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真宗と現代
――融合と乖離―― |
「『何でもそうですが、正解とは、真実とは、本人が最も納得できる仮説に他ならないのです』」 (1)
本論文は、「真宗」と「現代」との関係について考察を行い、その過程で顕現する問題に対する解題を探求し、「真宗」は「現代」に対し何を与え得るか、「現代」は「真宗」に対し何を求め得るか、という、表裏一体の問題に対する何らかの解答を提示することを目的としている。示された解答は単に示されるだけでなく、今後真宗の伝道者として歩む私の人生の行動規範に変じ、実際に働かねばならない。何を言おうと私の自由であるが、責任を伴わない自由は存在しない。
第一章「定義」では、「真宗」と「現代」とについて考察し、最終的に「真宗」を真宗教団、「現代」を未完の近代の中に位置する時代として定義する。第二章「融合」では、日本の「現代」を生み、かつそれを包含するものである近代について考察し、明治維新以後の近代化、国家神道、当時の「真宗」について考察を行う。第三章「乖離」では、1999年現在の「現代」的課題のうち生命倫理と新新宗教に絞った考察を行い、「真宗」がそれらにどう応えることが可能であるのかについて考察する。結論「対話」では、第二章で扱った問題の原因を「真宗」が時代に「融合」してしまったこと、第三章で扱った問題の原因を「真宗」が「現代」と「乖離」してしまっていることと結論付け、それら融合と乖離を超克する機軸として「対話」を導く。
以下に展開する論考が現時点での私の精一杯の仮説である。二年もの時間を投じたのだから言い訳は通らない。私の体中の血が出切ってしまうように鋭角な批評を請い願う。責任は須く全うされるべきである。
「鎌倉初期、法然の弟子の親鸞が創始した浄土教の一派。阿弥陀仏の力で救われる絶対他力を主張し、信心だけで往生できるとする。本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・木辺派・興正派・出雲寺派・山元派・誠照寺派・三門徒派の10派に分かれる。真宗。一向宗。門徒宗。」 (『大辞林』)』」 (2)
と説明されている。
一般的な辞書の記述を一般的認識、或はそれに近い総和的了解と考えれば、一般的に「真宗」は「親鸞の教説」として認識され、また、現存する「真宗教団」としても認識されていると言える。
研究者は「真宗」をどのように捉えているのだろう。
信楽峻麿氏は親鸞における「真宗」乃至浄土真宗の語が意味するものを、「(1)無量寿経」、「(2)浄土の教法」、「(3)阿弥陀仏の本願」 、「(4)七祖あるいは善導及び法然によって開説された教法、教派」以上四種に分類され、また、親鸞以降の「真宗」に 「親鸞によって開説された教法とそれに基づく教団を総称」 する意味も存在することを指摘される』」 (3)。そして、金子大栄・大原性実・普賢大円・稲葉選恵・石田充之・土井忠雄各氏の「真宗」理解が(1)−(4)および歴史的真宗など、様様であることも指摘される(氏自身は「真宗」を 「親鸞によって体験され開説されたところの仏教、成仏をめざす教法のことである」 と定義されている)。
「〈浄土真宗〉という語は単に宗名をさしているだけでなく、次のような意味で用いられている。1)真実の教え。阿弥陀仏の本願を説く無量寿経の教えのこと。2)選択本願すなわち第十八願。「浄土宗の中に真あり仮あり、真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり、選択本願は浄土真宗なり」〔末灯鈔〕とある。3)念仏往生。「浄土真宗のならひには念仏往生とまうすなり」〔一念多念文意〕とある。4)信心往生の教え。「真実信心をうれば実報土にむまるとおしえたまへるを浄土真宗とすとしるべし」〔唯信鈔文意〕とある。5)往相・還相の廻向。「謹んで浄土真宗を案ずるに二種の廻向あり。一つには往相、二つには還相なり」〔教行信証 教 〕とある。これらは順次に、浄土門の真実の教え、浄土真宗の根源、浄土真宗の伝承、浄土真宗の本質、浄土真宗の原理を示しているのであって、親鸞においては〈浄土真宗〉(真宗または浄土宗)とは特定の宗派名ではなくて、阿弥陀仏の浄土に往生する道そのもの、またはその教えの本質的意味をあらわしている。そして親鸞は師の法然に対して反抗する意識がなかったから、彼のいう〈浄土真宗〉とは、法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えなのである。」 (後略)(『岩波仏教辞典』)』」 (4)
