hiroaki katayama

「INSTANT GROOVE」(NATYA W101)
KATAYAMA HIROAKI LIVE AT THE 7TH FLOOR

 片山広明のテナーは豪快である。しかし、豪快というのは大味と紙一重という危険性をはらんでいて、たしかに片山さんのテナーはライブなどでは客を楽しませようというサービス精神のゆえかついつい吹きすぎになってしまうことも多いよう私には思える。もちろんそれでライブはめちゃめちゃ盛り上がるわけだが、聞き終わると、ほかの奏者のプレイのほうが心に残っていたりして、まことに損な役回りである。だから、アルバムにおいては、その破壊力抜群の豪放なテナーをちゃんと受け止められるだけのリズムセクションと共演したモノ(具体的には「キャッスル」のこと)、もしくは「イクォーター」のようなソロなどが好きだ。で、このアルバムだが、「インスタント・グルーヴ・オン・サンデイ」という、「セブンス・フロア」というライブスペースでの月例コンサートみたいなものをずーっと録音していた音源のなかから、ベストテイクをチョイスしたもののようである(ようである、というのはライナーがないからわからんのである)。だから、曲ごとにメンバーはちがうし、音楽性も異なる。5曲中、一曲目はリズムセクションを排した、サックスアンサンブルで、アイラーの曲をやるという趣向で、期待大だが、残念ながら演奏時間が短くて完全燃焼というわけにはいかない。かっこいいんだけどね。二曲目は梅津さん、早川岳晴、芳垣さんというカルテットで梅津さんの曲をやっているのだが、途中で「枯葉」やら「バイバブラックバード」やら「マイルストーンズ」やらのテーマが挟まったりするギャグ的な部分もあり、そのバランスが中途半端な感じ。だから、このアルバムは3曲目の、加藤崇之とのデュオからがぜんおもしろくなってくる。これはほんとにすばらしい演奏で、22分もある即興デュオのなかにさまざまな場面が展開し、飽きることがない。片山さんのテナーも高音から低音まで常にじゅうぶん注意の払われたサウンドで、よくコントロールされており、聞き惚れる。1枚全部、このふたりのデュオだったらなあと思っていると、4曲目は不破さん、大沼さんというフェダイン系のメンバーに加藤さんのギターというカルテットで、曲も、渋さ知らズで聴いたことあるんじゃない? と思えるようなタイプのマイナーな派手な曲。これも、すごくいい。こういう曲は片山さんのドスのきいたテナーにあう。で、最後は、つの犬や井野信義、石渡さんの入ったカルテットでの即興。これもいいんです。後半3曲はすばらしいのになあ、ともう一度あたまから聞きかえすと、最初は物足りなく思えた一曲目二曲目も、アルバム全体のバランスを考えた選曲、並べ方になっていることに気づく。好盤です。

「QUATRE」(STUDIO WEE SW207)
HIROAKI KATAYAMA QUARTET

 片山さんのアルバムは初リーダー作の「DRY SHERRY」や「EQUATOR」からずっと、たいがいのものを聞いていると思うが、そのなかでいちばん好きなものを一枚といわれたら、これだろうな。ワンホーンで、しかもメンバーは強力無比。とくに芳垣のドラムが要となって片山のブロウを煽りたてて凄まじい。共演者はこれ以上望めないといえるほどすばらしく、曲もオリジナルもスタンダード(?)もどれもよくて、聞いているあいだずっと至福の状態でいられる。片山さんのテナーは、深読みとか安易な決めつけを許さない奥の深さがあり、「片山ってこんな感じだよね」と思っていると、あっさり裏切られたりする。情念のテナー、豪快なテナーという評論家的なカテゴライズを、ひょいと身軽に踏み越えてしまう。また、あまりに強力すぎ、個性的すぎて、共演者にそれを受け止め、対応し、ひとつのものに作り上げていくだけの力がないと、孤軍奮闘というか空回りしてしまっているように聞こえるときもある。だが、このアルバムはほんとうに4人ががっぷり4つで、聴き手はなんの心配もなく、彼らのぶちかましてくるジャズだったりムード歌謡だったりハードな即興だったり……を隅から隅までずずいと楽しめばよい。じつはしょっちゅう聴いているのだが、そのたびに、ああ片山さんはいいなあ、と思う。そういう作品です。

