archie shepp

「THE MAGIC OF JU−JU」(IMPULSE! MVCI−23036)
ARCHIE SHEPP

 アーチー・シェップの代表作といわれている作品。昔はすごく好きだったが、今の耳で聞き返してみるとどうか。豪華なメンバーをそろえたリズムセクションによるアフリカン・ポリリズムは、意外なほどすばらしく、粒だったシンバルの音やトーキングドラムなどが一体となって作品の土台をしっかりと形づくり、そのモノホンに近さは当時としてはかなりええとこまでいってる。そのうえに乗って、シェップが吹きまくるわけだが、問題はこっちである。うちにあるCDの日本語ライナーによると、シェップは驚異の集中力で長尺の演奏を吹ききっている、ということになっているが、私の耳によると、途中、かなりダレる。というのも、シェップの語彙が少ないからであって、リズムは、複雑かつ超アップテンポではあるが、ビートとしてはずっと変わらないわけで、シェップは同じビートのうえで、いろいろなバリエーションを繰り出していかねばならず、そこまでの蓄積はなかったと思われる。あとは、いわゆる「情念」で乗り切るしかないが、情念は、たしかにシェップにはおつりが来るぐらいたっぷりあるわけで、そのあたりの好みが、このアルバムをどう聴くかの評価のわかれめになるだろう。私は、けっこうだいじょうぶなほうです。シェップのアルバムを聴くとき、いつも思うのは、「気持ちはわかる」ということだ。「コルトレーンの曲を自分の切り口で演奏したい」「パーカッションをずらりとそろえ、アフリカンポリリズムにのって、ひたすら熱くブロウしたい」「黒人霊歌やブルーズに回帰したい」「偉大な黒人音楽の先達にトリビュートしたい」「ビバップやスタンダードを自分の解釈でやってみたい」「バラードばかりでアルバムを作ってみたい」……どれも企画意図はすぐれているのだが、いかんせん主役であるシェップがサックス奏者としていろいろな点で「下手」なので、中途半端な結果に終わっているのだ。それでもシェップが高い評価を受けているのは、さっきもいった情念の点であって、黒人音楽としてのフリージャズをぐいぐい引っ張っていたオピニオンリーダーとしての功績が高いのだ。そんなシェップの思いと、時代の要求がぴったりあっていたころのアルバム(このアルバムに代表されるような)は、どれもぎらぎらと黒い輝きをはなっている。

「ATTICA BLUES」(IMPULSE! AS−9222)
ARCHIE SHEPP

 いきなりボーカルシャウトではじまる、シェップの意欲作。全編、過激でファンキーでブルースっぽいボーカルがフィーチュアされ、リズムもファンキーである。曲もいい。だが、この音楽全体を指揮し、統括しているシェップが、サックスで登場すると、その瞬間はいきなりテンションが下がる(という風に私には聞こえる)。だって、ソプラノもテナーも、例のへろへろな感じだし(とくにソプラノのひどさ。ああ、もうイライラするっ)、誰かほかのひとに任せておけばいいのになあ。誰だかわからんトランペットとかアルト(?)ソロもしょぼいし、シェップのソロもだいたい不発に終わる感じ(トロンボーンソロのみ良い)。シェップはとにかく、「音」がしょぼくて、薄っぺらでスカスカなのに、プレイ自体は「凄まじい叫び」を演出しようとする、そのギャップがすごく情けなくてやるせなくて……なんというか、「フリージャズ好きの楽器初心者」みたいな感じなの。それが好きっというひともたくさんいるのだろうが、私にはしんどい。最近のバラードアルバムなどを聴くと、ほんとに「音」がダメなのだが、もちろんこの頃はだいぶまし(ソプラノはこのころからへろへろだが)。それで、この程度だからなあ。ボーカルや、リズムや、シェップのトータルな音楽作りを聞くべきアルバム。まあ、基本的にボーカルアルバムかなあ。で、実は私はすごく好きなんです、これ。

「DOODLIN’」(INNER CITY IC1001)
ARCHIE SHEPP

 アーチー・シェップがピアノだけを演奏したピアノトリオアルバム。一曲だけ、アラン・ショーターがトランペットで参加しているが、あとは全部トリオである。このアルバム、あの明田川荘之さんが「好きなアルバム」に挙げていることでも知られている。「シェップの作品のなかで、好きなアルバム」ではなく、「すべてのジャズアルバムのなかで、好きなアルバム」なのだ。期待がいやがうえにも高まるというものだが、この作品、なかなか一筋縄ではいかない。だいたい、一曲目が「スウィート・ジョージア・ブラウン」、二曲目が「ドゥードリン」ということになっているが、一曲目の途中で「スウィート・ジョージア・ブラウン」はなんとなく終わり、そこから「ドゥードリン」がはじまる。そして、それもなんとなく終わる。ここまでがじつはレコード上でいう一曲目「スウィート・ジョージア・ブラウン」であって、二曲目「ドゥードリン」はちゃんとそのあとからはじまるのである。全体に、管楽器奏者がピアノを弾いたときにありがちな、コードをガンと押さえて、同時にアルペジオを右手で高音からぴらぴらぴらぴらと駆け下りたり駆け上がったりするという、よく言えばアート・テイタムとかモンク的な感じであるが、ヘタウマというか、好き勝手に弾いているようであって、なんというか、リハを収録したような雰囲気なのである。味わいがあるといえばたしかに非常に味わいがあるが、なんやねんこれ、といえばたしかになんやねんこれである。シェップのファンでもよほどのファン以外は食いつかない作品だとおもう。ましてや、明田川さんの文章を読んで、普通のジャズファンがこれを聴いたら、なかなかおもしろい反応が得られると思う。え? 私ですか。じつはけっこう好きなのです。

