| |
|||||||||||
| |
|||||||||||
Vol.6 Back to NOLA. October, 2007 May 2, 2008 |
|||||||||||
はじめに この旅の「まとめ」を5ヶ月以上経過した今書いていることを心苦しく思い、もしこのつたない寄稿を期待していた人々がいたならこの紙幅をお借りして深くお詫びする。 「ゴスペルの源流を訪ねる旅」の4回目にニューオーリンズ(New Orleans, Louisiana. 以下NOLAと略) を選んだ意図と期待と感想は、はじめてこの土地を訪れることを希望した人々と再訪を選んだ人々により異なるだろう。 後者の大半は淡野保昌先生をはじめ、ニューオーリンズ救援活動(New Orleans Relief Project. 以下NRPと略)にさまざまなかたちで積極的に関わって来た人々。そして、前者の多くはなんらかの機会で、または、NRPメンバーたちの意義深い諸活動を通じて2005年8月末にNOLA地域を中心とするメキシコ湾岸諸都市を崩壊させたハリケーン・カトリーナによる米国自然災害史上最大最悪の被災を知った人々だろうか。 エピローグ: 2007年10月 NOLAの3日間 「ゴスペルの源流を訪ねる旅」のリーダー、淡野保昌先生とは年に一度ながら旅をご一緒させていただくのは4年目である。性懲りもなく、第1回の訪メンフィスから第4回のNOLA再訪まで通して参加したモサも少なくない。 NOLA再訪は複雑な想いが織り込まれながら永くぼくの記憶に残るものとなった。 企画内容を練る段階から旅が終わり現地を後にするまでこの複雑な想いは残り、空港で淡野組の人々と別れ、戻るべき所へ向いひとりになったときはある種の空しさと寂寥感が加わり胸を塞いだ。 シャーロット空港から自宅へ戻る車中でぼくの携帯電話が鳴った。彼らと別れてからまだ3時間くらいしか経っていない。日曜礼拝のゲスト・パフォーマンスでお世話になったセント・ポール教会のジュディー・ダイソン牧師からだった(ぼくたちは今回、前例にない、1日3回の日曜礼拝パフォーマンスを行った)。
あの教会は幸いにして大破を免れたが、牧師をはじめ信者のほとんどどは住む家、そして少なからずは愛する人たちをハリケーン・カトリーナによって失った人々であり、同朝にパフォーマンスを快く許可してくれたディラード大学ローレス・メモリアル・チャペルのゲイル・ボウマン牧師と信者学生たち、そして彼らの家族もまた同じ苦境に置かれた人々であることは言うまでもない(カトリーナによる死者数約1,850人。行方不明を含まず。FEMA2005年10月調べ)。 2年余前の夏にNOLAをはじめとするメキシコ湾岸の主要都市を総ナメにした合衆国最大にして最悪のハリケーン・カトリーナによる災害に喘ぐNOLAエリアの住民が政府の遅延・緩慢対策に失望を抱き続ける事実は、被災後の2年半を経過した現在も変わっていない。 コンゴ広場の淡野組 5フィート4インチ足らずのコンパクトなロイス・デジャン師が想いを込めてステージ上に整列した淡野組を聴衆に紹介し、NRPメンバーの支援活動について感情を込めて説明する。淡野先生からデジャン師に第2次支援金5000ドルが手渡され、中核メンバーの山下美保子さん(みほ姐)から自身手製のNRPバナーが手渡される。このバナーは救援活動開始以来すべてのチャリティー・コンサートやフリーマーケットに掲示された、NRPのシンボル・マーク的存在である。 事前の打ち合わせはなかったが、パフォーマンス開始前にぼくは僭越ながら広場の聴衆に20秒間の黙祷を提案させていただいた。カトリーナによって落命した人々への冥福とすべての家財や職を失った人々への悔やみ、復興への努力を続ける人々へ敬意を込めた黙祷だった。
メンバーをステージ上に導いた後のぼくには、不安や思惑はなかった。彼らのスキル・レベルには疑問符なし、言語バリアーは承知の上。ただ想いを歌に託すだけ。ナンバー数曲を歌い終えた淡野組への聴衆の喝采を聴きながら、ぼくは歌う側と聴く側のスピリチュアリティーの共有を強く感じて鳥肌が立った。 エベニーザー・バプティスト教会の淡野組 日曜礼拝の夕べに招かれたエベニーザー・バプティスト教会で淡野組の人々はどう感じたのだろう? 2年前のカトリーナ襲来前にこの教会を訪れたメンバーの目には、被災前と被災後のその佇まいが異なることが分かったかと思う。もともと低所得層のアフリカ系アメリカ人が住む地域のために建てられた教会だから信者の99%以上はアフリカン・アメリカンである。貧民住宅地域のど真ん中の教会だから周囲には小奇麗に刈り取られた芝生はなく、礼拝者たちのための駐車場なども確保されていないから先着順の道路際駐車が常である。
