2001年12月19日

仏教史から靖国を問う
――現実批判としての仏教史――

仏教史学専攻 M1 岸本伸一

1.はじめに

 われわれは、戦前の狂信的な天皇絶対主義のことを知識として知っている。しかし、当時の状況、もしくはそれを成り立たせた原因と現在われわれが置かれている宗教状況のことを関連させて考える、ということはなされていない。ところが、ひとたびそこに目を向けると、当時と現在ではさほど状況は変っていないことに気づくのである。
 天皇制の温床である神道と形こそ違うが質的に同質のものがいわゆる新興宗教である。この弊害は無視できるものではないので、それがどのような集団であるのかを見ておくことは無駄ではないだろう。


2.現在の宗教状況

 端的に言って、新興宗教の使う常套手段はマインド・コントロールである。そこで、マインド・コントロールとは何か、ということになる。よくマインド・コントロールは洗脳(ブレイン・ウォッシング)と同義に使われるが、そうではない。洗脳は被洗脳者にとっても、最初は洗脳されている、という意識があり、それが外部からの強制的な虐待や、薬物による麻痺等により、人格を変格される、というものである。これに対して、マインド.コントロールは巧妙で、当事者には全く操作されているという意識はない。本人は自分はまったく自律的で、自分で選択をしていると思い込んだまま、実は外的な力に依存しているのである。「マインド・コントロールは、露骨な物理的虐待は、ほとんど、あるいはまったくともなわない。そのかわり催眠作用が、グループ・ダイナミックス(集団力学)と結合して、強力な教え込み効果をつくりだす。本人は・直接おどされるのではないが、だまされ、操作されて、決められたとおりの選択をしてしまう」(※1)のである。このような巧妙な手口を使うのがカルトと言われる集団であり、新興宗教集団の多くがこのようなものであるといっても良いであろう。カルトは狭義には、人格を破壊するような宗教的カルトのことであるが、広義には商業カルト(睡眠販売、ネズミ講等)、自己開発セミナーなどのようなもっともらしい教育カルトなども含む。個人のレベルのものにとどまるならぱ、あまり大きな間題にはならないかもしれないが(しかし、これが全ての発端でもある)、それが社会的なものになると由々しきことである。これは既に周知の事実であろう。そこで、何故このようなものが現在、蔓延しているのかを考えてみよう。
 われわれは普通、自分は絶対にそのようなものにはだまされない、と高をくくっている。しかし、この思い込み自体がマインド・コントロールがつけこみ、その威力を発揮するところである。それは、われわれの自己中心性に大いに関係がある。自己中心的な考え方では、自分が幸せになりたいと思っている。そして、思うようにならない時、われわれは不安になる。そのような時に、「幸せを与えてあげましょう」といって現れるのがカルトであり、安易な新興宗教である。われわれは自分は意思が強くて、そのようなものには入らないと思っているのであるが、われわれが自己中心的である限り、マインド・コントロールにかかる可能性は全ての人にあるのである。
 マインド・コントロールの巧妙な手口は、スティーヴン・ハッサンによると、四つの構成要素(行動コントロール、思想コントロール、感情コントロール、情報コントロール)をもとに、解凍 unfreezing、変革 changing、再凍結 refreezing、の三段階を経て達成されるという(※2)。それをもとに、マインド・コントロールがどのように達成されるか、典型的な例を作ってみよう。

