peter brotzmann

「STONE/WATER」(OKKA DISK OD12032)
PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET

 ブロッツマンが単身シカゴに渡り、同地の若手を率いて結成したグループの、1999年のカナダにおけるライブ。メンバーは、ブロッツマンにヴァンダーマーク、ガスタフッスンの3テナーに、ヴァンダーマーク5でおなじみジェブ・ビショップのボントロ、フレッド・ロンバーグ・ホムのチェロ、ケント・ケッセラーとウィリアム・パーカーの豪腕ツインベース、マイケル・ツェランとハミッド・ドレイクのツインドラム、そして近藤等則のラッパという編成。テナー3人は私の馬鹿耳には聞き分けがつかないが、どれもいいソロをしている。CD1枚で1曲という無謀な企てだが、いろいろ見せ場があってあきない。最後に出てくる過激なテナーソロ(たぶんガスタフッスン)とそのあとに続くボントロがとくにかっこいい。近藤さんはラッパというよりエレクトロニクスで歪ませた音塊をぶつけるようなソロをしている。

「BROKEN ENGLISH」(OKKA DISK OD12043)
PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET PLUS TWO

 上記から近藤等則を省き、マーズ・ウィリアムズ、ジョー・マクフィー、ロイ・キャンベルをくわえた編成。2000年のシカゴでのスタジオ録音。上記でも演奏していた「ストーンウォーター」にくわえ、ヴァンダーマークの曲である「ブロークン・イングリッシュ」の2曲を演奏している。メンバーの名前を見るだけでよだれが垂れそうだが、これはほんまにすごい。とくに1曲目は、いきなりパーカッションとボーカルでアフリカ風にはじまり、この雰囲気のまま続くのかと思いきや、それが終わると、突然破壊的な集団即興に。各人のソロもよく、テナーはみな狂ったようにブローしまくり(持ち替えのマーズ・ウィリアムズもいれると、テナーは4人いるのだが、聞き分けられない。30分過ぎたあたりから破壊的なテナーソロがはじまり、それがもうひとりのもっと破壊的なテナーソロに続くのだが、いったい誰なんだ)、大原裕っぽいボントロソロもかっこよく、聴けば聴くほど興奮する。この稿を書くにあたって10回ぐらい聴きなおしたのだが、飽きるどころか毎度新鮮である。特筆すべきはマーズ・ウィリアムズのアルトソロで、この暴れっぷりは何かに似ていると思ったら、山下トリオのころの坂田明だ。まえからずっとマーズ・ウィリアムズのソロは坂田さんと似ていると思っていたのだ。2曲目は異常なもりあがりを示しかけたあたりで、ばさっと斬り捨てるようにして終わる。かっこええ。

「SHORT VISIT TO NOWHERE」(OKKA DISK OD12044)
PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET PLUS TWO

 上記「BROKEN ENGLISH」と同じ日の録音で、両盤ともプロデュースはヴァンダーマークとブロッツマンであるが、これもなかなかの興奮の一枚である。収録曲数は一番1曲目は一番多く、4曲入っているが1曲目はマーズ・ウィリアムズの曲で、二つのけっこう難しいテーマをもつ、普通のビッグバンド的なものだが、アップテンポのリズムにあおられて吹きまくるソロイストを聴くだけで「きーっ」となる(子供か)。2曲目はマッツ・ガスタフッスンの曲で、タイトルはずばり「エリントン」。前半はストリングスの競演だが、後半、どすっ、どすっという恐竜の足音のような破裂的重低音にのって、サックスが暴れ始める。例によって誰が誰なのかさっぱりわからないが、凄まじいソロの応酬である。3曲目はアルバムタイトルにもなっているブロッツマンの曲で4曲目はチェロの人の曲。だいたいこのテンテットは、チェロの存在が鍵になっていて、激しくも暴力的な荒くれサックスたちのソロの合間に、ちょこっとチェロが浮き上がる瞬間がたまらない。ベイシーオーケストラにおけるフレディ・グリーンみたいなものか(ちがうって)。

「BROTZMANN THE CHICAGO OCTET/TENTET」(OKKA DISK OD12022)
PETER BROTZMANN THE CHICAGO OCTET/TENTET

 ブロッツマンのシカゴオクテット、テンテットの1997年時点の演奏をおさめた傑作3枚組。メンバーを見るだけでものすごい。ライナーを見ると、かつてはブロッツマンに、チャールズ・ゲイル、フランクライト、デヴィッド・ウェア、ジャミール・ムーンドグらがフロントというえげつないバンドもあったらしい(レコード化されてるのかなあ)が、これもまけずおとらずすさまじいメンツだ。皆、一国一城の主ばかり。97年1月に、ブロッツマンが単身シカゴを訪れ、同地の若手を組織して作ったのがシカゴ・オクテットで、同年7月に再訪の際、そこにジョー・マクフィーとマッツ・ガスタフスンの2名を加えたのがシカゴ・オクテットだ。なにしろ、フロントがサックスだけでも、ブロッツマン、ヴァンダーマーク、マーズ・ウィリアムズ、マッツ・ガスタフスンという、猛者ばかり(ジョー・マクフィーは今回はテナーは吹かず、基本的にはトランペット(ポケット・コルネット)に専念しているが、ソプラノもちょろっと吹いているらしい)。だから、ソロを聴いても、誰が誰やら見分けがつかない。ガスタフスンはテナーは吹かず、基本はバリサクだが、中音域以上で咆哮しているとテナーとほとんど変わらない。ヴァンダーマークのバスクラも、低音域だとはっきりわかるが、中音域以上でギャーッと叫んでいるとテナーと聞き間違う。ブロッツマンのテナーはやや音が丸くてでかく、ヴァンダーマークのテナーはエッジが立っていて、やや軽めの音で、ガスタフスンはだいたい声を一緒に出していて濁ったような音であるが、スクリームしはじめるとどれもおんなじに聞こえるし、とくに複数が一緒に吹いているコレクティヴ・インプロヴィゼイションのパートだとさっぱりわからん。また、ヴァンダーマークのクラリネットとブロッツマンのクラリネット、タロガトはほとんど聞き分けられない。マーズ・ウィリアムズのアルトソロだけはよくわかる。……という風に、ソロオーダーが書いていない(というか、書いても意味がない)ので、ざっくり全体像を聴くしかないのだが、とにかくものすごい演奏で、ひたすらひれ伏すのみである。1枚目1曲目冒頭の、全管楽器による雄叫びに度肝を抜かれ、いやはや「マシンガン」よりすごいわ、と言ってるうちに、2曲目ヴァンダーマークの曲のあまりのかっこよさにしびれまくり(この曲はほんと、名曲だとおもう。うちのバンドでやりたい)、あとはただただ聴きまくるだけ。3枚とも、どの曲も「これは」という場面があり、1曲のなかにさまざまな局面が用意されていて、私のようなサックス好きにはたまらんアルバムである。もちろん、ツインドラムやケッスラーのベースもよく、ジェブ・ビショップのトロンボーンはソロにアンサンブルに大活躍しているが、やはりなんといってもこれはブロッツマン以下サックス奏者たちを聴くアルバムでしょう。コレクティブになって、みながとめどなく絶叫するところなど、聴いていて熱く血がたぎるが、フリー系サックスを聞き慣れている私でも、あまりのやかましさに「やりすぎじゃーっ」と叫んでしまうところもあるほど。「うるさがた」(うるさいものが好き、という意味)に推薦。このメンバーで来日してくれんかなあ……。曲も多彩だし、伊福部昭風、渋さ知らず風、ファンクジャズ風、グローブユニティ風……とさまざまで聞き飽きない。この共演によって、シカゴの連中がブロッツマンから、あるいは相互に多大な刺激を受けたことはまちがいない、エポックメイキングな力作。

「WIE DAS LEBEN SO SPIELT」(FREE MUSIC PRODUCTION FMPCD22)
PETER BROTZMANN + WERNER LUDI

 急逝したヴェルナー・リュディとブロッツマンのデュオ。この盟友デュオは、ある意味、フリージャズにおける即興サックスデュオを極めた感がある。全曲、間然とするところのない演奏ばかりである。しかし……なーんか物足りない。何が物足りないのか。どうやら、あまりにふたりの息がぴったりで、しかも、ふたりとも、こういった演奏における駆け引きとかツボとかを心得すぎているので、演奏が一種の足し算引き算に見えてしまい、どんなに破天荒な展開になっても、それが予定調和に聞こえてしまうからのようだ。まあリュディのぶひぶひいうアルトの音を聴いているだけでもじゅうぶん幸福なのだが。傑作であることにまちがいはない。たぶん私がこうしたセッティングに求めるものが、もう少し破綻したものだというだけなのだろう。

「THE DRIED RAT−DOG」(OKKA DISK OD12004)
PETER BROTZMANN/HAMID DRAKE DUO

 ブロッツマンとハミッド・ドレイクのデュオ。ハミッド・ドレイクがからんでいるアルバムはどれもこれもいいので、期待して聴いたが、やっぱりなかなかよかった。一曲目の冒頭、いきなりすごい迫力の荒々しいテナーによる雄叫びで幕をあけるが、近年のブロッツマンは、そのパワーとテンションがどれだけ持続するかが勝負である。もともと、気合い一発、怒号のブロッツマンだが、年齢とともに、最初の緊張感を維持するのがむずかしくなってきているように思う。もちろん、フリーミュージックの世界にこれだけ長く身をおいてきたひとだから、一種のなれ合いになってしまう演奏もあり、それを回避するために、ブロッツマンはかなりの苦労をしてきたと思う。セッティングを選びに選び、また、共演者も選び、相手のソロに刺激を受けながら、老練なやりくりでボルテージをキープするわけで、それはそれでとてもおもしろい。シカゴテンテットが成功したのは、若い共演者にかなりの部分ソロを任して、彼らから刺激を受けつつ、自分はここぞというところで過激なソロを吹く……というやりかただったからだろうし、エレクトリックやロックリズムの導入によって変化をつけて成功したバンドもある。しかし、こういったドラムとのデュオでは、そういうやりかたができない。今のブロッツマンの生の姿が露骨に出てしまうわけだが、結果的に、よいできばえとなった。テンションも最後まで落ちないし「フリージャズの予定調和」も感じさせない、みずみずしい演奏が詰まっており、聴いていて楽しい。しかし、ブロッツマンって、こうしてたまにしみじみ聴いてみると、スカッとしないテナーだねえ(クラリネットもタロガトもだが)。ガスタフスンやヴァンダーマークマーズ・ウィリアムズとか聴いているとすごくそう思うし、チャールズ・ゲイルとかデヴィッド・ウェアとか聴いても思うことだが、彼らに比べてブロッツマンは音色も演奏もねちねちねちねちとねちっこい。その納豆のようにねちっこい演奏を、このアルバムでは堪能できる。まだまだいけまっせ、ブロッツマン。がんばれブロッツマン。

「IMAGES」(OKKA DISK OD12047)
PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET

