evan parker

「CHICAGO TENOR DUETS」(OKKA OD12033)
EVAN PARKER/JOE MCPHEE

 エヴァン・パーカーといえばソプラノソロだが、そのパーカーがシカゴを訪れたときに、ジョー・マクフィーとテナーサックスのみでデュオを行った記録である。これがいいんです。ソプラノだけがクローズアップされている観のあるパーカーだが、テナーは、太く、たくましい音色で、こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、よい意味での「ジャズの伝統」を感じる。以前、彼のライブの主催者側になったことがあったが、そのときのリハのとき、たまたま店内で流れていたロリンズのビデオにじっと見入っていた彼は、その日のライブのほとんどをテナーで通した。ライブが終わってから、「なんだか今日は一日中ロリンズのことが頭にあった」と彼は言ったが、そのときテナーを多用したのはロリンズのビデオに触発されてのことだったらしい。だが、そのテナーがまたよかったのである。だから、私はパーカーのテナーもごっつ好きなのである(テナーだけでソロを行ったアルバムもあるらしいが未聴。探してます)。で、このデュエットだが、短い曲も多いが、どれも充実しており、ふたりのミュージシャンの心の漂いがサックスを通してからみあっているというか、サックスデュエットかくあるべしといった内容。ジャケットもよくて、一時期、毎晩聴いていた。なんというか、エヴァン・パーカーとは思えないほど、ごつごつとした骨太の「フリージャズ」という感じ。愛聴盤。

「SAXOPHONE SOLOS」(CHRONOSCOPE CPE2002−2)
EVAN PARKER

 エヴァン・パーカーのソロをはじめて聴いたときは、ほんっっっっっっっとに驚いた。超絶技巧というがそんな言葉では表現できないぐらいのすごさだ。私もおなじサックスを吹いているわけだが、どうやったらこういうことができるのかまるでわからん。インカスのLPは入手がむずかしく、なかでもソロの諸作はなかなか見つからなかったので、私は持ってなかった。CD時代になって、ようやくいろいろ復刻されて、「シックス・オブ・ワン」にしても入手できたのである。これはそういったオリジナルアルバムに先立って、はじめて買ったCDであり、初期の頃の演奏らしく、ライブの音源も収録されているようだが、ライナーが長くて音源はよくわからん(英語なんか読めないもんね)。だが、そんなことはどうでもよい。とにかく内容はぶっとびものである。ソプラノサックスという、音の小さくて細いあの楽器が、まるでオーケストラのように圧倒的なダイナミクスをともなって叫び、唸り、地響きをたてる。異常なまでの集中力、そして自己の楽器への理解が生み出した究極のサックスソロである。循環呼吸とハーモニクスと特殊なタンギングを組み合わせたパーカーのサックスソロ技法は、後進に深い影響を与え、多くの追従者を生んだが、やはり本家本元はすごいと唸らせる。表面的に技法をまねてもだめなのである。パーカーは、「こういう音が出したい」「こういう演奏がしたい」というところからはじめて、自分の楽器をじっくり見つめ、そしてこうした技法にたどりついたにちがいない。本末転倒ではあかんちゅうこっちゃ。カン・テーファンは、彼の存在も知らなかったというが、期せずして東西の雄が同じような演奏方法に行き着いたというのは興味深い(ただ、循環呼吸によるこの手のソロは一種の押しつけがましさを内包しているが、それと対極をなすのが、われらが阿部薫の「間」をいかしたソロである)。昔、会社勤めをしていたころ、あまりにおもしろくないので、昼休みは食事もせずにCDウォークマンでずっとこのアルバムを聴いていた。残業中は、仕事をしながら聴いていた。鬱陶しい現実の世界から、いっときでも浮遊できる瞬間を、このアルバムのソロは毎日あっというまにつくりだしてくれた。

「THE SNAKE DECADES」(PSI RECORDS PSI 03.06)
EVAN PARKER

 エヴァン・パーカーのソプラノソロというと、どのアルバムもだいたい同じ感想にしかならない。もちろんめちゃめちゃグレードは高いが、アルバムごとにそれほどの差異はない。そして、とにかく異常なまでの集中力、テンションで、それをまるまる一枚維持するのは並大抵ではないだろうが、聴いているこっちもたいへんである。へとへとになる。管楽器の演奏というのは、息継ぎ(ブレス)の箇所というのがあって、聴き手はそこで奏者と一緒に息をしている。だから、循環呼吸による演奏というのは、聴き手の呼吸をとめることになり、聴いていてだんだん息苦しくなってくる。そして、これでもかこれでもかという圧倒的な物量作戦で、腹一杯になる。すごい。たしかにすごい。しかし、だからといって、「間」をいかしたスティーヴ・レイシーや阿部薫のソロのほうが劣るというわけではないのが、即興のおもしろいところ。いまでは、こういうソプラノソロをする人はドネダをはじめけっこう多いが、エヴァン・パーカーはたったひとりで、前人未踏の原野を切り開いたわけで、そういう意味でもエヴァン・パーカーは偉大だと思う。

