daisuke takaoka

「斧琴菊」(BLOWBASS−01)
DAYSUKE TAKAOKA

 ここしばらくのあいだで、こんなにおもろかったCDはないというぐらいおもろかった。そして、感動した。おもろくて感動する。これはもう最強ということではないか。基本的にはチューバのソロなのだが、そんなものでアルバム1枚持つのか、という危惧を抱くひとがいるとしたら、ぜーったい聴くべきである。非常に芸術的なのだが、かつエンターテインメントでもある。本人がどういう気持ちで演奏しているのかわからないが、おそらくは自分に忠実に演奏しているのだろう。だとしたら、この音楽は、芸術に徹しようとした結果が超一級のエンターテインメントにもなっているわけで、ルイ・アームストロングの音楽のようなものだ。よい芸術は娯楽である。森羅万象これエンターテインメント。演るほうはたいへんだろうが、聴き手である我々は楽である。なんでもかんでもおもしろいと思ったものを聴けばいいのだ。しかし……このアルバムはほんとにすごい。どうすごいのかは、私の筆ではとうてい表しようがない。それぐらいおもろい。多くのものを得た。勉強させてもらった。「勉強」という表現はよくない、と思うひとがいるかもしれないが、ほんとうにすごいものからは、勝手にいろいろなものを学んでしまうのである。圧倒的なパフォーマンスで、広く万人に勧めたい。チューバのソロ? いや、それはちょっと……などといってるひとにこそ聴いてほしい絶品ソロ。こういうのを聴くために私は生きているのです。

「GYRO」(BLOWBASS−02)
DAYSUKE TAKAOKA FIRST TUBA SOLO

 高岡大祐チューバソロ第二弾。チープで耳障り(まさにノイズ!)なエレクトロニクスの演奏などもあるが、本質的には「斧琴菊」と同じく、めちゃめちゃおもろい芸術的エンターテインメント。こういう演奏を聴くと、音楽を芸術とか娯楽とかわけることがいかに無意味かと思う。もう一度いうが森羅万象これエンターテインメントなのだ。リアルな息づかい、金属を叩く音の現実味、そしてそれらの対極にあるような、安っぽいノイズが、なんともいえぬかっこよさで聴くものに迫る。レスター・ボウイのような諧謔精神も感じられる。ここまでくると、即興とかそうでないとかいう意味はない。ただただ「おもろい」「楽しい」「かっこいい」「笑える」「すごい」……そういう音楽です。

「WELTKLANG」(BXL BE)
DAYSUKE TAKAOKA SOLO

 これもまた、演奏者の息づかいがリアルに迫ってきて、しかも、どこかスポーンと抜けたファンタジーのようにも思えて、楽しくてしかたがない。なんだか稲垣足穂を思い出させるようなのんしゃらんさと、プレイヤーの汗が目に浮かぶような狂熱と、クールな視点が同居しているような凄みがある。そして、グルーヴも……! こういうめちゃめちゃおもろい演奏が詰まった玉手箱のようなアルバムを、こういう安っぽさの極地のようなジャケットに収納して売るというのはいかがなものかとは思うが、それも含めて制作者・演奏者の意向なのかもしれない。まあ、皆さん、聴いてください……と人生幸朗師匠のように言うしかないアルバム。聴かなきゃダメ!

「借景 夏」
高岡大祐

 発売されたことを知って、聴くのが楽しみで楽しみでしかたなかった。京都の田舎に籠もって録音されたソロ作品。これもきわめて面白い。無音のスタジオでの演奏よりも、自然音が入り込んでいることでかえって閑寂を感じさせる。きわめて刺激的である一方、静の極地も味わうことができる稀有な音楽。これがダビングなしの即興で行われていることには驚愕する。べつに、オーバーダビングがあろうと譜面があろうと、いい音楽はいい音楽であるにはちがいないが、やはりこのひとのやりかたというのはだれにも真似の出来ないすばらしいものだと思う。個々の演奏について詳しく書かない(書けない)が、細かいひとつひとつを味わうもよし、全体としてトータルなうねりを感じるもよし。反則かもしれないがシャッフルして聴くのもありだとおもう(初聴のときはあかんと思うけど)。すがすがしい気持ちになれ、人間とか生命とか管楽器とか呼吸とか肉体とか魂とかノイズとかメロディーとかリズムとか……聴いていていろんなことに思いをはせることのできる作品。すばらしい。ほんとはなんの先入観もなく聴いてほしいんだけど、これだけの短い文章でもけっこう先入観になってしまうかな。読まないでください(遅い)。