 われわれは、不安、ストレスに悩んでいる時、どうにもならない自分の欲望を満たそうとする。そのような時、何か勉強会、セミナーなどと称する集まりに誘われるとする。初めは疑いながらも、興味本位でついて行く。その集まりに出席してみると、そこにいる人は皆いきいきとしているので何故なのか知りたくなる。そこでのリーダーと思われる人の話もなかなか説得力があるように思われる。しかし、やはり何かおかしい、とは感じるのだが、自分もその人たちと一緒にいると楽しみを感じる。彼らは自分のことを誉めてくれ、自分のことを思ってくれる。ここでは、それまでの不安も解消されたようだ。そして、その集まりに参加していくうちに、内部の人から様々な専門用語を教えられる。その教団の教義をわからないままに教え込まれる。そのような知識はこれまでに聞いたこともなかったので新鮮で、すばらしいことのように思われてくる。他の人の知らない高度な教えを知っているという優越感もある。知らず知らずのうちに、自分でもそれがすばらしい教えだと思う。自分は「真理」を知っているのだ、と思う。自分では自発的に考えているつもりにさせられる、これこそが、人格「解凍」の第一歩である。
 以前の人格は「解凍」された。そこで、次に言われることは、「信じなさい」ということである。教団のすることは全て正しいことになってしまうのである。同じことを何度も何度も繰り返し教えられて、信じ込まされる。また、ここでは瞑想などの手段も使われる。瞑想などによるエクスタシーは素晴らしいことで、さらに教団を信じることになる。このようにして、教団に依存していくようになると、もはや自分で考える能力はない。自分では全く自律していると思っているが、実は思考停止の状態である。自分で考えることはタブーであり、ただ信じればよい。ここで彼らは「考えない」ことを学ぶ。個人の人格は教団の思いのままに「変革」されたのである。
 そのうちに、教団内の権力構造も気になってくる。自分が信仰を深めれば深めるほど、教団内で上の地位に立てる。また、外部の人を勧誘すればするほど、その地位も高くなる。自己中心性の強い人ほど上の地位につくことができるのである。「教団のため」「人類のため」は、実は自分の名誉、地位のためである。外部の人を信者にしていくという過程は、自分がされたことの繰り返しであるから、それは自分の教団内での人格を再確認することでもある。これが「再凍結」である。外部の「不幸せな」人間には、どうしてこれほど素晴らしい教えがあるのに、信じないのか、といって勧誘する。すでにこの人はカルト戦士となった。極端にいけば、人でも殺すことができる。

 このマインド・コントロールの恐ろしいところは、本人自身は、自分は正しいことをしているのであって、全く自分でこの道を選んだのだ、という意識があることである。しかし、その実、本人の自己は教団と同一化しているのである。教団自身は客観的に見ても、一見正しいことを言っているようにも見える。例えば、「人類平和のために活動する」と宣伝している教団であるとしても、その意図が自分の名誉のためであるのならば、観念上の平和は差別の裏返しに過ぎない。国連に近づいたり、ノーベル賞が欲しくて教団を率いている者もいるであろう。他には、金銭的なものである。これは治病や招福に関してのものが多い。また、日本では、お守りや、おさい銭などの人間の自己中心的な欲求の成就の意識をついた手段が古くから行われてきた。布施の多少で、利益が違う、という風習も見られる。これは、おおいに弊害があるとしなければならない。このような自己中心的な意識が、以上のようなカルトが蔓延する素地を作っているのではないだろうか。
 カルトに入ってしまった人も、このようなマインド・コントロールの手段、弊害に関して知識があれぱ、そちらの方向には進まないはずである。ここで、われわれがしなけれぱならないことは、やはり、われわれ自身の自己中心性を反省しなけれぱならない、ということに行き着くようである。気を許せぱ、全ての人がマインド・コントロールにかかりうるのである。戦時中の集団扇動の例のように、これは歴史をみても明らかである。われわれは、カルト集団のように「考えない」のではなくて、「考え」なければならない。本当の意味で自律していれば、このようなことにはならないはずである。