「CHICAGO SOLO」(OKKA OD12017)
EVAN PARKER

 なかなか見あたらなくてずっと探していたのだが、やっと入手できた。ソプラノサックスの無伴奏ソロが売り物(?)のエヴァン・パーカーの、全編テナーサックスによるソロである。タイトルにあるとおり、シカゴでの録音。なぜソプラノを使わず、テナーで押し通したのか、その真意はわからないが、とにかく「シカゴ録音」であるということ、シカゴの雰囲気というかそういうものが濃く作用したのではないかと思われる。昔、一度だけ、エヴァンのライブの主催者側だったことがあって、そのリハーサルのときにたまたま、店のモニターでソニー・ロリンズのビデオを流していた。すると、本番の演奏時、エヴァンはほとんどソプラノを吹かず、テナーを多用した。「モノセロス」や「シックス・オブ・ワン」などのソプラノでの循環呼吸による重奏演奏にしびれていた私は、客席で、(どーしてソプラノを吹かんのだ)とぶつぶつ言いながら聴いていたが、終わって本人にたずねてみると、「今日はなぜかロリンズのことがずっと頭にあったんだ」とのことだった。で、この「シカゴ・ソロ」を聴いてみると、ソプラノのときはだいたいにおいて使用する循環呼吸を封印した演奏もけっこうあり、そういう演奏のほうが、「間」を重要視したものになっているのがわかる。やはり、循環呼吸+ハーモニクスによる積み上げ……というやりかただと、一音一音のもつ重さは目減りするわけで、そういった意味からも、エヴァンの、どちらかというと「一般的なやりかたに近い」ソロサックスが多く聴けるこのアルバムは意義深い。もちろん、ソプラノでやってることをそのままテナーに置き換えたような演奏もいっぱいあって、そういった演奏は、おんなじことをやってるにもかかわらずインパクトが薄い。やはり、エヴァンのやりかたにはソプラノこそがぴったりなのだ。炸裂するタンギングや倍音をコントロールして金切り声のような音を積み重ねていく箇所も、高音だからこそ「おおっ、すげえっ」と思うのであって、テナーだとそういう「すごさ」がない。では、このアルバムはいまいちかというと、……ふっふっふっ、実は、エヴァンのアルバム中一番好きかもしれないのです。インパクトがないかわりに暖かみがある。金切り声がないかわりに図太い、男らしいテナー本来の音がある。「すごさ」がないかわりに心地よさがある。これこそエヴァン・パーカーの本来の姿ではないか、などと思ってしまうほど、このアルバムは私にしっくりきました。実は、同時に録音されたのかどうか知らないが、同じオッカディスクに、ジョー・マクフィーとの「シカゴ・テナー・デュエット」というアルバムがあり、やはりエヴァンはテナーげ押し通しているのだが、それがあまりにもいいので、このアルバムも期待していたという次第。期待は裏切られませんでした。

「ABBEY ROAD DUOS」(TREADER TRD009)
EVAN PARKER/MATTHEW SHIPP

なんか妙なとりあわせだなあ、と思ったが、ジャケットにひかれてなんとなく購入したら、うひょー、これは凄い。テナーでのデュオが5曲、ソプラノでのデュオが5曲、という構成(1〜5はテナー組曲、6〜10がアルト組曲となっており、あれ? エヴァン・パーカーがアルトを? と驚いたが、CDの入ってるポケットのなかに訂正文が入っていて、6〜10はソプラノ組曲です、と書いてあった。なーんだ)だが、一曲目が、マシュー・シップのピアノのコードに乗って、エヴァン・パーカーがテナーで「ちゃんとしたフレーズ」を吹きまくる。これはびっくり。いつものような「反応」だけに頼ったような、「完全即興」という感じの、分散した細かい音の応酬ではなく、大げさにいうと「歌心」が感じられるほどの演奏である。こう、なんというか「朗々と」吹いてる。かっこええっ! 思わず叫んでしまった。あとの曲のなかには、いつもどおりの「応酬」的なインプロヴィゼイションもあるのだが、やはり全体的に、まるでデヴィッド・ウェア〜シップのような(言い過ぎ?)ジャズっぽいデュオになっているように思う。すごいなあ、これはやっぱりマシュー・シェップというひとの魔術なのか。それとも、エヴァン・パーカーというひとのふところの深さなのか。細かフレーズばかりのときにはわからない、エヴァン・パーカーというひとの「音色」の美しさ(ラーセンのラヴァーだったはず)もよくわかる(とくにテナー)。「シカゴ・ソロ」というテナーソロだけのアルバムでも、ここまで朗々とした演奏はなかったと思う。いやー、すっかりはまってしまいました。これまでパーカーのアルバムもそこそこいろいろなセッティングのものを聴いてきたが、ソロ以外ではいちばん好きかも。買ってよかったー。