「DREI SHERRY」(NO TRUNKS RECORDS NT2502A/B)
KATAYAMA HIROAKI

 最初聴いたとき、なんとなくこちらのいちばん届いて欲しい部分に音が響いてこんなあ、という感じだった。なぜそう感じたのかはわからないが、3、4回聴いたあとは、片山さんはほかにもたくさんいいレコードを出しているので、そっちばかりを聴いていた。今回、久々に聴き直してみてびっくりした。めちゃめちゃええやん! もうすばらしいとしか言いようがない。どうしてこのアルバムが物足りなく感じたのか、さっぱりわからん。たぶん、当時、若かった私は、もう少し「お芸術的」な、いろいろと意を払ったような即興を求めていて、このアルバムでの完全に吹っ切れた感じの片山さんのブロウがあまりに豪快すぎて、粗く聞こえたのだろう。いやー、それは大間違いで、一曲目の「グッド・バイ・ポーク・パイ・ハット」にはじまり、マイワンやブルースなどどの曲をとっても最高の片山節が詰まっていて、もしかしたら最高傑作かもしれないとまで思った。何度も聴き直してみたが、うーん、やっぱり最高だ、という印象は変わらず、昔の印象はなんだったんだとあきれた。ほんと、耳が馬鹿だったのだ。いや、いまでも馬鹿なのだろうが、とにかくジャズとかは、こうして印象が変わることがあるので本当に怖い。だから、ジャズ評論家なんかはたいへんだよな。もし、まえに「駄作」と思った演奏があとで「傑作」に変わったとしたらどうするのだろう(そういうことは往々にしてあるはずだが)。腹でも切るか。たかがジャズだからそこまでする必要はないと開き直るのか。ミュージシャンは命がけでアルバムを作っているわけだから、評論家も、もしあとで印象が変わったときには評論家を辞めるぐらいの気持ちで評してほしいものだ(小説もね)。話がそれたが、とにかくめちゃめちゃいいアルバム。片山さんだけでなく、早川岳晴、つの犬らのプレイも最高。たった3人でオーケストラのようなサウンドを響かせる(一部オーバーダブもあるようだが)。かっこいい! このアルバムは見えるところに飾って、自分自身の戒めとしよう。

「EQUATOR」(MUSIC BOX SHODOKU−2 MB−1001)
KATAYAMA HIROAKI

 これがたぶん、片山さんの初リーダー作のはず。初リーダー作がサックスソロというのも意外だが、私はたしか、学生のとき、ドクトル梅津バンドのライヴのときの物販で入手したような記憶がある。当時は、デヴィッド・マレイのソロが出たころで、そういう影響もあったのかもしれない。ソロとはいえ、さすがに片山さんで、ひとりで十分に聴かせる。私はとくにサックスソロ愛好家なので、こういうアルバムは日本人もどんどん出してほしい。アルト、テナー、バリサクを駆使して、ときに豪快にときに繊細にブロウする片山さんには男の色気がある。一部、多重録音の部分もあるようだが、このあと一枚まるごとのサックスソロアルバムは出していないので、初リーダー作である本作はたいへん貴重だ。いわゆる「技術」ももちろん高いひとではあるが、そういったものをわざと引っ込めて、見せないようにして、気合いとか音圧とか迫力で勝負していく……そういったテナースタイルは中途半端にやってもダメだし、徹底的に、徹頭徹尾、全身全霊でやらなければ無意味だ。そういう思い切りのいいテナーブロウでもってここまでの高みに達することができたのはおそらく日本では片山さんがはじめてだと思う。そして、彼は今もってまったく衰えることなく、連日、フルボリュームで吹きまくっている。たいした怪物だ。

