「ゴスペルの源流を訪ねる旅」Part 3の目的地はアメリカ第3の大都市、シカゴである。
Part 1のメンフィス、Part 2のニューオーリンズは、ミシシッピの豊かな流れを抱くアメリカ南部の町だった。
3年目は、そこからはるかに離れた北部の大都市へ。
林立する摩天楼、ミシガン湖から吹きつける冷たい風――なにもかもが南部とは違うように思える。
AWANO GUMIの「ゴスペルの源流を訪ねる旅」3部作ははどんな締めくくりを迎えるのか。


摩天楼発祥の地、近代建築の宝庫
かつてギャングが暗躍した都市


 「ゴスペルの源流を訪ねる旅」三部作のフィナーレはシカゴだ。プロデューサー淡野保昌氏はこのツアーを初めて構想した時点で、すでに締めくくりはシカゴと心に決めていたという。PART 1のメンフィス、PART 2のニューオーリンズ――ミシシッピの豊かな流れを抱くアメリカ南部の都市から、はるかに離れた北部の大都市へ(3都市の緯度をムリヤリ日本にあてはめてみると、ニューオーリンズは屋久島、メンフィスは京都、そしてシカゴは函館に相当する)。
 一年前の同じ時期、ニューオーリンズでは、Tシャツとショートパンツで街を歩いていた。ところがシカゴは最低気温が摂氏0度前後。しかも、別名ウィンディ・シティといわれるほどで、非常に風が強い。陽の差す日中はさほどでもないが、早朝は身を切るような寒さだ。吐く息は白く、顔は痛いほど冷たい。

短い秋のこの時期、街には意外にも花があふれていた・
なんでも市長の親戚に花屋がいるとか
 その冷たい風は、街の東側に海のように広がるミシガン湖からもたらされるものだが、林立する摩天楼の隙間を通り過ぎながらさらに勢いを増すようにも思える。見上げる摩天楼、19世紀末から次々と建築された高層ビル群は、その時期、その時期の最先端のデザインを誇らしげに主張している。ニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐアメリカ第三の都市シカゴは、摩天楼発祥の地、近代建築の宝庫でもあるのだ。
 その中心地の一角、老舗デパートなどが建ち並ぶショッピング街には高級ブランドショップがきらびやかに軒を連ねている。通称マグニフィセント・マイル。現地ツアーガイドのミツコさんが声のトーンを一段と上げて「魅惑の1マイル」と連呼するたびに、「ゴスペルの源流」を訪ねに来たはずのわれわれは脱力しつつも、まぶしげなまなざしを隠すことができない。柔らかそうなサスペンションを沈ませながら通りを駆けていくバカでかいタクシーの群れを眺めていると、映画『ブルース・ブラザース』で繰り広げられたド派手なカーチェイスを思い出す。むき出しの鉄骨で支えられたどこか暴力的な匂いのする高架鉄道もそのまま。暴力的といえば、いい感じに古びたバーやクラブは、禁酒法時代のギャングのボス、アル・カポネの大暴れも知っていそうだ。
 それにしても、なぜ、ゴスペルの源流を訪ねる旅の締めくくりがこのシカゴなのか。それは摩天楼ひしめくシカゴの奥深くをめぐるにつれて、次第に明らかになっていく…はずである。