「SIX OF ONE」(PSI RECORDS PSI02.03)
EVAN PARKER

 名盤。どうしてサックスでこんなことができるのか……というサックスミュージックとしての驚きももちろんあるのだが、なんといっても音楽的な完成度というか、凄まじい集中力や音楽としての高みがあってこその評価である。おそらくサックス吹き以外が聴いても度肝を抜かれるはずだ。エヴァン・パーカーのソプラノソロはたくさん出ているが、本作はその衝撃性、完成度、緊張感、技術……などどこをとっても一、二を争う傑作であると思う。たとえば阿部薫などとはまるでちがう、ある意味正反対のタイプの演奏でありながら、どちらも即興としてのとんでもない頂点を目指しているという点では共通だ。とにかく即興演奏に関心があるのに本作を聴いていないひとは、ものすごーく損をしているということは言っておかねばならない。

「THE BREWERY TAP」(SMALL TOWN SUPER JAZZ STSJ160CD)
EVAN PARKER/INGEBRIGT HAKER FLATEN

エヴァン・パーカーとフラーテンのデュオだが、フラーテンは「ザ・シング」やアトミックなどでは奔放でヤクザ的な暴れかたをするが、ひじょーに真摯できっくりとした即興家としての側面もあり、本作はそういう面がいちばん強くでた作品ではないか。あくまでパーカーのペースで進む即興に対して、フラーテンは斜めからアプローチしたり、すかしてみたり、力業で自分の世界に引き込んだりせず、あくまでちゃんと相手の音を聴き、それに対応していく。「まじめか、おまえは!」と最近バラエティでよく聴くツッコミを思わずしてしまったが、うーん、もしかするとそれが正解なのかもしれない。そうなのだ、フラーテンにしてもヴァンダーマークにしてもニルセンラヴにしても、たぶんすごく真面目なのだ。真面目にフリージャズ〜即興の歴史をひもとき、学び、敬意を表して来たからこそ自分たちの今の演奏があるということをよくわかっていて、それゆえの、こういう大物インプロヴァイザーとのデュオ……ということに至るのだ。だから、こういう演奏はおもろいともいえる。たとえば、パーカーがテナーを無伴奏でソロをいつものように吹きまくったあと、おそるおそる……といった感じでフラーテンが入っていくところなど、とても新鮮だ。だからといってフラーテンが、先輩にたんに合わせているとか及び腰であるということは一切ないので、そのあたりも聴きどころである。まあ、もうちょっとフラーテンが暴れてくれたらもっとよかったかも、と思わないでもないけど……長尺ばかりの非常に手応えのある作品。対等の作品のようだが、先に名前の出ているパーカーの項にいれておく。

「BELLE VILLE」(CLEAN FEED−RECORDS CF125CD)
TOWNHOUSE ORCHESTRA

エヴァン・パーカーがノルウェーに行ったときに編成したグループで、オーケストラとはいうものの四人編成。しかし、この四人がたしかにオーケストラに匹敵するほどのすごい音をだす。なにしろ、エヴァン・パーカーを囲むあとの三人が、ステン・サンデル、ホーケル・フラーテン、ポール・ニルセンラヴという豪腕トリオなのだ。二枚組だが、これは聴くしかない……ということで、わくわくしながらCDのスタートボタンを押してみると、うわあっ、こりゃすげーっ。この顔合わせなのでそんなにむちゃくちゃ激しいわけではないが、ふつうに考えて、この四人ならこんな感じかなあ、と思わせるよりはずっと激しい演奏なのだ。がっぷり四つの骨太な即興で、筆先で撫でまわすような観念的なものではなく、ひじょーーーーに具体的なフレーズが飛び交い、からみあう。ええやんええやん。大刀や鉈でぶった斬り、げんこつでどつき、押し倒し、蹴飛ばすようなガッツのある瞬間続出である(それは言いすぎか? でも、印象としてはまさにそうなのだ)。もちろん隅々にまで気の配られた繊細さを持ち合わせているのは言うまでもない。静と動、動と静がこれほど見事に表現されているライヴもなかなかありまへんで。二枚組、あっというまです。いやー、こんなに良いとはなあ。このすごいパッションというかパワフルな感じは共演者のせいもあるだろうが、パーカーがテナーしか吹いていないというのも理由のひとつだろう。エヴァン・パーカーはなんといってもソプラノだよねという声が多いなか、私はテナーを偏愛しております(もちろんソプラノも大好きですが)。ほんま、ええ音してるんよね、このひとのテナー。循環呼吸による例のソロパートも二枚目の途中で炸裂しまくりで、たっぷり聴かせたあと、そこへニルセンラヴのドラムがからんでくるあたりの瑞々しい高揚感をなんと表現すればよいのか。定番といえば定番の展開なのかもしれないが、こういうあたりに私はジャズを感じます。フラーテンのえぐい音色のソロも、ステン・サンデルのアイデア満載のソロも美味すぎる。そして、4人が合体した即興アンサンブルの醍醐味をなんと表現すればいいのか……めちゃめちゃかっこいい! まあ、こういう即興は「展開」が勝負であったりするのだが、そういう意味では100点満点でしょうね。プロデュースはニルセン・ラヴだが、まあ一応、いちばん先に名前が出ているパーカーの項に入れておく。

