| 80歳 ヒデの書簡 −母よ、安らかに− P.3 |

村田新八は喜島家の先祖がお世話しました。
公爵島津忠重公に直筆を願ったのは喜島桃隆です。
外国を知る桃隆は太平洋戦争は敗戦すると公言し憲兵に目をつけられていた。
そして、我が家に縁のある明治の元勲が外国の蹂躙で歴史に埋もれることを憂えた。
それで戦時中にも拘らず、敵に占領される前にと建立した。
建立費の96%以上は喜島家が都合しました。
桃隆の先見の明がなければ、昭和28年まで米国の信託統治下、村田新八は忘れ去られただろう。
当初、学校への通路側に建っていましたが、生徒たちが碑文を傷つけるので敷地内に入れました。
惜しむらくは敵国軍の機銃掃射で痛ましい傷跡が残っていることです。
喜島家の先祖の思いは喜島家の当主が守ります。
ご安心ください。