woody shaw

「LOUIS HAYES−WOODY SHAW QUINTET LAUSANNE 1977」(TCB RECORDS TCB02052)
LOUIS HAYES−WOODY SHAW QUINTET

 ウディ・ショウの未発表ライブ。フランスのラジオが音源らしい。タイトルは、ルイス・ヘイズとの双頭バンドになっているが、選曲を見た感じではウディ・ショウのバンドと思われるのでこの項に入れた。とにかくメンバー全員が燃え上がるパッションを叩きつけるような演奏で、この時期のウディ・ショウ一派がいかにすごかったかを証明する一枚。ウディ・ショウはひたすら吹きまくり、それをドラムが煽りまくる。ずっとデュオをやっているみたい。ルネ・マクリーンも熱いし、音もいいんだけど、リズム的には予定調和の域内にいる。でも、ウディ・ショウはつねにリズムと対峙して、それをぶっ壊そう、新しいものを生みだそう、としているごとし。ピアノの、ロニー・マシューズも凄すぎるし、ドラムソロは全部すげーっ。曲も、「ムーントレイン」とか「ジーン・マリー」とかおなじみの曲が並んでいるが、特筆すべきは3曲目のバラード。ピアノが大活躍するのだが、途中、ホーンのバッキングが入るなど、シリアスでえぐい、そして、ひたすら美しい。音は、ややバランスが悪い箇所やこもった箇所、ラッパがマイクを外していて聞こえない箇所などあるが、十分です。内容最高なので、ウディ・ショウ好きにはまたとない贈り物。

「UNITED」(CBS/SONY 25AP2142)
WOODY SHAW

 いろいろ考えてみると、私にとってジャズトランペットとは、ウディ・ショウのことだと思う。マイルスでもクリフォード・ブラウンでもない。ウディ・ショウこそがジャズトランペットである。いや……「ジャズ」そのものである。今の私はほとんどフリージャズ、フリーミュージックしか聴かないが、たまにジャズを聴くと、ええなあ、とは思うのだが、どこか物足りない。結局、(かつての)グロスマン、リーブマンといった70年代ジャズこそが私にとってのジャズであり、その頂点にたつのがウディ・ショウのクインテットであり、彼がコロンビアに残した作品群なのだなあ、としみじみ思った。とにかく、ウディ・ショウの作曲、音色、フレージング、選ぶメンバー、アレンジ、その他すべてを愛している。そして、彼の作品から一枚といわれると、いろいろ迷ったすえにおそらくこの作品を挙げるだろう。なにしろ自分のビッグバンドにもこの作品から名前をつけたのだから(じつはタイトル曲はウディ・ショウの曲ではなく、ショーターの曲だが)。A面一曲目の一音目からBラス曲の最後の音まで、この作品に収録されているあらゆる音を溺愛しているのだ。悪いか。「マイルスを聴け」という本に書かれている、単なる一個人の趣味を一般論にすりかえたような論調はほんとうに鬱陶しいと思っている私だが、ウディ・ショウに関しては自分が同じような感情を持っていることに気づく。「この作品をわからんやつは馬鹿」「この作品をけなすやつは死ね」「ウディ・ショウを悪くいうやつは地獄におちろ」みたいな過激な思念が頭のなかを渦巻くのである。そうだ、ウディ・ショウは天才である。天才は何をやってもかっこいい。何をやっても許される。そして、自分の天才にみあっただけの評価を絶対に受けないのも、また天才の宿命なのである。二曲目の「グリーン・ストリート・ケイパー」のあまりにすばらしいメロディー。手あかのついたスタンダード(いい曲だけど)からこんな美しい新しいメロディーを導き出すなんて……やっぱり天才だ(もうええか)。ブラウン〜ローチへの捧げ物である「ファット・イズ・ディス・シング・コールド・ラヴ」も、オリジナルバージョンよりもきびきびしていて鮮烈である。そして、何度か録音されている「カトリーナ・バレリーナ」の完璧なバージョン。この美しさは筆舌に尽くしがたい。何度も言うようだが、これこそ70年代ジャズを代表する傑作である(録音は81年だけど)。70年代ジャズがおもろないとか不作だとか言ってる評論家はほんと、どこを聴いているのかわからん……と70年代ジャズで育った私は声を大にして叫んでしまうのである。本作からは、「グリーン・ストリート・ケイパー」と「カトリーナ・バレリーナ」を昔、バンドで演奏したことがあり、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。

「ROSEWOOD」(COLUMBIA JC35309)
WOODY SHAW

 かっこいい、という言葉はこの曲のためにある、といっても過言ではないではないか。そう、本作一曲目の「ローズウッド」である。最小限の編成によるアンサンブルと、爆発する過激なソロは、作曲と即興のバランス……みたいなふやけた議論を軽々と飛び越してしまう。カーター・ジェファーソン、ジョー・ヘンダーソン、スティーヴ・トゥーレをくわえた分厚いフロントの織りなすアンサンブルを向こうにまわして、突き刺さるようなショウの鋭くも凄まじいソロが、これがスタジオ録音? と思ってしまうほどの迫力とハイクオリティでぶっちぎる。「ロータス・フラワー」その他でも演奏されている、カークに捧げた名曲「ラサーンズ・ラン」や「ステッピン・ストーンズ」などでも演奏されたこれまた名曲「テーマ・フォー・マキシン」をはじめ、「ええ曲ばっか!」なアルバム。当時の右腕だったカーター・ジェファーソンのソロもいいが、やっぱりジョー・ヘンダーソンは(ワンホーン以外では)ウディ・ショウとやっているときがいちばん輝いてるなあ、と思う。もう、めちゃめちゃ好きなアルバムです。本作からは、「ローズウッド」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。

「STEPPING STONES−LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」(COLUMBIA JC35560)
WOODY SHAW

