david liebman

「DIFFERENT BUT THE SAME」(HAT HUT RECORDS HATOLOGY615)
DAVID LIEBMAN & ELLERY ESKELIN

 よくわからんがなんとなく勘で「凄いんちゃうか」、と思って買ったアルバムがほんとに凄かったときの喜びは何ものにもかえがたい。そして、このアルバムはめちゃめちゃ凄かった。聴いていて震えがくる瞬間があった。リーブマンはエラリー・エスケリンの師匠にあたる。つまり、師弟バトルアルバムなわけだが、最近のリーブマンはどこか吹っ切れたというか、かつての「ドラム・オード」や「ドゥイン・イット・アゲイン」あたりのえぐい演奏が戻ってきたように思う(モーリツィア・ギアマルコとの2テナーアルバムは個人的にはいまいち期待外れだったかも)。クエスト以降、ソプラノによる内省的な演奏をひたすら追求してきたリーブマンだが、テナーをまた吹きはじめてからも、その延長のような演奏が多かったような気がしていた(まあ、これは私の聴いたアルバムが悪いのかもしれないが)。でも、先日、某所でテナー一本で「マイ・フェイヴァリット・シングス」を延々吹きまくる映像を見て、おおっ、リーブマンがまた変わった、と確信した。それで、このアルバムを購入してみたら、エスケリンといつも演ってる超強力なリズムセクションがバックなので、メンツ的にはエスケリンバンド+リーブマンという感じだが、演奏をリードしているのは圧倒的にリーブマンである。もちろん、エスケリンも凄くて、ほんとにガチンコの演奏である。しかも、内容が濃くて、ただのバトルではない。これは、現代ジャズにおけるテナーバトルのひとつの理想型といえるのではないか。熱く燃え上がっていたあのころのリーブマンが聴けます。しかも、さらに深化している。傑作といえるのではないでしょうか。久々に生で聴いてみたいぞ、リーブマン。願わくはこのバンドで(無理か)。タイトルもいいよね。

「REDEMPTION」(HAT HUT RECORDS HATOLOGY642)
QUEST LIVE IN EUROPE

 あのクエストが再結成されて、しかもライヴだというので聴いてみた。かつてのクエストについては、リーブマンがソプラノしか吹かなくなった時期のグループだし、一枚目の「ビル・エヴァンスをグループエクスプレッションにしたような」観念的な内容もあって、あまりいい印象を持っていなかったのだが、今回はメンバーは以前のままで(一枚目はムラツとアル・フォスターだが、二枚目以降はたしかこのメンバー。リッチー・バイラーク、ビリー・ハート、ロン・マクルーアという、今から考えると凄い布陣)、演奏している曲が「ラウンド・ミドナイト」「オグンデ」「ロンリーウーマン」などかなり尖っているのくわえ、リーブマンがテナーを吹いているし、最近のリーブマンの好調さを考えて、これはいけるかも……と思って買ったのだが、いやはやめちゃ良かったっす! 一時のリーブマンは「またソプラノだけかあ」という感じで、そのソプラノも、たとえばみんながほめる「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」でショーターとバトルやってるやつとかも含めて、どれもテナーに比べて物足りなさを感じることが多かったし、テナーをふたたび吹くようになってからも、どうも観念的な演奏が多くて私にはいまいちだったのだが、ちょっとまえからなにがどうしたのかわからないが、突然いいほうへ豹変し、「なにかあったのか?」と心配したくなるほどのひたむきなプレイをするようになった。今やリーブマンはソプラノもテナーもフルートもほとんど同じように扱える域にまで達していて、どれを聴いても物足らなさはゼロ。バイラークもすごいし、ビリー・ハートのすばらしいドラミングも聞き所だが、なんといっても阿修羅のごときリーブマンの圧倒的激演が凄い。一曲目の「ラウンド・ミドナイト」はバイラークとのデュオだが、これが昔とは似て否なるもので、ドラムもベースもいるみたいな迫真のデュオなのだ。すっかり吹っ切れて絶好調のリーブマンだが、このアルバムはその集大成的な快演が聴ける。おすすめ。

「THE DISTANCE RUNNER」(HAT HUT RECORDS HATOLOGY628)
DAVID LIEBMAN

 最近のリーブマンはなにを聴いてもいいので、これも期待していたが、やはりなかなかの出来でした。しかも、サックスソロというものについていろいろ考えさせられた。即興系でない、フツーのジャズマンのサックスソロというと、バックがいないだけで、いかにもバンドでやっているふりをしているかのような、あるいはコルトレーンの「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」のロングカデンツァのようなものが多いのだが、それはそれで「すごい技術を見せつける」というような面はあるものの、「なんでソロでこれをしなければならないのか」という意味がいまいちよくわからん場合もけっこうある。しかし、リーブマンはさすがで、コード進行をきちんと感じさせるソロ、リズム楽器がないのにリズムを感じさせるソロ、単音楽器なのに多彩なハーモニーを感じさせるソロ、そして、より自由奔放な、完全なフリージャズになってしまっているソロまで、どれも、きっちりしているが、異常な狂気も感じさせるし、いきいきとした演奏ばかりである。スタンダードもあるが、聞きものはオリジナルや完全即興の曲のほう。音色やタンギング、アーティキュレイション、ダイナミクスなど、すべてを含めて、サキソホンという楽器の到達点と今後の可能性などを知ることができる、まさに入魂の演奏である。よくをいえば、もうちょっとフリー系の曲が多かったらなあ。

