴィスが初めて録音したサン・スタジオ。この小さな古い建物は「ロックンロール生誕の地」と称される。1954年、ここで無名のエルヴィス・プレスリーがレコーディングし、それがラジオで流れて大反響を呼び、ロックンロールの黄金時代が始まったのである。
 もちろん、エルヴィスがロックンロールの爆発に決定的な役割を果たしたことは確かだし、サンスタジオで歴史的な録音が行われたことも事実だが、実際にはエルヴィスひとりがロックンロールを発明したわけではない。アメリカ南部では、ごく自然なかたちで黒人音楽と白人音楽が接近し、混じり合いつつあった。1950年代にはすでにロックの扉が開きかけていて、その扉をドカーンと蹴破ったのがエルヴィスだったのだ。それを突破口にして、その後、さまざまな場所から次々にロックスターが現れることになる。
 このサン・スタジオ、こんなところにというような場所にぽつんと建っていて(小さいとは聞いていたが、ホントに小さい)、目の前の大通りは時折クルマがかっ飛んでいくものの、人通りも少なく、それがまた逆になんともいえない風情ではある。
 1階はカフェとサン・スタジオ・グッズのショップ、2階はショーウインドウの中にさまざまなパネルやレコード、楽器、録音機材、衣装などが展示されている。約30分の見学ツアーはここからスタート。といっても、30〜40人ほども入るとギッシリという感じなので、ほとんど身動きもとれない狭さだ。そんななか、小さなラジカセのような機械で音楽を再生しつつ、サン・スタジオの歴史、栄光などについての語を聞いていく。ハウリング・ウルフの話になると、通訳・ヒロさんがすかさずオオカミの遠吠え。
 エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ、カール・パーキンス、ロイ・オービソン…。そんなロックンロール誕生の頃の伝説にぞくぞくしてきたところで、ぞろぞろと地下のスタジオへ。
 これがまた当時のまま手が入っていないということで、天井などは吸音ボードが一部剥がれて垂れ下がっていたり、古めかしいギターアンプが転がっていたり、新宿の御苑スタジオをさらにボロにした感じである。
 しかし、これはエルヴィスが歌ったマイク、なんていうのが目の前にあったりすると、さすがに痺れるものがある。思わずマイクを掴む淡野氏。一斉にストロボの光を浴びる。
 ここでいろんなやりとりがあり、半ば偶然に、半ば必然的にロックンロールが生まれていったことを思うと、じわじわと感動が湧き上がってくる。やはりこのサン・スタジオ、BIRTHPLACE OF ROCKN'N ROLL という象徴にふさわしい場所のひとつであるように思えた。


公民権運動博物館の衝撃と
アフリカン・アメリカンの歴史


この2階のバルコニーでキング牧師が狙撃され、命を落とした
 公民権運動博物館では衝撃を受けた。ここは、公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師が1968年に暗殺された場所、ローレイン・モーテルを改装して作られた博物館だ。キング牧師が最後に滞在していた部屋がそのままの形で残され、50〜60年代公民権運動に関するさまざまな資料、その発端だった人種隔離バスや焼け打ちにあったバスなども展示されている。ここにあるのは、アメリカの強烈な暗部とその克服へ向けた尊い運動の生々しい記録だ。
 想像よりも小振りなバスの車内に入り、シートにそっと触れてみる。思わず体が震える。つい40〜50年ほど前にこれほど過酷な人種差別があったという現実、そして当然の権利を勝ち取るために運動を続けた人々の姿が迫ってくる。非暴力主義を貫き、苛酷な状況の中で活動を続けたキング牧師。その運動のエンジンとなったのはアメリカ南部教会だった。そして、人々の心を支えたもののひとつにゴスペルがある。デモ行進ではいつも歌が歌われた。

