anthony braxton

「SOLO(PISA)1982」(LEO RECORDS/GOLDEN YEARS OF NEW JAZZ GY28)
ANTHONY BRAXTON

 うーん……こういうことになっていたのか。私は、大学に入り立てのころ、ブラクストンのBYGの初リーダー作からはじまって、いろいろ聴き、「フォー・アルト」とかコンポジションものとかレイ・アンダーソンとかと演ってるやつやスティープルチェイスのスタンダードものとかその後のやつも聴いたうえで、こんな音がぺらぺらのアルトはダメ、テナーとかはもっとダメ、と断言し、その後はほとんど聴いていなかった。しかし、ハットロジーのラン・ブレイクとのデュオを聴いて、あれ? めちゃええやん、と思いかえし、それからふたたび聴くようになったのだ。それらはどれも良くて、ふーん、けっこういけるやん、と思っていたわけだが、しかし、このソロ作品にはびっくりした。一曲目、いきなりものすごいテクニックとスピード感でこちらが唖然とするほどの情熱的な吹きまくりで、しかも、アルトがよく鳴っているのに驚いた。いやー、これはすごいすごいと感激し、これが82年のブラクストンなら、私がかつて聴いたあれはなんだったのか、と思った。悪い部分はほとんど見あたらない。「ええとこばっか」状態で、こういう作品をはじめに聴いていたら、大ファンになっていたのになあ、と長い間聴かず嫌いだったことを反省。楽器のコントロール、全体の構成、アーティキュレイション、緊張感の持続……ライヴなのにたいしたもんだ。二曲目以降もいいし、ときどき入ってるスタンダードも構成力、表現力、言うことなしなのだが、やはりいちばん長尺の一曲目にとどめをさすなあ。かっこええ。ほんまにかっこええ。同じアルトのソロでも、たとえばスティーヴ・コールマンのソロなどに比べて、たたき込まれているパッションや音楽の振幅がまるでちがうと感じる。しかし、ラストの「ジャイアント・ステップス」のあと、延々と続く脅迫的というかちょっと怖い感じの怒濤のアンコール要求。すごいですねー。それがリズムに変化していくあたりは、映像がないのでどういうことが起こっているのかちょっとわからないが、こういうドキュメント性も含めて、本作、私は大好きです。

「FOR ALTO」(DELMARK RECORDS DS−420/421)
ANTHONY BRAXTON

 あるとき、突然、ブラクストンが嫌になり、持っていたレコードを全部売ってしまった。しかし、その後10年ほどして、あるアルバムをひとからもらったことがきっかけで、また好きになり、今は大好きである。しかし、彼の作品を全部売ってしまったときにも、このアルバムだけは売らなかった。その後も何度か、金に困ったときに処分するアルバムを選択しているときに(売ってしまおうか)と思ったが、そのたびに(最後に一回だけ聴いてから……)と聞いてみて、やっぱりやめとこう……と売るのをやめた。こうしてこのアルバムは25年ほど私の手もとにあり、今もある。なぜ大学生のときにこのアルバムを買ったのかというと、当時熟読していたあるジャズムックに本作がとりあげられていて、悠雅彦というひとが「以前スウィングジャーナル誌に本作について厳しい選評を書いたことがあるが、それはアルトサックス一本で二枚組を構成するのは根本的に無理があり、聴いていて飽きてしまうからであって、その考えは今もかわらない」というようなことを書いていたのを読んだからである(悠雅彦の発言は記憶を頼りに書いているだけなので、このとおりではありませんが、だいたいこういうような内容だったと思う)。評論家がそういう風に書くアルバムはぜったいに聴かねばならないと思い、探し回ってやっと入手した。以後、折に触れて聴く。今回も久しぶりに聞き返してみて、じつによくできたアルバムだと思った。全然退屈せず、ダレもせず、二枚組を一挙に聴きとおせた。だから評論家の言うことなど信用できんのじゃ……と言う結論ではなく、まあ、悠雅彦の意見は一般論としては正しいと思う。でも、私はサックスソロが好きですからね。あの時代にこの作品を出そうとしたブラクストンのアイデア、勇気、その他諸々に拍手したい。どちらかというとテクニカルな表現を前面に出さず、パッションを優先させたブロウで、しかも、ひとつひとつの即興がアイデアが明確で、今の時代の多くのサックスソロにストレートにつながる先駆的作品だとおもう。ブラクストンというと、頭でっかち、抽象的、知的……みたいなイメージがあると思うが、この二枚組は、実際に聴いてみるとわかるが、まるでそういったものとはちがう、過激で、よい意味で放埒で、ブラックミュージシャンとしての情念まで感じ取れるような演奏である。自宅で、ラジカセ(?)で録音した、というのも、サックスの音がものすごくリアルに録れていて、大迫力である。ブラクストンは最近でもソロをリリースしているが、基本的にはこのころとあまり変わっていない。ええ作品です。