シカゴ・マス・クワイアの
リハーサルを訪ねていく


 今回のツアープログラム最大のハイライトと目されていたのが、シカゴ・マス・クワイアとの交歓だった。この3回にわたるツアーを通じてコーディネートを担ったヒロ田中氏が、冷や汗を流しつつ(?)実現に漕ぎ着けたスペシャルイベントである。
 シカゴ・マス・クワイアの基本的なヒストリーはこんな感じだ。
 ティーンエイジャーの頃からクワイアのディレクターを務めていたジェームス・C・チェンバース氏が、1980年代の後半、シカゴのゴスペルミュージックの発展を期して、クワイアやコミュニティ、ミュージシャン、ソングライター、ソリストたちを結集、ワークショップを展開した。その過程で設立されたのが、シカゴ・マス・クワイアだった。時に1988年。1991年には、ゴスペル・ミュージック・エクセレンス・アワードで5部門にノミネートされ、最優秀新人賞を受賞する。翌92年には「アイ・キャン・ゴー・トゥ・ザ・ロック」によってソング・オブ・ジ・イヤーを受賞。94年には、ドクター・フェランダ・ウィリアムソン女史がリーダーとなる(彼女はカペラ大学で学部長を務め、チャールズ・ジェンキンズ師が牧師を務めるフェーローシップ・ミッショナリー・バプティスト教会のメンバーでもある)。そして現在、シカゴ・マス・クワイアは、欧州を中心とした海外公演も積極的に展開する全米屈指のマス・クワイアとしての評価を得るに至っている。


フェローシップ・ミッショナリー・バプティスト教会
 シカゴに到着した翌日、土曜日の午後。このツアーAWANO GUMI(現地ではYamaha Gospel Classのほうが通りがよい)一行約50名は市内サウスエリアのプリンストン・アベニューにあるフェーローシップ・ミッショナリー・バプティスト教会を訪ねた。ここでシカゴ・マス・クワイアのリハーサルが行われているというのである。
 会堂に足を踏み入れたAWANO GUMIの面々は一様にこわばった表情。それも無理はなく、「全米屈指のマス・クワイア」の「リハーサルを見学」して「交歓」する? いったいここで何が起こるのか、まったくわかっていないのだ。実のところ、それは誰にもわかっていなかった。というより、そこで何が起こるのかなんてあらかじめ決めようがないということなのかもしれない。たしかに相手にしてみれば、ほとんど地球の裏側からなんだかよくわからない連中が訪ねてくる、という雲を掴むような話なわけだ。
 つまり、まさにそれは、お互いにとって「未知との遭遇」である。
 壇上に並ぶシカゴ・マス・クワイアは、この訪問者たちにややとまどい気味の、だけど好奇心たっぷりの視線を向けながら歌っている。それをやや見上げる位置に正対するAWANO GUMIはスタンディングで、ステップを踏みながらハンドクラップ。徐々に堅さがとれて、強烈なビートに乗りはじめる。しかし、冷静なチェックも怠らない。
 ちょっと人数が少ないなとか(すくなくともAWANO GUMIも数では負けていない)、子どもも混じっているなとか。で、リードボーカルをとるいかにもシンガー然としたタフガイを除けば、見た感じはなんとなくごく普通の人たちという印象なのだ。
 実は、シカゴ・マス・クワイアのメンバーは商業的な意味でのプロフェッショナルではない。彼らはそれぞれ、生活の糧を得るための職業を別に持っている。そして、それぞれの教会に通いながら、こうしてシカゴ・マス・クワイアとして集まり、活動を続けているのだ。日本の感覚でいえば、それではアマチュアということになってしまうのかもしれないが、信仰がそのベースとなっているゴスペルという音楽の場合、そういった線引きにはあまり意味がないようなのである。
 コーディネーターのヒロさんを介して、ウェルカムメッセージの交換。そしてAWANO GUMIもなにか1曲歌ってよ、ということになる。
「みなさんに1曲パフォーマンスしてほしいとフェランダが言っています。OKですね?」
 ウムを言わせぬいつものヒロさんの口調。動揺とも逡巡ともつかないざわめきが広がるAWANO GUMIのすがるような視線の先には、リーダー淡野保昌先生のニコニコ顔。
「じゃ、やりましょうか」
 いつものバリトンが響く。