 またまた出たブロッツマンテンテット。しかも、二枚同時発売。わたしゃこれが楽しみでねえ……と言いたくなるほどの、いつにかわらぬ豪華メンバー。ジャケットは、「売る気あるんかいっ」と叫びたくなるようなしょぼさだが、内容は抜群。最近、何をしてるのかよくわからなかったマーズ・ウィリアムズ(骨折して、メールスでは片手で吹いていたらしい。添野さん情報)も元気に参加して、吹きまくっている。しかし、これだけフロントが多いと、どのソロが誰か、ほんとわからんですわ。ソプラノを吹いてるのはクレジットによるとマーズだけなので、これはいいのだが(ただし、クレジットではソプラニーノと書いてあるが、うーん……ニーノかなあ。ソプラノの誤記の可能性もあるかも)、バリサクは誰? ヴァンダーマークっぽいけど、ガスタフスンかもしれんなあ。そういう細かいことを気にせず、総合的に音楽として楽しめばいいのかもしれないが、やっぱり気になる。ブロッツマンもヴァンダーマークもブロッツマンもガスタフスンも、テナーが主奏楽器だから、テナーの音はさすがに聞き分けられるのだが、持ち替え分がわかりにくいのだ。音色では正直言ってよくわからず、あとはプレイで聞き分けるしかない。クラリネットは、もう全然わからないっす。でも、一応、聞き分けに挑戦してみると1曲目(組曲風になっているので、1曲目というと37分なるヴァンダーマークの曲全部のことね)の最初のテナーはブロッツマンだろう。ジョー・マクフィーのトランペットを挟んで、マーズのソプラノ(あるいはニーノ)ソロ。テーマのつぎに出てくるのは、たぶんブロッツマンのアルトソロ。そのあとずーっとあって、金管ふたりの即興デュオのあと、ハミッド・ドレイクと思われるパーカッションとデュオをしているのはおそらくマーズのアルト。それからぐじゃぐじゃっとなって、出てくるクラリネットは……これはむずかしいが、ブロッツマンじゃないのかなあ。次の音を濁らせたテナーは、うーんこれもむずかしい。マーズのように聞こえるんですが、どうでしょう。ちがうかもな。ここでテナーがかわって、ヴァンダーマークになった、という可能性もあるし、そのままマーズが吹いているような気もするが、わからんわ。え? このテナーがブロッツマン? それはないでしょう……たぶん(もはや頭が混乱している)。ボントロソロのあとに出てくるバリサクは、きっとヴァンダーマークだと思います……。とにかく自信なし。二曲目は、つかれたので分析はやめます。でも、とにかく快感快感ひたすら快感の1時間。なぜにブロッツマンテンテットはこんなにも快感なのか。やはり、個々のテナーマンたちは、自分のリーダーバンドだと、ぎゃーぎゃー吹きまくるだけではだめだ、いろいろな表現を目指さなくては、と多彩な演奏をするわけだが、このバンドだと、相手はみんな大物ぞろいなので、そういう虚飾(といっては身も蓋もないが)を取り去って、俺が俺がのバトルになってしまう。本音が出るといういいかたでもいいだろう。そのあたり、ブロッツマンテンテットは、現代の「マシンガン・オクテット」といえるのではないか。

「SIGNS」(OKKA DISK OD12048)
PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET

「イメージズ」と同じときに発売されたもの。メンバーも一緒。とにかく聴き応えという点では最近のフリー系のアルバム数あるなかでも群を抜く。というのも、これだけのメンバーをそろえりゃ、そりゃあ個々のソロを聴いているだけで腹一杯になるわ。しかし、そういった単純なソロ回しだけの演奏とはもちろんまったくちがって、これだけのメジャーな連中を集めたにもかかわらず、演奏者間のインタープレイやせめぎあい、おれがおれがというでしゃばりの場面、一転してチェロがフィーチャーされたり……と聞き所が次から次へと目のまえに展開するので、飽きている暇もない。ほんと、ぜいたくな音楽である。これはやはり、リーダーであるブロッツマンが偉いのだろうな。凡百のリーダーでは、単に豪華な顔見せ……で終わってしまうだろうが、一本も二本も筋のとおったフリージャズになっている。ひじょーに古い古いタイプのフリージャズなのだが、こういうパワーミュージックは絶対に滅びないのだ。なんたって、聴いてて気持ちいいからね。とくに、サキソホンのパワーとか可能性みたいなものを味わいたいなら、ブロッツマンテンテットはまさにそのショーケース。スウィングガールズの皆さんも、一度聴いてみてはいかが?

「NO ONE EVER WORKS ALONE」(OKKA DISK OD12053)
SONORE

 ブロッツマン、ヴァンダーマーク、ガスタフスンという、現在のフリージャズシーンを代表する3人のテナー奏者が集結して、サックストリオを組んだという、ありそうでなかった趣向のアルバム。CDの再生ボタンを押して、出てきた音は、「予想どおり」。この組み合わせだとこうなるわなあ、という感じ。めちゃめちゃいいんだけど、期待を裏切られるとか期待を上回るということはない。それをよしとする考えもあるだろうが、個人的にはもうちょっと別のものがプラスされるとか破天荒でめちゃくちゃになるとかがあってもよかったように思った。なにしろ、まさに「フリージャズサックスの今」を体現している、世界最強の3人なのだ。足し算ではなくかけ算になってほしいのである。もちろん、内容はすばらしくて、何度も「おおっ」と思う瞬間もあったし、感心も得心もしたのだけれど、なんとなく予定調和の範囲内なんだよなあ。でも、衝撃とか新鮮さという点ではかなり薄くて、どうしてかと考えてみるに、これってブロッツマンテンテットの演奏のなかで、彼らだけの場面ってけっこうあるのだ。その部分を想起させるってことでしょうね。ここにマーズ・ウィリアムズが加わったら、まさにブロッツマンテンテットのサックスセクションだもんな。

「BE MUSIC,NIGHT」(OKKA DISK OD12059)
THE PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET FEATURING MIKE PEARSON

 ブロッツマン・シカゴ・テンテットの作品としては異色作にあたる本作は、ブロッツマンが、詩人(?)のケネス・パッチェン(と発音するのか?)の「ビー・ミュージック・ナイト」という詩をモチーフにつくったアルバムである。このケネス・パッチェンというひとは、たぶん有名なんだろうな。でも私はぜんぜんしらん。それに、朗読担当のマイク・ピアソンというひとも有名なんだろうな。このひともぜんぜんしらん。いつものテンテットから、ハミッド・ドレイクやマーズ・ウィリアムズを抜いたような編成で、ポール・ニルセンラヴが加わっている。それと、マッツ・グスタフソンとヴァンダーマークはテナーは吹いていない(サックスはバリトンのみ)。いつものテンテットなら、各メンバーが持ち寄った曲によって成り立っているわけだが、今回はブロッツマンによる3部構成の組曲になっており、冒頭から例によってというか、いつもどおりの集団即興が展開するのだが、それぞれのプレイヤーのフィーチュアリングの場面もあり、フリージャズとしても十分楽しめる。しかし、ブロッツマンの意図はどうやら二部冒頭にいきなりはじまるポエットリーディングとそのあとの展開にあるようで、そのあたりが従来のテンテットとはちょっとちがった企画アルバム的なものを感じさせる。正直いって二部は、だるくて長くてちょっと古くさいような気もするが、ブロッツマンというひとはやはり根本はこういうひとなのだなあ、と再認識したりする。朗読も、アミリ・バラカのような演劇的な要素もなく、英語の苦手な私にはおもしろいものではない。三部は、ブロッツマンのソロによる、バラード風(「ロンリー・ウーマン」っぽい曲)のテーマの提示があり、そこにほかの楽器が加わってきて、フリー系ソロ回しのあと、またテーマという、いつものテンテットのパターンだ。1部が10分、2部が40分、3部が10分という時間配分からしても、この長くて冗長に思える2部こそがこのアルバムの肝なのだろうなあ。よくわからんけど。

「ONLY THE DEVIL HAS NO DREAM」(JAZZWERKSTATT JW013)
SONORE

 いきなり世界三大怪獣の咆哮ではじまる本作は、徹頭徹尾、サキソホンの暴力性、サキソホンの可能性を徹底的にアピールしている。もちろんクラリネットやタロガト、手製楽器なども演奏されているが、全体を通して感じるのはやはりサックスという楽器のえげつなさ、かっこよさ、かわいさ、怖ろしさ、哀しさ……などである。そういう意味で、デビュー作のタイトルを「フォー・アドルフ・サックス」とし、あの凶悪サックス集団「マシンガン」のリーダーであったブロッツマンが、今、ふたたびサックスの魅力を世に問うための相方として選んだのが、ヴァンダーマークとグスタフスンだったのは、当然の選択だったと思われる。一曲目がいちばん長尺で、やはりいちばん手応えのある演奏となっている。とにかくひたすら、ひたむきにサックスを吹きまくり、吹き飛ばし、吹きすさび、吹き荒れる。ただ、一筋縄ではいかぬこの3人だけに、豪快一辺倒ではなく、それぞれが個性を発揮し、ときにリリカルに、ときにほのぼのと、起伏を持たせての表現なので、聞きあきない。もちろん基本的には咆哮につぐ咆哮なのだが。リズムがいないだけに、3人の良さがぐんと前に出ているのも、前作と同じである。このメンバーで来日してくれんかなあ……。

「RIGHT AS RAIN」(FMP CD112)
PETER BROTZMANN

 急逝したた盟友ヴェルナー・リュディに捧げたブロッツマンのソロ。ブロッツマンのソロアルバムは何枚かあるが、たぶん今のところ、これが一番新しいはずである。基本的にブロッツマンというひとは、本人は、インタープレイがどうの、とか、客とのコミュニケーションがどうの、とか言ってるが、実際には自分で自分の音に酔うタイプだと思っている。酔う、というのがダメなら、自分で自分を煽る、というべきか。もちろん共演者からの刺激は大きいが、どちらかというと「こいつを吹き負かしてやる」とか「こいつを吹き倒してやる」的な単純な場合が多く、ようするにブロッツマンを燃えさせてくれるやつを欲している場合が多いのではないか。だからこそ、幾つになっても、シカゴや北欧の若手だの、過激なロック的なコンセプトの連中とか、より大きい、深い刺激を求めているのだろう。だから、共演者がたとえ凡庸でも、あるいはめちゃめちゃ凄くても、ブロッツマン自身が燃え上がらないと緊張感に欠けた演奏になってしまう(昔、ライヴでそういうブロッツマンを二度ほど見たことがある。そのときも、ブロッツマンももう歳なのか、と思ったが、まったくちがったようだ。つまり、「そう言うときもある」のだ)。もっというと、共演者がいてもいなくても、ブロッツマンの音楽は成立する。そして、エヴァン・パーカーその他のように内側に「作り込んでいく」ソロではなく、外に向かって開けているソロなので、ブロッツマンのソロはどれも、謎めいたところなど微塵もなく、手作り感にあふれ、根源的で、暴力的で、優しくて、温かくて、子供じみていて、開けっぴろげで、かっこいい。このアルバムにおさめられた演奏はどれもそうで、リュディへの鎮魂歌という状況がブロッツマンに適度なテンションを与えており、名演である。