「LIVE AT THE JAZZSCHOOL」(JAZZSCHOOL RECORDS CD1)
DAVID LIEBMAN AND MIKE ZILBER

 ピアノトリオをバックにした、リーブマンとマイク・ツィルバーというテナーサックス奏者のバトルで、バークリーのジャズスクールでのライヴ。最近のリーブマンはなにを聴いてもすばらしいので、なんだかよくわからないけど買ってみた。このマイク・ツィルバー(ズィルバーか?)というひと、ネットで検索してもひっかからないので、たぶんこのスクールの講師なんじゃないかなあ。でも、うまい。裏ジャケットには、サックス奏者はどちらもテナーのみ、のように書いてあるが、リーブマンは1曲めと4曲めはソプラノ。2曲めのバラード(ラヴァーマン)はリーブマンのワンホーンだが、これもソプラノ。3曲めはリーブマンはアウト、ツィルバーのみの演奏なので、結局、リーブマンのテナーが聴ける曲はない。でも、ジャケットではテナーを吹いている不思議。このあたりをとっても、このアルバムがけっこういいかげんな作りであることはわかる。でも、とにかく中身はめちゃめちゃかっこいい。ツィルバーのサックス奏者としての実力は、正直、リーブマンのほうがずっとうえのように思えるが、それは今のジャズテナー奏者を見渡しても、リーブマンの域に達している奏者はそうはいないわけで、これはしかたがない。でも、このマイク・ツィルバーというひと、なかなかいいんです。キーワークはリーブマンに比べて少しスムーズではないが、無骨で、しかも、ハーモニクスによるスクリーム的な音を効果的に混ぜこんで吹くという私のめちゃ好きなタイプで、そのうえフレーズのアイデアが明確なので、すごく親しみがもてる。わかるわかる、という感じ。そして、リーブマンとがっぷり四つに組んでがんばっている。押し相撲の人、というイメージだろうか。写真ではけっこう年配の感じだが、かなりの実力者だと思う。音色もいいし、好きです。スクリームしているときも、ちゃんと冷静な判断をしているひとのようで、その実力のほどは、ワンホーンでのバラード(3曲め)「マイ・フーリッシュ・ハート」で全開になる。テナー〜ソプラノ好きはぜひ聴いてほしいです。

「THE TREE」(SOUL NOTE 121195−2)
DAVID LIEBMAN

 リーブマンのソロは、何枚か出ているが、こないだ買ったハットロジーのやつは、テナー、ソプラノ、フルートを駆使した、ライヴ盤だった。ライヴということは一発勝負なわけで、サックスの無伴奏ソロをやるシチュエーションとしては、もっとも緊張するだろう場なわけだが、そういう緊張感がいいほうに出ていて、すごくよかった。この「ザ・トゥリー」はスタジオ録音であり、ソプラノだけで勝負しており、同じ曲を2バージョンずつ収録しているということもあって、べつの意味で興味深かった。このアルバムのまえに出したソロアルバムは、多重録音したやつらしくって(未聴)、このアルバムがリーブマン初のオーバーダブなし完全無伴奏ソロということになる。で、内容だが……すばらしいっ。すごいっ。すてきっ。ソプラノだけ、ということで「どうかな〜」と思っていたのだが、そんな懸念は杞憂にすぎなかった。ソプラノだけでも、いや、ソプラノだけだからこそ表現しえた世界である。凄まじい集中力、完璧な楽器コントロール、そして、演奏の起承転結とかそういったものすべてを自分の管理下に置いている(それも、非常に高いレベルで)という点は驚嘆するしかない。リーブマンは、アドリブソロにおいて「自分の出す音にはすべて意味がある」と豪語しているが、こういう「無伴奏ソロ」では、それが露骨に聴衆に判断できる状態なわけで、きっとすごいプレッシャーだったと思う。でも……いきなりギャオーッというフラジオの絶叫ではじまる曲なんか、(どういう意味があるの)とは思った。私はどっちかというとリーブマンのそういった「暴れる」面にひかれるのだ。このひと、「全部意味がある」とかいいながら、絶対にある種の狂気をひめていて、そこがいいのです。これは愛聴盤だなあ。

「WEST−SIDE STORY(TODAY)」(OWL061)
DAVE LIEBMAN  GIL GOLDSTEIN

ギル・ゴールドスタインの名前があったので、彼がアレンジしたゴージャスなオーケストラをバックにリーブマンがソロを吹く、という趣向かと思っていたら、ギル・ゴールドスタインは打ち込みだけで、アレンジは全部リーブマンが書いたらしい。つまり、たったふたりだけによるアルバムなのである。聴いてみると、いやはやすごいわ、これは。これまで、オスカー・ピーターソンのものからゴージャスなポピュラー畑のスターを一同にそろえたものから、フュージョン系のものから、とにかくさまざまな「ウエストサイドの曲をネタにした企画アルバム」を聴いたが、これが最右翼に属することはまちがいない。リーブマンのソロはどれもえぐく、ごりごりで、めちゃかっこいい。ソロを聴いているときは、これがウエストサイドの企画ものだということを忘れてしまうほど。そして、アレンジがまたえぐくて、かなりやばい音使いの箇所などあって、おもわず「キーッ」となる。でも、なぜか一曲を通して聴くと、ウエストサイドストーリーの曲の雰囲気になっているのだ。まさにリーブマンマジックである。アルバムを聴き終えたときの印象は、ウエストサイドストーリーのあの「音」のサントラを聴いたときの印象とはさほど違和感はない。そういう意味で、非常によくできた、いろんなジャンルのファンを満足させるだろう作品である。なお、リーブマンとギルは共同プロデューサーだし、名前も並記されているが、アレンジを全部リーブマンがやったということで、この項にいれた。

「MONK’S MOOD」(DOUBLE−TIME RECORDS DTRCD−154)
DAVE LIEBMAN TRIO

ジャケットとかライナーノートには、リーブマンがなにを吹いているか記載がないので、ソプラノオンリーなのか、それともテナーも吹いているのかが気になったが、思い切って購入してみたら、はいはい、ちゃんとテナーも吹いてました。よかったよかった。一曲目から、リーブマンらしい熱い演奏が並ぶが、モンクの原曲そのままの演奏ばかりではなく、たとえば二曲目はロック調にアレンジされているが、それが違和感なくモンクの世界を構築している。共演者も申し分なく、ほんとうはこういった「モンク集」みたいなものは手あかがついているし、どうかなー、と正直思っていたのだが、聴いてみるとモンクのつけどころがない。あ、このネタも手あかがついてるか……。折に触れて聞き返したい、充実の一枚。

