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| photos by Chiharu (thanks!) |
| 昨年のメンフィスに続いてPart 2となった「ゴスペルの源流を訪ねる旅」、今回の目的地はニューオーリンズ。 日程も1日延びて、参加人数も60名に増えた。 現地で手ぐすねを引いて待ち構えるのは、 昨年、淡野保昌氏と熾烈なギャグ競争を繰り広げたコーディネーター・ヒロ田中氏。 さらにディープにパワーアップ、ヒートアップする旅の予感…。 |
| ニューオーリンズのフェスティバルで歌う!? 不安と期待を胸に旅立つAWANO GUMI 60名 総勢60名のAWANO GUMIメンバーは、不安と期待を胸に秘め、成田空港を飛び立った。というのも、「淡野保昌プロデュース ゴスペルの源流を訪ねる旅 Part2」となる今回の旅は、なんとニューオーリンズで開催されるゴスペル・フェスティバルへの出演がプランニングされていたからである。 ゴスペルの本場でゴスペルを歌う、というプレッシャーを想像できるだろうか。ゴスペルが大好きで、淡野保昌氏が指導する各地のゴスペル・クラスで歌っている、大半はそんなメンバーだから、アメリカの観衆の前で歌うなんてまったく想定の範囲外だ。まして、ジャズを生み、ゴスペルを育み、ほかにもさまざまに豊かな音楽を開花させたニューオーリンズである。観客の耳だって肥えているに違いない。正直な観客だからブーイングを浴びせるかもしれない。そもそも日本のゴスペル・クワイアがアメリカでパフォーマンスを行うこと自体、きわめて珍しいことのはずだ。気分はアウェーでの厳しい試合に臨む日本代表であった――。 だが、先に結論をいってしまえば、こうしたパフォーマンスを通じて、AWANO GUMIはかけがえのない「ニューオーリンズ体験」「ゴスペル体験」を得ることができたのだった。実際にはフェスティバルのステージにとどまらず、さまざまな場所でパフォーマンスを行ったAWANO GUMI。そのハプニングとサプライズの連続は、AWANO GUMIメンバーの頭と心をグラグラと揺さぶった。2003年10月。あのニューオーリンズの濃密な空気、圧倒的な熱気は今でもまざまざと思い出すことができる。 さまざまな文化が、音楽が混じり合う 特別な街、ニューオーリンズ 10月も半ばだというのに、汗ばむほどの陽気。ニューオーリンズは亜熱帯性気候に属しているから、沖縄みたいなものだと思えばいいとガイドブックに書いてあった。フレンチ・クオーターと呼ばれる旧市街を歩いていくと、装飾的な細工が施された鉄製のバルコニーやアンティークな街灯が続くのに気付く。まるでヨーロッパの町並みのよう。それは、フランスやスペインの植民地だった頃の文化が色濃く残されているからだ。さらに奴隷として強制的に連れてこられた黒人たちの故郷であるアフリカ文化、カリブ海の文化も混ざり合っている。 さまざまな文化が混じり合った異国情緒豊かな港町(それは豊かな音楽を生み出す要因のひとつでもあった――シカゴを舞台にした映画『ブルース・ブラザース』の続編として18年後に制作された『ブルース・ブラザース2000』で、シカゴからニューオーリンズまでバンドが導かれていったのは非常に示唆的である。そしてそこで描かれたブードゥ的魔境もアメリカ人が見るニューオーリンズのイメージのひとつとして興味深い)。つまり、アメリカの都市の中でもかなり特異な、特別な場所なのである。