「AMERICAN LANDSCAPES@」(OKKA DISK OD12067)
「AMERICAN LANDSCAPESA」(OKKA DISK OD12068)
CHICAGO TENTET

 どうして二枚組にしなかったのかよくわからないが、「アメリカン・ランドスケイプス」というタイトルのようするになんの決まりもない集団即興が延々収められている。ブロッツマンのシカゴテンテットは、これまである程度かっちりしたテーマがあり、ソロ回しとバッキングがあり……という形式だったので、本作はブロッツマンの昔のスタイル(マシンガンとかいろいろ)に戻ったという感じではあるが、聴いた印象はまるでちがっていて、ある程度のブロッツマンによる指揮というか指示があるのだろう、ぐちゃぐちゃにならず、集団即興のなかからソロが浮かび上がって、そのソロがつぎのシーンを示唆する……みたいな形の連鎖で演奏がまるで生きもののように有機的にあらたななにかを生み、どんどん展開していくさまは、「今」の感覚をもった若いメンバーでかためたシカゴテンテットならではである。どこを切っても金太郎飴のように美味しいインプロヴィゼイションが飛び出してくるし、それも私好みの狂騒系、絶叫系、過剰系、咆哮系ばっかりなのでほんとにうれしい。とくにリード楽器に関しては、だれがどのソロとは決められないほど、みんなぎゃあぎゃあいっているが(だいたいの想像はつくのだが)、そんなことはどうでもよくなるほど素敵(はあと)。こういった原始の力みたいなものを、我々は音楽においてもっと重要視するべきだ。今、テレビをつけて流れてくる音楽は、どれもこれもイントロからつかみ、サビからエンディングまできちっと仕上げてダウンロードを待つばかりの商品となったものばかり。それで、このグループの新譜は過激だとか癒しだとかグルーヴするとかメッセージがどうたらとかいってるのだから呆れます。ミュージックステーションもうたばんもヘイヘイヘイも、ブロッツマンテンテットが乗り込んでいって、すべてをぶっつぶしてやればいいのだ。あちこちに、日本で作ったものとおぼしき「PETER BROTZMANN之印」という代表取締役印みたいな印鑑が押してあるのも愉快。

「CHICAGO TENTET AT MOLDE 2007」(OKKA DISK OD12072)
CHICAGO TENTET

 ジャケット裏の注釈に、ジェブ・ビショップはギグに参加できなかった。我々の心のうちに彼はいると書かれているのが気になるなあ。ビショップは病気なのか? シカゴテンテット10周年を記念したアルバム(だと思う)。一曲目は非常にスローなインプロヴィゼイションではじまるが、こういった「静かな集団即興」のうまさはこの連中ならではである。一転して過激な展開になるが、ソロがつぎの奏者にバトンを渡すたびにリズムセクションを含めた全体のイメージががらっと変わるのは、たいしたものというかさすがというか、こういうやりかただと聴いていてもぜんぜん飽きない。シカゴテンテットの良さは、思い切りの良さというか潔さだと思う。展開が、まるでのぞきからくりの紐をひっぱったみたいに、一瞬でガタリ!とつぎの場面に転換し、ソリストは瞬時にすべてをのみこんで、全身全霊をこめて吹きまくる。このバンドがなぜほかのバンドとちがって聞こえるか、という理由のひとつに、ぎょええっと叫ぶときの気持ちの入れかたがちがう、ということがある。そんな抽象的なことで……と思うかもしれないが、たしかにちがう……と思う。一曲目の途中で煽りたてるようなソロをするトロンボーンがめちゃめちゃかっこいい。2曲目はずっとフルテンションでずるずるべったりなソロをするアルト(だれ?)がかっこいい。3曲目はノイズをまき散らすだれか(たぶんロンバーグホーム)がかっこいい。ブロッツマンの仕切りの場合は、ほとんどが純粋な即興演奏だが、このバンドは、コンポジションがどうとか、即興がどうとかいったレベルを通り越して、「なんでも一緒」の境地にまで達しているような気がする。

「HAIRY BONES」(OKKA DISK OD12076)
BROTZMANN/KONDO/PUPILLO/NILSSEN−LOVE

おお、お久しぶりであります、近藤さん。昔は、しょっちゅうライヴに行ったものです。もちろんブロッツマンとのライヴも聴いた。しかし、最近はとんとごぶさたで、エッセイ集は読んだりしているのだが、演奏を聴くのはたいへんブランクがある。正直、ちょっとこわかったが、ドラムがニルセンラヴなのでそういう興味もあって聴いてみた。結論からいうと、めちゃかっこよかった。ブロッツマンはいつものとおりだが、近藤等則が昔に戻った感じの鋭い即興的斬りあいに徹していて、すがすがしかった。この「昔に戻った」というのは嫌な言葉であり、近藤氏自身はたぶん、コンポジションや固定リズムをまえに出した演奏をしていたころも、インプロヴァイザーとしての活動も行っていたのだろうが、これはあくまで聴き手である私にとっての……ということですね。激しくも楽しいやりとりが堪能できる作品。エロいジャケットデザインも秀逸。

「PICA PICA」(FREE MUSIC PRODUCTION FMP−RECORDS FMP−1050)
BROTZMANN MANGELSDORFF SOMMER

 ブロッツマンとマンゲルスドルフは、はるか昔から、たとえばグローブ・ユニティその他でも席を並べ、自己のトリオ(フレッド・ハン・ホフ、ベニンク)にプラスワンしたりして(あの三枚は傑作だと思う)、しょっちゅう共演しているようなイメージがあるが、実際、ブロッツマンとマンゲルスドルフは本来水と油なのではないだろうか。八方破れで気合い一発のブロッツマンに比べて、マンゲルスドルフは繊細で、きっちり吹くひとなのである。本作を聴いても、ブロッツマンは良くも悪くもマイペースで、いつもの豪快なブロウで、とりあえず吹いてみて、そのときの感情の動きや共演者の出方に任せ、あとは知らんよ……的な行き方である。ギュンター・ゾマーはこれもあいかわらずうまいし、パワーもあるが、ブロッツマンとはちゃんと合っている。となると、マンゲルスドルフがブロッツマンのやり方に合わせていくしかない。だから、本作を聴いていると、ブロッツマンはいつもどおりで、マンゲルスドルフが、いつもの繊細な表現を捨てて(というか、途中であきらめて)ブロッツマン流のガーーーーッという表現に合わせているように思う。だが、それがダメかというとそんなことはなく、全体にスリリングな部分も多々あって、フリージャズとしては(聴いている分には)すごく楽しい演奏になっているのが、フリーという音楽の不思議なところだ。もう二十年以上まえの演奏だが、古くなっていない。

「GO−NO−GO」(FREE MUSIC PRODUCTION FMP−RECORDS FMP−1150)
PETER BROTZMANN ALFRED 23 HARTH

これを買ったころ、日本ではジャズ批評という雑誌によって、アルフレッド・23・ハルト(とハイナー・ゲッペルス)というすごいやつがいるらしいぞ、という感じで一種のブームが起こっていた。私は、ゲッペルス〜ハルトの「ペキン・オペラ」などの作品が入手できず、うーん、きっとめちゃめちゃすごいだろうなあ、聴くのが怖いなあ、と思っていた。フリー系で話題先行の奏者についてはいつも期待半分怖さ半分だ。そんなときに入手できたのが本作である。えええーっ、ブロッツマンとのデュオ? これはきっとものすごく斬新でものすごく最先端のインプロヴァイズドミュージックが聴けるにちがいない。おそるおそる聴いてみると……うーん、非常に良質のサックスデュオであった。どちらかというと古風な、つまり私好みの、ジャズの尻尾をひきずったようなアコースティックな即興だ。しかし、アルフレッド・ハートに私が期待していたのはもっとなんというか先鋭的な、聴いたこともないような、予想をはるかに上回るような「新しい」音楽だったので、本作がちゃんとした演奏であればあるほど、なんだかがっかりしたような記憶がある。その後、ほかの諸作も聴いて、本作がハルトとしてはかなりおとなしめの、相手に合わせた感じの演奏であったことがわかったが、このアルバムを買った店のマスターとしゃべっていたら、そのひとも本作ではじめてハルトを聴いたらしく、「もっとすごいのかと思ってた」との感想だった。最近のハルトの演奏を聴いていると、彼が伝統にのっとった、たいへんしっかりとした基礎のうえにすべてを築いている、サックス奏者としても楽器の鳴らしかたなどの基本をおさえたミュージシャンであることがわかるが、この作品を聴いた当時は、伝統の破壊者的な印象だったのである。今回、あらためて聴いてみて、なるほど、ブロッツマンはマイペースなんだからそれに合わせるしかないわなあ、と思ったり、ブロッツマンという先達への敬愛がこういった演奏になったのか、と思ったり、とにかく好ましいイメージだった。最初に聴いたときは、正直、なんやこれ、と拍子抜けしたものだが、アルトの無伴奏ソロになるところなど、めちゃめちゃかっこいいし、なによりも「ちゃんとして」いる。だんだんその真価がわかってくるタイプのアルバム。

「SOLO」(FREE MUSIC PRODUCTION FMP−RECORDS FMP−0360)
BROTZMANN

 ブロッツマンというひとは、だれと共演しても、どんな編成でも、やることはだいたい同じだ。バクッとマウスピースをくわえて、ガーーッと吹いて、ギョエーッと吠え、ピュピュピューッとフラジオにのぼり、おしまいである。いつでもどこでも同じというのがブロッツマンのスタンスだ。となると、なまじ共演者がいるより、ソロのほうがブロッツマンのすべてがリアルにわかるんじゃないか……と思うのが当然である。実際、ブロッツマンはたくさんソロアルバムを出していて、うちにあるだけでも4枚ぐらいある。なかでも本作は白眉ともいえる出来映えで、クラリネット、タロガト、アルト、テナー、バリトン……を駆使して八面六臂の活躍が聴ける。もう、めちゃめちゃ楽しいアルバムなのだ。ブロッツマンにしては珍しく、リリカルな曲やメロディのある曲などがけっこうあるのも、ソロアルバムならではだろう。また、B−1では、これはかなりめずらしいと思うがクラリネット2本を一度にくわえてのローランド・カーク吹きが聴ける。こういう試みも、ふだんのブロッツマンではあまり見られない。サックスソロというと、阿部薫のように「間」をいかした演奏か、エヴァン・パーカーマターの循環呼吸によるベーシックな音のうえにいろいろな音を積み重ねていき、ひとつのパノラマのように見せる演奏、リズミックなラインを発展させていく演奏……などさまざまだが、ブロッツマンの場合はあんまりそういうことは気にしていないようで、一種の鼻歌のようなものだと思う。もちろん、異常なまでに迫力のある鼻歌だが。そういうところが、じつはサックス奏者のソロのなかで、一番自由さを感じさせるのだ。ハーモニクスや循環呼吸といったギミック(?)をほとんど使わず、ただ単に「吹くだけ」でこれだけの世界観を作りあげてしまうブロッツマンはやっぱりただものではない。とにかく一曲目を聞き出すと、B面ラストまでほんとに楽しく聴けてしまうアルバムで、私にとって本作との出会いはけっこう重要だった。ソロというのはこんな風にあっけらかんと吹いてもいいんだと、重圧から解放されたというか、自然体でやったらいいんだよなー、ということを教えてくれたのだ。裏ジャケットの、サックスやクラリネットのリードを並べたアイデアも秀逸だし(このあたりの楽しさはサックス奏者にしかわからんかも)、ラストの曲の一番最後に、突然ヘタウマなピアノ演奏が登場し、そのままエンディングにいたる構成も良い。エヴァン・パーカー、アンソニー・ブラクストン、阿部薫、宇梶昌二、梅津和時、林栄一、デヴィッド・ウェア、デヴィッド・マレイ、ジョン・ブッチャー、ハンス・コッホ、カルロ・アクティス・ダート、アシーフ・ツァハー、マッツ・グスタフソン、ウルス・ライムグルーバー(ああ、ほかにもいっぱいすごいのがあるなあ。書ききれんわ)……などなど輝かしい作品群が並ぶサックスソロアルバムのなかでも、金字塔といっていい出来映えだし、ブロッツマンの数多いアルバムのなかでも傑作だと思います。ブロッツマンのソロをどれか一枚、といったら、まず本作を勧めたいぐらい気に入ってる作品。