「LOOKING AT BIRD」(STEEPLE CHASE SCS1149)
ARCHIE SHEPP & NIELS−HENNING ORSTED PEDERSEN

 これは、大きい声では言えないが、シェップの数あるアルバムのなかで私がダントツ一位に好きなアルバムである。その昔、チャーリー・パーカーの曲をアルトではなくテナーでやるとすごくかっこいい、ということに気づいた。それは、パーカーの曲を5人ぐらいのサックス奏者が二曲ずつぐらい演奏していく、というオムニバスの企画もののアルバム(リズムセクションはたしかスタンリー・カウエルやセシル・マクビーとかで、ずっと同じ。「バード・アンド・バラッズ」という日本企画のアルバム)で、ジョニー・グリフィンの「ビリーズ・バウンス」を聴いたときにそう思ったのだ。おそらく、バードの曲はアルトで吹きやすい音域で作られているはずだから、それをテナーでやると、テーマの部分に通常は使わないような低音や高音がでてきて、そこをきっちり吹ける奏者が吹くと逆に迫力が出てすごくかっこいい……とことなのだろうと思う。当時、ほかにそういうことを感じたのは、ワーデル・グレイの「ドナ・リー」とかデクスター・ゴードンの「ビリーズ・バウンス」、ジーン・アモンズの「コンファメイション」と「スクラップル・フロム・ジ・アップル」マイケル・ブレッカーの「ムース・ザ・ムーチェ」……などなどだが、同じころに聴いたシェップのこの作品でも同じようなかっこよさを感じた。ペデルセンのベースとのデュオ、という、サックス奏者の技量を試されるような編成をよくシェップがOKしたなあ、でも、だいじょうぶか……とおそるおそる聴いてみると、うーん……これはすばらしいではないか。意外なほどシェップはバップをきっちり吹いているし、よたる箇所はペデルセンが絶妙にフォローしている。しかも、シェップはバップフレーズと自分のフレーズ、つまり、濁った音やハーモニクス、R&B的なブロウなどを巧みに折衷し、自分の世界を作っている。そして、その両者がバラバラになっていないところが本作が成功した理由だと思う。ペデルセンという、まともなジャズの王道の代表みたいな名手と組んだことでこういうデュオが成立したのだ。たとえばパーランとのデュオだと、そちらの世界にどっぷりになってしまい、やや感情過多になるが、そういう心配がない。シェップが伝統回帰を宣言したデンオンの諸作に比べても、頭ひとつ抜けている感のある作品である。いやー、私はもう死ぬほど聴き倒しましたね。シェップによるどす黒いパーカーミュージックである。デビュー作からこのあたりまでがシェップが輝いていた時代かもしれない。このあとは(私にとって)聞きづらい作品が増えてくる。それは音楽性というより、楽器コントロールの問題なのだ。

「LADY BIRD」(DENON YX−7543−ND)
ARCHIE SHEPP

 学生時代、アルトを吹いていた私は、この作品に出会って救われた。というのは、私は当時、ひどい、ドカタな、最低の、下手くそを絵に描いたようなアルト吹きであって、とにかくいくら練習してもうまくならないのだ。今から考えると、かなり遠回りした感じの練習をしていたわけで、もっと近道があったはずだとは思うが、とにかくダメなアルト吹きでした。毎日、練習場に行くまえは頭のなかでいろいろ考え、こうしてみたらああしてみたらと思うし、想像ではそれがちゃんとできているのに、いざ楽器を吹いてみると、思っていたことの百分の一もできない。これはつらい。毎日少しずつうまくなる、というのが普通だと思うが、三歩進んで五歩さがる、つまり、退歩したりするから困る。きのうまではできていたことが急にできなくなって、しかもその理由がわからない。どんどん下手になる。ああ、もういやだ。そんな煩悶を救ってくれたのがシェップの本作だ。シェップはここで、全編アルトだけを吹いている。ジャケットにはえげつない感じでセルマーのアルトにリンクのメタルマウスピースをつけてブロウしているシェップの写真が写っているが、まさに内容もそんな感じ。一曲目が「ドナ・リー」で、かなりのアップテンポ。テーマも含めて、シェップはヨレヨレ。指も回っていないし、タンギングもついていってないし、音程も悪いし、とにかくまともな演奏ではない。フレーズにつかえると、テナーと同じようにギャーッと叫んでごまかす感じ。テナーならそれがうまくはまったりするのだが、アルトだとそうはいかない。音もぺらぺだし、だいたいそんなちょこっと練習したぐらいで吹けるものではない。一曲目がひどいので、あとはいくらがんばっても印象は悪い。まあ、そんなアルバムだ。チャーリー・パーカーに捧げた作品なので、パーカーナンバーやビバップの曲を中心に演奏しているが、後年出たペデルセンとのデュオ「ルッキン・アット・バード」がすばらしい内容だったのにくらべて、本作は「ようこんなもん発売したなあ」という作品だ。しかし……しかしである。当時、下手の極地だった私はこのアルバムのシェップを聴いて、「これよりはましかも。こんな演奏でもちゃんとレコードになるのだから、俺でも……」と少しは元気になった。そんなこんなで毎日聴いていると、これが不思議なもので、だんだん慣れてくる、というか、好きになってくるのである。今では大好きなアルバムだ(まあ、万人におすすめはしないが)。やはりシェップというのはたいしたもので、不慣れなアルトで不慣れなバップ曲を演るという、はっきり言って無謀きわまりない試みに挑戦しても、こうやってなんとかかんとか自分の世界を作り上げてしまう。そこがえらい。こういうことをやらせて、ぺらぺらーっとうまく達者に吹くアルト奏者は世界中にごまんといる。しかし、そこから一歩踏み込んで自分の音楽を表現できるものはなかなかいない。やはりそれは神から与えられた権利なのである。

「ON GREEN DOLPHIN STREET」(DENON YX−7524−ND)
ARCHIE SHEPP

 デンオンのシェップは全部好き。なんというか……「気持ちがわかる」のである。たくさんあるなかで一番いいのは「バラード・フォー・トレーン」ではないかと思う。コルトレーンに捧げた、気合いの入った作品だ。「デイ・ドリーム」もエリントンに捧げた、凛としたアルバム。ダラー・ブランドとのデュオやライヴ、ホレス・シルバーに捧げたアルバムなどもそれぞれに作品としてのポイントがあり、聴き所になっいる。そこへ行くと、本作はとくにそういうポイントがない。スタンダードなどを演ってみました、という一種のセッションだが、じつはいちばんよくターンテーブルに載せるのは本作かもしれない。作品としての敷居が低いので聴きやすいのかもしれない。でも、内容は良い。適度に前衛で適度に黒く適度にハードバップで適度にダラっとしていて適度にしまっており適度に聴き所がある。これがシェップだと言っても過言ではない。デンオン時代よりまえの、「ワン・フォー・ザ・トレーン」あたりから続いていた前衛の闘志的なシェップは、そういう部分だけを拡大していたわけで、ある意味無理していたんじゃないかとも思う。だって、そういうひとじゃないから。たぶん、そのころも家ではスタンダードやバップをこそっと吹いて、ああ、ええなあ、と思っていたんじゃないか。そして、そういう気持ちを理論武装して、「ママ・トゥー・タイト」とかのR&B的な作品で発露していたんじゃないか。でも、ここにきてそういうこだわりはなくなり、体裁を捨てて、自分がやりたいことをやるようになったのではないか。もちろん最初はうまくいかないが、だんだんそれが身に付いてきて、もともとあった過激な音楽性ともしっくりマッチして……といった、いちばんおいしい時期のシェップといえるのではないか、と思う。だって、インパルスやBYGあたりのシェップは、私は大好きだが、ひとりの「過激なテナー吹き」として考えると、ファラオ・サンダースの表情豊かで引き出しの多いフリークトーンにも、アイラーの一直線なブロウにも負けるし、なによりフレーズが少なくて長い間吹いているとダレる。編成を大きくしたり、ゲストやボーカルを入れたりと、いろいろセッティングに工夫をこらさないとダメなのだ。そこへいくと、デンオンのシェップは等身大だ。自分の歌を歌っている。それは過激な時代にくらべても、よりフリーでより黒々としていて好ましい。デンオン時代のシェップを日本制作だから、とか、牙をもがれた獣、とか、金もうけ主義、とか評するのは大間違いであると断言したい。本作はタイトル曲の「グリーン・ドルフィン・ストリート」や「イン・ナ・メロウ・ブルース」「アイ・ソウト・アバウト・ユー」などミディアム〜スローナンバーをこってりと吹くシェップがたっぷり味わえて幸せ。バックも、ウォルター・ビショップ、サム・ジョーンズ、ジョー・チェンバースと正直、シェップにはもったいないぐらいのハードバップ軍団ですばらしい。あと、特筆すべきはジャケットに写っているシェップのオットーリンクのリガチャーで、めちゃめちゃ後ろのほうにつけていて、外れてしまうのではないかと心配になるほど。まあ、関係ないけど。あと、いつもぺらぺらの音で、しかも音程がないので懸念されるソプラノも意外によい。

