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プロフィール/ Fusako Yamada
◆仕事:ドイツ語の翻訳・通訳
◆埼玉県朝霞市在住
◇1964年東京都立高校卒業後、渡独
◇1967年ミュンヘン州立写真専門学校卒業
  ★2002年に上記の学校はFH Münchenに統合

  ★2006年10月にミュンヘンで40年ぶりのクラス会
◇1972年青山学院大学2部入学 1976年英米文学科卒業
◇ドイツでは"モードアトリエ"の写真家のアシスタントをする
◇日本では港区赤坂と六本木の貿易会社などに勤める
◇大阪に在住時は国際交流センターで日本語ボランティアをする
◇2001年から「絵本で覚えるドイツ語」を開催する

趣味Golf
FUSAKO 写真


海を愛する水中写真家
ディートマール・ライマー
翻訳:山田房子
日記

★2014年1月3日

←左の写真は76才になる友人ハイディ。イラストレイターのハイディはシニアハウスに移りました。
↑左上の絵は8月の暑い日、帽子を被っていた私を描いてくれました。
↑上の真ん中の写真は、2013年にリフォームし素敵になったシニアハスに招待された時の私です。

2007/4/29 今年もゴールデンウイーク到来♪マンションのバーベキューテラスでBarbeque♪
大人13人子供3人(家族&友人)が参加し、1階の我が家から2階のテラスに運んだもの
◆バーベキューセット、炭(3kg)、うちわ(2)、タオル(布きん、雑巾)、バスタオル(3)、バケツ、新聞紙、ゴミ袋(5)、紙袋 サランラップ、アルミフォイル、まな板、包丁、大皿(5)、紙コップ、紙皿、割り箸、スプーン、フォーク ◆飲み物:ビール(大12本)、オレンジジュース、水、麦茶、氷◆果物:イチゴ、パイナップル ◆サラダ:レタス、ミニトマト(2パック)、キュウリ(10本)、ドレッシング ◆調味料:塩、マヨネーズ、ケッチャップ、ソース、醤油、オイル、焼肉のたれ(2本) ◆パン類:お結び(30個)、フランスパン(大1本)、ロールパン(20個)、食パン、ガーリックマーガリン ◆ハンバーグ(20個:牛ひき650g+豚ひき150g タマネギ、ニンジン、ピーマン) ◆焼きソバ(2袋:キャベツ、紅しょうが、モヤシ) ◆野菜:新タマネギ(大4個)、ピーマン(7個)、生シイタケ(大15枚) ◆肉類:スペアーリブ(1300g)、ウインナー(5袋)、ウイングスティック(30本)、牛肉(700g) 魚類:ハタハタ(10匹)、えび(30匹) ◆その他:鯉のぼり、パラソル、ゴザ、テラス用サンダル、パターゴルフ用マット、ゴルフボール、ゴルフクラブ(左用、右用)
     -ーーーーーーーーーーーーー
食欲は旺盛!!食事の後は恒例パターゴルフ大会、現在ヘルニアになってしまった夫が「ヘルニア記念賞」と銘打ち 優勝、準優勝、3等賞、特別賞を出し、子供も大人も大いに楽しみました。
2004
7/16
Christel/クリステル  彼女ほど心豊かに生きている人はいない。 彼女ほどすばらしい/作品写真・ガラス細工・・・・を作る人はいない。 生命のともし火が消えようとしている今、電話で懐かしい声を 聞かせてくれ、そして私を抱いてくれました。それで私も「両方の頬にキスを」と電話で返しました。 クリステルとの出会いはミュンヘンの写真専門学校時代、クリスマスにはシュットガルトの自宅に 連れてくれましたが、帰るとJ.S.バッハの「Das Wohltemperierte Klavier」を弾き、 それから彼女が終生愛した屋根裏の部屋でくつろいで過ごすのでした。
4/1116日に「SAS」でドイツへ。格安チケットは私にとって追い風。 出入国税(4,800円)空港保険料(3400円)成田空港施設使用料(2040円)と その他の高い料金を支払ってもトータル8万4240円。 最愛の友人ブリギッテが亡くなった。 残ったクラウスは、親思いの二人の息子とスキーに行ったり、 今はバリの友人に招かれていっているが心はまだ癒えない。だから会いに行きましょう。
12/4 ドイツ語を何も話せないTomokoにドイツ語教えたのは10時間ぐらい。忙しい娘の合間を縫って、10分20分と一日の勉強量は少なかった。 Schloss Elmau(シュロス エルマウ)に行くまでにもう少し。ミュンヘンでも一週間あるので特訓できる。楽しみ楽しみ 行って参ります