「いそしぎ」(CHITEI RECORDS B44F)
KATAYAMA HIROAKI

 CDをプレーヤーにセットして、プレイボタンを押すまではめちゃめちゃワクワクしたが、実際に聴いてみると、なるほど、いつもの片山さんの音である。すごくいい演奏ではあるが、とりたてて特別ではない。そうだ、片山広明の音というのはこれだ、という感じ。片山さんの当時から現在にいたるまでのライヴのなかのほんの一ページを切り取った、という印象である。このころから、演奏の「骨」というか「肝」の部分は今とほとんど変わらないと思うし、正直、今のほうがずっといい、という部分もある。もちろん若いときのほうが勢いはあるかもしれないが、だからといって今よりもはるかにいい、とか、そういったことはまったくない。片山さんの、きのうのアケタでの演奏だよ、といってテープを渡されたら、ああ、そうか、と思うかもしれないし、リズムセクションを聴いて、え? ちょっとそれおかしいんじゃない、と思うかもしれない。そんな風な、片山広明のリーダー作のひとつである。しかし、このころから凄みのあるブロウだなあ。根性吹きもここまでくれば芸術である。ぺらぺらした音で上っ面を撫でているような演奏をしている連中はこれを聴いて反省せよ。

「TOKYO SLIM LIVE!」(地底レコード B46F)
東京スリム

 これは傑作。名演。名盤。日本ジャズ〜フリーインプロヴァイズド恐るべし。なんといっても、今年2010年は日本ジャズ(というか日本人がらみのジャズ)の数々の傑作が生まれた記念すべき年であるが(ダウトの井野信義〜アクセル・ドーナー、ザイ・クーニン〜大友良英、そして広瀬ソロの3枚は歴史に残る傑作。吉田隆一〜石田幹雄「霞」も傑作だった)、本作もまたそれら傑作群のなかにそそりたつようなすばらしい作品だった。いやー、まいったぜこれは! 一曲目を聴いた瞬間に身体に電撃が走ったかのような「ぴくぴく感」を覚えた。選曲、編曲もいい(とくにラストの「ケ・セラ・セラ」にはびっくり。まさに「ケ・セラ・セラ」そのものなのだが、なぜかものすごく新しい解釈に聞こえる)。片山さんのテナーも本作に関しては諸手を挙げて万歳三唱したいし、トロンボーンのぬるりとしたノリもいい。しかし、なんといっても大活躍なのはトランペットの辰巳さんで、いやー、一曲目からどの曲でも大フィーチュアされていて、演奏の方向性を決め、盛り上げ、的確なソロをして……ああ、これはマジですばらしい。購入以来何度も聴いたが、そのたびにごく自然に2回ずつ聴いてしまう。エンターテインメントであり、フリージャズであり、日本人ジャズであり……そしてまさにジャズです。だれのリーダー作かわからないが、片山さんがプロデュースしているので、片山さんの項に入れた。

「DUST OFF」(地底レコード B40F)
片山広明

 片山広明、立花秀輝、不破大輔、磯部潤という豪腕4人組のアルバムなので、これはどうしても聴かなければ! とCDプレーヤーのスイッチを押すと、1曲目、こちらの勝手な予想に反して突然飛び出してきたのは、片山〜立花のサックスデュオによる「スターダスト」の美しいメロディ。朗々と奏でたあと、突然ぶっ速い4ビートに乗って、ふたりのサックスが咆哮するという意表をつく展開。いや、意表をつくというより、アルバムがバラードではじまったときに、こうなるかもな、とはだれもが思ったかもしれないが、どちらにしても心地よい展開である。2曲目は、「アマガッパ」という16ビートの曲で、不破さんの唸るベースと磯部さんの躍動するドラムがめちゃめちゃ心地よい。片山テナーソロは豪快。立花アルトソロはちょっとオーネットを思わせるような自由奔放なもの。磯部潤のドラムソロも冴え渡っている。3曲目は立花秀輝のオリジナルで、歌詞もある歌物っぽいメロディラインのすげー良い曲。ええ曲書くなあ。アルトソロも奔放にファンキーに炸裂している。個人的には、この曲がいちばん気に入った。4曲目はミンガスの「ベター・ゲット・ギット・イン・ユア・ソウル」。ミンガスの曲だから、ということかどうかはわからないが、不破さんのベースソロが大きくフィーチュアされる。ある本によると、ミンガスは今どきあまり聴かれていないということだが、片山広明は昔からミンガスの曲をことあるごとに取り上げている「ミンガスの伝道師」ともいうべき側面があり、それはとても大事なことだ。ミンガスの精神を継承することは今のジャズにはものすごく重要な意味があると思う。あんなものは今どきの音楽じゃない、などというやつがいたら、ミンガスに怒鳴られろ。ミンガス的な「怒り」を感じる片山さんの激烈なテナーソロもこのアルバムで一番凄いし、そのあとの立花さんのアルトソロも対比の妙ですばらしい。磯部さんのドラムは、くーっ、しびれる。ほんまに私好みのドラマーなのです。最後は4ビートのオールドファッションなブルースになり、エンディング。5曲目はフリーな感じではじまる曲だが、そのあとテナーが吹きはじめるテーマはおなじみの「ダイナ」で、これまたオールドファッションなスウィング感にあふれた演奏である。こういう選曲は片山さんの好みなのだろうな。6曲目は不破さん作曲のゆったりした、ブルースではないがブルース感覚にあふれた曲。片山さんの豪放なブロウがとどろき渡る。片山〜立花の交歓も聴き応え十分。テナーとアルトのやりとりに、ちょっとどくとる梅津バンドを思い出したりした(梅津さんと立花さんはまるでちがうけど)。すごくおもしろいアルバムでした。

