frank wright

「UNITY」(ESP−DISK 4028)
FRANK WRIGHT

 フランク・ライトというひとは、アイラーの演奏を聴いてフリージャズをはじめたらしいが、「フリージャズの2フランクス」のかたわれであるフランク・ロウが初期の絶叫的な演奏から脱却しようとさまざまな試行錯誤を繰り返していくのに対して、ひたすら叫ぶプレイに終始したひとである。まあ作品数も多くないし、長生きしなかったので、我々のように録音しかその演奏に接する機会のないものにとってはその全貌はなかなかわからないとはいえ、まあ、だいたいそんな感じだと思う。本作も、フランク・ライトはひたすらギャーギャーいいまくるだけである。しかも、正直いって一本調子で、ファラオ・サンダースのような「叫びのバラエティ」にもとぼしいし、聴いているとちょっと飽きる。本作の価値のほとんどは、ピアノのボビー・ヒューのすばらしいプレイ、そしてベースのノリス・ジョーンズ(シローン)の演奏にあるといっても過言ではない。ピアノのイマジネイティヴかつアイデアあふれるプレイには勝手に耳がそばだつ。しかし、そういう場を提供し、ピアノに刺激を与えた、という意味ではフランク・ライトの存在は大きい……のかもしれない。それに、私はフランク・ライトのこういった演奏を嫌いではない。というか、どっちかというと大好きである。アーサー・ドイルを想起するような、ある意味「意味のない」「でたらめな」「はちゃめちゃな」テナーブロウは、わかるわかる、やりたいことわかるでー、と聴き手に言わしめるだけの説得力が……ないことはない。まあ、好みですけど。私は好きですよ、フランク・ライト。断固支持しますよ。

「FRANK WRIGHT TRIO」(ESP RECORDS ESP1023)
FRANK WRIGHT TRIO

初吹き込みにして初リーダー作。フリージャズ勃興時にはそういうことは多かったと思う。フランク・ライトというひとは、もともとベース弾き(BBキングやボビー・ブランドのバンドにいたらしい)だったのがアイラーの影響でテナーをはじめたらしいが、おそらく当時は、まだまだテナーサックスによるスクリーミングの技法が行き渡っていなかったように思う。つまり、ギャーッといわせる技のことである。単にフラジオを出すというだけでなく、そこに倍音をいろいろ残すようにして、濁った音色での絶叫を、さまざまなパターンが出せるように身につけなければならないわけだが、アーチー・シェップにしてもアイラーにしても、「気合い」でスクリームしていただけで、そういったフリークトーンのバラエティを完全に会得していたのはファラオ・サンダースひとりだったように思う。フランク・ライトも、気持ちとしてはここで濁ったハイノートでギャーッと叫びたいが、なかなかそうはいかない……みたいな感じの演奏である。しかし、パッションは人一倍あるので、そのあたりがイキそうでイカない、煮えたぎるような、のたくりまわるような、じわじわとマグマが噴きあがっていくような演奏になる。これがいいんである。いきなりスクリームしたら、その時点で演奏は頂点を迎えるが、あっちへべったり、こっちへべったり、ねばねばねちねちと盛りあがっていくので、最後の噴火のエネルギーが凄まじいものになる。ただし、下手すると途中でダレるし、最後は噴火しなかった、という場合もある(本作でもそういう場面はある)。でも、この不器用さがいいのだ。共演者では、ベースのヘンリー・グライムズがさすがに光っている。

