akira sakata

「FISHERMAN’S.COM」(STARLET’S RECORDS EOCD−0002)
AKIRA SAKATA

 正直なところ、「テノクサカナ」以降の坂田明のリーダーアルバムに関しては、それほど熱心な聴き手ではない。山下トリオ在籍中あれだけ追っかけていたのが嘘のようであるが、このアルバムは久しぶりに、ほんとに久しぶりに、素直に「良かった」と言える。独立後の坂田さんは、それまでとは打って変わって、「メロディー」を重視した演奏を行うことが多く、ホーミーに接してからはとくにその傾向が強くて、どうもそのあたりがあの天空まで届くような飛翔感をそいでいるように思えていたのだが、このアルバムでは坂田さんが大事にしているその「メロディー」と即興の部分が、日本民謡という素材を介して、がっちり結合したように思える。朗々たるアルトの吹きっぷりも見事。とくにフラジオの美しさ、迫力は特筆すべきで、今、これだけの音を出せるアルト吹きは少ない。アルトという楽器は、テナーよりも「良い音」の幅が狭く、テナーなら「個性」として片づけられるのに、アルトだと「鳴ってない」「音が悪い」と言われてしまう。そんな軽〜い音のアルト吹きが多いわけだが、坂田さんのアルトはデビュー当時から今まで、とにかく圧倒的な存在感で鳴り響いており、それを聴くだけでも快感にひたれる。共演者も、ビル・ラズウェルの人選だと思うが、ドラムにハミッド・ドレイク、ギターにピート・コージーというのは、ラズウェルの人選をほめるべき。一曲目に「大漁節」が収録されているが、実は、私も自分のバンドでこの「大漁節」をフリージャズのテーマにして演奏していた。方法は若干ちがうが着眼点は坂田さんと一緒だったわけで、そのことについて私は自分をほめたい(そんなおおげさな)。ジャケットなどの作りもすばらしく、坂田さんの最近の代表作といえるのではないか。

「AKATOMBO」(DAPHNIA DPCD−0003)
AKIRA SAKATAmii

 坂田明の童謡〜民族音楽的な演奏の集大成的なアルバム。最近の坂田さんがよくやる、朗々とメロディーを歌いあげたあと、ソロも朗々と吹き、それが次第に崩れていき……というタイプの演奏が多く収録されている。こういうアルトって、たとえば、ソニー・クリスやデヴィッド・サンボーン、ハンク・クロフォード、メイシオ・パーカー……なんかを思い浮かべてしまうが、坂田明を「フリージャズのメイシオ・パーカー」とか「フリー・ジャズのデヴィッド・サンボーン」と呼ぶのはおそらく本人も心外だろう。だが、「フリージャズのジョニー・ホッジス」ならどうか。坂田さん自身も「ダダダ・オーケストラ・プレイズ・エリントン」というのを出しているぐらいだし。私は、このアルバムの演奏は、ジョニー・ホッジスがフリージャズをやったら……という思いで聞いた。朗々とした、美しくも、芯のあるアルトの音。それが凄まじい音圧とともにメロディーを吹く。誰もがやりそうで、実はできなかった演奏。フリーとメロディーの融合を、童謡という素材を媒介にして坂田明が成し遂げた、といったら大げさか。私には、誰もがなしえなかった新境地に思える。モンゴルの曲や自作の変態メロディーの曲も秀逸。ドラムがいないのも、このアルバムを徹底したものにした。だが、よく考えてみると、「赤とんぼ」の演奏自体の骨子は、あの「ゴースト」とほとんど変化はないのだよなあ。何となく録音バランスが悪いような気もするが、そのあたりは私の論評できる範囲を超えている。内容は最高です。

「ズボンで」(社会人レコード COCB53655)
坂田明&ちかもらち

 タイトルをなんとかせえよ! たぶん、タイトルのせいで買わなかった連中は山といるはず。中身は硬派なフリーなのに、なんでこのタイトル……。とにかく坂田明のアルバムとしては「フィッシャーマンズ・ドット・コム」につぐシリアスな内容で、もう言うことなし。「赤とんぼ」や「ひまわり」といった、朗々と歌い上げるタイプの作品が最近続いていたが、やっぱり坂田さんはこれやで! と、久しぶりにスピーカーのまえで「きーっ!」と顔をしかめながらあちこちを叩きまくる、といった聴き方ができて興奮しまくった。不勉強なので、ドラムもベースも知らないが、プロデュースがジム・オルークだけのことはあって、坂田の音楽性をよく理解したメンバーである。それにしても、昔はどんなにフリーなセッティングでも、きちんとしたフレーズを吹きながらフリーキーに……というのが坂田さんの特徴だったが、最近はけっこう(変な言い方だが)普通のフリージャズアルト的なぐじゃぐじゃっとしたクラスター的な吹き方もしている。けど、それがまたかっこいいのだから、なにも言うことはありませんっ。傑作!

「ゆめ」(DAPHNIA DPCD−0004)
坂田明 MII

 坂田明のミニアルバム。基本的にフリーのパートはなく、メロディアスに朗々と吹く坂田のアルトが聞けるのだが、物足りなさはない。なぜなら「貝殻節」における異常なボーカルがすべて解消してくれるからである。いやー、正直、聞きおえたとき、この曲のボーカルしか印象に残ってないなあ。それほど独特で異様で心を打つヘタウマの極限だ。これこそフリージャズだと思う。