「SOLOS VOL.2 ”BLOW”」
DAISUKE TAKAOKA

 チューバソロのアルバムを(たぶん)3枚リリースしている高岡大祐氏が、な、な、なんと15人の管楽器奏者のソロインプロヴィゼシイョンを集めたアルバム「ソロズ」をリリースした。非常に世間(といっても私の知っている世間ですよ)の評判も良く、しかも入手したひとによると通し番号がすでに900番台になっており(プレスは1000枚)、早く手に入れないとなくなってしまうよとそのひとにおどされたので、そのうちどないかして手に入るだろうとのんびりかまえていた私も、急に「えらいこっちゃ」とあわててしまい、思わず直接通販で注文。そしたらその日の晩に行ったライヴの物販で売ってた。あー、やっぱりあわてるとろくなことはない。届くまでに時間がかかるだろうから、物販で買うほうが早く聴けたのに、と後悔しまくったが、そうなると早く早く一刻も早く聴きたいという気持ちになり、ようやく届いたときは、べりべりと封筒を破り、なかから(おなじみの)段ボールみたいなジャケットを取り出し、なかからCDを引っ張り出してただちにプレイヤーに突っ込んだ。近年、ここまでCDが聴きたくてしかたがなかったことがあろうか、というぐらい待ちに待っていたのだが、1曲目の松本健一さんのテナーソロを聴いて、ああ、苦労が報われたという気になった(じつはなんにも苦労をしたわけでなく、ただ、物販で買えたのに通販してしまったというだけなのだが)。いやー、めちゃめちゃいいアルバムです。15人の個性が短い時間のなかに詰まっていて、聴けば聴くほど面白い。どこから聴いても面白いが、シャッフルして聴くのもいいかも。でも、最初のうちは順番に聴くべきだよなー。プロデューサーの高岡氏の、この順番に並べた「意味」もいっとあるはずだから。とにかく入手してから10回以上聞いたが、最後まで聴くときもあれば、途中で用事ができて止めるときもある。でも、いずれのときも、最初は松本テナー→有本トランペット→関島チューバ→田中テナー→伊藤アンプリファイアドテナー→古池トロンボーン……というあたりまではぜったいに聴くので、最近では松本さんのソロの細部まで覚えてしまったほど。聴けば聴くほどこの並べ方が絶妙だと思えてきた。たしかに、管楽器ソロを並べ立てたアルバムなのだが、ひとつづきの流れというか、組曲というか、そういうものが見えてくるような気になる。つまり、全員が一同に会していて、順番に無伴奏ソロをチェイスしていった……という錯覚に陥ったりする。この15人は、ほかのひとと似た演奏はひとつもなくて、それぞれ個性が際立っていて、どの1曲も埋没せず、くっきりと自己主張している。だからなのか、何度聞いても飽きない。こういうのを私は「エンターテインメント」と呼びたいのだがまちがってるだろうか。だって、聴いていてめちゃくちゃ楽しいし、面白いし、わくわくするのだ。この15人を人選したということだけでも、高岡氏の眼力(耳力)は凄いとおもうし、日本に今、少なくとも15人の凄い奏者がいるのだぞ(ほんとはもっともっといるけど)ということだけは世界に伝わるはずだ。みんな、これを聞き逃す手はありません。ぜひ、ぜひぜひ聴いてください。