「ONE FOR JOHN」(AFFINITY AFF33)
FRANK WRIGHT

 フランスでの録音。原盤はBYGだが、うちにあるのはアフィニティの再発。ベースのいないカルテットで、アルトにノア・ハワードが参加している。A面はおそらくジョン・コルトレーンに捧げた演奏。B面の「チャイナ」というのはどういう意味かわからない(とくに中国っぽい演奏ではない)。ドスのきいた中音域を中心に、ひたすら汗まみれのブロウをつづけるフランク・ライト。いまどきの音楽ではないが、60年代という時期が眼前に巨塔のごとく立ち上がる感のある演奏で、手抜きのないひたすら集中した演奏は、細かいことは抜きにして、とにかく聞くものを圧倒する説得力がある。なんだかよくわからないボーカル(ボイス?)も雰囲気をもりあげている。低音〜中音域はグロウルしたダーティーな音なのに、高音部は意外にきれいなフラジオというのもおもしろい。ライトのソロはあいかわらず非常に単純かつ明快で、その心の動きにリスナーが容易についていける分、感情移入もしやすく、こういう演奏こそが「フリージャズ」だったのだ。リーダーのライトはさすがに魂の熱血ブロウで今聴いても心踊るが、共演者ではドラムのムハマッド・アリが手数の多い渾身のドラムで全体をもりあげる。これも単純といえば単純なのだが、パワーあふれる演奏なので思わず拳を握りしめて「おーっ」と叫んでしまう。もちろんボビー・ヒューのピアノは最高である。このころのライトの吹き込みは、このふたりとの共演が多い。よほど息があったのだろう。ノア・ハワードも悪くない。やっぱりこれがフリージャズだよなあ、としみじみ思う、汗と血にまみれたようなえげつない、激しい演奏である。たしかに、ああ、もうちょっと深みがあったらなあ、とかいろいろ思う向きはあろうが、いやいやこれこそが、このストレートアヘッドなブロウがフランク・ライトなのである。フランク・ライト最高!

「EDDIE’S BACK IN TOWN」(KRONA RECORDS KR001)
THE NEW FRANK WRIGHT QUARTET

亡くなったのが90年だから、82年吹き込みの本作は、ライトとしてはけっこう後期の、ニューヨークとヨーロッパを行ったり来たりしているころの演奏ということになろうか。A−1は射殺されたエディ・ジェファーソンに捧げた演奏である。軽快なピアノのコンピングに乗ってブロウしまくるライトのソロは、のっけからパワー全開で熱い。暑苦しいといってもいい。いやあ、このヘヴィさがいいんです。炸裂するビバップボーカルはエディへのデディケイションなのだろうか(そのわりにはほとんどの曲で入っている。こういったバップスキャット的な表現は、ライトにとってかなり大きなウェイトをしめており、そういうこともあってのトリビュートということになったのだろう)。どの曲もテナーはギョエーッと吠えまくってはいるが、全体としてはごくふつうのハードバップ的な形式を踏襲しているのもおもしろい。フランク・ライトの音楽は、フランク・ロウもそういう一面があるが、よりいっそうストレートに「ブルース」を感じさせるものであって、それがものすごく自然なのである。12小節とかを飛び越えた、もっと大きな「ブルース」というもののなかで自由に暴れている、という感じが心地よい。A−3のラストのリフ(?)のしつこさも、ブルースっぽいといえばブルースっぽい。B−2はタイトルはブルースだが、ブルースではない。しかし、もちろんそんなことはどうでもいい。フレーズの端々、隙間からブルース臭がにおいたってくるような、プリミティヴな演奏ばかりである。全曲オリジナルだが、自作のテーマすらよたよた吹くライトに、ブルースを、そしてジャズを感じないものがいようか。たとえばライトのやや後輩になるデヴィッド・マレイは同じような「フリージャズ」という枠のなかで演奏しているわけで、音楽性もソロもフランク・ライトとかぶっているような部分もあるが、その吹奏自体がずっとスムーズである。つまり、うまいのだ。そのうまさがときには欠点になり、するするっと吹いている感じに聞こえるときがあるが、フランク・ライトはつねに血がにじむような演奏で、そこがかえって心を打つのだから、ジャズというのは不思議だ。B−3の「トゥー・フォー・ジョン」はジョン・コルトレーンへのトリビュートであり、曲名は上記「ワン・フォー・ジョン」をふまえているのだろう。べつに、この曲がどうこういうより、ライトの演奏はその全てが60年代フリージャズをひきずっており、コルトレーンの、そしてアイラーへのトリビュートになっているように思う。ライトのアルバムを全部聴いたわけではないが、一般のジャズファンにいちばんおすすめできるのが本作ではないか……というような気がしたりしなかったり。