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熊さんと八つぁんの会話・其の一「鳥の音楽」

とある小春日和の昼下がり。
ここは、人通りもまばらな町はずれの水茶屋。
ともに無類の音楽好きという熊さんと八つぁんは、
好物のみたらし団子をほおばりながら、
きょうも音楽談義に花を咲かせているご様子。

熊「まだ2月だってぇのに、きょうは妙に暖かいねぇ。」
八「ほんとほんと。来月にぁもう海開きができそうだね。」
熊「おいおい。それじゃスキー場があがったりだよ。」
八「でも、早咲きの梅やあんな風に飛び回っている鳥をみてると、
  もう春はすぐそこって感じじゃねぇか。」
熊「ほう。おめぇにしちゃあ珍しく、きょうは詩人だねぇ。」
八「『詩人の瞑想』ってね。」
熊「ははは・・・(^_^;;;。まぁいいや。
  ところで、春と鳥で思い出したんだが、
  おめぇ、藤掛先生の『春の詩』って曲知ってるかい?」

八「いや。知らねえなぁ。『春の讃歌』とは違うのかい?」
熊「そうそう。なんでもその『春の讃歌』の管弦楽版
  という話らしいぜ。」

八「へぇ〜。そんな曲あったんだねぇ。そいつぁ〜おもしろそうだ。
  冥土のみやげに、いっぺん聴いてみてぇもんだなぁ。」
熊「おいおい(^_^;;;。
  おめぇまだ冥土のみやげって歳でもねぇだろう。」

八「まあ、言葉のあやってもんさねぇ。」
熊「言葉のあやって・・・(^_^;;;;;。」
八「で、そいつも『春の讃歌』みたいに
  鳥の鳴き声のテープなんか流したりするのかい?」
熊「いや。実はそうじゃねぇんだ。」
八「楽団の連中が楽器弾きながら自分たちで鳥の物真似するとか?」
熊「それじゃあ、江戸屋猫八だよ。」
八「じゃあ、舞台の上に本物の鳥を置いとくのかい?」
熊「そんな都合良く鳴いてくれねぇよ。」
八「するってぇと、徳川家康ってわけだ。」
熊「・・・ん?・・・なんでぇ、そりゃ?」
八「『鳴くまで待とうホトトギス』ってな(^o^)/。」
熊「(-_-;)・・・。
  普通、そんなことしてたら夜が明けちまうだろ?」

八「それで『夜明けの賛歌』なのかぁ。」
熊「曲がちがう!!!」
八「そんなら、まさか木管楽器とかで演奏するってぇのかい?」
熊「な〜んだ。知ってんじゃねぇか。」
八「当てずっぽうよぅ。」
熊「開き直ってどうする?」
八「それじゃあ、吉松隆みてぇだなぁ。」
熊「ほほう。吉松隆ときたかい。例えばどんな曲だい?」
八「『前夜』とか・・・。」
熊「そうそう。『朱鷺が7羽に・・・』って、
  そりゃ『さだまさし』じゃねえか。」

八「ははは。ジョークジョーク(^o^)/。」
熊「・・・・(-_-;)。
  吉松隆と言えばだなぁ『朱鷺によせる哀歌』とか
  『鳥たちの時代』とか・・・。」

八「『鳥リズム』に『サイバーバード組曲』。
  それと『天馬効果』の第1楽章も『Bird』だろ。」
熊「ほほう。おめぇいやに詳しいじゃねぇか。」
八「現代音楽のことなら俺にまかせとけって。」
熊「こりゃ急に大きく出たねぇ。じゃあ聞くが、
  『鳥』に関係の深い作曲家って他に知ってるかい?」

八「知ってるよ。オリヴィエ・メシアンとか渡辺真知子とか・・・」
熊「そのふたりを一緒にすなっ!!!。」
八「お似合いだと思うがねぇ〜。」
熊「どこがぁ〜〜〜〜(怒)。」
八「そう怒ると血圧が上がるぜ。」
熊「てめぇが怒らせているんだろがぁ〜。」
八「でもメシアンってのは変わってるよな。」
熊「強引に話を戻しゃがったな。まあいいや。
  で、メシアンがどう変わってるって?」