2003
10/28
今年は12月4日にミュンヘンへ旅立つ。末の娘Tomokoを文化とスポーツを楽しめる歴史あるホテル「Schloss Elmau」へ連れて行くため。 「Elmau」は若い人がそこで仕事し、言葉を覚え、そこで行われる音楽に触れられる場所。 私の中にはシャボン玉に包まれたElmauの思い出がある。透き通った空気、メニューインのバイオリンの音色、流れる小川の音、トマトをキノコに見立てた可愛いお料理、アドベントそしてクリスマスなど。 今でも私のドイツの原点となっている場所である。私がそこに行くのは37年ぶり。Elmauはミュンヘンから110 km、 Garmisch-Partenkirchenから10 kmに位置する。 ☆今回Mr.Schulzと研究論文の翻訳について話し合う機会をもてるのもうれしい☆
7/1525歳の時、私は赤坂にあった貿易会社に勤めていた。時は高度成長期真っ只中。
会社からTBSのゴルフ練習場の券を毎月プレゼントされた。お昼休みに行ってはバシャバシャと練習した。 何度かゴルフコースに出る機会もあった。 会社のコンペで無心で打ったドライバーショット。誰よりも飛び、 社長がドラコン賞にとイギリスから持ち帰った「樫の木のパター」は私がいただくこととなった。 結婚しゴルフは全くしなくなったが、25年のブランクの後、再びゴルフを始めて丸6年。 今は手元にあった樫の木のパターを使っている。 アフタヌーン、平日、スルー等々ゴルフが気軽にできるようになった。 不器用で上手ではないが、最近アプローチでトップしないようになった。 ☆スクエアに立つ☆両土踏まずウエートを置く☆顎をを絶対に動かさない☆ ようやく試行錯誤し始めた。

4/26翻訳家、同時通訳者、静山社社長の松岡祐子さん
青学で忙しい合間をぬって講演をしてくださった。 好きな言葉は ◆「偶然は必然である」 ◆「冷たい頭と暖かい心」 そして詩を訳す時 韻に苦しみながら 訳せた時の歓び! 「ハリーポッター」の版権を 他の二社を押えもらえた情熱! ネゴシエイションで大切な事の一つは ◆「こちらの情報を多すぎず、過不足なしに伝える」との事。 この事は日常生活していく上でも 大切な一言として心に残りました!

2002
6/26
ただいま!6/12 Narita→(12H20)Paris→(1H25)Frankfurt→Koblenz(Hotel Mercure )→6/17 St Goar(Schloß Hotel Rheinfels)→ 6/18 Rüdesheim→Eltville-Erbach(Schloss Reinharshausen)→6/19 Wiesbaden(NASSAUER HOF)→6/20 Mainz→Nistertal(Hotell Wisser)→6/21 Hachenburg→Bad Marienberg→Frankfurt→6/22(11H05)Narita 仕事から無事帰還!

5/19仕事はフラリやってくるが、どこに居ても仕事は出来るので楽な時代になった。 高校を卒業した1964年6月、すでにドイツ語が堪能でドイツで仕事をしていた母が 私をよんでくれてた。戦前の少女期に祖父の仕事の関係で長くドイツ、アメリカに滞在していた母はドイツ語、英語ともに堪能だった。 ジュッセルドルフの200年以上前に建った農家に部屋を借り住んでいた。何も話せない私は、語学学校に午前中通い、 家に帰ると母が月15マルクで借りてくれた、タイプライターに向いバチャバチャと練習した。以後テレックス、ワープロ、ファックス、パソコン、e-mail、携帯 等が 私の必需品となった。ミスタイプの修正はお得意だった。カッターナイフでそっと削り、消しゴムでこれまたそっと消す。ファックスのテープもセロテープで穴を塞いだり、新しい穴を開けたりしたものだ。 文明は駆け足で進んでいくが流れにそって来たのかギャップは感じないで済んでいる。 私の父は早くに亡くなったが、母は語学ができたおかげで4人の子供を育てた。教育のためにはできる限りのことしてくれた。 そんな母にとても感謝している。
1/1今年はドイツに行きたい。ガーミッシュパルテンキルヘよりもっと南◇Schloß Elmau◇山の上にあるお城のホテル◇あの雪のある 景色。あの風を、あの空気を思い出すと、今でもその感触がそのまま感じられる。 バイオリン奏者のメニューインに出会ったのもそこだった。