AWANO GUMIのパフォーマンスに続いて
シカゴ・マス・クワイアと一緒に歌う


 AWANO GUMIが歌うのは「COME BY HERE」。ルーツをアフリカ民謡にもつ古いトラデショナルソングのゴスペルだ。約50名のクワイアがア・カペラ(無伴奏歌唱)で「Come by here, my Lord(ここに来てください、主よ)」と歌い始めたとたん、あちこちから軽くどよめきの声が上がった。ぽかんと口を開けて聞いている人もいる。後半、ソプラノがぐいっと差し込んでくるようにキモのフレーズを決めると、拍手と歓声。曲が終わると、フェランダ女史が大きく拍手をしながら近づいてきた。
すぐにノリノリのAWANO GUMI
 淡野先生、ヒロさん、フェランダの3人を中心にして、相談が始まる。OK、じゃあ今度はみんなで一緒にやろう。アルトはそっち、ソプラノはこのあたりに。わらわらと入り乱れるAWANO GUMIとシカゴ・マス・クワイア。曲はゴスペル最大のヒット曲「OH, HAPPY DAY」。
 ソロをとるS氏のテンションがいつにも増して力強い。ハーモニーのエネルギーに感応し、鼓舞されるように高みにのぼる。
 このまま消え去ってしまうのが惜しいようなエンディングの音に、拍手と歓声が重なってくる。もっといろんなことが自由に話せればなあと思いつつ(英語を自在に操れる一部の人を除く)、微笑み合い、手を握り合うことくらいしかできない。しかし、それが逆に、純粋に歌だけでつながったという手応えとして感じられたりもする。緊張も解き放たれ、心地よい開放感に満たされる。
「また明朝、会いましょう」
 フェランダがバスに乗り込むわれわれをにこやかに見送ってくれた。そう、明朝、AWANO GUMIはこの教会の礼拝に出席し、ゲスト・パフォーマンスを披露することになっているのだ。


日曜日の礼拝に集う信者たちが見守るなか、
AWANO GUMIがゲスト・パフォーマンス


 翌10月17日は日曜日。全米の、いや全世界のキリスト教会で礼拝が行われる聖日だ。フェーローシップ・ミッショナリー・バプティスト教会にも、正装に身を包んだ大勢の教会員がやってくる。そのほとんどはアフリカン・アメリカンの人々。オルガンが流れる中、次々に席を埋めていく。
 このオルガンが、日本でいう奏楽のイメージ(たとえば結婚式のバックで静かに流れているような)とはちょっと違う。たしかに、静かにスローなメロディを弾いているのだが、はしばしにファンキーな表情がある。ときどき、ベースが心臓の鼓動のような音でド・ド・ド・ドッとシンコペーションする。次第にグルーブ感を高めながら途切れることなく鳴り続け、自然に始まる礼拝の流れをリードしていく。
 基本的にキリスト教会は外来者に対してオープンである。旅先で礼拝を守りたいという人々も多いはずだし、悩みを抱えてときどき教会にやってくる人も少なくないはずだ。それにしても、これだけ大勢の日本人が出席するのはきわめて異例。少なくともこの教会にとっては創立以来のことである。しかし、教会としては観光客を受け入れているわけではない。あくまで、ともに神の恵みにあずかるゲスト出席者なのである。AWANO GUMI一同も敬意を表し、神妙な面持ちで礼拝の流れを見守る。