以上二つの研究が、研究者が「真宗」に見取る意味の必要十分であるとは言い得ないのかもしれない。しかし研究者同士が「真宗」について語り合う際に問題となる重要な点が、ここに浮き彫りにされている。
現前する1999年的状況を鑑みるに、「真宗」研究者の殆どは何らかのかたちで真宗教団に関わっている者であり、「真宗」を信心として体現している者か、それを公然と或は密かに求める途上の者である。
そのような言わば「真宗」の信心を求める立場にある「真宗」研究者が一般的な「真宗」認識にのみ与するものでないことは明らかである。研究者は「真宗」を己の求めに応じ実存的に研究せざるを得ない。その求めが研究者の「真宗」を一般的辞書に定義された「親鸞の教説」や「真宗教団」という意味しか持たないものとしてではなく、無量寿経、浄土の教法、阿弥陀仏の本願、七祖あるいは善導及び法然によって開説された教法・教派、親鸞によって体験され開説されたところの仏教・成仏をめざす教法、浄土門の真実の教え、浄土真宗の根源、浄土真宗の伝承、浄土真宗の本質、浄土真宗の原理など、様様な意味を併せ持ったものとして認識させるのである。
「真宗」は研究者の研究領域や研究方向の違いによってその都度定義を異にする。だから研究者同士が用いる「真宗」の語が意志疎通の妨げとなる場合さえ生じるのである。
「真宗」研究者はみずからの「真宗」定義を出発点として「真宗」に関する論考を開始し、他の研究者と交流すべきであるが、屡屡全く定義が為されないままで論考・交流が為されることもある。その場合の多くに於いて、「真宗」は研究者本人にも知らされない無意識のうちに「超歴史的な真実」或はその「伝承」と定義されている。つまり、無定義の「真宗」は「超歴史的な真実」の延長線上に「あるべき本来の真宗」と定義されていることが多いのでる。その反面、当然のことながら、「いまそこにある真宗」として、「現実の真宗教団」或は「現実にはたらいている真宗の教説」として定義され認識されていることは少なくなる。
「真宗」研究者に唯一の救いを齎した〔/す〕「真宗」は、当然のことながら、研究者にとって歴史的な範疇におさまり切らない普遍〔/不変・不偏〕の「超歴史的な真実」として認識される。ために歴史研究は「真宗から普遍性を奪うもの」或は「真宗に真っ向から対立するもの」と考えられ、退けられてしまうことがある。そして「超歴史的な真実」として認識された「真宗」は、「真俗二諦論」と相俟って、宗教が目的としていたはずの、信者の抱える現実問題に対し発揮すべき何らかの力を剥奪されてしまうことがある。
なるほど親鸞がその存在に気付く前から「超歴史的な真実」 (5)であり続けていた「真宗」は何時如何なる場所に於いても「超歴史的な真実」であろう。しかし「真宗」が歴史上のある一点に成立した一宗教であることも見逃してはならない事実である。「真宗」によって救われた〔/る〕「真宗」研究者は「真宗」が「超歴史的な真実」であることを事実として認めると同時に、それが何故鎌倉時代に親鸞によってのみ見出され得たのかを知らねばならない。歴史研究は「真宗」研究に対立するものではなく、「真宗」の全てを明らかにするものでもない。だが「真宗」を明らかにするために用いられる有効な手段である。「真宗」の成立背景に歴史介在の余地がなければそれは嘘なのである。同様に「超歴史的な真実」の伝承にも歴史介在の余地がなければ嘘になる。
また、「真宗」のみならず「真宗」研究者が歴史的存在であるのも事実である。信仰的実存の決断は「永遠の今」に於いて行われるが、その決断は「今この瞬間」を生きるからこそ実存的な「わたし」によって行われる。つまり、「真宗」研究者が獲得した〔/する〕「真宗」の信心自体は「超歴史的」性格を持つが、信心という信仰を行う主体としての「わたし」は、実は歴史的な性格を持つ存在なのである。