「PSALMS」(PSI RECORDS PSI 10.05)
EVAN PARKER & STEN SANDELL

教会での演奏だが、聴衆はいないようだ。教会の響きと「場」としての意味合いがほしかったのだろう。しかし、これはいつものパーカーのデュオとはちょっとちがう。パーカーはテナーに専念しているし、スタン・サンデルはピアノではなく教会オルガンに専念しているのだ。これは聴きたいですよね、そうですよね、ね、ねっ。というわけで、到着を待ち焦がれてさっそく聴いてみると、なるほど、テナーオンリーのパーカーはいつもより力強く、また流麗でもあり、そこにオルガンが加わることによって、教会音楽的な荘厳さ、中世の空気、独特の木の匂い、石の響き……などが(イメージとして)浮かび上がってくる。オルガンが、単なるオルガンではなく、さすがにサンデルならではの独自の音をひきずりだしているが、やはり両者の音はほかのアルバムとは一線を画するワンアンドオンリーのものになっている。たとえばエヴァン・パーカーを一度も聴いたことがない、スタン・サンデル初体験じゃー、などというひとに最初にすすめる作品としてはちょっとどうかと思うが、二枚目なら全然OKじゃないでしょうか。まさにスタイリッシュ!

「WHITSTABLE SOLO」(PSI RECORDS PSI 10.01)
EVAN PARKER

上記のパーカー〜サンデルデュオと同じく聖ピーターズ・ウィスタブル教会での演奏なので、同時期の録音かなあと思ったら、なんと1年前の演奏なのである。パーカーがここでソプラノの生演奏をする、というドキュメント番組があり(そのコンサート演奏は8曲目に入っている)、そのとき、コンサートとはべつにパーカーは7曲のソプラノソロを録音した。それらを集めたものが本作なのである。おそらく今のところ一番新しいパーカーのソプラノソロということになるのだろうが、非常に「気」の入った、瑞々しい演奏ですばらしい。一時期のソプラノソロのエグみ、というか、神経質なぐらいに音を重ねていき、メガトン級の大爆発を起こす、とても人間技ではないような音世界を現出……というようなすさまじさにかわって、たとえばテナーソロのときの奔放さをソプラノでも感じる。こういう演奏を聴きながらしみじみするというのもまたよし。昔はひたすら興奮したものだが、最近はこんなソロでも「しみじみ」してしまうというのもなんだかなあ……。でも、これこそパーカーというひとりの人間のソロなのである……とエセ哲学的なことをつぶやきたくなるようなアルバム。

「SEPTEMBER DUOS」(CREATIVE WORKS RECORDS CW1036)
EVAN PARKER−PETER A.SCHMID

テナー〜ソプラノのエヴァン・パーカーと、各種クラリネットのペーター・シュミット(と読むのか? シミット?)のデュオ。シュミットはクラリネットを主に、なんても吹くひとらしく、本作ではバスクラを中心に、E♭クラリネット(エスクラというやつですな)、コントラバスクラリネットなどを吹いているし、ほかのリーダー作ではソプラノサックス、各種フルート、ウドゥンフルート、サブコントラバスサックス、E♭とB♭のチューバックス、タロガトなどをあやつっているマルチリードらしい。よくわからないが、演奏はスイスのチューリッヒにある無人の地下飲用水タンクのそばで行われたようだ(1922年に作られたが最近は30年以上にわたって無人状態だったらしい)水が滴る音などが聴こえるこのスペースで、特殊な音響のことなどを加味したうえで10年ほどまえに行われた演奏のようである。これは期待できますなー。全体にエコーがかかっていて、幽玄な感じをかもしだしており、なるほど、この効果のために地下の貯水槽で行われたのかと納得。しかし、それだけではなく、おそらくエコーマシン的なエレクトロニクスもある程度使われていると思う(ちがうかな)。それにしても超魅力的なデュオである。吹き伸ばしと、ちょっとした音色やボリュームの変化、シンプルなフレーズだけでここまですばらしい即興ができるとは。このアルバムを聴くと、ロングトーンの魅力が再認識できる。パーカーもいつものようなアクロバチックな奏法をみせず、空気というか「空間」を伝えようとしているみたいだ。トリルの応酬も、アグレッシブというより琴の響きのように幽玄で、幻想をみているような気分になる。サックスや各種クラリネットの音が、なんともいえぬ重なりかたでリスナーの周囲をクラゲのようにたゆたい、ほの白いかすかな光輝を放つ。全六曲だが、「蠅と蚊」とか「蟻」とかどれにも虫の名前がついているのもおもしろい(四曲目「マッシュルーム」をのぞく。あと、一曲目の意味はよくわからない)。対等のデュオであり、先に名前のでているエヴァン・パーカーの項に入れるべきかとも思ったが、プロデュースがペーター・シュミットなのでそちらの項に入れておく。シュミットはソロアルバムも出ているようなので、ぜひ聴いてみたい。