ハリケーン・カトリーナがフロリダ半島近辺から北西に向って進路を変え、メキシコ湾に面するアラバマ、ルイジアナ、ミシシッピ湾岸エリアに接近する途上でレベル5以上の破壊力に発達した。NOLA地域住民に対し連邦政府、州政府およびNOLA市庁から避難勧告が出令された直後、NOLAエリアの水難を防止するはずの大堤防の崩壊を察知し、避難勧告を避難命令に切り替えたえたのは2005年8月28日。 限定された短い避難時間内であらかじめ親類、知人などへの避難先があった人々は幸いだった。政府が指定した近接州の公共避難センターへ避難するしかなかった人々はハイウェイ、フリーウェイの想像を絶する何10マイルにもわたる完全デッド状態を強いられた。進路を変えたくても変えられない。折りしも8月下旬のルイジアナ南部の酷暑と湿気も想像を絶する。 それぞれの理由で避難命令が発令された後も、NOLA市内に留まった人々の多くと家財が堤防破壊による大洪水に呑まれた。その中には避難場所に指定された学校内になだれ込んだ洪水から逃げられず溺死した人々がいる。ごく一部地域を除いて市全体が数メートル高冠水し、数週間にわたって汚染された泥水が引かなかった。逃げ場を失って命を落としたのは人命だけではない。彼らのファミリー・メンバーであった猫、犬を含むペットたちも泥まみれの洪水に呑まれてしまった。 なぜNOLAに戻れない? 翌年1月末にNRP諸君が集めてくれた第1次救援金5,000ドルを携えてNOLAに戻ったときは、最も被害が大きかった地域には住民が戻っていなかった。見渡す限り住宅地域はゴーストタウンになり、無法地帯と化したそこでは人っ子ひとり見かけなかった。この有様はGREETING FROM USAコーナーを読んでもらえば分かるのでここでは反復しない。 で、あれから3年余り経過したエベニーザー教会の日曜礼拝者が少ないのはなぜだろう? かんたんに言えばこういうことだ。 「帰還許可」が出されてもNOLAに戻れない。戻っても住む所がない。見つからない。簡易住宅は根こそぎ洪水に押し潰されたか、押し流されて元の位置にない。事実、ぼく自身の目で元の位置から数10メートル、あるいはそれ以上の遠くへ流されてしまった多くの家屋を見ている。よしんば残っていても天井の上まで冠水し、折からのルイジアナの典型的な長い夏と極端な湿気で人体に有害な厚い苔が悪臭を放ちながらこびり付いている。 初回NOLA訪問の際にすばらしいガイドをしてくれ、友だちになってくれた美貴ローボックのファミリーはさらに酷い苦境に置かれた。完全冠水で住めなくなってしまった家は美貴さんがカトリーナ被災直前に独立し、三日月コネクションと名付けた自宅兼新オフィスとして購入したものだった。 彼女たちもまた例に漏れなく政府が指定した他州の被災者センターを転々とさせられた後、やむなく夫君の実家があるシカゴへ向って北上し、彼の両親と暫時同居を強いられた。小学生のご子息もまた通い慣れた学校を失い、友だちとも離れ離れになってしまった。しばらくはNOLAにツーリズム・ビジネスが戻ってくる見通しはないから、美貴さんは住み慣れないシカゴで新しい仕事を見つけなければならなかった。彼女が数年間在籍していたツアー・オペレーション社は被災数ヵ月後に閉業した。 なんとか仮住まいのアパートや借家を見つけても、家賃は被災前の倍近くあるいはそれ以上に高騰している。
住民たちは戻って来ても生活の糧を得る仕事が見つからない。運良く仕事にありつけても高給ポジションなどありえない。稼ぎのほとんどは家賃の支払いで消える。 住むところを失った多くの人々に政府が約束したトレーラー・ハウスはどうなったか? 申請した過半数の住民はあれから3年以上も経過した今なお約束不履行に絶望している。住民たちの憤懣やるかたない理由は政府の約束不履行だけでは決してなく、台風カトリーナによる洪水であり、政府の制御外である自然災害(アクト・オブ・ゴッド)の結果として逃げを試みる政府のエグイ姿勢だった。市を洪水から守るための大堤防崩壊の恐れはふた昔前から分かっていたことである。未曾有の被害を受け、多くの人命を失わせしめた原因は洪水にビクともしない堤防を作っておかなかったエンジニアリングの問題。そして最も政府の責任が問われるべきことは、その結果として起きた多くの被災者たちの救援対応に極めて緩慢だったことである。 NOLAっ子がいないNOLA 被災から2年後の晩春にNOLAへ戻り2日間を過ごした。 大した肯定的変化は見かけられない。辛うじて冠水を免れたダウンタウン・エリアとフレンチ・クオーターを歩き回り、さまざまな仕事に従事する人々や通行人たちに同じような質問を繰り返した。ほとんどの人たちはNOLAでもルイジアナ住民でもなかった。他都市、他州、そして他国から移住して来た人々だった。典型的なルイジアナ訛りで喋る人たちは多くなかったことが胸を締め付けた。必要以上にタクシーを使ったのは運転手たちから話を聞きたかったから。運転手たちはアフリカ大陸からの移民だった。象牙海岸、ガーナやエジプト出身の運転手もいた。合計8回のタクシー使用だったが、ルイジアナ人はひとりも居なかった。数件のレストランやバーへも足を踏み入れた。話を交わしたウェイター、ウェイトレスやマネージャーたちもまた他州から移ってきた人たちだった。 NOLA人口の85%以上がハリケーン・カトリーナ襲来で住み慣れたこの地を後にせざるのやむなきに至った悲劇。美貴さん家族を含め、NOLAに帰って来たくても帰れない理由と事実に嘆息せざるを得ない。