 ゴスペルという音楽がどのようにして生まれたのか。確かなことはよくわかっていない。というのも、音楽を電気的に録音する技術が生まれたのは1925年頃。それ以前の音楽については文献的な記録に頼るしかなく、それはそれほど多く残されているわけではないからだ。
 一般に、1890年代から1900年代の初めにかけて、現在のスタイルに直接つながるゴスペル、ジャズ、ブルースがいっせいに確立されたといわれている(ただし、ゴスペルという名前は、1930年代になってシカゴでトーマス・ドーシー牧師が使い始めた)。それは今から100年ちょっと前のこと。日本でいえば明治時代の半ば過ぎにあたる。この頃、南部の貧しい黒人たちを支えるためにホーリネス系の教会が続々と誕生し、また、バプティストやメソジストの教会でも、楽器が持ち込まれるようになっていた。
 しかし、ゴスペルはその頃、いきなり誕生したわけではない。さらにそこから300年ほど時間を巻き戻してみよう。17世紀初頭。このころから、アフリカ大陸に住む多くの黒人たちが奴隷船に詰め込まれ、大西洋を渡って強制的にアメリカに連れてこられるようになっていた。この「奴隷貿易」は18世紀にピークを迎える。黒人たちはアメリカ南部のプランテーションで、きわめて過酷な労働に従事させられた。まったく自由のない、貧しく縛られた生活。文字を禁じられた黒人たちは、労働の中で叫び(フィールド・ハラー)やワーク・ソングを歌うことで、離れた仲間たちとコミュニケートしたといわれている。これがいわば黒人音楽の種だ。
 さらに18世紀の半ばになると、そうした厳しい生活の中から、キリスト教に入信する黒人たちが増えてきた。時には奴隷主の白人に連れて行かれた教会で、時には仲間内での秘密の集会で、自由への希望を信仰に託し、やがて白人たちが歌っていた賛美歌を吸収しながら、彼らならではのフィールド・ハラーやワークソングの表現が息づくスピリチュアル(黒人霊歌)を歌うようになっていく。
 その歌詞は、旧約聖書のエピソードに題をとったものが多い。とくにユダヤ民族の囚われと解放のストーリーに、黒人たちは自らの境遇を重ね合わせた。3千年前のヨルダン川が彼らの目の前を流れるミシシッピ川となった。事実、少なくない黒人奴隷たちが、スピリチュアルを歌いながら命を賭してミシシッピ川を渡り、逃亡を企てたのだ。
 1863年の奴隷解放後も、彼らは完全に自由にはなれなかった。比較的自由とされ、多くの黒人がめざした北部の都市にも貧困が待っていた(彼らは理不尽な人種差別にその後も長く苦しめられることになる)。こうして人々の移動がダイナミックになっていく中で、スピリチュアルのパフォーマンスが広く人気を集めるようになり、それが南部教会に集う人々を中心にして、よりダイナミックなスタイル、すなわち現在につながるゴスペルのスタイルへと発展していったのである。

 苦難の歴史の中で歌い継がれ、発展してきたゴスペル。もちろん、歌として、音楽としての楽しさがそのベースにあることは間違いないだろう。しかし、それは今、日本で暮らす日本人であるわれわれがとらえている歌の楽しさとは、ちょっと次元が違うのではないかという気がしてきた。
 しかし、その歌の凄さ、歌に込められた何か、はたしかに感じ取ることができるようにも思える。こうしてメンフィスにやってきて、さまざまな場所に出かけていくと、何かわからず感じていたものの背景が少しずつ見えてくるようにも思える。
 そう、たしかにロックンロールにもにゴスペルの血が流れている、ゴスペルのエネルギーが流れ込んでいるのだ。


アメリカ南部教会の礼拝に出席
これが本場のゴスペルだ


ここはアル・グリーンが牧師を務める教会の前
 走るバスの窓から眺めていると、メンフィスにはやたらに教会が多いことに気づく。十字架を背負う建物が次々と現れるのだ。2002年10月13日日曜日、AWANO-GUMIの一行は、そんな教会の中でもとりわけ大規模なテンプル・オブ・デリバランス教会へ向かう。ゴスペルのメッカ、メンフィスの教会の礼拝に出席して、生のゴスペルに触れるためである。
 教会は建築後間もないのか、とても美しい。ちょうど武道館のアリーナ+1階席をひとまわり小さくしたようなつくりは、まさにコンサートホールのよう。ステージを三方から取り囲むような構造だ。ステージ上はクワイアに加えてストリングス・オーケストラがスタンバイ。さらにドラムセットやギターアンプ、キーボード類なども置かれている。観客、ではない会衆のアフリカン・アメリカンの人々は正装でビシッとキメている。さらにはTVカメラのクレーンがぐいーん、ぐいーんと動いている。どうやら、この礼拝の模様は全米に中継されているらしい。
 すでに礼拝は進行していて、オーソドックスなソロとクワイアによるパフォーマンスが行われている。何回も何回も転調してキーがどんどん上がっていく。ソロの声質がまったく細くならないのに驚く。喉の底力を感じさせる。続いてパターソン主牧師のメッセージ。言葉がだんだん熱を帯び、時に歌い上げるような抑揚がつく。会場のあちこちからそれに応えるような声が上がり始める。「アーメン!」とか言葉にならないため息とか。なんだかこれすら音楽のように聞こえる。
 メッセージが終わったところで、ステージのパターソン牧師がこちらに顔を向ける。そして、会衆一同に向かってAWANO GUMIを紹介。ゲストとして満場から温かい歓迎の拍手を浴びた。さらに代表として壇上に招かれる淡野保昌氏。挨拶のリクエストだ。TVカメラのクレーンがぐっと迫る。
 予想外の挨拶にさすがの淡野先生もやや緊張の面持ち。感謝の言葉に続いて「こんな普段着ですみません」。たしかに正装の会衆でいっぱいの会堂、照明を集める壇上には少々場違いな気もするカジュアルな服装ではある。
 でも、彼らはそれほど他人の服装を気にしない、と知っているメンフィス在住のヒロさんが咄嗟に「このあとビーチに行く予定なのでこんな格好です」と通訳。もちろん、メンフィスにはマディー・ウォーターしかない。これは大いにうけた。
 その余韻を残したまま、ふたたび歌の時間。アップテンポのビートを力強く刻む演奏へ。迫力のソロとクワイア。席を立ってステップを踏む人たち。想像以上の熱気だ。音楽と礼拝が一体となっているのを実感する。残念ながら時間の都合で最後までいられずに、教会を後にしたのだが、通路に出て、エントランスを出て、だんだんサウンドが小さくなるにもかかわらず、テンションが高まっているのがわかる。あのハイテンションのビートが極まった先には、どんなピークがやってくるのだろうか。
 このほとばしる感情は彼らの信仰の表現であり、人生の支えであり、そして、かけがえのない楽しみでもあるのだろう。毎週日曜日、それぞれの教会でこんなふうにゴスペルが歌われている――それはやっぱりすごいことだ、と思う。


