「村田新八修養之地」石碑建立事情 −2−
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                                        (写真撮影 畏友盛崎岩夫氏)

喜島家(現中沢家)となっているが、掲示した喜界町もその裏事情は知らないだろう。

役場に提出された書類が偽造印を含めて、偽造であるチェックを全く無視した杜撰な書類主義であった。
この石碑の歴史的経過を調べれば喜島家当主に一言あってしかるべきであったと思う。
詳細が、
「喜界町役場戸籍課の資料」
「鹿児島法務局奄美支局の資料」
「中澤ヒデ80歳の当主への手紙」
に示されています。

アウトラインはこうである。
7歳の当主を欺き狡猾に仕組まれた布石は戦後間もなく、混乱期の昭和23年に打たれた。
そして2011年4月、ヒデの死と同時にその謀は成就した。
心なき者に300余年続いた喜島家屋敷は詐取された。
ヒデ葬儀の日、49日と2回も機会はあった。
しかし
当主の私には一言もなかった。