lee konitz

「INFANT EYES(THE MUSIC OF THE WAYNE SHORTER)」(PHILOLOGY W345.2)
LEE KONITZ MEETS CLAUDIO FASOLI

 こないだイタリアのピアニストとテナー奏者のデュオによるウェイン・ショーター集を聴いたばかりだが、あれも「インファント・アイズ」というタイトルだった。本作は、同じくイタリアのテナー奏者のクローディオ・ファゾーリ(さすがにこのひとの名前ぐらいは知ってたが、リズムセクションは全然知らん)が、尊敬するリーコニッツを迎えて作ったウェイン・ショーター集で(リー・コニッツトリオにゲストとしてファゾーリを加えた、と某レコード店の記載にあったが、逆です)、これまたタイトルは「インファント・アイズ」。イタリアでは今、ショーターブームが起こっているのか? さて、私にとってリー・コニッツやジミー・ジュフリーは、ビバップ〜クールジャズ期から活躍している白人サックスではあるが、ウエストコーストでもイーストコーストでもない、即興に重きを置いた、かなり前衛的な姿勢を貫いてきた創造的プレイヤーであり、享楽的な商品としての白人娯楽ジャズ(という言い方はきついけど)とは完全に一線を画す活動をする「えらいひと」という認識であった。でも、正直あまり好みではない。なぜなら……あの音がなあ……。リー・コニッツもジミー・ジュフリーも、なんでかわからんがへろへろの音を出す。へろへろといって悪ければ、ダメな木管的サウンド(これでもそうとう悪いが)とでもいおうか。やっぱり音の魅力がサックスの味わいのかなりの部分をしめていることを考えれば、いくらすばらしいプレイをしていても、音が嫌だからこいつきらい、というのはアリだと思うよ。コニッツやジュフリーを聴くたびにそう思う。エルヴィンとの「モーション」とかすばらしいからなあ。でも、やっぱり音が……。というわけで、前置きが長くなったが、本作はそのへろへろ度合いにいっそう磨きがかかっていて、アンサンブルもへろへろだ。同じくショーターの曲を取り上げてはいるが、こないだのサックス〜ピアノデュオのほうは、アレンジを大胆にほどこしたり、リズムやテンポをかえたりしていた。本作は……そのあたりも、よくも悪くもへろへろです。たとえば「ブラックナイル」。「ナイトドリーマー」に入ってるオリジナルと、イントロも含めてアレンジはほぼ一緒だが、テンポがのろい。おもいきってバラードとかにしてしまえばよかったのになあ。とにかく、ゆったり、というより、ゆるゆるだ。そして、フロントのふたりのソロもゆるゆるだ。おなじみのショーターナンバーを、とにかくへろへろのゆるゆるに変貌させた、という意味ではすごい作品かもしれない。四回、かなり真剣に聴いてみたが、やっぱり私にはいまいちよくわからん世界でありました。ファゾーリのリーダー作のように思えるが、タイトルも、メンバー名の記載もコニッツが上なので、一応コニッツの項に入れておきます。