八「だってさ。色んな鳥の鳴き声をそのまんま音符にして、
  それを音楽にしちまったんだろ?」
熊「おう。やっと音楽のページらしくなってきたな。
  メシアンにぁ『鳥のカタログ』ってピアノ曲みたいに
  採譜した鳥の鳴き声をそのまま作品にしちまったものもあるが、
  他の作品でも鳥の鳴き声をモチーフとして使ったりしてるな。」

八「そういうのって結構昔からあるじゃねぇか。
  ヴィヴァルディの『春』とかラモーやクープランの
  クラヴサン曲とかハイドンの弦楽四重奏曲とか。」
熊「でもそいつらは厳密に言やぁ
  『採譜した鳥の鳴き声』じゃないんだな。」

八「まぁな。あくまでも鳥の声を真似て音楽を作ったって感じかい?」
熊「お。たまにぁいいこと言うねぇ。
  バロックからマーラーまでみると、
  鳥の声を模した音楽は山のようにあるが、
  結局は人様の作り出した調性音楽から逸脱してないからな。」

八「なるほどねぇ。鳥どもに言わせりゃ、
  ありぁ俺たちの歌じゃねぇってか。」
熊「そうそう。その点、メシアンは違う。」
八「確かに違うな。でもおいらにぁ、
  何だかへんてこに聞こえるんだがねぇ。」
熊「ところがどっこい、鳥たちにぁメシアンの方が
  よっぽど本物っぽく聞こえるらしいぜ。」

八「おめぇ、鳥に知り合いでもいるのかい?」
熊「なわけねぇだろ(^_^;;;。
  さるお方がメシアンのピアノ曲を弾いていたら、
  それを聴いた鳥たちが仲間のさえずりだと勘違いして
  集まってきたっていう話があるんだよ。」

八「へぇ〜。そりゃおもしれぇ。」
熊「この話のおもしろさが、おめぇにも分かるかい?」
八「それで集まった鳥たちを焼き鳥にしてと、・・・」
熊「食うなって!!!(-_-;)」
八「だってヴォーン=ウィリアムズにぁ『揚げひばり』って曲が
  あるじゃねぇか。」
熊「『揚げひばり』ったってひばりの唐揚げじゃねぇんだよっ。」
八「あっそうだったのかい。なぁ〜んだ。」
熊「・・・・・(-_-;)」

  
つづく(のか?)

(2000.1.31   作・演出/風待鳥)


投稿者:風待鳥さん(GEH05702@nifty.ne.jp)

感想・ご意見等ありましたら、風待鳥さんにメールを、または、掲示板に書き込み下さい。(管理人記)


藤掛先生からのメールです。 投稿者:管理人  投稿日:02月12日(土)09時51分53秒

先生から本日いただいたメールより、先生には無断で(^^ゞ一部ご紹介します。

伝言板に、「熊さん、八っつあん」という形でエッセイを書いていらっしゃる人、
とてもセンスが良いですね。文章も内容もおもしろく読ませてもらいました。
藤掛廣幸

風待鳥さん、やったね( ^^)/\(^^ )


教科書と兄とSFホラーと水のリズム 〜5拍子って何だ?〜

その曲が、何年生の教科書に載っていたのかなんて覚えているはずもなく、
もしかしたら外国の民謡だったかも知れないというくらい記憶があやふやで、
挙げ句の果てに、その曲名すらも断定できるだけの自信はない。
けれども、私の脳細胞の今にも切れそうなシナプスをなんとかたぐり寄せれば、
中学生の頃(?)
音楽の教科書で見た「ステンカラージン」(?)という
ロシア民謡(?)が、
おそらく私が初めて出会った5拍子の音楽、ということになりそうだ。
メロディは何とか覚えている。その曲は、ワンコーラスがたったの4小節だから。
実は、その教科書に他にどんな曲があったのかなんて、それこそ全く覚えていない。
にもかかわらず、多少なりともその曲の記憶があるということは、
5拍子との出会いが、自分にとって少なからず印象的だったからに違いない。
(それと同時に、教科書で見たシュトックハウゼンの顔写真が
 妙に脳裏に焼き付いているのは何故かしら?)