 ああ、かっこいい。しびれる。もう、だめ。ヴィレッジ・ヴァンガードでのウディ・ショウのライヴというだけで感涙ものなのに、演奏がいいのなんの。当時のショウは、スタジオ録音ではいわゆる「コンサート・アンサンブル」という、やや大きめの編成を率いて、すぐれたアレンジと鋭い即興を対比させていたが、このライヴ盤では生身というか等身大というか、当時のレギュラークインテットでの、贅肉のとれた演奏が聴ける。メンバー全員、凄い。もう、言うことなし。一丸となって、音楽の神に奉仕しているその態度は、正直言って、ああ、客なんか関係ないんだなあ、と思う。おのれの信じる音楽をひたすら、熱く追求している彼らのすがすがしい姿勢は心を打つ。しかし、カーター・ジェファーソンは過小評価だよなあ。リーダーアルバムがいまいちなのが評価としてマイナスになっているのであるとすれば、悲しいことである。少なくともウディ・ショウ・グループでの彼のブロウはいつもひたむきで輝いている。

「WOODYV」(COLUMBIA JC35977)
WOODY SHAW

 親父と自分と息子……三代続いたウディ家がジャケットを飾る。すばらしいジャケットだが、このあと訪れる悲劇を思うと目をそむけたくなる。だが、内容はそんな感傷など吹き飛ばしてしまうほどすばらしい。A面はウディT〜ウディVという一種の組曲になっているが、そういうことに関係なく、単なる曲として楽しめる。それぞれ曲調もちがい、メンバーも7管編成と、当時のコンサート・アンサンブルのなかではいちばん大きく、ウディ・ショウがこの作品に渾身の力を注いだことがわかる。おそらくA面のほうがよく聴かれていると思うが、B面もすばらしい。「マスター・オブ・ジ・アート」などでも演奏している「トゥ・キル・ア・ブリック」やワンホーンで実力を見せつける「オルガン・グラインダー」など聴き応え十分である。Bラスの「エスケイプ・ヴェロシティ」のみ、「ステッピン・ストーンズ」のときのライヴの残りテイクである。本作からは、「ウディV」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。

「LOTUS FLOWER」(ENJA4018)
WOODY SHAW

 エンヤでのウディ・ショウは以前にまして贅肉を削ぎ落として求道的である。トゥーレのトロンボーンとの二管……ということはつまり、当時のレギュラーバンドでの演奏であり、A面の三曲はウディ以外のメンバーの曲で、B面の二曲も、旧作品のリヴァイバルだが、内容は折り紙付きである。82年の時点ではこのクインテットが絶頂期をキープしていたことがわかる。ウディ・ショウのトランペットの鮮烈さここに極まれり、というぐらいのかっこよさだし、トゥーレが反則技に近いぐらいの凄まじい演奏をみせ、とにかく圧倒的なグループエクスプレッションだが、それは即興的な個人技の集大成の結果なのである。これこそジャズではないか。私が生で見て、感動をこえたショックを受けた、あのメンバーによる演奏だというだけで感涙ものだが、そういった個人的な思いをべつとしても、コロンビア時代を抜けた、ウディ・ショウの到達点であることにまちがいはない。信じられないほどにストイックな演奏であり、マルサリスなどの歴史的感傷を吹っ飛ばす、強烈な演奏の力である。

「THE MOONTRANE」(MUSE RECORDS MR5058)
WOODY SHAW

「ムーントレイン」とは、「月列車」……ではなく、「月のコルトレーン」という意味なのだ。なんのことかよくわからないが、ハウリン・ウルフにも「クーン・オン・ザ・ムーン」という、黒人が月に立つ、というブルースがあるように、コルトレーンの音楽が月に鳴り響くような時代のことを表現しているのだろうか。曲を大事にして、同じ曲を何度も録音することで知られているショウだが、タイトル曲は、それこそ何度も何度も録音されている。このアルバムでは、それを表題曲にしているわけだが、我々がなじんでいる同曲の演奏よりちょっとばかりテンポが遅い。しかし、演奏が進むにつれ、そんなことは気にならなくなる。あの名曲、「カトリーナ・バレリーナ」も演奏されているが、サビの部分のテナーが低音すぎてバリサクみたいに聞こえるのがちと難点か。このテナーの主であるエイゾー・ローレンスはおおかたの評価は「いまいち」ということになっているようだが、本作でもやはりぎくしゃくしたソロを吹く。しかし、決して悪くないし、ソプラノではとくに迫力あるプレイを繰り広げており、この名盤に貢献している。モノクロのジャケットも、なんとなく(ほんとになんとなくだが)「ムーントレイン!」と叫びたくなるような感じです(なんのこっちゃ)。本作からは、「ザ・ムーントレイン」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。でも、サビの部分のコード進行はめちゃ難解で、あるひとに謎解きをしてもらわなかったら一生意味はわからなかっただろう。

「THE WOODY SHAW CONCERT ENSEMBLE AT THE BERLINER JAZZTAGE」(MUSE RECORDS MR5139)
WOODY SHAW

 ベルリン・ジャズ・フェスでのライヴ。これも昔愛聴したなあ。トゥーレではなくスライド・ハンプトンがボントロというのが鍵であり、彼のアレンジがデクスター・ゴードンの入った「モントルーサミット」や「ソフィスティケイト・ジャイアント」にも共通するサウンドをつくりだしている……かどうかはわからんけど。とにかく、一曲目からラストまで、計4曲、どれも一瞬たりとも気を抜けないこってり・えぐ目系のナンバーであり、「オブシクイアス」は初リーダー作「イン・ザ・ビギニング」以来何度も演奏している曲だが、ここでのバージョンはショウとスラ・ハンとの激烈きわまりないバトルがフィーチュアされていて、聴くもの皆興奮せざるをえないようなとんでもないハイテンションの演奏になっている。スラ・ハンって、アレンジだけじゃなくて、こういうタイマンバトルでも凄いよなあ、と彼の底力を見た思いである。テナーとソプラノがフランク・フォスター、アルトがルネ・マクリーンというのも興味深いが、若くて感覚も新しいはずのルネのソロより、フランク・フォスターのソプラノのほうが過激でイキまくっているのも聴きどころ。こういう濃密かつボルテージの高い演奏をきいていてたら、A面B面などあっというまである。本作からは、その「オブシクイアス」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。

