roland kirk

「VOLUNTEERED SLAVERY」(ATLANTIC 40042)
ROLAND KIRK

 この世の物とも思えぬ、狂乱の音絵巻である。もし、このライヴの場にいあわせていたとしたら、私は脳の奧の奧にまでくさびを打ち込まれたぐらいの影響を受けて、その後の人生が狂ってしまっていただろう。そう思うと身震いを禁じ得ない。コルトレーンの生を観てしまった坂田明のようなものだろう。しかし、私は幸いにも、このライヴの場にはいなかった。ある意味残念だが、こうしてディスクで体験できるというのは、ある程度距離が保てる分、安全である。とにかく凄まじい演奏で、A面一曲目の表題曲からB面ラストの「スリー・フォー・ザ・フェスティバル」まで怒濤のごとくつながるこのアルバムは、途中で聴くのをやめることができない。A面はスタジオでB面はライヴなのに、まるで違和感がないのもすごい。こんなことができるのは人間業ではない。神か悪魔である。人間が挑んではならない領域だ。カークのことをグロテスクジャズの魔神と呼んで、非難を浴びた評論家がいたが、私はその名称、すばらしいと思う。グロテスクジャズの魔神……めちゃめちゃかっこええやん! 魔神か怪物でないと不可能と思えるほどの、聴き終えるとへとへとになるぐらいの、膨大なエネルギーがここには詰まっている。凄まじい集中力。これは、半身不随にもなるわ、と納得してしまう。スティーヴィ・ワンダーやバカラックのポップなナンバーも、コルトレーンの曲も、自作曲も、すべてをカーク色に染め上げてしまうこの強引かつパワフルな力業! 音楽というものは今後どうなっていくのでしょう、未来の音楽はどんなものなのでしょう……という問いに対して、私はこのアルバムをどーんと示して、「これが究極です」と言い切ってしまいたい……そんな気持ちにすらなる、天上の音楽であります。

「BLACKNUSS」(ATLANTIC SD1601)
RAHSAAN ROLAND KIRK

 学生のとき、先輩の下宿で聴かせてもらったとき、口があんぐりあいて、涎がだらだら……そんな状態になった。三分ほどの短い一曲目「エイント・ノー・サンシャイン」を聴いただけで、ビビビビビビッと全身に電撃が走った。つづく「ファッツ・ゴーイン・オン」はどんなミュージシャンのカバーよりも凶悪なバージョン。「ワン・ネイション」における女性ボーカルもすさまじく、いやー、完璧にはまりました。その後、某輸入レコード店でカットアウト盤を見つけたときはうれしかった。以来、大事に大事に聴き続けている。A面は、短い演奏がぎっしりと幕の内弁当にように詰まっていて、B面は四曲にしぼってたっぷりとカークのロングソロを堪能できる仕掛けになっているが、どちらもタイトルどおり「ブラックナス」に満ちたカークの世界で、通して聴いていると、骨の髄までどっぷりと漆黒で超ファンキーでずるずるで大迫力のカークの音楽性と自分がひとつになり、まるで「俺がカークか、カークが俺か」状態になる。それほどの麻薬的な、それもマリファナとかではなく超強力なドラッグのような最高の「音楽」である。

「THE INFLATED TEAR」(ATLANTIC SC1502)
ROLAND KIRK

 亡くなった大原さんが表題曲をよく演奏していたが、トロンボーンのワンホーンでやると、またちがった味わいがあった。とにかく、カークのエッセンスともいうべきアルバムで、一曲一曲はまとまっているが、そのなかにぶちこまれたカークの音楽性は、聴けば聴くほど、深く、深く、また深い。曲もええなあ。一曲(エリントンの「クレオール・ラヴ・コール」)をのぞき全部カークの曲。ほんまええ曲書くわ。カークでベスト3を選べといわれたら、「ヴォランティアド・スレイヴァリー」「ブラックナス」「天才ローランド・カークの復活」を挙げることになるが、本作は次点ということで。今挙げた3枚のような、あらゆる音楽をごった煮にして、黒一色に塗り替え、そのうえにおもちゃをひっくりがえしたような狂乱の音世界……というわけではないが、その分、カークの原点ともいうべき、ブルースとオールドジャズのルーツが浮かび上がる、そんなしみじみとしたアルバム。傑作です。

「LEFT AND RIGHT」(ATLANTIC 40235)
ROLAND KIRK

 このジャケットもかっこいいんです。オーボエ(?)とストリッチ(?)を同時にくわえるカークの横顔。アトランティックのカークはどれを聴いてもいいが、本作は多くの傑作、怪作の陰に隠れて、あまり有名ではない。でも、たまに聞き返すと、やっぱりいい。短い一曲目は完全に「つかみ」としての役割を果たし、つづいてはじまる、いろんな意味で思わせぶりな、20分近い組曲に導入される。映画音楽風にはじまるこの曲は、おそらくカークのさまざまな音楽経験を凝縮して、ドラマ仕立て(?)にしたものなのだ(そうかあ?)。いろんなミュージシャンが参加しているが、アリス・コルトレーンがハープで参加しているのが目をひく。B面は、めずらしくカークの曲が一曲だけで、あとはさまざまなミュージシャンの曲が5曲。このあたりも、ひじょうにコンセプトアルバムであることを感じさせる。カークがこの作品でなにをいいたかったのか、それをゆっくり考えながら聴くのがベスト。

