ryoko ono

「UNDINE」(DOUBTMUSIC DMF−145)
ONO RYOKO

冒頭を聴いた瞬間から衝撃をくらう。そして、笑ってしまう。なんじゃこりゃーっ、ぎゃはははははははははは。この曲を1曲目にもってきたというのはすごいセンスだと思うよ。やる気に満ちたアルバム作りであることがわかる。ホースとかに息を吹き込んだものをオーパダブして効果音をつけたものと推察されるが、こういう演奏を聴くと、「荘子」にある「大地の吐く息を風という。ひとたび大地の息が駆け抜けると、地上のあらゆる穴が一斉に鳴り響く。山林や、巨木にあいた穴や、さまざまな形の穴が一度に音を出す……」という文章(ほんとはもっと長い)を思い出す。大自然が風によって「鳴る」息吹きの音みたいなものが、木管楽器の即興演奏を聴いていて、ふっと思い浮かぶことがあるが、この1曲目はまさにそうした「大地の息吹」を感じさせる。2曲目はしっかりした音と運指によるアルトのソロインプロヴィゼイション(+打ち込みによるバック?)で、シリアスなムードも醸し出されるが、めちゃかっこいい。3曲目は、ハーモニクスを使った、私好みの完全なソロ(超短い)。4曲目は(こぶんこれも打ち込みのビートをバックにした)アルトソロだが、循環呼吸で延々とトリルを繰り返す。この思い切りの良さは惚れます(これも短い)。5曲目は二本の多重録音によるバラード的な演奏。6曲目も2管の多重録音によるスティーヴ・ライヒの「ピアノ・フェイズ」をサックスで演奏したものらしいが、循環呼吸(だと思われる)によってふたつのラインがストイックに、永久に続くかと思うような硬質さでずーっと奏でられていくのを聴いていると、ああ、このひとすごいわ、と思う。こういうことをやろうという「発想」がすごいのであります。そして、それを実際にやってしまうというアホさ加減(大阪のひとにはこれで通じるはずだが、そうでないひとに断っておくと、これは我々にとって最大級の讃辞です)を尊敬してしまうのです。そして7曲目は「鳥」のさえずりがのどかに聞こえるなかでのヴォーカリーズ的なチャーリー・パーカーメドレーでタイトルは「バード」。「ドナ・リー」→「オーニソロジー」→「スクラップル・フロム・ジ・アップル」→「オウ・プリヴァーブ」→「?」→「コンファメイション」→「ヤードバード組曲」→「レアード・ベアード」→「?」というメドレーになっている(当方がパーカーフリークでないので、わからない曲がありましてもーしわけない)。8曲目はジャズ的な即興フレージングを二管による多重録音でハモったもの。最初からか、あとで採譜したのかわからないけど、そういう冷静な目が加わっているのに、なんともいえない自然発生的な魅力がある。10曲目は、これも循環呼吸なのかなあ、とにかくタータラタータラとかタラララタラララというリズムだけでひたすらノンブレスで吹きまくる演奏で、正直、「めちゃめちゃうまい」(テクニックがすごい)と思いました。一瞬の乱れもないよね。ダイナミクスによる「表現」もものすごくアピール力があるし、これはすごい意志のもとに演奏されてますよ。うーん、かっこいい。エヴァン・パーカーとかカン・テーファンとかその他いろいろな人の名前を持ち出す必要はないぐらい「しっかり」している。11曲目は、10曲目が複音奏法を前面に押し出した演奏だったのに、単音(しかも、軽い感じ)による、谷川が流れていくような自然かつオリジナリティのあるインプロヴィゼイション。そしてそしてそして12曲目「タルカス」は……私ごときものでも知っているあの「タルカス」ですよ。超かっこええ! これを聴いて、「おお、すげえっ!」と絶叫しないひとはいないだろう。すごすぎるやんけ!わしゃもう惚れた。アルトで「ぎゃーーーーーーっ」といいたい皆さんは必ず聴くようにね! これはもう技術と音楽観と「叫び」が三位一体となった最高の「カッコイイ」音楽であります。私は原曲の「タルカス」とかはそれほどわからない人間なのだが、この演奏が死ぬほどかっこよくて、そのかっこよさにこのひとのアルトのスクリームと、きちんとした技術力による演奏が、完璧に奉仕していることはわかる。ラストの曲はひたすら美しいタイトル曲。いやー、なんの先入観もなく聴いたのですが、もう、死ぬほどびっくりしました。そして、死ぬほどはまりました。これは名盤であります。ジャケットもCDのデザインもかっこよすぎる。100万枚売れろ!