「BEYOND QUANTUM」(TZADIK TZ−7626)
ANTHONY BRAXTON × MILFORD GRAVES × WILLIAM PARKER

 ブラクストンが一時すごく嫌いで、家にあるアルバムは「フォー・アルト」以外全部売ってしまったことがあるが、あるとき改心(?)し、今ではすっかりブラクストン好きである。本作は、ミルフォード・グレイヴス、ウィリアム・パーカーという骨太ブラックミュージシャンとの共演で、聴くまえからわくわくしていた。ブラクストンというひとは、AACMの重鎮にもかかわらず、いや、かかわらずといったら語弊があるが、非常に理知的、頭脳的な演奏をするひとで、昔の言葉でいうと「白っぽい」感じ。まあ、そう思っていた私が悪いのだが、じつはまったくそうではない。アート・アンサンブルなんかとはちがったやりかたで、ブラクストンもまた、まさにグレイト・ブラック・ミュージックを継承しているのだ。それはヘンリー・スレッジルしかり、ジョージ・ルイスしかり、ダグラス・ユワートしかりなのだが、そのあたりには深入りしないこととして、このアルバムである。やはり特筆すべきはドラムがミルフォード・グレイヴスだということで、まるで心臓の鼓動のようなダイナミックで躍動感のあるリズムが空間に満ちあふれている。そして、ベースは戦車のようなウィリアム・パーカーである。このふたりの化け物に対してブラクストンがどのように演奏するのか、興味津々だったが、いやー、参った! 参りました! どの曲も凄すぎて、口をあんぐりあけるほどのかっこいい展開。予想をうまく裏切ること神のごとし。ソプラノ(ニーノ?)からバリサクまで、まるで手品のようにサックス群を操り(そのときそのとき、その場その場にぴったり適合したサックスを選ぶからすごいよね)、縦横無尽、八面六臂の大活躍。あまりにかっこよくて呆然とするほど、これはすばらしーっ。ライヴでこれだけの演奏を即興で作り上げてしまうブラクストンの豪腕に拍手。記号で書かれた曲とか、ニーノからコントラバスサックス、コントラバスクラリネットまでを操ってスタンダードを吹く、といった逆説的なこと、アルトソロ2枚組を史上はじめて録音したこと……などなど、際物・山師的な扱いを受けることが多いブラクストンだが、そういったことを言ったり書いたりする連中は、きっと実際には聴いていないにちがいない。とんでもないサックスモンスターだとおもうよ、アンソニー・ブラクストン。先入観を捨てて、無心で聴いてほしい。きっと驚くでしょう。5曲目はサックスが二本聞こえるが、これは多重録音なのか? なお、3者対等の作品のようだが便宜上、ブラクストンの項に入れた。

「TRIO(VICEORIAVILLE)2007」(VICTO CD 108)
ANTHONY BRAXTON

マルチリードとエレクトロニクスのブラクストン、エレキギターのメアリー・ハルヴォソン、金管のテイラー・ホ・バイナムの3人によるダイアモンド・カーテン・ウォール・トリオという名称らしいこのトリオのライヴで、1曲だけ60分一本勝負である。ドラムもベースもいないこのグループ、どのような演奏が展開するのかと、ある意味、斜めに構えて聴きはじめたが、いきなり引き込まれた。ブラクストンはソプラノ(ニーノ?)でスタート、ギターやトランペットとのからみ秀逸。バリトン(?)に持ち替えたあたりからどんどん演奏が急展開していき、過激になったりスローになったり具体的になったりアブストラクトになったり、あまりに劇的にめまぐるしくて、あれよあれよといってるうちに急流滑りのようにどこかに魂を運ばれてしまう。即興=会話である、みたいな古いフリージャズの手法がまるでパロディのようにあちこちに顔をのぞかせるが、このトリオの深さはもちろんそんなものではなく、非常にメタであると思う。おそらく百、いや千ぐらいの局面をぶちこんであるこのトリオの即興は、アイデア同士がぶつかりあってハレーションを起こしている。まるでワイドスクリーンバロックのようだ。えーと、このときブラクストンはたぶん六十二歳である。ジャケットには、バスサックスを吹くブラクストンの雄姿が写っていて、その背後にはコントラバスサックスとバリトン、そして下のほうに小さくアルトが写っている。ブラクストンは山のようにアルバムが出ていて、どれを聴いたらいいか迷う……というひとには本作をおすすめしたい。といっても、これ聴いてダメだったとしても責任は持てん。まさにブラクストンらしさが全開の作品。あー、すばらしい音と音と音と音と音と音のタペストリー。12+1tetの九枚組、買おうかなあ……(高いって)。

