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塩尻 卷之二十 より抜粋 貞享三年熱田重脩の時


 獺祭註 :  『塩尻』は尾張蕃士で国学者の天野信景(あまのさだかげ/1663~1733)の随筆集。
 当時、熱田神宮は荒廃はなはだしかったため将軍綱吉の肝いりで貞享三年(1686)に大規模な修復が行われた。
 このとき草薙剣が取り出されたという。


貞享三年重脩の時、治部太輔(じぶのたいふ)季道(すえみち)私に議して草薙剣を取出し奉り、御櫃(おひつ)を新(あらた)に製して藏奉しける。神忠に似て不敬の事にや。申(もうす)も憚(はばかり)ある神器を凡人として出し奉りしこそあさましかりし。數年の間に季道及び其時の神役人等、皆罪に処せられ侍(はべ)りしも神罰と覚えはべる。寶剣の寸尺及ひ殿内の御かざり、尾張の宿禰仲頼(なかより)に傳え侍りしかとも恐多き御事なれは敢て口外に出すへきにあらす。凡そ神剣の秘・正殿の御體・渡用殿の御尸立の傳・御正印の御筐・八剣宮の御璽等、尾張氏の直傳を受さるものは皆推量の私説なるへし。たとひ是を傳ふるとも、敬神如在の誠を存せば輕々しく他にいふ事なかれ。予幸いに故ありて儘(ことごと)くこれを傳授す。然れとも敬神のあまり筆にあらはさす。欽哉。




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