「ALTERNATE FLASH HEADS」(ALCHEMY RECORDS ARCD−241)
RYOKO ONO

 傑作としか言いようがありません! 超短い演奏が全部で99曲入っているという(しかも全部で30分もないのだ。頭がおかしいとしか思えない超大胆なコンセプトによるアルバム。これを考え付いた時点で異常だが、それを成し遂げてしまい、また、ここまでのクオリティにしてしまった小埜涼子は天才としか言いようがない。こういう発想ってどこから来るのだろう。スラッシュメタル? 私の乏しい音楽体験では、ジャズ方面でこれに似たものってジョン・ゾーンの「スパイVSスパイ」とか坂田明「百八煩悩」とかしか思いつかないが、ここまで徹底的に突き詰めてしまったものはない。完全に突出している。凄いのはその99曲にかぶりがないことで、99のバラエティあるアイデアがずらりと並んでいて壮観である。ドラムとのデュオ(といっても別々に録音されているようだ)を中心に、多重録音などを駆使してのさまざまなタイプの演奏が収められている。フリーな即興、激情スクリーム、プログレ、ビッグバンド、ハードロック、中東風、ムードミュージック、童謡、映画音楽風、現代音楽、マウスピースだけのやつ、山下洋輔「ぐがん」風、ちんどんみたいなやつ、ジャズの練習風景みたいなの、雅楽風、ノイズ、クラスター、ヴォイス、無限ループ、教会音楽などなど……ほのぼのするものから凶悪極まりないものまで際限がない。リズムだけでも多種多様である。63曲目のリフがずれていくやつは何回聞いても感心する。だが、ただただいろいろ録音してみました、というだけでなく、どれも一工夫、ふた工夫というかひとひねり、ふたひねりが加えてあり、録音上の遊びなども随所に施されており、才気あふれる小埜涼子の99の引き出しが全部見られる。99個の引き出しをつぎつぎと開けていく作業は楽しすぎる。それもこれも、小埜涼子の圧倒的に鳴りまくるサックスの音が根本にあってのことだと思うし、時折登場するマグマのように熱血なブロウは感涙ものだ。しかし、普通はある程度の長さがあって、次第に盛り上がっていき、ついには頂点に……という演奏でないと、その音楽をちゃんと味わえない、という考え方があたりまえだと思うが、こうして何十秒かの断面をずばりと見せられてもその演奏のなんたるかが伝わるということは、案外音楽というのは(うまくできていれば)短くても長尺の演奏と同じ情報量やらなにやらを伝達できるのかもしれないと思ったりした。聞いていると、ラジオのチューナーをあれこれ適当に合わせて、どんどん次のチャンネルに移っていっている、つまりザッピングしているような気分になる。小埜涼子はこのアルバムをランダム再生してほしいとライナーに書いている。そうすることで99曲の組み合わせはほぼ無限になり、聴くたびに新しいものが生まれるというのだ。毎回、ちがう「曲」が誕生するというその発想の凄さと、それを実現してしまった才能に驚く。しかし、私は本作を入手してからたぶん10回ぐらい聴いたが、まだ一度もランダム再生していないのである。いくら作った本人が「ランダム再生してくれ」と言っていても、やはり最終的にこの曲順にしたというのはなんらかの意図があってのことだと思うので、まだ10回ぐらいではそれをちゃんと味わえていないのではないか、という気持ちが働いてしまっているのだ。次こそはランダム再生しよう、と毎回思うのだが、ついついそのまま聞いてしまう。いや、すいません。次こそは必ず……。とにかく音楽史に残るような傑作だと思います。脱帽。アルケミーからのリリースというのも重要。