「FOUR IMPROVISATIONS(DUO)2007」(CLEAN FEED CF100)
ANTHONY BRAXTON/JOE MORRIS

4枚組で、一枚一曲というガチンコの即興が4本。これはしんどいでー、と言いつつ、ニヤニヤしながらまず一枚目を聴く。最初に「うん!」という咳払いの音が入っているのが妙にリアル。(たぶん)ソプラノと歌心のある即興ではじまり、(たぶん)バスサックスでのアブストラクトな演奏へ移行。ブラクストンがノイジーに吹きまくってもモリスのギターがアコースティックな、淡々としたウケであるのもクールです。そこから(たぶん)アルトによる具体的な即興へと移行(サーキュラーを使っている)するが、これはアクロバティックかつ感動的な部分。抽象的というかコールアンドレスポンス的なノンリズムな即興になり、次第にメロディックになり、一定のパターンを変奏したり、微妙にずらしたりする展開になる。このあたりはブラクストンのうまさというか手慣れた感じが光る。そのあと(たぶん)バスサックスとおぼしき楽器に持ち替えたあたりから、ギターがぐんぐん押してくる感じが心地よい(たぶんコントラバスサックスはもっと音が低いのではないか、という勝手な推測)。それに続くのはアルトだと思うんだけど、もしかするとCメロか。非常に自然体の即興の部分。ダレるのと紙一重で緊張感が持続する。ここからかなりアグレッシヴな、技巧的なタンギングを駆使した即興になるが、ジョー・モリスは動じない。せっかくギターというなんでもありの楽器なのに、ひたすら単音で立ち向かうこの潔さ。ブラクストンとモリスは、同時に音を出しているのに、時々、片方が主役となり、それがまた逆転しながら、太い流れを作りだしている。このあたりのバランス感覚もすばらしい。ここらへんのちょっとアルトのようでテナーのような音はなんだろう。やはりCメロなのかなあ。ふたたびブラクストンが低音に潜るが、これはもしかするとコントラバスサックスかもしれない(聴いてもわからん!)が、たぶんバスサックスだと思うけどなあ……。ギターの引っ掻くような印象的なソロに、ブラクストンが(たぶん)ふらふらする音程のソプラノで乗っかってきて、フラメンコ的な展開になり、それがぐじゃぐじゃになって一枚目は終わる。二枚目は、モリスのギターが饒舌に弾きまくり、ブラクストンが(たぶん)バスサックスをゆったりとしたノリで吹くという対比ではじまり、それが徐々に崩れていく。つづいて、タンギングの妙技爆発の(たぶん)アルトでの演奏になり(Cメロの可能性も)、モリスはコードで対応。そこからモリスが弾きまくりだし、ブラクストンはをはじめ、ブラクストンは逆にバッキングをする感じに。そして、ふたりが一緒に幽玄の世界へ突入。そのあとゆったりした単音のギターとブラクストンの(たぶん)ソプラニーノによる演奏になる。これはいろいろな起伏があるが、そののち(たぶん)コントラバスサックスにチェンジ。モリスが単音でリズミカルに弾くのと、ゴリゴリした、ほとんど可聴音域を越えているほどの低い音程のコントラバスサックスがなぜかブレンドする。そして激しい演奏になり、ふっとサックスが消える。これまでもそういう場面がたびたびあるのは、どうやらこのあいだに持ち替えているようだ。今回は(たぶん)バスサックスに持ち替えたようである。なかなか波瀾万丈の展開になるが、ブラクストンの元気さというか若さというかエネルギーに開いた口がふさがらん。よう吹くなあ、この爺さん。終止感が出てからもモリスがギターの単音をぽつんぽつんと弾いていると、ブラクストンが(たぶん)Cメロで効果音的な過剰ビブラートをつけながらバラードのようにからんでくる。アルトにしては音が太いようなので、そうかなと思うだけで、実際私はCメロの音を聞き分けられないのだが。バラードからだんだんとタンギング主体の演奏になり、ダーティートーンもまじえつつ、パワフルな感じになり、もりあがる。持ち替えのあいだ、ビート感はそのままでモリスのソロになるが、ブラクストンは(たぶん)ソプラノで再登場。最後はアルトに持ち替えているようだ。3枚目は冒頭からソプラニーノによる、動きのあるインプロヴィゼイション。これはかっこいいなあ。ブラクストンが持ち替えているあいだにジョー・モリスが勢いのあるソロを繰り広げ、そこに(たぶん)アルトに持ち替えたブラクストンがかぶっていき、次第にリズムが崩壊してゆったりとした即興になる。この部分はすごくいいうえに、ソプラニーノからの流れもよくて、めりはりがついてかなり好き。ここで一旦演奏は終わる。つづいて、ブラクストンが(たぶん)バリトンを使い、モリスがハンマーダルシマーみたいな(どういうたとえや)演奏をして、見事なデュオがはじまる。そのあと(たぶん)ソプラノに持ち替えてのデュオだが、ここはすばらしい。ブラクストンの集中力とイマジネーションはすごい。それからアルトに持ち替えて、パワフルきわまりないブロウが延々と繰り広げられる。ここもすごい。ブラクストンというと、いまだに頭でっかちなイメージでとらえているひともいるかもしれないが、こういうパッショネイトな演奏も多いのである。つづいて(たぶん)コントラバスサックスに持ち替えたブラクストンが低音を中心に、音だかなんだかわからないようなゴリゴリとかグラグラといった地響きというか豚の鳴き声のような音をだす。一瞬、ひょっこりひょうたん島の「なーみをちゃぷちゃぷ」というメロディーが聞こえたが幻聴でしょうね。まあ、ほとんど効果音といっていいぐらい低い音である。ここでまた一旦演奏が終わる。ガイドを入れたらいいのになあ。とにかく1枚一曲にこだわっているようなのだ。つづいては、ソプラノとギターによる、リズムもフリーな、昔ながらの「即興」というか「インプロ」的な展開。そして、(たぶん)バスサックスに持ち替えて、ちょっとフラメンコみたいな感じの激しい演奏になる。3枚目の最後の最後で(たぶん)アルトに持ち替えての、ちょっと雰囲気のある演奏になって、あとを引くような感じで終了。ラストにブラクストンがなんか言って、たぶんジョー・モリスが笑っているのが入っているが、なんのこっちゃろ。4枚目はバラード的な感じでブラクストンが(たぶん)Cメロで哀愁のメロディを歌いあげる場面からはじまる。そのあと(たぶん)ソプラノでこれまた美しいロングトーンを重ねていくことで、牧歌的な印象の即興が展開していく。これもまたよし。メロディのちからというものを再確認。そして、それにつけていくモリスの淡々としたギターがいいのだ。つづいて、(たぶん)コントラバスサックスに持ち替えて、アブストラクトなインプロヴィゼイション。そのあと、アルトでの濃密な即興。このあたりは、すごく美味。3枚目までにつくりあげてきたものを、ここにきて、ぎゅーっと濃縮したような演奏。つづいて(たぶん)バスサックスでの即興。モリスが前面に出て自在に弾きまくる。基本的に、低音楽器のときはギターがフィーチュアされることが多いようだ。軽い、サブトーン的な音で軽やかに吹くブラクストンと饒舌でリズミカルなギターがかみあっている。モリスのギターはときにリフ的でときにまったくリフ的でない(意味わかります? 自分でもなんのことかよくわからない)。それにしてもブラクストンは低音楽器をインプロヴィゼイションに使うときに、楽器に負けているというか、完璧なコントロールができるわけではもちろんないので、それでもあえて多用する意味はなんなのだろう。そして、つぎは(たぶん)アルトだろう。温かい音色で、訥々とした演奏が妙に染みる。その流れでしめくくりはソプラノの循環呼吸でぴったりとモリスと息のあった怒濤のクライマックスになだれ込む。かっこいいーっ! ブラクストンは延々とブロウしまくり、モリスは弾きまくる。躊躇のない、スピード感あふれるインプロヴィゼイション。これはすごいです。こんなの古いと言わば言え。わしゃ、こういうのが好きなんじゃ! というわけで、4枚とも聴き終えた。じつは最初の印象は、ちょっとダレるなあ、というものだった。いくら楽器をとっかえひっかえしても、モリスはほとんど生音に近い、エフェクター類の使用をできるだけ抑えたシンプルなものなので、起伏という点では4枚組はさすがにしんどいなあ、と……。しかし、それは、流し聴きしていた段階での感想。こうして対峙するように真剣に聴くと、やはりそれなりの山あり谷ありで十分楽しめた。でかい音量で聴くと瑞々しさが一段と増す。これだけブラクストンが楽器を変えているのに、ジョー・モリスはひたすらギターで受けているのも感動的。正直なところ、ジョー・モリスのプレイはデレク・ベイリーを連想させるのも事実で、ブラクストン〜ベイリーのデュオアルバムを想起しないひとはいないのではないか。実はブラクストンというひとはかなり「うまい」サックス奏者でもあるのだが、このガチンコ即興四枚組では、そういったうまさは一旦捨てて、出たとこ勝負に徹しているのもよい。ブラクストンをはじめて聴くというひとにはおすすめしないが、こういう真摯な即興デュオ4枚組が今の時点で出されるということも含めて意義深い。

