pharoah sanders

「THE TRANCE OF SEVEN COLORS」(AXIOM 314−524−047−2)
MALEEM MAHMOUD GHANIA WITH PHAROAH SANDERS

 マリーム・マフムッド・ガニアというモロッコのミュージシャンのグループにファラオ・サンダースが客演した形のアルバムだが、どう聴いてもファラオが主役にきこえるのでファラオの項に入れた(私の耳がテナーのほうに向いてしまっているからかもしれないが)。ライナーを読むと、どうやらこれはモロッコのグナワという音楽で、モロッコのエッサウィラというところで録音されたらしい。プロデュースはおなじみビル・ラズウェルで、ファラオとビル・ラズウェルという組み合わせはあんまり評判が芳しくなく、とくに松尾史朗という評論家はいつもぼろかすにこきおろすのだが、「レコード・コレクターズ」のファラオ小特集を読んでも、松尾氏はビル〜ファラオのアルバムをどれもこれも切って捨てているが、本盤だけには好意的である。私の印象としても、このアルバムはファラオの最近の作品としてはかなりええ線いっとるのではないかと思う。いやー、もろ「私の好み」という感じ。こういった「民族音楽+フリージャズ」みたいなものはいろいろあるけれど、水と油で大失敗するか、なーんか変に歩み寄ったような中途半端な出来になるか、そんなものが多いと思うが、このアルバムでは、モロッコ勢、ファラオの両方ともが自己の音楽を曲げることなくストレートに演奏し、しかも、うまく溶けあっている、という希有な例だと思う。これは、やはり、ファラオやマリーム・マフムッド・ガニアの功績というよりは、両者をほどよくブレンドさせたビル・ラズウェルの手柄ではないの? と言わざるをえない。正直なところ、最近のファラオのやつでは一番よく聴くかも。4曲目にはいってるソニー・シャーロックに捧げた曲は、ファラオには珍しい(ほぼ)無伴奏ソロ(バックにちゃらちゃらと鈴みたいなパーカッションが入っている程度)で素敵っ。日本制作のバラード集みたいなやつは、ほんとどれも死んだようなファラオが聴けて悲しいし、ビル・ラズウェルがらみのものは、癒し系というか変なキャラクターをファラオにあてがっていて、これまたつらいし、4ビートジャズ系にゲストではいったものはどれも不完全燃焼だし……となると、フランクリン・キアマイアの「ソロモンズ・ドーター」かこのアルバムということになるが、前者があまりにくそやかましいので、よく聴くアルバムとしてはこっちに軍配があがりますな。

「LIVE IN FRANCE,1971」(CRECENT CC009)
PHAROAH SANDERS

かなり古い、七十一年のファラオグループのライブを収録した海賊版。ピアノにロニー・リストン・スミス、ベースにセシル・マクビーという豪華な布陣であり、曲も「クリエイター・ハブ・ア・マスター・プラン」とかヒット曲をやっている。でも、なんといっても一曲めが「ラウンドミドナイト」というのが売りではないか。全体的に音質はクリアであり、問題ない。演奏は、どちらかというとソウルフルな、なんちゅーかスピリチュアルジャズというんですか、そういう傾向のものが多いが、ファラオのスクリームも随所にあり、聴き応えは十分。やっぱりファラオはええなあ。テナーがギャオオオッと叫ぶと、そのあたりをバンバン叩きまくりたくなる。でも、万人にすすめる気はなくて、ファラオマニア以外は、正規盤を全部聴いてからのほうがいいかも。とりあえず、よくぞ出してくれましたというアルバム。

「LIVE」(EVIDENCE MUSIC.INC ECD22223−2)
PHAROAH SANDERS

 レコードに比べて、かなり長尺の曲がボーナストラックとして追加されているので、CDのほうを挙げておく。いやー、それにしてもこのアルバムをはじめて聴いたときは驚いたなあ。当時、ファラオ・サンダースなんていってもだれも相手にしていなかった。ほぼ「終わったひと」扱いだったのだ。たしか大学2年か3年のときだ。私ひとり、古いインパルス盤やらいろいろ見つけては購入し、ファラオはええでー、と騒いでいたが、そんな私でもだらだらしたインディア・ナビゲーション盤やフュージョンに色目を使ったような「ラヴ・ウィル・ファインド・アウェイ」あたりを聴いて、こらもうあかんわ、と思っていた。そんな矢先、テレサというレーベルから「リジョイス」「ジャーニー・トゥ・ジ・ワン」という二枚のアルバム(どちらも二枚組)を立て続けに出して、ファラオがついに復活した、と一部のジャズファンが騒いでいたが、一般的にはそういう認識はまだまだなかったと思う。私ももちろん両方とも買って聴いたが、たしかに意欲作で、熱気もあるが、かつてのあの咆哮、絶叫、スクリームのパワーには及ばず、うーん、ええといえばええんやけど、なんか隔靴掻痒な感じやなあ……と思っていたら、ある日、三宮のミスター・ジャケットという輸入盤専門店に行くと、新譜としてこの「ライヴ」があったのである。買ってかえって、家で聴いて、もう卒倒しました。すげーっ! ついについについについにファラオは復活した。いや、復活というより、過去のどの演奏よりもすごい。新生ファラオだ。私はひとりで興奮し、いや、とにかくもうこうしちゃおれんとそのアルバムを持って西宮のジャズ喫茶「コーナーポケット」に行き、マスターに聴かせたところ、「うちの分も買ってきてくれ」と言われたので、翌日、私はふたたび「ミスター・ジャケット」に行った……という記憶もまだ生々しい。このアルバムはファラオ・サンダースの最高傑作であり、かつ、ファラオマニア、つまりファラオが吹いてりゃどんなアルバムも許す、といったダメなファン(つまり私のこと)ではなく、フツーの一般のジャズファンにも十分聴かせられるという点でファラオのはじめてのアルバムなのである。つまり、このアルバムが出るまでのファラオのアルバムはすべて、ハンプトン・ホーズやレッド・ガーランドを家で聴いてるようなジャズファンには、まったく受け入れられないような、ある種、趣味の音楽だったと思うが、さすがにこの「ライブ」は、スタンダードしか普段は聴かないようなジャズファンでも、「うわー、これは凄い」と納得させてしまうだけのパワーと説得力と音楽性を併せ持っているのである。このアルバムに対して、ある評論家は、過去のファラオのアルバムに比べて、ぬるい、みたいな評価をしていたが、そんなことはない。たしかにフリークトーンやハーモニクスを多用してひたすらノイズの渦……みたいなことはないが、あらゆるものがちょうどいい塩梅にバランスをとっていて、私は大好きです。このアルバムを出発点として、ほかのファラオのアルバムにも手を伸ばしてもらえればいいのであって、このアルバムがゆるい、とか、ぬるい、とかマニア視点で斬り捨てるのはとんでもない話だと思う。そして、先年出た、このアルバムと同じ音源のDVDを見よ! 一曲を20分以上かけてひたすら吹きまくり、よだれをだらだら垂れ流し、マイクに向かって絶叫する熱いブラックミュージシャンの姿が如実にとらえられているではないか。ジョン・ヒックスも死ぬほど暑苦しいソロを繰り広げている。とにかく熱いアルバムで、この4人の集中力は凄まじい。ぜひぜひ大勢のひとに、とくに、ファラオを聴いたことのないひとに聴いてほしい名盤です。