「LIVE IN OSLO」(P.M.RECORDS QSCA−1036)
NEW LIGHT

 ベースにジーン・パーラを迎え、2テナーでエルヴィンの「ライトハウス」の再現を目指したアルバム。バンド名も「ニュー・ライト」(なんじゃこりゃ)。曲も、「ライトハウス」からのものが多い。もうひとりのテナーは、リーブマンの弟子でもあるペーター・ウェテル。でも、「ライトハウス」のときに相方だったグロスマンはまだ健在なのに、どうしてウェテルなのか。グロスマンは今はバップに回帰してしまったので、しかたない措置なのか、それともリーブマンとグロスマンは仲が悪いのか……えーとそんなことどうでもいいです。肝心なのはできばえであるが、それがまためちゃくちゃいい。個人的には、「大傑作」というハンコをジャケットに押しまくりたいほどの気持ち。リーブマンはソプラノ中心でテナーを併用しているが、ウェテルはテナーに専念している。リーブマンのソロのほうが奥深さを感じさせるが、ウェテルのテナーもそれに十分対抗するストレートアヘッドなブロウを繰り広げ、自分の師匠に対して一歩もひかない。耳馴染んだ曲が多いのだが、ドラムがエルヴィンではないせいもあって、まったく新しい音楽に聞こえる。モーダルなテナーがばりばりごりごりがりがり吹きまくるジャズが好きなかた(つまり私ですが)は、まずまっ先にこれを聴くべし。でも、底が浅い演奏ではなく、とてつもなく深い、狂気をはらんだ演奏である、ということも書き添えておきたい。誰がリーダーなのかよくわからんし、プロデュースとかも書いていないので、最初に名前のあがっているリーブマンの項目にいれた。

「RENEWAL」(HAT HUT RECORDS HATOLOGY 654)
DAVID LIEBMAN & ELLERY ESKELIN

 これってほとんどフリージャズじゃないの? 完璧に私好みのサウンドであるが、エスケリンはわかるが、リーブマンがいつにもまして熱く、フリーキーにブロウしまくっていてすばらしい。リーブマンは完全に今、三度目だか四度目だかの絶頂期にある。前作の「ディファレント・バット・ザ・セイム」もすばらしかったが、今回は、ベースやドラム(ジム・ブラック)も曲を提供していて、よりいっそう「バンド」という感じが強まっている。さすがにみんな一筋縄ではいかない曲が多く、10拍子のブルースとかいろいろだが、そんな変態的な曲をリーブマンとエスケリンのふたりが、たぎるようなパッションを放散しながら吹きまくっているところが凄い。その名も「フリーバラード」という曲があり、これは「なにも決めずに、テーマなしの即興でバラードを演った」ということだと思うが、はりつめた緊張感のただようなか、アブストラクトな叙情をつむいだ、完璧なバラードになっていて、聴き手の想像力をかき立てる見事な仕上がりである。ベースのひともたぶん有名なひとなのだと思うが、すごい演奏で驚いた。まえのときも書いたが、このメンバーで来日してくれないものか。

「NOMADS」(ITM14123)
DAVE LIEBMAN MICHAEL STEPHANS

 めちゃめちゃ傑作。これはびっくりした。リーブマンが最近絶好調なのはわかっていたが、これはそのとどめともいうべき凄いアルバムだ。基本的にはリーブマンのサックスとマイケル・ステファンのドラムのデュオなのだが、そんな単純なものではない。リーブマンは曲によって、ソプラノ、テナーはもちろん、各種フルートや民族楽器、ピアノ、ドラム、マウピを外したソプラノまで演奏し、ステファンもドラム、パーカッション、ポケットコルネット、アルト・ホルン、バルブ・トロンボーン、なんだかわからないチベットの変な楽器などなどを演奏し……まるでドン・チェリーとエド・ブラックウェルの世界である。そう書いてもそれが冗談ではなく、ほんとに「ミュー」あたりにも通じる、オリジナリティあふれる即興の音世界をリーブマンとステファンは作ってしまった。たいしたやっちゃ、リーブマン! コルトレーン、ミンガス、レイシー、ドン・チェリーなどに捧げられた本作はまさしく即興の神へのふたりの捧げ物であり、選曲も一筋縄ではいかず、オリジナルのほか、キース・ジャレットの曲、エリントンの曲、「ミンガス・アー・ウム」のヒップホップバージョン(!)、「ゲット・ハッピー」「ハニーサックル・ローズ」や「イマジネイション」などのスタンダードなんかも演奏されており、とにかくおもろい。微妙な言い方になるが、リーブマンの最高傑作……とまで言い切る自信はないけどかなりそれに近い作品と思う。これは当分愛聴せねば。

「TURNAROUND〜THE MUSIC OF THE ORNETTE COLEMAN」(JAZZWERKSTATT 079)
THE DAVE LIEBMAN GROUP

 リーブマンのオーネット・コールマン集。とはいえ、オーネットの、あのたゆたうような浮遊感、自由さのかわりに、リーブマンのあのアブストラクトかつ力強く繊細な表現で占められており、要するに完全にリーブマンの音楽になっている。そういう再構築をすることによって、オーネットのコンポーザーとしてのすごさが再確認できる。ショーターとはちがった意味で、斬新で、しかも耳馴染みがよく、さまざまな仕掛けがほどこされ、そしてシンプルで、なおかついくつもの場面が用意されている。しかし、やはりオーネット集ということでそういう意識はあるのか、それとも無意識か、普通はどんどん求心的になっていくリーブマンのソロがどんどん拡散していっているように感じるのは私だけだろうか。ソプラノ、テナー、フルート、笛などを使い分けているようだが、とくに笛(?)による「ロンリー・ウーマン」の、日本的な叫びともいえる絶唱に心を強くひかれた。それにしてもここんとこずっとリーブマンバンドのレギュラーのギタリスト、ブルース・フォアマンは、あのリッチー・コールのレギュラーだったとはまるで思えんなあ。

「NEGATIVE SPACE」(VERVE B0011518−02)
DAVE LIEBMAN/ROBERTO TARENZI/PAOLO BENEDETTINI/TONY ARCO

中古で買ったのだが、だれだこんないいアルバムを売ったのは。リーブマンがイタリアのミュージシャンのトリオとともに演奏した3カ所でのライヴをまとめたものだが、めちゃめちゃいい。5曲中、3曲がリーブマンのオリジナルで、残りの2曲中1曲がロリンズの演奏で有名な「ポインシアナ」、もう1曲が「アフロ・ブルー」という、気合いのはいりまくった構成。リーブマンは往々にして、高度にアブストラクトで、聴き手もテンションを張りつめて聴かないとわからないような、難解といってもいい演奏をすることもあるが(それがリーブマンの良さでもあるのだが)、本作は適度にアブストラクト、適度に具体的、適度に緻密で、適度に豪快……という理想的な状態にある。それは、おそらくリズムセクションとの相性なのだろう。まあ、そんなコリクツはともかく、めっちゃかっこいいモダンジャズである。2005年の演奏だが、今まさにリーブマンは「芳醇」だと思う。来日してほしいなあ……。