「FIRST DUO CONCERT LONDON 1974」(EMANEM 4006)
ANTHONY BRAXTON & DEREK BAILEY

 とはいうものの(上の4枚組から続く)、やはり本作のすばらしさは際だっていて、ブラクストンの若さももちろん大きく影響しているだろうが、そのトーンは力強く、張りがあって、瑞々しいし、ベイリーも弾く音に力がこもっている。そして、ふたりのレスポンスの良さ、アイデアの過激さ、イマジネイションの豊富さなどは上記4枚組をはるかにしのぐ(上記はベイリーではなくモリスだが、どうしても続けて聴くと比較したくなる)。まあ、しかたないよ。本作は歴史に残る傑作といっていいのだから。どの曲もふたりのあまりに豊富なアイデアの奔流と表現力の多彩さを受容しているだけであれよあれよと時間がたってしまう。まさに傑作。これがふたりのファーストデュオコンサートとはなあ、とすばらしい出会いに感謝。1曲ずつソロも披露されている。また、2曲「オープン」と記した演奏が含まれているが、これはアイデアとかをあらかじめ用意しなかった、本当のガチンコだったという意味らしい。とにかくどの演奏も甲乙つけがたい最高ランクのインプロヴィゼイションの宝石箱である(彦麿呂風)。いわゆる「デュオ」のお手本であり、かつ到達点のような作品。何度でも聴いて、骨までしゃぶりつくしてやるよ。なお、対等のデュオだと思うが、便宜上、先に名前のでているブラクストンの項に入れた。