「MEGIXIMA」(SOLOSOLO−006)
DAISUKE TAKAOKA TUBA SOLO AND FIELD RECORDING

 高岡さんのチューバソロももう私の持ってるだけでも4枚目なのだが、どれもめちゃめちゃ面白くて、世界中のひとに聴いてもらいたいと思っているのだが、本作もすごかったなあ。すごかった、いうと力の入りまくった作品という風に思うかもしれないが、逆で、自然で素直に聴ける。しかしそれは力が入っていないわけではなく、もしかしたら最高に力を入れた作品かもしれない。「力が入っていないように聴こえるよう力を入れた」作品と言っていいのではないか。なにを言ってるのかわからない? まあ、聴いてみてください。チューバという名の金属の塊を、ときには管楽器として吹き、ときにはノイズマシーンとして使い、ときには叩き、ときにはしゃぶり、ときには息の音だけを抽出し……ある意味フリーインプロヴァイズドで、ある意味ノイジーなのだが、このひとのノイズなら朝から晩まで一日中聞いていてもいい。いや、聞きたい。ノイズには、うるさく感じさせるべきノイズもあって、それも好きなのだが、このひとのノイズは普段の生活のなかにあるノイズを切り取ってきて拡大しているようで、聴き手のさまざまな想像力を刺激してくれるし、ときには楽しく、愉快で、ときには悲しく、ときに腹立たしく、そして(ここが大事なのだが)ときにすごく心地よい。マウスピースにボンと息を入れるときの音を拡大すると、こんなに気持ちいい響きになるのかといった発見もある。こんな面白いものはない。あと、これまでの作品でも自然音との共演というか、勝手に自然音が入り込んでいるようなもの(蝉の音とか)があったが、本作はさらにそれが徹底していて、2曲目と11曲目にはこの録音を行った女木島の島のひとと思われるひとたちのトーク(ほんとにただのトーク。猫がどうしたこうしたとか猪がとか……そんな話。なんかほのぼのしているようでどことなく哀しげで、ほんとに「この島の日常」という感じで、よくぞここの部分を切り取った、としみじみ感心)が入っているのだが、それと演奏のつなぎめが見事すぎるぐらい見事で、良い演劇を見せられているような気持ちになる(ついでに書くと、私はこのトークと演奏のコラージュみたいなものを聴いて、ミルトン・ナシメントの「チャイ」というアルバムを思い出した)。マルチフォニックスを使った演奏もあるけど、どうやって録音してるのかわからないようなものもあって、たとえば4曲目のノイズはよくわからんけど、もしかしたらヤカンに湯を沸かしてそれの沸騰する音とチューバをミックスしているのか……とか想像したり(8曲目も?)、5曲目は海の波打ちぎわの音なのかそれとも室内で水を使って音を出しているのか、とか(9曲目は明らかに水をどうにかしている音だが、もしかして風呂? 洗濯? 雑巾を絞ってるの?)、7曲目の途中、かなり長時間無音の部分が何カ所かあって、それもすごくて驚いたり(CDが壊れたのかと思った。こういう無音の箇所って、じっと聴いていると、エアコンの音とかパソコンの音とか室外の虫の声とかを、スピーカーから出ているって勘違いしてしまったりして、それもまたよし)……そういう風にこちらがいろいろ考えながら聴けるのがとにかく楽しいのです。純粋に音楽を聴く、という意味においてはどうでもいいことなのかもしれないが、なんかすごく「入り込める」のである。スタジオのなかで完璧にアレンジされて一部の隙もない演奏に比べて、大げさに言うと宇宙的な広がりが感じられる。とにかく傑作なので、冒頭に書いたように世界中のひとに聴いてほしい。CD屋やアマゾンで買えないって? それぐらい努力して入手せえよ。

「INTRODUCING BRIGHT MOMENTS」(BLOWBASS−002)
BRIGHT MOMENTS

 チューバの高岡大祐、トランペットとバスクラリネットの有本羅人(このひとは主奏楽器の選択の時点でもうすごいと思う)、ドラムの橋本達哉によるトリオ。コンポジションをベースに演奏しているらしいが、どう聴いても即興に聞こえる。これがめちゃめちゃいいんです。データが全部CDのおもてに印刷されているので、聴いているあいだは曲名とかメンバーとかを確認することができない仕組み(?)になっているのもいい。大きな音量の部分も含めてかなり静謐かつ丁寧で繊細な演奏なので、聴く側も注意深く、対峙するように聴かなければならないが、それがまた快感である。風が吹き渡るような演奏、波が寄せては返するような演奏、何万匹もの蚊や蠅や蜂を放ったような演奏、大地が息を吸ったり吐いたりしているような演奏、リズムが空間を密に埋めていくような演奏、ミルフィーユのように音を少しずつ重ねていくような演奏、メロディアスな演奏、そして凄まじい落雷が轟きわたるような演奏や地鳴りが大地を揺らしていくようなアグレッシヴな演奏もある。とくに9曲目の異常な盛り上がりはすごくて、何度もリピートして聴いてしまった(こういうのが聴きたくて、日々、CDを買ったりライヴに行ったりしとるんです)。三人とも自分のダイナミクスにすごく気を配っていて、それ自体が大きな表現となっているが、つまりはそれができる3人ということなのだろう。それぞれのソロも入っていて、全体としてひとつの組曲のようにも聞こえる。最初に聴いたとき、タイトルとかを先に読まなかったため、なんの先入観もなく接することができたので、切れ目を意識することなく一気に聴けて、めちゃめちゃ入り込むことができた。データをCDの表に印刷しちゃうというのは、いいアイデアだと思った。グループ名はカークのアルバムから取ったらしいが、たしかに聴いているときに輝かしい瞬間がいくつもあって、それを聞きのがさないようにキャッチすればいいのだなと思ったが、何度も聴いていると、え? こんな面白い瞬間あったっけ? と毎回新たな発見をするので、また聴くことになる。それが「ブライト・モーメンツ」なのだろうと私は勝手に思ったのでありました。ジャケットもシンプルでスタイリッシュで超かっこええんよ。

