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このファイルは、 |
こんにちは、佐倉さま。いしだです。反論なさっていただいているのに気付かずに長い時間を過ごしてしまいました。申しわけありません。
できましたら、反論を掲載されたことをメールでお伝えいただきたかったです。
まず、議論の前提を示させていただきます。
わたしに提示できるのは、その時その時のわたしに可能な最良の仮説です。わたしの中には「成体の体細胞に由来するヒトクローンの製造を認めるべきではないのではないか?」という根拠不明で素朴な感情があります。わたしはその素朴な感情を説明するために・その感情を理解していただくために・その感情を他人にも分かち合っていただきたいと欲しているために、様々な論理を持ち出すのです。
これは「成体の体細胞に由来するヒトクローン」について議論するときに限った態度ではありません。他の問題を考えるときにも、わたしはこのように考えて思考し、議論しようと努めております。
ですから、わたしが論理を構築して「何々だから○○である」と言い、そしてそれが今回の佐倉さまからいただいた反論のように(?表面的に?)論破されてしまったら、わたしはわたしの素朴な感情を、それまで通りの論理を補完したり、新たな論理を持ち出したりして、脆弱ではないものによりかかれるようにしようと試みます。
「論拠」的なものが変化した場合には、今までのそれのどこに誤りがあったと考えるのか、いただいた指摘のどれがそれに気づかせてくれたのか、そしていただいた指摘のどの部分に共鳴するのか、新たな「論拠」的なものがどのようなものなのかについて、その都度明らかにしつつ主張を展開いたします。
わたしは、論理を根拠にしてその上に感情をのせるのではなく、感情を中心に据え、その感情がどこから来ていてそれを説明するために必要な論理は何かを探る、という方向で議論をいたします。一つの論理だけを論拠とすることはいたしません。
何か ずるい ようなものを感じられるかもわかりませんが、現時点のわたしは、恐らくこれがわたしの取りうる最良の方法だと考えております。
1.どうして双子を糾弾しないの?
どこかの誰かが、もしヒトクローンを完成させてしまったのなら、わたしは、その行為者を糾弾します。(これはほぼ断言できると思います。)ですが、その行為者の行為の結果として生まれてきたヒトクローンを差別するつもりは、今のところありません ヒトクローン(一卵性双生児)はすでにたくさん存在しており、したがって、「ヒトクローンを完成させてしまった・・・行為者」もこの世には沢山存在しています。 一卵性双生児のクローンは、まだできたての一つの受精卵が、勝手(偶然?)に細胞分裂して、自らのクローンをつくることによってできるものです。人間は、受精卵のときには自分のクローンをつくってもよい(糾弾しない)が、成人になってからは自分のクローンをつくってはいけない(糾弾する)という主張には、論理的な一貫性がありません。 石田さんの議論にしたがえば、双子の一方(あるいは、それを許す自然の働き)を「糾弾」しなければなりません。彼(女)は受精卵の時に、自分と同じ遺伝子を持つコピー(すなわちクローン)をつくったのですから。
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双子もヒトクローンだとのご指摘、ごもっともです。言葉足らずで失礼いたしました。
前回のメールでわたしが連呼していた「ヒトクローン」は、ほぼ全て「成体の体細胞に由来するヒトクローン」のみを指していました。わたしは「成体の体細胞に由来するヒトクローン」を作り出す行為や、作り出す技術、その論理を糾弾していこうと思って書いていたのです。
そしてこの「糾弾」という言葉も不正確だということに気付きました。「糾弾」ではなく「問い続ける」か「疑義を呈する」に代えさせてください。
また、佐倉さまがおっしゃるような、
「一卵性双生児のクローンは、まだできたての一つの受精卵が、勝手(偶然?)に細胞分裂して、自らのクローンをつくることによってできるものです。」
という状態のヒトクローンは、わたしは「作る」のではなく「クローンができる」あるいは「一つだったモノが二つになる」ものだと考えています。「成体の体細胞に由来するヒトクローン」と、受精卵が分裂して完全な複製ができる双子とは、まったく違います。これらには「同じ遺伝子を持つ」という共通の特徴もありますが、根元において、全く異なる性質を持っているとわたしは考えております。ので、別のものとして考えさせていただきます。