「DUET:LIVE AT MERKIN HALL,NYC」(MUSIC & ARTS CD949)
ANTHONY BRAXTON & RICHARD TEITELBAUM

 最初は、ブラクストンのサックスがかなりオフで録音されているし、タイテルバウムのシンセなどもすごく引っ込んでいて、いまいち迫力を感じなかったが、しつこつしつこく5回ぐらい通して聴いているうちに、だんだんこの録音の状態に馴染んできて、細かいニュアンスとかも味わえるようになった。そのうちに、最初は感じなかった迫力や盛り上がりもちゃんとわかるようになり、逆にすごく「いい演奏」だと思うようになった。これはすばらしい演奏だ。もう少しオンマイクで録音できていれば傑作だった作品かもしれない。いや、今のままでも十分傑作かも。録音の、というよりミックスの問題なのかもなあ。タイテルバウムのシンセ、サンプラー、ライヴエレクトロニクスなどを駆使してステージ上の異世界を構築していき、ブラクストンはソプラノ、ソプラニーノ、アルト、バリトンなどのサックスや各種クラリネットを駆使してそこに斬り込んでいく。ブラクストンが楽器を持ち替えるたびに、新たな高揚が生まれ、とんでもないことが起きる。こういった演奏では、コンポーザー、サウンドクリエイターとしてより、一管楽器奏者としての力が露骨に出てしまうわけが、ブラクストンはさすがのふところの深さで、千変万化の対応。こういうのを聴くと、多楽器主義というのもなるほどと納得がいく。フリージャズ(に限らないが)のサックス奏者のなかには、ソプラノ、アルト、テナー、バリトン……と持ち替えるのだが結局どれを吹いても同じアプローチで、なんで重い思いをしてたくさん担いできてるのかなあと思うひともいるが(ブロッツマンのことではありません。あのひとはちゃと持ち替えに意味がある)、ブラクストンはその楽器の個性をいかして、いちばん似合う場面に使っている。あるいは、ここは高音楽器だろう、というところにあえて重低音を響かせる。そのへんのセンスもいい。タイテルバウムも、即興ライヴエレクトロニクスのパイオニアだが、まったく古びていないのはさすが。噛めば噛むほど味の出るアルバム。私はすごく気に入りました。なお、対等のデュオだと思うが、便宜上、先に名前のでているブラクストンの項に入れた。

「IN THE TRADITION VOL.1」(STEEPLE CHASE VACE−1011)
ANTHONY BRAXTON

 今でこそスタンダードを演奏したアルバムもそこそこあるブラクストンだが、これが出たころは、ええっ、あのブラクストンがスタンダードを! みたいな感じだったはずだ。私がこのアルバム(1と2と両方)を聴いたのは大学生のときで、とあるジャズ喫茶でリクエストしたのだ。ブラクストンがスタンダードをやるというのはいいのだが、なにしろバックがスティープルチェイスのハウスリズムセクションともいうべきテテ・モントリュートリオ(ペデルセンとヒース)なので、ブラクストンが吹いているときは、どうバッキングをすべきかわからんけど、とりあえず普通のバッパーとして扱うか、という感じの対応になっている。ブラクストンはバッパーとしては(この時点では)かなり下手なわけで、下手なフロントをめちゃくちゃ上手いリズムセクションがバッキングしているような演奏になっている。その分、ブラクストンが吹きやめると、途端に強烈にスウィングするピアノトリオに変貌するわけで、そのあたりもなんか異常なものを聴いている感じである。おそらくブラクストンはそういう効果を狙っているのだと思う。そんなことない、あいつはただ下手なだけや、というひとはその後の彼のアルバムを聴いていないのだと思う。ブラクストンがめちゃくちゃテクニックがあり、スタンダードもちゃんとこなせる、基本的に「上手い」サックス奏者であることは間違いないのだ。1曲目はウォーン・マーシュの曲で、まさにそういった演奏の典型だ。2曲目「グッドバイ・ポークパイ・ハット」はコントラバスクラリネットによる演奏で、冒頭、フリーな部分をペデルセンと絡む。これも、ああ、ペデルセンも妙なことやらされてかわいそう……みたいに思うのは早計であって、彼はアルバート・アイラーの最初期の共演者なのだ。コントラバスクラリネットというある意味化け物じみた低音楽器を使ってのデュオだが、ここではそれほど大活躍という雰囲気はない。3曲目「ジャスト・フレンズ」を聴くと、いやー、やっぱりブラクストンは下手やで、めちゃくちゃやで、という感じの演奏で、私もその昔はじめて聞いたときはそう思ったぐらいである。ここはある意味、というか悪い意味で手に汗握る演奏である。もちろんそこが面白いのだが、日本語ライナーは「まるでブラクストンではないような小気味のいいスウィング・アルトを聴かせる」と書いていて、ちゃんと聴いたのか? と思う。この演奏が「小気味のいいスウィングアルト」に聞こえる耳はちょっと信じられない。4曲目「オーニソロジー」はコントラバスクラリネットの魅力全開の演奏である。ゴリゴリゴリゴリという低音が巨大なウナギがのたくっているように延々と続くが、よーく聴くと超低音部においてバップフレーズが展開していることがわかる。このあたりのいびつな、異常な感覚がブラクストンの面目躍如たるところなのである。ペデルセンのベースソロもすばらしいが、その直後に飛び出してくるブラクストンのコントラバスクラリネットによるテーマ部分は笑ってしまいますね。5曲目「ラッシュライフ」は美しい演奏で、これを聴くとブラクストンってちゃんと吹けるし、上手いやん、と思うはずだが、すでにリスナーは1曲目からここまでのあいだに先入観が出来上がっており、ここまでたどりつけないかもしれない。テテ・モントリュートリオともばっちり上手くからみあっている。ラストは「トレーンズ・ブルース」(ヴィアード・ブルースのこと)だが(レコードでは未発表)、ここでのテテ・モントリューのソロは爆発している。ブラクストンはいかにもブラクストンらしい演奏(最後のほうは普通に吹いていてテーマにつなげている)。

