史料

井之上大輔 (「靖国を問う」)


一、『顕浄土真実教行証文類』(原漢文)

(1)

 謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の廻向あり。一には往相、二つには還相なり。往相の廻向について真実の教行信証あり。(中略)一五頁。
 謹んで往相の廻向を按ずるに、大行あり大信あり。大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり。この行は即ちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり、極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。かるがゆへに大行と名づく。しかるにこの行は大悲の願より出でたり。即ちこれ諸仏称揚の願と名づけ、また諸仏称名の願と名づく。また諸仏次雇の願と名づく。また往相廻向の願と名づくべし。また選択称名の願と名づくべきなり。(中略)二一頁。

(2)

 しかるに経に「聞」と言ふは、衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」と言ふは、則ち本願力廻向の信心なり。「歓喜」と言ふは、心身の悦予の皃を形はすなり。「乃至」と言ふは、多少の言を摂するなり。「一念」といふは、信心二心なきが故に一念と曰ふ、これを一心と名づく。一心は則ち清浄報土の真因なり。金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超へ、必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称賛の益、六つには心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。

(3)

 宗師の「専念」と云へるは、即ちこれ一行なり。「専心」と云へるは、即ちこれ一心なり。しかれば願成就の「一念」は即ちこれ専心なり。専心は即ちこれ深心なり。深心は即ちこれ深信なり。深信は即ちこれ堅固深信なり。堅固深信は即ちこれ決定心なり。決定心は即ちこれ無上上心なり。無上上心は即ちこれ真心なり。真心は即ちこれ相続心なり。相続心は即ちこれ淳心なり。淳心は即ちこれ憶念なり。憶念は即ちこれ真実の一心なり。真実の一心は即ちこれ大慶喜心なり。大慶喜宝即ちこれ真実信心なり。真実信心は即ちこれ金剛心なり。金剛心は即ちこれ願作仏心なり。願作仏心は即ちこれ度衆生心なり。度衆生心は即ちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心即ちこれ大菩提心なり。この心即ちこれ大慈悲心なり。この心即ちこれ無量光明慧に由りて生ずるが故に。願海平等なるが故に発心等し。発心等しきが故に道等し。道等しきが故に大慈悲等し。大慈悲はこれ仏道の正因なるが故に。(中略)九八〜九九頁。
 二つに還相の廻向と言ふは、則ちこれ利他教化地の益なり。則ちこれ必至補処の願より出でたり。また至補処の願と名づく、また還相廻向の願と名づくべきなり。(中略)

(4)

 論註に日く、「還相とは、かの土に生じ已りて、奢摩他・■(田+比[ヨコ])婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、共に仏道に向かへしむるなり。もしは往生、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せむがためなり。この故に、「回向を首として大悲心を成就することを得たまへるが故に」と言へり」と。(中略)一四三頁。

(5)

 それもろもろの修多羅に拠りて、真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、涅槃経に言はく、「仏に帰依せば、終にまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ」と。(中略)二二六頁。
菩薩戎教に言はく、「出家の人の法は、国王に向かひて礼拝せず、父母に向かひて礼拝せず、六親に務へず、鬼神を礼せず」と。(中略)二四六頁。
 天台の法界次第に云く、「一つには仏に帰依す。経に云はく、「仏に帰依せむ者、ついに更へてその余のもろもろ外天神に帰依せざれ」と。また云はく、「仏に帰依せむ者、ついに悪趣に墜ちず」と云へり。二つには法に帰依す。謂く大聖の所説、もしは教もしは理、帰依し修習せよとなり。三つには僧に帰依す。謂く心、家を出でたる三乗正行の伴に帰するが故に。経に云はく、「永くまた更へて、その余のもろもろの外道に帰依せさるなり」」と。(中略)二五六頁。

(6)