以上のように、「真宗」は、一般的には「親鸞の教説」や「真宗の教団」として認識され、研究者には無量寿経、浄土の教法、阿弥陀仏の本願、七祖あるいは善導及び法然によって開説された教法・教派、親鸞によって体験され開説されたところの仏教・成仏をめざす教法、浄土門の真実の教え、浄土真宗の根源、浄土真宗の伝承、浄土真宗の本質、浄土真宗の原理、或は「いまそこにある真宗」よりも「あるべき本来の真宗」として認識されている。また一般的な「真宗」認識と研究者の「真宗」認識との間には差があり、また研究者の「真宗」認識がただ一つであるとも言えない。それらは「真宗」の信心が超歴史的存在であるにも拘わらず、それをとりまく全てのものが歴史的存在であることにも起因している。
様様に定義することが可能な「真宗」であるが、拙論では「真宗」を「親鸞の開示した無謬の超歴史的な真実」としてよりも、一般的認識のうちの「真宗教団」、つまり歴史介在の余地のある、ある一つの現象として定義する。そこに一切の無謬性を積極的には求めない。
なお、いまは「真宗」研究者以外の一般的信者個人の「真宗」理解・受容はひとまず措くこととする。
「@現在の時代。その人が生きている、今の時代。A歴史の時代区分の一。世界史的には一般に、資本主義社会と社会主義社会の並立する時代として、第一次大戦後をさすが、日本史では、第二次大戦後をさすことが多い。」 (『大辞林』) (6)と説明されている。
1999年の日本を生きる我我の多くは「現代」を@的に、つまり「現在の時代」として認識してはいるが、Aのように第一次世界大戦以降としては認識しておらず、1945年以前の時代から完全に切れた、1945年8月15日に突然発生して現在まで続いている、1999年を含むこの時代の固有名詞ででもあるかのように認識している。「現代」をポストモダンの時代とする向きもあるが、それは茶番である。近代の完成なくして後近代たるポストモダンはあり得ない。闇雲にそれを求めるのは、窮余の策としてさえもあまりに拙い。我我の生きる1999年を含む、「現在の時代」としての「現代」は、この時代が遠く歴史上の過去の一点・一帯を指し示すようになった時には、「現代」という「字」 (7)を廃され、正しく「諱」 (8)が付されるだろう。夏目漱石 (9)や石川啄木 (10)、戸坂潤 (11)など「近代」の文筆家の諸作品・論文にも「現代」という言葉は多く登場しているが、彼らが「現代日本」と認識していたのは、19世紀末から20世紀半ばにかけての日本であった。1999年を生きる我我は、彼らの生きた時代は「近代」であり、我我が生きつつある時代は「現代」であると認識している。彼らが生きた「現在の時代」としての「現代」は我我にとって過去の「現代」であり、正しい「諱」は「近代」である。
また、西欧語には日本語の「近代」に相当する「モダン(modern)」の語はあるが、「現代」に相当する語はないと言われる。一見すると当てはまるように思える「ポストモダン(postmodern)」 (12)の語は、「1970年代ごろより」「興隆し」た、「近代を超える新しいトレンド」に過ぎない。つまりポストモダンは術語や思想、未来に過ぎず、いま我我が生きつつある1999年を含むこの時代のことではない。
西欧語で用いられる「モダン(modern)」は、それまでの中・近世的な体制を、宗教改革や市民革命・産業革命などの激動を経験する中で脱し、資本主義・民主主義等の価値観を発芽・成長させ、政治・経済・社会それぞれを合理化すべく、一貫して前へ前へと駆り立てられるように努力されて来た、何百年にも亙る期間の総称であり、「現代」は「近代」の中の第一次大戦以降、資本主義と社会主義の併存する状況を指す語である(だから今でも「近代化(modernization)」の語が後退を意味しないのである)。日本に当てはめて考えれば、江戸幕府の封建体制を脱してから1999年の現在に至るまでの期間が全て「近代」であることになる。
ではなぜ日本語の「現代」と西欧語のそれとが噛み合わないのか。なぜ日本では1917年以降ではなく1945年以降だけを「現代」と呼ぶのか。
それは「戦後」の語が日本で「第二次世界大戦後」を意味し、アメリカ合衆国では「内戦後」つまり「南北戦争後」を意味する事実と本質的に同様である。世界や時代の捉え方が異なっているためである。