2001
1/22
『Faust』一年半かかって一部を読み終えた。私が今読み返しているのは、昭和16年に「光書荘」から出版されたドイツ語の原書だ。 日々ドイツ語を音読している。日によっては一節しか読めないが、それだけで一日が充実するのだから安上がりな人間だと思う。『DUDENの手紙の書き方』も日々読んでいるが、とても役に立つ。 『インド三国志』陳舜臣著これは甥のへのプレゼントで買った。ムガール帝国のこと面白くて駆け足で読み、渡してしまった。
2/26Macromedia Flash5初級トレーニングを2万円掛けて受けてきた。朝10時から5時まで。 手ぬぐいを頭に巻いた先生のバイタリティは猛烈。会社からの派遣された美しいお姉さま方が多かった。 解ったつもりが家に帰ったら丸きり再現できない。圧縮された貴重な講義を思い出しながら分厚い本を一ページづつ読み砕いている。 サポートは期限なしでしてくれるのだが、要を得た質問をするまでにも時間がかかりそう。
3/4ブリギッテとクラウスが3日の誕生日に電話を掛けてきてくれた。サビーネはFax、マキエさんはメール。いい日に生まれたと感謝。 トラウディーも3日の電話で「『ネック』の日本人が事務所に来るから欲しい物があたら日本に届けられるわヨ」と伝えてきた。 「ネック」って何かと思ったら「NEC」の事だった。
3/9末の娘の智子18才と一緒に大阪、神戸、京都を旅した。二人の旅気分が一致するまで10時間も掛かった。 阪急電車の六甲から乗った「六甲山ホテル」のパスの中から、里に下りてきた可愛いイノシシの親子に出会ったり、 六甲山からの夜景を見てからは親子という関係の段差がなくなった。朝起きると外は一面の雪。真っ白な景色も、日が照り始めると海が姿をあらわした。 今回の旅行の目的の一つは、巣立つ前の娘に旅の楽しみ、マナーをさり気なく伝えたかった。 三宮から元町まで歩き、元町から京都まで急行で行き、駅の近くをふらリ散歩。小さな「大弥食堂」で、おばあちゃんの作ってくれた280円の「卵ドン」と300円の「狐うどん」を食べた。 それだけを食べに行きたいぐらいおいしかった。
3/18半年も前から長女妙子が予約しておいてくれた「フジコ・へミング」のピアノを前橋まで聴きに行った。あんなに大勢の観客が集ったの見たのは久しぶりだった。 昨日はNHK教育テレビで夜10時から「地球時間」という番組を見た。 アメリカには200万人もの受刑者がいて、民間の刑務所が多くある。 囚人が儲かる商品のように扱われているとのドキュメンタリーを見てショックを受けていたが、 F.Hemmingの弾くピアノの音色は豊かで、すべてを包み込んでくれた。
5/29Macromedia の「Flash 5」と葛藤すること3ヵ月半。ようやく光が見えてきた。 ソフトを使わないでHTML文章に組み込んでいるので、ジグソーパズルのようだ。
6/12興一兄、尚子姉、誠兄で母に旅行をプレゼント。私は母の付き添いでサポート。誠兄のいる仙台そして山形を旅した。 兄が昼に夜に、打ち立てのそば、取り立ての魚(福寿司)、伊達の牛たん(広瀬通り・本店)を食べに連れて行ってくれた。 歴史が好きなタクシーの運転手さんは、ハチの校章と土井晩翠の歌の碑がある旧制二高跡を案内してくれた。 ◇- 観光- 蔵王・山寺・霞城公園・文翔館・東北大学・瑞鳳殿・せんだいメディアテーク・晩翠草堂◇普段着の気持ちのみやげは、 バックにしのばせた朝食にでた海苔の袋
7/71964年羽田から北まわりで21時間、コペンハーゲンを経て初めてドイツのジュッセルドルフの飛行場に降り立った時の風。オートロックのマンションには、あの時の風が必要!
9/17朝霞から小川町まで片道50km。7年前の自転車が見つかった。それも小川町でだ。親切な方が、その方の家の前に乗り捨てられていた自転車を、警察に届け、警察が登録番号から我が家に知らせてくれた。 我が家の自転車は数え切れないほどなくなっていた。だからわざわざ取りに行った。往復5時間。 ガソリン代1500円、送料10610円。昼食代1300円。乗用車には積むことができず、小型引越し便で、高かった。 その上、小川警察署の前で記念写真を撮っていたら、今のご時世、怖い顔で「何をしている」と、しかられた。 いいこともあった!埃をかぶった家具屋さんで古びた木の脚立と、メモ台を買った。高くついた自転車となったが、 よく戻ってきてくれて、ありがとう!