 竊かにおもんみれば、聖道の諸教は行証ひさしく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛りなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ふて邪正の道路をわきまふることなし。ここを以て、興福寺の学徒、太太天皇〔後鳥羽の院と号す〕<諱尊成>、今上〔土御門の院と号す〕<諱為仁>聖歴、承元丁卯の年、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、ふん忿をなし怨を結ぶ。これに因りて、真宗興隆の大祖源空法師ならぴに門徒数輩、罪科を考へず、みだりがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜ふて遠流に処す。予はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。この故に禿の字を以て姓とす。(後略)二五七〜二五八頁。
(『日本思想体系一一親鸞』)

二、『唯信鈔文意』

一二五七(康元二)年一月二七日
(前略)屠はよろづのいきたるものをころしほふるものなり。これはれうしといふものなり。沽はよろづのものをうりかうものなり。これはあき人なり。これらを下類といふなり。「能令瓦礫変成金」といふは、「能」はよくといふ。「令」はせしむといふ。「瓦」はかわらといふ。「礫」はつぶてといふ。「変成金」は変成はかへなすといふ。金はこがねといふ。かわら・つぶてをこがねにかえなさしめむがごとしとたとへたまへるなり。れうし・あき人さまざまのものは、みないし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり。如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにおさめとられまいらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなわちれうし・あき人などは、いし・かわら・つぶてなむどを、よくこがねとなさしめむがごとしとたとへたまへるなり。摂取のひかりとまふすは、阿弥陀仏の御こゝろにおさめとりたまふゆへなり。(後略)
(『真宗聖教全書』二 六四六〜六四七頁。『注釈版』では七〇八頁)


三、『一念多念文意』

一二五七(康元二)年二月一七日
(前略)「即得往生」といふは、即はすなわちといふ、ときをへず日おもへだてぬなり。また即はつくといふ、そのくらゐにさだまりつくといふことばなり。得はうべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなわち無碍光仏の御こゝろのうちに摂取して、すてたまはざるなり。摂はおさめたまふ、取はむかへとるとまふすなり。おさめとりたまふとき、すなわち、とき日おもへだてず、正定聚のくらゐにつきさだまるを、往生をうとはのたまへるなり。(後略)
(『真宗聖教全書』二 六〇五頁。『注釈版』では六七八〜六七九頁)


四、『末燈鈔』(一)

一二五一(建長三)年閏九月二〇日
有念無念事。
 来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆへに。臨終といふことは諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆへなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあふて、すゝめらるゝときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。このゆへに臨終まつことなし。来迎たのむことなし。信心のさだまるとき往生またさだまるなり。来迎の儀則をまたず。(後略)
(『真宗聖教全書』二 六五六頁。『注釈版』では七三五頁)


五、『末燈鈔』(三)

一二五七(正嘉元)年一〇月一〇日
(前略)さて『大経』(巻下)には「次如弥勒」とはまふすなり。弥勒はすでに仏にちかくましませば、弥勒仏と、諸宗のならひはまふすなり。しかれば弥勒におなじくらゐなれば、正定聚の人は如来とひとしとも申なり。浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしとまふすこともあるべしとしらせたまへ。(後略)
(『真宗聖教全書』二 六六一〜六六二頁。『注釈版』では七五八頁)


六、『末燈鈔』(一五)

 たづねおほせられてさふらふこと、かへすがえすめでたく候。まことの信心をえたるひとは、すでに仏になりたまふべき御身となりておはしますゆへに、如来とひとしきひとと経にとかれてさふらふなり。弥勒はいまだ仏になりたまはねども、このたぴかならずかならず仏になりたまふぺきによりて、みろくをばすでに弥勒仏と申候なり。その定に、真実信心をえたる人をば、如来とひとしとおほせられて候也。また承信房の、弥勒とひとしと候も、ひが事には候はねども、他力によりて信をえてよろこぶこゝろは如来とひとしと候を、自力なりと候覧は、いますこし承信房の御こころのそこのゆきつかぬやうにきこへ候こそ、よくよく御あん候べくや候覧。自力のこゝろにて、わがみは如来とひとしと候らんは、まことにあしく候べし。(後略)
(『真宗聖教全書』二 六八○〜六八一頁。『注釈版』では七九四頁)