「STANDARDS LIVE−AT THE VILAGE VANGUARD」(ENJA ECORDA ENJ−9609−2)
LEE KONITZ

 昨年(2015年)の12月は、リー・コニッツのインタビュー集をずっと読んでいたせいもあって、コニッツの作品を集中して聴いた。やはり一番すごいなあと思ったのは「デュエッツ」と「モーション」で、とくに前者は久々に聴いて、めちゃくちゃ感動した。こんなにすごかったっけと思った。で、本作はフロリアン・ウィーバーというピアニストをはじめとする若手トリオとの共演。コニッツは自分のバンドというものを持たず、そのときそのとき一番いいと思える現地のひとと共演するポリシーだそうだが、恒常的なグループを率いないというのは良い面も悪い面もあって、ここではそれが良い方に出ている。緊密すぎるほど緊密なコラボレーションのかわりに、緊張感があり、コニッツがつねに求めている「浮遊感」みたいなものが全編漂っている。コニッツは、とにかくベースには4拍でコードの音を刻むのはいいかげんにしてほしいと思っているらしく、ジャズマンの共通言語であるスタンダードを題材に、そこからいかにふわふわと遊んでいけるか、遠くまでいけるか、おたがいに聴き合ってなにか新しいものをその場で作っていけるかに命をかけているそうだが、まさにそういう演奏。1曲目の、コニッツファンなら「またか」と思う「ソング・イズ・ユー」にはじまり、おなじみのナンバーばかりが並んでいるが、コニッツがスタンダード(しかも、同じ曲ばかり)を取り上げるのはそういう意味があることなのだ。テーマも吹かなかったり、曲をバラバラに解体してまた組み上げるような作業を聴衆は聞かされるわけだが、コニッツはとにかく「メロディー」が一番重要だということをことあるごとに言っていて、それがあるからいわゆるフリージャズ的にはならないのだ。あいかわらず、独特の軽やかな、パッと聴いてコニッツだとわかるトーンで吹きまくるコニッツ。トリオとの相性も非常によい。多少、アルトの音がよれよれだろうと、フレーズがぎこちなかろうと、それらはすべて、コニッツが現場で生み出すことに命をかけていることのあらわれであり、考え込んだり、フレーズに行き詰ったりしているのも、クリシェを吹かないということの裏返しなのだ。彼は、そのときテーマや即興的に出たフレーズなどからインスピレーションを得て、自分のメロディを奏でる。それがコード的に原曲とかい離していても、すぐに反応してくれるピアノ(やベース)が必要であり、原曲通りのお決まりのコンピングをする共演者はまったくだめだ、みたいなことをインタビューでも言っていたが、そのとおりの演奏だ。この静かな、スタンダードばかりの、一聴地味なライヴのなかに、なんともいえないスリリングな世界がある。こう吹きたい、と思ってもそのとおりに吹けなかったりする場面も多多あるが、それが指癖でない彼のチャレンジなのだ。ほんと、すがすがしいです。

「LIVE AT BIRDLAND」(ECM RECORDS ECM2162)
LEE KONITZ/BRAD MEHLDAU/CHARIE HADEN/PAUL MOTIAN

 2009年のライヴ。豪華メンバー。コニッツが例のインタビュー本で賞賛しているミュージシャンばかりである。ヘイデンもモチアンも、コニッツ好みのコードチェンジから離れて「揺蕩う」感じを好むミュージシャンだが、そういうなかでブラッド・メルドーがどう弾くのかが興味深い(辛口のコニッツが、メルドーのことは何度も絶賛している)。選曲は相変わらずのスタンダードで、しかも、コニッツ好きなら「またか」と思うようなものばかり。このカルテットを聴いていると、4人が対等であるというのが非常にリアルな意味合いにおいて伝わってくる。つまり、4人での演奏部分でのインタープレイはもちろんのこと、ベースもドラムもサックスやピアノとほぼ同じ量のソロスペースを与えられることで、おのずと派手なソロではなく、内省的な演奏に向かわざるを得ないような空間ができあがっている。聞いていると、いやー、ここにジョージ川口を放り込んだらえらいことになるだろうなとか思ってしまうほど。これはもちろんリーダーであるコニッツが、そうすべきと思って、それをほかのメンバーにも求めているわけだろうが、彼が恒常的なコンボを持たなくても、(ほかの作品同様)コニッツの強力なリーダーシップが感じられる。(このなかでは若手といえる)メルドーも、もとのチェンジに忠実であったり、コニッツに合わせてそちらにどんどん展開していったりと、このグループの音楽性をはっきりわかっていて、完全に溶け込んでいるし、テーマ部分のバッキングを聞いてもそれはわかる。コニッツの音楽的なベースはやはりビバップだと思うが(ソロの随所に歌心のあるバップフレーズが顔を出す)、そこからどれだけ展開していけるのか、新しい歌を歌えるのか、を聴衆をまえにした場でもチャレンジしているこの老雄のみずみずしい演奏は我々に活力を与えてくれる。たとえばラストの「オレオ」など、ドラムとのデュオでゆったりしたペースではじまるが、その自由さ、ふわふわした感じなどは、文章では書き表しにくいぐらいの「揺蕩う」空気で進行していき、ジャズっていいよなあ自由で……と思わず思ってしまうような演奏で、これこそコニッツの神髄ではないか。コニッツはインタビュー本でショーターを、とくにプラグドニッケルでのショーターを大絶賛しているが、たしかにここでもそういう雰囲気はある(テンポも自由であるという点とか)。そして、音楽的にはどんどんコード分解的に展開していくのだが、それはB♭の循環という構造からは相当かい離して聞こえる。しかし、随所に「あ、今この部分をコニッツはやってるんだな」とわかるようなことも吹いてくれて、どれだけ離れてもスーッと戻るのだ。この感じ……ああ、わかるでしょ? この曲ではメルドーもそのあたりを心得たソロをしていてまるでコニッツがふたりいるみたいで凄まじい。コニッツが横で聞きながら目を細めているのが浮かぶようだ。――ほんまコニッツはええなあ。行け行けリー・コニッツ!