 流れるように礼拝は進んでいく。まるで全体がひとつの曲のよう。チャールズ・ジェンキンス師のメッセージも、語りに自然と抑揚、リズムが加わり、強調する箇所では歌の一節のようになる。すかさず、会堂のあちこちから反応の声が上がる。コール&レスポンス。ひとりひとりの思いの高まりがストレートに発露され、会衆全体がビートにのって高揚していくのだ。オルガンに加えて、ベースやドラムスも効果的なフィルイン。そのまま歌に入っていく。それも、みんな口先ではなく腹の底から声を出すから、その迫力と熱気はすごい。ゴスペルはこういう場から生まれているということが実感できる。
 と、圧倒されていたらジェンキンス師がAWANO GUMIにぐっと顔を向けた。いよいよ出番である。淡野先生の挨拶に続いて「COME BY HERE」。いかにも興味津々といった感じで身を乗り出していた会衆たちが、最初の1フレーズで口々に感嘆の声を上げ、拍手を鳴らす。いったい何が出てくるんだろうと思っていたら、予想外の曲目、予想外のハーモニーだったのだろう。とにかく彼らの反応は敏感でストレートだ。昨日同様、ソプラノが切れ込んでくるところでは、一斉に大きな歓声が上がった(これは昨年のニューオーリンズのリジョイシン・イン・ザ・パーク・ゴスペル・フェスティバルとまったく同じだ)。こんなふうに歌詞やフレーズにダイレクトに反応するというのは、日本ではまずみられない。歌っている側としては、もうそれだけで背筋に電流が走るだろう。

会衆のレスポンスもすごいエネルギー
 続いてもう一曲。これはなんと日本語の歌、喜納昌吉の「花」である。平和への祈りがこめられたこの歌を、沖縄の自然と歴史の中で生まれたこの歌を届けたい。ヒロさんの解説にうなずきながら耳を傾ける会衆一同。ゆったりと始まったこの曲のリズムに合わせて身体が揺れている。
 最後の音が静かに消えていく。スタンディングオベイション。そして出口に向かうAWANO GUMIは、握手と抱擁で見送られる。とても温かく迎え入れられたことは間違いない。しかし、われわれの歌は何かを伝えることができたのだろうか? その答えは、まだハッキリとは見えていない。

ゴスペルがゴスペルになった教会を訪ねる
オルガンの柔らかな響きに包まれながら歌う


 AWANO GUMIは翌日にももうひとつ別の教会を訪ねている。サウス・インディアナ・アベニューにあるピリグリム・バプティスト教会。この教会はゴスペルの歴史上、非常に重要な意味をもつ教会なのだ。というのは、かつて、1920年代にこの教会の牧師を務めていたのがトーマス・A・ドーシー牧師。ゴスペルの数々の名曲を生み出した彼は、初めてこの種の歌を「ゴスペル」という名前で呼んだことで知られ、「ゴスペルの父」ともいわれている。
 いわば、この教会は「ゴスペル生誕の地」といってもいい。
 では、それまでゴスペルはまったく存在しなかったのかというと、それはまたちょっと違う。現在のゴスペルのルーツは、アフリカ大陸から大勢の黒人たちが奴隷船に乗せられ、このアメリカに強制連行された時代にまでさかのぼる。彼らは奴隷として重労働をしながらキリスト教信仰に導かれ、自身のアフリカ文化的なものと白人たちの賛美歌が混じり合う形で、スピリチュアル(黒人霊歌)といわれるスタイルの歌を形成していった。それは奴隷である彼らにとって解放と救いへの希望を託すものだった。
 1865年には奴隷解放が実現するが、黒人たちの境遇は相変わらず厳しいままだった。彼らの多くは、貧しく、過酷な差別の残る南部を捨て、自由であるはずの北部の大都市をめざして移動をはじめる。そして、1920年代になって、それまで南部教会を中心に盛んに歌われていたスピリチュアルが、北部の大都市シカゴのトーマス・A・ドーシー牧師の手によって、よりモダンなスタイルへ変化した、ということなのだ。1920年代はゴスペルにとって新時代の幕開けとなったのである。