「DAY DREAM」(DENON YZ−139−ND)
ARCHIE SHEPP

デンオンのシェップのなかでも一、二を争う傑作だと思う。ジャケットもかっこいい。やはりエリントン作品集ということで演奏者(とくにシェップ)に、襟を正すというかどことなく引き締まった空気が感じられる。選曲もよく、バラードを中心に、「サテンドール」や「キャラバン」など、おっ、聴いてみたい、と思わせるような曲を配置してある。とくに「サテンドール」はいかにもシェップの「サテンドール」になっていて、ハードボイルドな感じでよい。変な言い方だが、ブラックミュージックとしての「サテンドール」というのか……。チャルメラみたいなソプラノも意外によく、雰囲気を壊していない。バックも、ウォルター・デイヴィスやフィリー・ジョー(痩せこけている)など、美味しい顔ぶれ。決してシェップを激しく盛り立てたり、煽ったりすることなく、洒脱に、軽く、しかも押さえるところは押さえてのバッキングで、アルバム全体がじつにいい感じなのだ。といっても、ここでのシェップは「牙をもがれた獣」ではなく、ちゃんと自己主張をしていて、よく聴くとかなり過激と言ってもいい。なかなかこれだけのエリントン集はできませんですよ、あなた。

「BALLAD FOR TRANE」(DENON YX−7567−ND)
ARCHIE SHEPP

いやー、このアルバムはすばらしい。デンオンのシェップのなかではいちばんいい。というか、いちばん好きだ。コルトレーンに捧げた、ということで、安易なコルトレーン曲集にしてしまわなかったのはアーチー・シェップのさすがの見識で、コルトレーンの曲は六曲中「ワイズ・ワン」一曲しかない。ほかの曲はコルトレーンがとりあげたナンバーもあるが、あまり関係のない曲も入っている。つまり、このアルバム全体が「トレーンに捧げるバラード」ということなのだ。そして、コルトレーンの曲をあまり演らずにコルトレーンを感じさせる、というかなりむずかしい試みは見事に成功している。このあたり、シェップというひとはすごく頭がいい、というか、企画・構成力があるなあ、と思う。どの曲もよいが、「ワイズ・ワン」や「ユー・ドント・ノウ・ファット・ラヴ・イズ」などはとくに耳をひく。シェップの演奏はコルトレーンとはもちろんまるっきりちがっているわけだが、これまでは「コルトレーンの影響云々といつも言ってるんだから少しは似せよう」とか「真似できていないのはかっこ悪い」みたいな、そういう邪念が少しはあったように思う。しかし、本作ではそのあたりをバッサリ切ってしまい、堂々と「わしはわしや。なにが悪いんじゃ」的な「腹を割った」演奏が聴けて爽快だ。しかも、そういうあからさまに自分をさらけだした演奏が、まるでコルトレーン的ではないにもかかわらず、なぜかコルトレーンへのひたむきなデディケイトを感じさせるものになっている、という一種の離れ業的企画が成功しているのも、シェップならではだと思う。シェップは前衛の闘士でないとダメ、もっと叫ばないと、というひとも、デンオンのシェップはフレーズはたどたどしいし指はまわっていないし、というひとも、下手くそなフリージャズミュージシャンがバップもどきをやるのを聴くぐらいならちゃんとしたハードバッパーを聴くよ、というひとも、とにかく邪念(?)というか先入観を捨てて、素直に聴いてみてください。ぜったいいいと思うけどなあ。なお、ジャケットはシェップがソプラノを吹いている写真だが、実際には一曲しか吹いていないのでご安心(?)を。

「ARCHIE SHEPP LIFE AT THE DONAUESCHINGEN MUSIC FESTIVAL」(MPS RECORDS UPS−2108−P)
ARCHIE SHEPP

日本では「ワン・フォー・ザ・トレーン」という名前で知られているが、実際のタイトルは上記であって、「ワン・フォー・ザ・トレーン」というのは曲名である。おそらくシェップの数ある作品のなかでもっとも有名で、「名盤」として知られているものではないだろうか。でも、まあ聴くたびにいつも思うのだが、けっこう長い。そして、一本調子なので何度も中だるみする。「ジュジュの魔術」にしても本作にしても、シェップひとりのブロウでアルバム一枚をもたすには無理がある。たしかに熱いブロウである。恩師コルトレーンを失った慟哭というか哀惜というか怒りというか悲しみというか、そういった感情をぶちまけているのかもしれないが、やはり表現力というか語彙というか、ひとにものを伝えるにはそういった最低限のことが必要なのだ。ただ感情の赴くまま突っ走っているだけでは、申しわけないが飽きてしまう。いちばん「おおっ」と思うのはB面冒頭の無伴奏のテナーソロになるあたりで、ここはたしかに無条件で熱くなる。このころのシェップの音楽についていつも思うのは、「気持ちはわかる! 気持ちはわかるぜ、シェップ!でもなあ……」ということだ。パーカッションをたくさん並べたり、ベースを複数置いたりして、ポリリズムの嵐を作りだし、それに乗って、感情を吐露するような熱いブロウをする……当時はシェップだけでなくファラオをはじめいろいろなひとがそういう演奏をしていたが、それをもっとも徹底してやったのはシェップだろう。この方法、というか、やり口は、いまだに大勢のミュージシャンが手本にしており、そのルーツにはシェップの多くの作品があるのではないかと思う。ただ、シェップにはこういうフリーキーで自由な演奏の場合、ソリストとしての飛び道具がないのだ。同じギャーッと叫ぶにしても、ファラオ・サンダースのようなカラフルなフリークトーンや、ブロッツマンのようなひたすらの暴力的な絶叫や、ガトーのような凄まじくも心地よいトーンや、アイラーのようなちょっと頭がおかしいんじゃないかというような狂気もない。まあ、中庸というか、セッティングはいいんだけどなあ、という「惜しいところ」にとどまる。シェップが飛び道具というか確固たる自分の「もの」を(ソリストとして)掴むのはこの少しあとの時代、つまり、みんなが口をそろえて、シェップは丸くなった、ダメになった、と言い出したころだと思う。そういった作品のなかにはめちゃおもしろいものもあるのだが、本作はそういうなかでは、どっちかというとあかんほうに属するのではないか……というのが、私の感想である。悪いなあ、シェップ。申しわけない、シェップ。でも、いつもそう思ってしまうのだよ。最後に出てくる「いそしぎ」だが、これはなんといったらいいのか……思わずプッと吹き出す、というのが正しい聴きかたではないかと思うがどうか。あと、タイトルだが、「LIFE」というのは「LIVE」の誤記ではなく、ドイツ語のようだ(ライナーノート中にも出てくるので)。ところでこのアルバムのジャケットに写っているシェップの横顔を見ると、私はいつも、生活向上委員会での篠田正巳さんを連想する。こんな風な白い服を来て、丸いサングラスをかけ、マウピをバクッという感じでくわえて力一杯吹いていたなあ……。あ、関係ない話ですいません。