ミシシッピの流れを見つめて
忘れがたいふたつのシーン


メンフィス・クィーン号でミシシッピ・クルーズ
 ミシシッピ・クルージングの船上。ゆったりと流れる濁った川面。何気なく眺めていれば、とりたてて変わったところがあるわけではない。しかし、米北部ミネソタ州から大陸を縦断しメキシコ湾に注ぐ長さ3780kmのこの川は、アメリカンミュージックにとって、いわば母なる川だ。とりわけゴスペル、ジャズ、ブルース、ひいてはロックンロールの成立・発展の過程に、ミシシッピ川は密接に関わってきた。そして、その流れの要所に、ミシシッピ・デルタ近くに位置する都市メンフィスは、こうした音楽の生成をうながす重要な舞台となった(さらに1960年代の中頃には、スタックス・レーベルをはじめとして、メンフィス・サウンドと呼ばれるサザンソウルの中心地にもなっている)。
 メンフィスは南部屈指のビジネスタウンであり、全米を代表する物流の一大拠点でもある。が、少し町はずれに行けば寂れたところも多く、あまり華やかさはない。熟れたような深い緑と、広漠とした寂しさ、そして人工的なきらびやかさ。そのコントラストは日本にはないもので、非常に強烈だ。それは、数々の音楽的伝説を生んだ町の風景としてふさわしい気もするが、ほんのわずかの滞在でそんなことを思うのは100年早いだろう。ますます歌の不思議は深まる気もする。知るべきこともたくさんあるように思える。もっともっと近づいていきたい、深く入っていきたいと、濁った流れを眺めながら思う。

 帰りのメンフィス国際空港。あまりに短く、しかし濃厚な旅が終わろうとしている。搭乗時刻まで少しの余裕。ヒロ田中氏がいきなり宙を2度、3度と舞った。取り囲むAWANO GUMI。ヒロさんの深く鋭い音楽的知見、広大な守備範囲の雑学的博識、破壊的なジョークに敬意と感謝をこめての胴上げであった。
 そして、これでもうヒロさんとは会うこともないのかという感慨を込めて力強く握手。それがとんでもない間違いだったとわかったのは、その1年後のことである。