「14 LOVE POEMS」(FREE MUSIC PRODUCTION FMP−RECORDS FMP−1060)
BROTZMANN/SOLO

76年に上記「ソロ」を出したあと、8年の歳月を経てのソロ第二弾である。「ソロ」の初々しさとか充実度、テンション……などのかわりに、余裕が感じられる演奏ではあるが、本質的には8年まえとなにも変わっていない。というか、ブロッツマンというひとは「フォー・アドルフ・サックス」でデビューして以来、今日までほとんど変わっていない稀有なミュージシャンだと思う。進歩がない、というのではない。はっきりいって、最初から完成されていたのだ。というか、このむちゃくちゃででたらめな演奏に進歩とかの文字は不要だ。もちろん共演者をどんどん変えていったり、シチュエーションその他を変えることで新しい側面をいつも見せてくれるブロッツマンではあるが、本人は最初から「原始そのまま」というかプリミティヴなのである。というわけで、本作はあいかわらずすばらしいブロッツマンの等身大の姿が楽しめるソロ作だが、一曲目をバリトンによる「ロンリー・ウーマン」で飾っているほかは全編即興だと思われる。この「ロンリー・ウーマン」も、ブロッツマンがあの「ロンリー・ウーマン」を演った! という感じではなく、ほかの演奏に溶け込んだ、じつに自然な演奏である。ジャケットの記載を見なければ、ふーん、ロンリー・ウーマンっぽい曲やってるなあ、で終わっただろう。楽器をとっかえひっかえ(なんと7種類。マウピだけの演奏をいれると8種類か)、いろんなパターンの曲を演奏して飽きさせない工夫は「ソロ」と同じで、聴いていて楽しい。それに、だれかとの共演作ではなかなか聴くことのできない、ふだんは出さない彼のさまざまな面をも聴くことができるのがソロの良さである。タイトルの「14ラヴ・ポエムス」というのはまさにそのとおりで、これはブロッツマンの書いた14の詩だろうと思う。そして、ブロッツマンの演奏には、シニカルさやスタイリッシュな面はあまり感じられない。つねに彼は共演者を、そして聴衆をハグしている。小細工は皆無だ。まさしく「愛の詩」である。ジャケットも秀逸。

「CALL BEFORE YOU DIG」(OKKA DISK OD12083)
SONORE....LOFT/KOLN

 おそらくブロッツマンテンテットから派生したグループであるソノア。こういうのは、昔、ベニー・グッドマン楽団におけるグッドマン〜テディ・ウィルソン〜ライオネル・ハンプトン〜ジーン・クルーパのカルテットやカウント・ベイシー楽団におけるカンサスシティ7などの、いわゆる「ピックアップコンボ」を思わせておもしろい。あるいは、「かまいたち2」における「三人のゴーストハンター」みたいなものか。ブロッツマン、ヴァンダーマーク、グスタフソンという当代の三大怪獣サックス集結した、非常にぜいたくなメンツであり、しかもリズムセクションがいないだけに、彼らのサックスの咆哮を思う存分浴びることができるという、狂乱凶暴系サックスの愛好者にとっては夢のようなバンドだが、かなり聴き手を選ぶと思う。なにしろ、ほぼ100パーセント即興であって、いわゆるサックスアンサンブル的な部分はほとんどない。ひたすらギャーギャーピーピーと、やかましいにもほどがあるサキソホンミュージックである。こういう演奏を聴くと、ギター弾きが集まって演奏する「ギターミュージック」に対して、私があまりよい印象を持っていないことを思う。あの連中は、セッションしながら、おお、そう弾きますか、じゃあ私はこうです、ああ、そんな小技を、なかなかどうして、あなたは指弾きなら私はピックで、こういうアルペジオはどうですか、ほほう、そう来たか、やりますなあ、ギターっていいですなあ……みたいな感じの無言のやりとりをしているようで、けっ、こんなものはギター弾き以外にはわかんねーよ、と言いたくなるが、世の中にはアマチュアギタリストが多いのか、そういうギターを中心にした演奏はかなり人気があるようだ。私は、ソノアを聞いて、自分のそういう態度を反省する。これはある意味、サックスによる「ギターミュージック」である。サックス奏者にしか、本当の意味でのこの演奏の醍醐味はわからんだろうと思う。ギターの悪口を言ってすまなかった。私はこの二枚組を聴きまくるから、きみたちはスーパーギタートリオでもなんでも聴いてくれ。というような気持ちになるのである。しかし、ソノアのアルバムもすでに4枚目しかも、今回は二枚組である。ということは、こういうサックスによるサックスのためのサックスだけの演奏というのは、意外に愛好家がいるのかもしれんなあ。一枚目はライヴで二枚目はスタジオ。スタジオのほうは短い曲がずらーっと並んでいる。しかし、一種の即興組曲のようなものなので、ブツ切れ感はなく、一曲のながーい演奏のようにも聴ける。二枚組だが、全然長さを感じず、退屈どころか、もっとずーっと永遠に聴いていたいような気になる。演奏の流れというところでいうと、ブロッツマンがやっぱり全体をしきっている感じがあります。それは、一種の古いタイプの即興ということだが、そういうはっきりした指針というか方向性が、三人にきちんとした明確なベクトルを与えていて、非常に具体的なアイデアのある演奏になっているところが、聴いていてじつに気持ちいいのである。もしかしたらこれまでのソノアのアルバムのなかでは一番好きかもしれない。まいったまいった。

「3 NIGHT IN OSLO」(SMALLTOWN SUPERJAZZ STSJ197CD)
PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET + 1 AND MIXED GROUPS

 すっかりおなじみになったブロッツマンシカゴテンテットの最新作。もはや、「シカゴ」という名前がついているのがおかしいぐらい、ワールドワイドな恒常グループとして定着している。かつてはこんなことは考えられなかった。別々の国、別々の大陸に住んでいるミュージシャンが、こうしてレギュラーバンドを作って、かなりのペースで活動するなんて、ありえなかったことだが、単純に「世界は狭くなったなあ」ということではなく、やはりリーダーのブロッツマンの強力なリーダーシップがこの活動を可能にしているのだろうと思う。11人のメンバーのうち、ブロッツマンとヨハネス・バウアーがドイツ、グスタフソンとホルムランダーがスウェーデン、ニルセンラヴがスウェーデン、ヴァンダーマークとロンバーグホームとケント・ケスラーとジェブ・ビショップがシカゴ、ジョー・マクフィーとマイケル・ツェラングがニューヨーク……とシカゴの割合めっちゃ少ないやん。しかも、録音もノルウェイである。これをシカゴテンテットと名乗っていいのかどうかという問題はさておき、正直言って私はあまりこの新作には期待していなかった。初期のシカゴテンテットはそれぞれのメンバーが持ち寄ったコンポジションをやる、という面白さがあったが、最近はほとんど全部が即興だし、しかも、その活動のある程度の部分はyoutubeとかで観られるし、そのうえ先日は、メールスジャズ祭でのテンテットの演奏をユーストリームでリアルタイムに体感することができ(技術の進歩万歳!)、スモールタウン・スーパージャズからオスロでの三日間のコンサートをまるごとパッケージした5枚組が出るときいても、まあ、最近の活動の一端を切り取ったものにすぎないわけだから、あのメールスのユーストリームとほとんどかわらんだろう、ぐらいの気持ちでいたのだ。しかし、聴いてみてぶっとびました。めちゃめちゃええやん! これは驚いた。5枚組だが、すべてがテンテットではなく、そのうち3枚はメンバーの順列組み合わせによるさまざまな小編成コンボである。まず2枚目を聴いてみよう。ソノアの演奏は、ブロッツマン、ヴァンダーマーク、グスタフソンという当代きっての暴れん坊インプロヴァイザー3人による演奏だが、あいかわらずすばらしい! イマジネイションが半端じゃない。サックス3人の即興としては、お手本のようで、なおかつ極北でもあるというヤバい演奏。つづいてのツェラングとニルセンラヴのデュオも、聴けば聴くほど技術と表現の合体がひしひしと胸を打つ。バウアーとホルムランダーの金管デュオも、温かくて冷たい最高の演奏。3枚目にうつると、この5枚組の白眉ともいうべき、ヴァンダーマークとマクフィーのデュオ。これはすごい! 力強く、2本の管楽器とは思えないぐらいもりあがり、表現力も豊か。感動するしかない。じつはこのセットが一番好きだったりして。そのあと、ビショップとニルセンラヴのデュオは、トロンボーンとドラムという、個人的にもかなり興味深い編成で、奥の深い演奏。楽しい! 4枚目はサーヴァイヴァルユニット3という、マクフィー、ロンバーグホーム、ツェラングによる変則トリオ。これもめっちゃおもろい。ロンバーグホームのチェロが起爆剤になっているが、マクフィーの変幻自在で筋の通った演奏にも感動。そして、「トロンボーン・クワイア」と名乗る4人による演奏だが、名前はトロンボーンクワイアだが実際には、トロンボーンはバウアーとビショップだけで、ジョー・マクフィーはポケットトランペットで、ホルムランダーはチューバとチンバッソ。チンバッソは、まあバルブトロンボーンに含めてもいいか。これもよかった。そして、1枚目と5枚目がシカゴテンテット+1による演奏だが、なにしろ長尺なので途中でとめずに聴きとおすのはたいへんだが(とくに1枚目は53分一本勝負)、圧倒的にパワフルで圧倒的に存在感があり、圧倒的に個性的で圧倒的に緻密、そして奔放な演奏が延々と詰まっていて、あー、これは至福、極楽、神様仏さま……と叫ばざるをえないほど。いやー、これはええわー。この5枚組、ブロッツマンテンテットの新たな黄金時代の開幕を告げる傑作ではないだろうか。

「THE BRAIN OF THE DOG IN SECTION」(ATAVISTIC ALP−186CD)
BROTZMANN/LONBERG−HOLM

これもシカゴオクテット〜テンテットの副産物のひとつだろう。一曲目の冒頭から激しくかますブロッツマン、そしてそれをがっしり受け止めて、ゆらぎのなかにも切り込んでいくロンバーホルム。サックスとチェロという楽器編成からは考えられないほど過激で、やかましく、ノイジーな演奏だが、爆音のなかに繊細さと豊穣さがある、というブロッツマンがずっと守り続けてきた方法論がここでもシンプルに生きている。もちろん、さまざまな局面が転がる石のように展開しつづけていくタイプの即興なので、なにが起こるかわからないが、こういった手練同士のデュオは、そういったこともぜーんぶ含めて、じつは予定調和になりがちだ。しかし、このデュオは、そうはさせん! という強い意志を感じる。これは共演者をちゃんと選ぶことによって成立する、インプロヴィゼイションにおいてはけっこう大事なことなのだと思う。チェロもそうだが、ロンバーホルムのエレクトロニクスの使い方はとても皮肉っぽいユーモアにあふれていて、しかも引き出しがめちゃくちゃ多く、真剣一筋になりがちなブロッツマンにはぴったりだ。こうして即興における「緩急」が生れていくのですねー、という見本のような演奏である。一瞬たりとも途切れないふたりの超人的な集中力については頭を下げざるをえません。