また、体外受精卵を人為的に分裂させて子宮に着床させ、そのまま双子をさずかった家庭がありますが、それも「成体の体細胞に由来するヒトクローン」ではありませんので、今は問題にするつもりはありません。わたしが疑義を呈するのは、科学的で人為的な手段を用いて「体細胞に由来するヒトクローン」を製造しようとする一連の動きです。
2.自己決定
ヒトクローンとして生まれる人の「自己決定」は一体どうなるのでしょう。まったく考慮されていないのではないかと思います。 同じことはすべての生まれてくる子どもに関しても言えます。そのことには、ご自分でもすぐお気づきになられたようで、あわてて(?)、 人間はもともと、誰一人、自分で生まれたいと「自己決定」して生まれてきた存在ではありません。・・・ですが、これをヒトクローンに援用することは、わたしはできないと思います。なぜなら、そこにまったく本能も緊急性もないからです。というふうに、「自己決定」論理とはまったく別の、「本能」と「緊急性」の論理に、すぐにすり替えられてたようです。 しかし、自分が子どもやクローンが欲しくなかったら、自分の子どもやクローンを作らねばよいのであって、自分の好き嫌いの感情を他人に押し付けて、他人にまで子どもやクローンを作らせないように強制することこそ、「自己決定」論理にもっとも反する行為(個人の選択の自由を奪う悪)ではないでしょうか。
不妊治療の一種として認めてはどうか、という意見も一部にありますが、それは養子縁組という手段で解決すべきではないか、わたしはそう考えています。自分がそうしたいなら、そうすればよいでしょう。しかし、同じ選択を他人に押し付けるべきではありません。しかも、養子縁組という手段では解決できないのが、自分と血のつながった子孫を残そうとする、生命の最も根本的な性質です。 |
わたしはあわてていません。あわてていなかったことの根拠として、前回のわたしの発言の中から、もう少し前の箇所を引きます。
「全面的に賛成することの出来ない考え方ですが、「自己決定」という考え方があります。ヒトクローンの場合にわたしがその反対の根拠としているのは、全面的には賛成できない、この「自己決定」という考え方なのではないかと思います。」
あわてる必要がないくらい、自分の考えに自信がなかったんですね(汗)。語尾も「思います」になってますし。ですから、「すり替え」ているわけでもありません。全面的に依ることのできない「自己決定」に拠るだけでは根拠が薄弱だと判断し、他の理由を持ってきて自論を補完しようとしているに過ぎません。
しかしココも言葉足らず・思慮不足だったと思います。「また、」くらい書けばよかったと思います。それにその後で「これをヒトクローン反対の根拠にしています。」と言い切っていますし。
ともあれ、わたしが全面的に「自己決定」という考えに依るわけではないという立場を表明していた、あわててはいない、という指摘でした。
実は佐倉さまの返信を読む前に、わたし自身はわたし自身でそれなりに思索を展開しておりまして、「ヒトクローンに反対するために「自己決定」のみを根拠にすることはできない」という結論に到達しておりました。実際に何を論拠にすれば良いのかはまだわかっておりませんが。
しかし、2月の時点のわたしに提示できた「体細胞に由来するヒトクローン」を製造することに反対するための最良の仮説が「自己決定」を最大の論拠にしていたのは事実です。
2月にわたしが行ったようなやり方では「自己決定」を根拠にして「体細胞に由来するヒトクローン」を製造するのに反対することはできない、との指摘、ありがとうございました。この点につきましては、佐倉さまに感謝いたします。
とりあえず、現時点でのわたしは、「自己決定」を論拠にするのは無理があると考えております。理由は、佐倉さまと同様、そもそも「自己決定」して生まれてくる人間など皆無であるということ、芥川龍之介の『河童』のようにはいかないということに気付いたからです。である以上、それを論拠とすることは出来ないと考えるからです。
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おことわり 2001/04/30(改変:2001/05/21)
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3.クローンを欲しがるのは本能ではない?