西欧の国家にとっても第二次世界大戦は大きな事件であったが、戦勝国の国民にとってそれは自分たちが今まで歩んで来た「近代化」の道を全否定されるような衝撃としては受け止められなかった。戦争に勝ったことより、それ以前の社会主義国家の誕生の方が、余程自分たちの歩んで来た資本主義化や民主化、産業化などの「近代化」を否定しかねないものとして認識されている。
一方、日本は明治維新によって幕藩体制という封建主義は脱することが出来たものの、しかし、それで日本の全体が資本主義や民主主義を貫徹すべく動き出したとは決して言えない。民衆の力の結集として発動したわけではない明治維新は、江戸時代よりは発展した封建体制とでも呼ぶべき奇妙な体制を誕生させた。本来的に多くの矛盾を抱えていた日本の「近代」は、西欧圏とは一種異なった「近代」を発展させ、その見かけ上の、完全には実行され得なかった「近代」は、1945年の敗戦で崩れ、パラダイム (13)が劇的にシフトするに至った。その遷移は日本にとって、未だ貫徹されない「近代」が社会主義国家の誕生によって否定されかねない状況が1917年に始まったことよりも余程衝撃的であり、「それまで」と「それから」とを、より明確に区別する必要性を感じさせた。だから我我日本人は敗戦によって「近代」の語とともにそれまでの我我自身をも捨て、それ以降を「現代」と呼ぶようになったのである。
だが敗戦で崩れたパラダイムは単に「崩れた」だけで、完全に「崩れ去った」わけではない。敗戦前の日本が完了し得なかった民主主義や人権主義など「近代化」の諸課題は戦後に託された。日本では「近代化」も「近代」も終結してはいない。1999年を生きる我我は「現代」という「字」の付された「未完の近代」という時代を生きている。
ポストモダンを表面的言辞だけから「後近代」と意味付けて「現代」と訳出することはできない。日本の「現代」が上に言ったような時代である限り、日本の1999年的現状は「現代」としか呼ばれようがない。よって「ポストモダン」は正しく「後現代」とこそ訳出されるべきなのである。また、「近代化」が完全に実現されているとは未だ言い難い日本やその他の国の1999年的現状を鑑みるに「近代」が終わったとは到底言えない。そのことから「現代」は「近代」を超えるものではなく「近代」と併存するものと考えられる。やはり「現代」を「近代」を越える概念「ポストモダン」で呼ぶことは出来ないのである。
この論文は、文献学や歴史学の方法による「真宗」の実証的な研究の実績を踏まえ、実際の「現代」に現れている「真宗」を探ろうとするものであり、キリスト教神学で言う「組織神学」に相似的関係にあり、敢えて呼ぶなら「組織真宗学」 (14)とでも言うべきものである。
以上のように、拙論は「真宗」を「浄土の真実」と捉えて無謬的特権を与えるのではなく「真宗教団」と定義する。また「現代」を「近代」を超えるものと捉えるのではなく「未完の近代」を完成させるべく歩みつつある、1999年を含む、生きている一時代の「字」と定義する。
また拙論をものす筆者としての私は、実存的に未だ獲信せざる場所に在ることを認めなければならない。松尾宣昭氏の論 (15)によれば、私は 「「煩悩に狂はされて、思はざる他に」という言葉を、親鸞の意図した通りに領解することのできる者」 ではない。だがわたしはこの言葉を 「「煩悩に狂はされて、思はざる他に(の造悪であれば許される)」というバイアスのかかった仕方で受け取ってしまう」 ほどに浄土の真実を理解出来ていないわけでもない。私は西洋に生まれ育まれ日本に輸入された自然科学の照射を浴び過ぎたから親鸞の説く教説が理解できないわけではない。ただそれを完全に納得してはおらず、死後に自分が浄土に往生するという事実を事実として首肯出来る立場にないだけである。私は、生命は宇宙誕生の瞬間からその萌芽を宇宙の中に持っていたとしか考えることが出来ず、よって死後も生命は所謂「魂」などという解りやすいものとしてではなく私には到底解り得ない方法で残り続けるように思えてならないのである (16)。生命は死んだら終わりではないと考えるが、それが阿弥陀仏の力によって浄土に往くとは考えられていないのである。だが、それがイコールで浄土の真実が全く理解出来ないという事態になるわけではない。キリスト教的回心を経ていないものに『新約聖書』の文言が理解出来ないのだとしたら、その直接的影響を受けて誕生し育まれて来た自然科学や技術、民主主義や解釈学などの諸思想を真宗研究者が正確に理解することは到底不可能なものであることになる。また各宗教間の議論も同様にして不可能であることになる。だが実際にはキリスト教と仏教、イスラムなどは相互理解が可能である。