「LIVE AT THE EAST」(IMPULSE! AS−9227)
PHAROAH SANDERS

 インパルス時代のライヴで、ずっと聞きたかったのだが、CD化によってようやく聞くことができた。かなり期待していたが、実際に耳にしてみると、良くも悪くも例のスピリチュアルジャズというやつで、ライヴでもこんな調子だったんだなあ。テナーがファラオを含めて3人いて、あとのふたりはハロルド・ヴィックとカルロス・ガーネットである。一曲目はファラオもほとんど叫ばず、悠々とメロディックかつスピリチュアルな雰囲気一発のソロをしていて物足らない。ハンニバル・マービンのラッパソロがあるが、非常に調子悪い感じ。曲のエンディングだけ、ファラオがぎゃっーと吠えて盛り上がる。二曲目のボーカル(というかヴォイス?)はなかなかよい。3曲目でソプラノソロがフィーチュアされるが、これがだれだかわからん。クレジットではだれもソプラノを吹いていないことになっていて、ただジャケット写真ではファラオではないもうひとりのサックスがソプラノを吹いている。写真を見ただけでは、カルロス・ガーネットかハロルド・ヴィックかはわからん……というようなアルバムでした。

「JOURNEY TO THE ONE」(THERESA RECORDS TR108/109)
PHAROAH SANDERS

ファラオ復活を告げる画期的な作品。それまで、インディア・ナビゲーション盤やアリスタ盤など、しょぼい演奏が多かったファラオだが、本作をもって完全に復活した。「アーネット・コブ・イズ・バック」みたいなもんかなあ。不遇をかこっていたファラオに、この二枚組の大作を吹き込む機会を与えたテレサレーベルはほんとうにえらい。メンバーも、ジョン・ヒックスやジョー・ボナー、アイドリス・ムハマッド、レイ・ドラモンドなどほんとうにすばらしいし、なんとあのボビー・マクファーリンも参加しているという豪華さである。全10曲で、ほとんどが長尺の演奏だが、なかでもA−2の「ドクター・ピット」(あの「ライヴ」でも取り上げられている)が、ああ、これだ、これこそが我々の聴きたいファラオだ、と拳を突き上げられるような興奮、随喜の演奏である。あとはあいかわらずの似非オリエンタル趣味の横溢した曲や、バラードを歌いあげるような曲など、あとにつながるような演奏が多い。全体にいえることは、インパルス時代の虚飾(といったら申し訳ないが)を捨てて、ストレートに勝負するようなタイプの、素直に熱い演奏ばかりで、しかも、もとからの持ち味である大袈裟ではったり過多な感じはちゃんと残っているし、いい意味でオリエンタル風味や「神」とか「愛」がどうのこうのといった大上段に振りかぶったスピリチュアルテイストももちろん残っており、ファラオの集大成的な作品になっている。このアルバムがなかったら、正直、このあとのファラオの展開はなかったかもしれないわけで、彼のキャリアのうえでは相当重要なアルバムだと思う。本作や「リジョイス」におけるそういった感じをもっとシンプルに突き詰めていったのが「ライヴ」その他の作品になるわけだ。本作でも「ライヴ」で暴れまくるジョン・ヒックスが大活躍していて、なんともいえないイキのいいピアノソロを弾きたおしてくれている。あの「ユーヴ・ガット・トゥ・ハヴ・ア・フリーダム」のボーカル入りバージョンも入っているが、ゆったりとした演奏で、やはり、ファラオの激情きわまりないブロウを堪能しようと思ったら、本作では物足りない(じつは私は、「ライヴ」のまえに本作を聴いていたのだが、そのときはこの曲にはほとんど印象がなく、ボーカル入りでだるいなあ、ぐらいにしか思っていなかった。それがあんな過激なバージョンに変貌するとは……)。そういうひとには「ライヴ」が待っています。

「REJOICE」(THERESA RECORDS TR112/113)
PHAROAH SANDERS

「ジャーニー・トゥ・ジ・ワン」につづくテレサの二枚組。発売当時は、大作だと思ったが、今聴いてみると、一曲がそれほど長くないので、楽しく二枚組を聴きとおせる。一曲目はエルヴィン・ジョーンズをドラムに迎えたスピリチュアル趣味横溢の演奏。ボーカルの歌詞は気恥ずかしいが、英語だからまあええか。エルヴィン参加はこの一曲だけだが、彼の重たくもダイナミックなドラムのグルーヴが非常に心地よく、この一曲を特別なものにしている。B−1、2の「ハイライフ」「ナイジェリアン・ジュジュ・ハイライフ」というメドレー(?)が本作のハイライフならぬハイライトで、アフリカンミュージックがファラオの力量でまさしくいきいきとした、見事に明るくノリのよい演奏に生まれ変わっている。これを聴いて身体が動かないひとはいないだろう。二枚目にいって、「フェン・ライツ・アー・ロウ」「モーメンツ・ノーティス」「セントラル・パーク・ウエスト」といったコルトレーンがらみのスタンダードも悪くはないが、ボーカルが入ったりして、やや大袈裟だし、スティヴ・トゥーレやダニー・ムーア、ボビー・ハッチャーソンらのかっこええソロの連打を楽しむこともできるが、やはり本作の白眉は、一枚目のA面B面だろう。その後につづく、ファラオ流アフリカンテイストのグルーヴが堪能できる。内ジャケットの写真をみると、めずらしくファラオがリンクのメタルではなく、べつのマウスピースを吹いている(「ジャーニー・トゥ・ジ・ワン」ではマウピの写った写真が載ってないので、確認できないが、「ライヴ」ではDVDで確認したところ、リンクである)。