その後の出会いは、「テイク・ファイブ」なのか「ミッション・インポッシブル
(スパイ大作戦)」なのかはっきりしない。
だが、教科書で5拍子というものの存在に気づかされる以前に、
既にそれらの音楽に出会っていたことは十分考えられる。
デイブ・ブルーベックが「テイク・ファイブ」を書いた年代は、手元に資料が無く
分からないが、「スパイ大作戦」については、そのテレビシリーズが日本で放映
されたのが1967年で、最初の映画化が1969年というから、
ラロ・シフリンが書いたこの主題曲(「ダーティー・ハリー」や「燃えよドラゴン」
もシフリンの音楽。最近の映画「TANGO」もそうじゃなかったかな?)を
少年期の私が耳にしていた可能性は非常に高いのだ。
だが仮にそうだとしても、それを5拍子として意識して聴くようになったのは、
やはり、教科書で「ステンカラージン」(?)と出会ってからのことだろう。

それにしても、数年前に再映画化された「ミッション・インポッシブル」
(主演はトム・クルーズ)では、主題曲までもリメイクされて、
5拍子でなくなってしまっていたのには、相当がっかりした。
あの曲は、5拍子ならではのあの緊張感がたまらないのにぃ〜。
しかしそのおかげで、ひとつの事実に気づいた。

5拍子は、楽典的に言えば、2拍子や3拍子といった「単純拍子」が
組み合わされてできた「特殊拍子」ということになっている。
ならば、その「特殊な」5拍子でできた音楽は、
4/4拍子や6/8拍子といった「単純な」拍子に置き換えることによって、
もっと心地よいものに変えられる・・・。
そう考えるのはもっともなことだ。
しかし、結果はそうならない。
本来5拍子で書かれた音楽を、「4」とか「3」という単純な枠に
押し込めようとすると、むしろ窮屈だったり冗長だったりして、
違和感を感じさせることになる。
それは、なぜだろう?

それはさておき、再び5拍子の音楽との出会いに話を戻そう。

クラシック音楽の中でならば、最初の出会いは明白だ。
ホルストの組曲「惑星」第1曲の「火星」が最初である。
(チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第2楽章が5拍子だと知ったのは、
随分後のことだと思う。)

私が中学生から高校生の頃だったと思うが、
その「惑星」が大ブレイクしたことがあった。
それはもしかしたら、冨田勲がシンセサイザーで演奏したのが
きっかけだったかも知れないし、
それ以前に流行の兆しはあったのかも知れない。
しかし何れにせよ、私と「火星」との出会いは、
直接的にはそのどちらとも無関係だ。

その頃、私の兄は、高校(正確には工業高等専門学校。いわゆる「高専」)
でブラスバンド部に入りクラリネットを吹いていた。
その兄が、「うるさくてかなわないから、家の中では吹かないでくれ」
という家族の苦情を聞き入れた末にようやく見つけた練習場(裏の河原)で、
藪蚊に刺された痕の痒みと格闘しながら、一生懸命練習していたのが、
「惑星」の中の「火星」と「木星」だった。
彼は時々、模範演奏を録音したカセットテープを流しながら、
それに合わせて練習していた。
そのラジカセから聞こえてくる「火星」の執拗な5拍子のリズム。
あの当時の自分はそれを聴いて何を感じていたのだろうか?
なんとなく火星という遠い遠い星のことを考えていたような。
はたまた、頭の中でタコのような宇宙人が踊っていたような。
「火星」は「戦の神」だそうだから、
ホルストは、勇壮果敢な戦いのイメージを5拍子に託したのだろう。
しかし、その当時の自分が、そんなことを知る由もない。
(チャイコフスキー「悲愴」の方は、一種のワルツなんだろうなぁ。)

話は変わるが、私は久石譲の音楽が好きだ。
彼の新譜を店頭に見つけたら、
一瞬の迷いも見せず「捕獲」してしまうくらい好きだ。

久石譲と言えば、宮崎駿アニメや北野武監督映画等の映像作品における
劇伴(付随音楽)という形で、多くの人々に愛される数々の素晴らしい
音楽作品をこの世に送り出し続けている類い希な作曲家であることは、
皆さんご存じのとおりだと思うが、
そんな彼にも5拍子の作品があることはご存じだろうか。

「PIANO STORIES 2・The Wind of Life」というアルバムの中の
「Les Aventuriers」という曲がそれだ。
CDのブックレットに書き添えられた作曲者本人の文章には、
「テイク・ファイブ」や「ミッション・インポッシブル」の5拍子の
「心地よさ」がこの曲を書くことの動機になった、
というような意味のことが書かれている。
(そこには同時に5拍子の音楽を演奏することの難しさも綴られている。)