七、『末燈鈔』(一八)

 御たづねさふらふことは、弥陀他力の廻向の誓願にあひたてまつりて、真実の信心をたまはりてよろこぶこゝろのさだまるとき、摂取してすてられまいらせざるゆへに、金剛心になるときを正定聚のくらゐに住すともまふす。弥勒菩薩とおなじくらゐになるとも、とかれてさふらふめり。弥勒とひとつくらゐになるゆへに、信心まことなるひとを、仏にひとしともまふす。また諸仏の真実信心をえてよろこぶをば、まことによろこぴて、われとひとしきものなりと、とかせたまひてさふらふなり。『大経』(巻下)には、釈尊のみことばに「見敬得大慶則我善親友」とよろこばせたまひさふらへば、信心をえたるひとは諸仏とひとしととかれてさふらふめり。また弥勒をば、すでに仏にならせたまはんことあるべきにならせたまひてさふらへぱとて、弥勒仏とまふすなり。しかればすでに他力の信をえたるひとをも、仏とひとしとまふすべしとみえたり。御うたがひあるべからずさふらふ。(後略)
(『真宗聖教全書』二 六八四頁。『注釈版』では八〇二〜八〇三頁)


八、『末燈鈔』(二〇)

一二五二(建長四)年二月二四日
(前略)悪をこのむひとにもちかづきなんどすることは、浄土にまいりてのち衆生利益にかへりてこそ、さやうの罪人にもしたがひちかづくことはさふらへ。(後略)
(『真宗聖教全書』二 六九二頁。『注釈版』では七四一頁)


九、「真宗教導大意」

一八六九(明治二)年九月
(中略)而シテ其法タルヤ、世間法アリ、出世間法アリ。我宗之ヲ兼ネ教へ、之ヲ真俗二諦相扶ノ教義トス。夫レ阿弥陀仏願ノ威力二憑テ、能ク信心ノ正因ヲ発シ、此際一毫ノ疑念ヲ容レズ、内心二深ク包蔵スル者ハ、其智愚利鈍ヲ問ハズ、皆当生ヲ報土二得テ、必ズ悲智円満ノ仏悟二証契シ、其現世ニアルモ、亦一心堅固猶若金剛、誰カヨクコレヲ惑スルモノアラン。是則真諦ノ帰処ニシテ、所謂転迷開悟ノ出世間法ナル者ナリ。能倫常ノ道ヲ守リ、謹テ国家ノ法ヲ奉ジ、入テハ孝悌ノ行アリ、出テハ忠信ノ心アリ、世二処シ生ヲ遂ゲ、此際一毫ノ迷疑ナク、以テ死二至リテ憾ナキコトヲ得ルモノ、之ヲ名ケテ俗諦トイフ。所謂勧善懲悪ノ世間法コレナリ。蓋シ世出世ノ際二於テ、真俗二諦ノ法義ヲ相承スルコト此ノ如ク、其生ヤ天下ノ良民トナリ、其死ヤ報土ノ仏身ヲ得ル、之ヲ我宗所伝ノ宗旨ト為ス。(後略)
(『島地黙雷全集』第一巻 一八四頁)


一〇、「欧州政教見聞」

一八七二(明治五)年七月
 教也者何ゾ、人ヲ導キ政ヲ裨クルニアリ。夫只人ヲ導ク、未ダ曽テ人ヲ治ムル者二非ズ。而シテ政ヲ裨ク、コレ政ヲ行フニハ非ザル也。夫レ政ノ要、制度ヲ立テ、百学ヲ興シ、殖産騰用民ヲシテ各其所二安ゼシムルニアリ。然リ而シテ之ヲ行ハシムル者ハ教也、之ヲ勉メシムル者ハ教也。其安ズル所ヲ示ス者亦教也。(後略)
(『島地黙雷全集』第一巻 一九八頁)