「LOVE DANCE」(MUSE RECORDS MR5074)
WOODY SHAW

 デビュー作でも演奏しており、その後も折に触れて録音している「オブシクイアス」がここでも演奏されている。その他の曲も、まさに70年代ジャズ。思わせぶりなオスティナート、モーダルでかっこいいテーマ、斬新なコード、そしてそれらを吹きとばすような熱いソロと煽りまくるドラム……。上記のベルリンでのライヴの1年前の演奏だが、メンバーはルネ・マクリーンは共通だが、ボントロはトゥーレ、そしてテナーはなんとビリー・ハーパーである。ブラックセイント・ビリー・ハーパーとウディの共演というのは珍しいと思う。ハーパーのアクの強さがはたしてウディの音楽と合うかどうか……と危ぶまれるところだが、蓋をあけてみると、なんのことはない、完璧な相棒ではないか。ウディの音楽には、ジョー・ヘンダーソンやビリー・ハーパーのような、ちょっとダークな音色を持ち、複雑なコードチェンジ物もモード物もこなせるテナーマンがよく似合う。

「IN THE BEGINNING」(MUSE RECORDS MR5198)
WOODY SHAW

 65年という早い時期に自主制作で録音されたウディ・ショウの初リーダーアルバムだが、ジョー・ヘンダーソン、ハンコック、ラリー・ヤング(ピアノを弾いている)、ポール・チェンバース(!)、ロン・カーター、ジョー・チェンバース……という錚々たるメンバーがサポートしている。70年代の権化のごときウディ・ショウだが、こんな早い時期(ドルフィーのサイドから出発して、ホレス・シルバーやハンク・モブレー、ネイサン・デイビス、バディ・テリー……らのサイドマンとして演奏していたころ)なのに、内容は完璧に70年代のウディ・ショウそのもので驚く。はじめて聴いたとき、これが65年? と、ほんとうにびっくりした記憶がある。曲も「オブシクイアス」などおなじみのナンバーをやっているし、ほかのメンバーとも完全にわかりあって真摯に演奏しているのがわかる。ウディのソロフレーズなども、まったく後年のままだ。俺はこういうのがやりたいんだ、というウディ・ショウの魂の叫びみたいなものが伝わってきて、感涙ものである。やはり、初リーダー作にはよくも悪くもそのひとのすべてが出るというが、まさにそのとおり。作家もたぶんそうなのだろうな……。

「THE TOUR VOLUME ONE」(HIGHNOTE RECORDSHCD7291)
WOODY SHAW & LOUIS HAYES

 最近出たジャズ批評のトランペット特集「ベスト・オブ・トランペット」という古今の50人の名トランペット奏者を紹介する特集にウディ・ショウが入っていなくて、本当に驚愕した。今更ながらに、評論家とかジャズ愛好家たちと、現場(プロミュージシャンやアマチュアミュージシャンたち)とのかい離を強く感じた。もちろんそういうことをちゃんとわかっている評論家もいらっしゃるのだが、50人のなかに入らないというのは呆れてものが言えません。原田和典さんがこのアルバムのライナーに書いているように(このひともちゃんとわかっているひとなのだ)、「若手中堅のトランペット奏者に「あなたの尊敬する先輩同業者はごれか?」とたずねると、かなりの確率で「ウディ・ショウ」という声が返ってくる」というのが、私の実感でもある。現代のトランペット奏者への影響ということでは、フレディ・ハバードでもランディ・ブレッカーでもなくウディ・ショウだろう。コルトレーンによってモードジャズが確立されて、多くのテナー、アルト奏者がその影響下に自己の演奏スタイルを確立したが、トランペットにおいてそれをいちはやく体得し、7〜80年代ジャズの牽引者となったのがウディ・ショウだと思う。50人に入らんとはなあ……。で、本作だが、ウディ・ショウ〜ルイ・ヘイズ双頭クインテットのドイツでのライヴで、こういうのを発掘させたらピカイチのハイノートからのリリース。音質超良好。内容最高。メンバー的にはあの変なジャケットおよびタイトルの「イチバン」の頃で、テナーがジュニア・クックなのがビミョーだと思う。私も聞くまえはそう思っていた。ホレス・シルヴァーのところでハードバップの権化のようないなたいフレーズを吹きまくっているクックがウディ・ショウの演奏スタイルと合うわけがない。なんとなく合わせてる感じだろう。まあウディ・ショウの演奏に絞って聞けばいいか……と思っていたが、なななななんと! ジュニア・クックってこういう系もできるのだなあ。ウディの曲の複雑なコードチェンジを自分なりに解釈して、たとえばワンコードみたいな想定にして、そこにパッションをぶちこむ……ということで対応しているのかもしれないが、それが見事にはまって、バンドにすごく溶け込んでいてびっくりした。深い音色も、こういう音楽に合っていて、それもまた驚きでした。演奏全体としては、ソロはウディがとにかく突出していて、コードから遠い音を使った変態的なフレーズをものすごいスピード感で吹きまくるという凄まじい演奏を繰り広げており、ウディファンはマストだと思うが、コ・リーダーのルイ・ヘイズはもちろん、ロニー・マシューズ(最高!)やこのあとウディの片腕ともなるスタッフォード・ジェイムズらもとにかくすばらしい演奏で応えている。そして、さっきも書いたが、ジュニア・クックのがんばりは目を見張るほどで、この時期ならたとえばルネ・マクリーンやジョー・ヘンダーソンらの出番を期待していたが、いやいやいやいや……ジュニア・クック最高やん! と考えを改めた。すいませんでした。つまり、クックというひとはライヴだとこれだけアグレッシヴに新主流派的な演奏もできるひとだったのだなあ……。目からうろこ。ジャズ批評もこのアルバムを聴いて、今からでも遅くはないので(遅いけど)50人のなかにウディ・ショウを入れててもらいたいものである。これは、ファンが「俺の一押しのあのひとが入ってないなんて!」とゴネているのとかとは違うと自分では思うのですが……。