「REX,WRECKS & XXX」(ROGUE ART ROG−0050)
EVAN PARKER−MATTHEW SHIPP

 2枚組、エヴァン・パーカーとマシュー・シップのデュオ、パーカーは全編テナーのみ(内ジャケの写真ではなぜかソプラノを吹いている)、2枚目はライヴで42分一本勝負……と聴きたい気持ちをかきたてまくるお膳立てである。聴いてみると、マシュー・シップは思っていたよりずっとジャズ〜フリージャズで、いわゆるインプロヴィゼイションというよりはリズムといいフレーズといい伝統と血を強く感じさせるものだった。この2枚組のデュオを、なぜパーカーがテナーで通したのかという明確な答はないが(ライナーは詩が書かれているだけ)、この黒人音楽的というかジャズ的なシップの音楽性に対して、ソプラノよりもよりジャズ的な楽器であるテナーで応じたというのはうがちすぎか。3曲目はマシュー・シップのソロ、4曲目はパーカーのテナーソロ(これは凄いです)。ふたりとも自分のスタイルを崩すことなくガチンコでぶつかって、ここまで完成度の高いものができてしまうのだからたいしたものです。すごいふたりがぶつかって、俺が俺がで最悪の結果になることも往々にしてあるし、逆にどーぞどーぞでしょうもない演奏になることもよくあるのだから。そして2枚目のライヴのほうだが、こっちのほうがすごいかも。シップが飛ばしまくっていて、パーカーも煽られて(あるいは負けじとばかり)吹くので、聴いているほうも一瞬も気が抜けないテンションの高い演奏が続く。こりゃーおいしいねっ。興奮のるつぼになって、あっというまに42分を聴き終えてしまった。シップも凄いが、パーカーもなんたる集中力だろう。なんというか、遊びの部分とか、どうだ俺かっこいいだろう的な部分とかそういう部分がまるでない演奏で、そうでないといけないというわけではないが、これは異常なエネルギーとパワーが必要なことは容易に想像できる。それぞれの見せ場もたっぷりあるし、ええもん聴かせてもらいました。それにしてもマシュー・シップは凄い。彼とのデュオになると、ジョン・ブッチャーもエヴァン・パーカーも気を抜くと彼の手のうえで転がされそうになる瞬間があるようにも聞こえるほどだ。デヴィッド・ウェアが亡くなって、今だとばかり、シップをいろんなテナー奏者が取り合いをしているように感じる……というのは冗談だが、それほどマシュー・シップはすばらしいピアニストということだ。