一一、「三条教則批判建白書」

一八七二(明治五)一二月
(前略)政教ノ異ナル固ヨリ混淆スヘカラス。政ハ人事也、形ヲ制スルノミ。而シテ邦域ヲ局レル也。教ハ神為ナリ、心ヲ制ス。而万国二通スル也。是以政ハ敢テ他二管セス、専ラ己ヲ利センコトヲカム。教ハ不爾、毫モ己ヲ顧ミス、一ニ他ヲ益セン事ヲ望ム。(中略)一五頁。
 教条三章第一ニ日ク、敬神愛国云々。所謂敬神トハ教也、愛国トハ政也。豈政教ヲ混淆スルニ非スヤ。(中略)一六頁。  若夫レ天神・地祇、水火・草木、所謂八百万神ヲ敬セシムトセハ、是欧州児童モ猶賎笑スル所ニシテ、草荒・未開、是ヨリ甚シキ者ハアラス。(後略)一八頁。
(『島地黙雷全集』第一巻)


一二、「大洲・木下・妙覚宛書簡」

一八七二(明治五)年一二月一六日
(前略)教部ノ所用ハ開帳・祈祷・卜占等ヲ仕事ニスル。宗旨ハ真ノ宗旨二非ザレバ、真言デモ法華ニテモ叩キツブス工夫ガ肝要也。朝威デヤレバマダ日本デハ行ハルゝ也。扨、禅宗・天台抔ハ学問ナリ、人民ノ宗旨ニハ非ズ。宗旨ト云ハ死生不移者ヲ云、抵抗力アル者ヲ云。真宗ノ外日本ニテ宗旨ラシキ者ハナシ。(後略)
(『島地黙雷全集』第五巻 一八三頁)


一三、「大洲・石秋・長谷川宛書簡」

一八七三(明治六)年二月二三日
(前略)官二諛ハズ、人二求メズ、特立不羈弘布二専任シ、死生不遷、患難不遮ヲ教化ノ本トス。仲尼ハ云ク桓■(鬼+隹)夫我奈何乎ト、祖師云ク師教ノ恩致也ト。凡ソ教上ヨリ起ル者ハ「ポルチック」トテ、皆政化経済ノ上ヨリ立テバ民二入ル者二非ズ。伝教弘法ノ事是也<真言、祈祷有テ初テ民二入ル、而本ノ教二非ズ>。其民ヨリ起テ官モ拠ナク許ス者ハ後世二伝テ益熾也。祖師及日蓮等ノ事業是也<而日蓮、祈祷現益ヲ主トス、不本教也>。祖師官二悸テ諦刑二処セラレ玉フ、蓋シ本宗興隆ノ本也。(後略)
(『島地黙雷全集』第五巻 一九四頁)


一四、「建言 教導職ノ治教宗教混同改正ニツキ」

一八七四(明治七)年九月
(前略)抑神道ノ事二於テハ、臣未タ之悉クスル能ハスト云ヘトモ、決シテ所謂宗教タル者二非ルヲ知ル。(中略)願フ処ハ治教宗教ヲ判然トシ、即今ノ王政即チ神道ニシテ、万国ノ良法ヲ採リ、好芸ヲ学ヒ、電機気車艦モ亦治ノ一分ニシテ、天壌無窮ノ神勅ヲ奉体シ玉フニ出トセハ、分明正大維神ノ治教淳良ニシテ、宗教幽明門戸ノ説ニヨラス、只開明ノ大道ヲ広張スルヲ力メ玉ラン事ヲ。(後略)
(『島地黙雷全集』第一巻 六五〜六六頁)