人間が子を為そうとするのは、 偶然によって望まぬ懐妊という事態もありますが、 基本的には本能だと思います。 不妊症などで人工授精を選択するのも、 本能と同じ方向の行為であるとわたしは思います。 ・・・ヒトクローンには、これらの、本能という性格も、緊急避難という性格も、 どちらも認められないとわたしは思います。何が本能で、何が本能ではないか、それを単なる個人的な感覚(たまたま石田さんが生まれそだった環境で無意識的に教えられてきたにすぎない非合理的感情)で勝手に決めてもらっては困ります。子どもを欲しがるのは本能であるが、クローンを欲しがるのが本能ではない、その主張の根拠、世界中の人が納得するような客観的な根拠を示してください。そうでなければ、異性愛は本能であるが、同性愛は本能ではない、といった<偏見者の議論>と同じです。 子どもを欲しいと願う人が子どもを作ろうとするように、クローンがほしいと願う人がクローンを作ろうとしているだけなのです。欲するものを得ようとすることほど自然な行為はありません。ましてや、自分と血のつながった子孫を残そうとするのは、人間だけではなく、すべての生物のもっとも基本的な性質だからです。 そもそも遺伝子の特性とは何なのだろうか。自己複製子だということがその答えである。物理学の法則は、到達し得る全宇宙に妥当すると見なされている。生物学には、これに相当する普遍的妥当性をもちそうな原理があるのだろうか。宇宙飛行士がかなたの惑星に到達して生物を探せば、われわれには想像のつかないような奇妙な、奇怪な生物に遭遇するかもしれない。しかし、どこに住んでいようが、どんな化学的基礎を持って生きていようが、あらゆる生物に必ず妥当するようなものが何かないのだろうか。たとえ炭素の代りに珪素を、あるいは水の代りにアンモニアを利用する科学的しくみをもつ生物が存在したとしても、またたとえマイナス百度でゆだって死んでしまう生物が発見されても、さらに、たとえ化学反応に一切頼らず、電子反響回路を基礎とした生物が見つかったとしても、なおこれらすべての生物に妥当する一般原理はないものだろうか。むろん私はその答えなど知らない。しかし、もし何かに賭けなければならないのであれば、私はある基本原理に自分のお金を賭けるだろう。すべての生物は、自己複製を行う実体の生存率の差に基づいて進化する、というのがその原理である。生物にもっとも根本的な原理(本能)というものがあるとすれば、それは、遺伝子が自己を複製するのにもっとも都合のよい個体を進化させ繁殖させるということだ、というわけです。それはあたらしい意見ではありません。生物はすべて自分と血のつながった子孫を残そうとする、という私たちの常識を現代生物学的に表現したものにすぎません。 自然界の生物は、基本的に、有性生殖(セックス)か無性生殖(クローン)の二つの方法によって繁殖(遺伝子の自己複製)しています。したがって、クローンという繁殖方法は自然の生物の中にはあふれています。 たとえば、バクテリアもアメーバもゾウリムシも、その繁殖は有性生殖(セックス)によるものではなく、無性生殖(一つの個体が二つに分裂してコピーを作ること=クローン)によるものです。 人間も、進化論によれば、もともと、有性生殖ではなく、アメーバやゾウリムシのように、無性生殖(クローン)によって繁殖していたのです。全ての生物はかつては単細胞生物であったからです。生命が地球上に現われたのがおよそ35億年ほど前、そして多細胞生物が地球に登場するようになったのはわずか10億年前ですから、人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長いと言えるでしょう。自然界の生物は、基本的に、有性生殖(セックス)か無性生殖(クローン)の二つの方法によって繁殖していますが、生物によっては、そのどちらも使う生物もあります。 現在の人間も、厳密に言えば、有性生殖(セックス)と無性生殖(有性生殖によって生まれた一つの受精卵が二つに分裂してコピーを作ること=双子=クローン)の二つの方法によって繁殖しています。人間クローン技術というのは、後者を、偶然にまかせる(「できちゃった」)のではなく、意図的に、選択的に、いつでも、行えることが出きるようにすることです。すでに自然にあることを人工的にも可能とすることです。 夫婦のなかで不妊でこどもができないのは全体のほぼ15%にもなります。さらにこれから増え続けるであろう、同性愛者のカップルや独身主義者を含めれば、人間クローンが技術的に可能となりさえすれば、有性生殖(セックス)とは別の方法で、自分と血のつながった子孫を残そうとする人々はますます増えることでしょう。わたしはそのどれでもありませんが、かれらの選択の自由を尊重するものです。
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「何が本能で、何が本能ではないか、それを単なる個人的な感覚(たまたま石田さんが生まれそだった環境で無意識的に教えられてきたにすぎない非合理的感情)で勝手に決めてもらっては困ります。」
