2001年12月19日

私にとっての宗教と政治

真宗学専攻 D2 桑原浄信

<靖国神社の位置付け>

 靖国神社というものを如何に捉えるかについて私見を述べるに先立ちまず靖国神社の歴史について概観してみたい。
 靖国神社は戊辰戦争で命を失った人々の霊を慰めるべく、明治天皇によって明治2年(1869年)に東京都千代田区九段に「東京招魂社」として建設されたのがその起源である。それまでその土地には、九段坂上歩兵屯所跡及び九段の町屋があったとされ、更に江戸時代には剣術の道場があったとされている。明治12年(1879年)に明治天皇の命名により「靖国神社」へと名称を変更し、太政官通達「社号・社格の御誓文」によって「別格官幣社・靖国神社」として国の保護を受けるようになった。社号の「靖国」とは中国の史書である『春秋左氏伝』に由来し、「靖」は「やすらか、やすんずる、治める」の意で、「安」に通じる文字であり、「靖国」とは「国を平安にし、平和な国をつくりあげる」という意とされている。また「別格官幣社」とは、勤王志士といわれるような顕著な功績のあった人臣を祭神とする神社の社格を表すものである。そして一般の神社が内務省の管轄で管理されているのに対し、東京招魂社は創立の当初から陸・海軍の共同管理となり、祭式や神職の任免は内務省が管理することとなった。以後、神社祭式の形式をもって、国事に関わり命を失った人々が祀られている。
 大東亜戦争後、靖国神社は昭和20年(1945年)12月15日に、GHQによる「神道指令(神社・神道を国家から分離する法令)」によって国から切り離され、同年12月28日に宗教法人令が施行され「別格官幣社」の社格を失い、昭和21年2月に宗教法人・靖国神社となり今日に至っている。
 靖国神社には1869年の建設以降様々な人々が祀られている。まず東京招魂社(靖国神社の前身)建設のそもそもの原因となった戊辰戦争の犠牲者、更に吉田松陰、橋本左内などの「安政の大獄」や「禁門の変」などの犠牲者、その他の国事に倒れた人々、坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作等の人々も合祀されている。更に佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変、大東亜戦争などの事変・戦争等で亡くなった人々も合祀されている。また大東亜戦争の犠牲者として、ひめゆり部隊、対馬丸乗船の学童、従軍看護婦、新聞記者、カメラマン等の所謂非戦闘員も多数含まれており、更に厚生労働省の調べによると、この中にはかつての日本の支配下にあった台湾・朝鮮出身の軍人・軍属の死亡者約5万人も含まれている。平成12年10月現在、靖国神社に祀られている人々の内訳は以下の通りである。

明治維新7751柱
西南戦争6971柱
日清戦争1万3619柱
台湾征討1130柱
北清事変1256柱
日露戦争8万8429柱
第一次世界大戦4850柱
済南事変185柱
満洲事変1万7175柱
支那事変19万1218柱
大東亜戦争213万3760柱
合 計246万6344柱