「THE LEE KONITZ DUETS」(MILESTONE RECORDS MSP9013)
LEE KONITZ

 コニッツの終生の傑作と思う。あのコニッツが67年という時期に録音したものとしては、異常なほど先鋭的なコンセプトであり、その後のコニッツにつながると大きな転換点となったレコーディングではないか、と勝手に想像している。人選がすごい。今見ても、うーん、なるほど、こう来たかと感心するようなチョイスである。この人選の時点で本作はすでに傑作になることを保証されたようなものだ。当時のコニッツが、カール・ベルガーやジョー・ヘンダーソン、エディ・ゴメス、エルヴィン・ジョーンズ……といったひととデュエットを行うというのは一種の冒険だったように思われる。逆に、デキシー系のマーシャル・ブラウンやスウィング系のレイ・ナンスとのデュオもべつの意味で冒険であろう。そういうことでいうと、リッチー・カミューカ、ディック・カッツ、ジム・ホールあたりとのデュオが当時のリー・コニッツとしてはいちばん順当な人選ではないか。ところが、これらのすべてが面白くなってしまったというところが凄いのだ。相手が前衛だろうがオールドスタイルであろうが気心が知れていようがいまいが全部をコニッツ色に染めてしまっている。これはこの録音時のコニッツのおそろしいほどの「やる気」が共演者に伝わったのだろうと想像される。とにかく「なにかが生み出された」レコーディングだった。コニッツも、かなりしっかりしたリアルトーンで吹きまくっていて、サックス奏者としての根本的な実力をまざまざと感じる。演奏もバラエティにとみ、1曲目のバルブ・トロンボーンとのデキシーナンバーではふたりが歌心を発揮し、最後にはコニッツのバリトンサックスとブラウンのユーフォニアムがダビングされて、ちょっとしたアンサンブルになっているか、これも効果的だ。ジョー・ヘンダーソンとのデュオでも、丁々発止と相手を刺激しあい、しまいにはかなりフリーな感じになってすばらしい(コニッツとヘンダーソンは案外似たタイプかも)。ヴァリトーン(サックスにオクターバーみたいなものを取り付けて、低音を出すやつ)でのソロも、すごいテクニックとフレージングで、今にしてみればこの変な楽器をコニッツがうまく使いこなし、戯れていることがわかる。エルヴィンとの相性の良さは「モーション」でもわかっていることだが(コニッツはテナーを吹いている)、カール・ベルガーともフリーな演奏での相性がよくて驚く。一枚のアルバムのなかでデキシーからフリーまでというこの振れ幅がめちゃくちゃ面白いのだが、しかもまったく違和感がないのだ。レイ・ナンス(ここではヴァイオリン)との演奏は、コニッツ本人が「あのときのレイ・ナンスはだれもとめることができなかったんだよ」みたいなことう言ってるぐらい、熱気うずまく、やる気に満ちたプレイ。ジム・ホールともかなり自由度の高い演奏で、聴けば聴くほど味わい深い、するめのような演奏。リッチー・カミューカとのデュオはレスター・ヤングへの捧げもので、たがいにレスターからの影響を露骨に出しながら、美味しいフレーズのオンパレード。最後にユニゾンのサックスソリをばっちり決める。いやー、何度聴いてもすごいアルバムですなー。コニッツの一枚といわれると、かなり迷うが、結局このアルバムということになるかもしれない。それぐらい好きです。