ここで毎年開催されているのが、リジョイシン・イン・ザ・パーク・ゴスペル・フェスティバルである。このフェスティバルは、エベニーザー・バプテスト教会の牧師であり、マヘリア・ジャクソン・ゴスペル・ミュージッククワイアのディレクターでもあるロイス・デジャンさんが、彼女の主宰するY.I.C.I.(青少年ゴスペルプログラム)の活動の一環として開催しているもの。2003年で16回目を迎えるこのフェスティバルに、AWANO GUMIは2日間で2回のステージに立つことになっている。 ゴスペル・フェスティバルで 初めてのパフォーマンス フェスティバルに集う人々が熱い視線を向ける集団。艶やかな色とりどりの浴衣、勇まし気な鳶火消しの半纏、半被、作務衣などなど。こんな集団は、おそらく日本であっても注目を集めるはず。ましてここはニューオーリンズだ。見る人たちの目がまん丸、口があんぐり開くのがおかしいが、それもムリはない。 そんなAWANO GUMIがステージ上に並ぶ。さすがに緊張した固い表情が隠せない。デジャン師が観客にAWANO GUMIを紹介してくれる。淡野氏の挨拶を通訳するコーディネーター、ヒロ田中氏。ときおり軽快なジョークを挟み込んでいるみたいで、観客がどっと沸く。悲しいことに大半のAWANO GUMIは理解できず、緊張したままぎこちなく微笑むだけ。そして、いよいよ。淡野氏がAWANO GUMI全体を見渡し、指揮の両手を挙げる。 アカペラで古いスピリチュアルの『Come By Here』。歌い始めたとたん、どよめきのような歓声が上がった。思いもよらない好反応だ。歌が進むにつれ、歌詞と音にダイレクトに反応して、あちこちから声が上がり、拳が挙がり、拍手が打たれる。後半、ソプラノが「♪I can't do nothing till You come〜」と入ってくるくだりでは、いっせいに大きな歓声が上がった。
続いては、平和への願いと祈りを込めて歌う喜納昌吉のナンバー『花』をピアノの伴奏で。歌詞が日本語のためか、1曲目のようなダイレクトな反応はないが、観客は大きなリズムに体を揺らしながら聴き入っている。 温かい拍手に送られてステージを降りるAWANO GUMIのメンバーたち。上気した顔を見合わる。この思いがなかなか言葉にならなくてもどかしい。 ジャズ・カフェでもストリートでも 歌ってしまうAWANO GUMI! こうしてリジョイシン・イン・ザ・パーク・ゴスペル・フェスティバルの初日に出演を果たしたAWANO GUMIだったが、その日のパフォーマンスはそれで終わらなかった。 その日の夕食はパーム・コート・ジャズ・カフェで、ジャズ・バンドの演奏を聴きながらゆったり、まったりするはすが…
この店には白人の観光客が多くて、昼間とはまたずいぶん雰囲気が違う。店内はほぼ満席。みんなすぐ近くにいて、まっすぐの視線を向けてくるというのも緊張感を高める大きな要因だ。でも、昼間の体験が、AWANO GUMIに少し自信をくれたのかもしれない。アカペラの第一声で、テーブル席のあちこちから感嘆のため息が漏れるのがわかる。そして、昼間と同じ2曲を披露。 席に戻りながら、「『花』を聴きながら涙ぐんでいる人がいた」と思わず目頭を押さえるS氏。そんなS氏の表情に、こちらも涙腺がウルウルしてくる。が、しんみりしているヒマはない。次の瞬間には、バンドの演奏する「聖者の行進」にのって、ナプキンふりふり店内を延々大行進。底抜けに明るい。帰り際、ジャズ・バンドのリーダー、トランペットのチャーリー・ミラー氏に『花』の楽譜をプレゼントすると、お返しに2枚のCDをくれた。なんだか申し訳ない気分だが、ほろ酔いなのでOKだ。 翌日の午前中は、フレンチ・クオーターを散策したり、ニューオーリンズ・ジャズ・ミュージアムを訪れたり。その後、昼食への移動途中、セント・ルイス大聖堂前でヒロさんの爆弾提案が炸裂した。 「えー、ここで若干の時間的余裕があります。この場所でハプニング・パフォーマンスというのはどうでしょうか?」 セント・ルイス大聖堂はカトリックのカセドラル。その堂々たる偉容のファザードはステージの背景としては申し分ないが、大勢の観光客が行き交う路上でもある。 「んー、じゃ1曲だけ」