「JEWELS OF THOUGHT」(IMPULSE AS−9190)
PHAROAH SANDERS

いやーーーーー、これは好きですわーーー。大学のとき、中古でなにげなく買った本作、家で聴いて、もう狂喜乱舞した。これだこれだこれですよっ。当時はこの盤は私のまわりではだれも知らず、ジャズジャーナリズムでもほとんどとりあげられていなかったよう記憶するが、ジャズの本に名盤として書いてある「カーマ」や「タウヒッド」「ブラック・ユニティ」なんかよりもはるかに凄いではないか。これこそ、コルトレーン5時代のあの狂気のブロウと、ファラオ独特の似非エキゾチック趣味が見事に融合した大傑作だ、と、もう涙を流して喜んだ。本作の魅力は、なんといってもA−1の「ハム・アラー・ハム・アラー・ハム・アラー」に尽きる。レオン・トーマスの妖しげなへなへなヨーデルボーカルによって、テーマが奏でられ、ファラオがそれをなぞるようにテナーでメロディーを吹き、そして、じわじわとフリークトーンの嵐に突入する。フラッタータンギングから音を割り、ギャーギャー、ピーピーいいはじめると、聴き手はスピーカーのまえで興奮のるつぼに。いやー、これはすごい、と何度も繰り返し聴いては、こんなふうに吹けんもんだろうか、と研究したものである。それが、時代は移り、あるとき某デパートを歩いていると、店内のBGMとしてこの曲がかかったときには驚いた。うーん、ファラオ・サンダースがBGMになる時代が来たか。これはうれしいことのようだが、じつは全然うれしくない。私がファラオに求めるものは、狂気のフリークトーンブロウなのであって、デパートのお買い物のおともではない。やはりでかい音で、対峙するように聴きたい。A−2から続きB面いっぱいをしめる「サン・イン・アクエリアス」のほうが時間は長くて大作だが、聴いてみた印象は、イントロがやたらと長く、ファラオがコントラバスクラリネットでブロウするのだが、やってることはテナーとほとんど同じ。なかなか盛り上がる瞬間もあるが、直情的かつシンプルな「ハム・アラー・ハム・アラー……」にはかなわない。本作は、インパルスに数あるファラオの作品のなかではもっとも成功した一枚だと思うが、その理由は、リオン・トーマスを相方に、ロニー・リストン・スミス、リチャード・デイヴィス、セシル・マクビー、アイドリス・ムハマッド、ロイヘインズという最高のリズムセクションをそろえたこと、そして、ワンホーンに徹したことがあげられるだろう。思わせぶりなジャケットもすばらしい。

「PHARAOH SANDERS QUINTET」(ESP−DISK 1003)
PHARAOH SANDERS

 記念すべき初リーダー作。コルトレーン5に加わるまえのファラオの初期の姿がわかるものは、本作をはじめ数少ない。原田和典編の「ジャズ・サックス」という本には、ファラオの代表作として本作があげられているが、私は昔からこのアルバムをおもしろいとおもったことは一度もない。A面B面一曲ずつで、たっぷりした尺をとっているが、そのせいか、ダレる。曲は、ハードバップというかモードジャズで、そこにトランペットのハードバップ的なソロとファラオのややフリージャズ的なソロが乗る、という趣向であるが、なにをやりたいのかよくわからない。ファラオ自身も本作を嫌っていた、というは話を植草甚一の本で読んだことがあるが、たぶん「タウヒッド」にはじまる一連のインパルス盤にくらべて、まだ音楽的に熟成していなかった(ことを本人もわかっていた)からだと思う。まあ、きちんとバップ的なフレーズを吹くファラオなんか、本作でしか聴けませんから、貴重といえば貴重ですけどね。「ファラオズ・ファースト」というタイトルでも発売されているらしい。

「HEART IS A MELODY」(THERESA RECORDS TR118)
PHAROAH SANDERS

「LIVE」に続く作品であり、キーストン・コーナーのライヴ。メンバーはドラマー以外一新され、ピアノはウィリアム・ヘンダーソン(なかなかいいっすよ!)、ベースはジョン・ハードになったが、内容は「ライヴ」に勝るとも劣らないクオリティである。というか、正直、「ライヴ」より好きかも。「ライブ」よりよく聴くことはまちがいない。A面全部をしめるコルトレーンの「オレ」は、スパニッシュモード一発で、まさにファラオにふさわしい選曲。この演奏を聴くと「オレ」を一度、自分でもやってみたいという気持ちになる(まだやったことはないけど……)。太いストレートトーンでシンプルなメロディーを積み重ねながらじわじわと盛り上げていき、一旦咆哮しはじめるとだれがなんといってもとまらない阿鼻叫喚……というあいかわらずパターンは、黄金の方程式であり、このやり口で聴衆が飽きるということはありえない。私はとにかくファラオの絶叫を聴きたいわけで、それ以外はどうでもいい。心打つバラードも、歌心あふれるスタンダードも、ほかの奏者を聴けばいい。ファラオにはいつも、つねに、ずっと、永遠にフリークトーンで叫びつづけてもらいたいものだ。とはいえ、アルバム全部がそれというわけにはいかないので、B面は一転して楽しく、ユーモラスですらあるダメロンの「オン・ア・ミスティ・ナイト」ではじまり、タイトルチューンでソウルフルな「ハート・イズ・ア・メロディ・オブ・タイム」(8人のコーラスがオーバーダビングされている)、そして狂騒的でめちゃめちゃ楽しい「ゴーイン・トゥ・アフリカ」で幕を閉じる。超ハッピーな気分で終わるアルバムであり、「ライブ」と並ぶファラオの最高傑作のひとつといっても過言ではない、ファラオファンはけっして聞き逃してはいけないアルバム。