「HAPPY HOUR」(地底RECORDS B61F)
KATAYAMA HIROAKI

 復帰作というのか復活作というのか、とにかく病気療養中だった片山さんがシーンに戻ってきて久々のリーダー作である。発売前にどこで耳にしたのか、「冥途のみやげ」というタイトルになるものだとばかり思ってて、なんというすばらしいタイトルかと思って感心していたが、それはただのキャッチコピーであって、なんともあっけらかんとした「ハッピー・アワー」というタイトルだったのでびっくりした(私が勘違いしただけなのですが)。石渡明廣、早川岳晴、湊雅史というという豪華な猛者が集結して、あとは片山さん次第という感じである。どの曲も、リズムセクションが煽りに煽ってめちゃくちゃして片山さんが吠えまくる……という展開ではなく、あと一歩のところをぐっと抑えた感じで、テナーをとにかく聴かせる、という演奏だし、テナーもところどころ指がもつれてるような箇所や音程が怪しい箇所、息が続かない箇所などもなきにしもあらずだ(表現、むずかしいね)。それは病後ということもあるのかもしれない。というか、まちがいなく病後であるせいだろう。片山さんのテナーはやはりパワーはまえのようにフルトーンでめりめり鳴らしている、というより六分ぐらいの音量でていねいに吹いており、ときどきハッとさせられるような美味しい部分もあって、一過性の作品ではなく何度も聴き込める作りになっている。それにギター、ベース、ドラムはとにかく最高なので、もしかして病後でよれよれの作品では、という危惧は一切当たらない。かえって、4人のからみがクリーンに聞こえてすばらしいとも思う(とくに6曲目とか。選曲もいいよね)。しかし、私としては「冥途のみやげ」的な、俺のこの世への置き土産だぜというようなドスのきいた演奏をイメージしていたのだが、実際にはまさに「ハッピーアワー」という雰囲気の、愉しくノリのいい演奏であった(白眉は、やはり6曲目か)。これはこれで相当おもしろいと思うが、この録音あと片山さんもさらにどんどん復調してこのアルバムのころよりいっそうばりばり吹きまくっているという話を聞いたので、つぎは閻魔大王の顔面に向かって吹きまくるような、もう一段えぐいブロウを聴きたいとも思う。

「INSIDE OR OUTSIDE」(FULLDESIGN RECORDS FDR−2031)
片山広明×藤掛正隆

 片山さんが体調不良から復帰して、いろいろ吹き込みもあるわけだが、なかにはちょっと痛々しい感じで「まあ、こうやって楽器が吹けるまでに回復したのだから、喜ばしいことだよな」的な聴き方になってしまうものもある。しかし、本作を聴くと完全復活というかめちゃくちゃ凄い演奏ばかりで、これは共演の藤掛正隆の力もあるのだろう(つまり、片山さんのいい部分を上手く引き出している)。とくに一曲目のインパクトはかなりのもので、ドラムの叩き出すリズムに対して、ほとんど吹き伸ばしだけで凄まじい世界を作り上げている。いやー、片山広明はこうでないとね。ときどきマイ・ワンとかアメイジング・グレイスとかモリタートの旋律が顔を出したりするのもご愛嬌というか片山さんというテナー奏者の血肉を作り上げている断片の一部、という気がする。基本的にはリズムまでフリーの曲は少なく(ラストの曲の前半ぐらいか)、ドラムの叩き出すリズムのうえでテナーが好きなように吹く、という曲が多いが、それが非常に自由奔放な空気で、よくあるぐちゃぐちゃした即興よりもずっと「フリー」という感じがして心地よい。ドラムとテナーというより、人間対人間のぶつかり合いという印象だ。5曲目とかで用いられているライヴエレクトロニクスもええ感じの効果をあげている。ラストの曲の最後がなぜかブツッと切れるのも、なんか本作にかぎっては悪くないように思えるのだから不思議。傑作です。

