平成12年5月18日。
『宇留満の日記』の写真掲載されている『敬天愛人』第三号のコピーをいただいた。
鹿児島県歴史資料センター「黎明館」の学芸専門員 吉満庄司さんが送ってくれた。
村田新八の日記写真、コピーの字つぶれの前には「ウ〜ン」と唸るしかなかった。
これをなんとか読みやすくしてweb上で誰もが読めるようにしたかった。
高解像度のスキャナーとプリンター、photoshop を駆使して、アラビア文字か
ペルシャ文字を縦書きしたような難解なオリジナルの意味が取れるようにした。
旧仮名遣いもそのままタイピングしなおしました。
村田新八の孫に村田経麿氏という方がおられる。
因みに、村田新八も「村田経麿」である。
旧鹿児島県立第二中学校で同学年であった東郷實晴氏が経麿氏を病気見舞い
した折、新八の遺品を見せてもらったらしい。
その遺品の中に、あの有名なフランスで仕立てたという「フロックコート」と巻物が
あった。
その巻物の中に『宇留満之日記』があり、それを写真に撮り、引き伸ばした。
次の頁から掲載されている写真はその印刷後のコピーです。
添え書きの和歌、
おもひきやみやこをさけてうる島や
沖の小島に声のまぬとは
で、 「声をのむ」とは「悲嘆のあまり声が出ないこと」らしい。
ここでは否定になっている。
八百遅 = 八百路 八ツ時分 = 午後二時
「羊の方」 =南西の方角 {丑寅 = 北東の方角
松魚 = 鰹 かさ井大島の内湊 = 笠利のことらしい。