パーラソン副牧師と語り合う。この日、入口のエレベーターを新設する工事中だった。高齢の信者のためだという

 このピリグリム・バプティスト教会は1890年頃に建てられた。もともとはユダヤ人教会だったというユニークな歴史をもっていて、そのため内装装飾も一般のバプティスト教会とはずいぶん雰囲気が違う。ダビデの星のデザインが残るのはその名残だ。船底をひっくり返したような形の天井も何か関係があるかもしれない、とは、案内をしてくれた副牧師のパーラソン師。
 ステンドグラス越しに優しい光が降り注ぐ。広い空間をオルガンの響きが満たす。柔らかくも輪郭のはっきりした音色を奏でるオルガニストはパーカー氏。そのオルガンの伴奏で、トーマス・A・ドーシー作の名曲「PRECIUS LORD, TAKE MY HAND」を歌うことになった。座席に備え付けてある賛美歌集を手に、壇上のオルガンのまわりに集まる。

「Precius Lord, Take My Hand」を歌う
 この歌を聞くたびに思い起こすのは公民権運動の指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師のことだ。キング牧師はこの歌を愛し、自分が死んだらその夜にこの歌を歌ってほしいと願った。身に迫る危機を感じていたのだろうか、キング牧師はそれから時を経ずして凶弾に倒れることになる。キング牧師の葬儀でこの歌を歌ったのは、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンだった。
 そして万感の思いをこめた「COME BY HERE」をア・カペラで。会衆のいない会堂にAWANO GUMIの歌声だけが響く。ここでゴスペルがゴスペルとなったことを思いながら歌う。魂が洗われるような思いがする。
 パーラソン師とパーカー氏は身じろぎもしない。いつのまにか、われわれのバスのドライバー、ロッド氏も、後方の片隅の席に座って静かに耳を傾けていた。


ミシシッピの流れをさかのぼって
シカゴに向かった人々の歴史


魚の鱗のように見えるのが靴底。財産は小さな鞄ひとつ。
彼らはひたすらシカゴをめざして長い旅を続けた
 南部の黒人たちは古くから北部の都市、シカゴをめざして移動を続けてきた。1863年の奴隷解放がその最初のきっかけだった。その後も彼らは自由と仕事を求めて、はるばるミシシッピ河をさかのぼり、ハイウェイ61を北上したのである。そんな黒人たちの北部への大量移動を象徴するのがサウスエリアのブロンズビルに建つモニュメントだ。この黒人男性の像の表面を覆う靴底は、彼らの苦難の道のりを表している。
 夕暮れ時、このブロンズビル地域をバスに乗ってめぐってみる。ここは、1920年代初めに南部から移動してきた黒人たちがビジネスに進出することで繁栄した場所で、歴史的建造物が今も多数残っている。だが、今、ここに昔日の繁栄の面影はない。公営の集合住宅がスラム化するなど、あたりはすっかり荒廃してしまっている。かつて自由と繁栄を求めてこの地にやってきた黒人たちの多くが直面した新しい差別と貧困という現実は、今なお彼らに重くのしかかっているのだ。
 割れた窓ガラス、人影もなく寂しい通り、所在なげに立ちつくす男性。バスの窓からそれを眺めている自分がひどく場違いなところにいる気すらする。この夕闇に沈んでいく街並みと、ブランドショップが建ち並ぶあのマグニフィセント・マイル――「魅惑の1マイル」の目映いばかりの輝きとの隔たりを思う。それがむき出しになってここにある。

 この日の午後、アフリカン・アメリカンの人々の歴史と文化をテーマとしたデュサブル・アフリカン・アメリカン博物館を訪れた。館内には公民権運動の歴史を追ったコーナーや、アフリカン・カルチャーのコーナーなどがある。しかし、配置がややランダムで、全体の流れがつかみにくい。
 と、集団でぞろぞろ歩く日本人が珍しかったのか、2階の廊下でひとりの女性が声をかけてきた。ヒロさんとしばし立ち話。実はこの人、たまたまこのとき居合わせた副館長だった。そして、彼女が招き入れてくれたのが小さなホール。正面に飾られた大きな木版画を前に、臨時の特別レクチャーが始まった。急遽、館内のあちこちから集合するAWANO GUMI。