私は「真宗」内部の人間ではあるが、浄土の真実としての真宗の完全な内部からではなく、自分の世界観を破壊し得る程のダイナミズムの胎動を真宗に感じながら信心獲得を憧憬する亜流の信者として存在している。私はこの私にも真宗は理解可能であり、研究可能であると考える。私は実存的にそのような立場に立っている。
また、拙論は「真宗」が戦時と「現代」に於いてそれらの時代と融合・乖離を果たした/果たしつつあることを先入見的に見取り論考を行う。誤った先入見 (17)は勿論その都度修正される。先入見を持つことは否定さるべきではない。それに固執することのみが否定されるのだ。
本論文で扱う領域は、歴史的には明治維新から「現代」まで、空間的には日本に限定する。
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(1) 森博嗣『石塔の屋根飾り』(Roof-top Ornament of Stone Ratha)(講談社『地球儀のスライス』
(A SLICE OF TERRESTRIAL GLOBE)所収) P141
(2) 三省堂『大辞林』P1188
(3) 信楽峻麿「真宗学研究序説─その性格と方法論について─」龍谷大学論集388 1969.2.
(4) 岩波書店『岩波仏教辞典』第五刷 P441
(5) この問題については「解釈学」を用いるのが有効であると思われる。私自身も「解釈学」について完全に解っているわけではないが、以下のような説明は可能である(これは知人の言葉を文章化し現代教学研究会主催講演会ビラに展開した論に加筆したものである)。
「我々日本人は、解釈学に限らず、西欧の基本的思想の理解を試みる際、それを育んだ「社会」の実際性や現実性などを考慮せず、思想の行動規範や理念に無頓着なままで論考を進めがちであるという、致命的とも言える欠陥的傾向を持つ。だがやはり完全には解っていないので、事典からの引用を行って「解釈学」説明の補足以上のものとする。
遠くギリシアに生まれ、今世紀半ばガダマーに至った解釈学は、「哲学的解釈学」つまり「現実的な経験の理論」となり、今では哲学の世界を巻き込んだ大きな潮流を生み出すに至っている。 解釈学が「主観・客観の克服/乗り越え」をのみ意味するのなら、我々は解釈学を学ぶ必要などないだろう。なぜなら、もしそうであったなら、我々を待ち受けているのは「絶対矛盾の自己同一」くらいのものでしかないからだ。
単純なテクスト解釈理論にとどまらない解釈学の中に一体何が存在しているのか。先に挙げた「主客構造の克服」は無論その中に含まれていよう。だが解釈学をはじめとする西欧の思想や哲学の中には、「主体と主体」、「主体と他者」、「主体と外部」、あるいは「社会は如何にあるべきか」という、問いを発する者自身に跳ね返ってくる性質の問こそが常に内在しているものなのである。」
「解釈学〔独〕Hermeneutik テクスト解釈の技法ないし技法論。また、理解ないし解釈の理論。ギリシア語の〈解釈(hermeneia)〉ないし〈解釈する(hermeneuein)〉に由来する。すでに古代ギリシアにおいて、詩や神託を解釈するための技法として、〈解釈学(techne hermeneutike)〉という言葉が用いられていた。また17世紀の中頃に、一般解釈学が構想されるなかで、〈解釈学(hermeneutica)〉という語が新たに考案された。(6) 三省堂『大辞林』P792
