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マンドリン関係なんでもコーナー


帰山先生宅へお伺いして

HPの藤掛廣幸先生訪問記、楽しく拝見させて頂いております。
藤掛先生のお人柄の良さが伺い知ることができました。


大学院の行事が落ち着いたところで、
「よし、オレも成瀬さんに続け!!」、ということで、
2月下旬に帰山栄治先生のところへ行って来ました。

昼間から会ったのでアルコールは抜きで(そもそも私は下戸である・・)、
帰山先生の仕事部屋で4時間程話し込んで来ました。
アルコール抜きでも、帰山先生は過去に作った曲のコトをあまり憶えておられないようで、
帰山先生が自作について間違ったことをいうのを僕が訂正するのがしばしば・・・
先生によると、それはそれだけ作る時に悩んでいる為だそうです。
特に、1970年代から1980年代前半までは、自分の作曲方法を模索していた頃らしく、
その為、よく憶えていないそうです。

あと、最近の先生のジレンマとして
演奏して欲しいもの(色々あるそうです)は全く見向きもされず、
演奏しないで欲しいもの(例えば、ハ短調の序曲)ばかり良く演奏される、
ということがあるそうです。
1998年12月の名古屋大の定演でハ短調の序曲をやったとき帰山先生と一緒に聞きに行っ
たのですが、「恥ずかしいからもうやめてくれ・・」と何度も仰ってました。
恥ずかしがってたから一緒に行ったのですが・・・(^^;
ただ、学生がよく取り上げてくれることについては、ハ短調を作曲したのが1969年、
帰山先生が26才のときなので、若い人には感性が合い、演奏したくなるのかもと仰ってました。結局、演奏してもらって悪い気はそんなにしていないのではないでしょうか。

藤掛先生のお話を読ませていただき、そして帰山先生に話を伺って感じたのですが、
お2人は、同じ作曲家(中田直宏先生)に、習ったことがあると思うのですが、
同じ先生のもとから、こうも個性の異なる作曲家が出てくるものか、と思いました。

(西海 学さん 投稿日:2000年3月9日)


雑感・3 投稿者:管理人  投稿日:1999年10月16日(土)02時02分43秒

富山大学さんの選曲方針が書かれた、1981年当時は、
邦人オリジナル曲がまだまだ少なかったんです。
その後曲目は、コンコルディアさんの邦人作曲家リストを拝見しますと
ものすごく増えたんですね。
選曲する立場の方は、選択範囲が広がってすばらしい反面、
情報不足にもなってしまうのでしょうか?
初演されてから何遍も再演される曲もあるでしょうし、その反対もある?
うもれっちゃった曲もたくさんあるのでしょうか?
その中には名曲として甦るものがあるのでしょうか?
もし有るとすれば、それを再発見するのは誰がやるのでしょうか?
うもれたのは、うもれただけの理由があるから、そんな作業は必要ない?


雑感・2 投稿者:きねづか事務局さん  投稿日:10月12日(火)23時22分53秒

マンドリン合奏はなぜメジャーにならないのでしょう?

それはマンドリンオーケストラが商業ベースにのらないからです。
たとえ、入場料が3000円で満席になっても、収益はしれています。
それを団員で頭割りすれば言わずもがなです。

マンドリン界は、以前から非常に閉鎖的な世界です。
しかしながら、マンドリン人口はピークを過ぎて減少傾向にあると思います。
というのは、マンドリンが大学のマンドリンクラブ持ちこまれたのは大正初期ですが、その時代に大学生だった方は失礼ですがもうご存命ではないでしょう。そして、少子化とマンドリンクラブの人数の減少とが重なってトータルのマンドリン人口が減少しているものと考えるからです。

しかし、
マンドリンのプロのソリストはそうではない、つまり商業ベースにのると考えます。

ですから、マンドリンのプロのソリストの方の行動がマンドリンをメジャーにできるかどうかのポイントになると思います。

私は、マンドリンのプロのソリストの方はそれぞれ素晴らしいと思います。ただ、皆さん、閉鎖的で人口が減少傾向にあるマンドリン音楽界を向いて演奏されているような気がします。メジャーになるということは多数の聴衆の耳をこちらのほうへむけさせる事が必須です。それは、とても難しい事ですが、若いソリストの方に是非がんばって欲しいと思います。