「INTRODUCING」(ARGO LP669)
ROLAND KIRK

 初リーダー作と思われているが、もちろん「トリプル・スレッド」(アーリー・ルーツとかサード・ティメンションというタイトルでも出回ってるアレ)のほうが先。これは2作目である。テナーとラッパの両刀遣いの、アイラ・サリバンがフィーチュアされているが、ブラスとリードを吹く、ある意味変態であるサリバンが、カークのまえに完全にかすんでしまっている。それぐらい、カークの毒というか音楽は、この二作目においてすでに全開バリバリになっている。すごいよなあ、この時点でまだ若干25歳。60歳ぐらいに老成しているようにも聞こえるし、5歳の子供のようにも聞こえる。キャリアのいちばん最初から、生涯スタイルを変えることもなく、完成されていたことがわかる。やはり、天才というのはカークのためにある言葉だろう。ちなみに「ソウル・ステイション」という曲はもちろんモブレーとは関係ありません。

「FUNK UNDERNEATH」(PRESTIGE 7450)
ROLAND KIRK WITH JACK MCDUFF

 オルガンのマクダフとの共演だが、「イントロデューシング」の翌年にあたり、カークとしてはデビュー間もない時期のアルバム。もうちょっとあとでの共演なら、おそらく互いの音楽性を理解したうえでのがっぷり四つになり、かなりちがった展開になったと思われる。オルガン相手のカークということで、ぎとぎとのぎらぎらのずるずるのブラックミュージックが展開されているのかと思いきや、意外なほどあっさりしており、意外なほど「ジャズ」である。しかし、カークはいつもどおり、自分の音楽を最大に発揮して、相手に合わせようとか、個性を控えようとかいった気持ちはかけらもない。選曲でも、こんなセッティングで「スケーターズ・ワルツ」をやるのはカークだけでしょう。うちにあるのは偽ステの再発だが、オリジナルはもちろん「カークス・ワーク」だが、「カークス・ワークス」(ディジー・ガレスピーの「バークス・ワークス」にかけた名前?)というアルバムもあるので混乱する。しないか。

「WE FREE KINGS」(MERCURY RECORDS SR60679)
ROLAND KIRK

 このジャケット、かっこええよねー。三本くわえて吹く横顔だが、ラーセン(たぶん)のメタルがかっこいい。中身も、ラーセンのマウピとおなじように、なんだかギラギラした銀色のイメージがある。おなじみの「スリー・フォー・ザ・フェスティバル」(のちの激演にくらべると、テンポが遅くてゆったりしている)ではじまり、オリジナルを中心に、パーカーの「ブルース・フォー・アリス」もやっている(ちゃんとバップになっているところがカークはすごい。ほんと、耳で聴くだけでなんでもできるのだ)。スタジオ録音としてはかなり暴れているほうだが、後年の演奏にくらべるとおとなしい。しかし、「イントロデューシング」などと同じく、この時点で完全にカークの音楽性が完成していることがわかってすごい。このアルバムの段階で死んだとしても、おそらくものすごい評価を受けたであろうカーク。それがこのあと、あそこまでの高見に達するとは誰が予想しただろうか。カークミュージックのエッセンスが詰まった一枚。

「DOMINO」(TRIP JAZZ TLP−5503)
ROLAND KIRK

「ドミノ」はエッセンスだ(このフレーズ、多すぎるか?)。一曲目、いきなりポップなマイナーチューンである「ドミノ」が淡々としたエキゾチックなムードで演奏され、それがアルバムの雰囲気を決定する。なんか、よれよれの「ドミノ」なのだが、その枯れ具合というか、よれよれ具合がいいんです。何度も繰り返し聴きたくなる。カークはそういうあたりのさじ加減をちゃんとわかっていた男で、テナー豪快にフルトーンでぶりぶり吹きまくるのだが、マンゼロやストリッチはへなへなな音でも全然気にしていなかった。とにかくバラエティ番組なのだ。音色もいろいろあるのだ。そういうことをカークの音楽に触れて、我々は理解させてもらうのだ。ピアノがアンドリュー・ヒルだったりウィントン・ケリーだったりするが、カークはサイドマンに関係なく、自分の流儀をつらぬく。うちにあるのは、オリジナルジャケットが小さく入った再発盤だが、やっぱりジャケットだけでも元のままにしてほしいなあ。