【一般解釈学の成立】西欧の知的伝統において、解釈学は、まずテクスト解釈の技法ないし技法論として成立した。解釈の技法を必要とする主たるテクストは、文法や哲学の古典的著作、旧約聖書と新約聖書、そして法典や法律である。それゆえ解釈学は、文献学・神学・法学などの学問分野において、それぞれの仕方で発展してきた。17世紀の中頃に、これらの〈特殊解釈学〉を統合して、〈一般解釈学〉構築しようとする試みがなされた。一般解釈学は、古典であれ聖書であれ、あらゆる種類の言語的テクストに適用しうるような、解釈の原則や規則を整理し、体系化することをめざしている。ただし解釈学は、17世紀から19世紀にいたるまで、文献学・神学・法学などの基礎学ないし予備学とみなされていた。19世紀の前半に、シュライアーマッハーがあらためて一般解釈学の構想を打ち出し、理解ないし解釈に関する体系的な理論を展開した。ここに解釈学は、独立的な学問としての地位を確立することになった。
しかし、解釈学が哲学の核心部をなすようになったのは、歴史的意識を重視するディルタイ、ハイデガー、ガダマーという思想系譜においてである。現代の解釈学ないし解釈学的哲学は、このドイツの思想系譜を直接的な源泉にしている。
【精神科学の方法論】ディルタイは、理解(ないし解釈)を精神科学に固有な方法とみなし、それにともなって理解の対象を、文献や言語的テクストのみならず、あらゆる種類の〈生の表出〉ないし〈表現〉に拡大した。ここに解釈学は、理解の理論として、精神科学の方法論という身分を獲得する。ただし、解釈学の基本構想に関しては、ディルタイはシュライアーマッハーの考えを継承している。たとえば、理解が全体と部分との循環に巻き込まれること(解釈学的循環)、自己移入によって他者の体験を追構成すること、理解の最高目標は「作者が自分自身を理解していた以上に、よりよく作者を理解すること」であるということ、などの考えがそれである。ディルタイは、一方では普遍妥当的な理解の可能性を追い求めたが、他方では人間存在の歴史性を深く自覚しており、この二つの発想は、ディルタイ自身において分裂したままであった。
[現存在の解釈学]前記のハイデガーにおいて、解釈学とは、理解ないし解釈に関する理論のことではなく、解釈することそのものを意味している。また、解釈の遂行としての解釈学が、哲学の方法とされている。したがって〈現存在の解釈学〉とは、人間にもともとそなわっている漠然とした存在理解を手掛かりにして、その理解内容をさらに分節化(解釈)しながら、現存在(人間)の基本構造を明確に規定することである。これが『存在と時間』における〈基礎的存在論〉の課題である。
解釈とは、あらかじめの理解内容を「仕上げる」(ausarbeiten)ことである。ただし解釈は、〈理解の先行構造〉によって規定されている。この先行構造の全体、つまり〈先把持〉〈先視〉〈先把握〉の全体が、〈解釈学的状況〉である。解釈が根源的であるためには、事柄それ自身に即して、また事柄に関する根本経験にもとづいて、適切な解釈学的状況をあらかじめ確保しておかねばならない。ハイデガーにおいて解釈学とは、根源的な解釈の遂行であり、事柄に即した解釈学的状況のもとで、通俗的な解釈や先入見を破壊しながら、事柄それ自身を見えるようにすることである。「事象(事柄)そのものへ」という現象学の根本的モチーフをはっきり打ち出しているという点で、ハイデガーの解釈学は、〈現象学的解釈学〉とも、〈解釈学的現象学〉ともよばれている。
【哲学的解釈学】ガダマーは、ハイデガーの〈基礎的存在論〉にもとづいて、理解を、人間のひとつの認識様式ではなく、人間の基本的な存在様式とみなしている。ただしガダマーは、理解を「人間の世界経験と生活実践の全体」ととらえ直すとともに、そうした理解の構造や条件に関して体系的で詳細な分析を試みている。それゆえガダマーの解釈学は、「現実的な経験の理論」として、テクスト解釈の技法論や精神科学の方法論などから明確に区別され、〈哲学的解釈学〉と名づけられている。
【最近の動向】ドイツに端を発した現代の解釈学は、とりわけガダマーの『真理と方法』〔1960〕を跳躍台にして、ひとつの主要な思想潮流に成長した。それとともに、「解釈学」の意味がますます多様化してしまったということも事実である。ただし、近代哲学の枠組みを根底的に問い直して、新たな哲学的地平を切り開こうとすることが、解釈学の基本的モチーフであることに変わりはない。とりわけ、われわれのあらゆる知識や規範が歴史的に形成された共通の意味地平を基盤にして成立しているということ、また歴史的な事実性や有限性こそが解放性や創造性の源であるということ、こうしたことの洞察が解釈学の根本思想である。こうした根本思想を共有しているがゆえに、後期ウィトゲンシュタインの〈言語ゲーム〉論、クーンの〈パラダイム〉論、ローティの〈ネオプラグマティズム〉など、たがいに異質な哲学がすべて〈解釈学的〉と呼ばれることになる。