話が元に戻りますが、マンドリンオーケストラは偉大なる素人集団でいいのではないかとも考えます。
裾野を広くするためには、あまりかしこばって、ハードルを高くししすぎないほうがいいような気がします。
私は、たまにプロの演奏に刺激されながら、マンドリン合奏を肩肘張りすぎないで長く続けようと思っています。
以上、酔っ払った勢いでえらそうな事を書いてすいませんでした。


雑感 投稿者:井上泰信@ARSNOVAさん  投稿日:10月12日(火)01時02分33秒

なかなか面白いコメントがありますので、現在プロという身から少しだけ書きます。これは先日クボタフィロマンの打ち上げにてメンバーや来賓の皆さんにも同じことをお話しましたので思い出せる限り引用します。

「マンドリンという楽器は現在“合奏”という形態から構成されているといって過言ではありません。しかしながら現状はまだまだマイナーな存在です。ここでよく否定されるのは“マンドリン音楽自体”ですが、最近のウクレレブームや東儀秀樹(雅楽師)などを代表するように、流行る音楽にはジャンルや音楽性という問題ではないと思うのです。つまり合奏であろうとも、どんな曲であろうとも、人々の心を惹きつける何かがあれば、どんな音楽でもメジャーになれるということです。

 では、そうすればいいのか?

 それはもっともっと“良い演奏”をするしか他ならないと思います。もちろんレパートリーも重要ですが、何よりももっと人々を唸らせる“マンドリン音楽”が必要なのです。そしてそれを多くの人、とりわけマンドリン音楽に携わっていない人々にアピールする必要があるのです。もちろんマンドリン音楽の中にも名曲はたくさんあるのですが、必ずしも名演奏が同時に存在するとは限りません。“良い音楽”であれば世間は必ず認めてくれるのです。ですから、妥協せずに、いつの日かこの音楽がメジャーになる日まで私達は頑張らなければいけないと思います。そして何より地方の壁を超えたお互いの協力無くしてこの世界の発展はありえないのです。・・・」

 のようなことをコメントしました。

 「イタリアオリジナル」「室内楽」どれも必要な事ですが、今大事なのは“手段”ではなく、“本質”です。

 更に改善されるべきは、このマンドリン界の“体質”です。この内輪尽くめの世界に一石を投じるのは、私達若手だと思います。

 以上、なんの校正もなく思いつく事をつらつらと・・・

 お邪魔致しました。


マンドリン界の今後の流れ現代ギター10月号を読みながら

藤掛先生、出てました。去る8月22日に東京の滝野川会館で行なわれた
「マンドリン室内楽 in 東京」というイベントで司会を務めたそうです。
主催は日本マンドリン連盟関東支部で、8団体が参加したそうです。

ついでに演奏情報なんですが、ここで「東急BEマンドリンアンサンブル」という団体が、
「荒城の月」変奏曲を演奏したそうです。
また、来年の3月12日(?)にこの第2回が開催され、そこで藤掛先生の新曲が2曲初演されます。(曲名未定)初演団体は次の通りです。(初演の予告、とでも申しますか。)
             (このことに関し、ARSNOVAさんからも情報を頂いております。ここをクリック)

  デュオ曲・・・・・CO Duo(何者?どなたかお教えください。)
  カルテット曲・・・ARSNOVA Mandolin Quartet

JMUの室内楽に目を向ける姿勢は明らかに『買い』です。時代の流れを見据えたいい試みだと思います。楽器人口が今後も減っていくのは確実で、マンドリンのクラブ活動もこれから徐々に「オケ主体」から「室内楽主体」へと、学生団体を皮切りに移行していくのではないか、と私は見ています。第2回ではさらに参加団体は増えるでしょうし、将来、この企画は高く評価されるでしょう。ギター界と同様、「個々の奏者を育てる。」というのが重視されていくのかもしれませんね。

『現代ギター』はホントにいい雑誌です。ギターやマンドリンのCD情報も充実してるし、ほかにもいいコーナーがそろっています。1度読んでみてください。

最近、山下和仁の最新CD「黎明期の日本ギター曲集」買いました。これにはあの中野二郎先生のギター曲が4曲収録されていて、聴いてみて「すげえ。」と思いました。偉大な作曲家であることを改めて実感しました。ジャケットには中野先生の若き日の写真が載ってます。
迷った末に買ったんですが、正解でした。おすすめです!!