「WOODY SHAW WITH TONE JANSA QUARTET」(TIMELESS RECORDS CDSOL−6359)
WOODY SHAW

 トーン・ヤンシャというひとはよく知らん。この時期のウディはもはや晩年といっていい状況で、フレディ・ハバードと月の砂漠をやってた頃であり、我々は結構「ガックシ」という感じで聴いていた。それまでウディに対する思い入れが強すぎたこともあって、こんなによれよれになるかなあ……という印象だった。共演のフレディがバリバリ吹けば吹くほどウディのよれよれさが目立って悲しかった。その憎たらしいほどのフレディがすぐ後によれよれになってしまう……というのがまた悲しいわけだが、とにかくウディ・ショウに関していうと、このころはもうかつてのモーダルなブロウはもうできないのかと思っていたわけだが、例外的にこのオランダでの演奏はブルーノートを愛するジャズファンたちが喜ぶようなカスみたいな演奏ではなく、「これこそウディ」とみんなが思うような演奏になっていると思う。正直、トーン・ヤンシャというテナー奏者はめちゃくちゃ「気持ちはわかる!」というタイプで、ああ、あなたはウディ・ショウが、というか70年代ジャズが好きなんだろうなあ、わかるわかる……という感じである。そういう熱意に引っ張られてウディもかつての輝きを取り戻した……という風な演奏ということもできるが、トーン・ヤンシャというひとの気合いと熱い思いはものすごーくわかるが、その気合いのせいなのか、とにかく演奏がどんどん前のめりになっていく。フルートだとまだましなのだが、テナーは気持ちが先行しすぎるというか、ちょっと前ノリすぎてしんどい。で、ウディは逆にクールにモーダルなフレーズをバシバシ決めまくり、いやー、ものすごくかっこいい! 軽い音色でバップとはちがうオリジナリティあふれるフレーズをバリバリ吹きまくるが、あくまで軽くて流麗である。この時期のウディからこのすばらしいプレイを引き出した、という意味ではトーン・ヤンシャも頑張ったと思う。本当にウディのこの時期の貴重な記録だと思います。ウディファンはぜひとも。 

「THE TOUR VOLUME TWO」(HIGHNOTE RECORDS HCD7308)
WOODY SHAW & LOUIS HAYSE

 未発表ライヴ録音シリーズの第二弾。第一集は、テナーはずっとジュニア・クックだったが、本作では1曲だけレネ・マクリーンが参加している。それにしても、ここでのウディ・ショウは凄い。凄まじい。同時代のほかのトランぺッターを寄せ付けない、どころか、今でもこれだけ吹けるやつはおらんやろ的な圧倒的な凄みである。テクニック、フレージング、音楽性……だけでなく、集中力、気合い、そして、切迫感はただごとではない。ウディ・ショウはたしかにこの瞬間、世界一のトランペット奏者であったのだ、と思う。そして、この集中力と切迫感はあるひとを連想させる。そう、エリック・ドルフィだ。ドルフィとショウの音楽性はまるで似ていないが、一時期、ふたりは共演しているわけで、そのときショウはドルフィから、曲作りとかフレージングとか前衛性……などではなく、一期一会というか、一曲一曲に、いや、一音一音に魂を叩き込むような演奏姿勢、つまり、この演奏が終わったら死ぬかもしれない、それぐらいの気持ちで臨むような切迫感を学んだのではないか……とまあ、これは私の勝手な想像です。このアルバムでのウディ・ショウの演奏は完全に「頂点」であり、トップ・オブ・トップといっていいが、その頂点が長続きしなかったことも皆さんご存知のとおりである。命を削るようにして吹いていたショウの頂点をとらえたこの音源の価値は絶大である。1曲目「オール・ザ・シングス・ユー・アー」からウディが凄まじい演奏を繰り広げる。テーマを聴いてもただのジャムセッションのようだが、ソロに入るとまるで火炎放射器を全開にしたような凄まじさでトランペットが轟き渡る。ロニー・マシューズのソロもすばらしい。テナーが4小節ほど吹いたあとテーマに戻る。2曲目の「チュニジアの夜」もいかにもジャムセッション風である。テーマのあとに出てくるジュニア・クックのソロは(第一集でも感じたが)、いつものハードバップ的なものではなく、モーダルでシリアスである。こういう風にも吹けるひとなのね。ショウのソロも短いけどかっこいい。3曲目は「ラウンド・ミッドナイト」をかなりストレートに演奏。凛々しくも鋭いウディのテーマの吹き方に比して、サビのジュニア・クックのもっちゃりした吹き方もなんかいい。ウディのソロはとにかく凛として、格調高く、いらぬものをすべて削ぎ落したようなストイックなフレーズのみで構成されている。本作の白眉ともいえる、いや、70年代ジャズの最高の到達点ともいうべきすばらしい、ある意味背筋が寒くなるような演奏である。個人のソロが音楽史的なものや設定・構成などを突き破って孤高に屹立する瞬間ともいえる。ジャズはこういうことがおこるからおもしろいのだ。ピアノソロもいい。おそらく後半はカットされている。4曲目は珍しい選曲だと思うが、コルトレーンの「サム・アザー・ブルース」。これもシンプルだが突き抜けた演奏。このころのウディはフレーズも凄まじいが、ハイノートもバリバリに出ていて、向かうところ敵なしである。このドラマチックなコーラスからコーラスへのストーリーの展開は現代のトランペッターが手本とすべきものであろう。例によってマシューズのピアノもめちゃくちゃいい。ブルースなのにモード風のフレージングである。この曲にしか参加していないレネ・マクリーンのソロはないのである。かわいそ! 5曲目は「インヴィテイション」。ドラムを中心とした凄まじいイントロダクションではじまるこの演奏は、アルバム中もっとも長く、テンポも速い。先発ソロはジュニア・クックでドラムに煽られながらもペースを崩さない、クオリティの高いソロで聴き応え十分である。いや、正直、ジュニア・クックとは思えない甘さのないモーダルなソロで、わたしのジュニア・クック感を覆す演奏である。そして、続くウディのソロは安定感もあるが、挑戦的で、リズムセクションの煽りに軽々と応えつつ、一直線に吹きまくるようなすばらしい演奏で、ただひたすらこの音色とスピード感とモダンなフレージングの快感に酔いしれるだけだ。いやー、凄すぎる。最後の6曲目はバラードで「ファッツ・ニュー」。ウディの表現力豊かなトランペットに持っていかれる。同じ音をリズミカルに連発するだけでもかっこいいのだからなあ。16分音符での冷徹な吹きまくりも、コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドのようである。4度重ねのフレーズもこのひと独特で、めちゃ耳に残る(もしかするとラストのあたりは編集がなされているかもしれない。ソロあとの拍手のあと、まだソロが続くので)。70年代ジャズが、アレンジやモーダルな音楽的設定によってのみ成立していたと考えるのはまちがいで、こういう風にスタンダードをヘッドアレンジでやる単なるセッションバンドであっても、ハードバップとはまったく一線を画した到達を果たしていたことがはっきりわかる。