「ANTHONY BRAXTON’S CHARLIE PARKER PROJECT 1993.」(HAT HUT RECORDS HAT ART CD 2−6160(2CD’S)
ANTHONY BRAXTON

 なにしろ今年、完全版の11枚組というのが出てしまったので、この2枚組は色あせた感じがあるかもしれないが、いやー、さすがに11枚組は手が出んなあ。でも、この2枚組もたいがいすごいんですわ。メンバーがまずすごい。主役のブラクストン以外のホーンが、なんとアリ・ブラウン。もちろんAACMつながりだからなんにも不思議はないのだが、なんとなく無骨にブロウするアリ・ブラウンと知的な構成派ブラクストンは接点が少ないのかと思っていた。でも、それは最悪の先入観であって、ブラクストンが知的→頭でっかち→難解……みたいなのはとんでもない思い込みで、ここでも聴かれるとおり、ブラクストンが熱くなったらなにもかもぶっ壊すような凄まじいブロウをするのだ。そして、ピアノがなんとミシャ・メンゲルベルグ。ベースがジョー・フォンダ。ドラムが1枚目がハン・ベニンクで2枚目がフェローン・アクラフ。トランペットのポール・スモーカーというひとはじつは知らなかったけど、2016年に75歳で亡くなったらしいが、調べてみるとリーダー作も多く、バップ(アート・ペッパーともやってるらしい)からフリーまでこなし、現代音楽でも活躍している有名なひとらしい。聴いてみると超スタイリストでした。というような感じで、メンバー超豪華。
 CD1枚目1曲目は「ホットハウス」だが、冒頭から最後までまったくあのテーマは出てこず、最後に1回だけ(8小節だけ)登場して、それがエンディング。冒頭はいきなりブラクストンのアルトがひたすらめちゃくち吹きまくるアグレッシヴな展開で惚れてまうやろ! バックは、いくらブラクストンが激烈なタンギングで吹きまくっても、ひたすらきちんと冷静に4ビートとコードをつむぐ。なるほど、こういうプロジェクトなのか。トランペットのソロのパートで全員がフリーになる。その後、ふたたびインテンポになる。このひと、最初はすごく端正なソロをするなあ、と思っていると、途中からかなり八方破れのソロになって面白い。ピアノソロのはじめの部分は無伴奏でそこにドラムが入ってきて、めちゃくちゃ激しいフリーになって思わず興奮するような展開に。しかし、どこがホットハウスやねん。インテンポになってからはベニンクのブラッシュが炸裂する。ジョー・フォンダのチェンジどおりのソロのあと、4バースになり、ここでベニンクがバップというよりスウィングドラマー(たとえばジーン・クルーパ)みたいなドラミングを披露する(先日のカルテットでの来日でもそんな感じだった)。そして、最後に8小節だけテーマがあるのだが、それまでに演奏が走っていて、とうていそのテンポではテーマは吹けない、ということで、テーマに入った瞬間、めちゃくちゃテンポダウンするのだった。2曲目は「チュニジア」で、アリ・ブラウンが加わる。ブラクストンはソプラニーノで、この高音楽器がものすごい効果を生んでいる。テーマ後のブレイクのところでまず活躍し、そのあとフリーのぐちゃぐちゃっとした集団即興になる。どこがチュニジアやねん。途中からブラクストンはコントラバスクラリネットを持ち出して、異様な低音がのたくりまわるような演奏をする。ソプラニーノの超高音とコントラバスクラの超低音の対比がチュニジアのなかで(なぜか)行われているのだ。シュール! そこからはベニンク、メンゲルベルグのおもしろ即興のコーナーになり、ほかの楽器も加わっていくが、こういうところって譜面はあるのかな。ブラクストンもソプラニーノに戻り、すごくゆっくりした感じでテーマが演奏され、エンディング。おもろい! 3曲目は「デューイ・スクエア」で、テーマをブラクストンのアルトがヨレたような感じで吹き、ソロもそのノリのまま、わざとヨレヨレな雰囲気で演奏される。このあたりは酔っ払いのアルト吹きがスタンダードを必死に吹いてるみたいで面白い。とにかくバックのリズムに対して自由奔放好き勝手に自分のリズムで吹いているので、そこがめちゃくちゃ楽しい。ベニンクとフォンダがきっちり上手いバッキングをしているので、余計に目立つ。しかし、メンゲルベルグはひとりでブラクストンとは別の勝手なことをしていて、もう笑える。そのあとピアノ、ベース、ドラムの面白パートになり、ここはICPみたいな、べつの自由さの世界である。しかし、どこがデューイ・スクエアやねん。メンゲルベルグがちゃんと弾きはじめて、ちゃんとしたピアノトリオがはじまる(ちゃんとしたというのもおかしい表現だが)。それがだんだんとめちゃくちゃになっていくのも「ああ、来た来た、やっぱりな」という感じで、ずーっと聴いてられる。そこにブラクストンのアルトが入ってきて、ピアノとはちがうことをやりはじめ、ピアノレストリオの演奏になる。そして、テーマになるが、かなりぐだぐだで終わる。変やー! 4曲目は「クラクトオヴィーセッズティーン」で、最初ちょろっとイントロがあるのだが、そこからすぐにフリーリズムの演奏になり、ポール・スモーカーのトランペットを中心にして、みんなが遊ぶ。ベニンクがスティックをぶちまけたり、いろいろやってるやってる、という感じ。このひとたちのこういうコーナーでのセンスの良さは本当にすごいと思う。やはり、ベニンクとメンゲルベルグが持っていくなあ。まあ、全員すごいのだが。超アップテンポの演奏になり、そこでようやくアリ・ブラウンの活躍が聴かれる。どしゃめしゃのフリーになって、どこがクラクトオヴィーセッズティーンやねん! と叫んでいると、ようやくまともなテンポになり、最後の最後でテーマが出て、そこで終わり。1枚目ラストの5曲目は「オスカー・フォー・トレッドウェル」。ミディアムテンポのスウィングする曲を珍しくきっちり普通にテーマを演奏し、アリ・ブラウンがテナーでごつごつとしたフレーズで歌いまくる。すばらしい。アリ・ブラウンは大々的にフィーチュアされていて、ソロの後半はかなりフリーキーに(つまり、いつものアリ・ブラウンに)なっていき、6分を超えるソロに個人的にはめちゃくちゃ満足。こういう奔放でハードなブロウを聞いていると、ブッカー・アーヴィンの「ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン」でのアーヴィンの大ブロウを連想する。とにかく気合いがあって熱い。二番手はポール・スモーカー。ミシャ・メンゲルベルグの変態的なバッキングに乗って、ざらざらしたぐちゃぐちゃの長いラインを吹きまくる。これはなかなかすごいです。そして、ミシャのソロは独特なリズムで、曲の底に流れているビートとはちがうビートをぶつけたり、また、曲のビートに乗ったり……という好き放題なソロ。で、うちにあるアルバムは12分過ぎぐらいでピタッと停止してしまい、うんともすんともいわなくなるので、このあとが聴けないのである。残念。いつか買いなおすしかないな(調べてみると、今、このアルバムかなり値段が上がっているらしい)。11枚組を……? いやいや、それは……。