(1) スティーヴン・ハッサン、浅見定雄訳 『マインド・コントロールの恐怖』 恒友出版、P.109。
(2) 同上、P.113以下参照。


3.神道性

 以上は新興宗教のことであるが、それを成り立たせた宗教土壌というのは、他の何物か(日本では神祇の形をとった)に託して自己の欲望を満たそうとしている、という点で神道性といってよいと思われる。というのは、日本の歴史において、古代から近代まで権力と同質化し、民衆に対してはアヘンとして機能してきた宗教は神道であるからである。形としては神道でなくとも、我欲の否定を行わないという点で質的には神道性と名づけうるだろう。では、今度はそれを成り立たせた原因を少し探ってみよう。
 神道を考えるについて、われわれの脳裏に浮かぶのは、天皇の名のもとに実質全国民を隷属させたあの狂信的としかいいようのない国家神道である。天皇はあらゆる神社の上に君臨し、祭政一致を事とした。ここでの関心となるのは、単なる自然崇拝にしか過ぎない神道=祭祀が「近代化」「文明開化」と並存するという一見奇妙な状況が見られる、ということである。この要因には、権力による強制的な側面もあったであろうが、利用する側と利用される側の両者に共通の基盤があったがゆえ、ともいえるのではないだろうか。単に憲法上「神聖ニシテ侵スベカラズ」(大日本帝国憲法―1889年発布)というにすぎない天皇に権威を感じ、それを受け入れるというのならば、そこには民衆の宗教基盤の方にr何か畏怖の念を感じる」宗教性がなくてはならない。何か単なる自然・物に「畏怖の念を感じる」という宗教性は、宗教学上、民族宗教とよぱれる。民族宗教というのは宗教の発展形態の中での原始的なレベルの段階であり、そこでみられる人間像・生活態度は自己の外に権威を求めそれに従属するというものである。
 神社の祭神は人間の欲望の数だけ存在するといっても過言ではないだろう。招福祈願、無病息災然りである。その欲望は神祇=権威にすがる、という形態をとる。これは、権力にとっては都合のよいものである。権力は、祭祀=神社(欲望の象徴)の祭祀者としてのベールをかぷり、人々の欲望を狡滑に利用し、実質としてはその支配を正当化する。したがって、日本では必ずといってもよいほど神道が時の権力を神聖化することに絡んでいるのである。このように、神道は権力と強力に結ぴついていたため、日本には、民衆自身がそれを徹底的に批判して、自律していこう、というものが生まれにくい土壌が温存され続けたのではないか、また神道はその芽を腐らせるに十分なほど強力であったのではないか。それが、民衆の側にも「権力に従順に」という伝統を植え付けることになったのではないだろうか。それが無意識裡に、民衆の内面に浸透していったものと思われる。したがって、日本では原始信仰としての民族宗教から発展して普遍宗教は一般文化形態としては成立しなかった。この点は実証的に明かにしなければならないであろうが、現在の宗教状況を少し考察するにつけ、そのように思わざるを得ない。  このようにみてくると、日本の宗教土壌は、権力者にとってはなはだ都合のよいものということになるわけである。
 さて、われわれは好んで権力に操作されようとは思わない。しかし、それに無自覚であるならぱ、知らず知らずのうちに悲劇的な状況をつくりだしてしまうのである。その例として、いま手元にある「尋常小学校修身書』(学年順に巻一から巻六)をあげたい。この教科書は1918(大正7)年から1928(昭和3)年にかけて改訂(改悪)を経つつ出版され、以後長期にわたって使用された。その内容は総じて、「三条の教則」である敬神愛国・天理人道・皇上奉戴朝旨遵守を教えるものであるが、その中でも当時の状況をよくあらわしているものを挙げてみよう。

巻一
一六、テンノウ ヘイカ バンザイ
一七、キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、シンデモ ラツパ ヲ クチ カラ ハナシマセン デシタ

巻二
一六、(上略)チユウサ ハ タイハウ ノ タマ ニ アタツテ リツパナ センシ ヲ トゲマシタ

巻一
第一五 くわうだいじんぐう
(上略)くわうだいじんぐうは天皇陛下のごせんぞ天照大神をおまつりまうしてあるおみやで、(中略)われわれ日本人はこのおみやをうやまはなけれぱなりません

第二十七 よい日本人
よい日本人となるには、つねに天皇陛下皇后陛下の御徳をあふぎ・又つねに皇大神宮をうやまつて、ちゆうくんあいこくの心をおこさなければなりません

巻四(この学年から最初に教育勅語が載せられている)
第三 靖国神社
靖国神社は東京の九段坂の上にあります。この社は君のために死んだ人々をまつつてあります。春と秋の祭日には、勅使をつかはされ、臨時大祭には天皇・皇后両陛下の行幸啓になることもございます。
君のため国のためにつくした人々をかやうにや白にまつり・又ていねいなお祭りをするのは天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御めぐみの深いことを思ひ、ここにまつつてある人々にならつて、君のため国のためにつくさなければなりません。