なお、マルクス、ニーチェ、フロイトなどの発想にもとづいて、あらゆる種類の虚偽意識や自己欺瞞を暴露しつつ解体していく試みは、哲学と人間科学を問わず、〈批判的解釈学〉と呼ばれている。たとえば、アーペルやハーバーマスの批判理論、また、テクスト解釈の原則や規範を確定しようとする最近の試みとして、ベッティやハーシュの解釈理論がある。さらに、理解や解釈を方法的原理とする社会科学は、〈解釈的〉ないし〈解釈学的〉と呼ばれている。たとえば、ギアツの解釈学的人類学。このように解釈学は、たんに哲学のみならず、きわめて広範な知的領域に浸透している。」 岩波『哲学・思想事典』205−206頁
「〔仏〕postmoderne〔英〕postmodern〔独〕Postmoderne 理性による啓蒙を基盤とした近代の制度、実践、思想は、真理を提示する力においても、批判的な分析力においても袋小路に陥ったと指摘し、消費社会や情報社会に対応する知や実践のあり方を提唱し実践する哲学的、文化的思潮。分野によって用法は多義的であるが、近代全体を問題視し、しかも対抗する一元的な原理を展開しない点で共通している。もっとも、しばしば混同されるポスト構造主義とは異なり、ポストモダンそのものを哲学的に標榜する論者はリオタールなどを除けば意外に少ない。」(略) 岩波書店『哲学・思想事典』P1491(以上『ポストモダン』より)ポストモダンは「ポスト・モダン」ではないらしいが、語感の違い以外に何が「・」を省くのかは不明である。
「1970年代ごろよりポストモダン論が興隆し、近代を超える新しいトレンドが注目されるようになる。@「主体」の消滅により〈自律的個人〉という観念は無意味化する、Aヒト・モノ・情報が国境を越えて流通するグローバリゼーション、エスニシティや地域主義が台頭するローカリゼーション、こうした外と内との二重の圧力によって国民国家の意義は低下する、B情報や消費が重要となり経済システムは脱工業化され「消費社会」が成立をする、C孤立化した大衆にかわり「ネットワーキング」と呼ばれる水平的・自発的結合が社会関係の典型となる、D普遍的で画一的な「大きな物語」によって社会や文化が形成される時代は終った、といった見解が、現時点を、近代「以降」と設定するための根拠として提出されている。ファシズム体験を背景に大衆社会論が一世を風靡した1940年代から50年代にかけて、マス化によって〈近代〉は乗り越えられ、いまは」〈近代〉ではなく〈現代〉である、といった議論が繰り広げられた。大衆社会論者が列挙して見せた〈現代=脱近代〉的特性は、ポストモダン論の中では、モダニティと呼ばれる近代の本体へと組み込まれている。かつての〈新〉はいまや〈旧〉となる。ポストモダンと規定された新しさをモダンという伝統を地平に浮き彫りにしようとする議論の骨格を見るかぎり、ポストモダン論は近代化論の最新のヴァージョンと言えるだろう。」 岩波『哲学思想事典』P369頁 (以上『近代化』中【モダンとポストモダン】より)
「パラダイム〔英〕paradigm 本来はギリシア語で、模範例、範型、モデル、教訓などを意味するパラデイグマ(paradeigma)に由来する。(略)(14) 組織真宗学
現代思想の頻用語として定着したのは、科学史家クーンが『科学革命の構造』〔1962〕で用い始め、科学史家や科学哲学者らによって広く使用されることになったからであるといってよい。近年では原義からはずれて濫用されるまでになっている。」 岩波『哲学・思想事典』P1286。つまりわたしが濫用しているのかもしれない。
「パラダイム 範例などの意味をもつパラダイムなる語をT.S.クーンは『科学革命の構造』(1962年)で科学論の用語として用いた。以来、この語は自然科学から社会科学や哲学、思想の領域でも多用されている。