「THE ROCKS AND A PINE」(NINTH WORLD MUSIC NWM020CD)
THE WILD MANS BAND

えー、またこんなん? という声が聞こえてきそうだが、こんなんでなにが悪いねんと開き直りたい。ペーター・ブロッツマン、ペーター・オレ・ヨルゲンセン、ペーター・フリス・ニールセンという3人のペーターで構成されているこの「野蛮なおっさんらのバンド」というえげつない名前のグループは、ほかにもヨハネス・バウアーを入れたアルバムがでているのだがそれは未聴。本作はゲストにグスタフソンが加わっている。曲は14曲も入っていて、長いもので13分、短いものは22秒とか59秒とか1分半ぐらいのものもあり、バラエティにとんでいて飽きさせない。グスタフソンは、テナーとバリサクだが、基本はバリトンを吹いていて、「野蛮なおっさん」のレギュラーであるはずのブロッツマンよりももっと野蛮な演奏を展開する。こういうのは、理屈ではありませんね。とにかくひたすらかっこいいし、気持ちいいのだからしかたがない。たとえば4曲目で、絶叫しながらサックスを吹いてリズムというかベーシック部分をつくり出すグスタフソンに対して(それだけでも十分頭がおかしいが)、そこにブロッツマンのクラリネット(かタロガトー)が載って、わけのわからない世界をつくり出している。あー、おもろいなあ。6曲目は本作中もっとも長い演奏(13分)だが、これは4人が全力を出し切ったガチンコパワーミュージックで、まあ結局こういうのが好きなのだ、わしゃ。多楽器奏者であることをうまくいかした展開で、どの曲も「楽器」個々の個性というかキャラクターをちゃんとわかったうえで使っているので、そこに無限のバラエティがうまれ、まったく飽きない。このあたりの「見切り」はさすが熟練。しかし、熟練とか巧緻とかいうだけでなく、そこに命を吹き込む熱いパトスがあるわけで、それはこのメンバーなればこそ。聴き終えてしみじみと、ああ、ブロッツマンはええなあ、グスタフソンはええなあ、と感慨にふけるような傑作であります。ベースとドラムも、狂気じみたところまではいかないけど、「心得てる」感じですごくいい。

「SWEET SWEAT」(SMALLTOWN SUPERJAZZZ STSJ−143CD)
PETER BROTZMANN PAAL NILSSEN−LOVE

 ブロッツマンとニルセンラヴという組み合わせはいろいろなシチュエーションでたくさんあったと思うが、ふたりだけのガチンコのアルバムというのはこれがはじめてかもしれない。これが、いいんです! めっちゃおもろいんです。どの曲がどう、というのはほとんど意味がなくて、ああ、ブロッツマンというのはこれしかないんだなあ、このやりかたで何十年もやってきたんだなあ、説得力あるなあ、すごいなあ、ニルセンラヴはパワフルだしうまいしセンスあるしいうことないなあ、このふたりが組んだらこうなるか、すごいなあ、とアホのように、あたりまえの感想をひたすら感じるだけなのである。ブロッツマンもいつものブロッツマンである。ニルセンラヴもいつものニルセンラヴである。しかし、このふたりの激突は、「なにかがちがう」感じがする。1+1=2だがそれがなぜか100にも1000にもなる。それが即興のマジックなのだ。言葉では言い表せないほどいい。二曲目など35分近い演奏で、正直、サックスとドラムのデュオで35分やったら、どこかはかならずダレる。リスナーにわからなくても、やってる本人はわかる程度にはダレる。しかし、ここでの演奏は、(ほぼ)ダレない。これはすごいことですよ。どうしてダレるとかダレないとかにこだわるの? ダレたっていいじゃん。そのあとめちゃめちゃすごい演奏になれば。それが即興というものじゃないですか? という意見ももちろんあるだろう。だが、実際に演奏している即興家のひとに、ダレてもいいと思ってますか、と質問したら絶対にそうは答えないだろう。ダレるのがしかたないと思っていたとしても、客前でダレてもいいと思っているひとはいないと思う。それは本格ミステリの作家が、可能性をひとつずつつぶしていく箇所とか、容疑者ひとりずつに同じような尋問をして所持品だとかアリバイを確認していく箇所とかは絶対ダレるのだが、それはべつにいいんだ、と思ってるわけではなく、しかたないと思っているのと似ているかも。作家である以上、ダレてもいいんだよ、だって本格ミステリなんだからね、と思っていることは(たぶん)絶対ないと思う。みな、いろいろ心を砕いて、なんとかそういう場面もおもしろく読まそうとしているにちがいない(私は本格の人間ではないのでわからんけどね)。それと一緒で、なるべくダレないにこしたことはない。このブロッツマンとニルセンラヴの演奏は、ほんと、ずーっと聴いててもこちらの集中力が途切れない。まさに「絶品」である。ブロッツマンはこういうポテンシャル、クオリティの演奏を50年以上もやってきてるわけで、そのときそのとき新たな共演者と恵まれることによって、それを維持してきたのだ。すごいことですよ、これは。ここに収められている演奏は、まるで彼のデビュー作のように新鮮で、手あかがついていない。技術とか緩急とかインタープレイとかももちろんだが、そういったいつも一期一会で、新しい気持ちでプレイするブロッツマンに拍手。

「BLACK HOLE」(ATAVISTIC ALP187CD)
FULL BLAST

スイスの爆音系ノイズミュージシャンふたりとブロッツマンが結成したトリオによる二枚組(一枚目は2008年のスタジオ。二枚目は2005年のライヴ。二枚のアルバムをカップリングしたお得なCDなのか?)。来日も果たした。ベースとドラムのふたりは、本当にめちゃめちゃうまくて、テクニックも超バカテクでアホみたいにすごく、しかも大音量でガンガン行くタイプ(とくにドラムの「雪崩をうったような」プレイは恍惚となる)ただし過激。ブロッツマンは逆に、「これしかできまへん」といって手の内を全部さらし、無骨にヘタウマを極めるタイプ。ただし過激。そういう異種格闘技がうまくいくのは、ラスト・イグジットですでに実証されているわけだが、このトリオはそれをもっともっと突き詰め、シンプルにぶつけた感じで、めちゃめちゃかっこいい。聴いていて惚れぼれするし、ものすごく気持ちがいい。ブロッツマンはいつものブロッツマンであり、ブロッツマンに徹している。私に予備知識はないが、ベースとドラムのふたりも、おそらくいつもの自己に徹しているのだろう(1枚目7曲目のドラムソロのところなど、なにごとが起こったのかと思いましたがな。すげーっ。異常なポテンシャル。狂気じみたテンション。ブロッツマンもすげーっ)。だから、双方のあいだには溝というかギャップがある。それなのに、両者が完璧に溶け合っているのがすばらしい。老巧なフリージャズミュージシャンが相手だと、互いにやり口もわかっているし、同じ土俵で、同じ言語でやりあうわけだから、予定調和的になる場合もあるが、このトリオはめっちゃ新鮮であり、しかも、いきなり頂点をきわめたような突撃をみせてくれる。これはよろしおまっせ! それにしても、いつまでも新しい共演者、新しいサウンドを模索し、しかもそれと対等にガチンコでぶつかりあう、そして、自分はぜったいに変わらないブロッツマンの頑固一徹はまさに寺内貫太郎だ! 偉大としか言いようがない。人間国宝に認定するしかないでしょう。本作を、ブロッツマンの新しい代表作と認定いたします。ブロッツマンというといまだに「マシンガンセクステットがどうのこうの、グローブユニティがどうのこうの」とか言ってるひとに、今やこんなことになっとりますよ! と突きつけてやりたい感動の快作です。ライヴのほうも、えげつないまでにかっこいい、究極のやりたい放題がてんこもり。とにかく最初っから最後まで徹頭徹尾ドラムすげーっ。みんな、大音量で聴いて、目を点にしましょう。まさに目が点爆弾。

「CAFE OTO/LONDON」(TROST TR108)
SONORE

おなじみSONOREの2011年録音。タイトルそのまんまの、ロンドンのカフェ・オトというところで録音されたらしいがそのわりには拍手とか客声が聞こえないので、エンプティ状態での録音かも。この3人は、言うまでもなく「猛者」である。それはどういうことかというと、それぞれが自分の肉体を鍛え、精神を鍛え、楽器に習熟し、新しい境地を目指し、しかも日々、世界をまたにかけてハードなギグをこなしている。それは誰にいわれなくても、そうしているのだ。音楽家/パフォーマーとしてそれが当然のことだからである。だれに寄り掛かることなく自分の足で立っている3人なのである。それがときどき、こうして出会い、演奏する。なにをあたりまえのことを言うとんねん、と言われるかもしれないが、なかなかそうはいかないもんですよ。皆、互いに寄り掛かりあい、頼りあい、相手がなんとかしてくれるだろうという、あなた任せの即興も多いが、彼らはそうではない。怖いほどにひとりひとりが確立していて、それがぶつかりあったとき、反発しあってぐじゃぐじゃになる可能性もあるのに、こんなにも溶け合って、すばらしい演奏を生む。3人が同時にフラジオを、まるでだれかが指揮したように同じポイントで出す、というような瞬間が何度もあるが、これはマジックとしか言いようがない。1曲目はヴァンダーマーク、2曲目はグスタフソン、3曲目はブロッツマン、4曲目は全員……というクレジットがあるが、聴いてみると、まあ、それは作曲というより、ちょっとしたモチーフだったり、即興の「肝」をだれがとるか、といったぐらいの意味合いだと思われます。すがすがしく、かつ、濃厚で、圧倒的な演奏であります。

「YATAGARASU」(NOT TWO RECORDS MW894−2)
BROTZMANN/SATOH/MORIYAMA(THE HEAVYWEIGHTS)