デュサブル・アフリカン・アメリカン博物館の入口
 この木版画には、アメリカ黒人の歴史が象徴的に描かれている。これがスペイン人、これがイギリス人、これがオランダ人。奴隷商人だ。そしてジャマイカ、キューバ、ブラジル。奴隷として連行された黒人たちはここで家族が分断され、孤立化させられた。サトウキビやオクラ。この栽培は、アフリカからもたらされたテクノロジーだった。そして黒人を自由の身にするために白人が協力して行われたアンダーグラウンド・レイルロードの運動。経済戦争としての南北戦争。奴隷解放。公民権運動。ひとつの画面にさまざまな歴史的シーンがいきいきと刻まれ、それが有機的につながっている。
 副館長は言う。そしてここに描かれていることは、現在も続いていることなのです。私たちは今までに起きたこと、そして今も起きていることを全世界の人々に伝えたいと考えています。
 残念ながら、偏見とレイシズムは今もなくなっていない。われわれの身近に、そしてわれわれの内側にたしかに存在している。自由の国、アメリカにおいても、何か大きな出来事が起こるたびに人種による処遇格差の問題が顕在化する。おそらく、日本にも同じ問題が横たわっているだろう。
 お互いに理解し合うことがもっとも大切です、と彼女は言う。リスペクトをお互いに抱いている限り、お互いに理解し合うことができるのです、と。

 アフリカの大地、奴隷船、プランテーション、奴隷解放、公民権運動――アフリカン・アメリカンの人々の歴史には、数々の苦難があった。そして、そこにはいつも歌が、音楽がともにあった。そして、そんな彼らの歌や音楽に魅せられた白人たちがいた。
 たとえばエルヴィス・プレスリーがそうだ。ボブ・ディランもまた。大西洋の向こう側では、ビートルズがそうだった。ローリング・ストーンズも。彼らは、先人たるブルース・マンへの賛辞を惜しまない。ロック・ミュージックは、ブルース(ひいてはゴスペル)直系の子どもなのである(なかには搾取めいたケースもあるけれど)。
 B.B.キングと共演したときのボノのまぶしそうな表情、エリック・クラプトンのうれしそうな表情は忘れがたい。そこにはたしかにリスペクトがある。それが音楽になって表れている。


ジャズもブルースもここから大きく発展した
南部ルーツの音楽が全米に、そして世界に


 マディ・ウォーターズ(彼もまた多くのロック・ミュージシャンの尊敬を集めている)をはじめとして数多くのブルースマンを世に送り出したチェス・レコードのスタジオも見学。かつて、ローリング・ストーンズもこのスタジオでレコーディングした。建物はきれいに改装されているが、昔からの木製の階段がそのまま残されている。
おそらく無名のブルースマンだが、かなりのインパクト
 この日、たまたまレコーディングしていた若手ブルースマンがAWANO GUMIのために、テレキャスターを抱えて1曲披露してくれた。ギターは荒削りで、これでいいのか?と思うようなリズムなのだが、嗄れ気味でパンチの効いたボーカルと組み合わされると、独特のビートになる。AWANO GUMIの拍手にちょっと照れ気味に手を振って応える。
 「ゴスペルの源流を訪ねる旅」は、「ライブ三昧」のツアーでもある。シカゴでも夜な夜な生の演奏を聴いた。
 バディ・ガイズ・レジェンドはシカゴを代表するブルース・クラブだ(バディ・ガイ本人が顔を見せることもあるという)。扉を開けたとたん、腰に響くようなブルースのサウンドが聞こえてくる。シカゴといえば、シカゴ・ブルース。このシカゴ・ブルースは、大勢の黒人たちが南部から移動してくることによって形作られてきた。1940年代にはエレクトリック楽器やバンド形式が取り入れられ、その後のR&Bへの道筋を開くことになる(ちなみに50年代後半にはゴスペルの伝統がR&Bに大きな影響を与えている)。それは、50年代中期に起こったロックンロール大爆発の導火線となった。