「BOOGIE−WOOGIE STRINGS ALONG FOR REAL」(WARNER BROS.RECORDS BSK3085)
RAHSAAN ROLAND KIRK

 カークは、倒れてから何度か復帰しているが、これは最後のアルバム。半身不随なので、片手でしかサックスを吹けず、トレードマークの3本まとめ吹きもできない状態であったが、それでこんなめちゃくちゃすごいトータルアルバムを作ってしまうのだから、やはり天才である。多くのミュージシャンが、死ぬ間際に吹き込んだレコードでは、衰えをさらけ出してしまうものだが、カークに関しては、これが死ぬ直前? と、こちらがびびってしまうほどの大活躍をみせていて驚く。たしかにカークのテナーの音は、倒れるまえに比べると力がなく、しょぼいかもしれない。だが、それがなんだ。新しいものをクリエイトしようとする異常なまでの執念がレコードの溝からマグマのようにぐつぐつとたちあがってくるではないか。本作は、カークの古いブラックミュージックへのデディケイトだとのことだが、カークの作品はデビュー作以来ずっとそうなのだといっても過言ではない。死ぬ直前の遺作など悲しくて聴けない、というのがふつうかもしれないが、私はこのアルバムが大好きである。半身不随のカークが、テナー、ハーモニカ、エレクトリック・カリンバ(なんやそれ)、クラリネット……を持ち替えで吹く。それだけでも感動だが、とにかくそんな雑念をはぶいても、このアルバムは楽しいし、かっこいい。「イン・ナ・メロウ・トーン」「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」「サマータイム」といったスタンダードや、オリジナルもいいのだが、とくに「メイク・ミー・ア・パレット・オン・ザ・フロア」というボーカルものの曲がいい。ギターがなんとタイニー・グライムズというのもいい人選ですね。

「THE CASE OF THE 3 SIDED DREAMS IN AUDIO COLOR」(ATLANTIC SD 1674)
RAHSAAN ROLAND KIRK

 大作であり、傑作であり、怪作である、という凄まじい作品。わけのわからんタイトル、わけのわからんジャケット、そして、わけのわからん内容があいまって、一種のオペラのような壮大な音絵巻をつくりだしていて、真剣にこの作品に耳を傾けたひとはかならず感動するだろう、とさえ思う。「カンバセイション」という語り(?)と、「ドリーム」という短い演奏が、スタンダードやオリジナル曲のあいだに何度もうかびあがっては消える……という構成で、そのスタンダードやオリジナルも、たとえば「バイバイ・ブラックバード」が2回、「ホーシズ」という曲が2回(二回目にはつづりを逆さまに印刷した「裏バージョン」になっている)、例の「エンタテイナー」が2回、「フリークス・フォー・ザ・フェスティバル」という曲が2回……と、意味ありげにくり返される。とくに「フリークス・フォー・ザ・フェスティバル」、つまり「祝祭のための異形」というタイトルの曲は、おなじみの「スリー・フォー・ザ・フェスティバル」をマイナーキーにアレンジしたもので、明るく迫力ある原曲にくらべて、鏡にうつしたデッドコピーというか、ぐしゃっとそれを押しつぶして、へしゃいだような感じに聴こえ、なるほど「異形」だよなあ、と納得する。そのあたりが、盲目のカークが見たオーディオ・カラーの「夢」という設定のこのトータルアルバムの謎を解く鍵ではないのか。夢というのは、現実の再体験だが、その際、現実は夢の世界のなかでぐちゃっと潰され、変形され、異形の状態にして提出される。とにかく深い、漆黒のなかにカラフルな極彩色の絵の具がふりまかれているような異常さを感じざるをえないアルバムだが、そういうことを一切忘れて、単なるカークのミュージックパノラマとしても楽しめる。そのあたりが、カークのふところの深さであり、すごいところだ。共演者に、コーネル・デュプリー、リチャード・ティー、ラルフ・マクドナルド、スティーヴ・ガッド……といった「スタッフ」メンツにくわえて、パット・パトリックというサン・ラメンツもみえるあたりがカークやなあ、と思う。「バイバイ・ブラックバード」でテーマを吹くミュートトランペットは、メンバー表を見るとカーク本人なのだが、カークってトランペットもこんなにうまいのね。とにかく誰がなんといおうとめちゃめちゃ傑作です。次点。

「RIP,RIG & PANIC」(LIMELIGHT LS86027)
THE ROLAND KIRK QUARTET FEATURING ELVIN JONES

 トータルミュージシャンとしてのカークではなく、一サックス奏者としてのカークの、アドリブガチンコ勝負を聴きたければ、このアルバムである。カークというひとは、一曲のなかでいくつも楽器を持ち替えたり、歌を歌ったり、突然延々とフリーな感じでブロウしたりと、世話しなく落ち着きがないので、バックのミュージシャンはある程度「放置プレイ」するのがふつうである。というのは、カークは次になにをやりだすかわからないし、すぐにもとに戻ったりするので、彼の変化にあわせていたら、めちゃくちゃになってしまうからである。明田川荘之のピアノもある意味似ている。彼がフリーな感じで感情にまかせてピアノをがんがん叩きまくったとき、それにあわせてバックのリズムまで、山下トリオのようにフリーにしてしまうと、収拾がつかなくなってしまうのだ。なぜなら、明田川はいつかインテンポに戻ってくるのであって、それまでバックは彼に勝手にやらせておくべきなのである。カークも同様なのだが、このアルバムに関しては、カークとリズムセクションのバトルというか合体というか、そういったインタープレイが存分にきける。それはひとえに、エルヴィン・ジョーンズのせいである。エルヴィンは、カークがなにをしようとそれに自分をぶつける。煽る、煽る、煽りまくる。コルトレーンに対するようにカークのフレーズひとつひとつに反応し、ドラムを全力で叩きまくる。こうなるとカークも多楽器で細かく対応、というわけにはいかない。一本のサックスで、エルヴィンの煽るままにブロウする、アドリブで勝負する獅子奮迅のカークがきけるのである。といっても、もちろんカークのことだから、いろんな仕掛けをばらまいて、我々を楽しませてくれる。曲もめちゃめちゃかっこいい。ピアノのジャッキー・バイアードももうひとりの鍵である。彼のバーサイタルで変幻自在のピアノが、この演奏を深いものにしている。このアルバムも次点かなあ……(次点、多すぎるよ)。