「DUETS,DITHYRAMBISCH」(FREE MUSICPRODUCTION FMPCD19/20)
WOLFGANG FUCHS・HANS KOCH・EVAN PARKER・LOUIS SCLAVIS

 フリー系リード楽器奏者4人がそれぞれの組み合わせによるデュオを収めたコンサート録音二枚組で、全部で2時間25分もある大作。とにかく「傑作!」という言葉を百万回ぐらいコピペして、ここに並べたいぐらいの大傑作であります。個々の演奏については触れないが、ウォルフガング・フックスはソプラニーノ、バスクラ、コントラバスクラ、ハンス・コッホはソプラノ、テナー、バスクラ、エヴァン・パーカーはソプラノ、テナー、ルイ・スクラヴィスはソプラノ、クラリネット、バスクラという楽器選択で、それらの組み合わせになるスクラヴィスとパーカーのソプラノ対決、スクラヴィスとコッホのバスクラ対決、コッホとフックスのバスクラ対コントラバスクラ、パーカーとコッホのテナー対決など、面白そうな組み合わせがいっぱいだが、なにしろ、どの曲も気合いの入りまくったデュオで、正直、軽く流しました、とか、自然な感じのデュオになりました、とか、互いを知るもの同士が楽しく交歓……みたいな演奏はひとつとしてなく、どの曲も、アルバムのハイライトになるようなすげー演奏ばかりで、つまりは全12曲がハイライトといえるような内容なのだ。どのデュオも驚異的なクオリティで、驚くしかない。こーれーはーすーごーいーっ。そういう代物なので、通して聴くとへとへとになるが、これも不思議なもので、演奏がスリリングで、どうなるかわからないし、しかも、とにかく盛り上がるので、一枚ぐらい聴き通すのはまったく苦にならず、楽しい楽しい面白い面白い愉快愉快痛快痛快……と言ってるあいだに終わってしまう。だから、へとへとになっても、それはうれしいへとへとなのだ。断言しますが、クラリネットとかサキソフォンを演奏しているひとはプロアマ問わず、吹奏楽とかジャズとかロックとかクラシックとか即興とかそういうジャンルも問わず、全員この2枚組を聴いたほうがいいと思う。きのうクラやサックスをはじめたひとも、俺はサックスを(クラを)極めた! と思っているひとも等しく聴いてほしい。いろいろ得られるものは多いはず。私はこの二枚組から無数の音楽的知識、方法論、技術などを得たが、一番得たのは「興奮」でした。傑作。もっぺん書きます。傑作。楽しすぎる!なお、4人が対等の内容だが、プロデューサーがエヴァン・パーカーなのでパーカーの項に入れた。

「MARS SONG」(VICTO CD042)
EVAN PARKER−SAINKHO NAMTCHYLAK

 サインホ・ナムチラクは、トゥヴァ共和国のホーメイ歌手。ホーミーはモンゴルで、ホーメイはトゥヴァらしいが、よく知らん。このひとのアルバムを聴くのははじめてではないのだが、まえに聴いたやつはもうちょっとメロディのある歌い方をしていたように思ったので、本作ではエヴァン・パーカーとのガチンコ即興対決だからか、徹頭徹尾ひたすらヴォイスインプロヴィゼイションに徹していて驚いた。まあ、こちらが本当の姿なのかもしれないが、とにかくよく知らないのです。エヴァン・パーカーはいつもどおり、マイペースで自分の音楽をストレートに表現しており、しかもかなり快調といえる。しかし、デュオを聴いた印象では、ヴォイスばかりが頭に残り、わんわんと渦を巻く。心地よいとかすんなり入ってくるような声ではない。ホーメイの歌唱法ももちろん用いていて、倍音が鳴っているような長いうねりのような声や、重音がクラスターのように炸裂する喉歌も使われているが、それよりも耳につくのは、細かい細分化された叫びというか呻きというか、吐き出すような機関銃のように激しく打ち込まれる「濁声」で、それがパーカーの細かいフレージングと相まって、悪魔じみた世界を作り出す。細かさと細かさのぶつかり合い、というのが本アルバムの主眼なのかもしれない。最初このアルバムを聴いたときは、へー、こんなひとだったのか、と思ったが、その後、このひとのリーダー作を聴いていないので、ほかのタイプの歌い方もするのかどうかはよくわからない。ほかのもぜひ聴いてみたいものだと思ってはいるのだが、テナーサックスが入ってるアルバムがまず優先になってしまうので、こういうヴォイスインプロヴァイザーの作品はなかなか手に取る機会がないのです。感動的な部分は随所にあるのだが、とにかく、聴き通すには体力が必要で、よほど集中力を高めて聴かないと、その細部まで楽しむことは難しい。私も、このアルバムは買ったときに一度聴いてしまい込み、今回久しぶりに取り出して2回通して聴いたのでまだ計3回しか聴いていないわけだが、次回聴くのはいつのことになるやら。でも、ものすごく濃い音楽がぎっしり詰まっているので、いつかまた聴くはずである。人間の声の説得力というのは、ものすごいなあ。やろうと思ったら、声でここまでできるのだ。