「AFRICA」(TIMELESS RECORDS SJP253)
PHAROAH SANDERS

 傑作。ヨーロッパ録音だが、じつにすばらしい。全曲かっこええ。ただし、一曲目は例の「ユーヴ・ガット・トゥ・ハブ・ア・フリーダム」で、快調な咆哮が聴けるが、スタジオ録音なので、あのメンバー紹介もないし、オーディエンスの熱狂もない。ジョン・ヒックスのピアノもすばらしいが、あの汗を滝のように鍵盤に落としながら弾きまくる狂熱はやや薄い。だから、「ライヴ」よりも本作での同曲のほうがいい、という意見には与しがたい。本作のすばらしい点はほかにあって、「ネイマ」や「アフター・ザ・レイン」のリリシズム、「オリジン」のかっこよさ、そして「アフリカ」の……なんというかアホらしさというか狂熱というかむちゃくちゃというか、そういうところが束になって押し寄せてくるのだから、これはたまらん! 「スピーク・ロウ」は、めちゃめちゃ「普通」のジャズで、ファラオがハードバップ的なフレーズをつむいでいくが、それまでもかっこよく聞こえるほど本作でのファラオは乗りまくっている。エジプト文字を背景にテナーを持って立つジャケットもえっこええで!

「OH LORD,LET ME DO WRONG」(DOCTOR JAZZ RECORDS FW40952)
PHAROAH SANDERS

傑作。あの「アフリカ」と同時期の録音だが、このころのファラオは全部すばらしい(とはいえないかもしれないが、まあ、傑作が多い)。本作はドナルド・スミスがエレピ、おなじみウィリアム・ヘンダーソンがアコピを弾いて分厚いサウンドに貢献し、リオン・トーマスが3曲歌って、なかなか豪華な布陣だが、もっとも特筆すべきはドラムのグレッグ・バノイというひとで、これがめちゃめちゃすばらしいドラマーなのだ。どうすばらしいかというと、「普通」にすごいのだ。つまり、ファラオのこういったスピリチュアル系の演奏には、ノーマン・コナーズとかアイドリス・ムハマッドとかその手のドラムがにあうと思うのだが、このグレッグ・バノイはまるでロイ・ヘインズかディジョネットのようにフレーズのひとつひとつに反応してソリストを煽る。正直、そういう風な反応はファラオの音楽には必要ないともいえるのだが、これが結果的に超スリリングな瞬間を生み出している。めっちゃかっこええ! 2曲目のコルトレーンの「エキノックス」など、まるでゴスペルかなにかのようにヘヴィでスピリチュアルだし、B面はリオン・トーマスがいつものしゃくりあげヨーデルではなくモロのブルースをシャウトするが、そんなことはおかまいなくファラオのテナーは熱く、たった一音のフリークトーンで聴衆を阿鼻叫喚の世界に連れ去ってくれる。ええぞええぞファラオ! 本作はファラオのもっともすごい「ジャズ」アルバムかもしれない……そんな感想です。

「LOVE IN US ALL」(ABC IMPULSE ASD−9280)
PHAROAH SANDERS

うちにあるのはダブルジャケットだが、どこにもメンバーが書いていない。調べてみると、ファラオのほか、ジェイムズ・ブランチというひとのフルート、ジョー・ボナーのピアノ、セシル・マクビーのベース、ノーマン・コナーズのドラム、あとムトゥーメなど3人のパーカッションというメンツらしい。でも、トランペットが入ってるな。これはだれだろう。このハイノートの吹きかたはたぶんハンニバルか? A面B面、それぞれ一曲ずつで、A面はスピリチュアルなメロディーをファラオがソプラノでつむいでいき、歌も歌いまっせ、といったタイプの演奏で、まあ、この時期にありがちな感じで、正直どうでもいい(この手の演奏には私は冷たい)。B面はコルトレーンに捧げた曲のようで、テナーに持ち替えて朗々と吹く(オーバーダビングがあるようにも聞こえる)が、私が持っているレコードだと、なぜかファラオのテナーが引っ込みぎみで、もうちょっと前にでてきてもらわないと……。それに、エコーかけすぎやろ。カラオケボックスか……といってるうちに、途中から咆哮しはじめるが、これもエコーのかけすぎとミクシングバランスによって、いまいち迫力がない。荘厳で宗教的な雰囲気をつくるためなのだろうか、ぜったい失敗だと思う。もしかしたら、CDなどでは改善されているのかもしれない。でも、一生懸命に聴くと、ファラオはかなりブロウしていて、悪くはない。でも、ハンニバルとおぼしきラッパのほうが熱いかも。うーん……CDで買い直すべきなのか……。