「THINGS HAVE GOT TO CHANGE」(IMPULSE IMP−88076)
ARCHIE SHEPP

インパルスのシェップのなかで本作がどのような位置づけになってるのかは知らないが、たぶんコルトレーンの渋い曲に真っ向から取り組んだ初リーダー作「フォー・フォー・トレーン」、力強い「ファイア・ミュージック」や「イン・サンフランシスコ」、髑髏のジャケットがインパクトのある露骨なしかけの「マジック・オブ・ジュジュ」、R&Bっぽい「ママ・トゥー・タイト」、大編成の「アッティカ・ブルース」などのほうが知名度はうえではないか、という気がする。しかし、本作はなかなか、一度聴くと麻薬のように尾を引く作品なのである。その原因は一曲目(というか、A面全体をしめる「マネー・ブルース」)にある。生活向上委員会の「向上の歌」や「シャッキン・トゥ・ミー」、アバの「マネー、マネー、マネー」などと並ぶ「金くれーっ!」的な歌の代表だが、このシェップの曲がなかでももっとも直情的かつ大袈裟で、心にストレートに訴えかけてくる。ああ、とにかく金がないんやな、金がほしいんやな、というのがひしひしと伝わってくる。「お金がほしいんです、貧乏なんです……」といった四畳半フォーク的なせつせつとした貧乏くささはない。「わしら金ないんじゃ。せやから、金あるやつはわしらにくれや。なあ、頼むわ」という力強い(?)強引さがあってかえってすがすがしい。B−1のピアノとのデュオ(短い)をはさんで、「変転の時」という大袈裟な邦訳タイトルをつけられた表題曲になり、こちらのほうが「マネー・ブルース」よりはジャズ的な興味はうえだと思うが、やはり聴き終わっての印象としては「金くれーっ」のほうが勝つのである。なお、肝心のシェップのソロは「マネー・ブルース」でテナーソロ、「変転の時」でソプラノがフィーチュアされるが、やっぱりいまいちというか、これがファラオ・サンダースだったらたぶん、思わず笑ってしまうような大上段にふりかぶった大仰なソロをするのだろうが、中途半端で印象は弱い。このころのシェップの特徴といえば特徴かも。

「GOIN’ HOME」(STEEPLE CHASE RJ−7424)
ARCHIE SHEPP & HORACE PARLAN

よろしゅおまんなあ。内容もよいが、ジャケットもタイトルもいい。スティープルチェイスにおける、ホレス・パーランとのデュオという同趣向の2作のうち、本作はどちらかというと黒人霊歌集であり、「トラブル・イン・マイ・マインド」のほうはブルース集であるが、どちらもよいのだが、どちらか一作といわれるとこちらのほうが好きだ。一曲目からシェップの漆黒のゴスペル節が炸裂し、聴き手は一瞬にして黒々とした闇のなかに放りこまれる。ホレス・パーランのピアノももちろんすばらしいが、一吹きで空間を自分のカラーに染め上げてしまうシェップも立派。こうなるとテクニックだのなんだのといったことは無意味。もう少し過激なほうがいいのか、とも思うが、いやいやここでとめておくのが美学だよな、とも思う。何度聴いても飽きないという意味では、「名盤」と言ってもいいのではないか。パーランとのコンビはこの三年後に「トラブル・イン・マイ・マインド」があるわけだが、その後長いブランクを経て、87年に「リユニオン」をはじめ4作、91年にも「スウィング・ロウ」があるが、正直聴いたことはないし、聴く気にもならん。私にとってのシェップ〜パーランはこの二作品で十分である。

「TROUBLE IN MIND」(STEEPLE CHASE SCS1139)
ARCHIE SHEPP & HORACE PARLAN

 大傑作「ゴーイン・ホーム」の三年後、同メンバーで吹き込まれた続編的性格のアルバムだが、これがまたいいのだ。どちらが好きかといわれると前作に軍配をあげるが、こっちも悪くないです。前作は黒人霊歌が主で、こちらはブルースがほとんど(黒人霊歌もちょっと入っている)。本来ゴスペルとブルースは相容れないらしいから、こうして分けたことには意味があるのかもしれない。冒頭いきなりシェップのブルース衝動爆発で、なんとも心地よい世界が幕をあける。このころのシェップは音色もへろへろではないし、フレーズもしっかりしており、過激さはやや影をひそめてはいるがハーモニクスやコルトレーン的な部分もまだまだフレージングのあちこちに顔を出すし、気合いもあるし、かつての音楽観とその後のバック・トゥ・ザ・ルーツ的音楽観がちょうど、いろいろな意味でバランスがとれている時期ではないかと思う。どちらかというと前作「ゴーイン・ホーム」よりこちらのほうが演奏としてはアグレッシヴではないかと思う(前作はストイックなまでに抑制がきいている)。つい「ゴーイン・ホーム」を聴いてしまうが、たまにこっちを聴くと、それはそれで新鮮で、悪くない。このころまでかなあ、シェップが私の好きなテナー奏者だったのは。