 と、こういう具合である。このようなものが実際に使われていたのである。現在では、われわれはこのような狂信的なナショナリズムは成り立たない、とタカをくくっているのではないだろうか。しかし、形態は変わっても、現在同様の問題は、安易な新興宗教が蔓延しているという事実にあらわれている。また、程度の差こそはあれ、われわれは現在においても原始信仰のなかにどっぶりと浸かっていることを自覚しなけれぱならない。われわれは「伝統・習俗」というものに権威を感じ、無自覚にそれを受け入れているのではないだろうか。神社も仏教教団も「伝統」を振りかざして、空前(?)の繁盛というべき状況であろう。しかし、その宗教性の実質は、安易な権威・権力崇拝=原始信仰なのである。この風潮は人間の無意識裡に深い影響を与えている。自覚もなしにわれわれは、墓参りをし、お守りを買い、神社に参拝する。これらは当人は自覚していないが、自己中心的な人格を形成するに十分であろう。つまり、この無自覚であるということは、十分に原始信仰的な宗教意識であると見てよい。これが、消極的支持という形で、容易に権力に結ぴつきうるものであることは先の考察でも明らかであろう。
 その証拠に、われわれは戦後、GHQの神道指令により、国家権力との結びつきを剥奪され、単なる一宗教法人にすぎなくなった靖国神社を国家護持化しようという法案が1969年から74年にかけて自民党によって執勧に国会に提出されたという過去を持っている。それは国会に5回提出されたが、仏教教団等の反対運動もあり、結局すべて廃案になった(1974年には衆議院本会議で白民党は単独強行採決にふみ切ったが・参議院で審議未了で廃案)。その時、国民は多数においてr国によって特定の宗教を強制されない権利」としての「信教の自由」を自覚的にとらえうることができたのであろうか。
 この問題は、単に過去の問題ではなく、現在進行形の問題なのである。そうすると、われわれが「信教の自由」のもと自身の宗教性を自覚し、強制されない自由を徹底していくということは、同時に権力を相対化していくというひとつの生活態度とも言えるのではないか。
 われわれがここで考えようとしている靖国神社問題もその権力に対する生活態度が問われているものであるといわなければならない。


4.仏教史から靖国を問えるのか

 日本におけるいわゆる仏教の歴史はざっと見て、権力と結ぴついた歴史のほうが圧倒的に長い。大勢としての仏教教団は古代では鎮護国家、中世では王法仏法相依、近代では大政翼賛を説いてきたという歴史がある。このように見ると、仏教教団は常に時の権力と結びついていたことがわかる。もし、現在、仏教を標傍する教団が、このような過去の「伝統」を大切に守っているのであれば、もはや靖国を問う基盤さえ存在しないことになる。というのは、靖国と同質の原始信仰をその根底に持っているからである。
 原始人は生産の象徴として生殖器を祀ったが、靖国の論理も同様で、日本の「象徴」とされている天皇のために死んだ(正確に言うと天皇制の犠牲になった)人々をさらに「愛国者」の「象徴」と称して恣意的に「英霊」(!?)として祀るのである。このような原始信仰と同質化しているのであれぱ、現在のいわゆる仏教標榜教団は、国に都合の良い人間を再牛産していく御用集団ということになる。
 ところで、一般に宗教学では宗教は発展していくとされている。つまり、ある特定の部族・民族にしか通用のしない民族宗教から、民族を超えて世界的普遍性を獲得する普遍宗教へ、という発展である。しかし、日本の神道は発展せず、民族を超えるという普遍性を獲得しなかった。これは学者の関心となることであろうが、とにかく民族や国を超えて受け入れられていくという普遍宗教には発展しなかった。
 靖国神社の宗教性は日本を越えて、世界へひろがる普遍性を持っているか?持っているわけがない。なぜなら、「靖国神社は東京の九段坂の上にあります。この社は君のために死んだ人々をまつつてあります。(中略)君のため国のためにつくした人々をかやうにや白にまつり、又ていねいなお祭りをするのは天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御めぐみの深いことを思ひ、ここにまつつてある人々にならつて、君のため国のためにつくさなければなりません」(前掲『修身書』)というのであるから当然である。つまり、偏狭なナショナリズムの象徴なのである。
 また、神社の祭神は人間の欲望の数だけあるとしてほぼ間違いがないであろう。神道は人間の欲望を批判的に捉えるのではなく、そのまま肯定するという宗教である。それが日本に「伝統」「習俗」の名のもとに権威化され、「日本人として当然」という言葉さえ聞かれるのである。「民族という名の宗教」という言葉があるが(なだいなだ『同名書』岩波新書)、われわれは生まれてこのかた、「民族という名の宗教」である神道的な風土にどっぷりと浸かっていることを自覚する必要がある。われわれは、日本という精神土壌に生まれれぱ、知らず知らずのうちに、「民族という名の宗教」=「神道」を持たされているのである。「知らず知らず」ということが先のマインドコントロールと変らない。しかし、われわれには権力によって強制されない「信教の自由」がある。そこで、われわれは、自身の側に「信教の自由」の根拠を持つ必要が出てくるのであるが、それが単なる感情論では将があかない。つまり、われわれはr民族という名の宗教」=「神道」を批判する原理を模索することになるのである。そこで、ひとつの手がかりとして仏教から批判できるか否かが問題どなる。
 日本の歴史上、様々な人が仏教を受容したが、その大勢が先に述べたように権力と結ぴついた。これは仏教教団が原始信仰としての神道と結ぴついた、ということと同義である。しかし、まことに不思議なことに、その仏教受容者のなかに神祇(権力)の性格を自覚し、それを批判した入物がいるのである。その一人が親鸞であろう。
 当然、親鸞の生きた時代には「信教の自由」という言葉はないが、「信教の自由」というべきものを実践した一人といえる。当時は、われわれの時代とは比べ物にならないほど神道=神社の支配は強烈であったであろうが、親鸞は次のように述べている。