「STRINGS FOR HOLIDAY」(ENJA RECORDS CDSOL−6551)
LEE KONITZ

 コニッツのビリー・ホリディ好きはあのインタビュー本のなかでもかなり強く語られているが、いろいろなアルバムで繰り返し取り上げられている「ラヴァーマン」をはじめ、コニッツのレパートリーにはホリディがらみのものが多いのかもしれない(よく知らん)。本作は、ビリー・ホリディの愛唱曲を取り上げたというだけでなく、ウィズ・ストリングスという点が興味深いが、私はけっこう「ウィズ・ストリングス」というのは好きで、バード・ウィズ・ストリングスやアート・ペッパーの「ウインター・ムーン」は愛聴盤だ。だから本作もかなり期待したが、聴いてみると、なるほど、コニッツとストリングスというのは案外合うなあと思った。コニッツというと即興の鬼、みたいな評価があり、スタンダードもテーマを吹かずにアドリブに入ったりするので、ストリングスはどうよ、というひとがいてもおかしくはないが、こうして聴いてみるとすごくいい。もともとコニッツはメロディをもっとも重視していると常々言っているわけで、こうしてストレートにテーマを吹き、オーソドックスなソロ(といっても、やはりパーカーマナーではないな)をしみじみと吹く……というのはええ雰囲気である。コニッツの、クールトーンはとてもストリングスに合っていると思う。ストリングスのアレンジは、けっこう微妙な曲もあったりするような気もするが、私の耳がアホなので、そのへんはよくわからん。とにかくコニッツがこういう淡白で愛想のないトーンでメロディを吹くのがすごくいい感じである。そして、アドリブに命を賭ける的でないコニッツの演奏であっても、コニッツはコニッツだというのがやはりワンアンドオンリーのひとだと感心する。正直、ビリー・ホリディの曲ばかりやっているというのは興味深いけど、「コニッツとストリングスかあ?」と二の足を踏んでいたアルバムだが、廉価盤で出たので買ったのです。結果オーライ。よかったよかった。

「MOTION」(VERVE RECORDS VR−8339)
LEE KONITZ

 この傑作についてなにかをぐだぐだ書いても仕方がない。まあとにかく聴いてくださいとしか言いようがない。コニッツ自身が、あのインタビュー本で、もともとはマックス・ローチに頼んだのだがローチは契約があってアウトだった。そのときローチが、「エルヴィンがいいんじゃないか」と言ったらしい。コニッツはエルヴィンとやったことがなく、いろいろな噂を聞いていると「野人」のようなひとではないかと恐れていたらしいが、実際に演奏してみると「エルヴィンは野人どころか『天使』だった」とまで言っている。すごいじゃないですか。コニッツのような皮肉屋でネガティヴな性格のミュージシャンにここまで言わせるとは。でも、実際に聴いてもらえばわかるが、エルヴィンはまさに「天使」である。コニッツも言っているが、エルヴィンは実によく「聞いている」のだ。共演者の出す音をじーっと聞きながらそのときそのときの最良の判断をしている。そして、コニッツにこういうアグレッシヴなプレイができるとは思っていなかった、という意見がけっこうあったらしいのだが、これもちゃんと聴けばわかるが、コニッツはじつはそんなにアグレッシヴではなく、いつものコニッツなのだ。あいかわらず独特の、長いフレージングを一生懸命その瞬間瞬間に考えながらひねり出している。決してストックフレーズに頼らない。しかし、エルヴィンと一緒でも、オーバーブロウになっていない。クールである。しかし、そこにエルヴィンのドラムが加わると、とんでもなくスウィングし、活気にあふれ、いきいきとした演奏になる。このあたりがジャズの面白いところじゃないですか。そして、そのエルヴィンにしても、コニッツに合わせて音量を抑えているとか、いつもよりちゃんと合わせている、とかそういったことは(私には)あまり感じられない。このエルヴィンはいつものエルヴィンだ。正直言って、エルヴィンについては、仕事として相手(の力量)に合わせたな、という演奏はいっぱいあるわけで、このコニッツとの共演は逆で、ちゃんとやりたいようにやっていると思う。だから、ちゃんとおたがいに聴き合えばこういう風になるのだ。コニッツは、アート・ブレーキーが嫌いらしく、おたがい聴き合って、なにかを作っていこうよ、まず、私の吹くフレーズを聴いてくれ……といいながら演奏しているのに、いきなりこちらを聞かずにドカドカドーン! とぶちかまされてもね、ということらしい。やはりブレイキーとエルヴィンではドラマーとしての資質がかなりちがうということなのだろうな。なんとなくわかります。それにしても本作のエルヴィンは凄い。唖然とするようなすばらしい反応があちこちにあって、ほんと美味しい。というわけで、大傑作となった本作は、本当にジャズの宝であって、永久に聴き続けられるべきアルバムであると思う。なお、ドラマーを変えたテープも見つかっていて、「モーション完全盤」としてリリースされているが、コニッツはそちらの演奏も気に入ってるらしい。でも、やっぱり分けて聴いたほうがいいような気もする(その演奏は私はまだ聞いていません)。