ご指摘ありがとうございます。「教えられてきた」を「教えられたり学んだりしてきた」に変更することが許されるならば、この指摘をいただいたことについても佐倉さまに感謝いたします。
しかし、佐倉さまは、体細胞に由来するヒトクローンの製造と、セックスすることによって生まれて来る子どもが双子として生まれてくることとを同じ現象と捉えていらっしゃるのですね。
わたしは、それは間違いだと考えています。
◆ 成体の体細胞に由来しているか否か
@.禅の公案に「打ち鳴らした右手と左手。どちらが鳴ったのか?」という内容のものがあります。公案の公式な解答(と言うのかどうかは不明)をわたしは知りませんが、冷静に考えれば、鳴ったのは両方の手であり、一方の手ではあり得ません。「拍手」は二つの手があって初めて成立する現象です。
わたしは、双子は理念的にこれと同様だと考えています。
双子は、一つの受精卵に由来しています。そして「どちらがどちらの複製である」とは言えません。「どちらかがどちらかを作った」とも言えません。双子はたった一つの受精卵がそれぞれ綺麗に1/2になって生じます。成体となった双子の一方が今一方の根拠であるわけではありません。同時に、「双子がいる。どちらがどちらの複製か?」と問うのも無意味いです。なぜなら、どちらも、どちらかの複製ではないからです。
双子は、まるでコピーのように見えますが、それは表面的な見かけにすぎません。コピーなのではなく、分裂したのです。
A.それに対し、「成体の体細胞に由来するヒトクローン」は、どちらがオリジナルでどちらがクローンなのかがはっきりしています。クローンはオリジナルのコピーですが、オリジナルがクローンのコピーであることはあり得ません。「成体の体細胞に由来するヒトクローン」は、打ちならした両手が鳴ったように誕生するわけではありません。
「成体の体細胞に由来するヒトクローン」の物理的な根拠は成体の体細胞です。成体がなければ成体の体細胞はあり得ず、「成体の体細胞に由来するヒトクローン」はあり得ません。
もちろん、成体の体細胞が根拠としているのも双子と同様、究極的にはたった一つの受精卵と言えるでしょう。しかし成体の体細胞は受精直後から特殊細胞への分化を開始します。特殊化した60兆個の細胞が体細胞として個体に統合されている、それが成体の体細胞です。
受精卵が二つに分裂した状態から生まれる双子と、受精卵が究極まで分裂をくり返し、成体となった状態から体細胞の一つを取り出して更に分裂させて一個体を得ようとする「成体の体細胞に由来するヒトクローン」とは、根拠とする細胞の状態がまったく違います。
◆もともとの受精卵分裂に焦点を当て、たった一つの細胞の分裂がどのようにして二つの個体になるのか、その細胞の数を比較しますと、双子の場合は1対1、つまり2です。減数分裂によって細胞年齢がゼロにリセットされた精細胞と卵細胞が出会い受精した受精卵という細胞を根拠とした分裂が一度あり、それによって生じた二つの細胞それぞれが成体になる歩みを開始します。
対し、成体の体細胞に由来するヒトクローンの場合は60兆マイナス1対1です。受精直後の分裂が一度あり、それによって生じた二つの細胞それぞれが成体になる歩みを開始するのではなく、そこで生じた二つの細胞は、一つの成体になる歩みを開始します。そして成体化が完了し、有機的に結合された60兆個の細胞ができます。体細胞に由来するヒトクローンが製造されるのはそれからです。
ですから、オリジナルとオリジナルの体細胞に由来するヒトクローンとの関係と、双子の関係とを同じものとして扱うのは、細胞に焦点を当てて考えると完全に間違いです。
細胞の中には核しかないわけではありません。細胞質という、細胞膜に囲まれ、かつ核を囲むモノがあります。その中の物質やミトコンドリアが核や核の分裂、細胞のその後の成長に影響を与えないわけがありません。ですから、核だけに焦点を凝縮するのは危険であるとわたしは考えます。
(遺伝子に焦点を当てると同じなのですが、生物は遺伝子だけでできあがっているわけではありません。遺伝子を含んだ細胞でできあがっているのです。また、成体の体細胞に由来するヒトクローンを製造する場合、根拠とする体細胞の細胞年齢がゼロにリセットされることはあり得ません。どのような状態になるのかは不明ですが、クローンを作ろうとして体細胞を取り出す成体の年齢と同じ細胞年齢のヒトクローンが生じます。)
その点から見ましても、成体の体細胞に由来するヒトクローンを、時間的に後れて生じた双子と同じものとして扱うのは間違いです。
同様に、双子の一方の体細胞に由来するヒトクローンを製造する場合も、それを時間的に後れてきた三つ子と同じものとして扱うのは間違いです。
なぜなら、どちらも、細胞質に含まれる物質やミトコンドリアの成分がまったく異なっているからです。
◆佐倉さまは