「PEKING」(FRASCO FS−7023)
AKIRA SAKATA TRIO

 高校生のとき、考えに考えに考えて入手したアルバム。あの当時はお金がなくて、LPを買うというのは本当に「賭け」だった。購入して、やったー! と快哉を叫ぶ場合もあるが、げーっ! と落胆する場合もある。いまでもそういうことは多いが、当時とはその落胆の度合いが比べ物にならない。中古ではない新品のレコードを買うことなど、数カ月に一度だ。その機会と資金を、「げーっ」に回してしまったときのショックたるや、筆舌に尽くしがたかった。だからいきおい、ジャズ喫茶で内容を確かめてから、ということになるが、それもまたおもしろみにかける。内容を知ってしまうと、やはり、聴いたことのないアルバムのほうに魅力を感じるし、そのジャズ喫茶に行けばいつでもリクエストできると思うと、どうしても買う気が失せる。また、ジャズレコード辞典などに掲載されている大名盤なら、その紹介文から多少の見当もつくが、そういうのに載っていないマイナー作や新譜の場合は、メンバーとジャケットと値段を見比べて、えいやあっ、と買ってしまうしかない。本作はまさにそういう感じで、山下トリオの諸作を聴いて坂田さんの大ファンになっていた私だが、リーダー作を聴いたことはなく(その時点ではまだ、「カウンター・クロックワイズ・トリップ」と本作しか出ておらず、「カウンター……」はすでに入手困難だった)、リーダー作を買うより、まだ持っていない山下トリオのアルバムを買ったほうが無難ではないか、と相当悩んだのだが、やはりファンとしては聴きたい、どうしても聴きたい……と思って購入。いやー、買ってよかったです。聴いたことのあるひとは同感してくれると思うが、もう傑作傑作、大傑作なのである。一曲目の「ペキン」という曲における坂田の疾走ぶりは半端ではなく、今より100倍ぐらい饒舌で、自由奔放、とにかく一拍のなかに100ほどの音を詰め込むような凄まじい演奏が延々と続く。望月、小山のリズム陣もすばらしく、圧倒的とはこのこと……と呆然とするような演奏である。いやはや、かっこいい。久しぶりに今回聴き直してみたが、あのころの感動感激を想い出した。すごいっすよねー。2曲目の「カー・ソング」というのは、いわゆる「即興歌舞伎」みたいなもんで、坂田の不気味かつ迫力ある ウォイス・インプロヴィゼイションが延々と展開し、リズムのふたりもそれを煽る。もちろんサックスソロもすばらしい。B面に移って、いきなり驚くのモンクの「ブルー・ボリバー・ブルース」を演っていることで、坂田のブルース演奏(といっても相当フリーだが)が楽しめる。B−2の「アカタズ・ドリーム」という曲はアルトクラリネットが最高。Bラスに入っている「ソング・オブ・アキラ」という曲は、コルトレーンの「インディア」にクリソツで、迫力あるマイナー調のスピリチュアルなブロウが聞ける。ああ、ほんと傑作だと思うよ。ジャケットいっぱいに写っているニワトリの肉塊の度迫力がそのまま演奏を象徴している。たしか、帯に赤塚不二夫が文章を書いていたような記憶があるが、うちの盤にはそれは失われているので確かめられん。とにかくすばらしいので、未聴のひとはぜったいに聴いてみて!(CD化されているかどうかは知らん)

「COUNTER CLOCKWISE TRIP」(FRASCO FS−7001)
SAKATA AKIRA TRIO

 まあ、いままでにいろいろなレコードやCDを買ってきたわけだが、いわゆるマニアのような、オークションで何万も払った、というようなことは一度もしたことがない。フツーの値段で売っているものを買うだけである。そんな私がこれまで30年におよぶジャズファン歴のなかでいちばん高い買い物をしたのが、この「カウンター・クロックワイズ・トリップ」ともう一枚、イリノイ・ジャケーの「ゴー・パワー」だ。どちらも中古屋で5000円だった。たしか大学1年生のときだ。私は坂田ファンであることをひとにも言いまくっていたが、じつは坂田さんの初リーダーアルバムである本作を聴いたことはなく、そのことは隠していた。だって、ファンなのに初リーダー作を聴いたことがないなんて、恥ずかしいではないか。ジャズ喫茶にも置いてなくて、ずっとほぞをかんでいたのだが、あるとき梅田の阪急東通り商店街にあった(今は亡き)「LPコーナー」の二階の中古コーナーに本作が新入荷中古盤として置いてあり、5000円の値段がついていたのだ。いやー、悩みました。バイトをしていたので5000円のお金は持っていたのだが、どうしても買うふんぎりがつかない。5000円ですよ5000円。それだけの金があれば、中古盤3枚か4枚は買えるのだ。そう思うと、決心がつかず、1時間ほど店内をうろうろしたあと、一旦店を出た。そして、古本屋にはいったのだが、だんだんと、「あんな稀少盤、もう二度と遭遇できないかもしれない。こうしているうちにも誰かが買ってしまうかもしれない」……そういう思いがつのってきて、とうとう店に戻ったが、さいわい本作はまだ残っていた。そこでまたさんざん悩んで、今日はやめて、今度来たときまで残っていたら買うというのはどうか、などと考えたりもしたのだが、ついに決心して購入。レジのひとが、「あんたはえらい。バンザーイ」と叫んでくれるかと思ったが、そういうこともなく淡々と渡してくれました。で、家に帰って聴いてみたのだが、もちろんめちゃめちゃ漢こよく、大傑作でありました。私は感動するというよりも、ほっと胸を撫で下ろした……というのも、もしつまらなかったら、あれだけの逡巡と決心と投資が無駄になるからで、いやー、疲れた。あれ以来、じつはあんまり聴いていないのだ。たぶん5,6回かなあ、聴いたのは。なにしろもったいなくて……。傷ついたりしたら最悪ですからね。でも、内容最高で、アデルハルト・ロイディンガーのベースも森山さんのドラムも、そして坂田自身も信じられないぐらいの高みを飛翔する。一曲目の「フラスコレイション」という曲がとにかく凄くて、うぎゃあああ、これはすごいぞ、と思っていると、2曲目はその興奮に水をぶっかけるようなベースソロだけの曲。しかし、ロイディンガーのベースはすばらしくて、この構成はアリだと思う。3曲目もB面に移っての2曲もすばらしく、とくに森山威男のドラムはソロでもそうでない箇所でもとにかくずーーーーーっとすばらしい。坂田のアルトとクラリネット(クラはB−1)も信じられないぐらいかっこいい。とくにB−1は、山下トリオではできなかったであろう、ベースが入ったうえでの自由な表現だと思う。また、坂田の言葉によると、A−1やB−2は「ドラムとベースが4/4拍子や6/8拍子をキープしているにもかかわらず、全体的が形態的にフリーなリズムを感じさせている」ということだが、まったくそのとおりである。わたしはフリージャズを聴き始めの高校生のころ、リズムセクションがリズムと和声をキープしているのに、サックスがギャーギャー叫んでいる演奏がはたして「フリー」なのか、という疑問を持ち、それは山下トリオを離れての坂田さんのこういう演奏を聴いても(これは後退ではないのか)と思ったりもしたが(青いねえ)、たしかに坂田さんのこういったタイプの演奏は、オーネット・コールマン的というか、全部の制約をとっぱらったものではないにもかかわらず、聴いた印象は、「すっかり自由」というものなのだ。じつはLPコーナーの中古コーナーでは、一度悔しい思いをしていて、というのも、ずっと探していた小田切一己の「神風特攻隊」がたしか6000円で売っていて、さすがにそれは買わなかったが、あとでよくよく考えると、たとえ飯を何食か抜いてでも買っておくべきだった。あれ以来、「神風特攻隊」にはお目にかかっていない。ああー、今想い出しても口惜しい。聴きたいなあ、「神風特攻隊」。私が、本やレコードのためなら食事はいらない、ぐらいの気持ちでいつもいるのは、あのころの経験が染みついているからなのです。人間、何日か食わなくても死なないからね。ちなみに本作のタイトルが「左巻き旅行」だと知ったのは買ってから10年以上あとでした。本作は坂田明を語るうえで最重要なアルバムの一枚だとは思うが、いろんな個人的な思い入れその他から、個人的には「ペキン」のほうが好きかもしれない。でも、とにかく本作が傑作であることはまちがいない。ああ、あのとき清水の舞台から飛び降りるつもりで買っておいてよかったよかった。

