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★ はじめに ★ 以下の論は、2001年7月18日の日記 (ココ) を焼き直したモノです。日記では「もう別立てでは書きません」って言ってるけど、コトバ足らず・思慮不足・考察不足・範囲限定しすぎって面が強いってことに気づいたので、また書いてます。不要な論かもしれませんが、佐倉氏の反論にダマされそうになったことのある方や、今だに佐倉氏の論が論理明晰意味明瞭かつ論理的だと誤解されてる方がもしあったら、読んでみてください。 わたしの論には傾向的に手前勝手であったり独りよがりであったり、論理に拘泥するあまりある種の感情を結果的に排斥してしまっていたりという問題のあることもありますが、しかし何かが「ぴたっ」とハマった時には「もうイヤ!」って言って逃げ出したくなるくらいに論理的ですから、以上のような方に読んでいただければ、わたしの論に納得がいかなくとも、少なくとも、「佐倉氏の論は論理的である」なんて愚鈍な思い込みをそのままで放置することはなくなる、‥‥そういう手伝いみたいなことはわたしの論でも出来るんじゃないかと思ってます。 それでは、以下の論をお楽しみ下さい。そして、楽しんだ方は、体細胞由来ヒトクローン個体という存在に思いを馳せ、彼らとどのように接するべきなのか (彼(彼女)を作るか作らないか、作ろうとしてる不妊症の夫婦とどう接するべきなのか、作ろうとしてる医療技術関係者とどう接するべきなのか、論理的にそれを後押しする輩とどう接するべきなのか、論理的にそれに異を唱える輩とどう接するべきなのか、非論理的にそれを後押しする輩とどう接するべきなのか、非論理的にそれに異を唱える輩とどう接するべきなのか、‥‥等々の選択肢を内包したモノをも含む概念が「彼らとどのように接するべきなのか」です) について具体的・積極的に考えてみてください。体を動かしたくなるかどうかは別問題として、ちょっとでもコレについて考えてしまったのなら、無茶な机上の空論を吐いて害を為すより、実際の世界を理解したり、実際の技術を知ったり、実際の欲求を知ったりして、それに対して働きかけたり賛同したり異を唱えたりできる論や気持ちについて考えていった方が良いと、わたしは思います。 ではでは。どうぞ。小説じゃないから「はじめに」があっても良いですよね。 |
1.クローン人間は犠牲者?
体細胞由来ヒトクローンを製造することには反対を表明しているわたしですが、そのような技術によって、わたしは彼(女)を犠牲者と考えるのですが、体細胞由来ヒトクローンがこの世に生を受けた場合、彼(女)に対する態度は佐倉さまもわたしも全く同一(積極的受容)なのです・・・。「彼(女)を犠牲者と考える」ことを簡単に考えられているようですが、誰かを犠牲者と考えることは、誰かを犯罪人と考えることです。たいした根拠もないのに、クローン人間を犠牲者と決めつけるのは、無実の人間を犯罪人扱いすることになります。 いったい何が犯罪なのでしょうか。「生んでくれ」と子どもが頼みもしないのに親が生んだからでしょうか。それだったら、クローンの子であろうとそうでなかろうとみんな同じことです。今までとは違った方法で子どもが産まれるからでしょうか。それだったら、今までになかった新しいことを始める行為、変革を目指す行為はすべて犯罪になります。無責任?むしろ、欲しくもないのに勝手に「できちゃった」方がよほど無責任だと思います。セックスの結果できた胎児や幼児が、毎日毎日世界中のどこかで、親自身の手によってその新しい生命を奪われています。クローンかセックスかというところで、責任・無責任を判断することはできません。責任・無責任の判断は、親がその子をどのように育てるかによってのみできる判断だと思います。
一般に、生命を傷つけたり、生命を奪うことは、どの社会において犯罪と見なされていますが、生命を産み、生命を育てる行為は、称賛されこそすれ、犯罪と見なされていません。
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1.