 こういう3人のツアーがあったというのは知っていたが、録音されてアルバムになるとは知らんかった。内容は、もう凄まじいの一言。録音時の年齢はブロッツマンがたしか70歳、佐藤允彦がたぶん70歳、森山威男がおそらく66歳で、もう老年の域に足を突っ込んでいるわけだが、そのへんの若い衆が束になって押し寄せても、ひと吹き、ひと叩き、ひと弾きで吹き飛ばしてしまうほどの怖ろしいまでの精力とパワーと集中力に満ちている。パワーが衰えない、というのはこういうときの常套的な誉め言葉だが、それよりも集中力が途切れないことに驚く。この3人は、これだけ長い間演奏活動を行っていても、惰性とか馴れ合いというものがない。すごいことであります。このアルバムに収められている演奏は、とにかくあっけにとられるぐらい凄いのだが、ブロッツマンはいつものブロッツマンだし、佐藤允彦はいつもの佐藤允彦だし、森山威男はいつもの森山威男であって、それ以上でも以下でもないのだが、なぜかものすごく新鮮で、「新しい音楽」のように思えるのだ。原始的でワイルドなのに、ぴちぴちという音が聞こえてくるほどに新鮮で最先端なのだ。これはなぜだろう。もちろん考えても結論はでないだろうが、彼らが毎回、技術以外の部分をリセットするタイプのミュージシャンだからではないだろうか。一曲目冒頭から3人の凄まじいサウンドの嵐が吹き荒れる。これはもう理屈とか分析とかを軽く吹っ飛ばすだけの原体験的な音であって、涙が出るほど感動する。懐古趣味的な感動でも、名手三人そろった顔合わせへの感動でもない。ただ、ただ、ひたすら「音楽」としての感動であります。ブロッツマンは凶暴に吹きまくり、ひたすらに暴走しているようだが、このアルバムではじつはめちゃめちゃ「引いて」いる。ふたりの共演者を注意深く聴き、出るときは出るが、ひっこむときはひっこんでいる。このあたりのかけひきが、少しいつものブロッツマンとはちがう。これで「引いて」るの? という意見がでそうだが、私の印象としてはそうです。とにかく3人のトライアングルは完全な正三角形である。3人ともおのれの音楽をぶつけ合い、一歩も退いていないのに、それが見事に調和しているこの凄さは、とにかく聴いてもらわないとわからない。そして、(これもリスナーの勝手な妄想といわれればそれまでだが)ブロッツマンは佐藤と森山の演奏に「おおっ、すげーな、こいつ」とか「めっちゃええやん。なんじゃこれ」といった感激をもって接しているような感じが伝わってくる。それぞれのソロになるパートや、デュオの部分など、聞きどころがてんこ盛りなのだが、いやはや、佐藤さんと森山さんが日本の生んだ「宝」であることを実感する。いや、ほんま、凄すぎるんですよこの3人は。入手してから何回聴いたかわからんが、あまりにすばらしいアルバムだ。タイトルの「ヤタガラス」というのはどういう意味でつけたのかわからないが、このグループ名「ヘヴィ・ウェイツ」というのはまさしくぴったり。超重量級の3人による、世界を瞠目させる演奏。私は、聴いて、ただ「はーっ」と毎度ため息をつくしかない。興奮のあまり、今、「ブロッツマンの最高傑作は?」ときかれたら、このアルバムです、と答えてしまうかもしれない。ほかのふたりに関しても同様。今年(2012年)の「ガチンコアコースティックフリージャズ大賞」を受賞することまちがいなし。こういう70歳で、私もありたい。雨にも負けず、風にも負けず。なお、グループとしては3人対等だと思うが、便宜上、プロデュースに名前を連ねているブロッツマンの項に入れた。

「LONG STORY SHORT」(TROST RECORDS TR112)
PETER BROTZMANN

 ブロッツマンの70歳を祝う(?)オーストリアでのコンサートの模様をまとめた5枚組。ブロッツマンが参加していないセットも収録されており、それはそれでペースチェンジにもなっておもしろいのだが、ボックスセットとしての統一感が……あ、そんなことないな。なぜかブロッツマンの参加していないものも含めて、統一感があるのだ。おそらくブロッツマンの巨大な影が全体を支配しているのだろう。というわけで順番に聴いてまいりましょう。
 一枚目です。おなじみのサックストリオ「SONORE」で開幕。ブロッツマンはたぶんバリサクで、マッツもバリサクだと思う。そこにヴァンダーマークのクラリネットが乗っかる。激しい二本のバリサクの揺れとそこに加わるクラリネットの高音が絶妙。でも、短い演奏で、ボックスの幕開けにふさわしいチョイス。二バンド目は、シカゴテンテットにゲストでジョン・チカイが入ったもの。25分ある長尺の演奏で、冒頭、サックスとトロンボーンの吹き伸ばしから始まり、不穏な空気が掻きたてられる。これは25分のドラマである。いきなりドラムがビート感を前面に出した激しい演奏になり、興奮のるつぼとなる。編成が大きいのと、たぶん細かくマイクが立っていないせいもあると推察されるが、全部が激しく吹きまくり、弾きまくり、叩きまくったときの個々の楽器の解像度が悪いのは集団即興だからしかたがない。ジャズを中心に聴いているとどうしても、管楽器が吹いたら、その管楽器のソロだと思ってしまうが、集団即興の場合はそうではない(ことが多い)。ピアノのひと弾き、ベースのひと弾きは「バッキング」ではなく、サックスのひと吹き、トロンボーンのひと吹きと同じなのだが、どうしてもリズムセクション+ソロイスト的な感覚でとらえてしまうのであり……あ、こんな感想はどうでもいいですね。いやしかし、このバンドが来日することなく解散とは残念すぎる。それに、どれがジョン・チカイだかわからん。たぶんこれだろうなと思う音はあるが、まあ、そんな分析はさておき、激しい演奏が途中で一転してチェロと詩の朗読(?)だけになる場面、そこからふたたびド迫力の集団即興に転じるところ、ドラムとサックスのデュオになる場面など、聴き所満載。さっきも書いたがひと流れのドラマになっているのでまるで飽きない。3バンド目はストリングスバンドだが、ブロッツマンが入っていないので割愛。最後のヤタガラストリオの凄まじさは、単独CD同様、筆舌に尽くしがたい。ブロッツマンが濁った音色で咆哮する。それはいつものことなのだが、このトリオだと、気合いがちがうというか、音が倍ぐらいに太いように聞こえるのは錯覚なのか(錯覚です)。そして、森山ブラッシュと佐藤ピアノのデュオは、やはり手に汗握る。あー、至福。
 2枚目の冒頭の演奏は、これもブロッツマンがいないが、めちゃおもしろいのでちょっとだけ触れておこう。ベース的なパターンをずっと弾いているのは(発音がわからないが)マーレーム・モクター・ガニアというひとのゲンブリ(これも発音がわからん)という楽器だろうか。この民族楽器とフレッド・ロンバーグホルムのチェロ、マイケル・ツェラングのドラムが織りなすリズムのうえにジョー・マクフィーのアルトが鳴り響き、ガニアのアフリカっぽくも中東っぽくもあるヴォイスがからみつく、「幽玄」というにはパワフルな演奏でめちゃめちゃかっこいい。おんなじことを延々やっているのだが、どんどん面白く、過激になっていき、エネルギー量が上がっていく。20分以上あるが、思わず踊り出したくなるような演奏ですばらしい。そして2曲目はブロッツマン登場で、琴、ドラムとのトリオだが、これが30分近くある長尺の演奏で、おっさん、歳いくつやねん! と叫びたくなるような凄まじい咆哮につぐ咆哮。本田珠也のドラムがパワーとパッションに溢れているのはわかるが、それに応えつつ、アルトで絶叫しまくり、演奏をリードするブロッツマンのパワーとパッションには呆れるしかない。爆走アルトジジイ! こういう演奏を聴いていると、サックスという楽器は自由だなあと思う。激情と激情のぶつかりあいが延々続いたあげく、一転して、アルトの無伴奏ソロになり、珍しくメロディー感のあるフレーズを吹き、そこにドラムと琴が加わっていくあたりの雰囲気は即興ならではの愉しさ。18分ぐらいから琴とドラムのデュオでリズムを主体とした即興になったあと、ブロッツマンの伸びのいいアルトがかぶってくるところは鳥肌もん。26分ぐらいのドラムのえげつないプッシュとブロッツマンの戦いは、ほんとめちゃくちゃ凄い。聴いている部屋の気温が一気に上昇。これが70歳のジジイの演奏なのか。マジか。このおっさんは100歳までいける! ラスト、ちょっとだけ琴がこぼれて終わるのもご愛敬。3曲目、ブロッツマンとヴィブラホンとサブ・トヨズミのトリオは、最近豊住さんが絶好調なので(非常階段との共演など)期待大だったが、さすがにブロッツマンにときにぴたりと寄せ、ときには老獪にリードし、ときにはパワフルにあおり、ときには反発するドラミングは見事。途中で静かになり、ブロッツマンがぶるぶると小刻みに震えるような痙攣フレーズを延々と続けるところの意志力、集中力、体力、そしてそこからの展開もすばらしい。4曲目はブロッツマン不在で、マッツのバリサクとDIEB13というターンテーブル、シガーボックス奏者、マーティン・ステュワートのギターによるエレクトリックな即興。ノイズっぽいかと思いきや、意外とアコースティックで非常におもしろいが割愛。
 3枚目冒頭はいきなりブロッツマン不在で、灰野敬二のソロで幕開け。ヴォイスを積み重ねていくことで異常な空間を現出し、その世界に取り込まれると、蜘蛛の糸にからめとられたように逃げ出せない。美しい声とデスヴォイスが絶妙に混ざり合い、混濁する。15分ぐらいしてようやくギターが登場するという、たっぷりした演奏で、21分もある演奏だが、ブロッツマンがいないので割愛。2曲目はブロッツマンとビル・ラズウェルとハミッド・ドレイクのトリオに、2−1でジョー・マクフィーと共演したゲンブリ(?)奏者のマーレーム・モクター・ガニア(?)が加わったかなり珍しい組み合わせのグループ。エレベと、ブロッツマンの野太いバリトン(たぶん)が、一瞬にして聴き手の心をつかむ。これがまた50分を超える長尺の演奏なのだ。ハミッド・ドレイクのドラムが入ってくると途端にアフリカンな感じになるのもおもしろい。一気に重いグルーヴが加速して激しい演奏に雪崩れ込む。そのあとテナーに持ち替えたブロッツマンは最後までずっと吹きまくっている。もちろん休んだり、楽器を持ち替えたりしているわけだが、印象としてはとにかくずーっと吹いてる。50分の長い演奏のなかで、ブロッツマンは最低でも3つの楽器を使用しており(4つ?)、さまざまな場面(というか見せ場)があって、この5枚組のなかでは、(5枚目1曲目とならんで)この演奏がブロッツマンのいちばんシンプルでコアになる音楽性を時間に捕らわれず、思う存分発揮したセットということになるだろう。そういうメンバーである。いわゆるラスト・イグジット的な展開もあり、民族音楽的な部分もあり、ハードなインプロヴィゼイションのチェイスもふんだんにあるが、やはり「咆哮」につきる。こういう原始的な快感がブロッツマンの魅力の根本的部分なのだと再確認させられる。そして、それは古びることはけっしてない「もの」なのだ。4人の猛者の激突を聴いたら、どっと疲れること請け合いである。
 4枚目冒頭はブロッツマン不在の演奏だが、メンバーが強力だし、この演奏を私がめちゃめちゃ楽しみにしていたこともあって、ちょこっと詳しく書くである。ジェブ・ビショップのボントロ、ジョー・マクフィーのサックスとトランペット、そしてなんとマーズ・ウィリアムズのサックス(アルト)、ジェイソン・アダシーウィッツ(とは発音せんだろうな)のヴィブラホン、そしてそして我らが本田珠也のドラムである。最初、ヴィブラフォンのソロによる怪しげな音列が、一気に我々を「あちら」に誘う。そこにビショップのトロンボーンがからんでくるあたりの雰囲気は、ああ、これから楽しくもかっこいい汗と涙の即興勝負がはじまるのだ、という異常なわくわく感にひたれる。本田の不定形にスウィングするブラッシュが入り、ダーティートーンをまじえたトロンボーンのソロのような展開になる。そこに他のメンバーも随時加わっていき、コレクティヴインプロヴィゼイションになる(たぶんソプラノはマーズ)。そのあとケスラーのベースソロになる。ケスラーはウッドベースだが、音が軽く、そのあたりがヴァンダーマークとあっているのだなあと前から思っていた。ベースソロのあと、全員による演奏のなかでマーズのソプラノが暴れつつもテクニックを見せ付ける。そして、本田ドラムソロ。これは凄いよな。いや、マジで凄いです。もう、このひとがフリージャズをやってくれてることが私にはうれしくってうれしくってしかたがないのです(スガダイローも)。ふたたびコレクティヴになり、混沌から抜け出すような形でマーズとマクフィーのアルト、ビショップのボントロが目立つ。ベース、ドラム、ヴィブラホンもそれぞれに自己主張しながら、一体となる。そこからダーティートーンを駆使したアルトの大活躍がはじまる。マーズのアルトが吠え、わめき、悲鳴をあげ、のたうちまわって絶叫するバックで本田のドラムが煽りまくるあたりはもう失禁寸前の興奮と感動でありまして、もうわしゃ涙涙ですよ。そのあとゆったりとした終止感に包まれたあと、ジョー・マクフィーのへろへろしたアルトがへろへろしたフレーズを奏でるあたりも感涙。それにしてもマーズ・ウィリアムズと本田珠也がオーストリアで同じステージに立って演奏しているというのはなんだか不思議だが、それがこれだけの音楽的成果を生んでいるのだから、すげーよなー。いや、みんな凄い!(←結論)2曲目はニルセン・ラヴをドラムにすえ、近藤等則をくわえたHAIRY BONESというグループによる演奏で、のっけからとばしまくる。ニルセンラヴすげーっ! ドラムとベースがうるさすぎて、しかもブロッツマンも大音量でひたすら吹きまくり、近藤さんのトランペットがあんまり聞こえんほど。速くてやかましくてヘヴィーな即興。しかし、近藤さんのエレクトリックノイズは凄い。ブロッツマンもノイズに徹していて、緊張感が維持されたまま、揺らぐことも迷うこともなく、演奏はどんどん加速してついには破裂する。あー、しんど。3曲目は佐藤允彦ソロなのだが、これがまたすばらしくて、延々と管楽器やドラム、ベースの大暴れを聴かされたあとなので、チェンジ・オブ・ペースとして良く聞こえるのかと聴き直してみたが、いや、そんなことはない。このピアノソロは単に「いい演奏」なのだった。すばらすぎる。そして、4曲目は「コンチェルト・フォー・フクシマ」。テンテットに琴が加わった編成。琴やチェロなどによるピチカートのざわめきで演奏が開幕し、しだいにそれが膨らんでいき、多くの悲鳴が聞こえてくるような展開は、一種の慟哭のようにも聞こえるが、それは標題によって先入観を植え付けられているのだろう。27分を超える長尺の演奏だが、悲鳴や絶叫、静寂などにさまざまな感情が見え、聞こえる(ような気になるだけだと思うが)。琴が全体に良い味を付け加えていると思う。テンテットとしてはどちらかというと抑えた表現だと思うが、そのなかに深い哀しみや怒りが感じられる……という聴き方はおそらくまちがっていると思う。でも、どうしても私にはそう聞こえてしまう。これはしかたがないよね。もちろんなんの先入観もなく聴くのが一番、という意見には賛成だが。
 5枚目は、ヘヴィーな演奏ばかりが収録されていて、1曲目はエリック・レヴィスとナシート・ウェイツという超強力リズムセクションを従えて、ブロッツマンが野太く咆哮する。これはもうめちゃめちゃかっこいい。ずっと吹いてるもんなあ。最初から最後まで、荒くれっぱなし。しかし、テンション高いなあ。高すぎる。血圧が心配だ。ダレたり飽きたりする隙を与えない濃密な演奏。エレベがカンカンいう感じで弾きまくられ、ドラムがどつきまくるが、終始ブロッツマンがふたりをリードしている感じ。途中、ビートがなくなって、荒れ狂う夜の海みたいな場面になるが、そこがもう凄まじい。音を濁らせてひたすらマイナーのペンタトニックで吹きまくるが、壮絶の一言だ。ブロウジジイ! 場面も刻々と変化するので、27分があっという間。この5枚組の演奏全てのなかで、シンプルな編成によってブロッツマンの本領をどどどどーっと見せ付けた極北といえるだろう。2曲目はブロッツマン不在のDKVトリオにマッツとマッシモ・パピロ(エレベ)、それにニルセンラヴをゲストに加えた6人編成。つーか、これはすでにDKVトリオではないわなあ。ベース?の低音リフと(たぶん)アルトの不穏なメロディーの合間の空間を埋めるようなバリトンサックスの咆哮で開幕。だれがまえに出るでもない手探りのようなパートを経て、きゅうんきゅうんという音とともにそれが崩れてケスラーのアルコベースの気が狂ったようなパートに(ここがめちゃかっこいい)。めちゃめちゃテンポが速くなり、混沌とした世界に突入し、ここからはなにがなんやら……という展開。それが、バシッと消えてバリトンの悲鳴のような無伴奏ソロになって終わる。構成としては壊れているかもしれないが、これもあり。3曲目は単独アルバムもある「フル・ブラスト」によるセット。ブロッツマンにエレベ、ドラムのシンプルなトリオ。最初はゆっくりはじまるが、ベースのエフェクター使いが半端ではなく、ドラムもカンカラカンカラゆうタイプで、すぐに頭のおかしい世界へGO! しかしこのベースはほんまに異常ですな。ブロッツマンも真っ青でしょう。ドラムの録音が少し遠いせいもあって、ベースとテナーのバトルみたいだ。ロックっぽい展開になってもおかしくないのに、徹頭徹尾フリーキーに突っ走る。最後の最後に死ぬほど盛り上がって、突如終わる。そして、4曲目、つまりこの5枚組の最後をしめるのは、なんとこれもブロッツマン不在で、どうなっておるのだ。息子であるギターのカスパー・ブロッツマン率いる「マサカー」だ。これは、ブロッツマンの音楽が最後に息子に引き継がれるのだよという意味なのかもしれないが、いやー、最後は自分で締めんかい! といいつつ聞いてみると、なかなかよかったですすいません。ヘヴィやなあ。ボーカルのヘタウマ具合もよい。
というわけでへとへとになって聴きとおした。1回では聞き逃していることも多いので、だいたい5回ぐらいは聞いたのでよけいに疲れた。全体にドラマーが凄い。ハミッド・ドレイク、ニルセンラヴ、本田珠也、ナシート・ウェイツなどなど……これが一同に会したのだからとんでもないことだ。そして、彼らを牛耳る(ほんと、そんな感じ)ブロッツマンの老いてますます盛んな演奏能力と音楽性にも驚いた。いつまでもこの調子で老人性フリージャズを爆走していってほしいと心から願う次第であります。ビバ・ブロッツマン! テナーの大怪獣!