「TENOCH SAKANA」(BETTER・DAYS YP−2502−N)
AKIRA SAKATA

このアルバムは、ほんとうにめちゃめちゃ久しぶりに聴いた。買ったとき、私はまだ高校生だったが、「坂田明がアナーキー・ダブ・テクノに挑戦!!」ということでめちゃめちゃ期待して聴いたのだが、聴いた印象ではまるで「アナーキー」ではなく、どちらかというとグルーヴを大事にした、おとなしめの演奏……という感じだった。個人的にはもっとえげつないまでのダブ・テクノサウンドに坂田のアルトがからまりあい、凄まじい効果を生み出す……みたいな世界を期待していただけに、肩すかしをくらったような気分だった。あれから、えーと……20数年(約30年か!)たったいま、あらためて聴いてみて、ちょっとだけ当時の坂田さんの考えていたことがわかったような気はしたが、やはりB−2のような、アルトがギャーッという演奏がどうしても心に残ってしまう。でも、この演奏がそのあとの「トラウマ」や「WHA−HA−HA」などにつながっていった、と思うと、その萌芽に立ち会えたことはうれしく思うのだ。

「POCHI」(BETTER・DAYS YP−2502−N)
AKIRA SAKATA

 坂田明が山下トリオから独立して率いた自己のトリオによるはじめてのアルバムで、坂田のリーダー作としてははじめてのライヴ盤でもある。吉野弘志、藤井信雄という当時の若手ふたりを起用してのこのトリオを、私は何度も生で見た。というのは、坂田ファンだった私は、坂田が山下トリオを離れて組んだこのグループを、(応援しなくては……)という勝手なファン意識とともに、ちょっとした「追っかけ」をしていたからで、といっても、全国のツアーについてまわるというわけにはいかず(なにしろまだ高校生〜大学に入ったころなのだ)、関西に来たときに行く程度だったが、それでも金も暇もない当時の私にとってはかなりがんばったほうなのだ。そんなこんなで、このトリオにはむちゃくちゃ愛着がある。山下トリオのほうは、武田さんを入れて存続していたわけだが、私は、そちらも応援しなくては、とも思ってはいたが、どちらかというと、坂田トリオのほうをよく聴いていたような気がする。この「ポチ」というアルバムは、いきなり意表をつく「ちょうちょ」(あの童謡です)の超硬派ハードボイルドバージョンで幕をあけ、その後も怒濤の演奏が並ぶ。どの曲も3人がパワー全開で襲いかかってくるので、聴くほうもよほど腹に力を入れてかからねば、ふっとばされてしまう。それぐらいこの3人の意気込みというか、新生坂田明トリオへかける熱が伝わってくる熱くて火傷しそうなライヴだ。とくにリーダー坂田は凄まじい咆哮と滝のような(アルトでの)しゃべくりをみせ、吹いて吹いて吹いて吹いて吹き倒す。ベースが入って、より「ジャズ」的な感じになったが、それはけっして悪い選択ではなかった。山下トリオに比べると、より地に足のついた、ドスのきいた演奏になっており、しかも行くときととことん飛翔する……という理想的なトリオだと思う。吉野弘志もすごいし、藤井信雄もすごくて、めちゃめちゃかっこいい。溶岩の塊のように一丸となったエネルギーの奔流だ。

「TRAUMA」(BETTER・DAYS YP−7403−BD)
SAKATA SEXTET

 最初に聴いたとき、そうか、あの「テノク・サカナ」がこうなったんだなあ、と思った。つまり、私はおそらく、「テノク・サカナ」というダブ・アルバムを坂田さんが出すと聴いたとき、こういうサウンドを期待していたのだろう。それが、いまいちそういうものではなかったわけだが、この45回転アルバムを聴いて、「やった!」と快哉を叫んだ。これこそ私が求めていた、80年代(だったと思う)のフリージャズだと感じたからだ。80年代のフリージャズと言った意味は、80年代のフリージャズはかくあらねばならぬ、というような理想のことではなく、ダブもテクノもシーケンサーもあるなかでフリージャズを模索していくものは当然、こういったサウンドにたどりつくだろうということだ。ブラッド・ウルマーやオリバー・レイクなどのフリー・ファンク的なサウンドをスティーヴ・レイシーはインプロヴァイズド・ミュージック的観点からは危険だと評したように記憶しているが、それはたしかにそうかもしれないが、だからといってフリージャズという伝統のなかにひっこんでしまっては、それこそフリーではない。果敢な挑戦、前進意欲でそういったものが失われたら、フリージャズも即興も、保護すべき伝統文化になってしまう。本作は80年代に目の前に並べられた音楽的素材を使って坂田が作り上げた、最上のフリージャズだ。なにより、理屈抜きでかっこいい。今聴いてもまったく古びていないどころか興奮しまっせー。このサウンドはそののちに形を変えて、サカタ・オーケストラになっていくような気がする。