メンフィス国際空港。空港に到着したとたん、音楽漬けの日々になる予感に満たされる。

毎晩、ビール・ストリートに出かけた。2日目の夜はラム・ブギ・カフェ、最後の夜はB.B.キング・ブルース・クラブでブルースのライブを堪能。

ハートブレイク・ホテルに飾られていたエルヴィスの肖像。

グレースランド見学ツアーのチケット。
エルヴィス・アット・サン
「エルヴィス・アット・サン」エルヴィス・プレスリー(CD)
エルヴィスの最初期、サン・レーベルに残した全19曲(+日本盤ボーナス1曲)。エルヴィス登場の衝撃がここにある。「ザッツ・オールライト・ママ」や「ミステリー・トレイン」など、あらためて聴いてみると、その凄さがわかる。やはり、エルヴィスはサン時代、というファンは多い。
エルヴィス・アルティメット・ゴスペル
「エルヴィス・アルティメット・ゴスペル」エルヴィス・プレスリー(CD)
エルヴィスが歌った数々のゴスペルの中から、24曲をセレクトしたアルバム。
サン・レコード 50THアニバーサリー・コレクション
「サン・レコード 50THアニバーサリー・コレクション」V.A.(CD)
サン・レコードの設立50周年を記念して制作された2枚組アルバム。サン・レコード栄光のサウンドがコンパクトにまとめられている。
グッド・ロッキン・トゥナイト〜サン・レコード・トリビュート
「グッド・ロッキン・トゥナイト〜サン・レコード・トリビュート」V.A.(CD)
こちらもサン・レコードの創立50周年記念盤。ポール・マッカートニーの「ザット・オール・ライト」のほか、クラプトン、ディランなどさまざまなアーティストがサン・レコードのナンバーを新録している。残念ながら、現在は新品入手不可の模様。中古店で見つけたら即get!
U2 魂の叫び
「魂の叫び」U2(DVD)
これは絶対お薦めの1枚。1987年に大成功を収めたU2のヨシュア・トゥリーツアーのライブ映像を核に、ブルース、ゴスペル、初期ロックンロールの聖地であるアメリカを音楽巡礼の旅でたどる構成となっている。ニューヨーク・ハーレムでのゴスペル・クワイアとの共演に加え、メンフィスでグレースランド訪問、サン・スタジオでのレコーディング、ミシシッピ河畔に佇む姿などが収められている。まさに「U2版・源流を訪ねる旅」だ。

ミステリー・トレイン
「ミステリー・トレイン」(DVD)
ジム・ジャームッシュ監督作品。メンフィスのホテルに宿泊した3組のストレンジャーたちが体験したミステリアスな一夜を描くオムニバスドラマ3話。第1話の主演は永瀬正敏と工藤夕貴。最初に見た時は退屈したが、2度目は楽しめた。メンフィス特有のミステリアスな空気感が漂う作品。DVDは高額なので、レンタル店でどうぞ。


公民権運動博物館のパンフレットより。公民権運動のきっかけとなったモントゴメリーのバス・ボイコット運動は、ローザ・パークスという女性が、運転手の「白人優先席を空けろ」という指示に従わなかったために逮捕されたことから始まった。そのローザ・パースクさんが2005年10月24日に92歳で死去、キング牧師夫人のコレッタ・キングさんも2006年1月31日に78歳で死去した。ふたりの死去に際して、ブッシュ政権は最大級の弔辞をおくったが…。

町はずれのゴスペル専門店に出かけた時には、あたりの雰囲気が町中とはずいぶん違っていた。低所得層のアフリカン・アメリカンの人々の居住区なのだろう、階段を数段上がると玄関ドアのある南部風の家が並んでいて、ドアの外で所在なさげに立っている人をよく見かけた。

ギブソン社のギター工場に併設されたロックン・ソウル博物館。有名な学術研究機関であるスミソニアン協会の協力を得ているだけあって、非常に充実した内容だ。ヘッドホンで聴ける音の資料も多く、楽しい。

ミシシッピの郷土料理のひとつ、ナマズのフライ。ブラッケンド・キャットフィッシュという。ナマズは養殖もの。淡泊でサッパリした味だ。マッドアイランド(ミシシッピ河の中州)のレストランで。

マッドアイランドのレストランで昼食をとった時が、AWANO GUMI初の米国パフォーマンス(ただし、貸し切りのため、他の客はいない)。これを聴いていたヒロさんがずいぶん驚いたような表情だったような記憶があるのだが、真相はどうだったのだろうか?(結局、メンフィスでは人前で歌うことはなかったが、翌年のPart 2から、パフォーマンスが大胆にプランニングされるようになる)。


ゴスペルの源流を訪ねる旅 Part 1 メンフィス 全行程
2002年 DATE Time Schedule
10月11日(金) 13:30
15:50
07:45
09:50
15:54

成田空港第1ターミナル4F集合
ノースウエスト航空008便にて離陸
シアトル・タコマ国際空港到着
ノースウエスト航空988便にて離陸
メンフィス国際空港到着
ELVIS PRESLEY'S HEARTBREAK HOTELにチェックイン
夜 自由行動 バスでビール・ストリートへ
10月12日(土) 午前

昼食
午後


夕食
アル・グリーンの教会
グレースランド見学〜ウェルカムセンター
マッドアイランドのレストラン
ゴスペル・ショップ
公民権運動博物館
ロックン・ソウル博物館
ラム・ブギ・カフェ
10月13日(日) 午前

昼食
午後

夕食
サン・スタジオ
テンプル・オブ・デリバランス教会の礼拝出席
エルヴィス・プレスリーズ・メンフィスでゴスペル・ブランチ
ミシシッピ河クルーズ
ショッピング・モールへ
B.B.キング・ブルース・クラブ
10月14日(月) 09:00
11:40
14:25
ノースウエスト航空983便にて出発
シアトル・タコマ国際空港到着
ノースウエスト航空007便に乗り換え
10月15日(火) 16:55 成田空港帰着