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当時は、三角乗りの運搬用ボロ自転車を足掛かりに、遊びが中心の毎日でした。猪名川派流の藻川なんかでイロモト(オイカワ)、マブナ、稀に七寸級のウミドジョウ(アユモドキ)なんかを釣ってくると、これは旨い、と大人にたいそう褒められたため、連日釣りに精を出しました。 米軍基地伊丹飛行場の側を流れる水路などは、水草の茂る、深みが随所に点在する格好の釣り場でした。鉄条網の向こうにはMPの濃い緑色のジープが疾走し、ローラースケートやスティックボールで遊ぶ兵士達の見慣れぬ異文化の景色が広がっており、好奇心旺盛な少年の興味をいやが上にもかきたててくれました。 阪急蛍池駅構内の看板は全て横文字、ベティーさんや、ポパイ、ブルートの絵柄が躍っておりました。駅前のパチンコ店はPACHINKOを旧来の書き方で右から左へ書いたものですからKONCHIPA…これが「こんちぱ」と読まれ、歓迎してくれている、と気をよくした進駐軍兵士でお店はおおはやり。街には昼間から駐留軍兵士の腕にすがって洋モクふかしながら歩く真っ赤な口紅とマニキュア、原色のブラウスにロンスカ女性の姿が珍しくありませんでした。そんなこんなで、基地の子らしく、心ならずも?めちゃくちゃに早熟な子供が出来上がりました。 こんな環境でしたので、昭和二十年代の後半から釣りとローラースケート(四つ輪)に現(うつつ)を抜かしておりました。なぜかローラースケートは不良の始まり、釣りもその当時はあまりいいようには言われませんでしたが、半世紀以上経過したいまも、やっぱり釣りとローラースケートで遊んでいる、という「習い性」なんですね。ヨハン・ホイジンガやロジェ・カイヨワのホモルーデンスを読んだのはずっとあとになってから。俺は「あそびにん」ならず「遊ぶヒト」やねん、といまは誇り?にさえ思ってますが…。 こんな私が、数年前、ホームページを、見よう見まねで“のつこつ”とやりだしましたのは、これら私の遊びの延長線にほかなりません。自分のお遊びの為に記録を残したい、というページなので、人様に見ていただけるような代物ではない、まあ、インターネットのジャンクだと思っておりましたが、ナ、ナント1万人以上もの方にご訪問いただいて、吃驚仰天です。本当に有り難うございます。いささか身が引き締まる思いもいたします。 最近になって、プロフィールのページはないの?というお話がときどきありましたのでこのページをアップしました。カット絵は、釣りとインラインスケート(ローラースケート)に呆ける自画像です、赤いバンダナが「○○歳の抵抗」?って、それはないです! ------------------------------------------------------------------------ |