§妙蓮寺の和田義盛公顕彰碑§
妙連寺に和田義盛公の顕彰碑があります。妙蓮寺の近隣に和田姓を名乗る家系が多くあり、妙蓮寺の建立から開眼供養まで大きく関わりがあり、旭区郷土史由来の記載を纏めると次のようになります。
寛永5年(1623)に地頭詫間伊織忠次公が名主和田四郎左衛門に威光山法明寺十二世日曉承認が隠居するに際し知行地内に寺地を与える様に命じている。また、寛文12年(1672)本堂建設の開眼供養が行われた時に書かれた棟札が現存しており裏面に檀頭和田四郎左衛門、同源右衛門、同勘右衛と大工藤原原忠兵衛の名が記されているように和田義盛の和田姓を継承する風土がある村落。
建保1年(1213)和田の乱で和田氏は敗れたのに何故和田義盛の和田姓を継承している家系がこの地にあったのだろうかか。
和田義盛公の弟の孫和田実茂が幕府側についていた為め和田の家名は残されたが、その後の国変え赴任先で土着した和田姓を名のる一族ではないかと推測される。
其の他,武蔵の国(現在の八王子市)横山党(和田の乱に出兵)は和田義盛との縁があり同族の相模の国北部にまで勢力を伸ばしていた関係で和田義盛より派遣されていたが和田の乱の敗北でに武将・郎党ともにが散開し土着した説もある。八王子市小宮町、石川町に和田姓の多い地域がある。
また、和田義盛と関係があるとされる地名として妙蓮寺以外に保土ヶ谷区和田町、相鉄線和田駅、と和田稲荷(駅に隣接の帷子川橋脇)、陣ヶ谷渓谷(和田義盛が狩りの陣を張ったといわれる)がある。
和田家紋章
和田家紋章:「三つ引き両」で三浦家と同じ。
両は「竜」をあらわし、三本の場合は三匹の龍、即ち三両で「三つ引き両」となる

和田義盛公の顕彰碑 和田義盛公祭堂
和田義盛公顕彰碑と横浜市指定名木古木・イヌマキの樹 和田義盛の祭堂と顕彰碑
和田義盛公顕彰碑







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