「DANCE」(ENJA 28MJ3115)
AKIRA SAKATA TRIO

「ポチ」の約1年後のドイツでのライヴ。一曲目、いきなりの重厚なスローナンバーで、坂田のアルトクラリネットが爆発する。一曲目にアルトサックスではなくアルトクラの曲を持ってくるというのはなかなかすごい。よくわからないが、拍手の数からしておそらく観客はそれほどいないのではないか(というのも、演奏内容から考えると、客がたくさん入っていれば、怒濤の大拍手がくるはずだからである)。異国の、新生トリオの初ツアーで、しかも客はそれほど多くない……そういった状況下で、坂田が燃える。一曲目のラスト近くからはじまる即興ヴォイスパフォーマンスが壮絶である。「荒木又右衛門、もそっと近う……」そんなことドイツ人にわからんがな。「ダンケ……アインシュタイン……ツバイシュタイン……フランケンシュタイン!」……このあたりでは客もげらげら笑っている。そういうむちゃくちゃででたらめな即興歌舞伎(?)のバックを「ひたっ」とつけていくふたりのリズムもたいしたもんで、完全に「トリオ」として機能している。おなじみの「ストレンジ・アイランド」での絶叫もいいが、B面に移っての「ラジオのように」は、曲がはじまったとき、観客が「おおっ」という感じになる。ラストの「イナナキ」(ワハハで演ってた曲)に至るまでの全4曲、とにかく圧倒的な、毛ほどの手抜きもなく、一分の隙もない、ぎゅうぎゅう詰めの演奏が展開され、聴いていて腹いっぱいである。もう食えん! と叫んでいるうえからのしかかられて、口をこじあけられ、またまた大量の食物を流し込まれる……そんなマゾな快感にひたれることうけあいの最高の演奏である。ただし、日本語ライナーはどうもよくわからんなあ。

「BERLIN 28」(BETTER・DAYS YP−7047−N)
SAKATA ORCHESTRA

 本作に先立つサカタ・オーケストラの一枚目「4 O’CLOCK」がどうしても見つからない。どこにしまったのかなあ。じつはワハハのアルバムも一枚も見あたらないので、それと同じ場所にしまいこまれているのだろうが、困ったもんだ。で、サカタ・オーケストラの一枚目はもともと「生活向上委員会のメンバーとの共演」というのがうたい文句だったと記憶しており、発売をめちゃめちゃ楽しみにしていたのだが、こちらが期待していたような、丁々発止のやりとり……といったものとはちょっとちがっていて、なるほどこんな感じか、と思っているところへ登場したのが、この二作目(だよね?)である。オーケストラと名乗ってはいるが、管楽器は坂田さんと向井滋春のふたりだけ。つまりは、ジャズでいうと「2管編成」というやつであり、オーケストラどころか小編制のはずだが、ドラムが藤井信雄、村上ポンタのふたりだったり、ベースも吉野弘志に川端民生のふたり、パーカッションに仙波清彦率いる和楽器軍団、キーボードが橋本一子に千野秀一……という具合で今から考えるとめちゃめちゃ豪華なメンバーである。これで、たしかに壮大なオーケストラサウンドが響きわたるのだから恐れ入ります。「4 O’CLOCK」での音楽のフロントをシンプル化し、リズムを増強したものだが、印象はまるでちがう。そうか、これこそが坂田さんのやりたかったことなのだな、とはじめて合点がいった。めちゃめちゃかっこいいのだ。シンプルかつ耳に残るテーマ、カラフルかつパワフルなリズムの饗宴、フリーキーなブロウとどっしりしているがスポンティニアスかつフレキシブルな反応、そしてなにより延々と続くグルーヴ。たった2管なのに、なぜか最盛期のカウント・ベイシー・オーケストラのように聞こえるなあ、と思っていると、よく考えたら、単純なリフとすばらしいソロの応酬、そしてリズムの強烈なグルーヴによって、最初に奏でられたテーマがそのあとの異常な盛り上がりを経て最後にもう一度奏でられるときには、同じテーマのはずなのに百倍のパワーを注入されて、凄まじい爆発を生む……というあたりはサカタ・オーケストラはベイシーと共通している。その後、坂田さんはダダダオーケストラを結成して、エリントンナンバーを演奏したが、じつはシンプルかつパワフルかつフレキシブル……という点ではベイシーっぽいなあと今でも思っている。本作は、ジャケットデザインも含めて、とにかく傑作なので、未聴のひとは聴くようにね!

「20人格」(BETTER・DAYS YP−7006−N)
坂田明

 本作が出てすぐに、「枝雀寄席」のトークゲストとして出た坂田さんと枝雀師匠の会話を今でも想い出す。普遍的な笑いを追求していた枝雀さんにとって、本作のような「密室の笑い」「わかるものにしかわからない笑い」……はちょっと苦手だったようで、内容の一部を会場に流して聴いたあと、「きのう、家でひとりで聴いていると、ムカムカしましたが、こうやって皆さんとご一緒に聴いてみると、うまい具合に発散して、とても楽しいですね」というような意味のことを言っていた。たしかに密室芸的なのだが、今ならDVDで出すような内容をビジュアルのない状態で作品にしてあるので、ちょっとぴんとこないひとはこないかもしれない。そのあたりが、はじめからビジュアルのいらない内容である「取りみだしの美学」とは反対なのである。おもしろいものもビミョーなものもごった混ぜに収録されている感があって、そのあたりがかえって、「坂田明の世界」を浮かび上がらせる結果になっている。なんというか、単純にアハハと笑わせようとしているのではなく、笑わなくてもいい、いや、笑うな、とさえ思っている節がある。そこが、いわゆる冗談音楽とかコミックソング、お笑いパフォーマンスなどとは根本的にちがうところで、こういうものは「心のなかで笑えばいい」のである。こういったギャグ的側面と、坂田さんのハードボイルドなトリオ演奏の側面は表裏一体、すくなくとも切り離せるものではないと思う。そろそろ第二弾「40人格」を出してほしいと思うがどうか。