「GIFTS & MESSAGES」(TRIP JAZZ TLP−5572)
ROLAND KIRK
 マーキュリー最終作で、ワンホーンカルテット(といってもカークの場合、ワンホーンではないところがおもしろいが)。ホレス・パーラントリオをバックにしての、けっこう地味な作品だが、山椒は小粒でぴりりと辛い、というか、聴けば聴くほど味わいぶかい。ベシェの「小さな花」など、知らなかったらトラディショナルかカークのオリジナルと思ってしまうだろう。それほど曲を自分の側にひきつけて演奏している。どれも3分〜4分の短い曲ばかりなので、あっというまに聴き終えてしまうのだが、このアルバム、小品といえどあなどれない。カークに凡作なし。

「NOW PLEASE DON’T CRY,BEAUTIFUL EDITH」(VERVE 2304 519)
ROLAND KIRK

 学生のとき、このアルバムがフランスのポリドールから再発され、カーク好きの知り合いはこぞって輸入盤屋で買ったのを覚えている。事情はよくしらないが、ライムライトからアトランティックに移った直後に、なぜかこの一枚だけヴァーヴに吹き込んでいるのである。奥さんとおぼしき女性の横でストリッチと思われるサックスを吹いているジャケットがしみじみよい。後ろにはレコードが棚にぎっしり収められている。なんのレコードかはわからないが、インパルス盤が何枚かあるのは確認できる。まあ、そんなことはどうでもいいんです。一曲目のスローブルース「ブルー・ロール」での、へろへろしたマンツェロの長い長いロングトーンで迫るソロがなんとも哀愁である。久しぶりに聴きかえしてみると、「よくまとまった小品」と思っていたが、意外と暴れているし、鬼気せまるような独特の展開をみせる場面も随所にあり、マジで傑作である。B面1曲目の「フォールアウト」という曲は完全なジャズロックで、カークもジャズのフレーズを捨ててブルースサックスに徹しているが、さすがにブルーノートにおけるハードバッパーたちの「よくわかんないけど流行りのジャズロックというのをやってみました」的なものとはまるでちがい、根性のはいったブロウになっているのはすばらしい。ラストのフルートの曲もいいし、やっぱりカークはどれを聴いてもいいなあ。

「KIRK IN COPENHAGEN」(MERCURY MG20894)
ROLAND KIRK

 たぶんカークのリーダー作としては初のライヴ。そしてめちゃめちゃ傑作。とくにA面。一曲目のブルースから、魅力・迫力・気力全開で、そうだそうだ、気持ちわかる! というフレーズのオンパレード。一曲のなかで楽器を持ち替えてひとりバトルをしたり(二曲目の「ミンガス−グリフ・ソング」という曲で、ひとりで交互にバトルしたあと、最後に二本まとめて吹くのだから、これで客が盛り上がらないわけない。ちなみにこの曲はほとんどコンファメーション)、ライヴでもカークが自由奔放、かつ繊細な気配りとともに演奏していることがよくわかる。とくに歌いながらフルートを吹いて吹いて吹き倒す「ザ・モンキー・ソング」がめちゃかっこいい(後半、サックスにチェンジして、ブルースハープとの大ブロウ合戦になるが、そこも死ぬほどかっこいい)。たぶん当時のコペンハーゲンの聴衆は度肝をぬかれたであろう。B面一曲目の「ムード・インディゴ」では冒頭、カークがどの楽器をどう吹くかを説明するが、エリントンハーモニーならびにエリントンの音楽性が見事に再現されており、凄いというほかない。ラストのマイナーブルースでのフルートの人間技とは思えない凄まじい超ロングブレイクには度肝をぬかれ、人間というものの可能性とか音楽の未来とかいろんなことを考えさせられてしまう。カークは凄いっ。バックは、テテ・モントリュー〜ペデルセンというデクスター・ゴードンがフロントに出てきそうなモンマルトルハウスバンドと、ドン・ムーア〜JCモーゼスというニューヨーク・コンテンポラリー5的なメンバーの混合。