「LEE KONITZ WITH TRISTANO,MARSH AND BAUER」(PRESTIGE RECORDS UCCO5204)
LEE KONITZ

 今の耳で聴くと、このアルバムは普通に聞こえるかもしれない。たしかに名演だが、そんな「どひゃーっ」というようなものではなく「普通に名演」ぐらいじゃないですか……という意見もあるだろうが、このアルバムが吹き込まれた当時、つまり49年から50年あたりだと、「どひゃーっ」だったと思う。なぜか。まあ、いろいろ要素はあって、ひとつではない。まず、コニッツの音だが、非常にストレートでノンビブラートである。軽い、とか、細い、というのとはちょっとちがっていて、色でいえば白い絵の具で線を引いている感じだ。コニッツは、インタビュー本によると、ビブラートが大嫌いで、ああいうのは感傷的な演出だというのだ。アーティキュレイションも、ビバップ特有の、タンギング、ハーフタンギング、音のダイナミクス……などなどによるメリハリがほとんどなく、といって、アーティキュレイションはすごく整っていて、フレーズがドライヴしている。このドライヴ感はかなり強烈で、こういう演奏をして「クール」という言葉はあまりふさわしいとは思えない。とにかくパーカーとは逆の音、アーティキュレイションであることはまちがいない。そしてそのフレーズは、このころのトリスターノ派に共通だが、非常に息の長いもので、ワンフレーズがかなり長尺である。そしてフレーズ自体も、パーカーと同じようにコード分解から来ているにもかかわらず、あまりパーカー的(つまりビバップ的)ではない(まったくパーカー的ではない、というと語弊がある。パーカーっぽいフレーズもあちこちにある)。これは、方法論としてはバッパーと同じくコード分解をしているのだが、そのとき生み出すフレーズが彼ら独自のものだったということだと思う。パーカーたちのフレーズをコピーして吹いてるだけのビバッパーとはまるでスタンスがちがう。そして、その「息が長い」フレーズが、どこからはじまってどこで終わるのかも、通常の譜割りとはちがっているが、これはパーカーも同じようなことをしている(ほかのバッパーは、しない。たぶん、できないのだ)。でも、これは私の推測だが、パーカーは天才的な直感でそれをやってるのに、コニッツらはわざと、効果をあげるためにやっている(緊張感を高めたり、異様な雰囲気を出すためとか)と思う。そして(そしてが多いなあ。すまん)、彼らは曲のコードをきっちり縫うようにアドリブをしているのだが、裏コード、代理コードなどをガンガン使い、吹いたフレーズからのインスピレーションでどんどん展開していって、もとの調性から離れていくような浮遊感をよしとしているような気がする。そのあたりは結局即興するがわの好みの問題だが、コニッツたちはそれを徹底しているために、かなり変なフレージングに聞こえる(そこがかっこいいのだ)。後年、コニッツはもっともっとそのあたりを押し進めて、どんどん好き勝手に吹くようになっていくが、あくまでコードチェンジや吹いたフレーズを発展させていっているのでフリーというのとはちょっとちがうと思う。そして(またそしてや)、よく対位法的というが、たしかにアドリブ中のたがいのからみがものすごい。よくもまあ、ここまでコントロールしたアドリブができるなあと思う。ただただ熱くなるような演奏では、ぜったいこうはならないので、そのあたりをして「クール」と呼んだのだったらわかる。あと、コニッツもトリスターノもマーシュも、めちゃくちゃスウィングしているので、この演奏を「情念のない、機械のように冷たい演奏だ」とか評した評論家はアホだということになる。本作は、日本盤では「サブコンシャス・リー」という題名になっているが、本来は上記のタイトル。もともと、コニッツのリーダーアルバムではなくトリスターノ名義だったが、それはコニッツがリーダー扱いを嫌ったからだとか聞いた(つまり、コニッツの実質リーダー作ということ)。あと「サブコンシャス・リー」という曲名も、コニッツがつけたものではなく、プロデューサーがつけたものらしい(「ファット・イズ・ディス・シンク・コールド・ラヴ」の進行による曲だけど、かっこいいっすねー)。とにかく名演ばかりなのであります。でも、一曲が短いから、ぼーっと聴いてるとすぐ終わってしまうので、かなり真剣に耳をそばだてて聴く必要あり。ほとんどコニッツやトリスターノのオリジナルばかりで、同じスタンダードばかり繰り返して演奏する後年のコニッツからは考えられん。いやー、たまに聴くとつかれるけど、やっぱりすごいよねーこのアルバム。