犠牲者についてもっとゆるやかに考えることが佐倉氏には出来ないのだろうか。
「犯罪(佐倉氏7月15日)」というのは、あまりに法的なコトバであるとわたしは考える。「犯罪(佐倉氏7月15日)」と言った瞬間に、人間が為した何らかの行為は法によって裁かれる対象となる、あるいは対象となるべきモノとなるのではないだろうか。犠牲者と言われていきなり「犯罪人(佐倉氏7月15日)」を想定するのは、あまりに法に則りすぎているだろう。
犯罪である・ないに拘わらず、人間の行為は何かにつけ犠牲者を生みだしてしまうのではないのか。わたしはそう考え、体細胞由来ヒトクローン個体を犠牲者だと思うと述べたのだ。
そして、完全に法に則ると言うのなら、現在この国では体細胞由来ヒトクローン個体の製造は禁止されているわけで、つまりそれは佐倉氏の言う意味での(というかわたしが想定した意味での佐倉氏の言う)「犯罪(佐倉氏7月15日)」に完全になってしまうわけだ。
めでたしめでたし。佐倉氏は体細胞由来ヒトクローン個体は犠牲者ではないと主張する論の中で、実は彼(彼女)が「犯罪(佐倉氏7月15日)」の犠牲者であることを証明してくれている(‥‥とは言え、佐倉氏が何をしたいのか、わたしにはちょっとわからない)。
また、わたしはクローンを作る人間の責任を問題にしてるのであって、佐倉氏のように「欲しくもないのに勝手に「できちゃった」方がよほど無責任だと思います。(佐倉氏7月15日)」などと言って“どっちがより無責任か”を問題にしてるわけでは全然ない。以前、佐倉氏には“謎解きを装って一人で勝手に盛り上がるな”という内容の忠告をしたが、一人で勝手に怒って盛り上がるのもやめた方が良いと思う。
また、「責任・無責任の判断は、親がその子をどのように育てるかによってのみできる判断だと思います。(佐倉氏7月15日)」
とのことだが、ではそれと「「できちゃった」方がよほど無責任だと思います。(佐倉氏7月15日)」との関係性は一体どうなっているのか。自分が主張したことを次の瞬間に否定し尽くそうとしてどうしようというのだ。
まったく、本当に本当に、佐倉氏の論は論理のない論である。こんな顕著な自家撞着を起こす「論者」がいるのだなぁ。
2.
「一般に、生命を傷つけたり、生命を奪うことは、どの社会において犯罪と見なされていますが、生命を産み、生命を育てる行為は、称賛されこそすれ、犯罪と見なされていません。(佐倉氏7月15日)」
とのことだが、だからどうだと言うのか。では佐倉氏はヒトと他の動物とでキメラを作り育てる行為をも「生命を産み、生命を育てる行為(佐倉氏7月15日)」であるという理由から、大賛成で称賛しまくるのだろうか。‥‥恐らくそうなのだろう。わたしとは価値観が違いすぎる。
もしそうだと言うのなら、それは一体何故なのか。もしそうでないと言うのなら、それは一体なぜなのか。自分の抱えている「ドグマ」をもう少し真摯に見つめてはどうかと思う。
3.
外形的なモノの指摘だが、佐倉氏が引用したこの部分は、わたしが佐倉氏に出したメール(HTMLファイルを添付)の最後の部分である。この部分への反論をいちばん先頭に持ってきたということは、恐らく、佐倉氏は佐倉氏のこの反論が最もインパクトのあるものだと誤解しているのだろう。それがこのような内容では後の論に期待できようはずもない。佐倉氏は議論がしたいのでもディベートがしたいのでもなんでもなく、ただただ手前勝手な思い込みをネットで世界中に向かって披瀝するだけで、それへの他人の意見を受け取るという行為を欲さず、異を唱える人間の論に非論理的な難癖をつけたい、言ってみればただ単に勝ちたいだけなのだ、しかも駄々っ子レベルで。この反論をいちばん先頭に持ってきたことで、佐倉氏はそれを強く証明したことになっている。
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2.おまえも偏見者ではないか?