「ELECTRONIC ELEMENTS SECOND EDITION」(R RECORDS)
RYOKO ONO

 小埜涼子さんがひとりでサックスやキーボードなどを演奏し、それを加工した音絵巻。めちゃかっこいいが、ところどころ耳障りでイラッとする箇所もあり、またそれをしつこいプッシュされるとほんとにイライラするが、そのイライラが超快感になっていくこの嗜虐的な喜びはなんだ。リズムは複雑で、しかもドラム音がチープ。そこに不協和音のキーボードがうねり、サックスが吠え、歌う。そしてパーカッションがあちこちで重要な役割を果たしている。全11曲、驚くほどいろいろなタイプの曲が入っており、あの話題作「オルタネイト・フラッシュ・ヘッズ」の原型といえるかもしれない。疑似アフリカ、疑似インド、疑似中東、疑似中世ヨーロッパ……みたいな曲もあるが、これらは小埜涼子の脳内にのみ存在する国の音楽だろう。プログレ的なところも、フリージャズ的なところも、主流派ジャズ的なところも、テクノなところも、ニューウェイヴ的なところもあり、だれでも楽しめる音楽である。むずかしいところは皆無でめちゃ聴きやすいが、じつは一筋縄ではいかない、ひねくれて暗くて深い深海魚のようなところも感じる。凄いテクニックと音楽性、そしてダブやループをはじめとする各種の録音技術があいまって、この狂気の音楽を作り上げているのだ。一種の宅録みたいなものかもしれないが、それだけに小埜涼子の脳を内側から見ているような気分になるのだ。購入してから5回ぐらい聞いたが、やっぱり最初はイライラっとして(ノイズとかなら、そういうイライラは全然感じないのだよなー)、だんだん良くなってくる。中盤を過ぎたころから楽しくてたまらなくなり、最後まで聴いてしまうというパターンだ。そう、このアルバムはかなり中毒性がありますね。ブラックカレーみたいなもん?

「WOOD MOON」(JVTLAND JVT0016)
RYOKO ONO・ROGIER SMAL

 とにかく心地よいのだ。もう「心地よい」という言葉しか感想として出てこないほどだ。しっかりした作りのアルバムだが、ジャケットのタイトル名とかミュージシャン名がデザイン的すぎてまったく読めない。録音日も録音場所も曲名もなんにも書いていない。これは一切の情報を遮断して無心に聴けということなのか。というわけで聴いてみると、なるほど、これはすごい。ここまでアコースティックでガチンコで即興一本勝負の小埜涼子のアルバムがかつてあっただろうか。アルトは太い音で上から下まで鳴り響き、ドラムもダイナミックに空間をリズムで埋め尽くし、これだこれだこういうのを聞きたかったのだと叫んでしまった。もちろんこれまでのリーダー作も凄かったが(というか、その徹底した変態的な透徹ぶりはそれらのほうが凄い)、等身大・ノーギミックの小埜涼子のすさまじさというのは本作において存分に発揮されている。林栄一とのデュオアルバム2枚もそうだったが、アルト一本でただただ吹くだけで小埜涼子はこんなにも凄いのだ。この楽器の鳴り、高音部の叫び、ハーモニクスの歪み……アルトが身をよじって「もうやめてくれ。これ以上息を吹き込まないでくれ」と泣き叫んでいるようなイメージすら伝わってくる。よく似たタイプの音を出すアルト吹きは世界中にいるが、音が薄くてぺらぺらなひとも多く、小埜涼子のように腰の据わった、ドスの利いた太い音をうえからしたまで吹けるひとは案外少ないと思う。この「音」とテクニックがあるからこそ、フリーをやっても変拍子プログレをやってもスラッシュをやってもブルースをやっても説得力があるのだ。本作では、ただひたすら生真面目に押しているばかりではなく、ドラムもときどきアホなことをやったりして、ユーモアのある自由なアプローチをしているが、小埜涼子もデタラメな言語(日本語の会話と無意味な「音」の狭間みたいな感じ?)を駆使したフリージャズ的バップスキャットみたいな必殺技を披露したり、マウスピースを水に突っ込んでぼこぼこいわせたり(音だけ聞いてると、たぶんそう)して、バラエティ豊かな構成になっており、(たぶん)ゴリゴリのフリーはしんどいという向きにも受け入れられると思う。いやー、かっこええ。たぶん今、世界でいちばんかっこええアルト(のひとり)なんじゃないですか? 6曲目の冒頭のところなんか、美味しすぎて泣く。そして、このふたりの絡み方は尋常ではなく、ものすごく真っ当に(というのも変だが)しっかりと絡みつき合って、そこがまた心地よいのだよなー。傑作としか言いようがありません。