「WALK,LOVE,SLEEP」(SMALLTOWN SUPER JAZZ STSJ174CD)
PETER BROTZMANN CHICAGO TENTET IN WUPPERTAL/CAFE ADA 2011

 ドイツでの2011年のライヴで、シカゴテンテット単独作品としてはラストのもの。以前はシカゴテンテット+2とか表記されていたが、「11人いる」状態なのに「+1」とは書いていない。もう細かいことはどうでもいいのか。
 では、まず1枚目。冒頭、ブロッツマンの無伴奏ソロから始まる。熱い。いつにもまして熱く感じるのは聴き手の勝手な思い込みだろうが、そこに(たぶん)マッツのバリサクなどがからんできて、SONOREを思わせるサックス即興アンサンブルになるあたりはやはり熱いとしか言えぬ。ドラムが激しく叩きはじめ、ジョー・マクフィーのトランペットソロ、だれかわからん(たぶん)アルトソロ、ビショップかバウアーのどちらかのトロンボーンソロと、先のソロと後のソロが一部重なりながら、先のソロがやめてあとにゆずり、しばらくするとつぎのソロイストがかぶってきてソロを重ねていくというスタイルで演奏は進行する。トロンボーンがすごくいい。一瞬集団即興になったあと、ベースとトロンボーンのデュオになるが、ここがすごく力強い。ドラムが入ってきてからもますます盛り上がり、いやー、トロンボーンかっこいい! 素敵っ。ほかの楽器も茶々を入れるが、あくまでトロンボーン主役で進行。このひとすごいーっ。だんだんぐちゃぐちゃになっていくが、やはりトロンボーンソロという感じの展開で終始し、そのあとリズムがなくなって、カオスのような集団即興に突入、そしてチェロとベースとサックス(たぶんブロッツマン)によるトリオになる。ここもいいなあ。またまたコレクティヴになって、マイケル・ツェラングとニルセンラヴのドラムデュオになり、じつは後ろでひそかに鳴っていたベースのアルコソロだけが残る。いや、チューバとのデュオなのか? ようわからん。このチューバのひと(ホルムランダー)はチンバッソも吹いているらしい。そこにリード楽器のゆったりしたリフ(?)が入ってきて、バラードのような雰囲気の展開に。そこから、甲高いクラリネットと濁りまくったテナーとドラムのトリオになる。ここも聴き所です。ドラムがシャッフルのようなファンキーなリズムを叩きはじめ、テナーが大暴れします(たぶんブロッツマン)。こういうところはテンテットの「お決まり」の展開と言えるのだが、やはり聞いていると興奮してしまうのだからしかたがない。とにかくわしゃ、テナーがでっかい音がぎゃーっというのが好きなんじゃ! リズムは、どんどこ、どんどこというものに変化していき、そこにほかの管楽器も加わってきて、このまま行くのかなと思っていると、リズムがバサッと消え、トロンボーン2本の蜂の羽音のようなデュオに。リズミカルなリフが入り、一旦収束。そこからフリーインプロヴィゼイション的な(全編そうだが)チェロ、ドラムひとり、バリサク(たぶんマッツ)のトリオセットに。ここもええなあ。だんだん人数が増えていき、牧歌的な演奏に。どこかで響くタロガトの音。どろどろ……という太鼓の音。ここはアフリカの大地かモンゴルの大平原か。などといっているうちに音量が段々下がっていき、各種管楽器の吹き伸ばしがええ味を出しはじめる。このあたりの息のあいかたというのは、さすがに長いことやってるだけのことはある。シカゴとヨーロッパを結んでブロッツマンが努力しつづけてきた甲斐があったというものだ。それがまただんだん盛り上がっていき、感動(?)のエンディングへと突入する。というわけで1枚目は1曲だけ収録で44分52秒。
 つづく2枚目は2曲収録で、1曲目はいきなりのサックスの咆哮とドラム、ベースによる猛烈な演奏で開幕。ブロッツマンなのだろうが、楽器はなにかな? タロガト? わかんけど。全員が入ってきて、そこからドラムふたりによる演奏に。さすがにニルセンラヴとツェラングですね。かっこいい。そこに(たぶん)マッツがテナーで入り込み、めちゃめちゃ凄いことに。このひとはバリサクもいいけどやっぱりテナーのほうがえぐいなあ。咆哮につぐ咆哮。全員が入ってきて、もう混沌としてボルテージがぐんぐんあがっていくのだが、リズムがしっかりしているので演奏の方向性ははっきりしている。この集団即興がかなり延々と続き、管楽器が消えて、ドラム2とベースだけのえぐいリズムに悲鳴のような管楽器のソロ(たぶんアルト)が乗っかる。ひたすらフリークトーンを連発するこのソロはいいなあ。これもめちゃくちゃかっこいい。トロンボーンがリフを吹き、そのうちに管楽器みんなで「むちゃくちゃにしたろやないか!」的な展開になり、リズムが消えて、管楽器だけになり、ゆったりした演奏になる(これはこのバンドの常道的展開)。そして管楽器即興アンサンブル的な場面が現出するが、ここもおもしろい。そこからリズムが入り、アルトのワンホーンジャズ(?)的な展開になる。バリサクが効果的な低音で忍び寄ってアルトは終わり、(たぶん)ヴァンダーマークのテナーソロになる(トロンボーンとの2管ともいえる)。それが終わると、なんとなく一旦終止感が出て、拍手が来る。だから、そこからは2曲目といってもいいのかもしれないが、ブロッツマンテナー、ジョー・マクフィーアルトでのデュオがはじまる(バックにケスラーのアルコベースがちょっと入っている箇所もある)。これは、フリージャズとしてはいわゆる「お定まり」の展開というべきだが、一種のイントロみたいなもので、そこにドラムやベースが入ってきて、絶妙な即興アンサンブルになり、だんだんと管楽器の数が増えてくる。そして、お約束のやかましいエンディング。2曲目は、フリーインプロヴィゼイションで幕を開け、ミュート(?)トランボーンとドラムのデュオになる。ここはかっこいいぜ! このトロンボーン、どんだけうまいねん。最後にはミュートを外し、ほかの管楽器も加わり、集団即興になる。そして、(たぶんヴァンダーマークの)テナーとドラムのデュオになる。そこにまた管楽器が入ってきて……という展開。興奮しますなー。このパターンをずっと繰り返していくのか、と思っているとこの集団即興がずっと続き、どんどん雪崩のようにパワーを増していき、しまいにはとてつもない巨大な爆発へと向かっていく。怖い怖い。全員一丸というが、うまくいかないときは相手を遮ったり、たがいに消しあったり、マイナスになっていく場合もある。さすがにテンテットはよくわかってますなー。そしてボルテージ最高潮のときに、バシッと終わる。大拍手。そして、アンコールがはじまる(これは5分ほどの短い演奏)。
 こうして聞いてくると、いろいろ感慨深い。シカゴ〜北欧の若手を結集して、国際的なフリージャズバンドを組織して、交流をはかり、自分がいろいろと若い世代に教え、また自分も若手からも刺激を受けるという意図ではじまったと思われるシカゴオクテット〜テンテットだが、初期は若手のコンポジションを積極的に採用し、即興と作曲のブレンドしたフリージャズオーケストラのような感じだったものが、回を重ねていくにつれて、コンポジションがなくなり、単なる大勢による即興のグループになっていく。しかも、コンポジションを使っていないのに、まるで譜面があるかのごとき一種の統一感とか流れとか緩急とか役割分担ができていく。これはほぼ同じメンバーで、海を越えてひたすらこのグループをやりつづけてきたブロッツマンの大手柄というべきだろう。あんたはえらい! たいへんな苦労だったと思うがその成果は十分にあった。はじめは若手だったのに、全員が、今のフリージャズ〜即興シーンをリードする大物プレイヤーにそだっていったのも、ブロッツマンの眼力というべきだろう。解散理由は、金がかかりすぎて無理、という率直なものだったようだが、いや、もう十分でしょう。残されたアルバムはすべてが宝というべきで、偉大なシカゴテンテットの功績はそれでわかる。一度生でみたかったなあ……とは思うが、長いあいだありがとうございました。そして、老いてますますさかんのブロッツマンはまだまだきっとなにかやってくれると信じている。

