tomoki takahashi

「RECONFIRMATION」(AKETA’SDISK MHACD−2603)
高橋知己・清水くるみデュオ

正直、古澤良治郎バンドでの演奏以外の高橋知己のテナーには、長年、さほど関心をいだいていなかった。というのは、あのバシバシ切るタンギングというかアーティキュレイションがどうも肌にあわなかったからで、リーダー作をはじめ、北海道バンドとかいろいろ聴いたし、生でも何度か聴いたが、やはりどうもピンと来なかった(でも、なぜか古澤バンドでの高橋さんは大好きなのです)。そういう、ある種の偏見(?)がこのデュオアルバムを聴いて霧散した。やはりたいしたテナー吹きだ。これだけこってりしたジャズを、ピアノとデュオで、ここまで吹けるというのは並大抵ではない。軽い演奏のように思うかもしれないが、じつは超ヘヴィな音楽が詰まっていて、なかなか最後までテンションをもって聴きとおすのは疲れる。聴き終えたあとも、けっして私は高橋知己の良い聴き手になったとは思わないが、この作品はちまたにあふれる凡百のスタンダードナンバーに比べて、はるかに高いところにあると思う。高橋知己は今がいちばんおいしいのかもしれない。

「FEELING GOOD」(AKETA’S DISK MHACD−2629)
TOMOKI TAKAHASHI QUARTET

 高橋知己のピアノレス、ギター入りのカルテット。1曲目から引き込まれ、気がついたら最後まで聴いてしまう。まえにも書いたかもしれないが、その昔(学生のころ)は高橋さんのテナーがけっこう苦手で、それは独特のアーティキュレイションのせいなのだが、こういう強いアクセントのつけかた、というか、タンギングで音を完全に切ってしまうようなブツ切れの8分音符の吹き方が苦手だったのだ。森山威男の「フラッシュ・アップ」はそんななかで奇跡的な名演だと思っていたし、古澤良次郎バンドでの高橋さんの演奏は全部めちゃめちゃ好きだったので、じゃあ、なにを聴いて苦手意識を持つようになったのか、と言われると考え込んでしまうが、たぶん、各種リーダー作での演奏や何度も接したライヴでの生演奏の印象なのだろう。しかし、たとえば本作を聴けばわかるが、それは完全に私の聴き方がまちがっていて、高橋さんのアーティキュレイションは、華麗ではなく木訥ではあるがすごく自然なのである。なんで、あんな風に思ってたのかなあ。とにかく、今は逆に高橋さんのテナーは渋みがあり、歌心もあって、しかもものすごく個性的で、すごく好きなのです。やっぱり、人間の耳というのは怖い。私がアホ耳だということは何度も痛感したが、高橋知己に関しては、ほんとに私がアホでした、というしかない……ということもあって、最近、過去のリーダー作などを聞き返したのだが、以前は、楽器が鳴りまくっていて、8分音符の音が粒立ち、フレージングも流暢かつアーティキュレイションでなにかを語っている……というようなテナーが好きだった私も、さすがにいろいろわかってきて(遅すぎる)、どれもよかったです。反省。なんやねんこれ、と思っていた「アナザー・ソイル」などもめちゃよかった。いやー、このひとの良さをわからないというのはじつに問題ですね。ていうか、これぞテナーじゃないですか? そんな風に思うようになってきたのは、やはりアケタズディスクからアルバムを発表しはじめたころからなのであります。正直に言うと、このアルバムは「ナッシング・バット・コルトレーン」や「ブルース・トゥ・エルヴィン」なんかより好きで、フリージャズを聴くのに疲れると、つい聴いてしまう、という愛聴盤なのである。共演の3人もみんなよくて、ギターもベースも骨太な演奏だが、ドラムの斎藤良がじつに渋くてかっこいい。滋味あふるるアルバムです。