「ひまわり」(JCF GNCD−001)
坂田明

 坂田明=フリージャズのアルト吹きというイメージでいると、本作は「なんのこっちゃ」と思うしかない。ここでの坂田は、まるで……まるで、そう、ジョニー・ホッジスのようだ。ひたすら、艶やかな音色でメロディーを歌い上げることに専念している。というか、アドリブがほとんどない。これが「ええなあ、坂田明って!」となるか、「こんなん、坂田でなくても、だれでも吹けるやろ」と思うか、そのあたりでこういうアルバムの評価は大いに変わるだろう。私ですか? そりゃもう、坂田さんのファンなので、なにをやろうと大歓迎……なわけだが、もちろん坂田さんが吹いているわけで、選曲、共演者、演奏……どれをとっても、スタンダードなアルバムとは一線を画しているのはあたりまえだ。本作は朗々と歌いあげる坂田明の、そのあたりの微妙なニュアンスを味わうべき作品だと思う。もちろん、そんなヤヤコシイ聴きかたをする必要もなく、まっすぐに味わえばそれはそれでよいのだが。

「おむすび」(JCF GNCD−002)
坂田明

 ずっと「おにぎり」というタイトルだと思っていたが、今回よくよく見直してみると「おむすび」だったことが判明。メロディーを美しく、ソウルフルに歌い上げる、という、坂田明のいまでは柱のひとつになったタイプの演奏。フリーキーな、細かいフレーズを躊躇なく積み重ねていき、クライマックスのうえにクライマックスを作る……といったプレイはほとんど聞かれない。たとえば本作では「マイ・ファニー・バレンタイン」や「メモリーズ・オブ・ユー」はまさにそんな感じ。しかし、このアルバムがその手の坂田作品と微妙にちがうのは、ほかの素材(とくにボーカルもの)にある。宮沢賢治の詩を扱った「星めぐりの歌」は女性ボーカルとの掛け合いで坂田が歌い、一種の演劇的な展開になる。谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」に武満徹が曲をつけたものの演奏は、アルトも吹いてはいるが、基本的には坂田の「語り」が中心で、曲調もそうだが、なんとも野坂昭如とか初期フォークとかあのころの音楽を思わせる。坂田の語りはいつもの狂騒的なブラックユーモアや即興性を捨て、ひたむきに詩を「語る」。だれかに似ていると思ったら、そうだ、三上寛のボーカルにちょっと似ている。この演奏はひとの耳を引きつけずにはおかない、力強く、どろりとした手応えを持っている。この曲だけでも、本作の価値はある。全体をはさむ形になっている表題曲の「おむすび」もかっこよくて、かわいいジャケットにだまされることなく坂田ファンは購入すること。

「平家物語」(DOUBTMUSIC DMS−142)
坂田明

 この作品は、坂田明の現在の代表作といってもいいのではないか。ひとりでテキストを読み(歌い?)、サックス(とクラリネットとバスクラ)を吹き、銅鑼などのパーカッションを叩き、ベルを鳴らす。これはまさしく、デビュー以来ずっと保持していた坂田明の内面世界であって、それをもっともうまく表現できるのは坂田さん本人しかいないわけだから、こういう「ソロ」での録音にしたのは大正解だと思う。だれに気兼ねすることなく、坂田さんは自分の読みたいよう「平家物語」を読み、歌い、サックスを吹き、打楽器を叩く。それでいいのだ! そして今、このプロジェクト(?)はいろんなメンバーを加え、演出を加えて、どえらいことになっているらしいのだが、それはそれですごくよくわかる。というのも、このアルバムが「ソロ」で録音されていたからこそ、これを分析し、アレンジし、再構築することができたのだと思うからだ。それに、この演奏における最大の鍵は「平家物語」のテキストを坂田さんなりの表現力によって「読む」ということにあるわけだから、いわゆるヴォイスによるインプロヴィゼイションなどとはちがって、一種の「語り物」である。前衛的な演奏に思えるかもしれないが、これは琵琶法師によって奏でられ、歌われてきた「平家物語」の伝統をストレートに受け継いでいるのだ。講談やデロレン祭文や浪花節や説教節や……そういった「語り物」の延長上にある演奏だとすると、坂田さんの朗読がはっきりと聞き取れることが最大のポイントであるから、こういう「ソロ」という形式を最初にとった、というのは慧眼としか言いようがない。坂田明〜沼田順のすばらしい企画力だと思う。この作品については言いたいこと書きたいことが百万もあるが、書ききれないので、とにかく聴いてほしいというしかない。7曲(?)入っているのだが、適当にチョイスしたわけではなく、考え抜かれての選択だと思われる。だいたいにおいて「人の死」を扱った場面が多く、そのあたりも「平家物語」全編を通して流れる日本的な無常観をしっかり踏まえているのだ。こういうとんでもない傑作が、なんの前触れもなく突然にというか唐突にというか、できてしまうものだなあと思った。私が高校生のころから聴いている偉大なアイドルが、今もこうして最前線でアナーキーで自由でめちゃめちゃ楽しいすばらしい演奏をバリバリやっていることが、とにかく涙が出るほどうれしいのです。誇りなのです。感動なのです。