 「BLACKSTONE LEGACY」(CONTEMPORARY RECORDS CCD−7627/28−2)
WOODY SHAW

 今から書くことは本当に妄想というかぐだぐだした無意味な内容になるはずだし、個人的な心覚えなので、できるだけ読まないでほしい。3管にツインベース、2曲を除き自己のオリジナルでかため、その2曲もジョージ・ケイブルスの曲……という、初リーダー作としてはたいへんな意欲作である。もともと2枚組のものをCD1枚にしたので、3曲目と4曲目があわせて2分少々削られているらしいが、レコードを持っていないのでどこがどうなのかはよくわからない。ショウのリーダー作のなかでもベニー・モウピンが入ったこのアルバムと、ブラクストン、ブライスが入った「アイアン・マン」はちょっと異色である。なにが異色かというと、フリージャズっぽいのだ。リチャード・エイブラムスやブラクストンなどシカゴフリージャズと組んでかつてのボス、ドルフィーに捧げたコンセプトアルバムである「アイアン・マン」は別として、本作は全体としてフリーキーな部分や完全即興の部分が多く聴かれる。本作はショウの初リーダー作だが、実際の初リーダ―作であり、83年になるまでリリースされなかった「イン・ザ・ビギニング」は本作の5年もまえに吹き込まれているにもかかわらず、フリージャズ的ではない。そして、本作の2年後に吹き込まれる「ソング・オブ・ソングス」は本作とおなじくベニー・モウピンが参加しているのにフリージャズ的ではない。というわけで、私が思うに本作をフリージャズっぽい雰囲気にしているのはあくまでベニー・モウピンひとりであって「ブラックストーン・レガシー」と「ロスト・アンド・ファウンド」でのソロ)、それをのぞくと、非常に典型的な(いわゆる)70年代ジャズそのものである。バップ的なコード進行ではなくモーダルなテーマとアンサンブル、4ビートではなく8ビート、16ビート、ラテンリズムなどをリズムに据え、ポリリズム的な熱狂も多く用いられ、ときにはオーティナート的に、ときには自由にうねりまくるベース、4度重ねのエレピの重いコード、コルトレーンという言葉がどうしてもでてきてしまう管のソロイストが暑苦しいソロを繰り広げ、それを煽るリフ……そんなタイプの演奏である。ビリー・ハーパー、ファラオ・サンダース、ハンニバル・マービン・ピーターソン、ゲイリー・バーツ、チャールズ・トリバー……いくらでも名前が出てくるが、そういう連中のなかでもひときわ輝いていたのがウディ・ショウだろう。このあと「ソング・オブ・ソングス」「コンサートアンサンブル」「ムーントレイン」「ラブ・ダンス」「リトル・レッド・ファンタジー」「フォー・シュア」「ローズウッド」「ウディV」「ステッピンストーンズ」「ユナイテッド」……といった作品でそれを実践していくウディのサウンドの原型はこの初リーダー作ですでにできあがっている。1曲目「ブラックストーン・レガシー」におけるテーマもリズムの設定もウディのソロも、つづくバーツのソロもそういう感じだが、そのあとのモウピンのバスクラは途中からノイズマシーンと化してフリーキーなもので、しかもまだまだこれからやな的な感じがする。ここでモウピンがバスクラで(フリーでもそうでなくてもいいから)もしもっとすごいソロをしていればなあ……。1曲目だし、タイトルチューンなので、この曲の印象でアルバム全体の印象が決定づけられる。2曲目「シンク・オブ・ミー」はケイブルスの曲だが、これもいかにもウディ・ショウのコンサートアンサンブル的なアレンジがほどこされていて、かっこいい。曲としては、1曲目よりはもっとジャズっぽい。ウディのソロフレーズもおなじみのものがいっぱい出てくる。アンサンブルは分厚いが、ソロはウディとピアノとドラムだけ。3曲目「ロスト・アンド・ファウンド」はレニー・ホワイトのドラムソロではじまるめちゃくちゃかっこいいテーマの曲。アレンジや構成も複雑。超アップテンポになり、ベニー・モウピンのテナーソロがフィーチュアされるが、このソロがまたしても中途半端にフリーキーなもので、いまいち盛り上がらない。でも今聴きなおすと、なるほどこのテンポではまともなソロはできないと判断し、あえてフリーな選択をしたのか、と思った。そのあとのウディのソロ、バーツのソロは圧倒的な迫力のモーダルなもので、はっきり書いてしまうとやはり実力の差であろう。つづくケイブルスもかなり苦しんでいるように思えるが、そのなかからじわじわと変な表現があらわれる。そしてドラムソロとテーマが交互に現れる。4曲目「ニュー・ワールド」もケイブルスの曲。バラード風のイントロから、ホーンのかっこいいシンプルなリフになる。そしてケイブルスのやや時代を感じさせるが、今の耳で聞くとそこが逆にかっこいいエレピソロになり、そのあいだに3管のさまざまなリフが挟まるという構成になる。そのあとショウの若々しく切れ味のいいソロになる(やや途中で息切れ? 同じフレーズ連発になる)。レニー・ホワイトも暴れまくっており、ベースも絡み倒していて、エレピのバッキングも過激だし、非常にかっこいい。つづくバーツのソプラノによるロングソロはめちゃくちゃすばらしくてさすがである。手に汗握るファンキーかつモーダルなブロウはまさに70年代。そしてエンディングはちょっと意表をつく感じでこれもまたすばらしい。5曲目「ブー・アンズ・グランド」はややハードバップっぽいパワフルなアンサンブルで開幕する。先発ソロはケイブルスのアコースティックピアノソロ。これがなんともいえないええ感じなのである。緩急があり、グルーヴがあり、いろいろな場面が目まぐるしく展開していく。全編ばしゃばしゃいいまくっているレニー・ホワイトのばしゃばしゃドラムも炸裂している。つづくウディのソロも途中で何度か長いブレイク(フリーフォームのパートのようにも聞こえるが、そうではないと思う)があったりするが、見事にむずかしい構造を乗り切って吹きまくる。ゲイリー・バーツのアルトソロもブレイクの部分ではバラード風にしたりと個性を存分に出した「上手い!」という感じのソロで飽きさせない。そして問題のベニー・モウピンのテナーソロだが、こういう誠実なソロは私の好みで、たしかに「もっとがんばってくれ」とは思うが嫌いではない。「気持ちはわかる!」という感じである。最後の「ア・ディード・フォー・ドルフィー」は、タイトルどおりドルフィに奉げた硬質なバラード。コード感はあるのだが、一定のビートのない、全体に茫洋とした自由空間のなかを、ウディのリリシズム溢れるトランペットを中心に全員が同時に即興を行う。これがもうめちゃくちゃかっこよくてしびれます。そのあと主役はトランペットからピアノに移るがここでも同様の濃密な展開で、硬質なピアノがたまらんドラマを描く。これのどこがドルフィーなのだ? というひとは逆にドルフィーの音楽について先入観があるのではないだろうか。
 さあ、ここからもう少しぐだぐだ書きます。
 ここで気になるのは1970年録音ということとメンバーの人選に関してだが、ショウは果たして「ビッチェズ・ブリュー」を意識していたかどうか、ということを考えると、1年後の録音であることを考えると、同じトランぺッターでもあり、意識していないとは思えない。人選も、ロン・カーター、ベニー・モウピン、レニー・ホワイト……と「ビッチェズ……」に参加しているうちの3人が本作にも参加しているし、ゲイリー・バーツはのちにエレクトリック・マイルスの主要なメンバーとなる人物だ。しかし、巷間言われているほど「ウディ・ショウ流『ビッチェズ・ブリュー』」的な見方は当っていないのではないか。たしかに4ビートではない曲が主だし、エレピも使われているが、じつはそれだけで、あとは非常にオーソドックスでアコースティックでスピリチュアルで勢いのいい70年代ジャズの典型だと思う。「ビッチェズ……」というのは、エレクトリック・サウンドやロックビートという以上に、パーカッションによるカラフルなリズム、広々としたくうかんを感じさせるサウンド、そこを自由に跳びかうエレクトリックトランペットとソプラノサックス……というあたりが「凄い」わけで、そのあたりはこのストレートアヘッドな音楽とは似ていないと思う。つまり、本作は「ウディ・ショウによる『ビッチェズ・ブリュー』宣言」とかではなく、「70年代ジャズのはじまりを告げる一枚」なのではないか。そう思って、ベニー・モウピンにもう一度着目すると、「ビッチェズ……」ではソロイストというより全体にバスクラで陰影をつける係になっていた彼が、本作では大きくフィーチュアされている。ここで浮かびあがるキーワードは「ドルフィー」ではないのか。ウディ・ショウが自分の初リーダー作を作るにあたって、かつてのボスであり、大きく影響を受けた人物ドルフィーへの捧げものということを考え、バスクラ奏者であるベニーを入れたのではないか。ラストの「ディード・フォー・ドルフィー」がそれを物語っているのではないか。そう考えると、本作と「ビッチェズ・ブリュー」のつながりは希薄になり、また、「70年代ジャズの出発にドルフィーの存在があった」とも言えるのではないか。などとジャズ評論家的なことをぐだぐだ考えたので、メモとしてここに書いておく。
 タイトルの「ブラックストーン・レガシー」の意味はショウによると、世界中の黒人の自由に捧げたものであり、かつ世界中のゲットーに奉げたものだという。ストーンは、強靭さの象徴で、彼自身も汗臭い家で、ゴキブリとネズミがはびこり、廊下も臭いところで育ったが、そういうところの若者に希望を与えるつもりで名付けたそうだ。ジャケットも印象的で(スーダンでの写真)、若き日のウディ・ショウの思いのこもった熱い熱い一枚である。 