 靖国神社という施設を如何に理解し、捉えるかは人それぞれ様々であろう。靖国神社に対して否定的、更には対決的な姿勢をとっている多くの人々に見られるのは、靖国神社を戦争讃美・戦争正当化のための中心的施設として捉えているように思える。戦争で亡くなった人々を神として、英霊として祀るという靖国神社の宗教的体裁からすれば、確かにある面では靖国神社を戦争讃美・戦争正当化のための施設として捉えることもできる。戦中、多くの若者たちにr靖国で会おう」と言わしめ、自己の命を戦争へと投じることを助長するための施設であったということも事実である。このような戦前の靖国神社の位置付けのみに着眼すれば、靖国神社は戦争讃美・戦争正当化の色彩の強い施設となるであろう。
 しかし終戦以降に参拝する遺族、参拝者の中のどれほどの人達が靖国神社にわざわざ足を運び過去の戦争、その戦時下に行われた行為を讃美しているというのであろうか。実際に靖国神社に行って参拝者に聞き取り調査をしたわけでないので推測にはなるが、恐らく限りなくゼロに近いと思われる。靖国に参拝する遺族、一般の参拝者はそこで戦争で喪った夫、母、兄、弟、姉、妹等の親族のことを思い出しつつ、彼らを弔うものであろう。と同時にそこで再ぴ戦争によってもたらされた悲しみ、辛さ、苦しみに感応しなくてはならないのではないか。つまり今日では靖国神社とは戦争讃美、戦争正当化のための施設というよりはむしろ戦争によってもたらされた深い悲しみ、つらさ、苦しみを想起するための施設ではないだろうか。
 戦前までの靖国神社の捉え方、つまり戦争行為を継続するために戦って死ぬことへの不安を和らげるための施設という捉え方を戦争の終わった今日でも未だに引きずっている人々が偏見の眼差しで靖国神社を見、否定的、対決的な姿勢をとるのであろう。私は靖国神社というのは戦前と戦後では全く異なった性質を持つようになったと思う。つまり終戦を境に靖国神社がある種の質的転換を遂げたのではないだろか。
 昭和20年8月15日の終戦により軍部による独裁政治が幕を下ろし、天皇を神とし、頂点とし、絶対化してきたそれまでの価値観が崩壊することによって、日本人の価値観が大きく変化する転換点であった。それまでは戦争で死んだ者の死を公に悲しむこと、戦争の不正を訴えることも揮られていたが、終戦という転換点により戦死者の死を悲しみ、戦争の不正を訴えることもできるようになったのであろう。終戦とは歴史上の大きな転換点であると同時に、日本人の価値観に於いても極めて大きな転換点となったことは確かであろうし、そこには靖国神社に対する価値観の転換も当然含まれるであろう。靖国神社自体は戦前と戦後ではその建物、宗教的教義等も変化していないであろうが、人々の靖国神社に対する捉え方、つまり靖国神社への人々の中での価値観が変化したことで靖国神社も質的な変化をしたのではないだろうか。戦前の圧政のもとで政府の目を気にしながら、自己の悲しみ、苦しみの感情を押し殺し、戦死者を国のために死んだ英霊として「讃える」という姿勢から、圧政のない戦後に於いて自己の感情を露わにし、悲しみをかみしめながら戦死者を「弔う」という姿勢へと入々が変わることによって靖国神社という施設も変化したはずである。
 戦後、GHQ内部では靖国神社、伊勢神宮、明治神宮を焼却処分にするといった意見も出たようであるが、ブルノー・ビッテル神父(当時の上智大学学長)がマッカーサー元帥から、靖国神社の是非を諮間され、次のように答申してマッカーサーもこれを受け入れたとされている。

前略〜靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというのなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。われわれは信仰の自由が完全に認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教などいかなる宗教を信仰するものであろうと国家のために死んだものはすべて靖国神社にその霊を祭られるようにすることを進言する。

 このビッテル神父の進言は靖国神社を国民を戦争へと駆り立てた国家神道の一施設としてではなく、戦後残された遺族の為の一宗教的施設としての位置付けがなされたと同時に、そのような質的転換を期待する意見でもあると思われる。靖国神社では戦死者は英霊として、神として祀られている。しかし参拝する遺族にとっては他でもない親族であり、「弔う」というのが内実であろう。靖国神社が東京招魂社として建設された当初の目的は「国事にたおれた人を鎮魂(弔う)する」ことが目的であったがぺそれが大東亜戦争に代表されるようなある種の価値観の転倒、政治的混乱により靖国神社が一時的に本来の靖国神社ではなくなった時代があったかもしれない。しかし終戦という歴史的、また日本人の価値観の大きな転換点を経ることによって本来の靖国神社、つまり戦争・戦乱でたおれた人々を慰霊するための施設へと戻ったと考えることはできないであろうか。
 小泉首相は5月14日の衆議院予算委員会に於いて靖国社参拝に関して、「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちと、家族や国のことを思って戦争に行かざるをえなかった人へ敬意を込め、総理として参拝する。批判があろうと、日本人として自然なこと。宗教とは関係ない。」と述べており、その意図するところが戦争讃美・戦争正当化といった英霊を讃えるための参拝ではなく、戦争を反省すると同時にその犠牲者に対する敬意の参拝であることが窺われる。靖国神社を次の戦争をするための施設と見るか、先の戦争の犠牲者を祀り、純粋に弔うための施設として見るかでは、私は後者の見方をしたいと思うし、その点で小泉首相の靖国神社参拝には共感できる部分があるので容認の姿勢を表したい。


・「政教分離の原則」とは?