その会場で、昨夜のジャズ・バンドのミラー氏の顔を見かけたときは驚いた。それもAWANO GUMIが出演すると聞いて、そのためにやってきてくれたのだという。なんでも、かつてライブ・ツアーで来日したこともあったそうなのだ。Fukuoka、Okayama―― この日のステージでは、昨日の2曲に『Down By The Riverside』も加えた全3曲を歌う。これが基本的にはAWANO GUMIの全レパートリー。そして、ニューオーリンズで、アメリカで歌うのはこれが最後なんだと、一瞬一瞬に思いの丈を注ぎ込むように歌う。最後の歌詞、no more――が空間に消えていく。重なる拍手と歓声。完全燃焼のAWANO GUMI。 たしかに予定ではこれで終わりだった。ところが、とんでもなかった。no moreではなかった。AWANO GUMIの行く先には、まだまだ驚くような体験が待ち受けていたのである。 バーボン・ストリートの祝祭的な喧噪と 静けさの中に建つプランテーション・ハウス
人いきれに酔い、南部料理とビールとニューオーリンズ土産でお腹いっぱいになってホテルに帰り、ベッドでウトウトしていたら電話が鳴った。テレビを見よと焦り気味の短い指令。なんだなんだとスイッチを入れれば、ブラウン管に現れたのはジャパニーズ・コスチュームに身を包んでゴスペルを歌う集団だ。見覚えのある顔が映っている! いや、これはまぎれもなくAWANO GUMI。地元のTVニュースが取り上げているのである。なんだかとんでもないことになっているようだ。 興奮しているのか時差ボケか、いよいよ眠れなくなってきた頭の中に、昼間行ったデストハレンの光景がよみがえってくる―― かつて、黒人奴隷たちがドラムを叩いて踊ることが許されたアメリカ唯一の場所だったといわれているコンゴ・スクエア。そこからブラスバンドスタイルのニューオーリンズ・ジャズが誕生したのは――つまりジャズという音楽が産声を上げたのは――、1890〜1900年代初め頃のことだった(今から100年ちょっと前のことだから、そんなに大昔のことではない)。それ以前の記録はほとんど残っていないが、黒人音楽の源流はさらに歴史をさかのぼることができる。 それを体感できるのがプランテーション(大農場)だ。フレンチクオーターから車で30分ほど行ったところにあるデストハレン。このフレンチ・コロニアル様式を主体とした大邸宅と広大な敷地は、18世紀末から19世紀にかけての大農場経営者一家の贅沢な暮らしぶりをしのばせる。
そんな彼らは、フィールド・ハラー(叫び)やワーク・ソングを歌って、離れた仲間たちとコミュニケートした。あるいは仕事の苦しさを紛らわせた。これがいわば黒人音楽の種となる。 やがて厳しい生活の中から、キリスト教に入信する黒人たちが増えてくる。自由への希望を信仰に託し、白人たちの賛美歌を吸収しながら、彼らならではの表現が息づくスピリチュアル(黒人霊歌)が歌い継がれていく。彼らは旧約聖書のユダヤ民族の囚われと解放のストーリーに自分たちの境遇を重ね合わせて歌詞を歌った。3千年前のヨルダン川が目の前を流れるミシシッピ川となった。事実、少なくない黒人奴隷たちが、スピリチュアルを歌いながら命を賭してこの川を渡り、逃亡を企てたのである。 街の喧噪から遠く離れたミシシッピ川沿いに今は静かに眠るようなプランテーション・ハウス。プランテーション・ハウスの多くは、南北戦争の時に焼き払われたという。奴隷たちはその炎をどんな思いで見ていたのだろうか。 ひたすら圧倒的な礼拝でのゴスペル 夕食会でデジャン師とのひととき
そこには、まるであの映画『ブルース・ブラザース』でJ.B.が演じた牧師をさらにパワフルにしたような牧師がいた。 メッセージの語りが自然に歌になる。その歌がまたただモノではない。簡単にいえば、メチャクチャうまいのだ。いつのまにか生バンドの演奏が大きくなってくる。チョッパーベースが跳ね、オルガンがうなり、管が歌い、コーラスが出入りする。凄まじいグルーブの中で礼拝が進んでいく。祈りとグルーブが一体となって熱を帯びる。 そのうちに、日本からやってきたゴスペル・クワイアとして会衆に紹介された。起立してとまどいがちに拍手に応える。と、そのまま壇上に招き導かれた。 なんと、ここでもAWANO GUMIはパフォーマンスを披露することになったのである。教会の礼拝でゴスペルを歌う――ちょっと畏れ多い思いに圧倒される体験となった。