 「THE NEW WOODY SHAW QUINTET AT ONKEL PO’S CARNEGIE HALL VOL.1」(DELTA MUSIC & ENTERTAINMENT N77045)
THE NEW WOODY SHAW QUINTET

 私がはじめてウディのライヴに接したときと同じメンバーだ。あのときの衝撃、いや、衝撃なんて生易しい言葉では表現できないな。日々フリージャズばかり聴いていた私が、とにかくひっくり返るぐらい驚き、また感動したのだ。そして、この未発表ライヴにはあのときの驚愕と感動がすべて入っている。宝物のようなアルバムだ。まったく隙がない。どういったらいいのかな、スタジオ録音の「作品」として隙がない、のならわかるのだが、彼らにとっては日々のギグのひとつにすぎないこの放送録音が、今聴くと、「完璧」なテーマ演奏、完璧なソロ、完璧な構成、完璧な即興アンサンブル……であることに驚くのだ。しかも、そのぴりぴりした迫力は凄まじい。ドルフィーの作品すべてに共通する、あの「切迫感」にも共通する、明日死ぬかもしれない、という一瞬にかける思いがひしひしと伝わってくる。リラックスした、このくつろぎが永遠に続いてほしい……というような音楽もあるが、ウディの真骨頂は切迫感である。ウディのソロはどれも圧巻で、当時としては最先端を行くモダンなフレージングや、鉈でぶった切るようなリズムや、ハイノートのうえにハイノートを重ねるようなアクロバチックなプレイなどどれをとっても超一級かつ「ウディ・ショウやなあ」としか言えない個性的なもので、すばらしすぎる。スティーズ・トゥーレの、トロンボーン離れしているのにトロンボーンらしい、というこれまたアクロバチックな演奏の数々も圧巻。もちろん、マルグリュー・ミラー、スタッフォード・ジェイムズ、トニー・リーダスというこの時期のリズムセクションの手に負えないほどの最高の演奏もかっこよすぎる。やっぱり技術と音楽性の両方がすごくて、そのふたつがガッチリ手を結んだときにこういう奇跡が起きるんだろうなあ。ふつうのジャズは、当然そういうところを目指すわけだが、なかなか実際にはそうはいかない。ウディ・ショウを聞いたことがない、というひとにもおすすめできる傑作ライヴである。6曲入っているように書いてあるが、じつはそのうち2曲(?)は単なるMCなので、本当は4曲。「カトリーナ・バレリーナ」をはじめ、ええ曲ばかりなので、そこも味わいどころ。ライナー(英文)も充実しています。傑作!