父 山田進


母 山田シヅ(通称 静子)1935年

母シヅ(1913/12/31-2004/11/27)は、1922年8歳で欧州航路用に新造された1万1000トンの 日本郵船の「伏見丸」でドイツへ、横浜の港から旅立ちました。 母の父中山長治は仕事の関係で一足早くハンブルグへ赴任していました。40日の船旅だったそうです。 1925年Hapag Lloyd社の 「Albert Ballin 号」で 日本へ帰国。東洋英和女学院の小学部4年から中学1年の初めまで通いました。 1927年 13才の時、アメリカの サンフランシスコに転勤。1930年16才の時には再び家族と共にドイツに。 1934年ハンブルグ大学で「ドイツ近代史」を聴講。 Prof.Karl Florenz から『古事記』など学んだそうです。 そして1935年「靖國丸」で帰国しました。
帰国後、父進(1905/12/18-1954/1/19)と1936年10月に結婚しました。父は早くに亡くなりましたが、母は傍目には、なんと言うことなく 私たち4人子供を育ててくれました。それは英語とドイツ語が堪能で、祖父母のサポートもあり、 元気に仕事ができたからだと思います。
2004年☆Shizuは89歳で初めて入院する羽目となりましたが、 病室でいつも茶目っ気たっぷりの会話が行き交っています。 これからLady Shizu の会話を紹介しましょう。 ・9/1513階の病室から雲を見て「いわし雲に穴があいているわね」と・9/20歌いました♪ Meine Mutter hat gepflanzen, Zuckererbsen in den Garten. Da kammen die Hühner und frassen sie auf. Hühner Hühner weh oh weh, wenn das meine Mutter sieht. Hühner Hühner weh oh weh, wenn das meine Mutter sieht♪ ・9/29やせたのかお尻のあたりの骨が痛くなりました。 そこで手元にあった脱脂綿 の間にちょうど拾ってきたクスノキの葉を二枚入れ、あてがいました。Lady Shizuは即座に 素晴らしいアイディアという意味の ”Idee von Schiler”と言ってくれました♪・10/6(水)「茶摘」(八十八夜)「アルプス一万尺」「手作りトランプ」「指相撲」をして遊んだが、少し大儀そう。 ・10/22昨日はあんなに具合が悪かったのに、 「今日はおしゃれして細身の服を着てきたわ」と私が言うと"Wo ist deine Taille?"(あなたのウエストはどこ) なんて言われてしまいました。帰り際には、ありがとう"Komm gut nach Hause!"(無事家に帰ってね) とベッドから見送ってくれました。週末は家に帰れるので母も私もルン・・♪ ・11/10週末ごとに家に帰っていたが、最近は難しくなってしまった。でも5日前には3人のレディーを お供に慈恵病院前の愛宕トンネルをくぐり散歩しました。そして今日は「しづこ、ちよこ。。。」と言って私にキスしてくれた。 ・11/12口を綺麗にしてから「あいうえお」と声を出す練習、そしてnaoko fusako と言えたので姉の尚子と二人して大喜び。看護婦さんには「ありがとう」と頭をさげた。・11/14(日) 大好きな母静子◆昨日は3時間神谷町の家に帰れ”みんなにありがとう”頭が痛いと書いたそうです。 ・11/27(土)一度目を開けたと、興一兄がうれしそうに話していました。 今の私の実家は慈恵医大1323号室・素敵な部屋・11/22(月)健やかに寝ています。お医者様から アルブミンを入れても、身体に入っていかなくなった旨を伝えられる。・11/23(火)房子病室に泊まる。 看護婦さんが1時間30分ごとに母を見ています。血圧104-50「5」・11/24(水)23:50目を開あけます。 房子が泊まる。尚子姉は夕食などを もってきてくれました。ベットはタンカーのように細く、高かったが、3時ごろからは熟睡。「7」 ・11/25(木)由美姉泊まるUrin1L「10」 ・11/26(金)房子泊まる。血圧84-40明方:イノバン3A「14」 ・11/27(土)一度目を開け見回していたと興一兄がうれしそうに話していた。 22時22分子供、孫と皆そろっていました。私は母の手を握っていました。 薬が切れて5分と経たないうちに脈拍が。 房子カンファレンスルームに泊まる。三方活線はもういらない。