ryuichi yoshida

「BLACKSHEEP」(DOUBT MUSIC DMF−122)
BLACKSHEEP

 吉田隆一というバリサクのひとは、いろいろなアルバムで聴いているし、生でも渋さ知らずがらみで何度か目にしており、その度に感心していたのだが、これまで二枚(だっけ?)出ているリーダー作はどちらも作曲中心ということでスルーしていた。本作は、スガ・ダイローのピアノ、後藤篤のトロンボーンとのトリオということで期待して聴くと、はたしてその期待に100%応えてくれる充実作だった。たしかにコンポジションは重視されているし、ちょっと聴くとミニマルミュージック的なところもあるのだが、それが次第に即興が進んでいくにつれて熱くなっていき、頂点にのぼりつめたところでコンポジションがさっきの倍ほどに膨らんだ感じで覆い被さってくる……という、実質的にはひじょうにアグレッシヴな演奏で3人のソロも存分に楽しめる作りになっている。その構成は見事のひとこと。吉田隆一はほんとにいい曲を書くなあ。演奏の要というか推進力となっているのはスガ・ダイローの爆発的かつ知的なピアノであるのは言うまでもないが、トロンボーンもベースと管楽器両方の役割を負って、自在にふるまっていて、このバンドを支えている。めちゃ気に入りました。

「AUTUMN’92」
RYUICHI YOSHIDA

 バリトンサックスの吉田隆一が、まだ学生のころ、録音したバリサクソロ。今から20年近くまえの演奏だが、プレイはきのう録音したかのように瑞々しい。某大学の学園祭でのライヴだそうだが、おそらくちゃちな機材で録音したのだろうが、かえってそれがリアルさ、迫力を生んでいるし、音圧もあって、音質的には十分。ブラクストンが家で録音した「フォー・アルト」も、リアルすぎる録音が効果を生んでいる。そんなことをいろいろ考えているうちに、自分でもやりたくなり、落語会を録音しているMDでこないだ自分のソロを録音してみたのだが、やはりイマジネーション不足はいかんともしがたく……あ、そんな枝葉のハナシはどうでもいい。このアルバムのことだ。このアルバムに関して痛烈に思うことは、「勇気」ということだ。いくら彼がうまくても、学生がたったひとりで客のまえでソロを演奏する、というのはよほど勇気のいることだ。根性、といってもいい。つくづく、(プロの)ミュージシャンになるひとには、そういう気合いというか踏み出す勇気があるのだなあ、と思う。私も、自分のコンボの演奏のなかで、一曲だけ無伴奏で15分ほど即興ソロをしたり、とソロにはこだわってきたのだが、ひとりだけで1ステージ、あるいは2ステージ……という大胆なことをするほどの勇気はなかった。ここが、多くのフリー系のミュージシャンに対して、すげえなあ……としみじみ思うことなのだ。楽曲に頼ってのソロならまだわかるが、完全なインプロヴィゼイションで、その日の演奏がどうなるかまったくわからないという状態で、よくやるよなあ。そんなことを学生の吉田隆一が(定期的に)やっていた、ということがうらやましいし、ああ、俺にはこんな根性はない(もちろん音楽性も、だが)、ミュージシャンの道を進もうとしないでほんとうによかった、と思うのだ。ああ、作家は楽だ。このアルバムに詰まっている音は、20年まえの吉田隆一そのものだが、今の吉田隆一の原点でもあり、聞いているといろんなことを考える。考えさせられる。音色のこと、リズムのこと、即興のこと、空間のこと、創作するということ、自分のこと……そういうことを思わせてくれるアルバムはほんとうに大事なのだ。何度も聴いたが、いつも途中からあまりに真剣に聴き入りすぎている自分に気づくのです。なにしろ、91年にジャズ研に入部して、92年にはいきなりグッドマンで定期ソロライヴだからなあ。このひとは文章(というか小説)の才能も相当なものなのだが、やはりなるべくしてミュージシャンになったと思う。

