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生命の煌き   「星空のコンチェルト」考

「星空のコンチェルト」を聞くたび病室から見ていた夜空のことを思い出す。
病名も知らされてはおらず、いつ退院できるとも知らず、
急に将来が見えなくなったことに戸惑っていたあの夜。
冬の夜空は冴え渡り、凍りつくような静けさの中で、
私は孤独というものを初めて知った。
そんな中でも星は瞬き、月は優しい光を投げかけてくれた。
生と死はいつも背中合わせ。
そんなこともまだわかっていなかったあの頃、
煩わしい検査のない夜のほうが好きだった。
皆が寝静まった病院は、虚無の取り巻く闇の世界。
想像の世界で生きることが唯一許されたこと。
魂は肉体という檻を飛び出して自由に彷徨い、夜空を駆けめぐる。

今思えば、病のなせるわざであったのだろう。
しかし孤独であっても、不思議なことに絶望はなかった。
死と一番近いところにいながら死の恐怖もなかった。
ただ、凛とした静寂の中で生命の煌きとも言うべき星の瞬きを見ていると
心は熱くなっていった。
あれが「希望との出逢い」であったのかもしれない。
「星空のコンチェルト」を聞くと、何故かそのことを思い出す。
死は終わりではない。
自分の心の奥底を凝視めてみると、自分以外の生命が一杯詰まっていることに気がつくだろう。
人は一人で生きているわけではない。
様々な出会いがあり、別れがあり、知らず知らずのうちにその記憶を魂に刻んでいくのだ。
いい思い出もあれば、早く忘れてしまいたい出来事もある。
でも時が経ってみれば、その忘れてしまいたい出来事にもちゃんと意味があることに、
気づくだろう。
自分の弱さ・愚かさを教えてくれていたのだと。
素晴らしい音楽は、孤独や苦しみを乗り越えてきた人にのみ与えられる気高い優しさから
生まれてくるもの。
それは心から心へ伝わって人の温もりとなる。
伝えたい感動や、伝えたい人をたくさん持とう。
それが人生を豊かなものにしてくれるのだから。
今日も夜空を眺めながら「星空のコンチェルト」を聞くことにしよう。


月の雫 さん  投稿日2000.2.11

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世紀末の森   「ひびき」に魅せられて

昨年はカラヤンのアダージョが異様なほど流行した。
遅ればせながらCDを買ってみた。
一曲目はマーラーの「アダージェット」。
ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」で有名になった曲だ。
私はこの曲を聞くたびに森の奥に隠された湖をイメージしてしまう。
曲の出だしは、雨上がりの森の木から落ちる雫の音。
森の小道を散策しながらふと気がつくと誰も知らない湖に出くわす。
水辺に佇んで、水面を凝視めていると、愛しいあの人の姿が浮かび上がってくる。
誰もいない湖畔で、あの人への想いはつのるばかり・・・。
独特の響きが不安を誘いながらゆっくりとゆっくりとクライマックスを迎える。
決して成就することのない恋愛は未完だからこそ美しく終焉を告げる。

私が勝手に作り上げたイメージだが、ふと私の中で、出だしの雫の音が
藤掛先生の「森と水のシンフォニー」と同調する。
水は木の生命の源。
そこにもすでに「出会い」が存在しているのだと思う。
自然界の目に見えない必然によって種子が木となり森へと進化していく。
それはやはり一つのドラマである。
ただし藤掛先生の水のイメージは「川」だ。
もしかすると長良川・・・。
マーラーは異邦人と呼ばれているけどマーラーの曲からは西欧の風土気候を感じるし
藤掛先生の曲からは日本を感じる。
同じ森でも藤掛先生の森は鬱蒼と生い茂る陰影の深い森。
陽の光が地面を照らすことも少ない湿った森。
人間と闘いながら共存している自然の顔は厳しい。
でも時折自然の見せる優しさは日本特有の四季に結びついていくものなのだろう。
厳しくだからこそ美しい自然の約束事。
不思議なことに藤掛先生の森には人々の生活が感じ取れる。
人々が厳しい自然の中で生命を謳歌している姿が見える。
「俺は死の中まで行進していく他ないんだ」というマーラーは
世紀末の倦怠を感じさせる作曲家だ。
藤掛ワールドでは死さえも静かに受け入れられる。
日本特有の無常観もどちらかと言えば楽天的にさらりと味付けされている。
「市井の人々の中で市井の人々が口ずさむような音楽と共に生きていこう」という
藤掛先生のポリシーは、私達「市井の人」の心をいつも熱くする。


月の雫 さん  投稿日2000.1.19

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月の雫さんは、ギター歴5年で、今は女流詩人を目指しているそうです(^_^;)


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