「人間も、進化論によれば、もともと、有性生殖ではなく、アメーバやゾウリムシのように、無性生殖(クローン)によって繁殖していたのです。全ての生物はかつては単細胞生物であったからです。生命が地球上に現われたのがおよそ35億年ほど前、そして多細胞生物が地球に登場するようになったのはわずか10億年前ですから、人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長いと言えるでしょう。自然界の生物は、基本的に、有性生殖(セックス)か無性生殖(クローン)の二つの方法によって繁殖していますが、生物によっては、そのどちらも使う生物もあります。
「現在の人間も、厳密に言えば、有性生殖(セックス)と無性生殖(有性生殖によって生まれた一つの受精卵が二つに分裂してコピーを作ること=双子=クローン)の二つの方法によって繁殖しています。人間クローン技術というのは、後者を、偶然にまかせる(「できちゃった」)のではなく、意図的に、選択的に、いつでも、行えることが出きるようにすることです。すでに自然にあることを人工的にも可能とすることです。」
とおっしゃって、成体の体細胞に由来するヒトクローンを双子と同列の無性生殖ででもあるかのように扱っておられますが、わたしは以上のように、もし双子や成体の体細胞に由来するヒトクローンが無性生殖であると言い得るとしても、双子とは全く異なるタイプの無性生殖であると考えざるを得ません。ですからわたしは、佐倉さまのように、成体の体細胞に由来するヒトクローンを、双子ができるの「を、偶然にまかせる(「できちゃった」)のではなく、意図的に、選択的に、いつでも、行えることが出きるようにすることです。すでに自然にあることを人工的にも可能とすることです。」というふうに考えることは出来ません。まったく異なるものと捉えます。
佐倉さまのこの意見は、意見としては受け止めますが、科学的でも論理的でもない意見として受け止めさせていただきます。
とはいえ、ありがとうございます。佐倉さまにご指摘いただいて、自説の論理展開が良いだけねじまがっていることに気づかせていただきました。本当にありがとうございます。
また、「人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長いと言えるでしょう。」という言葉ですが、これが言葉足らずであることをぜひ指摘させてください。
なぜ言葉足らずであるかと言えば、人間は、旧人が発生してからこっち、いいえ、現在生きている人間が発生してからこっち、つまり「人間」と言える状態の人間が発生してからこっち、ずっと有性生殖で増殖してきたからです。中には双子以上の複数子が同時に誕生する例もありますが、そして人間が発生してからずっと双子は生まれてきているのでしょうけれど、そう考えましても、佐倉さまがおっしゃるように双子を無性生殖と捉えるとしても、無性生殖と有性生殖のどちらが長いとは言えません。
いえ、わたしが言いたいのはそういうことではありません。
地球に発生した生物全体の歴史を繙けば、無性生殖だけであった時代の方が、有性生殖をする生物が発生してからの時代よりも長いです。(当然です。無性生殖を行う生物は現在も元気に存在しているのですから。)
佐倉さまの「人間は無性生殖(クローン)で増殖していた時代の方がはるかに長いと言えるでしょう。」との言辞は、生物全体の歴史をそのまま人間の歴史ででもあるかのように捉えた間違った地点から発せられた間違った言辞であると考えられます。それを指摘させてください。
佐倉さまがおっしゃるとおり、成体の体細胞に由来するヒトクローンという手段を用いてまで子孫を残したいと考えるのは、本能「的」な欲求であるかもしれません。(何せ、わたしは前回のメールで人工授精や体外受精を本能的なモノと言っているのですから。人工的な手段を用いた本能「的」な欲求は他にも多数あると思います。)
おそらく、成体の体細胞に由来するヒトクローンという形態でも自分の遺伝子を残したいと考えるその欲求は、人間が科学を手に入れている時代においては本能「的」な欲求と言い得るのかもしれません。
しかし、その技術を受け容れると判断することは本能「的」な欲求なのでしょうか。そして、その技術を実際に運用することに発進命令を与える思想や見解は本能「的」なそれと言えるのでしょうか。
人は人それぞれに異なった見解を持ちます。「見解を持つ」のは、恐らく本能によるものなのでしょう。しかし、持った見解までを「本能」と呼ぶことができるのでしょうか。わたしは出来ないと考えています。
「成体の体細胞に由来するヒトクローン」を製造しようと考えるのは、見解です。欲求であるのかもしれませんが、それをするかどうか選ぶのは、見解です。見解である以上、それをそのまま「本能」と結びつけることはできないと考えられます。
佐倉さまはわたしに対し以下のようにおっしゃいました。
「何が本能で、何が本能ではないか、それを単なる個人的な感覚(たまたま石田さんが生まれそだった環境で無意識的に教えられてきたにすぎない非合理的感情)で勝手に決めてもらっては困ります。」
わたしはこの言葉に賛同いたします。そしてこの言葉を根拠にして佐倉さまの主張を窺いますに、佐倉さまの以下の主張の内容に疑義を呈さざるを得ません。
