「脳死」――現状と課題――

00/09/28

石田智秀


1.発生

 朝鮮戦争(1950-53)当時に飛躍的に進歩した人工呼吸器が臨床に導入され(1953)、生きている兆候が心拍以外に見られず、かつ蘇生しない患者が発生し、従来の「三兆候死」(呼吸停止・心拍停止・瞳孔散大)では括りきれない新しい死の概念が誕生した。そのような患者には @各反射喪失 A自発呼吸停止 B瞳孔散大 C数日内の心停止 D解剖後の脳溶融 という共通性があった。発生当初の「脳死」は「三兆候死」を以て死を判定した後に判明するものであったから生きている人を「死んでいる」と言って殺す恐れは全くない。だが脳がアイデンティティの住処であることは様々な研究によって大まかにコンセンサスが得られている(だからと言って抹消神経の存在を無視するわけにもいかないが)ので、医学界はこのような脳不全・超昏睡状態(≒「脳死」?)を人間の死と見なして良いのではないかと判断した。それに対しローマ法王ピオ12世は「個々の死の確定は宗教上・倫理上の原則とは関係なく、医学の判断すべき問題である」とし(1957年)、超昏睡を死と見なす医者の判断を容認、これによって「脳死」は死だという図式が緩やかに発生した。
 また、「脳死(braindeath)」という言葉が初めて登場したのは1960年代後半である。



2.展開

 そのような身体からの臓器摘出が考慮され出したことから、心臓が停止する前に「脳死」を正確に判定する方法が問題になり、それと併せて倫理的な問題の考察・「脳死」判定基準の作成・殺人罪回避のための法整備などが先進各国で試みられ始めた。
 1967年12月に南アフリカで実施された世界初の心臓移植(黒人の心臓を白人へ)を経て、1968年8月に日本初の心臓移植(札幌医大 和田寿郎教授:のち、医者の暴走による殺人事件として社会的に認知されるに至る)が実施されるなど、先進各国で「脳死」身体からの心臓移植がブームとなったが、拒絶反応のためレシピエントが残らず死んだのでブームは急速に沈静化した。しかし1978年に免疫抑制剤シクロスポリンが臨床的に成功したことから、「脳死」身体からの心臓移植の動きは再び活性化し、それ以後、先進各国が「脳死」身体からの臓器移植ブームになり、現在に至っている。
 日本では1989年から「臨時脳死及び臓器移植調査会」(脳死臨調)が議論を開始し、1992年に答申、1997年には「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)が成立、1999年2月に初めて合法的な「脳死」臓器移植が実施された。



3.現状での問題点

 「脳死」は上記のような経緯で誕生したものであり、必然的に臓器移植とセットである。また、「脳死」身体を各種検査や実験、血液などの組織製造に役立てようとの動きもあることから、「脳死」を単独で考慮するより、臓器移植や各種利用の是非を視野に入れて考察した方がより現実への働きかけ指数は増大する。
 現状での問題点・議論の争点を列挙する。






参考:

◇三兆候死(「呼吸停止・心臓停止・瞳孔散大」)


◇死の義務

 以前、アメリカのコロラド州知事リチャード・ラムが同様のことを言った時には誰も相手にしなかった。だが最近になって同国の生命倫理学者ジョン・ハードウィッグが提唱しだした同様の概念や論理は、非常に好意的に受容され始めている。
 ラムとハードウィッグとの違いは、前者が社会政策としての「死の義務」が必要であると訴えたのに対し、後者は個人の考え方としての「死の義務」の必要性を提唱しているという点である。"他人がどう考えどう行動するのかは他人に任せるが、わたしはわたしがそうすべきだと考えることをする"(自己決定[権])、ということである。
 しかし重要なのは、自分の行為は、他人の行為が自分に対して影響力を発揮しているのと同様他人に対して何らかの影響力を発揮するということ、その「自己決定[権]」は死の方向へ拘束されていること、ではないだろうか。


<了>