「TAUHID」(IMPULSE YP−8553−AI)
PHAROAH SANDERS

ずっと「タウヒッド」と思っていたら「タウィド」と読むらしい。知らんがな、そんなこと。コルトレーン5の一員として日本ツアーをしたあとに吹き込まれたアルバムで、「上エジプトと下エジプト」とか「ジャパン」「オーム」……といった思わせぶりのタイトルの曲が並んでいる。学生時代、ずっと聴きたいと思っていたが入手できず、中古屋で出会ったときは「やった!」と叫んでしまった。そういう「あこがれの盤」の場合、聴いたときにしょぼかったりすると落差でがっくりするものだが、インパルス初リーダー作で、あのしょぼいESP盤を入れても2作目という、初期ファラオの作品である本作は、ジャムセッション的な初リーダー作ESP盤にくらべても気合いの入れかたがまるでちがう。冒頭、リズムセクションとギター(ソニー・シャーロック)によるイントロがめちゃめちゃ長くて、普通のジャズならとうに2曲ぐらい終わってるで、というぐらいの長さを費やして盛り上げたあげくにようようファラオの登場となる。しかし、フルート(ピッコロ?)である。岩波洋三によるライナーによると「田園調のピッコロプレイも美しい」とあるが、ようするにめちゃめちゃ下手くそなピッコロのあと、「もう半分も過ぎたけど、ファラオはなにやっとんねん」というこちらの気持ちを知ってか知らずか、なかなか本人はサックスを吹かない。ドラムソロ、ヘンリー・グライムズのベースのあと、ピアノがオスティナートを弾きはじめ、ソニー・シャーロックがカッティングをして、異常なほどしつこいリズムパターンの提示が延々とつづき、うわあ、もうA面終わりやん、と思っているあたりでようやくファラオの出番である。後年のフリークトーンのパターンはほとんどこの時期に完成していたことがわかる。これだよこれだよ、これを冒頭からかましてくれればよかったのに……と思っていたら、ボーカルに移行して、もうおしまいである。なんじゃこりゃー。芸惜しみかいっ! テナーを吹け、テナーを! 気を取り直してB面に。「ジャパン」というのは、「チャイナ」と言い換えたほうがいいのではないかと思えるような東洋趣味の小品。わけのわからないボーカルもフィーチュアされ、おまえは長い長い日本ツアーでなにを学んだんじゃ!と言いたくなるが、とはいえ、なかなか笑える、おもしろい演奏である。つぎの組曲は、一曲目は日本でもらったヤマハのアルトをフリーキーに吹きまくるが、なんとなくチャールズ・ゲイルがテナーをやめてアルトになってからの演奏に似ているといえば似ている。テナーのほうがぜったい良いのだが、けっして悪くはない。そのあたりが微妙なのです。つづくソニー・シャーロックのギターはさすがの狂気のパワーで絶品。そのあと、ファラオのテナーが登場するが、やはりテナーのほうがいいではないか、とだれでも思うような感想を抱く。結局、このアルバムでいちばんいいのはこのパートではないのか。フリークトーンでぎょえっー、とはあまりいわないのだが、ダーティーなグロウルトーンで朗々と吹く。若干26歳のファラオだが、すでに貫祿すらある。最後の「カプリコーン・ライジング」はテナーで少しだけぐちゃぐちゃっと吹いてくれるのでうれしい。構成というかコンセプト優先のアルバムではあるが、「カーマ」よりは好きです。

「A PRAYER BEFORE DAWN」(THERESA RECORDS TRCD127)
PHAROAH SANDERS

ファラオも日本企画のバラード集をいろいろ出した。どれも、コルトレーンの後継者が今吹く至高のバラード、みたいな感じで、コルトレーンのあの『バラード』のセールスよもう一度的な意図が見えまくるものばかりで、正直言って、ファラオ・サンダースというテナー奏者の本質をねじまげたものだったと思う。そういう意味ではシェップと双璧だが、シェップのへろへろの、音がぺらぺらに薄く、思い入れとブルースフィーリングだけで成立しているような甘いバラード集よりはずっとましだった。しかし、本作はそういったものとは完全に一線を画するシリアスかつかっこいいバラード集なのだ。ウィリアム・ヘンダーソンがピアノとシンセによってファラオの片腕をつとめており、ほとんどがふたりのデュオだが、プログラミングのせいで、4,5人の編成のように聞こえる。たぶん、ドラムとベースがいたら、ファラオもこらえきれなくなってフリークトーンを発していたであろう、と容易に想像できるような、スピリチュアルでモーダルで重たいスローナンバーが続くが、さすがにそこはファラオであって、ある種の安っぽさもあって、そこがまた泣ける。もし、「ああ、ファラオのバラード集ね。泣かせのやつね」と思って敬遠しているひとがいたら、それはもったいない。ぜひ、聴いてみてくださいまし。なお、4曲目「アフター・ザ・レイン」のみジョン・ヒックスのピアノが加わったトリオで、また、6曲目「ミドナイト・アット・ヨシズ」のみ、ドラムにアルヴィン・クイーン、それに中近東的弦楽器奏者とブライアン・マクラフリンのタブラが入った編成であるが、6曲目だけはほかとちょっとちがった雰囲気になっているというのは、ファラオがチャルメラ的な中近東風のダブルリード楽器を吹いているからで(すごく雰囲気あってうまい)、これはライナーにも「ダブルリード楽器」としか書いていない。ネットで検索すると、この曲でのファラオがソプラノを吹いているという記述があったが(内ジャケットにはファラオがソプラノを吹く写真あり)、これはサックスではなく、アラブ〜インド系の金属ダブルリードの楽器だろう。めっちゃかっこいいですよ。