一五、「三条弁疑」

一八七五(明治八)年二月
(前略)間曰ク、何ノ意ヲ以テカ諸神ヲ敬センヤ。答曰ク、所謂諸神ヲ敬スト云フハ宗門上二所謂我ガ現当ヲ利益シ、我ガ霊魂ヲ救済スルノ神ヲ信敬スルノ謂二非ズ。凡ソ吾ガ邦諸神ハ、或ハ皇室歴代ノ祖宗、或ハ吾輩各自ノ祖先、国家有功ノ名臣徳士ヲ祭リシ者ナリ。其人体ハ早ク土ニ帰スト雖モ、其霊魂ハ不朽二存ス。其霊魂アル尚今日ノ人ト異ナルナシ。其形ハ数千載ノ古二朽ツ。其魂ヲ祭テ之ヲ尊ムハ即チ吾邦古昔ヨリノ通俗ナリ。之ヲ祭ルノ意他ナシ、祖先ノ恩徳ヲ思ウテ忘レズ、功臣名士ノ徳業ヲ追薦シテ之二倣ハンコトヲ欲スルノミ。然レバ皇祖及ビ我ガ祖先ノ神二事フルハ、全ク吾ガ君父二事フルノ意ヲ以テ敬崇シ、他ノ諸神ヲ敬スルモ最モ其言行ヲ追践スルノ意ヲ要ス。(後略)
(『島地黙雷全集』第一巻 三八五頁)


一六、「真宗と軍人」

 仏の教は善悪因果の理を説き転迷開悟の道を示し玉へば、此教を受け、此道を修する人は、先づ第一に悪を去りて善に就き、私を捨てゝ公に従ひ、渾て心の根本より垢を除きて清く掃き上げ、迷を離れて悟に帰するが当然である。殊に我が真宗の教は自力を捨てゝ他力に従ふべき事を教ふる者なれば、何人にも能く相応する教なれども、殊に軍人教育の趣旨には最も的節に符合する者なれば、軍人は最も此教に依りて精神を修養せらるゝが何寄の急務ならんと察せらるゝなり。
 抑軍隊に尚ぶ徳義は、勅語に忠節、礼儀、武勇、信義、質素の五条を揚げて其要目を示し、之を実行するには一の誠心を以て運用すべき旨を示し玉へり。而して此誠心なるものは何者ぞ、我等自己の得手勝手なる私心を離れ、身を挙げて君上に捧げ奉る道義公正の真心を云ふなり。此心あるが故に能く上官の命令に従ひ、身命を抛ちて報公の忠節を尽す事が出来る者なり。我真宗真俗二諦の教が全く此と同様にて、我等自力の企を仏智他力の信心を得れば、此心は是れ仏の真実心にて我等虚妄の心に非れば、此心ある者は必ず自己の私を恣にせず、心身を挙げて全く如来大悲に一任して仏の命令に使用せられて、世を利益し人を救済する等の公明の事業に力めざるべからず。之を仏恩報謝の行と云ふなり。(後略)
(『島地黙雷全集』第四巻 二四九頁)


一七、「不敬事件ヲ論ズ」

一八九一(明治二四)年二月
(前略)此等壊倫敗徳ノ邪見説ハ、何二由テ起ル者ゾ、其原皆外教ヨリ発ラザルハナシ。其著シキ証左ハ、之ヲ遠キニ求メサルモ、近ク去年九日、第一高等申学二於テ勅語拝読式ヲ挙行セシ時、同校教授内村鑑三ノ如キハ、両陛下ノ尊影ヲ拝礼スル事ヲ拒ミタルヲ以テ知ルベシ。彼レ其口実ニ曰ク、霊ナキ紙片ヲ拝スルハ基督教徒ノ禁ズル所ナリト。何ゾ無礼ノ甚シキヤ。彼レ口実ヲ霊ナキニ托スト雖モ、其実啻に図書・彫刻ノ霊ナキガ為ニハ非ズシテ、彼等ノ眼中君父ヲ見ルモ唯朋友中ノ一種ト視ル迄ニシテ、必シモ忠孝ノ義務アルモノト認メザルヨリ、事終二此二及ベル者ナリ。(後略)
(『島地黙雷全集』第一巻 四九〇頁)