「THE AYES HAVE IT」(EMANEM DISK EMANEM4055)
EVAN PARKER

 ポール・ロジャーズ、ジャミー・ミューアとのトリオによる4曲は1983年のスタジオ録音。残りの1曲はトロンボーンのウォルター・ウィアボス(ICPオーケストラで日本に来たときに観た)とポール・ロジャーズ、マーク・サンダースとのカルテットで1991年のライヴ。でもこの5曲目は36分30秒もある。ライナーはよく理解できない(かなり長文なのだが、たとえば「ジャズは、特に長短両調を核とするドミナントモーション音楽上でのアドリブを可能として、そのメソッドは世界化した資本主義圏の楽器演奏の基礎として音楽史を塗り替える」といった書き方が延々とされていて、ほんとすごいです。このひとの演奏は好きなのだが……)けど、内容は単純明快な楽しい即興ばかり。ジャミー・ミューアの各種のおもちゃを使ったユーモラスな即興は、CDでもじゅうぶんその魅力が伝わってくる。83年の4曲は、ミューアの小道具のせいもあって、パーカーのソプラノの循環呼吸もばっちりはまり、聴きやすい演奏ばかりだが、91年のライブのほうは、トロンボーンの活躍もあって、なかなかスリルのある凄まじい演奏が展開されている。パーカーもテナー中心で、力強い、パワー炸裂のプレイで、こういうパーカーが好きなのだ。久しぶりに禁句を言いたくなった。「エヴァン・パーカーはテナーに限りヤス」……あ、すいません。ソプラノも好きなんです。それにしても、ウィアボスはすごいなあ。来日したときは、もうひとりの美人のお姉ちゃんのトロンボーン(ものすごい鳴りまくりの奏者でした)にばかり目がいって、あまりちゃんと聴いてなかったのだろうなあ。パーカーとトロンボーンというと、ジョージ・ルイスとのアルバムを思い出すが、あれとはまた別種の、かつ甲乙つけがたいすごい演奏だ。5曲目は36分もあるけど、「あっ」というまに聴きとおせます。嘘じゃないよ。ああ、こういうエキサイティングでスリリングで楽しい演奏に、なんでああいうライナーを書いてしまうのかなあ。たぶん頭が良すぎるゆえだろうが、わしにはわからん。まあ、私には逆立ちしても書けん文章だ。

「50TH BIRTHDAY CONCERT」(LEO RECORDS DOUBLE CD LR212/213)
EVAN PARKER

 エヴァン・パーカー50歳の誕生日を記念したコンサートのライヴ2枚組。といってもべつに特別なことをしているわけではなく、1枚目はシュリッペンバッハ・トリオ、2枚目はバリー・ガイ・トリオによる「いつものアレ」である。しかも、全員まだ若々しくてプレイもパワフルでエネルギッシュで集中力があり、言う事のない快演ばかり。とくにパーカーはテナーの使用率高く、ほとんどテナーといっていいぐらいの頻度になっていて、私にとってはめちゃめちゃ垂涎のアルバムということになる。1枚目のほうは、いつもにくらべてメロディーの聞こえてくる部分が多く、ものすごく聴きやすい。それによって迫力が減じているようなことはなくて、3者の一体感も疾走感もあり、このグループの実力と底の深さを思い知らされた。2枚目のほうは、シュリッペンバッハトリオに比べるとよりフリーインプロヴィゼイション的だが、こちらもさすがに大迫力の展開でめちゃくちゃ面白い。パーカーのソプラノ無伴奏ソロがフィーチュアされる場面ももちろんあるのだが、基本的には3人による熱い即興である。録音もよく、パーカーの(とくに)テナーの艶やかで深い音がみごとにとらえられており、演奏もダレることがなく(そんなのあたりまえと思うかもしれないが、そんなことはありません。即興系の演奏では、ダレてあたりまえ、みたいな考え方もあるわけで)2枚組が一気呵成に聞きとおせる。充実しまくっていたこの日の演奏からもうかなりの年月がたったわけだが、先日久しぶりにパーカーの生に接して、「まだまだ行ける」と感じた。がんばれ、エヴァン・パーカー! ぼくらのヒーロー! 傑作でした。