「百八煩悩」(OHRAI RECORDS JMCK−1020)
坂田明

(CDライナーより)
 坂田明の「音」は、まるで溶けた黄金が天から降ってくるようだ。
 私事で恐縮だが、私がジャズという音楽を聴くようになったのは、高校生のとき、ラジオからたまたま流れてきた山下トリオの「ホット・メニュー」を耳にしたのがきっかけである。なかんずくそのサックスプレイヤーのつくりだす凄まじい音の奔流に「落とされた」状態になった私は、ただちにそのアルバムを購入しただけでなく、アルトサックスを入手すべく走りまわることになった。以来、二十五年、坂田さんを聴きつづけている。彼がほかのサックスプレイヤーと区別される最大のポイントは、その「音」だ。アルト奏者は、演奏自体はすばらしくとも、肝心の音がぺらぺらだったり、か細かったり、メタリックすぎたりしてがっかりさせられることがままある。それほどアルトサックスというのはむずかしい楽器なのであるが、坂田さんのアルトは、最低音からフラジオまで、音の芯がそのまま大きくなったような、硬質で自然、しかもアルトらしい音である。高音の伸びはライブハウスの天井を突きぬけて遙か天空の高みまで届き、低音の深みは揚子江の滔々たる流れのようである。どんなにオーバーブローしても、そのソノリティは崩れることはない。ライブの場で、アルトの朝顔から噴出する生音を身体に浴びているだけでこちらもエクスタシーに達してしまう。そんな経験をさせてくれるサックス奏者が、今どれだけいるだろうか。
 その坂田明のソロアルバム。これほど聴くまえからわくわくどきどきしたアルバムは近年にない。私は、管楽器のソロアルバムが好きで、とくにサックスソロとなると何をおいても聴かずにはおれぬほどのサックソロ好きだが、その理由を述べよう。ジャズや即興演奏の場合、共演者がいると、相手がこう来たからこう……という「反応」が演奏の中心になることが多い。それはそれで聴きものだが、機械的反応の応酬になりがちな危険性もある。ソロの場合は、それがない。次に出す音もその次に出す音も、全部、自分の責任において選択しなければならないのだから。心中の葛藤がすべて音になってあらわれる。しかも、共演者がいない分、音がマスクされず、サックスの音色が聴くものに露骨に届く。それがサックスソロなのである。つまり、演奏者の技量や自信、そして音の善し悪しまでがもろに露呈してしまうという、サックスプレイヤーにとって両刃の剣ともいうべき演奏形態なのだ。多くのサックス奏者が「ソロ」に挑戦してきたが、坂田さんがソロアルバムを出していなかったというのは意外なことだ。ここに完成した「百八煩悩」は、なんと百八のソロが並べられた、ファン待望のソロアルバムである。百八つの即興。十個や二十個ならともかく、百八個とは……まさに前人未踏の試みだ。これは想像だが、こういった苛酷な条件下に自らを追いこむことによって、事前に用意したアイデアが、とか、手持ちのネタが、とかいった次元を飛びこえた、純粋な即興の地平が開けたのではないだろうか。つまり、ここで語られている百八の演奏は、坂田明の即興演奏家としての「本音」なのである。「本音」とは「本当の音」とも読めるではないか。
 最初は、一種の短編集、あるいはショートショート集のようなものだと思って聴いていた。しかし、何度か聴きなおすうちに、これはひとつの長編として考えることもできる、ということに気づいた。本作は実は、二枚組大河長編ソロサックスなのかもしれない。ステレオの音量をぐっとあげれば、坂田明の音はまるで溶けた黄金のように天から降りそそぐ。夾雑物にさえぎられることのないその「本音」をシャワーのように浴び、私の心はいつでも二十五年前のあの瞬間に戻っていくのである。
 もちろん以上は私の聴きかたである。どんな聴きかたをしようと自由だ。一日一曲ずつ聴いたり、同じ曲ばかり何度も聴いたり、お気に入りの曲ばかり編集してオリジナルアンソロジーを作ってみたり、シャッフルして聴いたり……いろいろな楽しみの詰まった宝物のような二枚組である。

「THE CLIFF OF TIME」(PNL RECORDS PNL022)
SAKATA/LONBERG−HOLM/GUTVIL/NILSSEN−LOVE

 坂田明〜ニルセンラヴの「アラシ」のライヴは、自分のイベントと重なってしまい、行けなかった(ほんとは自分のイベントをほったらかしてでも行きたかったのだがそうもいかない)。で、本作は坂田明とニルセンラヴに、おなじみのロンバーグホームとギターのケティル・ガトヴィク(と読むのか?)というひとが入った4人。ノルウェイでのスタジオ録音だが、めちゃくちゃかっこいい。で、本作の演奏を聴いて思ったのだが、坂田さんというひとはここでも徹頭徹尾坂田さんであって、自分のスタイルというものが完全にできあがっている。それはだれにも真似のできないワンアンドオンリーなものなのだが、このアルバムをパッと聴くと、全体の演奏は山下トリオとか坂田トリオとかそういうサウンドに聞こえる。なんの違和感もなく、自然にそう聞こえるのだ。たとえば凄まじい1曲目、チェロやらギターやらが入ってはいるが、坂田の強烈なブロウとこれまた強烈なニルセンラヴのやり取りだけ聞くと、これはあの坂田〜森山のやりとりのようではないか。つまりは、坂田明が入ると、どんなバンドでもああいう感じのサウンドになってしまうのではないか。坂田さんの影響力というか牽引力というか自分色に全体を染め上げる力というのは半端ではないのではないだろう、と本作を聴いて思ったのでした。坂田さんはアルトにクラリネットに大活躍で、その音は周囲を圧して響き渡っている。随所に聞かれるニルセンラヴとのガチンコ勝負も聞きものだ。闘争的なのに、しっくり溶け合うという相反するようなことが坂田明の音楽のなかではつねに当たり前のように行われているのだ。全員が嬉々として全力疾走している。そしてひとりも倒れて死ぬことなく完走するのだ。坂田さんはクラリネットで、チェロ対ギターによるノイズ成分多めの2曲目のタイトルは「伊豆の踊子」だが、なんでそんな名前なのかさっぱりわからん。傑作。

「海 LA MER HARPACTICOIDA」(ENJA RECORDS ENJACD9139−2)
AKIRA SAKATA

「ミジンコの宇宙」というビデオのために作った音源に「バラード・フォー・タコ」という曲を追加してCDにしたものらしい。自主制作で2000枚作り、それが売り切れたので、どうしようかと思っているうちに、エンヤが出した(私が持ってるのはそれ)。「私説ミジンコ大全」という本にもついている。曲は全曲坂田さんのオリジナルで、いつものようにフリーキーになる部分は皆無に近い。ひたすら、テーマを美しく、愛おしそうに吹いて、メロディアスにインプロヴァイズする。まさに歌い上げるという言葉が適切である(ソプラノが多用されているようだ)。こういうときの坂田さんは、ジョニー・ホッジスみたいに吹く。いわゆるバップイディオムとかジャズの語法より、シンガーのように音色に気を配り、ていねいに歌う。さっきジョニー・ホッジスを挙げたが、アール・ボスティックやハンク・クロフォード、グローバー・ワシントンなどにも共通するメロウな味わいがある。それにしても坂田さんはいい曲を書くなあ。坂田さんのこの手のアルバム(フリージャズでないやつというような意味)のなかではいちばん好きかも。力強いロングトーンだけでもほれぼれするし、かっこいいなんて、なかなかないですよ。世の中、きれいだけどペラペラの音のアルトも多いですからね。