「HERE COMES THE WHISTLEMAN」(ATLANTIC SD 3007)
ROLAND KIRK

 アトランティックに移って、いよいよカークの大活躍がはじまる皮切りとなったアルバム。ライヴ盤であり(じつは3曲だけはスタジオ録音なのだが、カークの場合はライヴと銘打たれていてもそういうことがある。ライヴ素材をそのまま投げ出すのではなく、ひとつの作品として完成させたいということなのだろう)、この時期のカークのライヴでの様子がよくわかる。たしかにすごいと思うが、ヴァイブレイション・ソサエティを率いての、あの狂乱・混乱・至福・極楽の演奏は「ヴォランティアド・スレイヴァリー」を待たねばならない。本作は、ライヴとはいえ(あいだにスタジオ録音をはさむ構成の妙もあるのだろうが)きちんとよくまとまっていて、カーク入門(というのは嫌な言い方だが)には最適な一枚かもしれない(ほかは「ドミノ」とか「ウィ・フリー・キングス」とか「インフレイテッド・ティア」とかかな)。ベースがメジャー・ホリーというのも注目だが、あいかわらずカークはどんなセッティングでも自分の音楽を「ずずい」と押し通すのでほんと気持ちがいい。

「RAHSAAN RAHSAAN」(ATLANTIC SD 1575)
RAHSAAN ROLAND KIRK & THE VIBRATION SOCIETY

 基本はヴィレッジ・ヴァンガードのライヴ。カークが「ラサーン」という名前をアルバム上で使いはじめた最初のレコードだと思う。そして、バックバンドをカルテットではなく、ヴァイブレイション・ソサイエティという一種の大型コンボにしたのもここからである。一曲目は組曲で、カークのトーク(?)をフィーチュアした曲やチャーリー・パーカーに捧げた曲、完全にデキシー風の曲など、ブラックミュージックとしてのジャズを表現した18分の作品だが、これってマルサリスが青筋たてて学究的にやったことをとっくの昔に、しかも超娯楽音楽としてやっていたということではないか、と今回聴きなおして思った。つづく「サテン・ドール」は、あいかわらずのひとりアンサンブルなのだが、いつもにまして大迫力で、圧倒的。B面にうつると、「ゴーイン・ホーム」からはじまる小曲をならべたメドレーが心を打つが、そのあとに狂乱の祝祭日が待っている。B面は、カークのしゃべりも大々的にフィーチュアされているのも私の好み。カークのしゃべりは、なんというか、全部音楽的なので、意味はよくわからないが聴いていてすごく心地よいのだ。バンドがヴァイブレイション・ソサイエティになって、ハワード・ジョンソンやディック・グリフィンといったホーンセクション、リロイ・ジェンキンスのヴァイオリン、パーカッション類……などが入っているため、カークがずっと意図していたにちがいない「ブラックミュージックのごった煮的大宴会」が見事に表現されていて、もうたまりまへん。ジャケットと裏ジャケットの写真もすぐれていて、本作は、カークの隠れた名盤である。私は大好きです。このアルバムから、いよいよカークがラサーン・ローランド・カークとして、あらゆる音楽をぶっちぎり、なぎ倒す快進撃をはじめるのだ。

「NATURAL BLACK INVENTIONS:ROOTS STRATA」(ATLANTIC P−8130A)
RAHSAAN ROLAND KIRK

 一部にパーカッションが入っているのをのぞき、カークの無伴奏ソロアルバム(今の感覚だと、本作はトリオ編成なのだが、内容としては、パーカッションは添え物で、明らかにカークの「ひとりアルバム」といえるだろう)。管楽器奏者の一枚まるごとのソロアルバムというのは、今でこそ珍しくないが、当時としては画期的であったと思う。もちろん、ピアノソロやギターソロとくらべて、管楽器ソロはリズムもコードもないから、「本人」がどーんと出てしまう。だから、演奏家にとってたいへん怖い形式なのだ。下手なやつ、中身のないやつは、そのとおり、まさしく下手で中身がないようにしか聴こえないのである。誰も助けてくれない、恐るべき状況を、一部の創造的な管楽器奏者はあえて求め、実行する……とえらそうなことを書いたが、これはほんとうのことである。カークは、ソロといえど、いつもとさほど変わらないアプローチをしているが、これはカークの音楽がじつはいつも、カルテットであれクインテットであれ大編成であれ、ひとりで完結していることをあらわしているのではないか。そんなことを考えさせてくれるアルバム。曲名も示唆的なものが多く、「サムシング・フォー・トレーン・ザット・トレーン・クッド・ハヴ・セッド」とか「ラグマンとジャンクマンがビジネスマンから逃げた。彼らは笑い、ビジネスマンは泣いた」とか……まるでフィリップ・K・ディックの「流れよ我が涙と警官は言った」やエリスンの「悔い改めよハーレクィン! とチクタクマンは言った」とか田中啓文の「忘却の船に流れは光」みたいな雰囲気である。それと、B−3の「ハウンテッド・フィーリングス」という曲(「悪夢の果てに」という邦題がついているが、そうかあ?)は、どう聴いても日本の曲っぽいけど……。カークはどんなときでも、どんなセッティングでも「生身」を感じさせるミュージシャンだが、そのなかでももっとも「生身のカーク」に迫りたいなら、このアルバムを聴けばよい。