「SWEET & LOVELY」(KING RECORDS KICJ2472)
LEE KONITZ & CHARLIE HADEN

 コニッツというひとは、ちゃんと4ビートを刻んだり、今コードはこれだよ、と示してくれるようなベーシストは大嫌いだそうで、そういう意味でもヘイデンとは相性ばっちりである。例のインタビュー本でもヘイデンのことは好きだと言っていた。これはそのヘイデンとのデュオで、まさしくコニッツのやりたいことは結局これなのだな的な演奏ばかりである。つまり、素材はよく知っているスタンダードで、そこからどれぐらい離れられるかを試すような、しかも、フレーズのひとつひとつはオリジナルコードからは遠いが、オリジナルコードを根底に置いたものでなくてはならないし、その展開のしかたも、即興性によって生まれたメロディーがつぎを生む……という風でないとならず、突拍子もないフリーなものはダメ……みたいな、コニッツの美学があって、デュオなのでまったくもってそれに沿った形での演奏になっている。二人しかいないので、サックスソロ以外は全部ベースソロになるし、こういう内省的な演奏だし、コニッツの音はけっして派手な、説得力のあるトーン(つまり、音だけ聴いていて心地よいタイプというか)とはいえないので、ぼんやり聴いていると全然面白くない。ヘイデンというひとは、たとえばレッド・ミッチェルとのデュオみたいに、ベースが美味しいカウンターフレーズを弾きまくり、ぐいぐい好サポートをしてソロイストをドライヴさせる……みたいなことはないし、自分のソロでのテクニックで聴衆を唸らせる……といったこともないので、そのラインをよく聴いていないと面白さが半減である。というわけで、かなり真剣に聴くべき演奏ではあるが、逆に、ちゃんと対峙して聴けば、その面白さはスルメみたいにどんどんあふれてくるタイプの音楽である。選曲は、手垢がついたといったら言い過ぎかもしれないが、相変わらずの曲ばかりだが、それらが新鮮に蘇り、そこから魔法のように新しいものが引き出されていく過程がとらえられたアルバムである。客の反応も、演奏が終わると、一瞬遅れて、「え? 終わったの?」という感じで拍手が来るように聞こえるけどなあ。

「LEE KONITZ INSIDE HI−FI」(ATLANTIC RECORDS WPCR27081)
LEE KONITZ

 私なんぞがここでガタガタいうようなものではなく、とんでもない名盤である。私はコニッツはどの時代のものも好きだが、やはりこのころのやつは「音」がほんとにしっかりしていて、クールというより超ホット。しっかりした芯のある、めちゃくちゃええ音(とくにテナーにおいて顕著)そして、ものすごーく長いワンフレーズ。もちろんそれはトリスターノの影響によるものだろうが、このころはそれがもっとも顕著で、ある意味完璧というかコード分解によるアドリブラインのお手本のようなフレーズが延々紡ぎ出される。しかも、それらは「譜面を吹いている」ようにではなく、あくまでホットなその場の即興感がある状態で吹かれるので、ドライヴ感もあるし、スウィングもしている。そしてさっきも書いた「音色」がすばらしく、ほれぼれする。ただ、コニッツは8分音符の吹き方がほぼイーブンで、しかもたいがいのビバッパーが駆使するハーフタンギングをほぼ使わないので、非常にべたーっと、淡々とした調子(つまりクール)に聞こえてしまうのかも。この時期のあと、コニッツはどんどん変になっていき、同じ曲しかやらないし、音はヘロヘロ、フレーズもその場の思いつきでどこまで高みにいけるか……みたいな、孤高の、いろんなことから超然とした「即興の神」みたいになっていくわけだが、本作ではそうなるまえの姿が聴ける。たぶん一般的なコニッツ像はいまだに本作におけるようなものだろうと思う。でもねー、今はとにかくむちゃくちゃになってますからねー。すごいんだからねー、コニッツは。とにかく本作でのコニッツのソロはもう見事見事見事のひとこと。何度聴いてもあらたな発見があり、さまざまなアプローチ(単純なものから、そうとうハイレベルなものまで)がさりげなくちりばめられており、それらが歌心のなかに折り込まれていて心憎いばかり。帯に「数曲でテナーを吹いているのも注目」みたいなことが書かれているが、実際には8曲中5曲でテナーを吹いており、どちらかというとテナー主体のアルバムである。なぜコニッツが本作でここまでテナーに比重をかけた演奏をしているのかはよくわからん。「コニッツは好きだけど、あのアルバムはほとんどテナーばっかりらしいから聴いてない」みたいなひとがいたら、ぜひ聴くことをおすすめします。コニッツのテナー、マジでいいよ。共演者もビリー・バウアーを筆頭に好演していて、それらを聞く楽しみもある。傑作です。あと、日本語ライナーは半分以上を曲が何小節でワンコーラスで形式はAABAでソロはアルトが何コーラスで……みたいな、解析でもなんでもないことにひたすら費やしているが、まったく無駄ではないのか。そういうことは普通のリスナーはまったく関心がないし、関心があるひとはわざわざ教えてくれなくてもだれでもわかるようなことだからである。なぜこういうことを延々と書いているのだろう。それともこういうことを知りたい、という需要があるのだろうか。うーん……。