わたしは自分が偏見者であることを自覚しているつもりです。だれでも偏見を持たない人はいないでしょう。しかし、「おまえは泥棒である」と同じ泥棒仲間から告発されたからといって、それで本人が泥棒でなくなるわけではありませんし、また、どの偏見もみな同じというわけでもありません。「おまえも偏見者ではないか」という言い訳で、クローン反対者が偏見者でなくなるわけではなく、その特有な偏見は、見てみないふりをするわけにはいきません。なぜなら、人を犯罪者呼ばわりするのには、よほどの根拠がなければならないからです。 わたしたちの社会では、行われた行為が犯罪かどうかわからないのに人を犯罪人呼ばわりするのは悪と見なされています。その司法システムが依って立つ原理は、「無罪であることが立証されなければ許さない」という原理ではなく、「有罪であることが立証できないかぎり罰しない」という原理の上に成り立っています。
クローン反対論は、行われた行為が犯罪かどうかわからないのに人を犯罪人呼ばわりする非倫理的行為です。
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佐倉氏がわざわざ太字で書いた内容は、佐倉氏は気づいていないようだが、佐倉氏の「1.クローン人間は犠牲者?(佐倉氏7月15日)」の中で解決している。「よほどの根拠(佐倉氏7月15日)」などないまま、アナーキーなものを目指しているのでない限り、佐倉氏は体細胞由来ヒトクローン個体を作り出すことが「犯罪(佐倉氏7月15日)」であることを知っているはずだからだ。「クローン反対論は、行われた行為が犯罪かどうかわからないのに人を犯罪人呼ばわりする非倫理的行為です。(佐倉氏7月15日)」と言われても困る。法的な観点から見れば、体細胞由来ヒトクローン個体を作り出す行為は歴とした「犯罪(佐倉氏7月15日)」である。
また、佐倉氏は「わたしは自分が偏見者であることを自覚しているつもりです。だれでも偏見を持たない人はいないでしょう。しかし、(佐倉氏7月15日)」と書いて以降、わたしが前回実施した指摘が自分にどう現れてるかについて思いを馳せているだろうか。いいえ、馳せていやしない。開き直ってそれでシマイと言うのでは反論に全然なっていない。佐倉氏はそれがわかっていないのだろうか。わたしのやってるのが十分な水準に達してると言いたいわけでは全然ないが、わたしはそれをしているのだ。だからわたしにそのような反論をしたいのなら、それと同等くらいの“自分への立ち返り”を経てから語り出さないといけないのではないだろうか。
他人にやいのやいの言うばかりで自分に何も課さないでいて良いのだろうか。わたしは、それはよくないと考えるのだが。やはりわたしと佐倉氏とは依って立つ価値観が違いすぎるようだ。わたしが考えるに、佐倉氏は無責任というよりも怠惰だと言うべき人物だ。
3.人を<生まれ>によって差別する
佐倉さまが誰かの体細胞に由来するヒトクローンであると仮定します。その佐倉さまはその事実を告知された時、どのような反応をするのでしょうか。それについて解答して頂きたく思います。また、そこから何か考えることがありましたら、それも聞かせていただきたく思います。まさに、ここに石田さんのクローン反対が、人をその<生き方>によって判断するのではなく、人をその<生まれ>によって判断する、人種差別のごとき偏見であることが明らかになっています。「黒人として生まれれば、いろいろな差別と貧困に遭遇し、混乱と葛藤をもたらすので、黒人は子どもを産むべきではない」というあの有名な白人の論理と同じです。差別心をもった白人は、もし自分が黒人として生まれたら、と考えただけで、石田さんのように「精神的に混乱を来し恐慌に陥る」のです。わたしは、自分がクローンであると言われても、別にどうということはありません。 もしわたしが、わたしの<生き方>によってではなく、わたしの<生まれ>によって差別される社会に生まれたら、わたしは苦悩を経験するかもしれません。しかし、それは、わたしをクローン(あるいは黒人やユダヤ人)として生んだ親の責任なのでしょうか、それとも、人間をその<生き方>によってではなく、<生まれ>によって差別する社会の責任なのでしょうか。
まことに恐ろしいのは、人を<生まれ>によって差別する社会の偏見だと思います。もしわたしたちの社会が、クローンだから、黒人だから、ユダヤ人だからというふうに、人を<生まれ>によって差別するような偏見者がひとりもいない健全な社会であれば、クローンだから、黒人だから、ユダヤ人だからといって苦悩する理由は何一つありません。クローン人間に対する差別心をなくせば、石田さんの「精神的に混乱を来し恐慌に陥る」病はただちに治る種類のものです。