「THE RETURN OF THE 5000LB. MAN」(WARNER BROS.RECORDS P−10230W)
RAHSAAN ROLAND KIRK

「天才ローランド・カークの復活」という最高の邦題がついた、私がもっとも好きなカークのアルバム。というか、このアルバムのB面の2曲めの「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」がもう、めちゃめちゃ、死ぬほど好きなのです。それ以上なにも言うことはない。この漆黒のボーカルと漆黒のテナーを聴けよ。ここにカークのブラックナスのすべてがあるではないか。もちろんほかの曲もいいのだが(とくにB面の4曲)、とにもかくにも「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」を聴いてほしい。イントロから、レスター・ヤングのことを切々と歌いあげていく歌詞から、間奏の(たぶん多重録音の)テナーブロウから、ラストの「プレス……」というつぶやき(?)から……すべてが素晴らしい。偏愛というのはこのことだろう。私はカークの一曲、いや、ジャズの一曲といわれたら、このアルバムの「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」を挙げる……ような気がする。それぐらい好きなのだ。ジャケットも最高で、ああ、このアルバムだけはCDでは魅力は半減だよなあ。

「DOG YEARS IN THE FOURTH RING」(32JAZZ 32032)
RAHSAAN ROLAND KIRK

 すばらしい作りの箱ジャケットのオフィシャル3枚組。おもてはカークの顔だが、サングラスの両眼の部分に穴があいていて、そこから中箱の表面が見える、いう構造になっている。それが、非常にカークの音楽性とマッチしたデザインになっていて、これは一本やられました、という気分。3枚のうち1枚は、アトランティックから出ている「ナチュラル・ブラック・インヴェンションズ」(ライナーによると、カークのもっともレアで風変わりなアルバムであり、もっとも売れなかった作品だが、近年、カルトな人気が高まって、オリジナルアルバムはたいへんな高値がついているのでここにまるごと収録した、とのこと。たしかに……)だが、あとの2枚は未発表ライヴをいろいろ集めたもの。ジョルジュ・グランツ、ペデルセン、ダニエル・ユメールのトリオをバックにした64年のドイツはブレーメンでのライヴが5曲(残りは海賊盤で出回っている)、テテ・モントリュー、ペデルセン、エレックス・リールのトリオをバックにした63年のコペンハーゲンのライヴが1曲(「ライヴ・イン・コペンハーゲン」の何日かあとの録音らしい)、ロン・バートンを含むレギュラーバンド(ピアノトリオにパーカッションのジョー・テキシドーが加わってる)をバックにした70年のパリのライヴが1曲、ロン・バートンとテキシドーはいるがあとのふたりがちがう4人をバックにした72年のパリのライヴが3曲、同じくロン・バートンがピアノだがドラムとパーカッションがちがう同年のボストンのライヴが2曲、ケニー・ロジャーズのバリトンサックス(アホみたいにうまい)とパーカッションを含む5人をバックにした73年のベルリンのライヴが2曲、ヒルトン・ルイツがピアノでパーカッションを含む4人がバックの75年のモントルーのライヴが2曲という、全16曲で、ときどきインタビューなどがチラッと挿入される。曲目も「ブルース・フォー・アリス」「ミステリオーソ〜ブルー・モンク」(抜粋なのでブルーモンクまでいかない)などのバップ曲から、「アイ・リメンバー・クリフォード」「フレディ・フリーローダー」(なぜかラストは「プリーチャー」になる)「シスター・セイディ」「パッション・ダンス」(このイントロがこうなるか……という度肝抜く演奏。原曲のおもかげなし)「ジャイアント・ステップス」などのハードバップ〜モード期のジャズの人気曲から、「ドミノ」「小さな花」(一曲のなかで楽器を持ち替え、複数の奏者がいるような雰囲気を出していてすばらしい)などの小唄ものから、「スリー・フォー・ザ・フェスティバル」「ブラックナス」などの自身のオリジナル曲から、「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」(13分近い熱演で延々とノンブレスが炸裂し悶絶。途中でコルトレーンの「至上の愛メドレー」(?)になり、混沌としたるつぼのような熱狂に包まれる。見事で圧倒的なパフォーマンス! もちろんそこから元の曲に戻るのだが、そのつながりが、まったく関連性がないようでじつはなんの違和感もないという、信じがたいカークマジックなのである。「ヴォランティアード・スレイバリー」収録の有名なバージョンよりもすごいかもしれない)などのポップ曲から、セッション的なナンバーまでじつにバラエティ豊かである。カークが凄いのは、バップ曲は完璧にパーカーマナーのフレーズを吹きまくり、ハードバップの曲はファンキーに、シリアスな曲やモーダルな曲はハードボイルドに、ポップ曲は豪快にノリノリに、セッション的な曲はリラックスしつつも芸のすべてを見せ、ニューオリンズ風の曲はデキシー風に……とそれぞれの「曲の個性」をきちんとわかったアドリブを繰り広げるうえ、それをすべてカーク色に染めあげてしまうという離れ業を演じているからで、これがどれほど超弩級に凄まじいことなのか、ジャズを演奏しているひとならわかる。カークはほんとうにいろいろな音楽を注意深く聴いていて、それを自家薬籠中のものとしているのがわかる。どれだけ引き出しが広いねん、という印象と、どれだけ個性がきついねん、という印象が同居する。ライヴも、クロノジカルではなくひとつのドラマが湧出するような配列になっているし、「ナチュラル・ブラック・インヴェンションズ」も含めて3枚でひとつのカーク像を描けるような構成になっている。見事としか言いようがない。カークフリークはもちろん、カークって聴いてみたいけどどれから聴いていいかわからなくて……というひとに推薦もできるという、奇跡の3枚組。聴いていると、楽しいことは心底楽しいのだが、同時に息苦しくなり、悲しくもなってくるというまさにカークワールドなのだ。