 小泉首相の靖国神社参拝に反対をとなえる人々の多くが、その根拠を憲法第二○条に説かれている「政教分離の原則」に違反するというところに求めているようである。「政教分離」とは、国家と宗教を切り離すことによって、国家が宗教を利用して国民をコントロールし、政治が独裁化してしまうことを防ぐ原理である。と同時に、国家権力が荷担することで、特定の宗教が優遇され、余他の宗教が不利益を蒙ることによって憲法で保障されている「信教の自由」が侵害されないための原理でもある。これらを実現するために日本国憲法第二○条で以下のように述べられている。

<憲法第二○条>
第一項:信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。如何なる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の特権を行使してはならない。
第二項:何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第三項:国及ぴその機関は、宗教教育その他の如何なる宗教的活動もしてはならない。

 小泉首相の靖国神社参拝に関して、「政教分離の原則」に基づいて私見を述べるに先立ち、一つの判例を挙げさせてもらう。地元の地鎮祭に関して公費が支出され仁ことに関して「政教分離の原則」に反するとして昭和40年3月に提訴された津地鎮祭訴訟に対して最局裁は、「地鎮祭自体は宗教的行為と認めながらも、その目的が世倫的であり、その効果も神社・神道を援助・助長・促進するとか、他の宗教を圧迫干渉するものでないから国及びその機関の宗教活動を禁じた憲法二○条三項に違反しない」という判決がなされた。この判例からすると、宗教的行為であっても、公共性が強く、そこに自己の利益・優位性を確保するために他を利用せんとする意図が見受けられないのならぱ、それは憲法第二○条の「政教分離の原理」には抵触しないということである。この最高裁の判例に基づくならば、「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちと、家族や国のことを思って戦争に行かざるをえなかった人への敬意を込め、総理として参拝する〜「宗教とは関係ない」という主旨で行われた小泉首相の靖国神社参拝は「神社・神道を援助・助長・促進するとか、他の宗教を圧迫千渉する」性格を持ち得ないように私には見える。中には「この首相の言葉は全くのウソで、本当のところは将来的な軍国化へ向けての準備の一つである」と見る人もいるかもしれない。しかし私は、小泉首相の口から出たこの言葉をそのように歪曲して理解することは困難に思うので、そのまま素直に受け入れたい。つまり今回の小泉首相の靖国神社参拝は津地鎮祭訴訟と同様の性格を持ちうるものであり、憲法第二〇条第三項に抵触しない、「政教分離の原則」からは逸脱していない参拝として捉えたい。

 ところで小泉首相の靖国神社参拝に反対する人々がその根拠とする「政教分離の原則」であるが、世界の様々な国々の政治形態を見ると、宗教と政治の関わり方は三種に大別できるようである。

政教国教制宗教が国家を或いは、国家が宗教を支配する体制。具体例としては前者がヴァチカン市国やイスラム諸国。後者がイギリス。
政教公認制国家が宗教の存在を国内法によって公式に認め、世俗社会と宗教社会との関係を定める体制。具体例としてはドイツ。
政教分離制国家は信仰の自由を保障する一方で、宗教の運営に関与しない体制。具体列はアメリカ、フランス。

 このように政治と宗教の関係というのは国によって異なる。小泉首相の靖国神社参拝反対の根拠の大部を占めているのが憲法第二○条に基づく「政教分離の原則」であるが、世界的には政治と宗教の関係にはいくつかの形態があることからすると、政教分離こそがはたして唯一絶対の正当なる政治形態と言えるだろうかという思いと、何故日本に於ける宗教と政治の関係が政教分離制を採用しているのかという思いが生じてきた。「憲法に説かれているからだ」と言われてしまえばそれまでだが、日本国憲法に説かれている「政教分離の原則」自体について一考してみることは決して無益なことだととは思えない。私は別に日本国憲法の「政教分離の原則」を批判し、否定しようという考えは毛頭なく、この場で「政教分離の原則」の是非を問うつもりもない。そうではなくて「原則」としてあるから「正しい」と鵜呑みにするのではなく、自らの考えに照らし合わせて「原則」とされていること、当たり前とされていること自体について一考する姿勢が必要だと思われる。
 今日の日本社会を見るに、テレビ、新聞等の論調に流され、自己の中で深く「間う」ことをしない人々によって日本の世論が形成されているように思える。今回の小泉首相の公式参拝についても、「政教分離の原則」に基づいて、何故国家と宗教を切り離さなければいけないのか、何故国家と神道が接触を持つことが批判・否定されなくてはいけないのか、何故自分は小泉首相の靖国神社参拝に反対、又は賛成するのかを自己の中で問い、考え、それによって自己の姿勢を打ち出している人がどれだけいるのであろうか。大部分の人々は新聞の見出し、ニュースキャスターの発言等に現れた「政教分離の原則に反するからダメだ」といった理解レベルで思考が停止してしまうのではないだろうか。今日の日本社会は情報過多の時代となり、種々様々な情報が錯綜し、その情報量も膨大であるがために、人々は一々の情報を綿密に吟味することなく不用心に取り込み・信じ込んでいるのではないだろうか。つまり今日の日本の世論はマスコミに主導権を握られており、更に極端な言い方をすれぱマスコミにより世論が操作されているとも言えるのではないだろうか。またマスコミの側も自らが発する情報の影響力について無自覚なのではないだろうか。もたらされる情報を鵜呑みにしてしまう無反省・不用心な国民と、世論を動かすだけの影響力のあるマスコミとは思想統制の土壌となるのではないだろうか。今日の日本が国家神道へと傾倒し始め、戦争の準備を始めているという主張よりも、一部のマスコミによって人々が煽動されているという感の方が今の私にとっては切実であり・危倶すべき問題である。