AWANO GUMIのメンバーのひとり、
ジャズ・ピアニストのKさんが飛び入りでセッション。
すっかり気に入られて、満場の拍手を浴びた
 また、シカゴはニューオーリンズに次ぐジャズの重要拠点でもある。1920年前後にニューオーリンズから数多くのジャズメンがシカゴに移動した(第一次世界大戦のために軍港となったニューオーリンズで、演奏できる仕事の場が失われたためだ)。1922年にはルイ・アームストロングがやってきて、この地で活動を始めた。そして、ジャズは北部の各都市に、白人に浸透して新たな発展をしていくことになる。いわゆるポピュラーミュージックにジャズの要素が取り入れられるようにもなる。
 その後のスィングジャズ、ビ・バップにはじまるモダンジャズ、フリージャズ、フュージョンなどを経て、今もこのシカゴでは、コンテンポラリーな新しいジャズが演奏されている。シカゴ最後の夜は、若いバンドの洗練されたアイディアあふれる演奏に魅了させられた。


与えてもらったもの+与えたもの
ゴスペルの源流を訪ねる旅は続く


 帰国の途につくため空港に向かうバスの中。
「遠く離れた日本にいて文化や宗教の違いからよくわからなかったものが、現場の空気を呼吸しながら歌うことで何かつかめたような気がしました」。淡野先生が語りかける。3度目の添乗員を務めてくれたレオさんにありがとう。そして、ヒロさんにも感謝。
 続いてマイクを握ったヒロさんが、まず、ピリグリム教会のパーラソン師の言葉を。「AWANO GUMIの歌にはほんとうに感動させられた。驚きだった」。たしかにAWANO GUMIが訪れる少し前に来た北欧のクワイアの方が、発音はきれいだったかもしれない、だけど、歌の感動はまた別の問題だということがわかった、ほんとうに驚いた、と。
 続いて、昨夜のジャズ・クラブに、唯一の未成年のため入店拒否されたAさんとともにホテルに戻るヒロさんが、その道すがらバスのドライバー・ロッド氏から聞いた話。ロッド氏は今から10年ほど前、ドラッグなどの問題を抱えてどん底の生活を送っていた。このままだと破滅しかないと思ったとき、なんとかして立ち直ろうと決心した。そして、今はこうしてまともな生活に戻れている。AWANO GUMIの歌を聴いていて、10年前の自分を思い出した。あの時、立ち直ることを選択してよかったと心から思う、と。
 旅の始まりは仏頂面とまではいかなくても、ほとんど表情を変えなかった彼が、次第に柔らかな表情を見せるようになり、最後は笑顔でジョークを飛ばすようになっていた。ヒロさんが言葉を継ぐ。
「みなさんは、この旅で、いろんなものを与えてもらったと考えているかもしれませんが、与えられただけでなく、みなさんの歌が人になにかを与えたということも知っておいてください」
 斜め前の席に座る参加者の頬を大粒の涙が伝って落ちるのが見えた。それからしばらくは、エンジンの音とロードノイズだけ。

シカゴを離れる前に空港で記念撮影

 歌は人々の思いをのせて人の心に届く。そして、長い時間、はるかなる距離を旅して混ざり合っていく。ニューオーリンズでロイス・デジャン師が、淡野アレンジの「COME BY HERE」を自分たちも取り入れたいと話していたことを思い出す。そして、教会はたくさんのタレントを世界に向けて輩出する最大のエージェンシーなんですよ、と悪戯っぽく笑ったことも。歌には時空を超える力があり、文化や言葉を超える力がある。不思議な力で世界をつなげていく――。
 この「ゴスペルの源流を訪ねる旅」は、今まで知らなかったたくさんの扉を教えてくれた。その扉の向こう側には、きっとまた新しく始まる旅がある。