「欲するものを得ようとすることほど自然な行為はありません。ましてや、自分と血のつながった子孫を残そうとするのは、人間だけではなく、すべての生物のもっとも基本的な性質だからです。」
この主張の内容は、佐倉さまが佐倉さまの「個人的な感覚」を根拠にして考えられた「本能」のようなものを「基本的な性質」とおっしゃっている、ということなのではないでしょうか。
この部分では、佐倉さまはそれを「基本的な性質」と呼んでおられまして、「本能」と呼んではおられません。それは「本能」を特定化するに足る「世界中の人が納得するような客観的な根拠を示」すことが困難であると考えておられるからだと思います。
佐倉さまのおっしゃる「基本的な性質」というものをわたしなりに考えてみます。
佐倉さまは「自分と血のつながった子孫を残そうとするのは、人間だけではなく、すべての生物のもっとも基本的な性質」だとおっしゃいますが、それは本当に「基本的な性質」なのでしょうか。それは佐倉さまが規範的に考える「基本的な性質」に過ぎないのではないでしょうか。
「子孫を残そうとする」の内容ですが、それは「子孫を残そうと考える」と考えることもできます。
子孫など残したくないと考える人がいる以上、それを「基本的な性質」と言い切ることは出来ないのではないでしょうか。
また、「子孫を残そうという意図がないままにセックスをする」と考えることも出来ます。それは異性間に限られない行為であるわけですから、それを「基本的な性質」と考えることは困難です。
そして、もしそう考えない人がいて、そのような意図がないままに子孫を残さないタイプの、同性間でのセックスをする人がいるにも拘わらず、佐倉さまがそれを「基本的な性質」であると言えるとお考えであるのなら、わたくしが前回のメールで主張した「本能」を「基本的な性質」と言い換え、そうは考えない人がいても「基本的な性質」なのだとわたしが主張し、誰も手を触れられない聖域に囲い込むことも可能となってしまうのではないでしょうか。
佐倉さまは恐らく、わたしのそのような囲い込みを許さないのではないでしょうか。許すとしても、それはわたしが没論理な人間であると諦めてしまってからではないでしょうか。でなければ、わたしに「何が本能で、何が本能ではないか、それを単なる個人的な感覚(たまたま石田さんが生まれそだった環境で無意識的に教えられてきたにすぎない非合理的感情)で勝手に決めてもらっては困ります。」とは言わないと考えられます。
してみると、佐倉さまも、ご自分の規範的な見解に基づく主張を特権的な場所に囲い込もうとしない方が良いのではないでしょうか。
4.崇高な目的?
ヒトクローンを今まさに作ろうとしている人間が、佐倉さまの意見に賛同し、差別という悪癖から人類を解放するためという崇高な使命に燃えた地点からヒトクローンを作ろうとするわけではないと思いますので、佐倉さまの意見は、そのような人間に、利用され尽くすのではないかと危惧いたします。 人間は、毎日、毎時間、毎瞬間、世界中で、生み出されています。それら人間を生み出す一つ一つのセックスがどれほど「崇高な目的」を持ってなされているかわたしは知りませんが、それらセックス人たちの目的が、クローンを欲しいと願う人々の目的より、「崇高な目的」をもっていると判断する根拠があるとも思われません。 セックス人間は「崇高な目的」なくても生まれてもよいが、クローン人間は、たとえ「崇高な目的」があっても許せないというのは、まったくひどい偏見です。 わたしは「差別という悪癖から人類を解放するためという崇高な使命に燃えた地点からヒトクローンを作ろう」というのではありません。クローンを欲しいと願う人々の意見を聞けばわかるように、彼らの動機は、ふつうの親が子どもを欲しがるのと、まったく同じです。そして、原理的に、人間クローンを否定する客観的倫理的根拠はまったくありません。人間クローン技術は、生命を殺す行為ではなく、生命を作り、生命を育てる技術だからです。 石川さんが自分のクローンを欲しくないのなら、それは石川さんの勝手です。しかし、どうして他人に自分の価値観を押し付けるのですか。他人の選択の自由を否定する、そんな権利を石川さんはいったいどこから手に入れたのですか。
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佐倉さまは、「わたしは「差別という悪癖から人類を解放するためという崇高な使命に燃えた地点からヒトクローンを作ろう」というのではありません。」とおっしゃっていますが、ならば、そこから語り始めればよかったのではないでしょうか。
恐らく、ここの冒頭は「すり替え」ではないでしょうか。ご自分でやっておられるということは、すり替えに対して悪いイメージを持ってはおられないのでしょうか? であるならばなぜ「1.」でわたしに対してすり替えていると言って批判なされたのでしょうか? それとも、わたしのように「すり替えではない」とする根拠をお持ちなのでしょうか?