「THERE’S A TRUMPET IN MY SOUL」(ARISTA FREEDOM 1016)
ARCHIE SHEPP

 天下の名盤みたいな評価のある(らしい)本作であるが、私はなぜかいつも、途中でふっと集中力が切れて、気がつくと終わっている感がある。A面の一曲目はそんなことはないのであって、たぶんそれ以降の、楽しげなサンバとかがあまりに真っ当な演奏なので、ふと気がそがれるのだと思う。10数年まえ、いや、もっとまえかなあ……に購入して以来、何度聴きかえしても同じような印象なのは不思議。本作をシェップの最高傑作などというひともいるようだが、ビミョー。トータルミュージックとしてはなかなかのものだと思うが、シェップのソロはさほど興奮を誘わない。あいかわらず、というか、「気持ちはわかるぜ、シェップ! でもなあ……」というのが本作の感想である。

「SPLASHES(TRIBUTE TO WILBUR WARE)」(BELLAPHON LR45005)
ARCHIE SHEPP QUARTET

 このあたりまで来ると、さすがにひどいなあと思う。本作は、ウィルバー・ウェアに捧げる、という副題がついており、メンバーもすばらしく、選曲も自作を含め、「リラクシン・アット・カマリロ」や「グルーヴィン・ハイ」などのバップ曲もあって、なにかと聴きたい感を煽るわけだが、実際に聴いてみると、シェップはもうよれよれで、フレーズがどうのこうのというより、まず音が、薄ーーーーいリードに圧をかけたような、へろへろの音である。テーマも満足に吹けないし、もっとがんばれよ、シェップ! と声をかけたくなるほどだ。私が生で聴いたのもこの頃の演奏だろうか。とにかく、ジャズのテナーサックス演奏において、なにが正しくてなにが間違っているのか、という概念がガタガタゆらぐほどに、シェップはでたらめで、いいかげんで、むちゃくちゃで、下手くそであった。そういう感じは、本作にも一部あらわれている。まだまだ老い朽ちた歳でないはずなのに、なにをやっとんじゃ、シェップ! と叱咤激励したくなるのもしかたあるまい。

「YASMINA,A BLACK WOMAN」(AFFINITY AFF21)
ARCHIE SHEPP

 これはBYGのなかではいちばん好きなアルバム。69年、シェップはパリに渡り、同様に海をわたったアメリカのフリージャズミュージシャンたちとともに、おんなじようなメンバーで、おんなじような内容のアルバムをたくさん作っている。 自身の「ファースト・パン−アフリカン・フェスティバル」にはじまり、グレイシャン・モンキュアVの「ニュー・アフリカ」、デイヴ・バレルの「エコー」、シェップの「ポエム・フォー・マルコム」、「ブラック・ジプシー」、「ピッチ・カン」、「ブラーゼ」、「フルムーン・アンサンブル」、「コーラル・ロック」、「サニー・マレイの「ホメージ・トゥ・アフリカ」、「サンシャイン」、アラン・シルヴァの「ルナ・サーフェイス」、クリフォード・ソーントンの「ケッチャアウア」などなど……。それぞれにメンバーは微妙にちがうが、まあ、おんなじようなメンバーで、おんなじような音だ。この中で唯一、ああ、これはほかとはちがうなあ、と思えたのは、アラン・シルヴァのルナ・サーフェイス・オーケストラであって、大人数にもかかわらず、細かい微分音をひたすら細かく細かくつむいでいき、ひとつの音楽にしたてあげている。これはすごいなあ、と学生のころ思ったが、逆にいうと、こちょこちょこちょこちょ演りがって、男なら腰をすえてブロウしろ! とも思ったもんだ。さて、この「ヤスミナ・ア・ブラック・ウーマン」という実に魅力的なタイトルのアルバムは、シェップがダーティーなトーンで咆哮しまくり、なかなかアグレッシヴで魅力的である。音も演奏も全体の構成も骨太だがしっかりしており、なにより「やる気」というか前進意欲を強く感じるし、聴いていてこちらにエネルギーが注ぎ込まれる感覚があるので、好きである。ただ、このころのシェップってワンフレーズが短いというか、ブツ切れな感じがあって、どうも興奮が高まりそうで高まらないのがなんとも歯がゆい。ファラオ・サンダースならよくも悪くも、とっくに咆哮を金切り声にまで高めて、失神しているだろうに……。B面はハンク・モブレーとのジャムセッション的演奏で、こんなものを収録したがために、この盤の価値はとことん下落したと思う。モブレーもシェップも悪い意味で寄り添ってしまい、たがいに実力をだせぬまま、だらだらと時間を費やすだけだ。ラストの「ボディ・アンド・ソウル」も、のちにデンオンなどで吹き込む、もっとガッツのあるスタンダードに比べると物足りないかも。A面だけを繰り返し聴くべきアルバムか。

「NEW THING AT NEWPORT」(IMPULSE YP−8524−AI)
JOHN COLTRANE/ARCHIE SHEPP

コルトレーンの名前が先に来ているが、コルトレーンは1曲、シェップは4曲で、どう考えてもシェップがメインのアルバムである。しかし、内容的にはコルトレーンはあのエグい「ワン・ダウン・ワン・アップ」を、あのカルテットで檄演しまくっており、たった1曲ではあるがシェップを凌駕する印象を残す。かっこええなあ、ほんま。この演奏はめちゃめちゃ好きなのです。でも、ハッチャーソンを含むシェップカルテットも若き日のパッションをぶつける暑苦しくもすがすがしい演奏で、聞きどころ満載。なんというか、フリージャズ初期の、なんともいえないボルテージを感じる演奏で、私は大好きです。茫洋としたコルトレーンの写真を配置した真っ赤なジャケットや、後年の疲弊した顔とは比べ物にならない裏ジャケのシェップの凛々しい顔つきは、内容をストレートに示している。タイトルの「ニュー・シング・アット・ニューポート」も、「フリージャズ・アット・ニューポート」でも「コルトレーン・アンド・シェップ・アット・ニューポート」でもないわけで、このタイトルが当時の彼らの置かれていた状況をひとことであらわしているようで好きだ。今はCDで、音源としてはちがった編集がなされていると思うが、私はこの組み合わせを偏重したいです。コルトレーンの名前のほうが先に出ているが、4曲演奏しているシェップに敬意を表して(?)シェップの項に入れておきます。