一八、「従軍布教の要点」

一八九五(明治二八)年三月
 征清出師の事起りしより、各宗僧侶は夙に報国敵愾の気象を振起し、全国士庶を勧導し、恤兵献金・慰労弔祭等、種々有益の事業に従はしめしは、我曹の最も賞賛随喜する所にして、教化の人心を維持し、世直を開通する、其功固より浅少の事に非ず。就中玄冬沍寒の時に際し、朔方万里の異城に向て、氷雪凍烈、指を殞し膚を裂くの困苦を忍び、従軍布教の労を取り、傍ら戦死者弔祭追薦の事に従ひしが如きは、其志気行操の活発壮快なる、殆んど軍人の戦闘に馳駆する者に相類して、護国扶宗に鋭邁なる、誰か其偉業を賞賛せざる者あらんや。(中略)
 蓋し我軍訓練教養の規律に厳粛なる、号令の出づる所は水火も辞せずして奮進突撃する者なり。進軍を勧誘し、逃避を警防するが如き、別に僧侶の歯牙を仮らざるも不足あることなし。否、挙軍悉く進軍に勇鋭にして、一も逃避退却を欲する者なし。故に僧侶教誨講の必要は、必ずしも号令指揮に従ふべきを説くに非ずして、只其奮進決闘の国家を保護し、聖天子に報ゆるの盛事にして、不朽の忠孝たる事を説て、軍人の心情を愉悦せしめ、独り今生の栄誉のみならず、仏陀大悲の眷愛を蒙むる者なれば、来世往生の喜ぶべき事を陳べて、歓喜踊躍、此栄事に勇進せん事を勧むるにあり。死は人生快楽の終尽にして、聖賢と雖も価値なき者なり。此無功無価の死を転用して活動せしめ、忠君愛国の大功力・大美事たらしむる者、只戦死の一にあるのみ。之を鴻毛より軽視する所、却て大山より重き功績を得る事を懇示すべきなり。(後略)
(『島地黙雷全集』第四巻 四一九〜四二〇頁)

一九、「「義戦」の迷信」

一九〇三(明治三六)年九月二七日
 余も一時は世に「義戦」なる者があると思つた。然し今は斯かる迷信を全く余の心より排除し去た。「義戦!」何故「義罪」と曰はない乎。若し世に義しき罪があるならば義しき戦争もあるであろう。然し正義の罪悪の無い間は(爾うして斯かるものゝありやう筈はない)正義の戦争のありやう筈はない。余は今に至て曾て「日清戦争の義」なるものを拙き英文に綴つて我国の義を世界に向つて訴へしを深く心に恥る者である。
(『内村鑑三全集』一一 四二四〜四二五頁)


二〇、「我が奉仕の途」

一九二八(昭和三)年一一月一〇日
 我等は如何にして国に尽し、陛下に仕へ奉らん乎。我等が陛下と国とに対し尽し得る最善の途は、一人なりとも多く、正直にして勤勉、衷に充足りて自己以外に何の求むる所なき真実の民を作るにあると信ずる。そして我等は一生を通うして此事業を続け来つた。そして我等の努力は空しからずして、隠れたる所に多少の効果を挙げ得た積りである。敢て世の賞賛を博せんと欲するに非ず。茲に此時に際し我が奉仕の途を明かにする次第である。
(『内村鑑三全集』一三 三五六頁)

二一、『靖国神社の崇敬』

一九三九(昭和一四)年六月五日
(前略)かうした重大時局に際会して、私共は深く事変の性質を弁へ、飽迄も皇国の進展を翼賛し奉るやう努めねばなりません。かうした場合、私共殊に真宗教徒は、右申す如き意味に於て靖国神社に対し、国民として最大級の尊敬と感謝を捧ぐべきであります。そして同時に忠霊の顕彰運動に対して、自ら進んでこれに参加し翼賛すべきであると思います。これ偏へに国民同胞としての感謝の発露であつて、又同時にわが真宗に於ける俗諦教旨のうるはしき実現に外ならないのであります。
(福嶋寛隆監修『戦時教学と真宗』第三巻 永田文昌堂 一九九五年 一六頁)


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