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わたしの論は、体細胞由来ヒトクローン個体として生まれてくる人間の気持ちを、生まれてくる人間の立場を想像して、わたしの狭い狭いココロなりにそこから問題にしているのであって、その人を生まれによって差別しているわけでも差別しようとしているわけでも全然ない。
佐倉氏は「自分がクローンであると言われても、別にどうということはありません。(佐倉氏7月15日)」と言うが、わたしは前回のメールでわたしが混乱を経てたくましくなることを述べ、しかしそのように感覚することを他の一切の人間に要請するのは如何なものか、認められないのではないか、という意見を述べたのだ。差別などなくとも、わたしは、体細胞由来ヒトクローン個体として生まれた自分の出生に衝撃を受けるのだ。わたしが衝撃を受けるのは、佐倉氏の言う白人のように自分が差別されるかもしれないと考える故ではないのだ。だから佐倉氏が差別論を持ち出してわたしに反論しようとするのは、わたしに対して何らの意味を為さない行為なのだ。わたしはそれを論理的に証明して見せているのに、佐倉氏は非論理的な言辞を駆使して“いいや違う絶対に違う”と言っているに過ぎない。
佐倉氏はつながらないモノを無理につなげたと勘違いして“ホラつながった”と主張し続けるばかりで、わたしの問や指摘を一切受け取らない。受け取るつもり・受け取って自分に変化をもたらそうという気持ちが一切ないのなら、自分の論を披瀝することで他人に意見を求めないで欲しい。
4.クローン反対者の問題はクローンではない
問題にすべきは、中心に据えられた事柄、クローンです。なお、このクローンは双子ではありません。二人とも双子は問題でないと考えていますから。また、なぜわたしが双子は問題にならないと考えているのかは4月に既に示しました。わたしが問題にしているのは、体細胞由来ヒトクローンです。 だから、石田さんが反対されているものはクローンとは何の関係もないのです。石田さんは、クローン(同じ遺伝子を持つ人間を誕生させること)ではなく、人間が人為的に生命を作るという行為に反対されているのです。 もし「体細胞に由来する」人間がクローンでなかったらどうしますか。たとえば、遺伝子操作によって、親とは少し異なる遺伝子をもつ「体細胞に由来する」人間を人為的に誕生させたら、それはもうクローン(同じ遺伝子を持つ生命体)ではなくなるので、石田さんは反対しなくなるのでしょうか。そうではないでしょう?やっぱり反対するでしょう? クローンであっても(受精卵に由来するクローンには)反対せず、クローンでなくても(「体細胞由来する」人間を人為的に誕生させることには)反対するとしたら、石田さんが反対されている「体細胞由来のヒトクローン」問題の本質は、そのクローン性(新しい生命が同じ遺伝子を持つこと)にあるのではなく、その人為性(その生命が人為的に誕生させられること)にあるのです。 つまり、「問題にすべきは、中心に据えられた事柄、クローンです」という石田さんの思い込みは間違っているのです。石田さんはまだ、 クローン問題という大きな問題があり、それは受精卵クローンと体細胞クローンの二つの小さな問題に分けられるという問題の枠組みを考えておられ、ご自分はクローン問題の中のある特殊な事態(体細胞に由来するクローン)だけに反対しているのだ、と考えておられるのです。しかし、すでに述べたように、(体細胞に由来する人間でさえあれば)クローンでなくても反対するとなれば、この問題はより大きな枠組みで見直さなければなりません。
しかし、そうすると、石田さんの取り上げられている問題が、実は、<クローン>とは何の関係もなく、<人為による生命の創造>であることが明らかになってしまいます。石田さんは、意識的にか無意識的にか、そのことを認めたくないのでしょう。それを認めることは、クローン反対理由が宗教的なものであることを認めることになるからです。
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わたしが別のモノに反対してるのであっても、その「反対!」という立場から体細胞由来人為的ヒトクローン個体の製造にも反対しているのだとすれば、体細胞由来人為的ヒトクローン個体の製造について反対しているのは事実であることになる。なぜ佐倉氏はその現実の実際の事実のカタチを問題にしてくれないのだろうか。
そして佐倉氏は自分の抱える「ドグマ」をまったく真摯に見つめようとしないままである。