「LEEWISE」(STORYVILLE RECORDS CDSOL−6962)
LEE KONITZ

 92年録音の大編成ものだが、めちゃくちゃ良かった。リー・コニッツは自身のノネットでの意欲的な活動でも知られているが、本作はそれとはちがい、コニッツがデンマークの「ジャズパー賞」というのを受賞した記念として、デンマークのミュージシャンを集めた臨時編成のラージアンサンブル(ノネット)とコニッツが共演したもので、編曲はサックスのイェンス・ソンダーガードが行っている。かなりの曲をコニッツゆかりのナンバーが占めているが、1曲目の「パートアウト」という曲の冒頭のコニッツの無伴奏ソロの引き締まった音を聴くだけで、コニッツのこのライヴへの意欲がわかろうというものである(もし、ソンダーガードのアルトだったらすまん。でも、コニッツが主役のアルバムの1曲目のド頭で、コニッツ以外のアルトが無伴奏ソロをするとか、ありえるかね?)。コニッツは、最近、音がへろへろで、それがまたよしなのだが、この作品での力強い音を聴くと、うーん、やっぱりな、と思った。それはつまり、あのへろへろな音はわざとだということなのだ。揺蕩うようなインプロヴィゼイションの海を漂っていたいとき、コニッツはあえてああいう音で吹いている。しかし、こういうきっちりしたアンサンブルとの共演でサイズも決まっているときは、これだけの圧倒的な音で吹けるのである。2曲目の「アローン・トゥギャザー」ではまさにトゥギャザーしてるぜ的なリーダーのソンダーガード(ライナーノートではソンダーゴーと表記されているが、同じCDのなかぐらい統一したほうがいいのでは?)とのアルトデュオが聴けるが、これがまた超絶的に美しいのである。3曲目は当時の自分のバンドのピアノだったペギー・スターンとのデュオで「ボディ・アンド・ソウル」だが、手垢のつきまくった曲をあえて取り上げてまったく新しいものにするのはコニッツがずっとこだわっているところである(このピアノの名も日本語のメンバー表にはクレジットされていない。ほんまええかげんやね)。このデュオがめちゃくちゃすばらしくて、もう聞き惚れるのみ。タイトルにもなっている4曲目はアレンジも絶妙で、ラストのコニッツによるエンディングもすばらしい。5曲目はベースのアルコとのデュオで、いかにもコニッツが好みそうなセッティング。6曲目はおなじみの「サブコンシャス・リー」で、アレンジもいかにも「ビバップ!」という感じでかっこええ。トランペットソロもええ感じ。7曲目はまたまたペギー・スターンとのデュオで、相当浮遊感のある演奏。コニッツの面目躍如。8曲目は、なぜか突然、女性による朗読(?)が全面的にフィーチュアされる(最後は歌う)。これがすごくいい雰囲気でアルバムのなかでも浮いてないし、デンマーク感もある。不思議。9曲目はコニッツとトランペットのデュオ。これもふわふわした即興だが、フリーという感じではなくどことなく筋は通っている。10曲目はコニッツバンドのピアニストでさっきからデュオをしているペギー・スターンの作曲・アレンジによるノネット作品なのだが、このノネットでピアノを弾いているのはブッチ・レイシーというひとなのでややこしい。11曲目はまたアルトデュオ(超短い)。そしてラストはかなり真っ向勝負なアレンジの「スターダスト」。コニッツのアルトとトランペット(フリューゲル?)が絡み合うところなどめちゃかっちょええ。この曲でラストがギュっとしまった。全体にアレンジはいいし、コニッツもやる気まんまんだし、ところどころに挿入されるメンバーとのデュオがいい感じで箸休めになってるし、いやー、これは名盤じゃないでしょうかね。ものすごく気に入りました。