「荻窪の日」
吉田隆一バリトンサクソフォン・ソロ

 素晴らしい。もう、聞き惚れる。というか、こういうソロサックスが私のツボ中のツボなのだ。音色がすばらしく、リズムがすばらしく、展開がすばらしく、即興ゆえのみずみずしさが全編にあふれていて、もう美味しすぎる。吉田氏本人からいただいたのだが、もらってから何遍聴いたことかわからん。テーマのあるものないもの、武満徹の主題による変奏みたいな曲やエリントンナンバーもあり、まるで聞き飽きないし、ダレることもないし、一度聴き始めると最後まで聴きとおしてしまう。これはよろしおまっせ! こういうのを聞くと、つい「自分でも……」と思ってしまうが、いやー、これはよほどの技術と基礎がないとダメでしょうね。サックス一本でひとを感動させる音楽を、しかも即興でやるというのは、なかなかたいへんなことだと思うが、本作なんか、その成功例の典型じゃないかと思うのだが。カセットテープで録ったという音の臨場感といい、安定感とスリルが同居した展開といい、ほんとにうまくいってる。一度生でソロを聞きたいものです。

「霞」(SINCERELY MUSIC SINM−004)
吉田隆一 + 石田幹雄

 これは私がライナーノートを書いたアルバムだが、だからほめるわけではない。だれが聴いてもすばらしいと思う内容だから、そう書くまでだ。なにしろ、ライナーは一回没にされたからなあ。まるごと書き直したのが今のライナーなのである。本作だが、吉田にとっても石田にとっても、これまで発表されたアルバムのなかでもっとも普段のライヴに近い、アグレッシヴで濃密なものになった。ブラックシープなどもよいのだが、黒いバリトンを前後に揺らせて吹きまくる、日本を代表するバリサクソロイストとしての吉田の姿はここで聴かれるとおりだ。また、スガダイローとともにこれからのジャズシーンを確実に担っていくだろうピアニスト石田幹雄の、あの鍵盤のなかに没入してしまうかと思えるほどのめりこんで弾きまくるパワフルな異常性もここに聴かれるとおりである。そういう個性が、緻密な下準備のもとで奔放にぶつかりあうと、こんな「美」が生まれたのだ。美のなかには、ストレートなものもグロテスクなものもあり、ここにはその両方がある。少なくとも、私にはこのバリサクの音はべちゃっとは聞こえないけどなあ……。評論家の文章にふりまわされることなく、このアルバムが、多くのひとの耳に届くことを念願している。「音楽雑誌」でなんと書かれようと、じつは傑作ですから、よろしく。本作に関する私の思いは、購入のうえ、ライナーを読んでください。

「BLACKSHEEP/2」(DOUBT MUSIC DMF−140)
BLACKSHEEP

 西島大介のポップなイラストをジャケットにした「ブラックシープ」の2枚目。内容はかなりハードだが、そのなかにじつは内在している愉しさを抽出して、ポップなイラストで象徴させる、というやりかたはジョン・ゾーンの「コブラ」のジャケを連想しなくもない。肝心の内容だがまさに満を持して、という言葉がぴったりな、吉田隆一の現時点における最高の作品だと思う。バリトンサックス、トロンボーン、ピアノという変態的な編成によるトリオだが、曲よし、アンサンブルよし、ソロよし、からみよし……なにからなにまでよしよしよしで、微塵も変態的な編成を感じさせない。と書くと、なるほど、こういう編成でもガチンコ即興ではないちゃんとした音楽ができるんだなあ、と思うひともいるかもしれないが、もちろんそうではない。これはこの3人だからできるのです。バリトンもトロンボーンもピアノも、ひとりひとりが3人分も4人分もの働きを兼ねており、それが可能なこのメンバーだからこそ、たった3人で無限の広がりのある演奏ができるのだ。よくぞ揃えたなあこのメンツ。このグループは今の日本のジャズの異常なまでの豊饒さをあらわしていると思う。すごいとしか言いようがないこの作品が、何気なく発表され、何気なく聴かれていくことの凄さよ! 過日、ベルベットサンで本作の発売記念イベントがあり、それをUSTで視聴していると、このグループの音楽を「フリージャズ」と何度も形容する発言があって、どうも気になった。というのは、これは個人的な感覚なのだが、こういう演奏って、いわゆるフリージャズとはもっとも遠い、というか、対極にある音楽のような気がするのです。ではなんと呼べばいいのか。うーん……それは知らんけど、少なくともフリージャズではない。つまりは、私にとっては、いちばんジャズらしいジャズという感じです。フリーしか聴かないというひとにも、フリーだけは聴かないというひとにも、ジャズは一切聴かないというひとにも、とにかくおすすめしたい傑作。