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5.現代の魔女狩り
クローン反対者の反対しているものが、クローン性ではなく、人為性であることが明らかになると、その反対の根拠が、人間の生命誕生を、人間が踏み込むことのできない神聖なものとする、なんらかの宗教的ドグマであると言わねばなりません。人間が生命を人為的に創ってはいけない理由など一般的な倫理にはないからです。一般的な倫理に従えば、すでに述べたように、生命を傷つけたり、生命を奪うことは、犯罪と見なされていますが、生命を産み、生命を育てる行為は、むしろ称賛されているからです。 人がどんな宗教的ドグマを持とうが、それはその人の自由です。そして、その宗教的ドグマを根拠に、クローンに反対するのも自由です。例えば、ヴァチカンはいち早く、カトリックの教義に則って、クローンニングを「人間が神の領域に踏み込むもの」として批判する立場を明らかにしました。わたしはその率直な姿勢に敬意を払うものです。 しかし、その批判は、同じドグマをもつ仲間の信者の間だけに留めるべきものであって、同じ信念を共有しない一般社会にまでもそれを押し広げて、人を犯罪者扱いするのは、「現代の魔女狩り」とでもいえる行為だと思います。 何度も繰り返しますように、石田さんがクローンをつくりたくなければつくらなければよいのです。しかし、それを望む他人の希望を妨げる権利は、石田さんにはありません。
民主的で自由な社会を望むなら、誰もが納得する理由がないかぎり、他人の希望を妨げるべきではない。 |
笑止(^▽^)。わたしの書いたものを読まずに反論したつもりにならないで欲しい。何か意見をものし、それを他人に読ませ、それへの意見を受け取るという体裁を選択したのなら、それを完遂すべきである。佐倉氏の態度は怠惰にすぎる。
また、ドーキンスの引用だが、これは不可能だ。ドーキンスのようなやり方で「民主的で自由な社会を望むなら」、それは実現しないとわたしは考える。かつ、民主的で自由な、そしてもちろん誰もが責任を発揮できる社会を望むなら、「誰もが納得する理由」などなくとも、他人の希望や自分の希望は妨げられることがあって然りであるとわたしは考える。
そして、それだけが全てではないが、法に依るなら、体細胞由来ヒトクローン個体の製造は禁止される。佐倉氏がそれを嫌がるのなら、佐倉氏はそう主張しているのだから、「誰もが納得する理由」を提示して法を改変する運動をし、完遂し、自分の主張を現実に実現できるようにして、それから製造しなくてはならない。
| どれだけコトバを駆使しようと、佐倉氏は結局“やりたいんだからやっちゃえ”しか言ってないのだ。表面的な論理性にダマされてはいけない。なぜなら、佐倉氏の体細胞由来ヒトクローン個体製造賛成に関する一連の“論”を逐一読んでいくと、佐倉氏の論が非論理的であることは、かくも鮮やかに判明するのだから。 |
佐倉氏とは異なり本気で考えている人は“やりたいんだからやっちゃえ”では他人が納得しないことを知っているから、だから自分の“作りたい”という感情を裏付けるための論理を欲して、そして頑張っているのだ。つまり、体細胞由来ヒトクローン個体の製造を本気で考えている人が佐倉氏と共闘するとは考えにくい。
わたしが議論をしたいのは、佐倉氏のように怠惰な人とではない、というか、佐倉氏はこの問題に関しては非論理的な論しか吐かず、かつ他人の意見を受け取ろうとしないので、議論などできようはずもない。わたしが議論をしたいのは、体細胞由来ヒトクローン製造肯定論者である。つまり、本来の意味での“論者”、議論の出来る人である。
よって、佐倉氏がこのままの態度を堅持するのなら、わたしは今後一切佐倉氏と議論しない。というか、できない。
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★ おわりに ★ 本当に、どうしようもないなあ。 没没没没論理の人と「議論あそび」をしてられるほどわたしはヒマじゃないのだ。馬鹿なことに首を突っ込んでしまったよ。もう、こんな馬鹿なことしないもんね。‥‥と言いつつ、表面的な論理性ってのにはわたししょっちゅうダマされてしまうので、あまり信用しないでください。きっとまたやるんじゃないかとわたし自身疑ってるから。人間の性質はなかなか変わらないよね。しかし人間は生まれるし、成長するし、老いるし、死ぬし、‥‥つまりこの世は「無常」なのです。悲しいことでもあるし、喜ばしいことでもある、と思う。 では。読んでくれてありがとうです。 |