「LIEB PLAYS THE BLUES A LA TRANE」(CHALLENGE RECORDS DBCHR75978)
THE DAVID LIEBMAN TRIO

 ブルース、それもコルトレーンゆかりのブルースばかりを演奏したアルバム。コルトレーンにも「プレイズ・ブルース」というブルースばかり演ったアルバムがあるが、ブルースというものは素材としては12小節で、コード進行も決まっているわけで、テンポを変えようが、キーを変えようが、リズムを変えようが、まあ、基本的には「同じ」である。そればっかり演奏しようというのだから、「同じ曲ばっかりやってるアルバム」ということになる。なんという大胆な試みだろう。演奏家の技量をここまで問われる企画はない。それをあえて(しかもピアノレスで)やるというのは、よほどの自信があるのだろう。師ともいえるコルトレーンの「プレイズ・ブルース」に挑戦しようということか。しかし、考えてみたら、今書いたのは「ジャズにおけるアドリブの素材としてのブルース」の話であって、いわゆる「ブルース」というジャンルにおいては、すべてのアルバムがブルースなわけで、そう考えると、アルバム1枚をブルースで通すことぐらい、ハイレベルなミュージシャンにとってはどーっちゅうこともないのかもしれない。本作を聴いて、なんとなく連想したのは、大友さんの「ロンリー・ウーマン」と「ベルズ」で、あれも、アルバム一枚をひとつの曲の変奏で押し通す、という信じがたい企画だったが、曲に埋蔵する潤沢なイマジネーションと、演奏家たちの卓越した音楽性によって、名盤となった。では、本作はどうか。結論としては、「めっさよかった」。「オール・ブルース」を除くと、全曲がコルトレーン作曲のブルース。「オール・ブルース」もマイルスのオリジナルバージョンにはコルトレーンも参加しているから、「ゆかりの曲」というくくりならOKなのだろう。アップテンポの「オール・ブルース」と、オリジナルは「コルトレーン・ジャズ」に入ってる「ヴィレッジ・ブルース」がソプラノで、あとはテナーで演奏されている。「アップ・アゲインスト・ウォール」(「インプレッションズ」に入ってるやつだが、ブルースだったんだなあ)と「ヴィレッジ・ブルース」がこってりしたミディアム。残りはは速いテンポ。通して聴いてみて、はっと気づいたのは、バラードがないことだ。普通、こういう4ビートジャズのアルバムなら、一曲ぐらいはバラードが入ってるものだが、なにしろブルースアルバムですからね。ソプラノもテナーもいいが、リーブマンのソプラノは、テナーの持ち替え楽器というより、ほとんど同じ楽器を吹いてるように違和感なく聴けてしまう。これってすごいことかも。あと、エリントンとの共演盤でコルトレーンがソプラノで演奏している「テイク・ザ・コルトレーン」はリーブマンはテナーを吹いている。ドラムとベースもめっちゃよくて、飽きない。たしかにリーブマンクラスになると、全部ブルースでも全然問題ないなあ。では、なんでブルースばかりにした意味があるのか、といわれると、それはよくわからないが、アルバムとして一本筋が通った印象になったことはまちがいない。傑作でしょう。