「PHAT JAM IN MILANO」(DAWN OF FREEDOM DOF0901)
ARCHIE SHEPP

 かっこいいといえばかっこいい。一曲目、アナウンスに続いて、だれか(シェップかなあ? ちがうような気もする)がテナーソロでブルースを吹くあたりは、おおっ、これはめちゃめちゃいいんじゃないの! とこちらのテンションも天井まではねあがったが、それに続く演奏は、うーん、たしかにおもろいし、ラッパーのひとはがんばっているようだし(英語がわからんので、いまいちピンとこないけど)、ハミッド・ドレイクはすごくいいんだが、うーん……シェップはなあ……あいかわらずぺらぺらの薄い音でどうにもこちらの心に響いてこない。年が年なのでしかたないのかもしれない。「演奏がいいとか悪いとか関係ない。このひとが生きていて、演奏をしてくれて、その音を生で聞けただけでもうれしい」みたいな伝説的プレーヤーならそれでいいかもしれない。たしかにベニー・カーターにしてもベイシーにしてもそんなところがあった。デクスター・ゴードンは生で聴いたときに、そのきらきら輝く太い音を聴いただけで涙が出た。しかし、あるひとが「ブレイキーを生で観られただけで幸せ」とか言ってたのはどうも納得いかなかった。ドラマーというのはそういうもんか? と思ったのだ。当時のブレイキーはしょっちゅう来日していたが、リズムが裏返るは、ドラムソロはダラダラ長いは、共演者は大変だったと思う。聴いている我々も、最初から最後まではらはらし通しだった。ドラマーというのはバンドのかなめだから、「裏返ろうが走ろうが、生で聴けただけで嬉しい」というのとはちょっとちがうはずだ。また、マイルスが復活したときに観たが、ヨレヨレで、「アガルタ」「パンゲア」で見せたあの触れば切れそうなほどの空気は微塵もなかった。あのヨレヨレの演奏に学生である我々が一万数千円を支払ったわけで、なかには「マイルスの生音が聞けただけで感激だ」というひともいたが、すくなくともマイルスというひとは、客にそんなことを言われたらおしまいではないか、と思った。アーチー・シェップのようなフリージャズマンしかり、であろう。このアルバムはシェップのリーダー作ということになっているが、正直いって、シェップのソロ以外はけっこういいのである(オリバー・レイクもかなりへろへろだが)。それではあかんやろう。ブラックミュージックの闘士としては情けない。そして、本作でいちばんいいのが、シェップ自身によるラップで、これはタイトルはちがうが、ようするにおなじみの「ママ・ローズ」である。ここでのシェップは、へろへろのテナーとちがって、太い、重厚な声で、自信にあふれたポエトリ・リーディング(?)を披露する。めちゃめちゃかっこいいのである。というわけで、通して聴いた印象は「なんか、ようわからんなあ」というものだった。すいません。

「NEW YORK CONTEMPORARY 5 VOL.2」(SONET SLP 51)
NEW YORK CONTEMPORARY 5

うちにあるのはソネットのLPだが、このジャケットがめちゃめちゃかっこいいんですよ。CDはどんなジャケットなのかしらないが、とにかく右端で、帽子をかぶりグラサンをかけてテナーを吹くシェップがとにかくかっこよくて、「買ってしまうやろーっ」と叫んでしまうほどの迫力。実際に聴いてみると、なるほどなあ、フリージャズ創世記というのはこういう感じなのだなあ、としみじみ思う内容である。つまり、フリージャズの元祖たるオーネット・コールマンのその当時の演奏がそうなのだが、バップをぐちゃっと崩してデフォルメしたような……リズムとトーナリティはあるのだが、それに基づいてのソロが団子のかたまりのようなぐちゃっとした、ギザギザとエッジのたった音楽、という印象なのだ。ファラオやアイラー、ブロッツマン、坂田明……などのように、これが私のやりかたです、といったスコーンと突き抜けた感じがなく、全員とにかく模索中なのだ。それも、必死になって、青筋たてて模索している感がありありと伝わってくる。このあと、ものすごく大きな、ワールドワイドなミュージシャンになるドン・チェリーも、さまざまな試みを押し進めてシーンの頂点にたつシェップも、このころは「模索」である(ジョン・チカイはこのときからピヨピヨした感じで吹いてるなあ。このひとだけはどうしてもピンとこないのだが……)。しかし、こういった青いときは青いときなりの良さがあり、その固さを含め、とにかく切実になにかをしたいのだがやりかたがよくわからんねん、という青春の一ページみたいなものをかいま見ることができる。この時点でたぶんいちばん「聴ける」のはシェップだが、それは彼がロックジョウやベン・ウェブスター的なダーティートーンを使って、フリージャズのうえに単純なブロウを乗せているからだと思われ、けっしてすぐれたソロとは思えない。だが、それもまた青春の一ページだ(なんやねん、この言い方)。J・C・モーゼズの、軽いが、ばしばし合わせる感じのドラムも良い。正直いって、毎回、全曲を聴きとおすのはきついのだが、手放すことができないのは、やはりここには彼らの青春の思いが詰まっているからだろうと思います。なお、これはだれがリーダーというわけではないのだが、便宜上シェップの項に入れておく。

「I HEAR THE SOUND」(ARCHIEBALL ARCH1301)
ARCHIE SHEPP ATTICA BLUES ORCHESTRA LIVE

「アッティカ・ブルース」「アッティカ・ブルース・ビッグバンド」ときて、今回は「アッティカ・ブルース・オーケストラ」。シェップの執念ともいうべきプロジェクトだろう。こういう強烈な思いが長年シェップを突き動かしてきた原動力のひとつで、ラップをフィーチュアした近作もそういう流れの延長上にある。彼にとってのラップは本作におけるポエットリーディングと根本的には同じだ。これまでの2作が、主要メンバーの多くをシェップの周囲の黒人ミュージシャンや有名ジャズマンで固めていたのに対して、本作はドン・モイエ、アミナ・クローディン・マイヤーズなどを除くとフランスのよく知らないミュージシャンが多く、正直、このひとたちにシェップの黒人としての怒り、みたいなものが表現できるのだろうかと思ったが、聴いてみると、そういうこととはべつに、非常におもしろい音楽になっていた。まず、これまでの2作に対して、ファンキーにうねりまくるエレキベースをはじめ、リズムがタイトでカラフルで安定している。ホーンセクションも技量的にはめちゃめちゃうまいミュージシャンばかり揃っていて、ソロもそれぞれすごくうまいので(とくにバリサクとかトランペット)、普通のビッグバンドジャズのように楽しむことができる。めちゃかっこいいコーラスが入って、ゴージャスかつブルースやR&B、ゴスペルのような迫力もある。ほとんど言うことのないすばらしい音楽だが、惜しむらくはシェップのソロが、本当の意味でよれよれであることで、どの曲も、薄っぺらい、ぺらぺらの音で、音程も悪く、しかもフレーズがない。ちょっと長いソロだと、途端にネタに詰まってしまう感じだ。正直言って、シェップは昔からそうなのだ。今にはじまったことではない。しかし、その度合いが年々進んだだけだ。ソロの出だしなど、気合いが入っていて、お、行けるかも、と思うのだが、すぐにダメになる。シェップ、現在76歳。76の爺さんがビッグバンドを組織し、アレンジを提供し(おそらく、今回のアレンジというクレジットは、過去のアッティカ・ブルースにおけるもので、それをフランスのアレンジャーがリアレンジしているのだろう)、ボーカルを披露し、しかもそのうえ、がんばってソロを吹いてくれているのだ。そのやる気に敬意を表するべきだ。存在自体がレジェンドでしょう。ソロの出来云々を言うのはまちがっとるよ。そういう意見もあるだろうし、私もある程度はそう思う。シェップの本作にかける意志は、彼自身のボーカルによって十分表現できているから、サックスソロは添え物みたいなものだ、それを言い立てるのは酷だ、という考えもあるだろう。一時連発していたバラード集においては、それもまたしかり。しかし、「アッティカ・ブルース」においては、そうはいかないと思う。フランスのビッグバンドは、皆、うまいが、基本的にはきちんとジャズを学び、正統派の演奏をするひとたちであり、根本的に「アッティカ・ブルース」の精神を共用していない。そんな彼らに、シェップが自身の怒りや主張をきちんと伝え、ちゃんと理解してもらったうえで演奏に望んだことは当然想像できるが、サウンドも歌詞もすべてがあるアピールのために貫かれているこういう演奏において、やはり、芯となる主役が太く、たくましい、鳴りまくったテナーの音で、激しくスクリームし、ブロウし、ほかのバッパーたちとは違ったフリージャズ的な説得力のあるソロをしてこそ、アレンジ、コーラス、ボーカル、コンポジション……などなどがひとつにまとまり、大きな流れとなるのではないか。タイトすぎ、まとまりすぎている「うまい」バンドをもっとうねらせるには、かつてのシェップのような起爆剤、バンドを根源から揺すぶるような圧倒的なソロイストが必要だった。ソロなんか関係ない、全体のサウンドで主張しているよ、というひとがいたら、いや、関係ある、と私は言いたい。シェップはボーカルと全体の構成に徹して、テナーソロは彼の代役となれるテナーマンを起用したほうがよかったのではないか。そんな風に思った。だって、いくらなんでもひどくないっすか。だが、このアルバムにおける演奏が成功したのは、シェップの存在ありきなのは間違いない。彼のやる気、意気込みに触発されて、このアッティカ・ブルース・オーケストラが「鳴って」いることもまた真実だ。むずかしいところですね。この一連の文章の流れを、私は最近のデヴィッド・マレイにも当てはめられると思う。私は76歳だから、とは思わない。ランディ・ウェストンを見よ。まだまだシェップはやれるはずだと私は信じております。まずロングトーンから。