「全面照射」(HELLO FROM THE GUTTER HFTG−015)
TRANSPARENTZ × AKIRA SAKATA

 このアルバムを聴いて私が言いたかったことはすべてライナーノートに書かれている。こんなすばらしいライナーも滅多にない。だから皆さんライナーを読んでください。とはいえ、私も一言。山本精一が参加するノイズバンドトランスペアレンツに坂田明がゲストで参加したライヴだが、冒頭いきなりHIKOの強烈なドラムとほぼ同時に坂田の激烈なブロウがはじまる。これはもうゲスト扱いではないな。完全にメンバーの一員である。やがてそこにエレクトロニクスがぶちまけられ、ギターが狂い、ベースがぶち切れ、混然一体となったサウンドがひたすら50分間続く。爆音のなかで唯一木管楽器で参加している坂田の音が暴力的なノイズの嵐のなかをつんざいて轟き渡る。こういうセッティングだと、坂田はフレーズを吹くというよりフラジオで叫ぶことが多くなるが(低音部はさすがにあまり聞こえない)、それでもまったく没入することなく力でも負けていない。このひとも71やで! この体力、この圧倒的な「吹く力」と「意欲」があればこそ、最近も非常階段やらなんやらといった異種格闘技戦にもひっぱりだこなのだろうな。これこそ体力バンド! 聞くほうもめっちゃ体力いりまっせ! そして驚くべきことに、轟音のうえに轟音が重なっていき、もうこれ以上は……と思ったときにまだそのうえを行くクライマックスが何度も何度も何度も何度も訪れるのだ。いや、すげー。山本精一のなにを言ってるのかわからない絶叫ヴォイス(デスボイスというか、大阪弁でいう「おがってる」感じ)も良い。そして、全員の集中力。おそるべし! 坂田明はゲスト扱いだが、トランスペアレンツもだれがリーダーというのがわからないので、便宜上坂田明の項に入れた。

「DUO IMPROVISATION」(TEICHIKU ENTERTAINMENT TECH−26487)
AKIRA SAKATA × FUTOSHI OKANO

 聴くまえから傑作ということはわかっていた。というのも、「ジャズ非常階段」のライヴを見たときに、坂田さんと岡野さんふたりによる壮絶極まりないデュオを目の当たりにしていたからで、居合わせた観客は(私も含めて)果てしなく続くかと思われる凄まじい演奏に唖然とし、終わったあと、「えらいもん見てしもた……」とぼそっとつぶやいたのである。それはまさしくとんでもないデュオで、坂田さんはいつまでたっても吹きやめず、クライマックスのうえにクライマックスが積み重なっていき、聴いていて怖くなるような演奏だった。70歳の坂田さんが、最後まで崩れないアンブシャーで伸びのある超高音を延々と連発し、まさに「吹きまくる」という言葉がぴったりのブロウをしゃにむに続けるのを受けて、ドラムの岡野さんも「叩きまくる」という言葉がぴったりの激烈なドラミングで応え、その日の白眉というか沸点というようなパフォーマンスだったのだ。私はもう泣きそうになり、高校生のころからあこがれ、真似をしようとし、尊敬し続けてきたアイドルが、今もなお、最前線でこのようなぶっ飛んだ、ど阿呆な、頭のおかしい、最高のプレイをし続けてくれていることに感謝し、感動し、感極まった。ということがあったものだから、坂田〜岡野のデュオが発売になると聞いた瞬間、ああ、傑作に決まっとる、と思ったのものだ。そのときは、「ジャズ非常階段」ツアーでの演奏があまりによかったから、後日、デュオだけの演奏を行ってライヴ録音したのかと思ったのだが、データをよく読んでみると、なんと「ジャズ非常階段」のピットインでのライヴ録音から、デュオの部分だけを取り出したものとわかった。いやー、それならよけいにまちがいなく傑作に決まっている。聴いてみると、最近、傑作ばかりを連発している坂田さんのアルバムのなかでもめちゃくちゃ大傑作で、もしかすると全アルバム中で考えても5本の指ぐらいには入るのではないかと思えるほどのどえらい作品だったので、もう嬉しいやら笑うやら泣くやら感動するやら。2曲目に入っている「早春賦」の部分はマジすごいからとにかく聴いてほしい。阿修羅のごとくドラムを叩きまくる岡野のまえで大噴火のようなパワーの「早春賦」が噴き上げられる。ああああ、これはすごい。3曲ともめちゃくちゃすばらしいので、ただひたすらフリーキーに疾走しまくるエグいパフォーマンスにもかかわらず、あれよあれよといううちにあっという間に聴きとおしてしまう。トータルで30分未満だが、ちょうどいいっすよ。毎日、朝聴こうぜ! 大傑作やーっ!

「ARASHI」(TROST RECORDS TR130)
AKIRA SAKATA/JOHAN BERTHLING/PAAL NILSSEN−LOVE

 アラシのファースト。このトリオはライヴに行く機会があったにもかかわらず、自分のイベントと重なっていたため聴けず、超残念な思いをした。坂田さんはいつもの坂田さんで凄いのだが、なにしろドラムがニルセンラヴなのでその分全体の迫力が段違いですごい。1曲目は完全即興で、最初は坂田さんはやや抑え目に感じるが、ニルセンラヴは冒頭からずっと飛ばしまくっていて、どうなるのかなと思っていると、ベースが入ってくると俄然アルトがブロウしはじめ、ニルセンラヴはさっきにも増して叩きまくるという激烈バカ的なえげつない展開で、しかもどんどんヒートアップしていき、もうむちゃくちゃに。このテンションの持続とクライマックスへの自然な道程、そして楽器を操る能力の高さ、音色の素晴らしさ、タフな肉体……など坂田明はいつまでたっても凄いのだ。わしのヒーローなのだ。ストックホルムのスタジオでこんな目が点になるような演奏が行われているとはなあ。坂田さんのアルトはもしかしたら最近どんどん出現する北欧のフリー系アルト奏者たちに影響を与えているのではなかろーか、などと考えながら、いやー、それにしても凄いわ、とあまりの演奏の熱さに聞きながら流れた汗を拭いていると、2曲目は例のヴォイスで叫ぶやつ。坂田さんは完全に日本のどこかの漁師か大工かなにかになりきっていて、頭のおかしいことを延々叫ぶ続ける。坂田さんは自分のリズムで自分にしかわからんことを勝手に叫んでいるのであって、ベースとドラムはそれに合わせることなく、これはこれで勝手に叩きまくり、弾きまくっているが、なぜかそれがすごく合っている感じに聞こえるのが音楽の素敵なところである。ボーカルが消えて、ドラムソロになったあと、銅鑼が連打され、坂田さんがなにごとかつぶやく……というエンディングは、私が聞いていると笑えてしまってしかたがない。この曲、坂田さんはヴォイスのみ。3曲目はまた即興。山下トリオや坂田トリオみたいな方法論の演奏だと思う。スピード感はあるが重厚。そして激アツ。4曲目はクラリネットでフリーなバラード。不気味さと叙情がないまぜになったような表現。これも山下トリオのころから培われている。しみじみーしているとまたヴォイスと銅鑼が……。ジャケットはサガキケイタさんの作品。かっこいい。このひとの絵は、とにかく一枚描くのにめちゃくちゃ時間かかるだろうなと思う。傑作。