「RELEVANCE」(RED TOUCAN RECORDS RT9338)
DAVE LIEBMAN−EVAN PARKER−TONY BIANCO

リーブマンとエヴァン・パーカーの共演盤として話題になったアルバムだが、私はなんとなくどういう演奏かわかるような気がして、発売当初は買わなかった。フリーインプロヴィゼイションの雄であるパーカーと、ジャズのイディオムを突き詰めることによって即興表現の高みに達したリーブマンとは、ある意味、出自がちがい、現在演奏している音楽もちがう。じつは、パッと聴くだけではおんなじような印象を受けるかもしれないが(とくにリーブマンのソロとか)、やはり「流派がちがう」というか「信じる神がちがう」という感じがするのだ。しかし、ディスクユニオンで見かけて、なんとなく購入し、聴いてみると、思っていたようなものとはかなりちがっていた。というのは、リーブマンとパーカーのデュオではなく、トニー・ビアンコのドラムがかなり大きな働きをしており、ふたりのサックス奏者の「媒」という言葉が適当かどうかわからないが、扇のかなめのような重要な位置で、超強力かつ超個性的なふたりのサックスを有機的に結びつけている。一曲目はリーブマンもパーカーもテナーで演奏を開始し(どっちがどっちかは、聴けばすぐわかる。左チャンネルの、ちょっと濁ったラヴァーの太いラーセンの音がパーカー、右チャンネルのエッジのたった音がリーブマンだと思う)、途中、ふたりがソプラノに移り、それぞれのソロをたっぷり聴かせたあとドラムソロで2曲目につながる。ふたりはそのままソプラノによる演奏(こっちは逆に、太いのがリーブマンで、繊細なほうがパーカーだと思う)。即興だが、やはりモードジャズ風の後期コルトレーンをベースにしたようなフリーで、ドラムがポリリズムを叩き、それに乗って2本のソプラノがからみあう。やはり、その暴れかたはリーブマンのほうがトーナルセンターを想定して、それを中心にむちゃくちゃするという感じで、パーカーはいつものような己が道を行く即興を展開。どちらもかっこいいにもほどがある。3曲目はリーブマンのあいかわらず抽象的なプレイが、ドラムのブラッシュにのって、端正な吹奏で軽々と演奏される。ソプラノサックスを吹く技量として、完璧なテクニック。音色、アーティキュレイション、倍音表現……どれをとっても神の域でしょう。これはすばらしいです。おなじくソプラノの神であるパーカーに対してリーブマンがまったくべつのアプローチを行った、ということだ。そして、パーカーのソプラノも凄まじいの一言。こちらは気負いなく、いつもどおりの表現を貫いているのだが、それでも、というかそれがまさしくすごいのだからなにも付け加える言葉はない。ソプラノサックスというのは、かつてテナー奏者の持ち替えとみなされてきたが、もちろん今ではそんな扱いではない。しかし、一般のジャズファンには今でもそういうイメージでとらえられているのかもしれない。このアルバムのこの演奏を聴けば、ソプラノサックスという楽器が、テナーとはちがった全く独自の表現を持った至高のインストゥルメントだとわかると思う。途中で圧倒的な迫力のコレクティヴインプロヴィゼイションになるが(どちらかというとリーブマンのほうがアグレッシヴなチャレンジを行っているかも)、そのときもずっとドラムが的確な軽くて重いリズムでふたりをプッシュしている。メロディックな展開にもなり、協調と裏切りが交互に露出するが、ふたりともそのあたりの呼吸というか「この空気で自分はどうすべきか」を判別し、そこにもっとすごいものをかぶせてくる能力ははんぱではない。途中で両者ともテナーに持ち替えてパワフルな絶叫になる(たぶんリーブマン先発)。パーカーも、循環とかハーモニクスをあまり使わず、非常にストレートアヘッドなインプロヴィゼイションなので、「男気!」という感じで手に汗握る。やるなあ。ラストは、ドラムのマレットソロではじまり、リーブマンの「インディアン・バンブー・フルート」(ってなんだ?)のソロが乗っかる。こういうあたりは、サックスの技巧をきわめたリーブマンだが、こんな楽器を吹くときは我々と変わらぬ技量になるわけで、それをあえてやるというのがリーブマンのすごいところだ。このひとはフリーインプロヴィゼイションの精神をちゃんとわかっている。ソリストはパーカーのソプラノにかわり、かなり内省的かつ個人的な(つまりいつものような)即興が展開していく。ここの部分はパーカーのいつものアルバムと同じようではあるが(もちろんすばらしい。吹きのばし中心にフレーズを重ねていくあたりはほんとにすばらしい)、そのすぐ横にリーブマンが立っていて、そのプレイを聴いているという事実自体がテンションとなっているようにも思う。本当にすばらしいソプラノ演奏である。最終的にはリーブマンも(インディアンバンブーフルートはやめて)ソプラノで加わり、倍音のかぎりをつくす。そしてドラムソロのみ残って終焉に向かう……。なるほど、これは聴くべきアルバムだった。「パーカーとリーブマン? きわものやんけ」と思ったひとは悔い改めて、本作を聴くべし。なお、対等のリーダー作のような気もするが、ライナーにリーブマンが文章を寄せていて、共演したいけどしたことのないミュージシャンのリストのトップにいたのがエヴァン・パーカーで、旧知のドラマー、トニー・ビアンコの仲立ちでこの共演が実現した。ふたりともコルトレーンから影響を受けているので、このミーティングはロリンズとコルトレーンの「テナーマドネス」みたいなもんだ」と語っているので、一応、リーブマンの項に入れた(でも「テナーマドネス」とはほど遠い世界ですけどね)。

「LIVE」(TSUCIA IN JAZZ TIJ−LIVE−003)
DAVID LIEBMAN QUARTET/QUINTET

ライナーがイタリア語で全然読めんが、イタリアの「ツシア(?)・イン・ジャズ」というイベントかなにかでのリーブマンの地元ミュージシャンを率いた演奏。めちゃめちゃかっこいい。1曲目はリーブマンのフェイヴァリットナンバーのひとつと思われる「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」だが、太いリーブマンのテナーがときにアブストラクトに、ときにリアルに自在なフレーズをつむぎ、リズムセクションもそれに応えて変幻自在のプレイをする。リーブマンにちゃんとついていってるというだけで、このトリオのすばらしさがわかる。ピアノはソロもすばらしい。2曲目はソプラノで「オフ・ア・バード」というパーカーに捧げたリーブマンのオリジナルだが、痙攣するような細かいフレーズを重ねるリーブマンの演奏は「クエスト」を想起させる。まったくパーカー風でない、アブストラクトな演奏だが、そこがタイトルの由縁か? リーブマンって、ライヴでもこういうレベルのことを平気でやるからなあ。ピアノはリーブマンからバトンを受けた感じのソロで、ベースソロやドラムソロになってから、急にはっきりしたジャズになって、それはそれでかっこいい。3曲目は「ラスト・トレイン」。プレスティッジでのコルトレーンのアルバムのタイトルでもあるが、そのアルバムではそういった曲は演奏されていない。本作はベースの(あー、なんと読むのかわからん。ロッシグリオーネ?)のオリジナルで、軽くて明るいテーマの曲である。リーブマンもテナーで、スタンダードを吹くときのような軽さで淡々とプレイしているが、それがまたよし。しだいに力がこもっていき、テナーとピアノが俺も俺もと至芸を披露したあと、結果として本作中、2番目に長尺の演奏となった。最後のテーマのあとになだれ込むエンディングの強烈さも印象深い。4曲目はこれもリーブマンがよくとりあげる「オール・ブルース」。低音部をグチャアッと押しへしゃげていくような感じのテナーのキーワークに惚れ惚れする。豪快だが、これは信じがたいほどの楽器コントロールのうえに立っているプレイで、いやはやなかなかでけませんよ、これは。軽々とやっているので、たぶんフツーは気づかんだろう。5曲目「マスター・オブ・ジ・オブヴィアス」(明白の神?)はリーブマンのソプラノ無伴奏ソロによる演奏。まさしく至芸としかいいようがない。6曲目は、コルトレーンの「インディア」だが、ベースがもうひとり加わってクインテットとなる(ベースのロッシグリオーネ(?)の兄弟か親子だと思われる)。5分以上にわたってリーブマンがオカリナ的なフルートを延々と演奏するが、それが曲調にみごとにはまっている。そのあとおなじみのテーマがでて、リーブマンはソプラノを吹く。18分弱というかなり長い演奏時間だが、この手の、モロなモード曲はそれぐらい時間がかかってあたりまえ、というか、いや、これでも短いほうではないか、と思う。まず、ピアノソロだが、どうしてもマッコイ風になりがちなところを、ちゃんと歌心あふれる演奏で押し切っていて見事(バッキングのドラムもいい)。そのあとのリーブマンは(これがほめ言葉とは思えぬがほめ言葉なのである)まさにコルトレーンが乗りうつったような演奏。「俺がコルトレーンから学んだもの、長年ソプラノ奏者としてつちかった楽器への習熟、そのすべてを出しきるぜ」的な激しく、いきいきとしたプレイである。ドラムを中心とするモーダルなバッキングも昂揚に昂揚が重なる。あげくはドラムとテナーのデュオになり……ああ、どこかで聴いたようなパターンだな、と思うひとと、これだこれだこれですよとめちゃめちゃ盛りあがってしまう(私のような)ひとにわかれるとは思うが……これは黄金期のコルトレーンカルテットの物真似ですか? いいえ、ちがいます。そう断言させていただきます。