「A MEETING OF THE TIMES」(ATRANTIC 1630)
RAHSAAN ROLAND KIRK & AL HIBBLER

アル・ヒブラーという盲目のシンガーは、名前は知っていても、私がまず積極的に聴くタイプのひとではない。聴いたのはもちろんカークが入っているからだが、そうしてヒブラーというすばらしい歌手に出会えたのだからカークには感謝しきれない。ヒブラーは長年エリントンにいたビッグバンドシンガーで、深々と黒いバリトンヴォイスで悠々とスウィングする雰囲気や、声のコントロールは、ビリー・エクスタインを思わせる。めちゃかっこいい。しかも、本作はアル・ヒブラーのリーダー作ではなく、カークのリーダーアルバムなのだ(9曲中、ヒブラー不参加のトラックが4曲ある)。つまり、カークはエリントンに捧げたアルバムを作りたくて、エリントンにいたシンガーのヒブラーと組んだ、ということらしい。1曲目ではテナーによる絶妙のオブリガートのあと、カークがひとりサックスソリを演じてビッグバンド感を出す。2曲目「デイドリーム」は、カークのすばらしいクラリネットによる歌伴が聴ける。カークのクラリネットは単なる持ち替え楽器ではないレベルですごい。そのあとフルートでのソロがあり、カークの歌伴は、こういったとっかえひっかけの持ち替えがあるので、ひとりなのに5人分ぐらいで伴奏している感じになり、ゴージャスだ。3曲目「ラバカン」は、カークがストリッチで循環呼吸で吹きまくる(日本盤ライナーにはテナーとなっているがまちがい)。4曲目はおなじみ「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモア」をゆっくりしたテンポで。テナーで渋くオブリカートをしていたカークも、歌が終わると、かなり奔放なソロをぶちかます。これと重厚に落ち着きはらってスウィングするアル・ヒブラーの取り合わせがすばらしい。カークは寄り添ったり、離れたりしながら伴奏していて、人間対人間の極致を見るようだ。このバランス感覚というか見極めがいい。5曲目はバラードで、カークはマンツェロで伴奏。6曲目以降はヒブラーは不参加。6曲目はハリー・カーネイとバーニー・ビガードに捧げたエリントンっぽいマイナーブルース。ジャングルビートのテーマはバリトンともう一本(クラ?)で吹いているが、ソロはまずバリトン(ここからふつうの4ビート)、そしてクラにチェンジしてめちゃめちゃすごい、雰囲気のあるすばらしいソロをする。日本語解説には、そのあとカークがテナーとストリッチでテーマを吹く、とあるが、その直後の循環呼吸のロングトーンはバリトンなので、おそらくまちがっていると思う。なぜこんなにも楽器のまちがいが多いのかは不明)。7曲目もクラリネットでの演奏で、バラード。うーん、さっきも書いたが、カークのクラリネットはほんとにいい。いかにもクラリネットらしい、いい音だし、洒脱なフレーズを聴かせる。うまい! という感じの演奏。惚れる。そのあとストリッチでソロをし、最後は一瞬のうちに早業でクラリネットに持ち替えてソロ〜テーマ。この部分、多重録音でなかったら、世界最速の持ち替え技では?8曲目はいかにもスウィングジャズ的なテーマの軽妙な曲だが、カークはそれをぶち壊すようなテナーで絶叫し、ストリッチで延々と吹きまくり、やりたい放題。やりまんなあ。こういうやりすぎというか、個性全開、しつこくて、脂ぎった、悪のりな感じというのは、まさにエリントンの演奏にも通じるのだ。エリントンとカーク……どちらもブラックミュージックの最高峰であります。ラストはなんとレオン・トーマスが登場(「ヒア・カムズ・ザ・ホイッスル・マン」のセッションから)。なんじゃ、この統一感のなさは。でも、非常にいい演奏。カークはちょこっとだけソロをする。