現在、アメリカ合衆国で最も高い110階建てのビル、シアーズ・タワー(Sears Tower)。103階にある展望台からシカゴ市内を見下ろす。
ブルース・ブラザース
「ブルース・ブラザース」(DVD)
ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドのブルース・ブラザースが繰り広げるメチャクチャおかしいミュージック・ムービー。生まれ育った孤児院の窮地を助けるために、かつて活動していたバンドを再結成しようとするふたりは…。ジェームス・ブラウン、キャブ・キャロウェイ、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリンなども出演し、度肝を抜くようなパフォーマンスを披露する。未見の人は今すぐレンタル・ビデオ・ショップに走れ!


Live in Nashville
Live in Nashville / Chicago Mass Choir (CD)
シカゴ・マス・クワイアのナッシュビルでのライブ盤。「.I Cannot Tell It All」などを収録。


左から、淡野保昌氏、フェランダ・ウィリアムソン女史、ヒロ田中氏。淡野氏がうれしそうに指さしているボトルはシカゴ・マス・クワイアのネーム入りAWANO GUMI全員にプレゼント。

2006年1月6日、このピルグリム・バプテスト教会で火災が発生し、全焼するという悲しい出来事があった。不幸中の幸いか、怪我人はいなかったが、古い写真やトーマス・A・ドーシー師の自筆楽譜など、貴重な史料が焼失してしまった。関係者の「親類や親友が亡くなったような気持ちだ」という悲しみの声が伝えられている。あの会堂の響きは、もはや記憶の中にしか存在しない。
黒人男性のモニュメントのそばに置かれたイス。座面は「ブロンズビル」とくり抜かれている。
デュサブル・アフリカン・アメリカン博物館の全景。歴史を知ることは理解することの第一歩。なぜ、ゴスペルが生まれたのか、どうしてあんなにパワフルなのか、その手がかりがつかめそうな気がする。

チェス・レコードで展示品のショーケースをのぞき込む淡野氏。マスクで隠れている口元はにんまり緩んでいたに違いない。

バディ・ガイズ・レジェンドの外回り。ここではたっぷりブルースのライブを堪能した。



ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンも1927年、16歳の時にニューオーリンズからシカゴに移り住んでいる(その数ヵ月後には、教会のクワイアでソロをとるようになったという)。
空港に向かうバスの中。中央の後ろ姿は、AWANO GUMI入り宣言をした添乗員レオさん。
Part 1 メンフィス以来の深いおつきあいとなった。


ゴスペルの源流を訪ねる旅 Part 3 シカゴ 全行程
2004年 DATE Time Schedule
10月15日(金) 14:00
16:35
14:00
17:30
成田空港第1ターミナル4F集合
ユナイテッド航空882便にて離陸
シカゴ・オヘア国際空港到着
ラマダイン・レイクショアー・シカゴにチェックイン
ホテルのミーティングルームにて合同練習
夜 自由行動 各々ダウンタウンへ
10月16日(土) 午前
昼食
午後

夕食
シカゴ市内見学 シアーズ・タワーなど
ネイビーピア?
チェス・レコード オフィス&スタジオ見学
シカゴ・マス・クワイアのリハーサル見学
バディ・ガイズ・ブルースレジェンド・ブルースクラブ
10月17日(日) 午前

昼食
午後

夕食
フェーローシップ・ミッショナリー・バプティスト教会
礼拝でパフォーマンス
ハウス・オブ・ブルース
デュサブル・アフリカン・アメリカン博物館
ブロンズビル見学
アンディーズ・ジャズクラブ
10月18日(月) 午前
昼食
午後
夕食
ピリグリム・バプティスト教会訪問
ジノス・イースト・ピッツェリア
グループ行動
ファストフード
ジャズクラブ(グリーン・ミル?)
10月19日(火) 12:10 ユナイテッド航空881便にて出発
10月20日(水) 15:10 成田空港帰着