「LIVE IN OTO」(CLAMSHELL RECORDS CR26)
AKIRA SAKATA/GIONANNI DI DOMENCO/JOHN EDWARDS/STEVE NOBLE

 エドワーズ〜ノーブルというおなじみのふたりに坂田明が加わり、ピアノが入った4人による演奏。全部で1曲で、途中でガイドも入っていないので、通して聴くしかない。ピアノのドメンコというひとは、フレーズというよりガンガン叩くように弾くひとのようで、エドワーズとノーブルも完璧に自分たちのやりかたがあるひとたちだが、そこに坂田明がどう斬りこむのかという興味がある。結果から言うと、坂田さんは世界のどこへいっても坂田さんであっておのれのやり方を通し、あとの3人を坂田色に染め上げてしまった。最初の部分での超アップテンポでのアルトのブロウ、それに続くパートでの例のヴォイス(貝殻節? 冒頭部はホーミーっぽかったが、あとはただただ日本語で叫ぶ。すばらしい。私は聞いていて爆笑したが、イギリスの聴衆はどうだったのだろう。真面目なヴォイスパフォーマンスと思って聴いていたのか)、そのあとのゆったりとしたフリーインプロヴィゼイション、無伴奏ソロになってからの叙情……いつもの坂田明だが、やはり共演者によってかなりちがったサウンドになっており、随所に出てくる坂田さんが共演者の音にぴたりと合わせたり、共演者のノリについていったり、逆に自分がぐいぐい引っ張ったり……というフリージャズ〜即興ならあたりまえのことかもしれないが、そういう基本的なことをしっかりやっていることがこういう緊密なコラボレーションがパッと生まれる基盤になっているのだと思う。ラストがちょっと尻切れトンボのようになっているのは、たぶん収録時間の問題だろう。たいへん楽しく聴けました。

「FIRST THIRST LIVE AT CAVE12」(NOTTWO RECORDS MW974−2)
AKIRA SAKATA NICOLAS FIELD

 坂田明とドラムのニコラス・フィールドのデュオ。ちょうどラリー・オークスとジマラルド・クリーヴァーが洞窟のなかでやってるデュオを聴いていたこともあって、タイトルを見て、てっきり本作も洞窟でのデュオだと勘違いして購入。でも、「ケイヴ12」というのはスイスのジュネーヴにあるライヴハウスらしい。しかし、聴いてよかった。「いつもの坂田さん」であることは間違いないのだが、強烈なドラムのせいですばらしく濃密な演奏になっているし、冒頭からアルトは快調そのもので鳴りまくっているし、ふたりとも一瞬たりとも攻撃の手をゆるめない。正直、こんな一直線で直情的で明快なフリージャズというものがほかにあるだろうか。どんなにアグレッシヴなひとも、いろいろ考えたり、探り合ったり、ためらったり、いつもとちがうことをしようとしたり、歪めたり、ねじったり、反対から見たり、くつがえそうとしたりするのではないか。しかし、坂田明はデビュー以来ほぼ一貫してこのスタイルだ。少なくとも私がはじめて見た高校生のときにはすでにそうだった。そして今もそうだ。このはっきりしたスタイルは世界中で説得力を持っている。第二期・第三期山下トリオとは、実は坂田明スタイルだったのだ、と言いたくなるほどだ(そんな単純なものではないが)。しかし、このスタイルをこの歳でもなお貫きとおすために坂田さんの払っている努力はいかなるものだろうか。この鳴り、このスピード、この高音、この低音、このパッション、この反応の速さ……なにをとってもあのころと同じだ(もちろんどんどん進歩はしていると思うが)。それは懐古的なものでもなんでもなく、太古から未来まで貫く坂田明の音楽性であり、とにかくめちゃくちゃ説得力があるのだ。コールマン・ホーキンスやレスター・ヤング、コルトレーン、ドルフィー……などと同様の「自分のスタイル」というものを持つことができた稀有の、幸せの、偉大なサックス奏者なのだ。……と自分で書いていても大げさな表現だなあ、と思いながら書いていると、2曲目の「貝殻節」がはじまってダハハハと笑ってしまった。そうそう、これもまさに坂田明のワンアンドオンリーな音楽性の一部なのだ。そして、共演のニコラス・フィールドはドラマーとしてだけでなく、ヴィジュアルアーティストやコンポーザーなどさまざまな顔があり、サックスのグレゴール・ヴィディクや坂田明とのツアー、ドラムデュオの「バターカップ・メタル・ポリッシュ」のツアーなどで日本でもおなじみのひとらしいが、私は(たぶん)生で見たことはない(はず)です。とにかくパワフルに叩きまくるドラマーで、坂田さんのコンセプトとの相性もよく、ほかもいろいろ聴いてみようと今入手を試みているところであります。3曲目のクラリネットの曲もいいなー。4曲目はニコラス・フィールドのめちゃくちゃ激しいドラムソロではじまり、途中から坂田明が果敢にそこに飛び込んでいき、一体となって燃焼していく凄まじいトラック。高音で狂ったように吹きまくるあいだに低音を一発ずつかましていく、という技も聴ける。終わった瞬間に大拍手が来るのもうなずける。いやー、やっぱりわれらの坂田明はすごいわ。というわけで、傑作でした!