バスに乗り込む前に、大きな壁画の前で記念撮影。 夜は、デジャンさんが専任牧師を務めるエベニーザー・バプテスト教会の夕拝に出席する。夜ということもあってか、これがほんとうに凄まじかった。 バンドからはハイテンポのビートが叩き出され、次々に歌が歌われる。コール&レスポンスの応酬。超高速のハンドクラッピング。うねりはい上がるようなオルガン。どこまで速くなる、どこまで続くという感じ。やがて通路でステップを踏んでいた信者が失神して担ぎ出される。唖然とするばかりのハイテンション。次第にこちらも頭がぼーっとしてくる。 まさかと思ったが、ここでもそんな中で壇上に招かれた。高い壇上から、両手を高く掲げて揺れる信者たちと相対して歌う。夢の中の光景のようだ。会堂に充満する熱気。このあふれんばかりのエネルギーはいったい何なのだろう。 教会を出ると誰もがほとんど放心状態になっていた。足元すらおぼつかない。 おぼつかない足取りで、由緒ある五つ星レストラン「アーノルズ」へ。迷路のように入り組んだ廊下をふらふらと進んでいったら、最後に60〜70人が入るような(7〜8人が座れる丸いテーブルが10卓ほどの)長細い部屋に着いた。天井もやけに高く、クラシカルなホテルのホールのようである(そんな広めの小部屋がたくさんあるようだ)。 ここでデジャン師たちとニューオーリンズ最後のディナーをともにする。 「クリスチャンでもない私たちが(AWANO GUMIは数名を除いてほとんどがノンクリスチャンである)、ゴスペルを歌っていてもいいものなのでしょうか」 Nさんがデジャン師に訊ねた。考えようによってはずいぶん思い切った質問だ。というのも、彼女たちにとってゴスペルは祈りであり、信仰そのものといっていいはずだからだ。それはたしかに音楽としての楽しみでもあるかもしれない。サウンドのもたらす喜びもあるかもしれない。しかし、その歌詞が信仰にもとづくものでなければ、それはゴスペルではなくなるのである。このことは少なくともアメリカで歌を聴く人々にとっては厳然たる事実だ。とくに牧師という聖職者にあるデジャン師にとって「ゴスペル=信仰から生まれる表現」は揺るぎなく自明の理なのではないか。信仰がないのにゴスペルを歌うなんて、信じられない! 絶対ダメ! といって席を立ってもおかしくないのではないか。 むろん、私たちには私たちなりにゴスペル(やさまざまな音楽)に対する愛情があり、歌う誇りも持っているつもりだが、でも、さっきのような凄まじい音楽との関わり方をまのあたりにすると、もはや何がなんだかわからなくなってしまう。 固唾を飲んで、テーブルを囲んだメンバーがデジャン師の答えを待つ。 デジャン師は、微笑みながら静かにこう言った。 「まず、あなたがたがクリスチャンであるかどうかということが問題なのではありません。いかにうまく歌うかでもありません。ゴスペルは技法ではなく、自由に歌えるかどうか、日々の生活の中にどう活きているかが重要なのです。そうでなければ、聴く人の心に入っていくことはできません。あなた方の歌った『Come By Here』。あの古いスピリチュアルは、私たちをベーシックなところに戻してくれました」 あとで聞いたところによると、デジャンさんはAWANO GUMIが日本で「趣味として」ゴスペルを歌っているということをわかった上で、受け入れてくれたのだそうだ。それもフェスティバルのステージに上げてくれたことに加えて、教会の礼拝でも歌わせてくれたのである。AWANO GUMIの歌は、たしかに彼女たちの心の中に受け入れられた。いや、ニューオーリンズの人々が、子どもたちが、観光客が、みんなAWANO GUMIの歌に真正面から向き合い、喝采をくれたのだ(われわれのバスのドライバー氏も教会でのAWANO GUMIの歌に涙を流しながら耳を傾けていた。)