「PHAROAH SANDERS IN THE BEGINNING 1963〜1964」(ESP−DISK ESP−4069)
PHAROAH SANDERS

 ファラオ・サンダース大好きな私だが、さすがにこの4枚組はスルーしようと思った。なんとなれば、4枚中、2枚目はファラオの初リーダー作(あのグルグル渦巻きのやつ)で、3枚目と4枚目は以前に出たサン・ラー・アーケストラにいたときの演奏のコンプリート盤(まえに出たやつは、2回のライヴからのピックアップで一枚にしたもの。今回はその2回のコンサートがほぼ丸ごと入っているらしい)で、結局、未聴のものは1枚目の、ドン・チェリー・クインテットのやつとポール・ブレイ・カルテットのやつだけだ。たしかに興味深いが、私はコルトレーンバンドに抜擢される前のファラオの演奏にはあんまり興味がないし、4枚中その1枚を聴くだけのために高価な4枚組を買うというのもいかがなものかと手を出さずにいた。そうしたらあるとき中古屋で見つけてしまったのだ。これは買うしかないなあ……。というわけで聴いてみると、やたらとあちこちにインタビューが挿入されていて、私にはなにを言ってるのかあんまりわからないけど、面白いやつもある。ドン・チェリーがオーネット・コールマンについて語っているやつなんか、めちゃくちゃ面白い。メロディを口でバップスキャット風に歌っているのだが、それが最高なのです。で、肝心の演奏だが、ドン・チェリーのやつは、ドンというトランペットがリーダーなだけあって、ファラオの出番は少なく、ちょろっとソロを吹いている程度、しかも、非常にストレートなトーンでしっかり吹いており、えっ、これがファラオ? という感じ。フリーキーな部分も、後年のような大フリークトーン大会にはならない。でも、ベースがデヴィッド・アイゼンソンでドラムがJCモーゼスという豪華すぎるメンバー。しかも、ドン・チェリー自身によるセロニアス・モンク・メドレー(ただしピアノによる)も入ってます。変なの。でも曲もいいし、かなりクオリティの高い演奏。ファラオもめちゃくちゃしっかり吹いています。ただファラオっぽさがないだけ。当時のファラオが、コルトレーンに似ているという指摘は多いが、たしかにそうだよなー。とくにバラードっぽい曲なんかはコルトレーンっぽい。このあと本人のバンドに入り、フリークトーンを中心に、コルトレーンの影響から離れていくわけだが、そのルーツ的な演奏か。そして、ポール・ブレイのほうだが、こちらは曲がしっかりしていて(ほとんどがカーラ・ブレイの曲なのだ。なかなかええ曲もある)、それをワンホーンでファラオが吹くのが面白いといえば面白い。ファラオは曲調をよく理解した、やや新しめのスタイルで吹いているが、こちらも後年のようなとことんの熱いブロウは聴けない。あたりまえといえばあたりまえだが(でも、けっこうええ感じで吹いてるのだ。ほんまコルトレーンに似てると思う)。それにしてもカーラ・ブレイの曲って、このころはモンクの影響めちゃくちゃ受けてるんだなー。ファラオよりも、リーダーのポール・ブレイのすばらしい演奏を聴くべきアルバムかもしれない(これもあたりまえか)。こっちもベースが同じくデヴィッド・アイゼンソン(すごいアルコソロあり)でドラムはポール・モチアン。
2枚目は、おなじみのファラオの初リーダー作。久しぶりに聴くと、ずーっと4ビートなのがダレる原因かなあと思ったりして(あと、トランペットがちょっと信じられないぐらいふつうのバップ的演奏を、しかもそれほど盛り上がることもなく延々吹いているあたりも正直ダレまくりなのだ。ピアノはけっこうがんばってるかなあ。いちばんちゃんとしてるのがこの女性ピアニストだと思う)。ファラオもまだ、フリークトーンをうまく出せていない感じで、「一生懸命」さは伝わるのだが、ファラオのこういうだらだらした演奏がバックとうまくかみ合ってひとつの味わいになり、ギャーっと吠えればすかさずバックも盛りあがる……という自在さを演出するには、インパルス以降のオスティナート+パーカッションというモーダルな空間が必要だったのだなあとわかる。まあ、長いです。1曲目とか、ベースソロ後の展開はほんとダレまくりなのだ。たとえうまくいってなくても、全員が「なにか新しいものを造ろう」という意欲に燃えている演奏は、なにか「来る」ものがあるものなのだが、このクインテットは肝心のそのあたりのベーシックな考え方がメンバーで統一されていないような気がする。
3枚め、4枚目はサン・ラー・アーケストラでの演奏だが、まえに単発で(全部ではないけど)出たときは、ファラオよりももうひとりのテナー、ブラック・ハロルドのほうが目立っていると書いたけど、今回のボックスのデータを読むと、ブラック・ハロルドはフルートとパーカッションしか演奏していないことになっていて、ということはあのテナーソロは全部ファラオなのか? つまり、ファラオがファラオらしくない、普通の演奏をしているからわからなかったのか? と思って聞き直したが、よくわからない。3枚めのほうは、アーシャル・アレンとパット・パトリックのソロはわかるのだが、テナーソロは(たぶん)ない。4枚目は、ちらっとテナーが登場するが、ほとんどはローランド・カーク的に声を出しながらハモるフルートソロ(ブラック・ハロルド)で、あまりテナーは活躍しない。これをサン・ラー的にみたらすごく聴きどころの多い内容なのだがファラオ・サンダース的にみるとほとんど聴くべき個所がないのだ。
考えてみたら、一枚目はドン・チェリーとポール・ブレイの名義で出されるべき音源だし、3枚目4枚目はもちろんサン・ラー名義の演奏だから、ファラオ・サンダースのリーダー作としてボックスにするのはどうかなあ。しかも、ファラオのリーダーセッションって、なんぼでも入手できるやつだし。という感じでした。まあ、インタビューがやたらとたくさん入っているところが価値なんじゃないでしょうか。

「WITH A HEARTBEAT」(EVOLVER DOUGLS EVL2015−2)
PHAROAH SANDERS/GRAHAM HAYNES

 ビル・ラズウェルがプロデュース(とベース)なので、「メッセージ・フロム・ホーム」とか「セイヴ・アワ・チルドレン」(だっけ?)の続きみたいなものかという意見はほぼ当たっております。ファラオも相当いかがわしいけど、このビル・ラズウェルゆうおっさんのいかがわしさはまたちょっとちがうなあ。ドラムが入っていないはずなのだが、なぜかドラムっぽい音が聞こえる。エレクトリックシタールとタブラが入ってる。タイトルの「ウィズ・ハートビート」(つまり心臓の鼓動)どおり、全編、ドドッ、ドドッ……という心拍音みたいな音がベースに入っている、クレジットに「ハートビート担当」として「ドクター・ジーン・ルイスシンク」とかいうひとの名前がある……などなどいかがわしさ満載である。基本的には例によってソフィステイケイトされたスピリチュアルジャズ、クラブジャズ的なものとビル・ラズウェル的な呪術的ダンスビートを融合させた怪しげな音楽なのだが、アフリカっぽく聴こえるボーカルの反復も(めちゃくちゃ耳に残るよね)、タブラのひと(トリロク・ガルツというすごく有名なひと)が担当しているということはインド語なのだろうな。しかし、それは純粋な民族音楽としてのそれではなく、ビル・ラズウェルの頭のなかにだけ存在する架空のインドでありアフリカなのだ。あー、いかがわしい。そういうラズウェルとファラオが接近するというのは当たり前のことで、どっちも詐欺師、ペテン師、ぱちもん新興宗教の教祖……みたいなもんですからな。で、そういうお膳立てをされてのファラオの演奏はどうかというと、いやー、いかがわしい! これもファラオの良さであって、「タウヒッド」も「カーマ」も「ジュウェルス・オブ・ソウト」も「ブラック・ユニティ」も……こういういかがわしさに満ちていたわけである。ハーモニクスで濁った音色やフリークトーンも、ここではスパイス的に使われていて、個人的にはすごくいいと思いますよ。万人ウケするかどうかは知らん。本当はもっとギャーギャー吠えてほしいが。なお、3曲目はトリロクを、4曲目はグラハム・ヘインズをフューチュアした演奏でファラオは出てこない(これって、もしかすると同じベーシックトラックじゃないだろうなと聴きなおしたが、さすがにそれはないか)。全部トリロクのヴォイスとタブラがかっさらっていったような気もするが、なかなか面白いアルバムです。