「BINAURAL RECORDING WITH MY HEAD」
DAISUKE TAKAOKA TUBA SOLO

 バイノーラル録音という手法があり、それは自分の耳にはめ込んだ特殊なマイクを使用して、自分がその場で聴いているのにほぼ近い音を録音するということだそうだ。これを使って、自宅の台所、ベランダ、立ち飲み屋、公園などで録音しながらチューバを演奏した、一種のドキュメントである。ほとんどはチューバではなくその場の空間音(普通は「雑音」といってカットされてしまうだろう音)で占められ、ときどきチューバが演奏される。そういう現場の音が、なんとなく入っている、という感じではなく、ものすごくリアルに録音されていて、話している内容とかも全部はっきり聞こえるのだ。リスナーとしては、ついついその会話に聞き入ってしまい、そこへチューバが入ってくる……というかなり面白いドキュメントなのである。しかも、チューバはいつもの高岡さんのフリーなアプローチは少な目で、どちらかというとプラクティス風の演奏で、ロングトーンをいろいろな音域でしたり、アルペジオを吹いたりするのだが、それが妙にばっちりはまっている。私は聴きながら、昔聞いたクリフォード・ブラウンが練習している風景を録音したレコードとか、高校のときに模擬試験を受けているときにべつの棟で練習していた吹奏楽部の連中がてんでばらばらに吹いている基礎練の音が混じり合い、ひとつの音楽として聞こえてきたときの感動を思い出したりした。耳のところにマイクがついているためか、チューバのブレスするときの音がめちゃくちゃはっきり入っていて、それも面白い。高岡氏本人はライナーで、「(こうして録音して聴いてみると)普段どれだけの音を聞き逃しているのか、という気持ちになります。人はその場にある音すべてを聞くことはできません。ごくごく一部を選んで聴いているにすぎないのです」と書いているが、ほんまやなあとつくづく思った。とにかくものすごく面白いアルバムである。メガギシマでのソロで、二曲ほど現地のひとの会話が入っているだけの曲があったが、ああいう流れのなかにあるのかなあと思った。高岡氏は「もしかしたらこの作品は『音楽』ではないかもしれませんが、何か聴く人の『音の体験』の一つになればと思います」と書いているが、いやー、これも、いや、これこそ音楽でしょう。少なくとも私にとっては、「音楽的感動」を強く味わいました。非常に優れた試みであると思います。1曲入ってる口笛(歯笛?)もええ味出してる。

「盲声」(BLOWBASS−003)
歌女

「歌女」というのは「かじょ」と読み、グループ名らしい。ドラム〜パーカッションふたり(石原雄治さんと藤巻鉄郎さん)と高岡さんのチューバによる3人の演奏。ドラムは、バスドラムを大太鼓のように置いたり、個々のタムやスネア、シンバルなどを解体してその周囲に並べたりしているらしい。演奏はほんとすばらしいです。何度聴いてもいい。ドラムもドラムらしかったりらしくなかったり、チューバもチューバらしかったりらしくなかったりするので、楽器編成は正直、聴いているほうにとってはどうでもいいような気がする(演奏している側にとっては大きな問題だろうが)。ただひたすらこの音楽空間に浸っていたい。実際、「空間」というか、青い巨大なゼリー状のものがそこにあって、聴き手である私もそのなかにずぶずぶと入り込んでいるような気さえするのだ。この音楽は、美しく、品格があり、刺激的で、グルーヴしていて、なにも言うことはない。こういう音楽こそ生活に必要なのだ。人生の鬱陶しいことをリセットしてくれ、明日の活力を与えてくれる。どの曲もバラエティに富んでいるが、8曲目の大波がじわじわ押し寄せてきて、その緊張感が延々と続き、しまいには周囲が全部大海原になっているようなドラムにはただただ感動した。最後のほうは、高岡さんらしい生活音が入ったりしています。傑作。ジャケットと裏ジャケも秀逸。