「TEA−POOL」(SINCERELY MUSIC SINM−002)
YOSHIDA RYUICHI

 今やあちこちからひっぱりだこで、自己のグループの評価も高いうえ、SF評論家としても辣腕をふるう吉田隆一の10年(以上)まえの姿はどうだったのかを知りたければ本作を聴こう。すべて吉田隆一ひとりによる演奏で、ベーシックトラックのプログラミング、シンセ、フルート、バリトンなどによる宅録的な演奏で、短い曲が14曲収録されている。あたりまえだが完全に自己完結している。ミニマルミュージック的な部分、プログレ的な部分、チェンバーミュージック的な部分などもあるが、やはりどこかしらジャズ的な即興の匂いが感じられるし(8曲目とかはまさにそういう演奏)、アイラー的祝祭日やニューオリンズ、チンドンなどの要素も垣間見られて、要するに吉田隆一の頭のなかがのぞけるような内容になっている。そんなことをしたくない、というひともいるだろうが、なかなか興味深いですよ。それにしてもええ曲を書くなあ。どの曲も、ちょこっとしたところに才気というかひとひねりが感じられるものばかりである。それは、好ましい、自然な音の並びを少しだけいじるとか、リズムをほんの少しずらすとか、予定調和や先入観を聞いているものが気づかないぐらいわずかに壊して、「ひとり音楽」にいきいきしたものを吹き込んでいる。そういうことがリスナーに与える効果を熟知しているからできることなのだ。リズムトラックなどはチープな感じのところもあるが、それもわかったうえで面白がっているのだろう。バリトンの生音を上手くブレンドした曲も多いがそれも「バリトンサックス」であることに意味がある……ような気がする。

「響生体」
吉田隆一

 酉島伝法(の絵)とのコラボということだが、要するにバリトンサックスソロ。購入するとダウンロードのパスワードを書いたカードがもらえるだけなので、あとはパソコンかスマホでダウンロードして聴かねばならない。一見短編集というかショートショート集だが通して聴くと長編の手ごたえもある。いわゆるスラッシュみたいに短いわけでもない。どの曲もそれなりの聴きごたえがある長さであり、つまりは短さを利用して逃げる、というわけにはいかない長さである。最近のサックスソロというとエヴァン・パーカーを筆頭にネッド・ローゼンバーグ、ジョン・ブッチャー、カンテーファンのように循環呼吸やマルチフォニックスを駆使した超絶技巧のものが多いなか、ブロッツマンのソロのようにノーギミックで、基本的に単音楽器であるサックスとひとりで向き合った場合どう演奏するのか、という、サックスソロの原点的な演奏のように思えた。楽器を吹き鳴らす原始の喜びに満ちているが、じつは一癖も二癖もあって一筋縄ではいかない。楽器の鳴り、音色の変化、息遣いなどへの気配りはこのひとならではで、非常に丁寧なだけに、ちゃんとした再生装置で聴きたいという気持ちにさせてもくれる。しかし、こういう形態をとったことの意味もまたわかる。録音も生々しく、めちゃよかったです。多重録音の曲もけっこうあるのだが、すごく効果的。シャッフルして聴くこともできるかもしれないが、この配列には意味があると思われるので、個人的にはそのまま聴くことをおすすめします。傑作。