 で、2枚目に移ると、1曲目は超アップテンポの「ビバップ」。先発のアリ・ブラウンがこのテンポでもしっかりとしたフレーズを切れ目なくつむぎ出して、さすがのソロを繰り広げる。ミシャも鼻歌のように自由なソロ、スモーカーも1枚目でも見せたぐちゃぐちゃのクラスターみたいなソロ、そして、ブラクストンは余裕のフリーとバップを行き来するようなソロ……と皆個性を発揮しまくり、全員で吹きまくったあとテーマに。ある意味典型的なモダンジャズの様式。2曲目はアリ・ブラウンとブラクストンの間の多いフリーインプロヴィゼイションではじまり、そこにミシャがへんなリズムをぶち込んできて、そこからピアノがリードするものすごく面白い演奏になる。そして、「ボンゴ・バップ」のテーマをゆっくりしたユニゾンで合わせたあと、またピアノが破天荒に弾きまくる。全体的にミシャがいたずらっ子のように引っ掻き回している感じですばらしい。あー、この曲はめちゃくちゃ面白い!(トランペットは出てこない)3曲目はまるっきり違う曲みたいな出だしではじまるのだが、それがいきなりインテンポになり、「ヤードバード組曲」がはじまる。トランペットとサブトーンのアリ・ブラウンがユニゾンでテーマを吹き(なぜかブラクストンは不参加?)、アリ・ブラウンが先発ソロ。そのあとミシャのごつごつした岩を叩くようなおもろいソロ、そして、スモーカーの声を出しながらの変態的なソロが続く。そのあと、アリ・ブラウンも戻ってきて、2管で同時にソロをするようなコーナーがはじまり、しばらくすると倍テンになって全員でぐちゃぐちゃに……。なんやこれは! と思っていると、そのまま終わってしまうのだ! すごい! 4曲目は、1枚目とはかなり雰囲気がちがう「チュニジア」で、ブラクストンのソプラニーノはけっこう音程がいい。でも、ソロになると、気が狂ったようなキイキイとしたブロウをする。3管がめちゃくちゃやって、ベースとドラム、ピアノが変態のかぎりをつくすコーナーに突入。そこで管楽器も遊びまくり、リズムがなくなってからもとにかく徹底的に好き勝手な演奏が続く。さあ、みんなで言いましょう、どこがチュニジアやねん! いやー、楽しいなあ。最後にまた唐突にテーマが出てきて終了。5曲目の「パスポート」という曲はなんだったっけ? と調べてみると「スウェディッシュ・シュナップス」に入ってる循環の曲だった。ソプラニーノによるテーマの途中からミシャが変なバッキングをしているが、それの続きでミシャが頭のおかしいソロをする。最高ですね、これ。ブラクストンのニーノソロは、個性という絵の具でべとべとに塗ったような演奏。そのあと、なんだかわけのわからない展開(聴いてもらうしかない)になるが、こういうところはブラクストンの本領発揮で、ほんと、なにがなんだかわからない。ベースがめちゃくちゃ普通のランニングをはじめ、テーマに戻る。この曲はブラクストンのワンホーン。6曲目は、1枚目にも入っていた「クラクトオヴィーセッズティーン」だが、後年「チェイス」に流用された(?)イントロを、1枚目よりも大げさに演奏したあと、ぐだぐたしたフリーのパートになる。朗々とテナーを鳴らすアリ・ブラウンの音が印象的だ。トランペットに加えてベースもアルコで参加。さあ、皆さんご一緒に。「どこがクラクトオヴィーセッズティーンやねん!」はい、揃いました。そこにピアノやらなにやらが加わるが、このあたりの面白さは筆舌に尽くしがたい。こういうのってユーモア感覚もありますよね。その混沌のなかから突然ビシビシに決まったテーマが登場する。こういうのってアート・アンサンブルのECMのやつみたいですね。そこからまたぐちゃぐちゃになって、ぐちゃぐちゃのまま、変な吹き伸ばしをみんなで重ねて終了。なんじゃこりゃーっ! 7曲目はブラクストンのコントラバスクラリネットがゴゲゴゲゴゲ……と地を這う低音をふりまき、ベースとデュオで開幕。おもろいなあ。コントラバスクラリネットなんか吹いたことないけど、一回ぐらい吹きたいなあ……とか思っていると、突然はじまる世界一低い音での「スクラップル・フロム・ジ・アップル」のテーマ! コンハラバスクラとベースのユニゾン。こういうのって真面目にやってるというより、ある種のギャグじゃないかと思うのだがどうでしょう。サビからピアノが入って、なんだかわけのわからな展開になる。そのあとまた世界一低いテーマがあって、発電機でも動かしているような音が響く。笑うしかない。要所要所でミシャのピアノが光る。ほんま天才。8曲目は、「モーホーク」で、フリーな感じの即興ではじまるが、クレジットにはないけどおそらくブラクストンのフルートとスモーカーの聴き手をあざ笑うようなプランジャートランペットが前面に出た演奏。ドラムとアリ・ブラウンは登場しない(たぶん)。どこが「モーホーク」なのかわからん! 9曲目は「シッピン・アット・ベルズ」で、トランペットとコントラバスクラリネットによる低音のゆったりしたアンサンブルのうえでアルコベースが狂う。このパートはものすごく面白い。そして、その雰囲気を維持したまま演奏はずっと進み、エンディングへ。またしても言わなければならない。どこが「シッピン・アット・ベルズ」やねん! ラストの9曲目「ココ」は、超アップテンポ。ブラクストンはそんなテンポでもしっかりソロをして、言いたいことを言う。やっぱり基本的に「上手い」ひとなのだ。スモーカーもこのテンポをものともせず、しっかりしたコンセプトのソロを吹きまくる。ソロのリズムが崩れないのがすごい。ピアノソロだが、バックのベースのすばらしさも聞きもの。フェローン・アクラフのめちゃくちゃ上手いドラムソロがハイライトを作り出す。
 傑作だと思う。もちろんプロジェクトリーダーとしてのブラクストンの功績は絶大だが、ミシャ・メンゲルベルグのプレイが演奏的には貢献度大だと思う。これはやはり、11枚組を聴いてみるしかないな……。