わたしは2000年10月31日付けの
「そういうわけで、クローン技術に反対することは、クローン人間を人間として認めない差別行為であり、その生きる権利を奪う人権蹂躙の行為であり、自らの宗教的信念を他者に押し付けて人間の自由を束縛しようとする不当な行為だ、とわたしは思っています。
「わたしは、日本人が世界中に先駆けて、この宗教的タブーに果敢に挑戦し、人類のあたらしい自由選択の道を開拓することを願っています。先進欧米諸国はいまでもこの宗教的(キリスト教的)因習を引きずっていますが、日本のクリスチャンの人口は幸いにも1%前後にすぎません。このことは、日本が人類をこの宗教的因習から解放する歴史的役割を担っているとも考えられます。」
という佐倉さまの論を読んで、佐倉さまが「差別という悪癖から人類を解放するためという崇高な使命」に燃えて、「成体の体細胞に由来するヒトクローン」を製造することに賛意を示しているのだと想像したのです。そこから出たのが、前回のメールでの「崇高な使命」という言葉でした。
前回のメールで、わたしは「差別という悪癖から人類を解放するためという崇高な使命」と言ったのであって、セックスの全てが崇高な使命に基づいて行われているとは一言も云っておりません。当然のことですが、「セックス人間は「崇高な目的」なくても生まれてもよいが、クローン人間は、たとえ「崇高な目的」があっても許せない」などとも一言も云っておりません。
そして、くり返しになりますが、わたしが前回「崇高な使命」と申しましたのは、佐倉さまがそう考えているようにわたしには思われた「差別という悪癖から人類を解放するためという崇高な使命」であったのです。
佐倉さまは、わたしのその主張を恐らく誤読なさって、わたしが「子孫を残す」ということを「崇高な使命」→「崇高な目的」に据えていると考えてしまわれたのではないでしょうか。そして反論なさったのではないでしょうか。しかし、みたびのくり返しになりますが、わたしはそのように言っておりません。
わたしは、佐倉さまが「差別という悪癖から人類を解放するためという崇高な使命」をもとにして「成体の体細胞に由来するヒトクローン」を製造することに賛意を示しているのだと想像してしまい、そしてそれ故に、そのような崇高な使命をもってそれをなそうと考えても、その崇高な使命は、そうではない、ただただ「成体の体細胞に由来するヒトクローン」を製造したがっている一部のマッドサイエンティストに利用されてしまうのではないか、と言ったのです。
わたしは、セックスによって子を授かること、人工授精や体外受精によって子を授かること、体細胞に由来するヒトクローン技術によって子を授かることの三者を、佐倉さまが考えておられるとわたしには考えられる「崇高」か否かの優劣ではかることはしません。佐倉さまにお任せいたします。
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5.まとめ
以上、石田さんが、人間クローンに反対される理由としてあげられた、「自己決定」の論議も、「本能」の論議も、人間クローンに反対する理由にはならず、むしろ、<人間クローンに対する非合理的反対>に反対する理由になると思われます。<人間クローンに対する非合理的反対>は人間の選択の自由を奪おうとするものであり、自らの血とつながった子孫を残そうとする第一の生命原理ともいえる、もっとも根本的な本能を否定しようとするものだからです。 人間クローンに反対する声は沢山ありますが、その根拠は一つも提示されていません。これからも提示されることはないでしょう。ここにあげられた<理由らしきもの>も、すべてセックス人間にも当てはまるものばかりです。このことから、だれでも納得できる倫理的な理由や合理的な理由があって人間クローン反対の声がおこっているのではなく、はじめから人間クローンに対する偏見的感情があって、あとから、それを無理やり正当化しようとしているにすぎないらしいことが明らかになります。 わたしは、宗教的理由以外に、人間クローンに反対する理屈付けはできないと思います。宗教とは関係のないところで、人間クローンに反対する理由を見つけようとされるので、いろいろな無理や矛盾が出てきているのだと思います。
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ここに主張されている「根本的な本能」については、「4.」でのわたしの反論をごらんください。佐倉さまは、ここでは「根本的な性質」ではなく「根本的な本能」とおっしゃっているのですね。方向的に同じですので、「根本的な性質」同様、わたしは「根本的な本能」という言葉にも疑義を呈します。
次に、「自らの血とつながった子孫」ですが、これは何でしょう。ご存知のことと思いますが、母胎と胎児の血管は胎盤で複雑に絡み合っていますが、血液的なつながりはありません。遺伝子的なつながりのことを比喩的におっしゃっているのですよね?