「LAST ORDER」(地底RECORDS B80F)
HAPPY HOUR LIVE AT CLOP CLOP

 いやー、参りました。こういうわけのわからんものをリリースするというのは、ジャズだなあ、と思う。石渡明廣、早川岳晴、湊雅史という最高のリズムセクションを得て、現在の片山がどんな演奏をするのか……リスナーの興味はその一点にあるだろうと思う。体調不良から復帰した片山の演奏は(もちろん復帰そのものはたいへんうれしいが)それなりに面白いが、やはりかつてのパワーやフレーズ、ひらめき……などを知るものには少し物足りないという感じではなかったかと思う(たとえばこのグループの1作目など)。しかし、藤掛正隆とのデュオ「インサイド・オア・アウトサイド」は本当に凄まじい演奏であって、とにかく驚愕したし、ああ、片山さんは完全復活だなあ、と思った。いや、復活というか、入院まえよりすごくなってるんじゃないか、とさえ思った。そして、本作である。どんなことになっているのか、と期待大で聴くと、あれ? 「インサイド・オア・アウトサイド」とはかなり違う。豪快だが、豪快すぎるぐらいで、細かいことは気にしない、ガンガン行け! という演奏だと思う。その分、テナーの音色、音程、フレーズなど、かなり大味な感じは否めないが、本作は「それでいいんだ!」と方向性を定めた演奏であって、その豪快ななかに繊細さをはじめすべてが含まれている(大袈裟にいうと、今の片山さん、そしてあとの3人の「生き様」ということになる)。こんな風に「細かいことはどうでもいいんだよ。4人でぶちかまそうぜ」的なまっしぐらな雰囲気は、とても心地よいものだ。とにかくリズムセクションの3人が良すぎるのであって(とくに石渡さん凄い)、この3人が支えているのだから間違いはない。しかも、選曲がすばらしい。1曲目はカークの「レディズ・ブルース」、2曲目は本人のオリジナルでおなじみ「ドランケンシュタイン」、3曲目は石渡さんの曲で変形ブルース(ギターソロもベースソロも最高!)、4曲目はあの「愛の賛歌」(ピアフが怒ってくるのでは、というぐちゃぐちゃさ!)、5曲目はレナード・コーエンの「ハレルヤ」(ここでのギターソロもめちゃくちゃいい! 感動!)、そしてラストの6曲目はなんと「りんご追分」(かなりわけのわからん演奏です)。けっして本調子ではない片山のひたむきで渾身のブロウは聴くものの魂を揺さぶる。指も回っていないこの演奏が、なぜかそうなのだ。結果的にこうしてすばらしいアルバムになってしまうのだから不思議だ。こういうのも「あり」なのである。音楽は面白いです。