「BIRD FIRE」(IMPRO 05)
ARCHIE SHEPP QUINTET TRIBUTE TO CHARIE PARKER

 シェップかパーカーに奉げたアルバムはいくつかあるが、たいてい「?」というマークが頭につくものばかりである。その最たるものがデンオンの「ナウズ・ザ・タイム」というセルマーのアルトを吹いているやつだが、本作は正直もっといまいちである。トランペットがエヴァレット・ホリンズというひとで、なんか聴いたことある名前やなあと思っていたら、そうそう、ビリー・ハーパーとコンビでずっとやってたひとやん、と思い出した。実のところ、たぶんいまいちだろうと思って聴いてみたのだが、1曲目の「ラヴァーマン」の出だしのところで、「おっ、これは……なかなかええんちゃう?」と思ってしまった。しかし、すぐにシェップはおのれを露呈したので、感心せずにすんだ。とにかく音がぺらぺらである。薄ーーーいリードを使っているのだと思うが、もうちょっと芯のあるブロウをしてほしいものである。あと、フレージングのわけのわからなさ。本作でも、ブレッカーが吹くような半音ずらしのフレーズを吹いたりしているがそんなことはどうでもいいのであって、パーカーの曲に対して自分だけのなにかをぶつけるような演奏をしてほしいのに、なーんか中途半端だ。トランペットのホリンズもビリー・ハーパーのときとはちがって、かなり流暢にバップフレーズを吹きまくるが、申し訳ないが「それがどうした」としか思わない。こういうことはそのへんのアマチュアのジャムセッションでもいくらでも聴くことができるし、ジャズを「たくさんのバップフレーズを覚えて、それをどううまくつなげていくか」だと思っているひとはそれでいいのかもしれないが、そういう演奏はチャーリー・パーカーの精神からはもっとも遠いだろう。ぐだくだ言ってもしかたないが、4曲中3曲がブルースというのもどうかと思う。4曲目だけシェップはバリサクを吹いています。とくになにも起こらないけどね。やはりシェップとパーカーといえばスティープルチェイスの大傑作「ルッキン・フォー・バード」だねえ

「LIVE IN SAN FRANCISCO」(IMPULSE RECORDS A−9118)
ARCHIE SHEPP

 1曲目はジャズロック風だが、1分ちょいしかない超短い演奏。2曲目はハービー・ニコルズ(とビリー・ホリディ)の「レディ・シングス・ザ・ブルース」の名高いバージョン。シェップは濁った音でガーッと吹いているがラズウェル・ラッドの暴れぶりのほうが目に付く。3曲目はシェップがピアノを弾いた曲で、ゴツゴツした手触りの味わい深い演奏。テナーよりもいいかも。4曲目はシェップによる詩の朗読。ええ声である。5曲目はゆったりしたミディアムのグルーヴにそれぞれが長いソロをとる演奏。ラズウェル・ラッドのソロはがんばっているのだけど長尺すぎてやはりダレる(そういう現象はラッドとグラチャン・モンカーが顔を合わせた「ワン・フォー・ザ・トレーン」でも起こっており、あのアルバムはシェップのソロもものすごくダレていると思う。シェップのコルトレーンに対する心情はともかくとして演奏としては積極的に推薦する気になれない)。ラッドに続くシェップのソロもダレる。ずっとグロウルしながらたいしたことを吹いていないのだからしかたないのかもしれないが、フレーズがあまりにアブストラクトすぎるし、ハイノートも吹かないので、だんだん飽きてきてちょっとしんどい。ラストはシェップの激烈な無伴奏ソロではじまる「イン・ナ・センチメンタル・ムード」だが、この「激烈な」というのも曲者で、濁った音色と感情の爆発を頼りにただ無茶苦茶やってるだけなので、残念ながらだんだん一本調子になってくる。ファラオ・サンダースならここらでハーモニクスやフリークトーンをうまく入れ込み、聴衆を飽きさせないだろう。それは芸術とエンターテインメント、みたいな話ではなく、ミュージシャンの資質なのだろうと思う。「イン・ナンセンチメンタル・ムード」のテーマが出てきてからも、結局何がやりたいのかわからん。ベン・ウエブスターのパロディのようにも聞こえるが、なんなんでしょう。ソロイストとしてのシェップは飛び道具のないしボキャブラリーも少ないひとなので、「アッティカ・ブルース」などのようにリーダー〜アレンジャー的な立場のほうがいいと思う。大編成に名演が多いのもそういう理由ではないか。