「DOIN’ IT AGAIN」(TIMELESS RECORDS SJP140)
DAVID LIEBMAN QUINTET

 ずっとなぜかエンヤだと思っていたが、タイムレスだったのか。この当時のリーブマンは、我々学生にとってはグロスマンやブレッカー、ボブ・バーグらと並んで人気があったが、そのなかでは一番内省的というか後に「クエスト」で開花する叙情的、耽美的な側面があり、その部分が個性となっていた。しかし、本作あたりではバリバリとテナーを吹いてくれているので、人気盤だった。この盤の翌年、まったく同じメンバーで「イフ・ゼイ・オンリー・ニュー」を吹き込むわけで、つまり完全なレギュラーバンドなのだが、それにしては超豪華なメンバーではありませぬか。日野さんとの2管はいいとして、ピアノレスでジョンスコがギター、ロン・マクルーアのベース、アダム・ナスバウムのドラムというレギュラーバンドは、当時のウディ・ショウグループと並ぶぐらい(今から考えれば)贅沢だ。とにかくこの5人は、本当の意味での丁々発止が終わらないようなぐらいとんがった音楽的やりとりがあって、興奮しまくる。当時同じようなあたりの音楽性だったと思われるランディ、マイケルが考え抜いたフレーズでそれまでより一段上の音楽を表現しようとしているのに対して、このリーブマン、ヒノ組は、もうちょっと自由でその場勝負なジャズっぽさがあったような気がする。アレンジはバシバシなのに、ソロは熱く燃えまくりで今聴いてもめちゃくちゃかっこいいよねー。A2のソプラノとトランペットの延々続くバトルなど、最高です。ギターソロも全曲すばらしい。A3はまさかまさかの大スタンダード「スターダスト」だが、多少のリハーモナイズっぽいことはされているが、かなり真っ正面から取り上げている。ここでの日野のソロは、そのあざとさとそれを完璧に表現するテクニックなどもぜーんぶひっくりめてすばらしいとしか言いようがない。このとき、ハバード、ウディ・ショウ、ランディ・ブレッカーと比較しても「世界一」のトランペッターだった……かもしれないぐらいすごい。彼につづくリーブマンのソロは、ほとんどフリージャズといっていいぐらいアグレッシヴで凄まじい。この大スタンダードが本作の頂点といえるかも。ラストの曲はネオバップ風の速いナンバーで、テーマのあとロン・マクルーアのアルコベースソロになるという構成がよい。そのあと、日野のソロのつぎに出てくるリーブマンのソロは、コードチェンジをきっちり押さえてそれに対するさまざまなアプローチをめまぐるしくつなげていくという、まさに教科書的な見事なソロ。教科書的というと悪い印象があるかもしれないが、そういう意味ではなく、ほんとに全部コピーして吹いたらかなりためになるうえ、エキサイティングで、かっこいいという、言うことなしのソロなのだが、これが途中でドラムとのデュオになると、突然フリーキーに暴れだす。その後またベースが入ると、ちゃんとしたソロになるという二重人格的なめちゃおもしろい演奏。なんど聞いても発見がある、大好きなアルバムです。

「IF THEY ONLY KNEW」(TIMELESS RECORDS SJP151)
DAVID LIEBMAN QUINTET

 前作の「ドゥーイン・イット・アゲイン」がニューヨーク録音だったのに対して、一年後のまったく同じメンバーの本作はオランダ録音。1曲目はいきなりゆったりした内省的な曲で、リーブマン好みやなあと思うが、1曲目にこれを持ってくるということが、本作に対するリーブマンの意図と意気込みなのだろうなあと思ったり思わなかったり。テーマのあと、すぐに出てくるジョンスコの変態的でシリアスなソロがいい感じ。このまま進行していくのかなと思わせておいて、突然訪れる凶暴なリフの嵐! 暴れまくるドラムに呆然としていると、リーブマンの圧倒的なソプラノソロになる。いやー、めちゃめちゃかっこええがな。この部分が聴きたくて、昔はA面ばっかり聴いてた覚えがあるな。2局目はジョン・スコの曲でテーマのまえにいきなりギターソロをかます。テーマはいかにも70年代という感じの曲で、リーブマンはテナーでアグレッシブなブロウを繰り広げ、つづく日野はのっけからハイノートのトリルをぶちかまして火に油をそそぐ。ええ感じやわー。3曲目は本作には参加していないリッチー・バイラークの曲でバラード。ベースソロがフィーチュアされたあと、ソプラノとラッパが交互に、あるいは同時にテーマに沿ったフレーズを切々と奏でていく。B面に移って1曲目はベースのロン・マクルーアの曲。手ごわい曲のなかに入ると、なんだかかわいいらしい曲のようにきこえるが、これもなかなかのごつい曲である。先発ソロの日野さんが最高にイマジネイティブで個性的なソロを展開し、ギターに引き継ぐ。2曲目は、「ドゥーイン・イット・アゲイン」でもそうだったように本作でも「どスタンダード」が一曲、真正面からとりあげられていて、それがこの「オータム・イン・ニューヨーク」である。ギターとデュオでリーブマンはその音楽性とテクニックのすべてをみせようとするかのごとく、シリアスな演奏に終始する。かっこいいったらありゃしない。サックスの高等技術も存分に示し、途中でフェイドアウトされるがたぶんこのあとえんえんと吹いていたのだろう。最後はモーダルな匂いのする曲で日野の攻撃的なソロ、ジョン・スコのうねうねがえんえん続くソロ、リーブマンの細かく神経の行き届いたソロとドラムとの壮絶なバトル、そしてそれらを鼓舞する最高のバッキングなど、もうずっと興奮しっぱなし。あー、ええアルバムや。この2枚は姉妹品なので両方聴いてくださいまし。

