妙蓮寺の句碑

向日葵(本名:茂野)・大正4年(1915)当時の住職、信敬:俳号=白蓉の長女として生まれる。
句意は季節語[おたるぶくろ]の斡旋が見事で、この花の形態から安住、梵鐘を思わせる。
[つきにいく]は父の日常を詠み、父を忍ぶ心を表現している。
境内には白蓉の句碑[富士箱根阿夫利もはれて鳥わたる]もあり、父・娘・句縁仏縁が深い八幡城太郎が同じ境内に句碑が建つているのは微笑ましい。
市民グラフ季刊誌No.116(2001)参照

ほたるぶくろ安住の鐘つきにゆく
句碑
渡辺向日葵(わたなべこうじつき)
ほたるぶくろ(蛍袋)は季節後で釣鐘草・提灯草・とも呼ばれている。
釣鐘草を枕言葉に、高齢の父親が鐘をつきに行く姿に健康で穏やかな日常生活の姿を偲び詠んでいる
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富士箱根阿夫利もはれて鳥わたる 句碑
向日葵の父・白蓉の句碑

極暑の駅頭に悲しいまでに軽い一個の遺骨を迎え念珠(数珠)の手におもいが込められている。
城太郎:大正元年(1912)〜昭和60年(1985)は相模原市の青柳寺住職で妙蓮寺と同じ宗派。
妙蓮寺元住職の渡辺白蓉とは、句縁仏縁が深く、二人の句碑が境内に建てられている。
日野草城に師事した城太郎は「北相の俳人」として高名。俳誌「青芝」を創刊し、主宰した。
蝉暑し汗じっとりと念珠の手 句碑
八幡城太郎(やはたじょうたろう)の句碑
この画像上にマウスポインターを移動して下さい石灯篭が見えます

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