「AT JAZZ SHOWCASE 1979」(JAZZTIME 077)
WOODY SHAW

 ウディ・ショウの海賊盤。MCに続いてカウントがはじまり、1曲目はなんと「蛍の光」だ。「蛍の光」をラストではなく1曲目にかますとはなかなかすごいぞ……と思ったら、この曲は海外では年始や誕生日、披露宴などで演奏されるらしい。そしてこのライヴは12月31日からの年越しライヴなのだ。なるほどなあ。カーター・ジェファーソンのソプラノソロを聴いていると、とても「蛍の光」をやっているとは思えない。ちょっと変なアレンジがほどこされていておもしろいが、尺も短い。2曲目は「ステッピン・ストーンズ」でもやっていた「セヴンス・アヴェニュー」。ビクター・ルイス、スタッフォード・ジェームス、ラリー・ウィリスという最高のリズムセクションに乗って、ウディ・ショウが相変わらず天空を駆けるようなすさまじいソロをする。このころのウディ・ショウに敵なしである。つづくカーター・ジェファーソンのソプラノは尻上がりによくなっていく感じのいいソロ。ラリー・ウィリスのソロはめちゃくちゃかっこいい。惚れてしまうで!と叫びたくなるような凄まじい演奏でドラムとの相性も抜群。けっこう長いドラムソロが大きくフィーチュアされてテーマ。つぎは「イン・ユア・アウン・スウィート・ウェイ」でウディの愛奏曲。カーター・ジェファーソンのテナーソロ(やっとテナーがでてきた)がかっこいいです。やっぱりテナーだよね、カーター・ジェファーソンは〈決めつけるな)。ウディ・ショウのソロはシリアスに歌い上げる。ピアノソロの途中で突然音量が下がるがすぐに回復。このピアノソロもすばらしいです。これもまたビターなスタッフォード・ジェイムズのベースソロもいいんですが、終わってからの拍手が少なすぎる。ひとり? 客何人おんねん。つぎは「ローズウッド」で、テンポがけっこう速い。いや、こんなもんかな。たった5人であのリトルビッグバンドみたいな感じが出せるのか、と思っていたが、そのあたりはまあまあです。カーター・ジェファーソンの硬質なテナーソロはかっこいい。途中からかなりフリーキーになって私の好みにぴったりです。オリジナルは(ジェファーソンも参加しているが)ジョー・ヘンダーソンだっけ(カーター・ジェファーソン説もある。私はどちらかというとカーター・ジェファーソンだと思います。低音部の音色の感じとか)。ウディのソロは自由自在な、聞いていてすがすがしい、すばらしいものです。ピアノソロもこれぞ70年代ジャズという硬派なもので、つづくベースソロはオリジナルアルバムにはない大フィーチュアでこの曲の聞きどころはベースか、と思うほどのフィーチュアぶりである。いいねー。つぎはスタンダードで「オール・オブ・ユー」なのだが、ラリー・ウィリスのピアノがメインのトリオナンバーである。ちょっとマイルスっぽいやり方(?)。ラストはまさにというかなんというか「ステッピン・ストーンズ」でフェイドアウト。めちゃくちゃすごいソロの途中なのでもったいないなあと思うが仕方がない。傑作だとは思うが、ウディ・ショウを最初に聞くとしたらちゃんとした音源のほうがいいのではないかと思います。