「FIRST VISIT」(PHILIPS RJ−5101)
DAVID LIEBMAN

 これは私にとってかなり大事なレコードで、リーブマンの初リーダー作(商業的な意味で)だが、リーブマンの膨大なアルバムのなかでもかなり上位に来るぐらい好き。ほんとは一番好きと言い切ってもいいのだが、いやいやそれはちょっといくらなんでも……という気持ちもどこかにあり、まあ、「かなり好き」ぐらいにとどめておくが、心の奥底では「一番好き」と言っているのだということをまず知っていただきたい(だれに言ってるの?)。こういうややこしいことを書くのはつまり、初リーダー作が一番好きということはあとは全部これより劣るのか、という意見がありそうだからだが、もちろんそんなことはない。しかし、真実の意味での初リーダー作(最初は自費出版)「オープン・スカイ」は、超シリアスだがけっこうしんどいというかだるい部分のある作品で(ほんとはそのまえに「ナイトスケープス」というリーダー作があるらしいが、見たこともないのでわからん)、リーブマンが最初の最初からこういう「クエスト」的な内省的志向があったことはたいへん興味深いが、この2作目(日本制作)「ファースト・ヴィジット」は「オープン・スカイ」とはまるでちがった、いい意味でのはじけた感じの作品になっている(ルックアウト・ファームはこれよりあとの吹き込みだっけ?)。そもそも、マイルス・グループで来日していたリーブマンと、スタン・ゲッツ・グループで来日していたリッチー・バイラーク、デイブ・ホランド、ジャック・ディジョネットのリズムセクションを組みあわせて一枚吹き込ませた日本のプロデューサーが偉すぎるのである。もちろんホランドとディジョネットはマイルスグループのまえのリズムセクションであり(リーブマンと来たのはアル・フォスターとマイケル・ヘンダーソン)、リッチー・バイラークはリーブマンの盟友だから、こりゃうまくいくだろうと思っても不思議はないが、千載一遇の同時来日というチャンスにかなり無理やり(深夜から朝まで録音したらしい。しかもなかには9テイクも重ねた曲もあったとか)録音したにもかかわらずこれほど凄い出来映えとなったのは、やはり彼らがまだめちゃ若く、やる気と体力と音楽的好奇心やチャレンジ精神に満ちていたからだろう。1曲目はバイラークの曲で、マイナー系のサンバみたいな曲。イントゥーのリズムで、マカロニウエスタンみたいな曲調だが、これがめちゃめちゃかっこいいのです。リーブマンのソロは爆発しているし、バイラークもバイラークとしかいいようがない演奏で、ディジョネットのソロもかっこいいうえに空間的というかすばらしい。たしかにコルトレーン的なのだが、初リーダー作からすでにコルトレーンから出発してちゃんと自分の音楽を作っている。2曲目はフルートによる曲で、デイブ・ホランドの作曲。ベースソロもたっぷり聴ける。こういう感じの演奏というのは、リーブマンがいまでも自分のなかに大きな面積をとっているタイプの、フリーっぽい叙情、みたいなかなりヤバい演奏で、一時はそういうやつばっかりだった。でも、それがこの初リーダー作から露骨に出ているというのもすごいことだよなー。フルートめちゃうまい。B面にいくと、1曲目はテナーとピアノのデュオで「ラウンド・ミッドナイト」。めちゃめちゃいい。ほんとにリーブマンとバイラークは合うなあ。かなり原曲を崩したテーマの吹き方なのだが、その音色とかいろいろな繊細な気遣いも全部含めて、非常に「骨太」な感じなうえ、原曲の「真夜中」というイメージもはっきりと伝わってくる。最高じゃないすか、これ? なぜか(全然タイプはちがうけど)ジョン・クレマーの「ネクサス」の同曲を思い出したりして。B2はリーブマンの曲で、ピアノレストリオによる演奏。リーブマンはソプラノを吹き、ディジョネットはブラッシュでひたひたとつける。リフっぽいテーマはちゃんとあるのだが、ホランドのベースラインは尋常ではないし、ソロが進むに連れて、テンポが好き勝手になる。そして、ディジョネットのブラッシュは異常な凄みがあって、自由自在である(テクニックもすごい)。つまり、4ビートをフリーにやった、的な演奏なのだが、それがこれだけうまくいくというのは、初顔合わせであるディジョネットとリーブマンがものすごく相性が良かったということだと思う。30年ぐらい一緒に演奏しているようなコミュニケーションがこの3人のなかにある。3曲目はベースとソプラノのデュオで、録音がややオフなのもいい感じ。フリーなバラードといった演奏で染みる。最後は、ドラムとテナーのデュオで、「インターステラー・スペース」というより、エルヴィンとコルトレーンがモードな曲のなかでふたりだけで対峙する場面を切り取ったようなタイプのデュオ。めちゃめちゃかっこいいっす。興奮しっぱなし。一応ちゃんとテーマもある。最後はハーモニクスの咆哮で決める。ひーっ、かっこええ! リーブマンはこの翌年、「ドラム・オード」という傑作を録音するが、いつもドラムにこだわるひとで、その経歴を見るだけで、本当に錚々たるドラマーをバックにして演奏している。というわけで、とにかく傑作なので、皆さんぜひ聞いてください。

