−1 −
虎の巻 角川日本姓氏歴史人物大辞典46 鹿児島県姓氏家系大辞典
島の形成
奄美大島や徳之島より新しく、約1万2000年前〜600万年前の島尻層を基盤とする地質構造帯に属している。
約5800万年前に形成された琉球石灰岩で覆われている。
喜界島は5段の海岸段丘をなしている。
最上層 12、3万年前
2番目層 8万年前
3番目層 6万年前
4番目層 4万年前
最下層 1千年前〜8千年前
この上昇は小休止をしつつも平均して、年間1.5mm〜2.0mmのスピードで隆起している。
百之台はこの100年間で約20cm高くなっていることになる。
単純計算すると百の台は、442万4千年後にエヴェレストと同じ高さになる。
太平洋プレートの動きで1500万年後に富士山が世界1高い山になり、東京からサンフランシスコの灯りが見え、
干潮時にハワイまで歩いて行けると計算している科学者もいるぐらいだからあながちバカにもできない。
先史時代と喜界島の創成
喜界島に人間が住むようになったのは、縄文時代の後期で約4000年前頃らしい。
その頃の
住居跡に荒木農道遺跡の存在、宇宿式土器片、石斧、貝器、骨器の出土
荒木小学校遺跡、
湾天神貝塚、
伊実久厳島神社貝塚、
志戸桶七城遺跡
などが昭和30年代頃までに発見されている。
昭和60年(1985年)
縄文後期約3500年前の遺跡である西目半田遺跡発見。
標高約140mの百之台の裾野にある。
面縄西洞式や宇宿上層式の土器片、炉跡らしき遺構、石斧や石皿などが発見された。
ヒャーとオナリ
喜界島や古代の南の島々は、大和朝廷の支配で大宰府の管轄下に置かれた。
その後大隅国に編入され放置された。
奄美の古代集落名は「マキョ」
その中心の家は共同体の祖家とみなされる「ウフヤ」 or 「フーヤ」(大家・大親)と呼ばれる。
その家の男子が村の行政を司り、やがて「ヒャー」に成長する。
「ヒャー」は「ウフヤ」の転化した用語で、一般に「百」の字を充てる。
それが共同体の族長的な「首長」をいう。
「百之台」は「ヒャー」たちが集まって、「雨乞いや協議をした高台」という意味の地名らしい。
一方、「ウフヤ」の家の娘「オナリ」(姉妹)の一人は集落の祭祀を司り、自分の兄弟の行政権を支えた。
これが、所謂「ノロ」(祝女)制度の母体となる。
8、9世紀頃には奄美は「按司」という首長たちの支配する階級社会にさしかかっていたと考えられ、
基本的には「ヒャー」が「按司」に昇任し按司割拠時代となった。
「オナリ」は「ノロ(祝女)」となり、城(グスク)という拝所を中心とする祭りを務めて人心を治めた。
また、「ノロ」は当時の未熟な航海術による航海者たちの守護神として強力な霊力を求められた。
この時代、喜界島では長嶺翁、城久翁、荒木翁、山田翁という豪族が勢力を競い、その争いは現在に
語り継がれている。
筆者註: 昭和28年頃何か月も雨が降らず島民(含・小学生)が百之台に集まり役場の職員が主催して
神官が雨乞いの儀式をやったことを思い出した。
夏の暑い頃だった記憶がある。
たしか、2日後に干天の慈雨があった。
雨乞いの御利益か偶然かは定かではない。
しかし、科学的には大量の火を起こして上昇気流を発生させたのだから理に適っている。
![]()