「SPIRITS」(META RECORDS MAH/META 004)
PHAROAH SANDERS HAMID DRAKE ADAM RUDOLPH

 1998年のライヴ録音。ファラオ・サンダース、ハミッド・ドレイク、アダム・ランドルフという3人によるスピリチュアルジャズ的作品だが、このいかがわしい安直なタイトルのアルバム、まともなジャズ好きの男女なら思わず購入をためらいそうなアルバム、これがまあめちゃくちゃすばらしいのだよ。垂涎っつーやつですか。1曲目「サンライズ」は、あやしげなドローンやホーメイのようなそれらしい歌唱、笛、鈴、カリンバのような鍵盤打楽器、各種パーカッション……などが延々と神秘的な雰囲気を醸し出すなか、ファラオのテナー(めっちゃエコーかかってる)が朗々と歌う。これが20分も続く。神秘的ではあるが、胡散臭い感じもぷんぷんする。70年代的であり、ビル・ラズウェルが噛んだときほど山師的な安っぽさはないが、それでも「なんやねんこれ」的な気持ちにはなる。でも、めちゃくちゃ好きなサウンドであり、シャバカの疑似アフリカに通じるものがあると思う。だが、本作の凄さはここからであって、2曲目は躍動するパーカッションに乗って、ファラオのテナーがユーモラスなテーマを軽快に吹く。珍しいよね、こういうの。ファラオは太い、安定感のある音でしっかりしたソロを吹くが、次第に釣り込まれてフリークトーンを連発しはじめる。うーん、すばらしい。ファラオなりの歌心もあるし、ハーモニクスやフリークトーンを使いながらも、ぐだぐだにならず、しっかりとパーカッションのリズムに乗りながらの演奏だ。そのまままったく切れ目がないのになぜか3曲目に突入したことになっていて、このあたりからハミッド・ドレイクのドラムが加わってリズムが力強くなり、ファラオもとうとう絶叫しはじめる。行けっ、行け行けファラオ! いいぞ、ファラオ! ここまで来ると聞いている私はもう舞い上がってしまい、スピーカーのまえで踊っている。爆走するリズム、爆吹するテナー。ああ、快感! 70年代などは、パーカッション奏者をずらりと並べ、ツインベースに複数の管楽器……などでこれをやっていたが、たった3人でできるじゃん。そして、ファラオのピークメーターがついに振り切れる。低音のハーモニクスとフラジオを交互に出しはじめ、あとは絶叫また絶叫。阿鼻叫喚。ぎゃおーっ、ぐえーっ、ぎやーっ! 凄い! これは凄い! ファラオの最高傑作ではないだろうか。ファラオにはフリークトーンさえ吹いてくれればいいのだという私のようなものにとってはこのままどんどん続けてくれればよいわけだがそうもいかないらしく、そこからまたファラオは冷静さ(?)を取戻し、ちゃんとフレーズを吹きはじめる。そして、曲終了。大拍手。4曲目はパーカッションだけの演奏(短い)。そこにわけのわからない雄叫びみたいなものが2種類のっかったあたりからが5曲目ということらしい。曲名は「UMA LAKE」となっていて、これはあの「UMA」なのか? ネッシーの湖とかそういう意味? たしかに怪獣の叫びみたいに聞こえるけどね。UMAという言葉をファラオたちが使っていることにちょっとびっくり。6曲目「古代人」という曲はトーキングドラムみたいにドゥンドゥンと唸るパーカッション(タブラっぽくも聞こえる)とドン・チェリーみたいな笛二本同時にくわえたやつの演奏。そこからパーカッションソロ〜デュオになるが、これがやたらとかっこいいです。笛が戻ってきて曲終了。ちゃんと起承転結になっている。そのままのリズムでボーカルというか「しゃべり」というかヴォイスが乗っかるあたりからが7曲目「月の生物への呼びかけ」という曲らしい。なにを言ってるのかわからないが、ようするにこのわけのわからないヴォイスが月人へのコールになっているのだな。じわじわと滲み出てくるいかがわしさ、エスニック風味、スピリチュアルな空気……よろしゅおますなー。8曲目はそこからパーカッション軍団がドコドコドットン、ドコドコドットン……という野蛮なリズムをひたすら叩きまくり、シンプルな熱狂状態のなか、遠くからファラオのテナーによるペンタトニック的なフレーズが聞こえてくる。やがてパーカッションがぴりりと止まって、エンディング。大拍手。9曲目は笛とパーカッションのデュオ(?)に変な「きゅおおーん」という音がときどき混じる。アート・アンサンブルでマラカイとドン・モイエがやるような子供の遊びみたいな演奏で心温まる。10曲目「サンセット」はまた冒頭のようにドローン的な低音に乗って、ファラオがシンプルなロングトーンで歌い上げ、ボーカルもとる。そこにカリンバがからみ……つまり、最初に戻る感じなのだ。全体に組曲のようになっており、南アフリカの一日みたいなものを表現しているのかもしれないがよくわからん。とにかく傑作だと思います。ファラオ好きはぜひとも探して聴いてほしい。欲を言うと、もっとギャーギャー吹いてほしかったけど、いやいや、このあたりで手を打ちましょう。なお、ジャケット内側の写真でファラオはアルトを吹いているが、実際には(たぶん)テナーのみ。