NOLAの明日と美しい人間たち 政府の極めて醜い責任転嫁と救援対応のスローモーさに呆れ果て、怒りを抱いた多くの知識人やセレブリティーたちが行動を起こした。多くの有名レコーディング・アーティストやミュージシャンがさまざまな時間と空間を使って募金イベントやチャリティー・コンサートを開催し、募金活動を展開したことはあまねく世界中のニュースなどで広く知られている。 ブラッド・ピットは美しい人間だ。脱帽する。 週刊誌PeopleのThe Sexiest Man Aliveにダンゼル・ワシントンとともに選ばれたのは同慶の至りだが、俳優としての質や私生活のゴシップなどにはあまり興味がない。脱帽の理由は2006年12月に彼自身が組織、発足させたMIR(Make It Right=正しくすること/マトモにやること)運動プロジェクトである。 かんたんに言えば、カトリーナ災害がいちばん酷かったNOLAの下層第9区(L9W=Lower 9th Wardと略されている)に150家屋を建設する計画の実施に踏み切ったこと。オーガナイザーとして自身のポケットから500万ドルを投じ、有志たちにマッチアップの500万ドル寄付のチャレンジ呼びかけをする一方、国際的な基金ネットワークを展開。設計陣に欧州の建設デザイン・グループを招聘。 今月現在、ゴールである150家屋のうち81家屋が建設完了。引き続きあらゆる機会を利用して関心を寄せる国内外の企業に理解とサポートをアピールしている。多忙なスケジュールを調整しつつ何度もNOLAを訪れてプロジェクト創始者、オーガナイザーの責務を積極的に果している。ゴール到達まで彼の活動ディテールをマス・メディアが追っていくだろう。 ポンと大金を寄付する有名人や企業の中には善意や慈善心だけではなく、パブリシティー=売名とか企業イメージや税金対策の目的とすることが多い。ゆえに、ほとんどといっていいほどその後のトラッキングやフォローアップをしない例が多い。想いやスピリットがこもっていない慈善は偽善行為でしかない。 MIR組成の理由を訊ねられたブラッド・ピットは「自分の子供たちに同じことが起きたらどうなるか?」と考えたという。彼の爪の垢を煎じて飲むべき大金持ちや大企業はゴマンといる。だから彼に脱帽する。彼の活動に興味がある向きはhttp://www.makeitrightnola.org をチェックされたい。 おわりに NOLA再訪プログラムのなかで、当初主宰側が計画していた外国からのゲスト・クワイアーが来られなくなったことや再オープンしているはずのセンターやストアが休業、閉業していたことなどで失望された参加者がいたと思う。遅れ馳せながらこの紙幅をお借りしてお詫びする。 淡野組が日本を離れる直前にレパートリーにはなかった一曲、「ア・コンチ・マニ・イエス」を急遽加えるリクエストを快く承諾してくれた淡野先生と参加者全員に感謝する。このセイクレッド・ナンバーをNOLAのアフリカン・アメリカンの聴衆に歌ってもらいたかった。 ロイス・デジャン師の広報で、土曜日午後のコンゴ広場ステージ近くにルイジアナ日本領事館総領事が週末の時間を割いてあいさつに来てくれた。そして、その日、淡野組のパフォーマンスを聴いてくれた市内のとあるバプティスト教会の牧師が翌朝の礼拝時に飛び込みパフォーマンスに招いてくれたこと。淡野組のロード・マネージャーよろしくぼくは「ご招待はとてもうれしいが、すでに先約ゲスト・パフォーマンスが三つ入っていますので、次の機会にぜひ」などと言ったものだ。 PCデスク上に去年の10月から小さなカードが広げられ立っている。 NOLA空港の出国ゲートの列に並んで番を待つ淡野組・NRPメンバーがお別れ前に手渡してくれたカードである。お礼メッセージの終わりに、滞在数日間に交わした、救いがたい質のジョーク、ギャグ・マッチにトドメを刺す冴えた一行。 「本当にアリゲーターございました」 これはコタエル、クロコダイル。参った。 空港の別れは夜でも朝まだきでも切ない。 ゲートの遥か向こうの何人かと投げキスの交換があり、手を振り合い、そして最後のひとりが人ごみの中に消え去ってからぼくはゆっくりゲートを離れ、ぼくのフライト離陸までの約2時間を潰すべく空港ロビー内のコーヒー・スタンドに座る。いただいたカードをもう一度読み直しながら涙腺がまたひとつ緩んでいることを認めた。 ご静読に感謝する。 From Charlotte with love,Hiro |
|||||||||||