「LEE KONITZ WITH WARNE MARSH」(ATLANTIC RECORDING COMPANY WPCR−27027)
LEE KONITZ

 リー・コニッツについてはかなりいろいろ聞いてきたわけだが、ウォーン・マーシュについてはあまりよく知らない。リーダー作も2枚し聞いたことはない。演奏についても、音がか細く、よれよれっとした音色で、ピッチがやや上ずり気味ということぐらいしかわからん。コニッツのインタビューなどを読むと、トリスターノはひとまえでプレイをしすぎる(?)ことについて弟子たちをいましめていたそうで、本人もそうであったように、音楽教師を主な仕事にして、ライヴなどはいいメンバーでいい環境で行えるときのみにしたほうがよいと考えていたようだ。コニッツは、金も欲しかったが、なにより「演奏したい」欲求が激しくて、師の意に反していろいろなひとといろいろなところでギグを行ったが、マーシュは師の教えを守り、基本的には音楽教師をしながらたまに演奏していたようだが、それもそのはず、とてつもない大金持ちのボンボンなのである。というようなことを考えながら本作を聴くと、また新しい発見があるのではないか。一曲目「トプシー」からコニッツは音色といいフレージングといいアーティキュレイションといい完璧すぎるほど完璧なソロを展開。まるであらかじめ書かれた譜面を見ながら吹いているような8分音符の見事な並びかた。しかも、ちゃんとスウィング感と即興性が感じられるのだから、文句はありません(あとは聴き手の好みの問題であるのは言うまでもない)。マーシュも、基本的には同じような感じだが、高音部を中心に吹くのでテナーっぽくない。そこが倒錯的でよい、という気もする。コニッツよりもマーシュのほうが8分音符がずらーっと並んだ感じではなく、リズム的にもバリエーションがあるアプローチかも。あと、このころのコニッツに比べると、マーシュのほうが、ソロの途中で考えながら吹いているような臨場感もある。後年コニッツが臨場感の鬼みたいな変貌したことを考えると面白い。どの曲も2管のからみがちょこっとあり、なかなか盛り上がるのだが、やはりそれぞれのソロパートを聴くべきアルバムだと思う。とにかく興奮して吹きまくる……みたいなことはなく、というか、そういうことをできだけ抑えよう抑えようとして冷静に即興を続けている感じだが、その根底には熱いブロウ魂があることは疑いがない。マイケル・ブレッカーが「機械のようで冷たい」などと馬鹿なひとたちによって評されたのとおなじで、コニッツやマーシュが、新しいことをやろうとしていたその挑戦の魂は煮えたぎっていたに相違ないのです。アルトとテナーのユニゾンでテーマが奏でられる「ドナ・リー」も、コニッツ、マーシュともにときどき詰まりながらも新しいアイデアを出そうとしてがんばっているが、やたらと手こずってるというか手に汗握る(なんとなく聞いていてはこの「手に汗握る感」というかハラハラ感はまるでわからないと思う)。最後のテーマはよれよれだ。「トゥー・ノット・ワン」という曲はテンポは同じぐらいなのに打って変わって両者ともすばらしい演奏で、ラストにはわけのわからない長尺のユニゾンがある。「ドント・スクォーク」というのは、ベースソロからはじまるスローブルースで、ブルースには距離を置いていると発言しているコニッツがどういう演奏をするのか興味深かったが、本人は否定していたがブルースフィーリングあふれるしみじみとしたソロでした。ただ、リズムは基本的には画一的で、ほかのミュージシャンならリズム的にも強調するであろう音を軽くスルーしたりするのは、そういう美学なのか、照れなのか。ほかの曲も、やはり基本はバップで、パーカーとはちがうアプローチでバップを表現しようとした試みが彼らの(当時の)演奏だと思うが、やはり大きな枠組みとしてはパーカーと酷似している。いくら、音色が軽かろうが、リズムが淡々としていようが、パーカー的である。全体にオスカー・ペティフォードのベースとケニー・クラークのドラムが安定したねばっこさとはじけかたで作品に躍動感を与えている。