・「信」の批判原理とは

 今回の靖国神社首相参拝の問題も考えるに際して、ある友人から「真宗者として否定・反対するのは当然だ」と言われた。自分はこの意見に対しては違和感を覚えざるをえなかった。なぜならばこの意見には、真宗者ならば必ずこういう考え方にならなけれぱならないという一つの型が想定されているからである。真宗の念仏者にとって「必ずこうなるべきだ」、「こういう行動をとらなくてはいけない」という行動規範のようなものがあるのであろうか?すべての真宗念仏者に共通の行動規範とは、「自信教人信」、つまり弥陀に帰命し、その弥陀の法を他の人へ伝えていくことのみであり、一方で一々の行動・行為に関する真宗共通の規範は存在しないと私は思う。
 しかし自らの一々の行動・行為に関しては、自己の領受した「信」が自己の行動原理となるであろう。真宗の「信」、更に言えぱ「弥陀の光明」とは、自己の批判原理であり、内省原理である。これらによって自己の行為、自己の生への批判、内省が行われ、次なる自己の行為、生へと反映、展開されていく。しかし「信」より顕現するこの批判原理、内省原理はどこまでも自己自身に対するものであり、自己の「信」に基づいた批判原理、内省原理をもって他の人々の行為、生を批判していくことは真宗の「信」の性格からは逸脱しているのではないだろうか。
 最近では他人の行動・行為、社会的な関心事に対して、自己の「信」に基づいて善悪を判別し、批判・否定するという行為がしばしば見受けられる。このような行為は裏を返せば、そこに自己を善と規定し、同時に他を悪、又は非善なるものとして規定する姿勢があるのではないだろうか。

聖人のおほせには、善悪のふたつ惣じてもて存知せざるなり。〜煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそれごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはしますと(『歎異抄』後序)

 親鸞にとっては弥陀の本願を信受すること、弥陀回向の念仏を領受することこそが真実であり、善であったはずである。しかし信後の行為・行動、たとえそれが自己の「信」に基づいて為された行為・行動であったとしてもそれを真実、善であるとは言い切っていないのではないか。

 さるべき業縁のもよほさぱ、いかなるふるまひもすべし(『歎異抄』第十三条)

 親鸞聖人の人間観、更に言うならば仏教の縁起思想に立脚すれば、この私の一挙手一投足、この世界の森羅万象は無数の因、縁が極めて複雑に絡み合うことにより生起するものであり、同時に私はそのような複雑な業縁によって如何なる行動もとりうるし、如何なる存在にもなりうる。このように自己が善悪の判別もできず、業縁によってその行動、存在も左右されるような人間であると内省されるならば、自己を善とし絶対化し、他を悪・非善と見なし批判・否定していく姿勢は到底現れてこないはずであろう。「信」の名をかりて自己を絶対化し、正当化することは我執であり、「信」の転倒相ではないだろうか。逆に、自己の「信」に基づいて自己批判、自己内省が深まれば深まるほど、相手を尊重することになるであろうし、同時に相手の立場に立って物事を考え、理解するという姿勢にもつながると思われる。争いのない世界を求めるのならば、相手を尊重し、相手の考えに理解を示そうと努力することが重要であろう。何事も対決の姿勢で臨み、相手を否定・批判するのではその道程は遠いように思える。


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