2001年12月19日

靖国信仰との対決原理の模索

――
「近代」天皇制下における真宗教団の動向を通して――


井之上大輔 (「靖国を問う」)

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1.はじめに(問題設定)

○反靖国の射程が、靖国信仰の「底辺構造」たる民族宗教性(=神祇信仰)にまで及ばなければならない。

村上重良『慰霊と招魂―靖国の思想―』(岩波新書一九七四年)。
○「義は山嶽よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」(軍人勅諭)
 という卑小なる生命・人間観に対し、普遍原理を内在化している仏教(真宗)は対決できたのか/できなかったのか。



2.親鸞の往生思想

○国家権力「旧仏教」からの弾圧。⇔親鸞の批判。…史料 「一」 の (6)

貞慶『興福寺奏状』一二○五(元久二)年一○月(『日本思想大系 一五 鎌倉旧仏教』岩波書店 一九七一年)。 『山門奏上』一二二四(貞応三)年五月一七日(『<昭和定本>日蓮聖人遺文』第三巻 一九五四年 二 二六○頁)。
○信心理解。…史料 「一」 の (1)、 (3)、 (4)

→「真実信心…度衆生心は即ちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。」=衆生利益のため。信心と衆生利益との不可分性。

※信心とは往生浄土するためだけのものではない。従って親鸞においては往生浄土が最終目的なのではなく、往生浄土は衆生利益を行うためのプロセスに過ぎず、「永生の楽果」を得るためにあるのでは決してない。往生浄土と衆生利益との不可分性。


○現生正定聚。…史料 「二」、 「三」、 「四」

→現実の歴史的社会での"救い"を強調。


○人間の絶対的尊厳性と平等性の自覚。…史料 「二」、 「五」、 「六」、 「七」

→「如来とひとし」。


○自律的、実践的主体の確立。…史料 「一」 の (2)

→「小慈小悲もなき身にて/有情利益はおもふまじ」(『真宗聖教全書』二 五二七頁)という身でありながらも、「如来の廻向に帰入して/願作仏心をうるひとは/自力の廻向をすてはてゝ/利益有情はきはもなし」(『真宗聖教全書』二 五一八頁)というように、「本願力廻向の信心」に導かれることにより、現実の歴史的社会において衆生を救済する自律的・実践的主体となり得ることができ、またそのような主体として生きようとする。


※伝統教学では現生十益を「当益」(=往生浄土後の利益)ないし「密益」として把握する。
普賢大円『真宗概論』(百華苑 一九五○年 一九五頁)。…史料 「八」
○中世社会及び国家の質を規定している神祇信仰との自覚的決別。…史料 「一」 の (1)

→『正像末和讃』に曰く、「五濁増のしるしには/この世の道俗ことごとく/外儀は仏教のすがたにて/内心外道を帰敬せり」(『真宗聖教全書』二 五二八頁)、「かなしきかなや道俗の/良時吉日えらばしめ/天神地祇をあがめつ、/卜占祭祀つとめとす」(同上)と。


○伝統教学における親鸞理解。
大江淳誠『教行信証講義録』下巻(永田文昌堂 一九八四年)。
村上速水『教行信証を学ぶ』(永田文昌堂 一九九六年)。

←信心、あるいは親鸞の宗教的立場と現実の歴史的社会との関係を問おうとしない伝統教学では、専修念仏が何故当時の国家権力から弾圧されたのかを理解することができず、ひいては親鸞が現実の歴史的社会においていかなる"地平"をきりひらいたのかを問うことができない。
「俗諦」領域が「近代」天皇制から象徴天皇制に変化しただけである。



3.「近代天皇制下における真宗教団の動向

○島地黙雷における親鸞への回帰の可能性。

明治初年の廃仏殿釈―神道国教化政策への「抵抗」。…史料 「一一」
真宗は「人民ノ宗旨」であり「抵抗力アル者」であるという認識。…史料 「一二」
「祖師官ニ悸テ謫刑ニ処セラレ玉ふ。蓋シ本宗興隆ノ本也」という念仏弾圧理解。…資料 「一三」
→しかしながら、やがて「政」(=政治)と「教」(=宗教)との「裨補」関係と、神道非宗教論を明治政府側に提供し、国家神道を全面的に受容する。…史料 「一〇」、 「一四」、 「一五」


真俗二諦の「伝統」を継承。…史料 「九」
大谷光尊(明如)による大谷光沢(広如)遺訓の「御消息」発布(一八七一年)
従軍布教。…史料 「一六」、 「一八」 ⇔ キリスト教者内村鑑三の非戦論。…史料 「一九」 ・ 「二〇」
大谷光尊(『明如上人伝』臨時法要事務所 一九二七年 八七三頁)。 「後の世は みたのをしへに まかせつゝ いのちをやすく 君にさゝけよ」
○真俗二諦から戦時教学へ。…史料「七」
大谷光瑞(鏡如)『大陸に立つ』(有光社 一九三八年)。 大谷光照(勝如)「御消息」(一九四二年 九月一五日)。

※「戦時教学」の本質的な間題が、そのファナティックな超国家主義的な内容にあるのではなく、またその犯罪性にあるのでもない。現実の歴史的社会に対して従属的な「主体」を生み出すその二元論的信仰形態にこそ、その本質的な問題があるのである。
親鸞の思想総体を「永生の楽果」を求める往生信仰に収斂せしめた蓮如教学(「世間通途」的信仰)の「最高形態」として「戦時教学」が存在するのであり、親鸞から覚如→存覚→蓮如への過程は変質史であっても、蓮如から「戦時教学」への過程は変質史ではなく発展史である。
親鸞の思想総体を往生信仰に収敏=覚如・存覚→蓮如教学→封建教学→真俗二諦→戦時教学→現代真宗学。


○西光万吉における親鸞への回帰の可能性。
「業報に喘ぐもの―大谷尊由氏の所論について。特に水平運動の誤解者へ―」(『西光万吉著作集』第一巻 濤書房 一九七一年 初出は一九二二年)。

※「転向」の間題。例えぱ、「高次的タカマノハラを展開する皇道経済の基礎問題」(『西光万吉著作集』第二巻 一九七四年 初出は一九三五年)等。

大谷尊由「親鸞聖人の正しい見方』(『同朋運動史資料』 I 浄土真宗本願寺派出版部 一九八三年 初出は一九二二年)。



4.おわりに

○現実の歴史的社会に対して従属的な「主体」を生み出す真俗二諦、戦時教学等の問題は、真宗者に限られる特別的なものではなく、日本の思想史を一貫する問題である。

※天台本学思想、神道、実証主義等。


○イデオロギー暴露それ自体に意味があるわけではない。過去の歴史を批判(非難ではない!)し、そしてそのことを通してなされる現在の歴史的潮流との"対決"。

○靖国信仰、及びその信仰を底辺から支える日本社会に一貫して遍在化する神祇信仰(=民族宗教性)との対決原理は如何なるものとしてあるべきだろうか。

←仮説:理性的啓蒙では不可能。近代的建造物を底辺で支える地鎮祭。
人間の絶対的尊厳性・平等性を自覚せしめる普遍宗教、そしてその普遍宗教に裏打ちされた自律的かつ実践的主体の確立。
※ここでいう普遍宗教とは世界宗教と同義ではない。


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