しかしクーンはパラダイムを「ある期間を通して科学研究者の集団に問題や解法のモデルを提供する普遍的に認められた科学的成果(achievement)の意味で用いている。さらにこの概念により彼は欧米で支配的な科学哲学の科学観を批判し、また社会科学や心理学で基本問題についての論争が絶えぬのに自然科学でそうではないのはなぜかを探りえたと述べている。
支配的な科学哲学であるR・カルナップらの論理実証主義やK.R.ポパーの批判的合理主義は、科学の発展を科学的真理が次々に積み重ねられる単線的、累積的な過程と考え、また、科学と非科学を区別する基準を論理的に確立しようとする。それに対しクーン精力的な科学史の研究により、科学者にとっては共通の具体的な科学の成果が基本的単位をなしていることを見出しパラダイムとして概念化した。しかしその多義性、曖昧さが批判され、彼はのちにこれを専門母体(disciplinary matrix)といいかえ、一方で科学者集団に共有されている信念や価値、技法などの全体、他方でモデルや例題の具体的な見本例(exemplars)の二成分を指摘した。
クーンによればパラダイムの成立が一つの分野を科学とよぶ最も明確な基準である。さらに彼は科学の歴史を単なる累積的な過程ではなく、パラダイムが他のパラダイムに急激にとって替られる革命的、非連続的な局面をももつという科学革命説を唱えた。パラダイムに支えられた科学は通常科学(normal science)とよばれるが、この通常科学の伝統と結び付いた活動に対し、伝統を覆し新しい前提や基礎を導くのが科学革命であり、通常科学と科学革命は貨幣の両面のような総補的関係にある。
このような彼の科学論自体が科学観における革命ともいえるが、彼はさらに、過去の科学研究をここに現在の視点から判断することをやめ、各時代の枠組に即し整合性を考察するアプローチを唱え、それは科学論の歴史方法論的革命であるとしている。
パラダイム説に対し科学哲学からは、各々のパラダイムに沿った科学者の実際の活動がいずれも追認され規範であるかに見られている、あるいはさまざまの異なるパラダイムの優劣や当否を判定しうる普遍的な基準が否定されている、などの批判がある。しかし現代の科学哲学に限らずアリストテレスからデカルトを通じ、哲学や認識の方法として探求されたのがいわばあるべき方法のプログラムであるのに対し、とくにニュートン以来近代科学として顕著な歩みを進めた科学が現実にいかなる活動であるのか、社会学的な考察も含めその実像に迫る上でパラダイムの概念化がなされた意義は大きい。今日、科学が巨大技術との結合などで変質しつつあるにしても、その価値は否定しがたい。」『現代思想を読む事典』今村仁司編 講談社現代新書 P483−484
「真宗聖典学、浄土教理史などの研究に基づいて真宗の本質を明確に把捉領解することが要請される。しかもまたその真宗を現代に対して弁証する学であると言うことにおいて、先ずその歴史的反省として真宗教学史、真宗教団史が充分に顧みられるべきであると共に、また必然に現代の状況についての諸分野にわたる科学的な深い分析と把握が必要となってくるのである。」信楽峻麿「真宗学研究序説─その性格と方法論について─」 龍谷大学論集388 1969.2.
組織真宗学はキリスト教で行われている「組織神学」に近い学になると思われる。組織神学は総合的な神学を社会の倫理に絡めて問うものであるが、倫理の出発点を絶対の真実である『聖書』の文言に限定しているので、「真宗」で同様のことを行うのには非常な困難が伴うと思われる。だが倫理の基準を実存的な信者の内面に求めることが可能であるならば、「真宗」にも組織真宗学は十分可能な学となる。だがその際には戦時教学に於いて陥った如き精神的内面世界を「無」や「即」などに還元する事態は避けた方がよいだろう。個個の事物の全てを繋ごうとするのは危険であるし、単純に虚偽でもある。
(15) 松尾宣昭「獲信者の言葉」龍谷大学論集 452 1998.7.P5
(16) 浄土真宗の教義の神髄は恐らく時間の始まりと終わりとをも超越する、四次元的な真理であり、三次元が四次元的に歪んだ宇宙という世界の中で汲汲としている私に完全に「理解」可能であるとは思えない。「理解」を超越したものを「納得」するには、量が質に変わる、弁証法のような瞬間の到来を待つしかあるまいと思う。だがそれにはメタ・レベルでの「求め」が不可欠である。