「SAVE OUR CHILDREN」(VERVE POCJ−1418)
PHAROAH SANDERS

 例によってビル・ラズウェルプロデュースの一枚。ファラオ〜ラズウェルという組み合わせは、ファラオ・サンダースを一定の先入観のもとに「こういうもんでしょう」「かくあるべき」という枠にはめている感じがして、それがうまくいくときもあれば、うーん……という結果になることもある。前作の「メッセージ・フロム・ホーム」はかなり好きだったが、今にして思えば、スピリチュアル・ジャズの典型的な型にファラオをあてはめようとした作品かもしれない。でも、やっぱり好きだ。で、本作はどうかというと、これはかなりしんどい。前作以上にファラオ・サンダースの記号化が進んでいるような気がする。疑似アフリカ、疑似インド、疑似エキゾチックなクラブジャズ風なのはもともとファラオの作風なのでいいのだが、個人的にはファラオがテナーでスクリームしてくれてこそのこの音楽なので、ファラオがソプラノを吹いている曲などは正直どうでもいいのだ。プロデューサーの仕事には、ファラオにソプラノを吹かせない、というのは入っていないのか。思うに、それがけっこう肝心だったりするのでは。というか、プロデューサーが率先してソプラノを吹かせてたりして。1曲目、2曲目、4曲目などに顕著なごてごてしたあざといアレンジや3曲目の「これで踊ってね」的なエスニックなダンスビートとぬるいソプラノ、4曲目のバラードのダルさとか、これは言いたくはないが、ファラオではなくビル・ラズウェルがあかんのとちがいますか。そして、5曲目。タイトルからして「エインシャント・サウンド」ですからねー。冒頭のチャルメラ的なダブルリードもファラオ。ビートが入ってからはテナーになるが、ここでやっとフリークトーンを交えた力強い演奏が聴ける。出たーっ! でも遅すぎるやろーっ、と8回の裏あたりでようやく一発が出た野球の試合を応援しているような気分である。でも、咆哮はちょっとだけ。旦さん芸惜しみ? でも、やはり身体が熱くなるよなあ。こんな曲ばっかりたったらなあ。最後の6曲目はボーカル(?)も入っているスピリチュアルジャズの典型みたいな演奏。これはこれでよい。日本語ライナーにはまるで共感できないのだが、たぶんファラオ・サンダースに求めるものがちがうのでしかたないのだろう。日本語帯に「ファラオの熱き咆哮で踊れ!」と書いてあるが、いやー、そんなんどこに……という感じであります。

「JUAN LES PIN JAZZ FESTIVAL 1968」(HI HAT RECORDS HHCD3097)
PHAROAH SANDERS

 ファラオのライヴブートといえば、70年のフランスのものがよく知られていると思うが、本作はその2年前、同じくフランスでのライヴ。どちらもロニー・リストン・スミスが参加している。放送録音なので、途中でノイズが入る箇所があるが、ほかの部分はクリアな音質で、あなたやあなたやあなたのようなファラオのファンなら問題ないと思う。このアルバムが貴重なのは時期的なもので、68年といえばコルトレーンが亡くなった年である。しかもこのフェスは7月20日で、コルトレーンが亡くなったのは7月18日なのだ。二日後! マジか! これはなー。ファラオのショックたるや、相当なものだったと想像できる。その状態でのライヴである。シェップの「ワン・フォー・ザ・トレーン」どころの騒ぎではない。しかも、70年のライヴはすでに「カーマ」が出ていて、かなり知名度もあったと思われるが、こちらの時点ではまだ(インパルス盤としては)「タウヒッド」しか出ていないわけで、そんな立ち位置のファラオがフランスのフェスに呼ばれての演奏なのである(そして、本作では「カーマ」における大ヒット曲「クリエイターズ・ハヴ・ア・マスター・プラン」を演奏している!)。コルトレーンという精神的支柱を失ったフリージャズミュージシャンたちはすでにポストフリー的な「なにか」を模索していたはずで、実際、この一年後には「ビッチェズ・ブリュー」が出るわけで、フリージャズにとっては大きな転換期を迎えていたのだろうと思う。シェップもアイラーもそしてファラオも、それぞれの考えがあっただろう。そういうなかでのこのライヴだが、いやー、すがすがしいですなー。リズムやベース、ピアノがかもしだすスピリチュアルな設定のうえで、コルトレーンの死とかポストフリーとかそんなことは吹き飛ばすようなファラオの極熱のフリークトーンが炸裂する。この快感! 私が高校生のときに「これだ!」と思った、あの咆哮がここでも爆発している。後年のあの名盤「ライヴ!」と比べても遜色のない、ファラオ・サンダースワールドがこの時点ですでに厳然と確立しているではないか。そして、このファラオはまだ28歳で、コルトレーングループでの壮絶でノイジー極まりない演奏に、「あいつはちゃんと吹けるのか」という疑問を持たれていたかと思うが(その疑問は「タウヒッド」である程度解消していたとは思う)、ここでのワンホーンでの堂々たる演奏や細かいフレージングを聴くと、ファラオ・サンダースというテナー奏者が、フツーに吹けるひとだということをはっきりとわからせてくれる。ファラオのブロウを全身に浴びれば、ああ、今日も生きていける……そんなエネルギーを与えてくれる作品。18分過ぎぐらいからの血沸き肉躍るスクリームを聴け! ただし、ファラオ・サンダースのファン以外にはそこまでおすすめはしませんが。結局、私はファラオが「ギャーッ!」と叫んでくれれば満足であって、逆にいうと、ファラオが叫んでくれない作品はあまり好きではない。作品全体のメッセージを感じろよ、と言われるかもしれないが、ソプラノやピッコロなどではなくテナーが吠えてほしい……そういうダメな聴き手なのです。すいません。でも、本作はもし正規録音が早くに出ていたら「傑作」と言われていたかもしれないなあ、というぐらいには凄いので皆さん、期待してください。ライナーにはインタビューも載ってます!