。 これは鳥肌の立つくらいの喜びだけど、一方で、あの圧倒的なエネルギーっていったい何だろうという思いもある。歌っていったい何なんだ? あの感動はどこから来るものなんだ? 根源的なテーマに揺さぶられる。その謎に少しでも迫りたいと思う。 AWANO GUMIのずっしりした思いを乗せて、ジェット機が重そうに機首を上げていく。 帰着した成田空港の喫煙所で、長旅の疲れをものともせず、淡野氏の最後のジョークが炸裂した。 「来年はシカゴだ。4月か5月だな」 (えっ!? 10月じゃないの?) 「シカゴだけに4か5」 しばしAWANO GUMIが大混乱に陥ったのはいうまでもない。 |
テネシー・ウィリアムズの同名戯曲を映画化した古典的名作(1951年)。主演はビビアン・リー、マーロン・ブランド。ニューオーリンズ市内観光で路面電車とくれば必ずこの作品の名前が出てくるほど有名。
ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドによるブラック・ミュージック満載の映画「ブルース・ブラザース」、20年ぶりの続編。一般に傑作といわれる「ブルース・ブラザーズ」より評価は低いが、見どころ、聴きどころは多い。しかし、先に前作を見た方が楽しめる(前作を伏線としたギャグが多い)。 ニューオーリンズのダウンタウンにあるエベニーザー・バプテスト教会の専任牧師。スラム地区の貧しい人々の救済活動に加え、ティーンズをドラッグ禍から救い出すための活動としてY.I.C.I.(青少年ゴスペルプログラム)を二十年近く継続してきた。リジョイシン・イン・ザ・パーク・ゴスペル・フェスティバルの開催もその活動の一環。マヘリア・ジャクソン・ゴスペル・ミュージック・クワイアの創始者、ディレクターでもある。ニューオーリンズにおけるゴスペル・シーンの中心的存在として指導的役割を担っている。
ニューオーリンズの音楽、ニューオーリンズのビートを知るために欠かせない1枚。ニューオーリンズ音楽の名曲をドクター・ジョンが再演した1972年の名盤だ。いろんな音楽の響きがまさに混然となって溶け込んでいる。聴けば聴くほど味が出る。あのダミ声とコロコロ転がるピアノがクセになる。ドクター・ジョン自身による各曲解説がライナーノートに記されている(現行盤に付いているかどうかは未確認)。ちなみにドクター・ジョンという名前は、ニューオーリンズ伝説のブードゥー呪術師からとったもの。また、次作の「イン・ザ・ライト・プレイス」も楽しめる傑作。なにしろプロデュースがアラン・トゥーサン、バックを務めるのがザ・ミーターズ。強力である。
ニューオーリンズ独特のビートが生きるセカンドライン・ファンクに、アフリカンやカリビアンの要素を融合させ、スケールが大きく、深く、なおかつ躍動的な音楽を作り上げた(1989年の作品)。ニューオーリンズの音響空間・音場の魔術師、ダニエル・ラノワがプロデューサー。ラノワの果たした役割も非常に大きい。歌詞のメッセージも先鋭的だ。
ガイドの美貴さんが、ここで以前起きた事件の話をしてくれた。ある女性が、自分の夫をバイユーの奥に置き去りにしたのだという。数日後、探しに行ったが…見つからなかった、という結末だったか、あまりの恐ろしさに最後はよく覚えていない。バスの隣の席に座る妻との間の空気が一気にひんやりする。
専任牧師はロイス・デジャン師。市指定歴史的建造物というからかなり年季が入っている。とはいえ、かなり質素な雰囲気。アメリカにはとても立派な教会が多いが、それはお金持ちの信者たちの多額の寄付など、潤沢な資金があってのこと。ここではなかなかそういうわけにはいかないのだろう。それでも熱心な信者たちで会堂は満席になる。 |
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