「TOKYO’81」(ELEMENTAL MUSIC 5990429)
WOODY SHAW

 これは凄い。凄まじい。私はこのときの来日公演は聴いていないのだが(フルバンの練習があったので行けなかった)、行ったひとの話を聞くと、とにかくめちゃくちゃ凄かったらしく、いわゆる伝説のコンサートになっていたのだ。その翌年、ほぼ同じメンバーで来日し、それは観に行ったが、めちゃくちゃ良かった。というわけで、本作だが、放送録音が音源で日本のジャズ番組をそのまま収録しているので、冒頭に某ジャズ評論家のしゃべりが入る。「マルグリュー・ミラー」を「ムルグロー・ミラー」と発音しているのが時代を感じさせる。しかも、なぜかわからんが、ドラムをヴィクター・ルイスだと言っている。録音の最後にちゃんとメンバー紹介があり、ドラムはトニー・リーダスだと言っているにもかかわらず間違えているのは、たぶん音源をちゃんと聞かず、渡された資料だけ読んでいるからだと思われます。なので、どうしてこんな無意味なDJ部分をマイケル・カスクーナが本盤に収録したのかさっぱりわからん(切ってしまってもなんの問題もない。というかそのほうが構成的にもいいと思う)。まあそんなことはどうでもいいのであって、肝心なのは演奏だがこりゃもうマジでめちゃくちゃ凄いっす。1曲目は、かなり速めの「ローズウッド」だが、テーマ部分のトロンボーンのなめらかさにまず驚く。トランペットが2本あるかのようななめらかなアンサンブル。先発ソロはマルグリュー・ミラーで軽やかで、かつ重厚なかっこいいソロ。つづいてスティーヴ・トゥーレ。はまりまくりの豪快な、トロンボーンらしい演奏で、この時代のトロンボーンの最先端的なソロ。そしてウディ・ショウ登場だが、圧倒的な演奏。モダンで洒落ていて音楽的なソロ。天空を駆けるがごとき身の軽さとまばゆさを持ったソロ。ほめすぎ? いやいや、そんなことないです。ベースのアルコソロを挟んでテーマのアンサンブルへ。いやー、この1曲目を聞いただけでも、「よく出してくださいました!」と最敬礼したくなる。2曲目は「ラウンド・ミッドナイト」で、ショウがコンサートではときどき取り上げるナンバー。ほぼマイルスアレンジと同じ。でも、ええもんはええ。例の「パッパッパー」というリフのあと、ショウのトランペットが切々と、身もだえせんばかりに東京のホールの空間を駆け巡る。どこを切ってもマイルスとは大違いのウディ・ショウの世界観に基づいたすばらしい演奏。美味しいフレーズ連発だし、なにより音色が美しすぎてため息。ピアノソロとトロンボーンソロも見事だが、後テーマのウディの崩し方やトゥーレとの即興アンサンブルはすばらしい。そして、何度もクライマックスが訪れる、とんでもないカデンツァ! 3曲目はマルグリュー・ミラーの「アペックス」という曲で、「ナイト・ミュージック」に入っている、途中でラテンリズムになるいかにも70年台主流派ジャズという感じのかっこいい曲。ウディの先発ソロも快調そのものでぶっとばしていく。トゥーレのソロもとにかくひたすら「めちゃくちゃ上手い!」と叫んでしまうような快演。ピアノソロもいいし、冷静なスタッフォード・ジェイムズと、ソロイストをあおりまくるトニー・リーダス。ほんとこのバンドは全員凄すぎて、聴いていて一瞬も気を抜けないっす。4曲目は「フロム・モーメント・トゥ・モーメント」(「タイム・イズ・ライト」に入ってるやつ)。聴いていて胸が苦しくなるほどの哀愁のテーマを、絶頂期のウディがあの輝かしい音色と表現力で切々と奏でるのだから、悪いわけがない! もう最高であります。トゥーレは低音を駆使してのソロ(バストロ?)。そして、ピアノソロも泣けます。5曲目はおなじみの(というか、ほぼ全曲「おなじみの」なのだが)「ソング・オブ・ソングス」。幻想的で、どこか琴を思わせるピアノのイントロに重厚なアルコベースが加わり、なんとなく東洋的な匂いを醸し出しながら進行していき、そこから3拍子のリズムからテーマが始まる。ウディのソロは、これぞウディ・ショウという感じのストレートアヘッドでウディ節満載のもの。ウディ・ショウのソロは常に、「その場で発生している」感があって好きだ。即興だから、とか、クリシェが、とかそういうのとは関係なく、ライヴ感があっていきいきしている。かなり長尺のソロのあとトゥーレのソロ。これも自由闊達で豪快でドラマチックでアイデアに満ちたすばらしい演奏である。最後はバンドテーマとしての「テーマ・フォー・マキシン」。この最高のリリースに唯一文句をつけなければならんとすれば、このあとにボーナストラックとして入っているパリス・リユニオン・バンドの「スウィート・ラヴ・オブ・マイン」だろう。もちろん演奏はすばらしいのだが、これは既発盤に入ってるやつで、メンバー的にもウディ・ショウ以外には本作とはなんの関係もない。リユニオンバンドの未発表テイクとかならまだいいと思うが……。全部をこのクインテットの東京公演のみで統一してほしかった。録音時間が短い? そんなことで文句を言うやつはいないと思うが。しかし、そのこと以外は本当にありがたやありがたやのリリースであり、ウディ・ショウを聴くのがはじめてというひとが本作から聴いたとしてもまったく問題ない傑作だと思います。録音も上々。

「LIVE IN BREMEN 1983」(ELEMENTAL MUSIC 5990430)
WOODY SHAW QUARET

 最近ウディ・ショウの未発表音源がどかどか出てきて、ありがたいやらかたじけないやら……長生きはするもんだなあと思ったりしておりますです。一時の、コロンビアの代表作さえ入手できなかった状況に比べると変われば変わるもんだと思うが、もちろんこういうありがたい状況というのはすぐにまた、市況の変化やらなんやらでなくなってしまうのである。83年というから、トゥーレがちょっと抜けていた時期のライヴだが、その分、ショウの凄まじいトランペットが満喫できる。ワンホーンで吹くと、本当にウディ・ショウの、いらないものをそぎ落とした壮絶なまでにストイックな音、フレーズなどなどがしみじみ感じられるし、管楽器の相棒(?)のいない状況での孤軍奮闘ぶりも伝わってきて泣けてくる。そして、マルグリュー・ミラーもいつもよりも長いソロを過激に弾きまくっているような気がする(いや、もうすごすぎます)。とにかくすばらしい。ウディ・ショウとマルグリュー・ミラーが前面でがんばっている感じだが、そのソリッドさ、シャープさ、重量感、そして鬼気迫るほどの切迫感はトゥーレを擁したクインテットでの安定感のある演奏とは少し違っていて(おそらく精神的な面で)、めちゃくちゃかっこいいのである。痛々しいほどに鋭く突き刺さるようなトランペットをハードバップ〜モードジャズの文脈で奏でていたウディ・ショウの演奏は、同時期のフレディ・ハバードのファットな演奏と比較してもとにかくストイックとしか言いようがない、聴いているものの胸をグサグサ刺してくるようなプレイだったが、その究極がここに収められているといえるのではないか。同じフレーズばかり、とか、手癖で吹いてる、といった批判があるかもしれないが、これだけ「自分のフレーズ」だけでアドリブを構成するそのストイックさには鬼気を感じる。もちろんベースのスタッフォード・ジェイムズ(アルコソロもかっこいい!)やドラムのトニー・リーダスといったおなじみのメンバーもウディ・ショウやマルグリュー・ミラーのバッキングはもちろん、ソロになると思わず瞠目してしまうようなすごい演奏をする。しかし、なんといっても本作の醍醐味はワンホーンである、ということで、本来、2管以上のアンサンブルが想定されているテーマをウディが美しく、しなやかに、たおやかにトランペット一本で吹ききり、そのあとソロも吹きまくるという点がほかのアルバムと違っているところである。しかも、選曲も「あなたと夜と音楽と」「ラサーンズ・ラン」「イースタン・ジョイ・ダンス」「プレッシング・ザ・イシュー」「オルガン・グラインダー」「カトリナ・バレリーナ」「ダイアン」「400イヤーズ・アゴー」「スウィート・ラヴ・オブ・マイン」……とおなじみすぎるぐらいおなじみの名曲ばかりが並び、それらをウディがワンホーンでどう吹きぬくかという面白さもある。やるほうも聞くほうも、気の抜ける曲というのがない。これぞ70年代ジャズ! いやー、ほんまにええ曲ばかり。どの曲も、一枚のアルバムのハイライトになるような宝物のような演奏だ。ウディ・ショウ(とそのまわりの連中)の才能にはほとほと感服するしかないです。かっこよすぎる4人。しかも2枚組! よくぞ出してくれたと涙なみだの傑作であります。