「A TRIBUTE TO WAYNE SHORTER」(MAMA RECORDS MAA1047)
DAVE LIEBMAN BIG BAND

 デイヴ・リーブマン・ビッグバンドということになっているが、副題が「DIRECTED BY GUNNAR MOSSBLAD」「FEATURING THE ARRANGEMENTS OF MATS HOLMQUIST」となっており、実際は、アルトサックス奏者のグンナー・モスブラッドがリーダーで、「グンナー・モスブラッド・ビッグバンド・フィーチュアリング・ソロイスト・デイブ・リーブマン」というところではないかと想像される。リーブマンとギターのヴィック・ジュリス以外は(たぶん)全員ノルウェーのひとではないかと思うが(よく知らん)、非常に上手いバンドでアレンジもショーターのあの突拍子もないところや頭のおかしいような感じ、底知れぬ深さ……などを再現しているわけではないが、ショーターの曲のかっこよさに限っていえばちゃんとそれを損なわないような良いアレンジだと思う。リーブマンは、テナーは吹かずソプラノ一本で勝負しているが、たいがいの曲ではテーマを吹いており、そこにほかの楽器がオーケストレイションされてかぶっていく……という感じのシンプルなアレンジにしたのが成功した理由かもしれないし、そういう意味では「リーブマンが主役」という感は出ている。全曲リーブマンはソロをするが、ほかのメンバーもひとりずつぐらいフィーチュアされていて、みんな上手い(ドラムも)。ただ、リーブマンと比べると、リーブマンは鬼のような形相でソプラノをブロウしているさまが目に浮かんでくるのだが、ほかのメンバーはかなりクールで、そういった迫力とか鬼気迫る感じではリーブマンに二歩も三歩も譲ってしまうのが惜しい。また、リーブマンによるショーターの曲のテーマの吹き方が、どうも違和感のある曲もなかにはあって(たとえば「ブラック・ナイル」とか)、それはテーマの吹き方の解釈の違いだし、リーブマンの個性なのだと言ってしまえばそうなのだが、やはりそのあたりはむずかしいものがありますなー。リーブマンを聴く分にはめちゃ凄い、かっこいいアルバムです。また、本作を聴いて、ショーターの曲のすばらしさを改めて認識した。やっぱりショーターはすごいこのふたりがバトルしてるのを観に行ったなあ……としみじみ思ったりして。

「JOHN COLTRANE’S MEDITATIONS」(ARCADIA RECORDS ARCADIA JAZZ 71042)
DAVID LIEBMANN ENSEMBLE

 コルトレーンの曲をデディケイションとして演奏するテナー奏者は多いが、リーブマンは度が過ぎている。なんとあの「メディテイションズ」の再演である。アホやなあ、リーブマンは。だれがそんなもん聞きたがる……と皆は思うだろうが、ここにひとり、こうして聞きたがる人間がいるのだから、たぶん世界中のそういうひとを集めると相当の数になるはずだ。世の中には、後期コルトレーンというだけでクソ扱いするひとがいて困るのだが、私は「メディテイション」は大好きである。もちろんファラオ・サンダースがめちゃくちゃ暴れまくっているからだが、私の学生時代の先輩(とてもおとなしいひと)は「メディテイション」を聴いて一言、「音楽に宗教を持ち込むな!」と吐き捨てるように言ったものだ。昨今、「音楽に政治を持ち込むな」というわけのわからん議論があって、ミンガスとかマックス・ローチの例をあげるまでもなく、そそそそそんな馬鹿な……という話なのだが、宗教を持ち込んだらダメだというなら、ゴスペルとか全滅である。しかし、あのぐちゃぐちゃのドロドロのアルバムをよくも再現しようと思ったなあ、さすがコルトレーンマニアのリーブマンだけのことはあると感心したが、聴いてみて驚いた。ギターのヴィック・ジュリスを含むリーブマンのレギュラークインテットに、ビリー・ハート、セシル・マクビー、タイガー大越、カリス・ヴゼンチン(オーボエ)の4人が加わっている、つまり、2ドラム、2ベースなのだ。最初は、あの混沌とした雰囲気を忠実に守ったような、パーカッションとフルートではじまるが、サックスに持ち替えるころには、美しくも力強いテーマが現れ、「あれ? 『メディテイション』ってこんなにちゃんとしたいい曲だっけ」と思わずコルトレーンのオリジナルバージョンを聴きかえしたなった。透明感と凛とした芯がある曲ばかりではないか。タイガー大越のソロもすばらしく、2ドラムと2ベースが威力を発揮して、ド迫力のうねるようなリズム絵巻が展開するうえで、リーブマンが吠える。ときに荒々しくスクリームし、ときに内省的にアブストラクトなフレーズをつむぎ、ときにモードジャズのお手本のようなブロウを繰り広げる(4曲目のテナーソロを見よ!)。まるでリーブマンはコルトレーンとファラオの一人二役をしようとしているかのようである。ピアノソロのパート、オーボエソロ、ベースデュオ、ドラムソロ、ノイジーなギターとドラムのデュオ(5曲目)……などそれぞれに聞きどころもあって飽きない。コルトレーンのやつを聴いて尻込みしているひとも、全然怖くないからぜひ聴くべきシリアスかつエキサイティングな現代ジャズである。コルトレーンには「メディテイション・フォー・カルテット」という「メディテイション」よりまえに吹き込まれたカルテットだけでのアルバム(傑作!)があるが、あれを聴くと本作を鑑賞するヒントが得られるもしれない。みんな、コルトレーンの「メディテイション」に関しては、ファラオのぎゃーぎゃーというスクリームの嵐や、ラシッド・アリのバタバタしたドラム、やや滑稽な朗誦などに耳を引っ張られてごまかされているのであって、そこにはじつはこんなにすばらしい音楽が展開していたんですよ、とリーブマンが我々の耳の曇りを取っ払ってくれたのだ。コルトレーンはおそらく真剣にキリスト教的な瞑想を音楽でやってみようと思っていたのだろうが、リーブマンは(多少の宗教的な意味合いはあったとしても)それを純粋な音楽的素材として取り上げ、こういう風に再構築してみせた。たいした野郎ではないか(曲順もオリジナルとまったく同じ。しかもライヴ)。しかも、コルトレーン版ではエルヴィンもマッコイもたぶん、ボスであるコルトレーンの意図はわからぬままにやっていたと思うが、このリーブマン版では集められた演奏家は全員「メディテイション」という楽曲をどう演奏すればよいのか理解している。そういう意味ではこちらのほうが全員一丸となっての音楽的クオリティは高いといえるかもしれない。いやあ、どちらも正直最高なのだが、コルトレーンのやつはたしかに「ブルートレイン最高」「バラード泣ける」などといってるようなひとにはとっつきにくいと思うが、こちらは全ジャズファンがフツーに聴けるのでぜひ、尻込みせずに聞いてほしいです。傑作!