久石氏はそのアルバム発表後、劇伴でも5拍子を生かした音楽を書いている。
ミトコンドリアの反乱という奇抜な発想で世間をあっと言わせた瀬名秀明の
SFホラー小説「パラサイト・イヴ」を映画化した同名映画の音楽である。
(「パラサイト・イヴ」はプレイステーション用のゲームソフトとして
 ゲーム化もされ、さらに最近その第2弾が発売されているが、
 そのストーリーや音楽は、映画とは全く別のもの。)
そのサントラCDで聴くことの出来る映画「パラサイト・イヴ」の
メインテーマ「EVE」は、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ第5番
を彷彿とさせる。
5拍子が現れるのは、ピアノのミニマル的な反復が、暗く静かに不吉な予感を
漂わせる「Darkness」というタイトルの音楽だ。
それに続く「Explosion」という曲は、「Darkness」のテーマやモチーフを
そのまま用いながらも、荒れ狂う猛烈なエネルギーと迫り来る危機感を
激しいビートで表現しており、ほぼ全体を通じて5拍子のリズムが支配している。
ここの5拍子は、精神的な不安定さや緊張感を増幅させる効果を持っている。

マンドリン音楽で最初に出会った5拍子は、「優しき歌」(川島博)だ。
5拍子はその中間部に現れる。
「優しき歌」という曲名は、川島氏がこの曲を書くきっかけとなった
立原道造の詩から採られており、中間部の前後の部分は、曲名どおりの
抒情詩的なおもむきの歌が綴られている。
それと対照的な中間部は、冒頭で、2+3、3+2、2+3、3+2、・・・
という風にアクセントの違う5/8拍子が交互に置かれている。
この5拍子には、スイング感のような「心地よさ」は無く、
複雑なリズムが土俗的とも言える独特の世界を生み出している。

他にも、5拍子等の複雑なリズムを組み込むことによって
多彩な音楽表現を実現している帰山栄治氏の一連の作品群を筆頭に、
マンドリン音楽でも様々な5拍子を見つけることができる。
割と最近の作品では、加賀城浩光氏の「プロムナード1」の冒頭で
急速な5拍子が使われており、そのリズムは
都会の喧噪や時の流れの速さといった作曲者が体験した心象風景を
我々の脳裏に映し出している。

最も新しい藤掛作品のひとつ「アクアリズム」も5拍子ではじまる。

   
アクアリズムは、水のリズム。
   水のリズムは、川の流れ。
   川の流れは、命の鼓動。


川の流れを見つめていると、
そこには、ワルツやバルカロールでは表しきれない、
水の鼓動が確かにある。

広島での「アクアリズム」初演を聴きながら、
この音楽をいままで出会った5拍子の音楽に例えたら、
どの曲に似ているだろうかと考えてみた。
リズムやアクセントを強調していないという点では、
チャイコフスキーや「プロムナード1」が近いのかも知れない。
しかし、音楽的に受ける印象は、それらとは全く別のものだ。

アクアリズム(水のリズム)は、言葉ではうまくとらえられない。
川の流れを捕まえようと両手ですくってみても、
てのひらをあげたとたんに指の隙間から逃げてしまうのと同じように。

ふと「5拍子」は自然界における「オゾン」のようなものかも知れないと思った。

本来、原子2個で安定しているはずの酸素にもうひとつの酸素原子がくっついて
できたオゾンと、「3+2拍子」「2+3拍子」といった形の5拍子って、
似ていると思いませんか?
5拍子を、へそ曲がりの音楽家が作り出した不自然なリズムだ、
なんて考えている人がいたら、それは大きな間違いだと思う。
5拍子は自然が生み出した、ごく日常的なリズムなのだ。
だから、本来5拍子であるべき音楽を、一見納まりの良いように
変形しようとすると、かえって不自然になってしまうのだ。
オゾンが地球環境にとって重要な物質であるように、
5拍子もヒトや自然が持っている大切なリズムのひとつなのかも知れない。

(2000.1.6 風待鳥記す。)

投稿者:風待鳥さん(GEH05702@nifty.ne.jp)

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風待鳥さんは、演奏会に年間30回以上いかれる、邦人オリジナル曲ファンの名古屋在住の方です。


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