「堅」(FULLDESIGN RECORDS FDR−2034)
堅いトリオ

 2018年の年越しのとき、たまたま本作を聴いていた。実家で5日間過ごすことになったので、CDも5枚持参したのだが、結局ずっと本作ばかり聴いていたのだ。
 片山さんが病気がちになり、入退院を繰り返し、そのたびに「復活」とか「完全復帰」と言われてはまた入院……という日々になってからもレコーディングは途切れることなく続いていた。そして、このフル・デザイン・レコードでの前作にあたるデュオアルバムがあまりにすばらしい出来だったので、私は思わず「本作を聴くと完全復活というかめちゃくちゃ凄い演奏ばかり」と書き、自分で書いたその文章を疑わなかったが、そのあともハッピー・アワーの2作目や、他バンドへの客演ものなどが出て、「きっと片山さんはもっとすごい境地になっていくのだろう」と思っていた。それはもう、現場を知らないゆえの能天気さで、安直に信じていたわけで、退院して大酒を飲んでいる写真などを見ても、うわあ、元気そうやなあ、これなら安心……と単純に思っていた。そこへ突然の訃報である。もちろん、周囲のひとやミュージシャンにとっては突然でもなんでもなかったのだろうが、ただのリスナーである私にとっては完全に「突然」で、しかもそれが、あるテナー奏者のライヴの休憩時間で、お客さんのひとりがスマホで情報を知ったらしく、急に「片山さんが亡くなった!」と泣き出したのだ。テナー奏者は冷静にネットで確認し、「○○さんが書き込みしてるからどうやら間違いないようだ」と言う。私はその場では、あまりに唐突すぎたし、つぎに自分の演奏が控えていたこともあって、そこまでのショックはなかったのだが、家に帰って、ひとりでパソコンを開けて仕事をしているときに急に悲しさに叩きのめされるような気分になり、号泣してしまった。ただのリスナーといっても、片山さんを生ではじめて聞いたのは高校生のときだから、以来、40年ぐらいなんやかんやで聴き続けてきたわけで、やはり私の身体の相当深いところまで、このひとの音楽は入り込んでいたのだろう。
 というわけで本作だが、9つの演奏が並んでおり、なかには片山さんが参加していない曲もあるのだが、全体としては片山広明の最期の作品にふさわしいアルバムとなった。片山さんのリーダー作でなく、3人対等のトリオだったこともよかったのかもしれない。3人ががっぷり組んでそれぞれの凄みを出し切った演奏には圧倒された。千変万化するうえ、ドスのきいたチューバがとにかくすばらしく、思い切りがよくてリズムの引き出しが多いドラムも最高である。そして、ふたりに乗せられたのかどうなのか、片山広明も気合いの入った演奏で応じている。ぶっちゃけた言い方をすると、「この3人は最高です」ということになる。9曲どれもバラエティにとんでいて、聞き飽きることがない。3人とも、もちろんこういう音楽を長年やってきているひとたちだが、それなのに「手馴れた」感じがない。いや、手馴れてはいるのかもしれないが、演奏に「手垢がついた」感じがまったくない。想像力と創造力みなぎる音楽だ。それこそ片山さんが死ぬまで保ち続けたものだろう。即興だけでなく、コンポジションがあると思われる演奏も入っているが、圧倒的な自由さはすべての曲から感じられる。本作のなかでは変り種的と言える、チューバとエレクトロニクスのデュオ的な演奏(6曲目)もめちゃくちゃ面白い(後半にドラムとテナーが乱入(?)する)。何曲か、最後フェイドアウトする曲があるのも生々しい。ラストの9曲目はブルースだが、この曲で片山と関島は「癖」のありったけを披露する。なんという癖の強いひとたち! この演奏は本作の締めくくりにふさわしいし、片山さんの人生の締めくくりにもふさわしいような気がする。ああ、このアルバムが録音されていて本当によかった。
 このアルバムを片山広明の「遺作」として聴くのはたぶん間違っていて、そういう感傷なく聴くべきなのだとは思うし、本人もあっけらかんと吹きまくっているし、ユーモアも随所に感じられるので、聞いているときはそういう悲しい感情は湧いてこないのだが、だんだんとその「あっけらかん」の向こう側から壮絶な悲しみが侵食してきて、うるうるしてしまったりするのだから、音楽というのは一筋縄ではいかない。
 それにしても、本作を聴いてつくづく思ったのは、亡くなる直前にこんな凄い「音」を出していたテナー奏者は、死んではならない、ということだ。以前のように押し付けがましいほどのでかい音、というのではなくなっているが、実によく鳴っている個性的な良い音になっているなあ、と思う。フレーズがどうとか、内容がどうとかいう以前に、ここに聴かれる「音」の響きを聞くと、我々が失ったものの大きさを実感させられ、本当に「悲しい」というより情けない思いにとらわれる。なぜなら、それに対して我々はなにもできないわけで、「聴き手」の無力さを痛感する。豪快な音、豪快なビブラート、豪快なノイズ、豪快なフレーズ……全編、すみずみにまであふれる「片山節」としか言いようがないこの演奏を聴くと、ジャズとか即興系のミュージシャンが亡くなるということは、そういう「節」がこの世から消えることなのだなあと思ってしまってつらい(もちろんジャズや即興にかぎらず、あらゆるミュージシャンが大なり小なりそうなのだが)。