(Nario さん 投稿日:10月02日(土)17時46分01秒


マンドリン界の今後の流れ(その2)Narioさんの意見を読んで

COデュオ 投稿者:ちょっちさん  投稿日:10月04日(月)00時27分23秒

>Narioさん
 COデュオとは、アーベントムジークで過去に演奏したデュオでして、
現SSAのコンマスとギターの二人です。

 マンドリン室内楽の傾向は学生よりも、むしろ社会人から進行して来ているというのが実状でしょう。学生団体でアンサンブルをやるところはあまり聴いたことないですけど、社会人なら、かなり多くのところで定常的にアンサンブルの演奏をしていますね。
 実際、アンサンブルのために書かれた邦人の曲も次第に増えてきています。ただ、情報が広まらず、なかなか再演されないのが残念ですけど。


「長良川幻想曲」と藤掛先生 and 帰山先生

私は、中学生の頃マンドリンクラブに所属していて、久保田孝氏にマンドリンをほんの少しだけ習った事があります。
高校を出て、作曲家になろうと、音楽学校へ行き、久留智之氏、松尾祐孝氏に作曲を師事しました。あと、帰山栄治氏には中学生の頃よりいろいろとお世話になっています。しかし、就職難から音楽だけでは生きて行けないかもしれないと思案しているうちに、なぜか現在は某国立大学大学院で経営学を研究してます。

>「長良川幻想曲」は、今はなくなってしまった幻の曲なんですか?

中学生の頃、当時練習中だったメルヒェンNo.1の楽譜上の不備を高校生の先輩達に問いただしても取り合ってくれなかったので、藤掛先生にいきなり電話して質問したことがあります。その後、千葉に先生が引越されて、連絡が取れなくなったのですが、「長良川幻想曲」はその頃の少し前の岐阜にまだおられる時に書かれたものであることを憶えています。

「長良川幻想曲」は、昨年の暮れにお亡くなりになられた伊東尚生氏に、岐阜関連の歌謡曲をベースに曲を作ってくれと委嘱されて作ったものと、私は10年以上前に藤掛さんに聞いた憶えがあります。

この曲の最後に、五木ひろしが歌っている「長良川艶歌」のフルコーラスが2度出て来ます。
あくまで僕の推測ですが、この事が、法律上引っ掛かってしまったのではないでしょうか。
掲示板をみて、「長良川幻想曲」が藤掛先生のHPにどこにもなかったので、驚きました。

>帰山さんは当時愛知県稲沢市、久保田孝さんは東京、なんかひょっとして
>すごい中学時代の音楽環境だったんですね。

中学校は都内にあったのですが、そこに久保田先生が指導に来られてたと言う縁です。帰山さんは・・・、Ouverture Historique No.3に感動し、単にこっちが押し掛けただけで・・・。

藤掛先生への質問とはリピートマークが所々分かりにくかったことでした。
帰山さんや久保田先生や、私の師匠である久留智之先生なんかは、丁寧に楽譜を書かれますが、藤掛先生は、相当手早く書くと見えまして、書き損じ、書き漏れがあったのではと思います。実際に、楽譜通りの順に演奏すると、音楽がブツブツ切れてしまう様な気がした憶えがあります。
最近は、藤掛先生も帰山先生もフィナーレを使ってるようですが。

さて、藤掛先生と帰山先生の思い出ですが、中学3年の頃、今思えばよくあんなものを書いたものだというような、30分以上もある単一楽章の曲を書いたのですが、藤掛先生と帰山先生は快くその駄曲を見てくれました。
藤掛先生はわざわざすべてに赤を入れてこうする方が良いと添削してくれまして、そのあと随分長い手紙を下さったことがあります。その後に、千葉へ越されたようで、それから連絡の取りようがなくなってしまったのですが。
最近、藤掛先生にメールをしたら、そんな事があったかも、位の記憶だそうです。
随分昔のことになってしまったのだなと、感じたものです。

一方、帰山さんには、変な所は沢山あるが、とにかく作って作りまくれ、と言われました。
その後も、具体的にどうしろ、こうしろ、とはあまりおっしゃらないですね。
自分で考えなさいってことでしょう。
私が調性を一切意識しない様作曲をするようになってからは、「全く分からん」とばかりいわれますが。
ちなみに、久留先生は、こうしたほうが・・、というのですが、これは僕が作ったものだから、N君は別の事を考えて、と良く言われました。
作曲の指導も人それぞれです。

(西海 学さんから頂いたメールの抜粋と管理人とのやりとり。1999年9月15日記)


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