ならば、「成体の体細胞に由来するヒトクローン」が、成体とどのような遺伝子的なつながりを持っているのかが問題になります。
子孫を残そうとする意図があるかどうかはわかりませんが、セックスによって生まれる人間を考えてみます。その場合、生まれる子どもは減数分裂によって生じた精細胞と卵細胞という形式で、成体の遺伝情報をそれぞれ半分だけ受け継いでいます。
「成体の体細胞に由来するヒトクローン」の場合はどうでしょう。減数分裂的に受け継いでいると言うのは困難であるとわたしは考えます。まるまるそのままなのですから、他の言い方があるのではないかと考えます。どう言えばいいのかはわかりませんけれど。
そして、お言葉をお返しいたしますが、佐倉さまが「成体の体細胞に由来するヒトクローン」に賛成するための根拠としている、「双子と、「成体の体細胞に由来するヒトクローン」とは、同じである」という論理については、論破を完了いたしました。
前回メールでわたしが展開していた論を詳細に読むに、当時のわたしの目は多少曇っていましたが、佐倉さまの反論をいただきまして、少々は曇りが取れました。そしてそこから佐倉さまの論を検証いたしました結果、佐倉さまが抱えておられる根拠も、根拠とならないことをはっきりさせることができました。
「わたしは、宗教的理由以外に、人間クローンに反対する理屈付けはできないと思います。宗教とは関係のないところで、人間クローンに反対する理由を見つけようとされるので、いろいろな無理や矛盾が出てきているのだと思います。」
わたしは、そうは考えません。そうではない方法があると想像しています。現在はあまりに無根拠なのですが。
佐倉さまが佐倉さまの素朴な感情に基づいて論理を構築し、「成体の体細胞に由来するヒトクローン」の製造を容認しておられたように、わたしもそのように、わたしの素朴な感情に基づいて論理を構築し、そして「成体の体細胞に由来するヒトクローン」の製造に疑義を呈することは可能であると考えています。
わたしは特定の既成宗教に身を置いておりますが、世の中のすべての人間がわたしの宗教の信者であるわけではありませんので、少しでも多くの方に自分の論を納得していただくために(なぜそのような欲求がわたしのなかに存在するのか? 名利人師を求めているからでしょう)、わたしの宗教をいきなり根拠にして「成体の体細胞に由来するヒトクローン」の製造に反対するつもりは、今のところありません。
また、わたしの素朴な感情を佐倉さまが「偏見的感情」と言うのは過言です。
ガダマが指摘するように、人間は誰しもが先入見を持っています。わたしは先入見を持つことを恐れはしません。ただ、自分が携えている先入見を打破する契機に触れたのに、それを打破することを躊躇うこと、その契機に気付かずに先入見に固執してしまうことを怖れます。
また、わたしは「成体の体細胞に由来するヒトクローン」の製造には反対いたしますが、もし「成体の体細胞に由来するヒトクローン」が生まれたのなら、宣言するまでもないことですが、その個体を人間として認めます。製造に反対することと存在する人間を人間として認めることとは、別の問題であると考えています。
以上が、現在のわたしに導き出すことが可能な最良の仮説です。
自分以外みな師、という言葉がありますが、わたしの先入見を打破してくださる方は特に師に思えます(それ以外の方がなかなか師に思えないというのが非常に問題なのですが)。本当に本当にありがとうございます。歯に衣着せぬ論を展開なさる佐倉さまの態度は大好きです。成体の体細胞に由来するヒトクローンに関しては、恐らく佐倉さまとわたしの見解が重なることはないのかもわかりません。しかし、それぞれの見解を見つめ、相違点と共通点を明らかにし、互いの論の脆弱さを互いに指摘しあい、それぞれの素朴な感情に基づく論を補完し合うのは、意味のあることだと考えております。
では、失礼いたします。
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関連リンク 佐倉哲エッセイ集 新作紹介・更新紹介 |
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その中からも特に、クローン・生命をめぐる議論 タイトルをクリックすれば、 リンクした佐倉氏の各ページが別ファイルで展開します。 |
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石田は、Jun さんがメールをくださって初めて、佐倉氏が反論を掲載されていることを知りました。 (サボらずに巡回しないとダメですね。Jun さん、本当にありがとうございました。) キリスト教などに関連した研究が満載のページです。書体はちょっと変えちゃいました。 |