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* 古事記 について *


 「古事記」 は八世紀初頭、その序文によれば 和銅五年(西暦712年) に成立したわが国最古の典籍とされています。 旧来 「偽書」 であるとの説もありましたが、昭和五十四年 に奈良県で選者とされる 太安万侶 の墓誌が発見され、いまやこれを 「偽書」 とする説はあまり見かけることはなくなりました。

 さて、このページでは当サイトで 「古事記」 をUPするにあたり、わたしの独断と偏見によってこだわったこと、感じたことなどを記しておきます。

 ● こだわりその1 : いわゆる 「訓注」 を省かない。
 出版されている多くの 「古事記」 のテキストではほとんど 「訓注」 は省かれています。 しかしこれでは、 「上古の時は、言 (ことば) と意 (こころ) と並 (み) な朴 (すなお) にして、文を敷き句を構うること、字に於きては即ち難し。 已 (すで) に訓に因りて述べたるは、詞 (ことば) 心に逮 (およ) ばず、全く音を以ちて連ねたるは、事の趣き更に長し。 是を以ちて、今、或は一句の中に音訓を交え用い、或は一事の内に全く訓を以ちて録 (しる) しぬ。」 とした 安万侶 さん のせっかくの工夫と苦労が伝わらなくなってしまい、残念でならなかったからです。 けれども文脈の内容を追うには逆に煩雑になってしまったきらいがあります。 

 ● こだわりその2 : 音読みで書かれた部分は 「読み下し」 でも書きなおさない。
 これは前項の 「こだわり1」 から派生したことですが、たとえば、 「久羅下那洲多陀用幣琉 (くらげなすただよへる = 海月なす漂へる)」 などはもとの漢字のまま表示させました。 そのかわりにそれぞれ一文字ごとにふりがなをつけて読めるようにしておきました。 ただし神名や熟語の場合はまとめてふりがなをつけたところもあります。 このあたりは厳密な規則はなく 「このほうがわかりやすいかな?」 という、結構いいかげんな感覚でやっています。

 ● こだわりその3 :  「読み下し」 には 現代かな使い をつかう。
 旧かな使いのテキストに親しんだ方には違和感があるかもしれませんが、インターネットを通じてパソコンで読む時代には 「旧かな」 は ”そぐわない” ように感じたからです。 このほうが今の年若いかたがたにも ”とっつきやすい” と思います。 ただし 「汝(なむぢ)」 とか 「神(かむ)」 とか、漢字の読みの部分で、もとの格調を崩したくなかったところは旧かな使いを残したところもあります。 これも結構いいかげんです。 旧かな の格調をできるだけ壊すことのないように注意したつもりですが、さて成功しましたかどうか。
 出版されている多くのテキストでは 旧かな が使われていますので、どうしても 旧かな で読みたいと思われる方は、どうかそれらのテキストにあたってみてください。
 
 ● こだわりその4 : 「(〜し)たまう」 は原文に 「賜」 の文字がある場合のみにとどめて多用しない。
 神様や天皇のことなので、やたらと 「〜したまう」・「〜したまいき」 など乱発するテキストもあるのですが、あまり頻繁にこれをやると文のリズムがこわれてしまう気がしたので、このようにしました。 ただし、本来はやはりすべて 「〜したまう」 とするのが正解なのかもしれません。

 ● こだわりその5 : 読み下しはリズムよく。
 今、文のリズムと言いましたが、「読み下し」 と格闘しているうちに、これは 「声に出して読む」 ことを前提に作られたものではないかと感じてきました。 そう思った理由は、「ここはこう読め」、「ここはこう発音しろ」 と執拗なほどの 「訓注」 の存在です。 そう感じてからはなんとか 「リズムよく声に出して読めるように」 と意識して作ったつもりです。 しかし、このように感じ始めたのは上巻の 「読み下し」 ページを作っている後半になってからだったので、したがってはじめのころと終りのころとでは、読み下す感じがやや違っていると思います。 これはそのうち全体をみなおして調整するつもりですが、いまのところいつになるのか、ちょっと予想できません。


 そのほか、気付いたこととしては 「言う」 という動作にいくつか異なる文字が使われているということです。 具体的に列挙すると、 「詔」・「告」・「言」・「白」・「曰」・「云」 の六種類の文字が使われています。 またやや使う場所が違いますが 「謂」 も使われています。 これらの使用法にはなにか法則があるように思えます。 すでに専門家の研究がなされているのかもしれません。 ただ、これらを区別することなく、なんでもかんでも 「詔(の)りたまう」・「告(の)りたまう」・「白(の)りたまう」 とするようなテキストもありますが、「ちょっと違うんじゃないかな?」 と思います。 もっとも、当サイトの読み下しもここのところは混乱しています。 これはできるだけ早い時点で調整したいと思っていますが、いまのところはこんな程度でお許しください。
 ちょっと脱線しますが、たとえば原文で 「詔」 がどのような部分に何回使われているかなど調べるには、ブラウザの検索機能を使えば楽に調べる事ができます。 こうした史料をHTML形式のファイルで作る利点はこのようなところにもあります。 

 あらためて見なおしてみるといろいろ手直ししたい部分が目に付いてしかたがありません。 徐々にでも調整していくつもりです。 また、間違いも多々あることと思いますので、お気づきの点はお教えいただければ幸いです。  

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