「BRIGHT MOMENTS」(ATRANTIC RECORDING CORP. AMCY−1121〜2)
RAHSAAN ROLAND KIRK

 キーストンコーナーでのライヴ2枚組。めちゃめちゃすばらしい。聴けば聴くほどはまる。ライヴなので曲間にしゃべりとかいろいろあって、14曲クレジットされているが実質は10曲ぐらい。このアルバムを聴けば、当時のカークグループのライヴの全貌がわかる仕組みになっている。観客の熱狂も伝わってくるが、さもありなん、という感じ。これだけの凄まじい演奏を目の前で見せられたら、そりゃあ一生忘れられない経験になるだろう。うらやましいなあ。まず一枚目のブルースに乗ったメンバー紹介に続く一曲目だが、これがもうすでにものすごいのだ。ラテンリズムではじまるモード曲だが、2本同時にくわえてのテーマのあと、最初はマンツェロをソプラノサックス風に吹いて、コルトレーン的なモダンさを見せつける。おそらく当時としてはジャズの最先端を行く音楽を見事に消化している。途中でストリッチかアルトサックスに持ち替えてのソロになる(かなりぐじゃぐじゃのソロでおもしろい)。かなり長尺のモーダルなピアノソロを経て、ふたたびテーマだが、エンディングで延々と循環呼吸で吹き伸ばしたあげく、無伴奏になり、ここからがすごい。かたほうで伴奏しながら同時にもう片方でソロを吹いているうちに(サテン・ドール?)、それがマイナー曲に変化すると、マンドリンのトレモロ風にフラッタータンギングをしたり、もうやりたい放題。途中でカタカタというパーカッションを鳴らしているのもカークなのか? 化け物ですなあ、このひとは。この一曲だけでも失禁しそうなほどに凄い。2曲目はバカラックの曲で、テナーでメロディを歌い上げるが、サビから2本吹きになる。この曲を、マンツェロやテナーで大げさすぎるぐらいに吹きまくって盛り上げる。こういうR&Bがかったポップチューンをやらせると絶妙ですね。よく聴くと、本当に基本的なことや、ひとつのフレーズをずらしていくような「上手さ」がはっきりわかるし、アイデアが豊富すぎて、場面がどんどん変わっていくので、あまり気づかないが、まるでマイケル・ブレッカーのようにひとつの箇所に3つや4つの複数のアイデアを放り込んでいて、その豊饒さに驚く。譜面を見ることができないのだから、すべては耳から来ているのだ。凄すぎる。つぎの曲との合間に、カークが演奏まえにしつこく「クリケッティ・クラック」という言葉を連呼するが、これは電車やタイプライターの出すカタカタという音のことらしい。そこから電車の物まねがはじまるというわけのわからん趣向。続いてはじまる3曲目はピアノとのデュオによるエリントンのバラード「プレリュード・トゥ・ア・キッス」で、これをラーセンのすばらしい音色で歌い上げる。やはりテナーが、音色的にはもっともすごいし、歌心もテクニックも完璧だ。ピアノも、さすがロン・バートン。終わってからもまだ「クリケティ・クラック」と口走っているなあ。そしてまたトークになり、なんかよくわからんが「鼻」についてカークが延々語る。そこからの流れで、1枚目最後の曲はフルートによるジャズロック風の変形ブルース。ずっとしゃべりながら吹いている。そのバックでシンセのようななにかがずーっと猫が鳴くような音を「ミャムミャムミャムミャム……」と奏でていてめちゃおもろい。ブレイクになってからのフルートとヴォイスのひとり共演状態は、カークの独壇場で、圧倒的な演奏である。しかし、このシンセっぽい音(よくわからない)はロン・バートンではないみたいだな(ピアノソロのときもずっと一緒に鳴っていて、めっちゃ邪魔。かなり笑えます)。なぜかエンディングはみんなでドレミファソラシドー、ドシラソファミレドー……と奏でて終わる。なんやねん! そして二枚目。冒頭、「ブライト・モーメンツ」に関するかなり長いしゃべりのあと、「ブライト・モーメンツ・ソング」という曲がはじまる。フルートによる哀しげなイントロから、軽快なボサ風の演奏になる。右チャンネルからかなりでかくタンバリン的な音が聞こえてくるね。ベースだけをバックにしたフルートソロ(というか、ヴォイスとの混合)の凄まじさもショッキングである。とにかくラインをつむいでいくそのバップ的な歌い方の見事さは、ヴォイスやら息の音に隠れてなかなか伝わらないかもしれないが、相当のもんですよ。2曲目はいかにもニューオリンズ的なタイトルで「デム・レッド・ビーンズ・アンド・ライス」というタイトルのオリジナル。カークも「ニューオリンズに行こうぜ」と観客をあおる。デキシーランドジャズっぽいはじまりだが、これがまた堂に行ってるのだからすごいよなあ。マジのデキシーランドプレイヤーのようにクラリネットを吹く。めっちゃうまくてかっこいい。このひとは、ほんとになにをやらせてもその本質を突く。つぎの曲はテナーによるバラードで、フラッタータンギングをはじめいろいろとギミックも仕掛けているのだが、基本的には超ストレートアヘッドな演奏で、カークにはすばらしい音色とすばらしい歌心があるのでこういうタイプの演奏も楽々こなす。ものすごくブルースを感じさせるバラードだ。ピアノソロのあとにふたたび登場し、朗々と吹きまくる。なんどもクライマックスを迎えるカデンツァも異常な気合いで、そのあと祝祭日のような展開になる。まさしくカークにしかできない感動的な演奏である。ファッツ・ウォーラーについてのトーク(ジミー・スミスなどを生んだジャズオルガンのパイオニアだと言ってる)のあと、「ジターバッグ・ワルツ」。クラリネットによるしみじみと味わい深い演奏で、低音の吹き伸ばしでつづられていくソロの冒頭部がなんともいえないし、そのあとの高音部でのつややかなプレイもすばらしい。ラストはおそらくエンディングテーマと思われるブルースがちょこっとだけ演奏されて、銅鑼が叩かれておしまい。すげーっ!