かなしきかなや道俗の
良日吉日えらぱしめ
天神地祇をあがめつヽ
卜占祭祀をつとめとす

かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す

(以上『親鸞和讃集』岩波文庫、p.204、205)

菩薩戒経に言はく、「出家の人の法は、国王に向かひて礼拝せず、父母に向かひて礼拝せず、六親に務へず、鬼神を礼せず」と(『教行信証』化身土巻)

 われわれは中世という時代状況のなかでこの言葉が発せられた意味を考えなければならない。神祇信仰を否定した親鸞の思想の原理を追求していくことは、時代を超えて、われわれが現代の問題意識として「信教の自由」を考える際の手がかりとなるだろう。
 また、禅宗であれば中国唐代の禅僧、臨済義玄の次のような言葉が有名である。

同流、なんじ如法に見解せんと鵜すれぱ、但だ人惑を受くること莫れ。裏に向い外に向って、逢著すれば便ち殺せ。仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得、物と拘らず、透脱自在なり。(入矢義高訳『臨済録』岩波文庫、p.97)

 これはいささか強烈な警告ではあるが、仏教受容者の中には、以上のように、仏教を他の権威にすがるという他律否定の根拠、つまり自律の根拠として理解していくという伝統があるのである。これは民族・国を超えて普遍性をもつものだろう。このような他の権威を批判する姿勢が歴史的世界とかかわりを持てぱ、必然的に時の世俗権力の批判とならざるを得ないであろう。この伝統は、時代を経るにしたがって、また教団組織が巨人化していくにしたがって、形骸化していくものであろうが、われわれは、その本質をその個人の思想によって知ることができるのである。親鸞や臨済が一宗派の開祖である、などということは関心の外であって、われわれの関心となるところは、その人物が「信教の自由」ともいうべきものとして仏教を受け入れ、そして、どう生きたか、ということである。一方でこのような思想をもつ仏教の伝統が、単に思想のみにとどまったのか、もしくはそれが現実の歴史世界の批判原理となったのかが、仏教史の課題であるといえる。
 これを考察するとき、過去においセ仏教を自律の根拠として受け入れた思想家と現代のわれわれとの接点が見出されるのである。過去において仏教をとおして「信教の自由」を実現しようとした個人の思想をうかがうことは無駄ではないであろう。
 以上のように考えると、仏教は他律を強要するあらゆるものに対して必然的に批判することになる。すると、仏教と歴史との関わりを批判的に考察するという仏教史は、現実を批判するということと同義となるだろう。靖国批判はその仏教史から帰結される現実批判のひとつである。普遍性を持つ仏教と、それを持たず原始信仰に終始する民俗宗教は明らかに異質であり、仏教の立場から批判することは当然といわなくてはならない。
 とにかく、仏教史は、現実を批判的に捉える原理を模索するあらゆる人々にとって、普遍的かつ有力な示唆を与えうるものなのではないだろうか。


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