「TWO CHAPS」(ちゃぷちゃぷレコード POCS−9350)
EVAN PARKER & 吉沢元治

 たぶんしっくりいくだろう、と思えるデュオだが、まさにそのとおり、しっくりいっている。しっくりいきすぎだろう、と思うほどだ。解説の金野良晃さん(このひともすばらしいアルトサックス奏者)がかなり赤裸々に書いていることが、非常に興味深い。金野さんは「本来は、すべての制約から解き放たれ、自由闊達な精神と、持てる技術を惜しむことなく注ぎ込んだ演奏」としてのフリー・インプロヴィゼーション、フリー・ミュージックがひとつの型にはまり込んだとでも言えるような事態ではないか」と書いておられる。これはまさにデレク・ベイリーがエヴァン・パーカーのソプラノソロを一種のパッケージショーだと酷評したことにつながる。技術的にも音楽的にもめちゃくちゃ凄いが、即興としてみると、こうなってこうなってこんな感じで盛り上げてこういう風に終わる……ということが聴くまえから予想されるのだ。そのレベルがあまりに高く、だれも真似できないほどなのでみんなすごいすごいと言っているが、たしかにひとつの型にはまっているといえる。金野氏は「私は徐々にそういうエヴァンに不満を感じ始めていた。ある意味、巨匠になってしまった彼のニッチに。それは例えば、彼がセシル・テイラー化してしまったのではないかという意味でもある。その意味するところは、あまりにも自信があるが故に、自分のイディオムにはまり込んでいき、結局いつでもどこでも同じことをしているという印象が拭えなくなって来るのだ」「私はある時期からエヴァンを聴くことをやめてしまった。それは彼が盛んに電子的なアンサンブルと共演するようになってからである。私には彼のサウンドのマンネリ化と、そのブレイクスルーを電子的な方法に求めている気がした。(中略)久々に彼の当時のソロを聴いた。それはまさに私がエヴァンを追いかけることを止めた時点のライブである」……それが本作なのである。そして金野氏はこう続けている。「一聴、完全に打ちのめされた」……この解説は、本当に「言い当てている」感じで素晴らしいので、ぜひ多くのひとに読んでほしいのだが(そのあとに続く結論も、なるほどと思うものなのだが、それは引用しないので各自で読んでほしいです)、私の感想もほぼ一緒で、エヴァン・パーカーのソプラノソロはとにかくめちゃくちゃ凄いし、聴いたらものすごい満足度はあるし、凄いものを聴いたなあ、という気持ちはいつも味わえるのだが、たしかに毎度毎度だいたい同じことをしている。もちろんやるたびに違うし、アプローチも変わるのだが、基本的には「ソプラノでサーキュラーとハーモニクス等で即興的オーケストレイションをする」ということは変わらない。彼は、たとえばジョン・ブッチャーなどもそうだが、サックスのどこをどういう風に押して、どういうアンブシャーでどういう息の入れ方をすればこういう倍音がなって……みたいなことを完全に直薬籠中のものにしているのだ。でないと、プロのインプロヴァイザーとして自分の音楽を構築していく作業ができないからだ。しかし、「即興」ってそんなもんか? やるまえからわかっていたら即興じゃないんじゃない? みたいな考えもある。そんなこんなで、私も最近続けて2回、パーカーの演奏を生で聴く機会があったが、正直言って、「ここまでいったら、即興とか予定調和とかどうでもええわ。これは「エヴァン・パーカーの音楽」なのだ」という域に達しており、ひとつのことを極めた「音楽家」「サックス奏者」としてのパーカーのやってきたことは間違っていなかった、と確信した。即興だからいい、とかそういうことはもう彼にはとっくに飛び越えてしまったことなのだろう。そんな次元にパーカーはいない。先日聴いたときにしみじみ思ったのは、エヴァン・パーカーの到達した「高み」ということであって、その筆舌に尽くしがたい楽しく、かっこよく、おもしろく、心躍る音楽は彼以前にはなかったものなのだ。そして、本作には今から20年まえ、パーカーが今よりもっと心身ともに充実していたときの演奏が収録されている。吉沢元治との共演曲もすばらしいが、とくに3曲目のパーカーのソプラノソロパフォーマンスのえげつないほどの凄さは、あらゆる批判を粉砕するほど充実した「音楽」であって、これを聴くためだけでも本作を買う価値は十分にある。もちろんデュオもめちゃいいので(パーカーのソロのことばかり書いて申し訳ないっす)、この音源が録音されていて、今、発掘されてリリースされたことは奇跡的だ。いや、ほんと凄いしかっこいいし、虚心に聴いてもらえればこの演奏の凄さはだれにでもわかってもらえると思う。あと、ずっと書いてるけど金野さんのライナー! CDのライナーはこうあるべきという内容です。こういう音楽につくライナーはどういうわけかほんとしょうもないものが多いが、このライナーは値打ちあるわー。エヴァン・パーカーを聴いたことない、というひと、吉沢元治はじめてです、というひとにもおすすめできる傑作です。テナーもいいよ!

「SEVEN PIECES」(CLEAN FEED RECORDS CF397CD)
EVAN PARKER/DAUNIK LAZRO/JOE MCPHEE

 1995年に行われたこのサックストリオのツアーにおいては、フランスでの演奏がVAND’OEUVREというレーベルから「JOE MCPHEE・EVAN PARKER・DAUNIK LAZRO」というタイトルで翌年リリースされているらしいが、そのツアーのスイスでの音源が今回カセットテープで発見され、発売に至った……ということらしい。すべてフリー・インプロヴィゼイションで、7曲中、4曲目はエヴァン・パーカーのソプラノソロで2曲目がラズロとパーカーのデュオであるほかは3人による即興である。全体に、ギャーギャーいう感じではなく、静謐に、美しく、しかも底には拳をぐっと握り締めたようなパワーを秘めた演奏が多く、胸を打たれる。まるでストリングスと共演しているのかと思えるほどの、凛と張りつめた、かつ、揺蕩うようなこの即興をなんと表現したらよいのか。パーカーもこのトリオに溶け込んでおり、抑制されたグループ表現を行っている(一曲の無伴奏ソロではいつもの感じだ)。ドニク・ラズロはとくにバリトンサックスでの演奏(5曲目)が心に残った。全員、たいへんな集中力で演奏しているのだとは思うが、同時にリラックスして演奏家が楽しんでいる感じも伝わってくる。とてもいきいきした、すばらしい演奏だと思う。聴いてよかった。