「NOTHIN’BUT COLTRANE」(AKETA’S DISK 
TOMOKI TAKAHASHI QUARTET

 コルトレーンに多大な影響を受けてテナーをはじめ(大学3年か4年のときらしい。すごいよね)、ついにはエルヴィン・ジョーンズグループにまで入ってしまった高橋さんが、(おそらく)満を持して世に問うたコルトレーン曲集だと思われるが、ライナーで本人も書いているように、コルトレーンカルテットの音楽を真似するのではなく、あくまで高橋さんの今のカルテットによる表現、ということにこだわった、「高橋知己ミュージック」になっている。ピアノがおらず、ギターが入っているところから、コルトレーン4に似たものにならないことはあたりまえだが、またこのギター(津村和彦さん)がこのアルバムの要というか起爆剤というか、音楽的にも非常に重要なカギを握っているのだからおもしろい。選曲もいきなり1曲目が「ディア・ロード」で、うーん、さすがだなあと思う。心からコルトレーンが好きなのだろうな。ギターによる、フォークソングみたいなイントロにソプラノがかぶさり、コルトレーンとは違った精神性が感じられる演奏で、ものすごく味わい深い。ギターソロが終わったあとは、なぜかテナーに持ち替えての演奏となる。2曲目「マイ・ファイヴァリット・シングス」はテナーで演奏される。全体に高橋さんは高音域をたくみに使うので、ソプラノでないことにまったく違和感はないし、テナーらしい力強さもあるので、テナーでの演奏は大正解だと思う。この曲はほんとに熱演、名演だと思うが、ほかの曲も「シーダズ・ソング・フルート」(こうして聴くと、あらためてええ曲やと思いました。テナーソロも軽快。ドラムもすばらしい)、「ミスター・シムズ」(テーマだけだとそう聞こえないけどブルースです)、「アンタイトルド・オリジナル」、「アンタイトルド・オリジナル・バラード」、「ダホメイ・ダンス」(最後の2曲は「オレ!」に入ってるやつね。バラードのほうはギターのイントロがすばらしいし、ソプラノもええ感じ。「ダホメイ・ダンス」のほうはシャッフルっぽいリズムになっているが、これはもともと原曲がそういう曲調なのだ。それをより強調したという感じ?)など、選曲が渋いっす。とくに「アンタイトルド・オリジナル」は原曲とはちがったイメージでのアレンジになっているがすごくかっこいい(テナーはいちばん激しいかもしれない。ギターもえぐい。もしかするとこの演奏などが、凡百のコルトレーントリビュートものと大きな差なのかも)。「ネイマ」も、何百何千というテナー奏者が演奏してきた曲なわけだが、ボサっぽくアレンジされていてちょっと驚く。でも、考えてみたら、この曲(のベースパート)はもともとこういうビートが感じられる曲なんだよな。最後はなんと「ウェルカム〜ピース・オン・アース」のメドレー(といっても最初の曲は途中でフェイドアウト)で締めくくられる(スピリチュアルジャズ!)。ギターがソロにバッキングに全体のサウンド作りにとすごく活躍しているのはさっきも書いたが、ドラムの斉藤良さんもめちゃすばらしくて、この種の4ビートジャズにおけるドラムの美味しさが全開である。かっこいーっ。ベースに触れていない? このバンドでしっかりと要となっているベースが悪いはずがないではないか(「シーダス・ソング・フルート」での原曲をたいせつにしたソロ!)。もしかすると、なかには一回か2回聴いて、ちょっとたるいなあとか普通すぎるなあとか思うひとがいるかもしれないが、このアルバムは何度も何度も聴いてその滋味をしみじみ味わうべきです。そういうするめのようなアルバム。

「パハプス」(AKETA’S DISK AD−40CD)
高橋知己トリオ

 1994年のライヴなので、もう20年もまえの演奏だ。ベースが亡くなった是安則克さんで、ドラムが楠本卓司さんというトリオ。曲はスタンダードばかり。それらを比較的ストレートに演奏している。なんだそれだけかと言うひとがいるかもしれないが、それがいいのだ。この真摯で、ひたむきで、ギミックのない、いらないものをそぎ落としたような演奏こそが日本のジャズを長年支えてきたのだ。ときにダレる瞬間もあるかもしれないが、それを乗り越えてまた高揚する。そういった飾り気のない演奏、クオリティの高い熱い演奏が、毎晩東京のあちこちで、少数の客をまえにしてずーーーーーーーっと行われ続けてきたからこそ、今の日本のジャズがある。このアルバムを聞いていると、スタンダードの良さも味わえるが、それは高橋さんがテーマをあまり崩さずに吹いているからだろう。どれも、たぶんみんなが何度も耳にしたことがある曲ばかりで、あ、この曲知ってるけど、なんやったっけ、と裏ジャケットを確かめたりするのではないか。私もそうでした。高橋さんのテナーは、スタンダードという枠のなかでかなり自由に、その場の思いつきで吹いていて、その音色といい、アーティキュレイションといい、じつに「ジャズ」だ。最後の曲でフィーチュアされる是安さんのベースソロも良いなあ。とてもリラックスした、ええ感じのアルバムです。帯に「円熟」と書いてあるがたしかにそうだなあと思う。でも、本作から20年を経た今は円熟を通り越してどないなってるのだろう。若いメンバーとやっているので、今も高橋さんのテナーはみずみずしいです。