「THE CRY OF MY PEOPLE」(IMPULSE RECORDS MVCI−23082)
ARCHIE SHEPP

 本作はシェップのインパルス最終作で、じつになんというか傑作なのである。普通の意味で。つまり、「シェップやなあ」的な聴き方をしなくても、一般のジャズリスナーならだれでも普通に聴けるうえ、シェップの主張や音楽性もこれでもかというぐらい盛り込まれていて、それが見事に融合している。こんなことはシェップのアルバムではなかなかありませんよ。ほとんどの曲に女性ボーカルを中心にした分厚いゴスペル的なコーラスが入っており、ストリングスも入っていて、ゴージャスである。その分、リズムセクションはシンプルで、ハロルド・メイバーン、デイブ・バレル、ジミー・ギャリソン、ビーバー・ハリス、コーネル・デュプリー、バーナード・パーディー(!)などが大人の仕事をしている。編曲はカル・マッセイが主で、このひとが本作の陰の主役と言えるかもしれない。2曲目とB1の表題曲というふたつの大曲の作曲者でもある。とにかくめちゃくちゃアレンジがかっこいい。全体を貫くR&B〜ゴスペル的なノリも、「ママ・トゥー・タイト」より洗練されていて、とにかく「シェップ? いやー、やめとくわ」というひとにでもだれにでもおすすめできる内容なのだ。そして、驚いたことにシェップのソロがどれも良い。1曲目はシェップは登場しない(アンサンブルにも参加していない)という構成も心憎いが、2曲目のマッセイの曲ではソプラノを吹いており、シェップのソプラノというと皆さんもご存知の、あの音の抜けない、音程の悪い、へろへろのやつを思い浮かべるでしょ。ところが、ここでのソプラノソロは音も音程もしっかりしていて、びっくりする。3曲目のシェップの曲「オール・ガッズ・チレン・ガット・ア・ホーム・イン・ジ・ユニバース」(泣けるタイトル)の楽しいモダンゴスペル的ノリノリの曲でのオブリガード的テナーソロも邪魔になっていない(往々にしてシェップに邪魔になる)。4曲目のラウンドミッドナイトに似たバラードにおけるジョー・リー・ウィルソンのすばらしく深いボーカルのあとにでてくるソプラノソロも(エンジニアの腕がいいのか)すばらしいものに聞こえる。B−1(CDでは5曲目)の表題曲は、悲痛なまでに物悲しいトランペットのメロディの反復と、コーラスとトロンボーンによるテーマの提示がこちらの胸をしめつけていたかと思うと、インテンポになり、そのままトランペットがロングトーンでソロを続けていく。このあたり、絶妙な編曲、そしてソロ(チャールズ・マギー?)だと思う。それにつづくシェップのテナーソロもいつものようなぐずぐずな感じではない。スケールを上がり下がりしているだけといえばだけなのだが、音も引き締まっていて、変に濁らせたりしないところもいい。さほど長い演奏ではないのだが、充実した大曲を聞いたような印象である。B−2とB−3は「アフリカン・ドラム・スーツ」という組曲で、パート1のほうは、ジェリー・リー・ウィルソンとトロンボーン、ピアノ、ベースだけの短いイントロで、すぐにたくさんのパーカッションの入ったビッグバンドを従えて女性コーラスが「アフリカンドラム……」と3拍子でリフレインする。シェップのソプラノは、こういう曲調だと引き出しが少ないのか、「ああ、いつものシェップに戻ったな」と思ってしまうのだが、まあ、しかたない。シェップ的にはよれよれなのだが、曲としてはいい曲なのです。ラストはエリントンの「カム・サンディ」で、ジョー・リー・ウィルソンのボーカルをフィーチュアした演奏なのだが、シェップがサブトーンでビブラートをしっかりかけた正攻法のソロをして、これがもう奇跡的に上手いのだ。びっくりしたなあ、もー。やればできるのだ。というわけで、インパルスの最後を飾る大傑作なのであります(途中、渡欧でBYGとかアメリカに吹き込んだアルバムもめちゃおもろいのばかりではありますが)。シェップ……おもろいひとやなあ。

「STEAM」(ENJA RECORDS/SOLID CDSOL−6644)
ARCHIE SHEPP

 このアルバムは、ずーっとまえにジャズ喫茶で何回か聞いたことがあるのだが、入手することなく今にいたっていたのを、廉価盤が出たのでこの機会に購入してみた。いやー、びっくりしました。まえに聞いたときの印象と全然違った。めちゃめちゃええやん! 帯にあるような「コルトレーンの呪縛から解き放たれた」とか「原点回帰」とかいった言葉は無視して差し支えない。どちらかというとその逆だと思う。ゴリゴリとテナー一本でひたすら熱くブロウする姿は有名な「ワン・フォー・ザ・トレーン」や「マジック・オブ・ジュジュ」などを連想させる。しかも、(傑作だと言われている)それらの作品は激烈な感情が先行してしまい、途中でかならずダレる箇所があったのたが、本作の1曲目「メッセージ・フロム・トレーン」は同じく激烈型の曲だが、シェップのソロはかなり長いにもかかわらず、テンション高く、フレーズもバラエティにとみ、聞き飽きることがない。すごいわ。シェップの最高傑作では……という言葉が喉まで出てきたが、まあ、言わんとこ。でも、今はそういう気持ちである。「ソリチュード」や「インヴィテイション」といったスタンダードも、デンオンあたりの「ヘタウマ」な感じの演奏ではなく、めちゃ上手い、堂々たる吹きっぷりである。それは、フリーキーでガリガリ吹くのとメロディアスでコードに忠実なフレーズといわゆるエチュード的なアルペジオなどが適度に組み合わされているからであり、そのうえ音もぶっとくて芯があり、後年のあのへろへろの音色からは考えられないぐらい説得力があるし、しかも全体を通してシェップの気合いというか凄まじい思い入れが伝わってきて、なんともド迫力である。唯一残念なことがあるといえば、ビーバー・ハリスのキックの音がなんか変にノイズっぽく録音されている箇所があって、ちょっと耳障りな点だが(うちのオーディオだけ? 何回聞いてもそうなんだけど)、これも演奏のすばらしさのまえにはどうでもいいことだ。カメロン・ブラウンとビーバー・ハリスも最高で、以前見たシェップグループでのビーバー・ハリスの相当どさくさな演奏(裏返る)はなんだったんだと思う。レコードは3曲のみで、CD化にあたって3曲が追加されたが、もとの3曲は「肝」になってる曲なのでそれはそれで十分だ。今にして思えば、このアルバムの最大の魅力であるB面全体を使って演奏される「メッセージ・フロム・トレーン」は、おそらくジャデ喫茶では聞いたことがなかったのだろう。ジャズ喫茶では「ソリチュード」など2曲が入ってて聴きやすい(?)A面ばかりかけられていたのだろう。そういうアルバムがほかにもあるかもなー。傑作。シェップすごい。