「MOMENT PRECIEUX」(VICTO CD02)
ANTHONY BRAXTON−DEREK BAILEY

 ブラクストンとベイリーの邂逅を記録したアルバムはほかにもあるが、これは1986年のライヴ。もちろん傑作。名前の順番が、ジャケットではベイリー→ブラクストンの順なのに、CDの背ではブラクストン→ベイリーになっていて、これはたまたまなのか、大物ふたりを並べたときの配慮というか忖度なのか。まあ、どうでもいいことだが。しかし、楽しいなあ。こういう演奏を難解だとか頭でっかちとかスウィングしないとかメロディーがないとかいった理由で遠ざけているひとが、もしもひとりでもいるとしたら、それはとんでもない損失だ。聴いてみればわかるが、ただただ楽しくて興奮するすばらしい演奏が詰まっているのだ。このCDに入っている順序で演奏が行われていると考えると、冒頭のふたりの邂逅から、音を出し合ったあとの展開、寄り添い、乗っかりあい、裏切り、戦い、だましあい、一体化、不意打ち……といった即興の要素が全部ここにある。そんなものが音楽なのか? という意見もあるだろうが、そうです音楽なのです。もちろんただの「反応の応酬」だけでは音楽にはならない。すぐれた音楽性、演奏技術などのうえに立って、そういうものが行われるからこそ、すばらしい豊穣な音楽が生まれるのだ。もちろん音色やリズム、ダイナミクスなどの問題もある。このふたりは、そういったことをなにもかもわかったうえで、すべてを捨ててこの演奏に挑んでいるのだ。それぞれの楽器を完璧にコントロールするクールな部分と、じわじわ熱くなっていくホットな部分が同時に存在する。ここにある叙情、哀しみ、悲痛さ……などはもしかしたら聞き手が勝手にそう思っているだけの、インプロヴァイズド系のミュージシャンとしては予想外のとらえられ方なのかもしれないが、たしかにそういう悲哀の表現も感じられる。というか、人間だもの。まあ、とにかくデュオという形式がいちばん人間性が出るかも。まさに極上のエンターテインメントであり、極上の芸術的演奏である。そういう表現をしてもまったくかまわないと思う。全編、聴いていてよだれがたれるような瞬間があふれている。ふたりのボキャブラリーのぶつかり合いは演奏をどんどん次の展開へと導いていき、ジェットコースターのようにあれよあれよといううちに48分分が経過してしまう。客は皆、じっと聞き入っているが、終演して一拍置いたあとに「うおーっ!」という歓声とともに拍手が来るのが、演奏のすばらしさを物語っている。ブラクストンがアルトとソプラニーノのみなのも集中して聞けてよい。繰り返し聴きたくなる傑作。