「ADA TRIO AT OTO+STEVEN NOBLE」
NILSSEN−LOVE/NOBLE/BROTZMANN/LONBERG−HOLM

 ジャケットには「ADA STEVEN NOBLE OTO」と書いてあるだけなので、スティーヴン・ノブルのリーダー作のように思えるが、実際は「アダ・トリオ」(ニルセンラヴ、ブロッツマン、ロンバーホルム)というグループにゲストでノブルが客演したものらしい。レーベルもCD番号もわからない。うちには同じ体裁の、このトリオにパット・トーマスがゲストのやつもあるから、シリーズ(?)なのかな。録音状態は良好で、ブロッツマンも気合いが入りまくりで、ものすごい音圧で阿修羅のごとく吹きまくる。いやー、この爺さんだけは衰えんなあ。サックスの音の「伸び」がすごいのだ。ドラムも、ニルセンラヴとノブルのツインドラムで、悪いわけがありません。ロンバーホームはチェロにノイズにと大活躍。これはおもしろすぎるので、なんかええ加減な作りのCDやなあ、などと敬遠せず、ぜひ聴いてみるべき。エレクトロニクスの奔流のなかで獅子吼するところなど、最近のブロッツマンの最良の演奏のひとつではないかとすら思います。吹いて吹いて吹いて吹いてそれでもまだ足りなそうな凄まじいブロウが聴けます。きっとこのジジイは吹きながら死ぬだろうな。ドラムふたりのデュオもすばらしい。もっとちゃんと発売すればいいのに。私はたぶん、ニルセンラヴがらみのライヴでの物販で入手。ブロッツマンは作品が多いからどれから聴いたらいいかわからん、と思ってるひとにもすすめられるほどの、ライヴ感あふれる傑作。2曲入っているが、1曲目は40分近い演奏だが、2曲目は5分ほどの短い演奏。アダ・トリオというのがだれのリーダーバンドかわからんが、ネットなどでみると、「ペーター・ブロッツマン・アダ・トリオ」という表記のものがいくつかあったので、とりあえずブロッツマンの項に入れておく。

「ADA TRIO AT OTO+PAT THOMAS」
NILSSEN−LOVE/THOMAS/BROTZMANN/LONBERG−HOLM

 これまた上記アルバムと同様の、超気合いの入った演奏で、いきなり冒頭からすばらしい音の奔流があふれ出してたまらん! ブロッツマンは最初クラリネット(タロガトかも)でスタート。パット・トーマスのピアノはガラスのシャンデリアを床に何度も叩きつけているような、キラキラ感満載の血みどろのプレイで、壮絶だ。ロンバーホームはチェロではなく、ベースを弾いているのかなあ。ブロッツマンがテナーに持ち替えて、なおも流血の舞踏会は続く。なぜかヨーロッパ貴族の社交界のパーティーで、ナイフを持った狂気の女が手当たり次第に出席者を刺しまくるという映像があたま浮かぶ。なんでや。わしゃ頭おかしいんか。とか言いつつ、ブロッツマンの凶暴なスクリームに身をゆだねているときが最高の快楽であります。これぞパワーミュージック。3曲、過激な演奏が続くが、ブロッツマンの無伴奏ソロからはじまり、ピアノがそっと身を寄せてくる4曲目は、フリーフォームのバラードというべき叙情的な演奏。ブロッツマンもいつになく、歌心というか具体性のあるフレージングを重ねている。あとのふたりが入ってきて結局はぐしゃぐしゃになっていくのだが、最後までどこかにバラードとしての気品というか美しさが残っている。というわけで上記アルバムと甲乙つけがたい傑作。併せて二枚組でもよかった?

「THE COMPLETE MACHINE GUN SESSIONS」(ATAVISTIC ALP262CD)
THE PETER BROTZMANN OCTET

「マシンガン」はレコードで持っているのだが、学生のころに買ったもので、もこもこしててたいへん音が悪い。で、こういう風に「マシンガン」のコンプリート盤が出たのを機会にCDで買い直し、音がいい状態で楽しもうと思ったのだ。やはり音はかなり悪いのだけど、かなり改善されていて、聞きくらべたけど、解像度はだいぶましになっているようだ。だから、レコードを持ってるひともCDを買いましょう。きっと新鮮な発見があると思うよ。もっと正直に言うと、このコンプリートのCD盤を聴いて、はじめて「マシンガン」の凄さに気づいた、といってもいいかもしれない。それぐらいよかった。さて、2ドラム、2ベース、ピアノ、3サックスで、とにかくやかましく、めちゃくちゃやりましょう、というコンセプトの演奏で、なんでこうまで無茶苦茶にする必要があったのか、はたいへん興味深い。その後のブロッツマンの演奏や、本作に参加しているほかのミュージシャンたちのその後の演奏を聴いても、ここまでずっとぎゃーぎゃーいってるものは少ないと思う。ブロッツマン、エヴァン・パーカー、ウィレム・ブロイカーの3人も、それぞれの道を歩んだ。だが、68年というこの時期に「とにかくでかい音でアナーキーにむちゃくちゃやりましょう」「おお!」みたいな荒れ狂う暴風のようなこの演奏があったおかげで、そのあとの彼らがあり、また、その後のヨーロッパフリージャズがあったと考えるのはどんなものか。新しい一歩を踏み出すとき、ちょっと身体を傾けたぐらいではなにも変わらない。一旦、枠を外して、ひっくり返るぐらい、片方にものすごく振れてからでないと、過去をぶっ壊して前進することはむずかしい。物事を変えようというときは、それぐらいしないとダメなのだ。ある種の社会問題についても、いつもそう思う。主張は立派だが、やりかたがエグすぎるんじゃないの? という批判もあるだろうが、それぐらいやらないと、なかなか最初から「ええ塩梅」にはできませんからな。というわけで、この「マシンガン」セッションは、ヨーロッパフリージャズがええ塩梅に進んでいくための最初の「片方にものすごく振れた」状態だったと思う。「むちゃくちゃ」といっても、ちゃんとコンポジションがあり、個々にソロスペースがあり、リフ(?)があり、インタープレイがあり……という点では、ちゃんとジャズのフォーマットを踏んでいるわけで、今の耳で聴くと、すごくまっとうなフリージャズだとは思うが、それを推進する力が、今とは比べ物にならないほどのパワーがあったわけで、それは若さゆえでもあり、なにか新しいものを作ろうという気負いでもあり、失敗したら崖から落ちる、ぐらいの切迫感のゆえでもあったろうが、同じ「ぎょええええっ」でも、気迫がちがうのだ。そういうものを聴くために、本作はときどき取り出して聴かねばならない。テナーサックスというのは、私見によると、こういう風に「ぎゃあああああおおおおおっ」と吹くためにもっとも適した楽器なのだから、ここでの演奏は、そういう本質的な楽器の性格に沿った、正しいものと言わざるを得ない。で、6曲中、1〜3はもとのレコードに入っていた演奏で、4,5は(そんなものはないと考えられていた)別テイクなのだ。なぜなら、本作の演奏はすべてワンテイクで録音されたと思われていたからだ。その別テイクだが、こんなやかましいぐじゃぐじゃの演奏の別テイクなんか意味あるの? と思われるかたもいるだろうが、ぜひ聴くべきである。めちゃめちゃいいんです。「マシンガン」のほうはセカンドテイクだが、ファーストテイクよりも、「今のフリージャズ」に近くなっていて、より聴きやすいかも。ちょっと、シカゴテンテットっぽい。各ソロもクオリティは相当高い。どっちがいいかは、趣味の問題でしょう。2曲目の「レスポンシブル」はファーストテイクだが、こっちのほうがエグいと思う。これもどっちがいいかは好みとしかいいようがない。だから、この完全盤で、本作の真価がやっと明らかになったともいえるのだ。6曲目は、同じメンバーにゲルト・デュデュクが加わった4テナーによる「マシンガン」のライヴバージョンであり、本作の録音に先立つものである。これもまた傾聴すべきぐちゃぐちゃさがある。かなり興奮する場面もありまっせ。なお、マシンガンというのはドン・チェリーが名付けたブロッツマンのニックネームだそうで、なんともぴったりの名前だと思う。それと、ライナーでジョン・コルベットがこの演奏をライオネル・ハンプトン楽団におけるイリノイ・ジャケーの演奏を引き合いに出して論じているのはまったく正しいと思う。私も、ことテナーサックスにおいては、フリージャズとホンクテナーのあいだに大いなる共通項があると思っている。